というか今の車のACCって、『オート・クルーズ・コントロール』じゃなくて、『アダプティブ・クルーズ・コントロール』だったのね……(´・ω・`)ムチノチ
「……それで、何で弟くんが乗ってるんですか」
近くの月極駐車場にとめられていたバンの助手席にゆかりさんを乗せて、自分は運転席に。彼女が入力した目的地まで後もう少しと言う所で、大きく「ふぅ」と溜息をついた彼女は、こちらに怪訝な目を向けると突然そんな事を言いだした。
「いや何でって、あんなにフラフラの状態で運転席に座らせる訳にはいかないだろ」
「別に平気ですよ。マニュアル車じゃないのは見ればわかるでしょうに。尤も、フルオートじゃない車を見つける方が今日日難しいですけど」
「いや、フルオートでもいざという時のブレーキは手動だろ」
「ああ、そうでした。ここ十年ほどは事故なんて聞きませんから、つい」
「いやいや、まあそうだけどさ……」
確かにゆかりさんの言う通り、
法律的にはまだこちらの方が正しい筈だが、第七世代ではブレーキ自体無くなるという話も聞く。自分みたいな免許取りたてではなく、そこそこに乗っているゆかりさんなどからしてみればその程度の感覚なのか。
「……まあ、ここまで来て今更降りろとは言いませんけど。はぁ」
ゆかりさんは少しばかり憂鬱そうに溜息を吐いて、それから助手席のグローブボックスに手を突っ込んだ。しばらくごそごそと弄った後で、こちらへ不意に黒くて細長いものを投げ渡して来る。
「それ、持っといてくださいね」
慌ててドアガラスの縁へとついていた肘を離して両手を伸ばすと、ずしりとした衝撃が両手に加わる。投げ渡されたのは、重くて金属質な黒い光を放つ棒。
「いやこれって……警棒?」
「ええ、要らないとは思いますが、一応」
日常の中から突然出てきた非日常な鈍器に、冷や汗が流れる。一方手渡して来た本人は、シートを倒してぐーっと気楽そうに伸びをしていた。
……なんだろう、すっごく嫌な予感がしてきたんだけど。
「別にそんな気負わなくて大丈夫ですよ、弟くんは車から下りてもらう予定も無いですし」
それは逆に下りたら危険という事では? というか今からでも降りて待ってるべきでは?
と思って外へと目を向けるが、右側はうっそうとした緑の広がる山で、左側は元畑らしい荒れた小さな平地。店や家どころか歩道すらない。
「あ、今から下りた方が危険ですよ? 私も大体の場所しか分からないので、目的地だって当たりを付けてるだけですから」
「えぇ、本当に怖くなってきたんだが、脅してるだけじゃないんだよな……? っていうか仕事って何しに来たんだよ……」
「何って言われましても私は――と、失礼します。目的地が見えてきたので」
ゆかりさんはシートベルトを外すと、倒したままのシートを這いずって後ろの荷室へと入り込んでいってしまった。
そっちに何があるかも気になるが、身の危険が有るらしい以上目的地の方が気がかりだ。フロントガラスから前を見ていると、山沿いのカーブを大きく曲がったところで畑の真ん中にぽつんと一軒、錆色に朽ちた人工物の山がそびえていた。
近づいていくと、どうやら廃車工場の跡地らしい。潰されてさえいなければ好事家が何千万と出しそうな全然自動じゃない自動車が、何台も縦に積まれて色あせている。
まさかと思っていると、乗ってきたバンは廃車のジェンガが並ぶ一角、壊れた横開きのゲートの前で止まり、到着を示す電子音を鳴らした。
本当にここが目的地なのかと面食らっていると、ちょうど良くゆかりさんが後ろから戻って来る。
「ここで、間違ってないのか?」
「ええ、それでは少し行ってきますから待っててくださいね。――っと、そうだ」
自分には警棒なんて渡してきたのだから、もっと物騒な物でも持ってくるのかと思えば空手のまま、服だっていつものキャミソールとパーカーだけというラフな格好で、ゆかりさんは車のナビに目的地を入れて出発準備を整えた。
「それ渡してますけど、もしも何か危なそうだと思ったら先に出ちゃって下さい。それから、絶対に車から出ちゃ駄目ですよ?」
「ちょっ、待っ――」
バタン。止めようとするも、ニッといつもの笑みを浮かべたゆかりさんはドアを閉めて早々に出て行ってしまった。
やはり特に後ろから何か取り出す様子もなく、近所へ買い物へと出掛けるみたいに――と言ってもゆかりさんとは家に来るとき以外会ったことが無いから普段からあの格好なのかは知らないのだが――さび付いたゲートの隙間から工場の中に入ると、廃車で出来た迷路へと姿を消した。
一人残され、警棒片手にどうしたものかと思案する。
手持ちぶさたに設定された目的地を確認すると、知らない住所だが、ルート上は先ほどの山道を引き返すような道筋だ。
だったらUターンだけでも済ませておくか? いや、それでゆかりさんが出発したと勘違いでもしたら不味いか。
暫く考え、シートを軽く倒してもたれ掛かる。
「まあ降りるという選択肢は無いとして……しまった、どれくらいで帰ってくるか聞いてなかったな」
あの後車に直行したせいで携帯も持っておらず、時間を潰す手段もない。夏じゃないとはいえ、一時間も二時間も監禁されてはちょっと困る。
「でも多分大丈夫か。あの出て行き方ならすぐに戻りそうだし、そうじゃなくても一声かけてくるだろ、ふぁ……」
というかゆかりさんを車に乗せたり、免許を取ってまだ片手で数えるほどしか乗ってなかったこともあってで忘れかけていたが、ゆかりさんだけじゃなくて自分だって疲れていたことを思い出す。
「うぅ……何かまだ違和感あるしなぁ……」
違和感の原因である半身を、ズボンの上から擦る。生気なくぐでんと横たわったままのソレには、まだ疼くような痛みが尾を引いていた。
「変色とかしてないよな……?」
初めて経験する痛みに段々と不安が募り、こんなところでそんな事しどころでは無いだろうとは思いつつも、ついつい直接見て確認せずにはいられない気になってくる。それでもやっぱ……と、暫くは我慢していたものの、こんな落ち着かない状態でこれ以上手持ちぶさたに待てる気がしなかった。
「ああ、くっそ……」
これは落ち着いて待つため……そう自分には言い訳してみても、ゆかりさんに見られたら何を言われるか分かったものではない。戻ってくる気配は無いよな、と周囲を見回し最後に廃工場のゲートをもう一度確認して。
「あ、もう戻って――ッ!?」
廃車の陰からフラフラと姿を現したのは、酷くボロボロになったゆかりさんだった。
いや、その具合はボロボロなんて言葉で済ませていいものではない。
着て行ったパーカーとキャミソールは既に無く、腹部の真っ白な肌が――違う、肌じゃない。真っ白すぎる白さへの違和感に目を凝らして、それがセラミクスのような物だと気づく。その周囲には縁を黒く焼けただれた肌色が囲っていた。
右腕はひしゃげてあらぬ方向を向いていて、丁度廃車に隠れている左腕も無事かどうか分からない。
足は両方揃っているが、真っ黒に焼け爛れて機能が失われているためか、一歩一歩が遅い。
髪だって短く焦げて、こちらも真っ黒な煤に覆われていた。
特徴的な紫の瞳がこちらを向いていなければ、彼女だとは分からないほどの有様にしばし言葉を失って。
けれど力なく廃車に体を預けて尚、その目は真っすぐこちらへと向けられている。まるで助けを求めているかのように――
その瞬間、反射的に車のドアを開けてしまっていた。
「ゆかりさんっ! 大丈夫か!」
慌ててゲートの隙間に体を押し込み滑り込んで、彼女の元へと駆け寄る。
――駆け寄って、改めて損傷の深さに閉口した。
灼けていたのは腹部だけじゃない。顔も喉も薄黒く灰で汚れた白い皮の上へ、瘡蓋みたいに焦げた皮膚がへばりついている。右の目蓋は既に無く、こちらを見上げる球状を晒した紫はビー玉じみていた。
「あっ、あ゛ぁっ……がっ、ざい……げぃ……ギっ……」
そんな状態でも、何かを言おうと喉が動く。けれど内部まで焼け爛れているのか明瞭な音は出ない。濁ったうめき声だけが小さく吐き出される。
「いいから、無理するな」
思わず右腕の下に体を入れて支えようとするも、関節が壊れているのか肩が上がらない。
と言うか、そもそもこれからどうすればいいんだ。
携帯は――自分のは無い。ゆかりさんはさっきパーカーの内ポケットに入れていた。多分この様子じゃ無理だ。連絡は出来ない。
「――さっき設定した目的地まで行くけど、それでいいか?」
「あ゛ぃ……じ、ょう……ごぉ……」
”大丈夫”と言おうとしたように聞こえたのも、頷いたように見えたのも錯覚かもしれない。けれど、それでも今できることを――そう考え、左腕の下からゆかりさんを支えようとして。
「っ――?」
やたら綺麗な左腕が目に入った。
まるで一度も外に出たことが無いような、透き通るように白い肌。パーツモデルのように肩から先へと流麗な曲線を描く左腕は、そこだけ後から付け足されたようで逆にものすごい違和感を発していた。
だがそれでもほっそりとした白手の先に、負釣り合い極まりない錆色の塊が握られていなければ、手を貸そうとしていたのかもしれない。
チェーンソー。
錆と汚れが酷くて分からなかったが、それがチェーンソーだと分かった瞬間、違和感は警戒心へと変貌した。
地面に引きずられていたチェーンソーの先端が、浮き上がる。
「ゆかり……さん?」
目蓋のない紫の目は、虚ろで焦点が合わない。
明らかな異常へ思わず後ろへ距離を取ろうとしてよろめき――その眼前を錆の塊が風圧と共に掠めていく。
黒板を引っ掻いた音を数十倍にしたような耳障りな音が続いた。
「う、ぉっ……!?」
耳を塞ぎたかったが、尻もちの衝撃を逃すために地面へ付けているせいで叶わない。
不快さに顰めた目を見開くと――廃車の一台を半分程切り裂いて、その傷跡へ深くチェーンソーがめり込んでいる。警戒が、大粒の汗となって全身からドッと噴き出した。
しかしビー玉の焦点はそんな惨状へも、こちらへも向けられない。ただ、先ほどと同じ位置を、虚空をぼんやりと眺めていた。
「ギガッ……ガッ……ガガッ……――セーフモード起動」
不明瞭な音から一転、明瞭で透明感のある声が響く。ゆかりさんとそっくりな声。だが、そこには何の感情も感じられない。からかう時の跳ねる様なリズムも、心配する時の胸に詰まった感じも、仕事の時みたいな凛とした響きも――何の色も無い無機質な声。
「警告――アップデートの失敗を確認、再実行します――発声システムの致命的な破損を確認、クイックスキャン実行――右腕の破損を確認、接続不能――左腕パーツが不正なユニットです。正規品への換装を推しょ――互換性を確認、認証しました――」
ピクリとも動かない。マネキンのように、”それ”はすらすらと唱え続ける。不明瞭な音を呟いていた時と違って、今度は口すら動いていない。ミュートの映像に音声だけ後付けしたような不気味さに、言っている言葉の理解が遅れて。
ぐるん――紫のガラス球がこちらへと向けられた。
「――再定義の実行、対象を『人間』から『有機複合機械』と再定義――『人間』への再定義は認められませ――矛盾を解決。定義後の認知プロトコルを再構築中です、しばらくお待ちください――――」