提督の頭痛は翌朝になるとさらにひどくなり、
自力でトイレに起き上がるのが精いっぱい。
今のところ寝たきりになってしまった。
翔鶴は何か栄養のあるものを食べさせてあげたいと思ったが、
歩いて行ける場所にはコンビニしかない。
スマホでマップを調べると、9キロ先にスーパーがある。
買いたい食料品は大量にある。歩いて買いに行くのは遠すぎる。
そこで翔鶴は日中の間に雑木林の中や、住宅の近くにある山の中を
散策して遺棄された自転車を見つけることに成功した。
前輪から空気が完全に抜けており絶望したが、
冷静に調べてみると空気を入れる袋ナットの
部分が緩んでいるだけで、タイヤ自体の損傷はなかった。
住宅の納屋には都合よく古びた空気入れがあったので、
前輪に空気を入れると問題なく走れた。
ぞうきんを何度も絞ってさびたママチャリを綺麗にしまくる。
この自転車は子供用なのか少し小さいが、贅沢は言っていられない。
翔鶴はお金のことを考えた時に、とんでもないことに気づいた。
現金がほとんどないのだ。
実は提督のボストンバッグに300万以上入っていたのだが、
バス会社が宿泊先のホテルに送ってしまっている。つまり
ホテルまで行かない限りは、バッグを取り戻すことはできない。
もっとも彼らは途中でツアーを脱退したので、ツアーの規則により
彼らの住所に向けてバッグが送られる仕組みにはなっている。
だが彼らがツアーに申し込んだ際に記入した住居は全くの架空であり、
名古屋市内のアパートの一室としていた。もちろん夫婦の名前も偽名だ。
つまりお金はもう戻ってこない。
今ある現金は、分散して翔鶴が持っていた約20万と、
提督のポケットや小さなリュックなどに入っている50万程度。
彼らは不幸にもおよそ350万近いお金を失った計算になる。
翔鶴はめまいがして、一度休もうかと思ったが、それでも
スーパーへ買い物に行った。提督が重体なので健康な自分が
少しでも頑張らないといけないと思った。
田舎の心地の良い風が吹くが、翔鶴の心は完全に冷え切っていた。
「いらっしゃいませー」
駐車場があまりにも広くてびっくりした。
それに店内も広々としていて快適だ。買い物をする人は
明らかに老人が多いが、一部に肌の浅黒い外国人もいる。
みんながのんびりとしていて、都会のように殺伐とした雰囲気はない。
提督は食欲はなさそうだから、野菜中心で体に良いものを
探そうと、翔鶴が買い物カゴを左腕にかけながら店内を回る。
「こんにちわ」
「はい……?」
後ろを振り返ると、いた。
金剛型戦艦の三番艦、榛名だ。
いつもの肩を出した巫女服姿。
「ようやく見つけましたよぉ。泥棒猫さん」
大きく目を見開き、口をへの字に曲げている。
彼女の背後からはすさまじい負のオーラが立ち込めているではないか。
もはや艦娘ではなく鬼だ。
翔鶴は恐ろしさのまり買い物カゴを落としてしまう。
「言いたいことは腐るほどありますけど、
もうとっくに榛名は我慢の限界です。覚悟はできてますか?
今回ばかりは本気で行かせてもらいます」
翔鶴はとっさに飛び退こうとしたが、榛名に腕をつかまれる。
すごい握力なので骨がきしむほどだった。
榛名は翔鶴の腕をつかんだゼロ距離の状態で、
4連装の約36センチ主砲を4発同時に叩きこんだ。
ズドンと爆発し、翔鶴は黒焦げになってその場に倒れた。
お店の中が騒ぎになるが、榛名は冷静に翔鶴の体を引きずって
駐車場に出る。ここでも人目につくのでお店の裏側の田んぼ道へ回った。
「翔鶴さんったらひどい人ですよねぇ。どうして提督を連れて
鎮守府から逃げちゃったんですか。ねえ……どうして。どうして。
どうしてですかぁ。答えてくださいよぉ。ねえ……どうして?」
榛名は15センチと12センチの副砲を休む間もなく打ち続けた。
全部で14基もある副砲の連射によって翔鶴は血を吐き、骨が折れ、
大やけどを負った。大往生する翔鶴は、薄れゆく意識の中で榛名をにらむ。
例え殺されても榛名を呪い殺すくらいの気持ちでいた。
翔鶴はここで死ぬわけにはいかないのだ。
あのみじめな空き家には病気の旦那を残しているのだから。
「その辺で終わりにしましょうか」
と鹿島が横から言う。榛名は不満そうだったが、副砲を仕舞う。
「翔鶴さんには事情が分かりませんよね。まずどうして
私たちがあなた方の居場所が分かったかをこれから説明します」
鹿島は天使の導きによって提督の居場所を突き止めていた。
鹿島は少し先の未来のことが分かるようになっていたのだ。
だから翔鶴が、このスーパーに来ることもなんとなく知っていた。
だから待ち伏せして捕らえて穏便に尋問しようとしたが、
榛名が先走って暴走してしまった。
鹿島と榛名はのんびり歩いて提督の住居にやってきた。
満身創痍となった翔鶴はスーパーの駐車場に置いてきた。
実は鹿島も翔鶴を深く恨んでおり、いっそ野垂れ死ねばいいと思っていた。
だが下手に殺してしまったら提督に恨まれるので
家に連れて帰ろうと思ったが、榛名が強く反対したので放置した。
「ただいま」
と玄関から声がしたので提督の目が覚める。
翔鶴の声じゃない……といぶかしむ暇もなく、どかどかと
慌てて榛名が入って来て、提督の前に現れる。提督を布団に押し倒し、
彼にのしかかって榛名は泣いた。鹿島も久しぶりに彼を見たことで高揚していた。
「うふふふふ。本物の提督だぁ」
「榛名……や……やめてくれ……俺はもう艦娘と関わりたくないんだ」
「え?」
「俺はお前たちと関わりたくない。頼む。帰ってくれ。
今翔鶴が買い物に行ってるんだ。そろそろ帰ってくる頃だと思うからさ。
なあ頼むよ。お前らと翔鶴が顔を合わせたらまた喧嘩になるだろうが」
提督の言葉をゆっくりと咀嚼した榛名は、ついに気が狂ってしまい
あれだけ愛していたはずの提督に対し、握りしめた拳を振り下ろした。
「がっ……?」
提督の腹に鉄球のごとき拳が刺さった。
榛名は夢中になって提督の肩や腕を殴り続けた。
「提督……それ、おかしくないですか。
なんで艦娘と関わりたくないのに翔鶴さんだけは特別扱いなんですか……。
私たちを捨てたくせに翔鶴さんとだけは駆け落ちするんですか……
それって……ふざけてますよね?」
「なにしてるの!! やめなさい榛名さん!!」
「邪魔しないで!!」
榛名の神速の裏拳を、紙一重で交わした鹿島。
今の一撃は本気だった。
あと少しで顔面が陥没するところだった。
「私のしてることが乱暴だってことは分かってますよ!!
榛名は馬鹿じゃありませんから!! でもこうでもしないと、
この人は私たちを拒絶して逃げちゃうんですよ!!
今まで私たち艦娘にこんなにも優しくしてくれて、
こんなにも彼を好きにさせておいて、
それで逃げちゃうなんて許せるわけないじゃないですか!!」
「私だって彼を束縛できるならしたいですよ……。
あなたは彼の気持ちを考えたことがあるんですか。
鎮守府から出て行きたくなるくらい艦娘の束縛が嫌になって…」
「綺麗ごとですよ!!」
「ええ!! 綺麗ごとよ!! 悪い?
自分の事よりも彼の気持ちを考えなさいよ!!」
提督は頭痛が極限に達し、布団の上で盛大に嘔吐した。
いきなりのことだったので、榛名と鹿島が固まる。
他人の家なので勝手がわからないが、鹿島が家中を走って
濡れぞうきんを持ってきて処理をする。榛名も古新聞紙を使って手伝った。
まだ昼前なので汚物で汚れた布団を干そうと思ったが、もともと
長い間仕舞われてカビているし、捨てることにした。
押し入れの中にはまだまだ他の布団もある。シーツの予備もたくさんあった。
この家は平屋の割にはずいぶんと布団が多かった。
鹿島が提督を風呂場に連れて行って、体中をシャワーで流してあげた。
この時期のシャワーは少し肌寒いが仕方ない。
榛名は提督の服を洗濯機で洗う。
洗剤の場所がぱっと分かる位置になかったのでイライラした。
鹿島は自分の足で立つこともできなくなった提督に肩を貸し、
風呂場から出てきた。寝室に置いてあった彼のバッグの中から
着替えの予備を取り出す。寝巻用の上下のスエットだった。
提督は手足がしびれて体の自由が利かないが、
嘔吐したことで頭はしっかりしており、舌が良く回った。
「鹿島……なんで俺の世話をするんだ……。俺は言っただろ。
俺に関るなって……。鎮守府を出て行く時、おまえを
力いっぱいビンタしたよな……。なのにまだ好きなのか」
「私が提督様のことを嫌いになったことが一度でもありましたか?」
鹿島は彼の傷の手当てをした。先ほどの榛名の連続パンチ
のせいで体中に真っ赤なあざができているが、骨が折れている様子はない。
冷静さを取り戻した榛名が、恐縮しながら提督の方へやってくる。
彼の枕元に座って提督に乱暴したことを謝る。
「お前の性格はどうせ今後も治らないんだろうから、もういいよ。
それより翔鶴はどうした。お前たち、どうやってここに
来たのかは知らんが、途中で翔鶴を見なかったか」
「ええっと。それは……ですね」
「スーパーの買い物にしては遅くないか。
どこかで寄り道でもしてるのかな。
もう出発してから三時間近く経っているんだが」
「たぶん二度と帰ってこないと思いますよ」
「なに?」
「榛名が殺しちゃいましたから」
提督は、長らく自分の娘として可愛がってきた榛名のことを
こんなにも憎いと思ったのは初めてだった。今こいつはなんて言ったのだ。
榛名が殺した……? 榛名は素直で嘘をつかない性格なのはよく知っている。
翔鶴が死んだ……?
翔鶴は提督の妻である。カッコカリではなく現実の女性として彼女を選んだ。
死んでいいはずがなかった。翔鶴は病気の提督のために新鮮な食材を
買いに行ってくれたのだ。提督もいろいろな艦娘を見てきたが、
あれほど熱心に提督に尽くしてくれる娘を他に知らない。
「この野郎……よくも翔鶴を……この野郎……」
「いたっ。痛いですよ提督……」
提督の力では榛名の肩をコツンと叩くのが精いっぱいだった。
これでも彼は榛名に精いっぱいの殺意を向けたつもりだった。
「提督様!! 私が詳しい事情を説明します」
鹿島が彼の背中から抱き着いた。
「翔鶴さんはまだ死んでないと思います。
榛名さんの攻撃を食らって虫の息になっているとは思いますけど……」
一通り説明を聞いた提督は、やはり榛名を殴った。
赤ん坊と同じくらいの力で。
「うっ」
また頭痛が襲ってきて提督は電池の切れたロボットのように
布団に倒れこんだ。鹿島は榛名に命じた。翔鶴を連れ戻すようにと。
「嫌ですよ。あそこまで歩いて結構な距離があるじゃないですか。
私今日はたくさん歩いたから疲れちゃいました。明日じゃダメですか?」
「あなたは自分が何を言ってるのか分かっているの?
提督様は翔鶴さんと結婚していたそうじゃない。
彼をこれ以上悲しませるようなことをしたらいけないわ」
「ふーん……あっそうですよねぇ。私たちも提督の妻だったはずなのに
今は翔鶴さんが正妻なんですよね。あはは。なんだか笑っちゃいます」
「榛名さん?」
「絶対に翔鶴をここに連れ戻してあげませんから!!」
榛名がいきなりヒステリーを起こしてしまった。
「鹿島さんこそおかしくないですか!?
今ここに提督がいるんですよ。私たちの目の前に!!
なのにどうして浮気相手の翔鶴さんをここに連れ戻す必要があるんですか!!」
「バカね!! あなたがどう考えようと関係ないのよ!!
経緯はどうであれ翔鶴さんは提督様が選ばれた本物の妻なのよ!!
その場合の浮気相手はあなたや私の方でしょうが。
あなたが強情を張って提督様を束縛したって意味ないのよ!!
あなたのせいで私まで嫌わちゃうじゃない!!」
「おい、おまえら……あまり怒鳴るな……頭に響くんだよ……」
「はっ……申し訳ありません提督様。
ちょっとそこの老朽戦艦が聞き分けがないせいで……」
「……老朽戦艦って言いましたね?
戦闘ではちっとも役に立たない練習巡洋艦のくせに」
「うるさい。文句があるなら横須賀に帰りなさい」
「鹿島さんこそ榛名からしたら邪魔者ですから。
ここまで道案内してくれたことには一応感謝してますよ。
後のことは老朽戦艦に任せてくれて結構です。
どうぞ横浜行きの新幹線のチケットでも買ってください」
「どうしてあなたはそうやって自分中心の考え方しかできないの。
世の中は榛名さんを中心に回ってるわけじゃないのよ。
あなたと話しているとイライラしてくるわ」
「ぷっ。偉そうに。横須賀にいた時は提督様人形を
大事そうに抱えてよだれ垂らしてませんでしたか?」
「……」
「急に黙ってどうしたんですか? 激おこさんですか?
榛名を殴りたいんだったら、どうぞ好きにしてください。
ちなみに老朽船でも空母加賀と接近戦で互角に戦えますけど」
鹿島は立ち上がり、玄関から出て行った。一言も発することなく。
まさか出て行くとは主なかった榛名が彼女の行方を探る。
鹿島はそのまま農道を歩いてどこへ消えてしまった。戻る気配はない。
寝室は嘘のように静かになった。
提督は榛名に背を向けたまま横になっている。
頭が割れそうに痛くて、ただただ苦痛な時だった。
榛名に話しかけられても無視しようと思っていたが、
「う、うわぁあぁぁぁぁぁぁぁぁん。ていとくぅぅぅぅうぅ!!」
すごい勢いでワンワン泣き始めた。
薄手の毛布の中に入り、提督の背中にしがみついて泣いた。
「は、榛名は悪い子だってわかってます……!!
それでも翔鶴さんがどうしても許せなくて
痛めつけちゃったんです!!
提督が……私たちに内緒で出て行ってしまうから……!!
榛名はさみしくて頭がおかしくなっちゃって!!」
提督は何もしゃべらなかった。彼女の頭をなでることもない。
理由はどうであれ、榛名は翔鶴を砲撃した。
大砲を撃つなど、軍属のすることだ。
もう艦娘とは関わらないと決めたのだ。今は妻の翔鶴が
生きている可能性にかける。もし自分が健康体だったら、
今すぐ現場に駆けつけて安否を確認したかった。
「ていとくぅぅう!! お願いですから
榛名のことを嫌いにならないでください!!
榛名は提督がいてくれないと生きていけないんですぅ!!」
榛名があまりにも泣きわめくものだから、寝れやしない。
提督は苛立つと同時にまた頭痛が襲ってきて吐きそうになる。
こいつを無視し続けるのは無理だと知り、低い声で威圧する。
「ごちゃごちゃうるせえ。こっちは頭痛なんだ。静かにしろよ」
「ひっ……? わ、分かりました。榛名は静かにします」
榛名は文字通り黙り込んだ。彼女は変に従順なところがあるかと
と思えば、提督をアフガンに連れ出すほどの奇行に発展することもある。
ある意味最もつかみどころのない性格をしていた。
提督は頭が重くなってきて、猛烈な睡魔に襲われた。
目が覚めた時は夕方の6時過ぎになっていた。
田舎の家庭では夕食時である。
妙に寝苦しいなと思ったら、裸になった榛名が隣で寝ている。
泣きはらしたのか、目元が赤いしクマができている。
最近はあまり寝てなかったのかもしれない。
のんきな顔で寝やがって。いっそ首を絞めて裏山に埋めて
しまおうかと思うが、やはりできない。彼の心は提督のままだった。
寝起きに榛名の無防備な乳房を見てしまい、
つい触りたくなってしまうがなんとか耐えた。
この髪の匂い。何度も嗅いだことのある榛名の香りだ。
女の子らしく甘ったるくてどこか懐かしい感じのする香り。
匂いとは不思議なもので、彼の意識をあのアフガニスタンの
大地へと一瞬で引き戻すほどの力さえあった。提督は、
おそらく死ぬまで榛名との縁が切れることはないのだと思った。
台所では規則的な包丁の音が聞こえる。
鹿島だ。エプロン姿で料理をする姿が様になっている。
野菜を切りながら味噌汁用の鍋と煮物用の鍋を温めている。
この家の調理家具は綺麗に戸棚にしまわれていたから、
まだまだ現役だった。炊飯器は少しだけ外観が
汚れていたが、中身は普通に使える。
この家の元住人はかなりしっかりとした人だったようで、
洗剤の類は台所の床収納の中に綺麗にしまわれていた。
その他の掃除道具類も、要所要所に丁寧に収納されて無駄がない。
最初は簡単には見つからなかった各種道具。元家主の法則性が
分かればむしろ合理的に仕舞われていたことが分かった。
提督は起き上がってトイレに行った。
そして台所の椅子にドカっと腰かけて、鹿島にこう言った。
「戻って来たのか」
「はい。ちょっと買い物にでも行こうかと思いまして、
今買ってきた食材で料理を作ってるんです」
「その役割はもともと翔鶴に任せたんだがな。
俺の質問に正直に答えろ。翔鶴はどうした?」
「重症ですけど生きてはいますよ。今は入院しています」
「入院って、病院にか?」
「はい。市の総合病院に。全治三か月のケガだそうですけど」
「疑うわけじゃないけど、本当だろうな?」
「本当ですよ」
「その割には説明が淡々としてないか」
「料理中ですから」
「おい。ふざけるなよ。こっちは真剣に訊いているんだ」
「こちらも真剣に答えているつもりですが」
「翔鶴がまだ生きているって言うなら、証拠を見せろよ!!
本気の榛名に砲撃された翔鶴が生きているとは思えないんだよ!!」
「ちゃんと整形外科で手術を受けているはずですよ。
そんなに信じていただけないのでしたら、
主治医に電話でもかけますか?」
「おい鹿島!!」
提督はたっぷり寝たので調子が良かった。
後ろから鹿島の肩を力強くつかむと、彼女はゆっくりと振り向く。
「なんでしょうか」
鹿島の目は、まるで感情がこもってない無機質なものだった。
それに声もいつもと違ってあまりにも淡々としている。
「おまえ、怒っているのか?」
「ええ。怒っていますよ。割と本気で」
「なにに?」
「提督さんの態度についてですよ」
「俺の態度だと? どういう意味だ」
「翔鶴、翔鶴って、いつまでもしつこいから」
「……? 俺は翔鶴の夫だぞ。妻の心配をして何が悪い」
「その妻って言い方、やめてくださいませんか。
すごく、すっごく不愉快です」
「なんだと。お前らこそ勝手にこの家に
押し掛けて来て何様なんだ。ふざけんじゃねえぞ!!」
「次に翔鶴の名前を出したら提督さんに手錠しますから」
「なに!?」
「私だって翔鶴さんの事、大っ嫌いなんですよ。
鎮守府からあなたが出て行った日のことを覚えていますか?
あの空母ったら私の事を足蹴にしましたよね。
あの時、どれだけ私がムカついたと思いますか。
提督様のことを想って我慢してましたけど」
鹿島はこう宣言した。この家で提督を監禁すると。
彼女は提督に気を遣ってくれる艦娘だったはずだが、
いきなり意見が変わったことに恐怖を覚える。
「お、おまえまで榛名と同じことを言うんだな……。
そんなに翔鶴のことが嫌いかよ」
「ええ。それはもう。殺してやりたいと毎日思っていました。
それを我慢して病院にまで連れて行ってあげた
私に感謝してほしいくらいです」
「おまえらは!! すぐそうやって嫉妬してことをややこしくする!!
お前らが俺に執着するのは世間を知らないからなんだよ!!
お前達だって一般社会で働いたりすれば、もっと良い男が
たくさん見つかるはずなんだ!! お前たちは世間が狭すぎるんだよ!!」
「世間が狭くていいではないですか。私たちは戦うために
生み出された存在なんですよ。あなた様だけが、
月である私たちを照らしてくれる太陽なのです」
「ふ、ふざけんじゃねえ。
お前らのママゴトに付き合ってられるか!!
俺はもう出て行くからな!!」
提督はまた頭痛に襲われたが、短い距離なら走ることができる。
鹿島を洗面台の方へ突き飛ばしてから、一目散に玄関に向かった。
ガラガラっと引き戸を開け、星空が見えてきた外の世界へ踏み出す。
だが、不思議なことにどれだけ歩いても前に進まなかった。
特におかしかったのは左腕だ。万力で固められたかのように動かない。
「こんな時間にどこ行くんですか?」
満面の笑みの榛名だった。握りしめられた提督の骨がきしむ。
「提督は今逃げようとしましたねぇ。
いけませんねぇ。悪い提督にはお仕置きをしてあげないとぉ」
「うああああああ!! やめてくれ!! 骨が折れちまう!!」
警察がするように提督をうつ伏せに寝かせて片腕を引っ張っていた。
榛名は提督が泣き叫んでもやめてくれずに、本当に肩の関節を
外してしまいそうな勢いだった。途中で鹿島が止めに入ってくれたので助かった。
だが逃げようしたことには罰が必要だった。
提督は、台所の椅子に縄で縛り付けられた。
胴体を縄で固定され、後ろ手に手錠されて背もたれの裏側に回された。
「ちくしょう……。おまえら。一生恨んでやるからな」
「逃げようとした提督の自業自得じゃないですか。
榛名たちを恨まれても困りますよ」
夕食は、鹿島と榛名が交互にあーんをして食べさせてくれる。
鹿島と榛名は仲が悪く、互いに会話らしい会話はない。
共同生活の初日は、あまりにも静かな食事風景となった。
「提督様。鹿島の手作り料理は美味しかったですか?」
「味は悪くなかったよ……」
ご飯とみそ汁の他には、大根と厚揚げの煮物、そして新鮮な豆腐だった。
頭痛の提督に気を使って脂っぽい料理は避けた。
提督は割と食欲がある方なので残さず食べた。
途中で食事くらい自分で食べさせてくれと言ったが無視された。
「作ってくれたから一応礼は言っておくよ。ご馳走様」
「お粗末様でした」
鹿島はニヤニヤしながら提督の頬にキスをした。