由良が朝目覚めると隣に提督の姿はなかった。
少し変に思った。提督はいつもなら由良が目覚めるまで
一緒にいてくれる。そしておはようの挨拶をしてくれる。
トイレにいるのかな?と思ったが、どうにも彼の気配がない。
彼が鎮守府の食堂に朝ご飯を食べに来ないことを不審に思った
間宮が、やがて血相を変える。
間宮は昨夜のお世話当番だった由良に事情を聞くが、由良も
驚いているばかりで要領を得ない。この話が榛名や鹿島の耳に
入る頃には横須賀鎮守府内はパニックになった。
「由良さんが正直に質問に答えてくれないと、
榛名は大丈夫じゃありません」
「ですから、本当に知らないんですよ」
他の妻達があまりにもしつこいので、由良は昨夜の提督との
プレイの内容まで詳細に説明した。提督は由良を愛していると
言ったし、実際に二人は熱い夜を過ごしたと言っていい。
由良に落ち度はなかったはずだ。
「じゃあ、どうして提督はどこにもいないんですか!!」
大和の拳がテーブルを叩く。翔鶴も眉間にしわを寄せる。
間宮は包丁を研ぎ始める。秋月は難しい顔をしている。
「妻のみなさん。私は今朝、提督様に会えないストレスから
頭がおかしくなってしまいそうです。どうしたらいいですか?」
鹿島は左の手首に刃物を当て始めた。実際に切り始めてはいない
ものの、いつ切ってもおかしくない状態だ。
口が半開きで目の瞳孔が開いている。
妻達はめんどくさそうなので鹿島のことは無視した。
「榛名は本当に、ぜんぜん大丈夫じゃありません」
榛名は鎮守府内を駆け回るが、やはり見つからない。
彼の私服一式と、靴がないことは確かだ。
はたしていつ、どのタイミングでここから出て行ったのか。
彼がいない。
榛名はストレスで長い髪が何本か抜け落ちてしまう。
衝動的に足元にあるゴミ箱を力いっぱい蹴飛ばす。
翔鶴の顔がかつてのように凶悪になり、今にも由良に
攻撃を仕掛けそうな気配を見せていた。皆も理性では
由良に非はないことは分かってはいても、おそらく直接の
原因を作ったと思われる彼女に八つ当たりをしたくなる。
「由良さ~ん? あなたは昨日提督さんと執務するのを
途中で放棄して、自室に逃げちゃったそうですね~?
鹿島さんから、ぜ~んぶ聞いてますよ?」
「翔鶴さん……。
ですから、ちゃんと提督さんと仲直りしたんですって。
同じ説明を何度すれば納得していただけるんですか」
翔鶴は壁際まで由良を追い詰める。いわゆる壁ドンだ。
由良は病んだ大型空母の迫力に恐れをなし、涙さえ流した。
他の妻からの殺気も尋常ではなく、
このままでは本当に殺されるかもしれない事態となった。
「ただいまぁ」
「「「「……!?」」」
彼が普通に玄関から帰って来た。
真っ先に鹿島が駆け寄って胸の中で泣きわめく。
榛名や翔鶴も同じようにしてみんなで騒いだ。
「えっと……これは何の騒ぎだんだ? 朝の散歩ついでに
○○交差点前のコンビニまで買い物に行ってただけなんだが」
もうすぐ梅雨が明けて真夏がやってくる。
その前に普段から頑張ってくれているみんなのために
人数分のハーゲンダッツを買って来たとのこと。
鹿島が目に涙をためながら言う。
「提督様!! お買い物に行くなら鹿島が荷物をお持ちしましたのに!!」
「いや、いつもみんなにお世話になってるから悪いと思ってな」
「鹿島は、これっぽっちも迷惑ではありませんわ!!
むしろ私を頼ってくれないことの方が迷惑なのですよ!!」
由良が涙をふきながら言う。
「もう提督さんたら。本当に心配したんですよ。
買い物に行くなら私に一声かけてくれたらいいのに」
「いやぁ。悪い悪い。由良があまりにも気持ちよさそうに
寝てるから起こしたら悪いと思ってさ」
と目元だけで笑う。頭に包帯を巻き、マスクをしている状態ならば
充分に彼の顔は魅力的に見えた。榛名が後ろから抱き着き、すんすんと
彼の匂いを嗅ぐ。これで落ち着くのだ。横から鹿島が密着し、正面から
間宮が抱き着いているので、他の妻たちは抱き着く場所がななかった。
翔鶴がアイスの入った袋を受け取りながら問う。
「ところで提督はいつ散歩に行かれたんですか?」
「ん~~? 何時だったかな。俺が目覚めたタイミングだったから、
たぶん朝の5時半(まるごうさんまる)だったと思うよ」
「……そうですか」
と言ったきり、それ以上は何も訊かなかった。
夫は、嘘をついた。
翔鶴はそう確信した。
だが他の妻には黙っておいた。
実は翔鶴が目覚めたのは5時。
弓道の鍛錬のために早起きは基本なのである。
道場からは鎮守府の庭が良く見渡せる。
翔鶴は全神経を集中させて弓を引く。
敵勢力への警戒の意味も込めて、庭に侵入しようとする
いかなる存在の姿も見逃すことはない。
翔鶴は自信を持って言えることがあった。
提督は朝5時半に散歩に出かけていない。
なぜなら、その時間に誰も出歩いてなかったからだ。
翔鶴が鍛錬を終えて郵便ポストから新聞を取り、寮に戻る。
その時点で提督は当然居なかった。朝の6時ちょうどだ。
彼女がおかしいと思ったことはもう一つある。
提督の外出時間が妙に長かったことだ。
妻達が大騒ぎを始めたのが朝食の時間の7時。
混乱は炊事係の間宮から伝染して始まった。
提督は実に1時間以上も散歩していた計算になるが、
身体障碍者になった提督にしては少し長すぎる。
そして彼の行動に疑いを持つ艦娘は他にもいた。
「やっぱり榛名は安心できません」
その日の夕食時、榛名はついに暴挙に出る。
提督の唯一自由な右の手首に、手錠をしたのだ。
手錠の先は榛名の左の手首とつながっている。
せっかく重婚して丸く収まったと思ったのに……。
提督の血の気が引く。
そんな彼の心境を察してか、鹿島が殺気立つ。
「そんなことはやめなさい!! 提督様が困っているわ!!」
「でも、こうしてないと榛名は不安で仕方ないんです。
また夜のうちに提督がいなくなってしまうじゃないですか」
「夜のうちに?」
「ええ。夜のうちに」
妻達の視線が、一斉に提督に向けられた。
今日の夕食は間宮が腕によりをかけて作ってれた
パーティメニューとなっていて、艦娘が一堂に会していた。
パーティは『提督が逃げたのかと勘違いしてしまった記念』
と名付けられていたが、どうやら勘違いではなさそうな雰囲気になっていく。
「榛名さん? それはどういう意味ですか?」
大和が静かに聞く。これが逆に怖かった。
「本当は皆さんも気づいているんじゃないんですか?
提督は本当は夜のうちに逃げ出してしまった。
榛名は馬鹿じゃありませんから、
提督が嘘をついてるのを知っていますよ」
由良は口もとを両手で隠し、涙目になる。
「実は私もそうじゃないのかと思ってました。
提督さん、はっきり言ってください。
私のせいなんですよね? 由良がめんどくさい女だから
嫌になって逃げちゃおうかと思ったんですよね?」
由良は言葉でこそ自分を責めているようだが、
実際は提督に砲を向けていた。
12.7センチ単装高角砲である。
「ちょっと待ってくれないか。俺にも説明を」
「私だって本当はこんなことしたくないんです。
でも提督の言葉が信じられなくなっちゃって。
昨夜由良のことを一生愛してるって言ってくれたじゃないですか」
鹿島と大和が提督の前に立ちはだかり、由良をにらむ。
この三名のすさまじい殺気により食堂の窓ガラスに亀裂が生じる。
翔鶴も弓を取り出し、提督に傷一つ付けたら
貴様の心臓を撃つと由良を脅してから、提督へにっこりとほほ笑んだ。
「それでは提督。説明をお願いします。
もちろん、ここにいる全員が納得のできる説明をお願いしますね」
「分かったよ。みんな、これから俺の言うことをよく聞いてくれ」
提督は椅子に座らされ、
その対面側のテーブルに艦娘全員が立ったまま話を聞いた。
提督は真剣な顔でこう言った。
夜遊びをしていたと。
鎮守府を出たのは深夜の2時過ぎ。
軽くシャワーを浴びてから出て行った。
雨が降りそうだったので傘を持って行った。
由良はよく寝ていたので起こす必要がなかった。
シャワーの件などは無駄な情報だった。
榛名と翔鶴の瞳が瞬時に色を失っていく。
同じく瞳の色が変わりつつある鹿島が、
指先の震えを抑えながら問う。
「夜遊びってまさか男の人が好きなギャンブルとかを
しにいったわけじゃありませんよね?
まさか、本当にまさかとは思いますけど、
あなた様は女性の方と会っていたのですか?」
提督は首を縦に振る。
轟音が鳴り、食堂の天井が揺れる。
何事かとそちらに注目すると、大和が副砲で由良を
吹き飛ばした音だった。由良がためらいなく提督を
撃とうとしたのでそれを防ぐために先に攻撃した形だ。
身体障碍者となった提督を撃つなど言語道断であり、
後で由良には仕置きが必要になるが、全ては後回しだ。
お腹に重傷を負い、気絶した由良を全員が放置することにした。
「提督。榛名は本当に……本当に本当に大丈夫じゃなくなりました。
この質問に答えてくれなかったら、次は足にも手錠を
させていただきます。誰と逢っていたんですか?」
「赤城と加賀だよ」
榛名が提督を殺さんばかりの瞳でにらんだ。
提督はひるむが、目はそらさない。
重い沈黙が食堂に流れる。時計の針の音が響く。
他の皆がまだ黙っているので、榛名が続けて質問した。
「死んだ人と、どうやって会ったんですか?」
「榛名は何を言ってるんだい?
あの二人は死んでなんかいない。
君は赤城と加賀が死んだと思ってるのか?」
榛名は絶句する。他の皆も言葉が出ない。
また秒針が時を刻む音だけが食堂を支配する。
永遠にも続くように感じられる静寂の地獄。
間宮が台所まで駆けだし、包丁を持って戻って来たので
大和や秋月が止めに入り、多少の騒ぎになる。
怖いくらいに冷静な翔鶴は、提督にこう訊いた。
「提督のお財布を見せてください」
提督の財布には、信じたくはないがラブホテルの
メンバーズカードが入っていた。翔鶴は怪力でカードを
握りつぶした。そして残骸となったそれを提督にあげた。
「そんなに一航戦の先輩達の体がお好きなんですか?」
「俺は体目当てだったわけじゃないよ。赤城がな、
ようかんを一緒に食べようと言ってたんだ。
だからその約束を果たしただけなんだ」
「提督の服、よく見ると加賀先輩の髪がついてますよ」
「え? どこに?」
「嘘ですよ。やっぱりあの人達と寝てたんですね。信じられない」
翔鶴は提督の頬をひっぱたく直前で思いとどまった。
すでに戦いで傷つき、顔に障害まで負った彼を殴ることはできなかった。
その代わり、怒りが言葉となってあふれ出してきた。
「いい加減にしてくださいよ!!
どうして私たちに嘘をついて夜遊びなんてしてたんですか!!
提督がいないって知った時、私たちがどんな思いをしていたか
知らないんですか!! どうして提督はいつもそうなんですか!!
私達と結婚してくれて、それでみんなが幸せになれたのに
またみんなを不安にさせるようなことして、
こんなことして誰の得になるんですか!!」
提督は翔鶴の迫力に委縮した。
下手に反論でもしようものなら、一生監禁されそうな勢いだった。
「死んだ先輩方と会っていた!? 意味が分かりません!!
死んだ人と、どうやって会えるんですか!! ねえ!!」
「君と……似たようなものだよ。俺に中東を旅した結果、不思議な力が宿った。
俺が本当に願うと神様が力を貸してくださるんだ。
死んだ人を一時的にこの世界に呼び戻すことができる」
「一時的……? そこから察するに夜の間だけ先輩たちと
密会できるって意味でよろしいのでしょうか!!」
「そうだよ。夜の間は死者がよみがえるんだ。肉体を持った人間としてな。
どうせ隠しても無駄だからはっきり言うよ。
俺は一航戦の空母二人と避妊具なしで最後までやってしまった」
間宮が包丁を片手に奇声を発しながら提督に突っ込んできたので、
由良の時と同じように大和が副砲で吹き飛ばした。
間宮もお腹に直撃を食らい、衝撃のあまり壁を貫通して廊下で倒れた。
翔鶴が何事もなかったかのように折檻を続ける。
「それって浮気じゃないですか!!」
「ああ、そうだ」
「よくもそう淡々と……!! これだけ妻がいるのにまだ満足できませんか!!
私たちはこれだけ提督のためを思って優しくして
あげているのに、どこが不満なんですか!! 顔ですか!!
一航戦の先輩方は美人さんですものね!!
翔鶴のようなブスと一緒にいるのは苦痛ですか!!」
「翔鶴は十分に美人だよ。俺にはもったいないくらいさ」
「じゃあどうして!!」
「みんなのことも好きだよ。だが、俺は加賀のことも好きなんだ。
忘れようと努力はしたさ。でも加賀のことが忘れられない。
加賀が、赤城を仲間外れにしたらかわいそうだからって、
三人で仲良くすることにしたんだ。もちろん赤城のことも好きだからな」
翔鶴にとって耐えられないのは提督の愛が自分たち以外の女へと向くこと。
はっきりと一航戦のことが好きだと言われてしまって怒りに燃えないわけがない。
提督に当たるわけにはいかないので、
食堂のテーブルに鍛え上げられた拳を落とした。
高級木材で作られたテーブルは、中央から亀裂が生じ、そのすさまじい
衝撃によって粉砕されて、折れるどころか文字通り粉になってしまった。
提督は表面上は冷静さを保ったが、次にあの拳が自分に向けられたら
殺される覚悟はできていた。奥歯のかみ合わせが合わぬが、
顔面障害のせいで口がほとんど開かないからバレてないと思った。
不幸中の幸いだ。
しかし提督に対して異常すぎる観察眼を持った鹿島だけは
提督の心理状態を正確に分析していた。
「もうそういうの、やめましょうよ!!」
鹿島が腹から声を張り上げる。
いきなりのことだったので全員が虚を突かれた。
「提督さんにだってみなまで話したくない秘密のひとつやふたつが
あったとしてもいいじゃないですか!! 確かに提督さんは私たちの
夫ではありますが、一人の男性なんですよ!! そうやって提督さんを
尋問して彼を追い詰めたら、それこそ愛想をつかされてしますよ!!」
榛名が、提督と手錠をした自分のことを言っているのかと思い、
長い黒髪が怒りのあまり逆立つ。鼻息の荒くなった彼女が
大きく息を吸おうとしたので、その前に鹿島が言葉を続ける。
「提督さんがどういうつもりだったのかは知りませんが、
それでも私は提督さんのことが好きです!!
あなた達が提督さんのことが許せないのなら
物に当たったり八つ当たりしていればいいんですよ。
私は絶対にそんなことしません!!
私は提督さんの負担になるようなことは何もしたくありません!!」
提督は無性に鹿島のことが愛おしくなり、
彼女を抱き寄せて唇を奪ってしまった。
「ありがとう鹿島。愛してる」
「あっ……提督さん。みんなが見てるぅ……」
甘ったるい空気なのは彼らだけである。
妻達の怒気が一斉に鹿島に注がれ、
食堂中のテーブルと椅子がガタガタと振動し始めた。
「なに一人だけ良い顔しようとしてるんですか」
榛名の握った拳が、鹿島に向けて放たれる。
「ぐふっ」
食らったのは提督だった。
とっさの判断で鹿島をかばったため、無防備なお腹に拳が刺さってしまう。
提督は湯呑一杯分の吐血をしてから意識を失った。
提督は確かに過去は人類最強だったかもしれないが、
数か月の入院生活を経てから一度も鍛錬をしてない。
身体は精神的な疲労もたまったこともあり、風船がしぼんだように
弱弱しくなってしまった。その状態の提督が、握力350で握られた拳を食らった。
榛名は金剛型戦艦、三番艦として建造された。姉の金剛は、日本海軍が
建造を英国に頼った最後の戦艦だ。三番艦の榛名は建造こそ国内で行われたが、
基本設計は世界一の造船国の英国に依存しているといっていい。
快速を生かした戦闘が得意であり、その任務は空母艦隊の護衛から
敵基地への艦砲射撃など多岐にわたる。金剛姉妹の中で戦争最終盤まで
生き残る運の強さもあり、太平洋戦争中最も活躍した戦艦に
数えられている。つまり実用性が極めて高い。
榛名は、自分は老朽船だが、何度も改装してくれたおかげでなんとか
前線で戦えると自嘲していたが、実はあの大和や長門からも
練度の高さにおいて一目置かれるほどの存在だった。
その榛名が、経緯はどうであれ提督に必殺の拳を食らわせてしまった。
吐いた血の量が半端ではない。最悪、死んだ可能性もある。
怒りと悲しみで我を失った鹿島が、榛名の胸ぐらをつかもうとするが、
その勢いを利用されて巴投げされる。榛名は自己防衛のための
無意識の行動だった。天井の高さから落下した鹿島は背骨が
折れるほどの衝撃を受け、立ち上がれない。
この見事な動作を見た妻たちは、
徒手空拳では榛名にはとうてい勝てないことを悟った。
「キサマ。殺す」
相手は戦艦だ。翔鶴が艦載機を発艦させて榛名の頭上に爆弾を落とそうとした。
大和と秋月の対空射撃にによって爆撃機は全機が発艦する前に爆発した。
大和が46センチの主砲を旋回させると、さすがに翔鶴は血の気を失う。
大和の主砲は射撃精度も抜群で、
先の決戦ではキングジョージ五世級戦艦を5隻全滅させた。
「ま、参りました。私はすっかり我を失っていました。
お願いですから主砲を私に向けるのをやめてください」
「わかりました」
大和は秋月と一緒に提督の体を運ぼうとしたが、
榛名の手と繋がれている手錠が邪魔である。秋月が速く鍵を渡しなさいと
冷たい顔で言うので、榛名はゾっとして鍵を自分で解除した。
ここから一番近くにある由良の部屋のベッドに提督を寝かせた。
榛名も一緒に着いて行きたかったが、大和に無言で主砲を向けられた
ため、言葉を発することもできなかった。翔鶴は同行を許された。