赤城は泣いていた。
「うっ……ううっ……どうして。どうしてなのっ……」
提督はついに発見できなかった。
日本各地を手分けして回ったというのに。
「ぐすっ……ぐすっ……うそつきぃ……私のこと愛してるって
言ってたくせに……うそつきぃ……提督のウソつき……!!」
蒼龍が、新幹線の熱海駅で鹿島と榛名と別れたのは知っている。
鹿島と榛名が、提督の居場所を何らかの方法で知りえたのは
間違いないのだ。だが肝心の彼女達の居場所がどうしてもつかめないのだ。
2週間かけて捜索して旅費が尽きた一同は、いったん横須賀に戻る。
まずは冷静になり作戦を練るのだが、そこからが大変だった。
赤城は提督に会えないストレスから、またヒステリーを起こしてしまい、
蒼龍を中心とした艦娘に八つ当たりを始めた。
赤城は蒼龍が全部悪いと言った。
あの時、榛名達と別れてしまったのが悪いのだと。
だからおまえは死ねと言い、執務室の中で雷撃機を展開した。
提督に会えなくて限界なのは赤城だけではない。
たったの一人だけのわがままが、許されるわけがない。
加賀と飛龍が迎撃機を展開するよりも前に、
秋月と大和の対空砲火で雷撃機はいとも簡単に撃破された。
狭い執務室では自慢の機動力が生かせず、良い的となった。
提督の捜索が難航する中、ちょうどみんなのストレス解消の
サンドバックが提供された形になってしまった。
みなが殺気立ち、いよいよ赤城が殺されかねない事態となった。
加賀は、自分が代表してこの娘を制裁すると言った。
「この……!!」
「ぐっ……」
「どう。痛い?」
「うっ……うぐっ……おえっ……」
「赤城さん。皆の怒りはこんなものでは済まないのよ?」
赤城は吐いた。加賀のひざ蹴りがまともにお腹に
入ってしまったのだ。涙目で床をゲロで汚す彼女を、
誰もが冷たい目で見ていた。
汚物を掃除してくれる人はもはやいない。
「榛名は絶対に殺してやる」
誰がつぶやいたのかは分からなかった。
むしろ誰でも良かった。
全員が同じ気持ちだからだ。
赤城は指先がひどく震えていた。
膝立ちの状態で、虚空をみつめながら、ついに奇声を発した。
「う、うあぁ……提督、どうして私の頭をなでてくれないの。
どうして私を抱きしめてくれないの……
どうしてぇぇ。提督ぅ……さみしいよぉ……うわぁぁあぁあ!!
うわぁあぁぁぁぁぁん!! うわぁあああああああん!!」
これが人間(艦娘)の出せる声なのかと、周りの皆は戦慄した。
幼女の癇癪とはまた違う、独特の泣き方をしていた。
完全に精神が狂ってしまっている。
提督は罪な男だった。
赤城を、エコヒイキしてまで甘やかし、
ヒステリーを治したまでは良かった。
ここまで彼女をその気にさせておきながら、黙って去る。
これが、どれだけ赤城の心を傷つけたことだろう。
敵の爆撃を食らうよりも、大破寸前まで痛めつけられるよりも、
どんな物理的な攻撃よりも赤城を苦しめてしまうのに。
提督の行方が分からない。
これは赤城にとって拷問だった。
それは他の艦娘にとっても同じことだ。
だが、中には心を沈めて我慢している娘もいる。
榛名や鹿島への殺意のために悲しみを抑えている娘もいる。
諦めずに次の捜索方法を考える賢い娘もいる。
赤城は、そのいずれにもなれなかった。
ただ子供のように、提督に逢えなくてさみしいと泣いた。
提督は滋賀県内の空き家で監禁されているから、
今赤城がどんな風になっているか知らない。
自分の大切な娘の一人だとかつて呼んだ
この子の状態をもし知ることができたなら、
どう思ったことだろう。
空き家では、今も提督達は三人で暮らしていた。
ここ最近は艦載機が上空を飛ばなくなったのでほっとしていた。
でも油断しないほうがいいと榛名が言うが、
賢い鹿島は当分の間は大丈夫だと言った。
今の状態は、敵の第一撃を防いだのと同じだ。
大和達は高い旅費を使ってまで日本全国を手分けして
探したけど見つからなかった。再び探すにしても
その労力の高さに絶望することだろう。
アフガン逃亡の際は、自分達三人を国際指名手配にして
外交ルートでの引き渡しを求めたものだが、今の提督は
すでにこの世の人間ではなく戸籍もないので警察が指名できない。
榛名と鹿島は軍属なので大本営に顔が割れているが、
あいにく大本営自体を第一航空戦隊が空爆してしまったので
指揮を取れる人がほとんど生き残っていない。
また大本営としても、すでに戦う意思もなく逃亡したものを
祖国防衛のための戦力とは考えないだろう。普通に考えたら
別の提督と別の艦娘達を組織して、深海棲艦との戦いに臨むはずだ。
ただ今の意見には楽観が多分に含まれていたのだが、
「なるほど!! 納得しました!!」
榛名は明るく返事した。
買い物は通信販売か、深夜に変装してコンビニや
スーパーまで買いに行く。お金もいつかは底を尽きるだろうが、
とりあえずはこのままの生活でよい。
榛名はいつか頃合いを見て、農村部から脱して街中に住もうと思っていた。
滋賀でなくても名古屋でも京都でもいい。
戦闘艦艇としての役割を自ら捨てさり、
普通の女として、提督の妻として生きていきたい。
事後、布団の中で提督と抱き合いながら、榛名はそんな夢を毎日語った。
(反吐が出る……)
提督は天井を見つめながらそう思っていた。
提督は確かに性欲に負けて二人を抱いているが、
心までを許したわけではない。彼が寝る前に思うのは
妻の翔鶴の顔だ。妻に、もう一度会いたい。
提督はもう自分の人生に意味が見いだせなくなってしまっているから、
死にたいと毎日思っていた。だが死ぬなら翔鶴と一緒に死にたい。
翔鶴を抱きしめながら、あるいは抱きしめられながら死にたい。
もうこれ以上、女たちに自分の人生が左右されるのが我慢ならなかった。
こんなふうに、手足を縛られて自由を奪われるために、
この娘達を指揮していたわけではない。愛していたわけではない。
提督が寝ている時だった。彼はよく夢を見た。
夢の舞台は決まって足利市の実家の風景だった。
豊かだけど退屈過ぎる自然の風景。
なつかしい山の景色。地元は、やはり良いものだ。
彼は幼い時に母から聞かされた言葉があった。
「お前が生まれる時に、助産婦さんがこう言ったんだよ。
ああ、この子は、将来女の人を泣かせる人になるって」
提督の家は、江戸時代以前より続いた農家だった。
祖母は畑仕事の合間に、孫のことを良く可愛がってくれた。
戦争帰りの祖父は、人嫌いのため孫とあまり接してくれなかったが。
祖母は3歳の提督に車のおもちゃを与え、
あやしながら、お菓子を食べさせる。
提督はどら焼きの甘さに「きゃっきゃっ」とはしゃいでいた。
祖母は提督の頭をなで、こう言っていた。
「うちの家では60年ぶりに生まれた男の子だ。
大事に、大事に育てんとなぁ……。
だが甘やかしすぎても、ロクな子に育たんからなぁ」
急に場面が変わり、
提督は農家の広い庭の一角に横たわっていた。
提督は大人の姿だった。
玄関が開き、祖母の背中におんぶされた、赤んぼの提督が出てきた。
不思議な感覚だ。自分はここにいるのに、もう一人の自分が出てきたのだ。
粉雪が降っていた。白く染まった大地の上に、
大人の提督はパジャマのまま横になっていた。
夢なので寒さは感じない。祖母と幼い提督は、そのまま
庭の中をぐるっと回ってから、また玄関に帰って行った。
祖母は、幼い提督に外の空気を吸わせてあげたかったのだろう。
風邪を引くといけないから、すぐに戻って行ったのだ。
提督の目はそこで冷めた。
(おばあちゃん……)
暖かい涙が流れて止まらない。
なぜこんな夢を見たのか分からない。
祖母は、提督が横須賀で働き始めて三年目に亡くなった。
忙しすぎて葬儀にも行けなかった。
あの人は、最後まで孫の幸せを願っていてくれたはずだ。
だが、今の自分の姿はどうだ?
ふたりの艦娘に病的に愛され、監視され監禁され束縛されている。
(死ねば、またみんなに会えるんだ……)
瑞鶴にも、死んでしまった他の艦娘達にも……。
提督は、翔鶴を連れて死のうと思っていた。
毎日そのことばかり考えていた。
いよいよ彼が鹿島の体を見ても男性的な反応を示さなくなった時、
鹿島が過剰なくらいの反応を示した。榛名も同じだ。
鹿島の反応は、赤城と同じだった。
「うっ……うっ……どうしたんですか提督様っ……。
鹿島がっ、こんなにも提督様のことを愛して
尽くしているのにっ。もう鹿島の体に飽きちゃったんですか?」
大きな胸を押し付けられても、キスをされても、
彼女のパンツを見ても、何も感じない。
人は追いつめられると、今までのことがどうでも
よくなるのだと提督は思った。
鎮守府のことも、大和達のことも、もうどうでもいい。
彼にとっては翔鶴以外の人間は過去の存在となっていた。
それがどれだけ残酷なことなのか、
この時の提督には考えるだけの余裕がない。
『うぅっ……げほげほっ。ごめんな翔鶴。
買ったばかりの君の服が、ご飯粒で汚れてしまって』
『何かあったんですか? それよりおかずを食べましょう。
今日のおかずは栄養満点ですよ』
戦いで障碍者になった時、翔鶴に介護された記憶だけは鮮明に残っていた。
あの時はみんなが献身的に介護をしてくれたが、
提督は翔鶴の優しさをどうしても忘れることができなかった。
翔鶴のことを愛してしまっていたのだ。
「分かりました!! 提督様がそこまで翔鶴さんに
お会いしたいのなら、明日にでも病院に連れて行ってあげます!!」
鹿島がそういうので、提督の瞳に生気が戻った。
榛名もしぶしぶながら同意してくれた。
自分らのやった束縛が、提督の心を痛めていたことを
少しは悟ってくれたのかもしれない。
太陽が昇り、市の大きな病院に行った。
翔鶴は病室にはいなかった。
入院の手続きに際し偽名を使ってはいるが、
ここが間違いなく彼女の病室だと鹿島が言い張るが、
提督は信用できず鹿島の頬を殴った。
鹿島は涙目になりながらここで間違いありませんと言うが、
提督はイライラして鹿島を二度三度とぶった。
すると看護師がやって来て、その患者は既に退院していると言った。
驚いた提督が訳を聞くと、二日ほど前に元気になったので
出て行ったと言う。提督は看護師に掴みかかり、
鬼の形相で行方を聞くが、何も知らないと言う。
「天蓋孤独な方だったのか、面会に来る家族の方も
いないようでした。生きていくために
これから仕事を探しに行くと言っていましたけど」
提督は頭を下げた後、
榛名と鹿島の頬を強くひっぱたいた。
そして「これから翔鶴を探しに行くぞ」と言った。