「すまん……勝手に車から下りて」
帰りの車内、隣の助手席で眼鏡をかけてキーボードを打つゆかりさんに謝る。
「別にもういいですって……私は平気ですし、それよりもあなたこそ本当に大丈夫ですか?」
作業は一区切りついたのだろうか、彼女は眼鏡型の網膜投射ディスプレイを頭の上に押し上げて、心配そうな視線を向けてくる。
「何度も言ったけど本当に平気だって、ちょっとヒリヒリするくらいだし」
大袈裟に包帯を巻かれた手を上げて応じる。血も出てないし本当に大丈夫なのだが。
「それよりも、ゆかりさんのほうこそ大丈夫なのか?」
「もー、弟くんは心配性ですねぇ……大丈夫だって言ってるじゃないですか」
ゆかりさんは聞き飽きたというように苦笑し、両手を上げた。
その手は行きの車内で見たのと同じ、綺麗な白い――でも真っ白ではない普通の肌だ。
「ちゃーんとこの通り、普段使いの腕は無事ですしね」
ぐっ、ぱっと握ったり開いたりして、平気なことをアピールする。
「でも、少なくともあっちの腕は修理がいるだろ。特に右腕は酷そうだったし」
あっちの腕とは、勿論さっきまで廃工場でゆかりさんが使っていた腕の事だ。
ゆかりさんはちらりと後ろのカーゴスペースを見遣る。
「んー、確かに右は微妙なとこですね。スキャンかけたら薬指だけじゃなくて、内部も結構やられてましたし。左はまあ大丈夫でしょう。あれくらいなら塑性装甲プレートを交換して模造皮膚を貼りなおせばまだまだ現役です」
ボロボロになった白い両腕は、後ろのカーゴスペースの端、回収された黒いアンドロイドの隣に並べられている。
野良ボイスロイドが皆あかりみたいに話が通じる自我個体という訳ではない。白と黒の残骸は、そんな現実を無言で突き付けてくるようだった。
「――そんなに後ろを警戒しなくても大丈夫ですよ。もうあの子が動くことはありません。頸部ケーブルは物理的に切断したので……あっ、頸部ケーブルは正式名称であって掛けたわけでは無いですからね?」
「いや、そんな弁解しなくていいから……。そうじゃなくて――」
後ろを見てしまったのは腕が気になったからなのだが、そう言われるとあのアンドロイドの方も気になってしまう。
「――”アレ”はやっぱり、ボイスロイドだったのか?」
「はい。尤も何をもってボイスロイドをボイスロイドと定義するかにもよりますが……少なくとも基幹AIはウチの会社のもので間違いないですし、ハードウェア的にも殆ど互換品ですからね」
「殆どって……足から杭が生えてたんだが」
「日常でなかなか目にする機会が無いでしょうけど、ちゃんとしたオプションパーツですよ。一部の建設モデルとかに使われてるアウトリガー脚という奴です。……と言っても、あれは明らかに改造されてて杭打機みたいになってましたけど。――最大の問題はあの腕ですよ」
ゆかりさんはシートを倒すと、後ろに手を伸ばして”アレ”についていた白い腕を引っ張り出した。
一見するとマネキンの物にも見える、色のない腕。
だが関節部に継ぎ目は無く、その精巧さはずっと見ていると脱色された人間の腕にすら見える程だ。
「何か、普通な見た目してる気がするんだけどな。素人目には」
「外観なんていくらでも偽れますからね。人間だって整形という手段がある訳ですし」
「……そりゃそうか」
ゆかりさんはそこで大きく面倒くさそうな溜息をついて、髪をわしゃわしゃと掻く。
「逆に言えば、普通なのは見た目だけ。そんなレベルの粗悪品――いや、ゴミですね。ゴミ。ゴミ以下です」
珍しく本気で悪態をついているようで、横目にも分かる程表情を歪めて、彼女はそれを睨みつける。
「――さっき聞いた話、間違いないんですよね?」
「さっきのって、”アレ”が言ってた事だよな? 一言一句正しいって訳じゃないけど、大体は間違ってないと思う」
セーフモードだの再定義だの言っていた無感情なシステムメッセージをもう一度思い出す。
車を走らせて真っ先に聞かれたのが、先ずそれだった。
「……まさか”アレ”がおかしかった原因が、その腕って事か?」
黙りこくってしまったゆかりさんに代わって訊くと、彼女は小さく唇を噛んだ。
「……恐らく、ですが」
「恐らくって、記録とか調べたりは――」
「破損させられてます、全て」
遮る様に言い捨てると、ゆかりさんはその腕の肘部分を掴んで逆方向に曲げる。
ポキッ、と茹でたカニの脚を折るみたいな軽い音と共に、あっさり腕がへし折れた。
「ちょっ――!?」
思わず視線をフロントガラスから助手席に向けると、折られた肘部がこちらに向けられている。
表面の磁器のような白色が嘘くさく見えるほど、その中は黒一色に染まっていた。おまけにツンと鼻を突くような刺激臭も漂ってきて、思わず仰け反る。
「うっ……これって、内側から燃えてる?」
「そうです。故意に熱暴走させて内側から燃やしてるものと思われます。こちらに調べられないよう」
「……えげつないな」
一応X線検査とかはしてみますが駄目でしょうね、とゆかりさんは折れた腕を後ろへ戻した。
「お陰で、あの忌々しい腕がどうやってボイスロイドのニューラルネットワークや記憶領域を破壊しているのかはまだ謎です」
「ッ、破壊って、じゃあもしかして本体も……」
思わず、後ろに横たわるボイスロイドの残骸に目を向ける。
「考えてる通り、この子から情報を得ることも出来ません。記憶領域そのものを破壊されているんですから。何をされたのかも覚えていませんし、それ以前に自分が何だったかも失われています。治すことすら不可能なまでに」
「……そうか」
「そして、その子がもし自我個体だったとすれば、その自我さえも……尤も、この個体は疾走する以前に自我個体としての兆候を示していたわけでは無かったようですし、その可能性は極めて低いでしょうけど」
「っ……」
目蓋が失われた紫の目は、車の振動へ無抵抗に小さく揺らされるだけだった。
唾液が窒息しそうな程粘つきながら、喉の奥へと落ちていく。
「大丈夫ですよ」
ゆかりさんの言葉で、はっと視線をカーゴスペースから前へと戻す。自動運転じゃなかったらとっくに事故っていたかもしれない。
ゆかりさんは安心させるような柔らかい笑みに紫の目を細めて、ぐっ、と組んだ両手を前に伸ばした。
「あかりちゃんは純生体型ですから、そもそもあの腕が付けられることはありませんから」
「いや、そうじゃなくて――」
「勿論、腕じゃなくて脚だろうが他の部位だろうが、付けれる場所が無いですからね」
「あかりはそうなのかも――」
「そもそも純生体型はセキュリティ面で堅牢だと試験評価が出てますから、弟くんが心配することは――」
「ゆかりさん! ゆかりさんは、どうなんだよ?」
彼女の表情が一瞬空白で掻き消え、すぐに苦笑が浮かんだ。
「弟くんは変な事を心配しますね? 別に私の事なんて弟くんには関係ないじゃないですか」
「関係ないことは無いだろ、一応お隣さんなんだし……その……」
「色々とヤってるから、とか言ったらゆかりさん怒りますからね?」
先手を打って、釘を刺されてしまう。
「前も言ったように私は、あくまで、あなたとあかりちゃんが上手くいくように、と言う仕事の一環として手伝っているだけですから」
「とは言ってもな、例えそういうのが無かったとしてもやっぱお隣さんではある訳だし、遠くの親戚より近くのって言葉もあるし。それに、ゆかりさんが突然いなくなられたら多分、あかりも寂しがるんじゃないかな。ちょくちょくウチにも来てるみたいだし」
「それだって仕事の一部です。上手くいっているかを確認するにはやはり本人の様子を見るのが早いですから。そんなに家へ来られるのが嫌だというなら、今度こっそり監視カメラでも仕掛けていくので大丈夫ですよ」
「そっちの方が大丈夫じゃ無いよ!? いや、普通にウチには来てもらってもいいんだけどさ」
「本当ですか? それじゃあ今度からご飯たかりに行きますね。本当に助かりました、カロリーバーとゼリー飲料で済ませるのは上司から禁止されてますし、お湯を沸かしてカップ麺に注ぐのが本当に面倒で面倒で……」
「何でそこら辺に転がってる小石程度の障害を断崖絶壁みたいに言ってんの?! カップ麺作った人も多分そこで躓くのかって困惑してるよ!? というかそれならいっそそのまま食べれる冷凍食品とかあるだろ……」
「そんなのがあるのなら冷蔵庫を買ってもいいですね。いえ、冷蔵部分はいらないので冷凍庫だけ売ってないでしょうか?」
「冷蔵庫すらないのか……もしかして、レンジも?」
「えー……そのまま食べれると言いながらレンジも必要とか詐欺じゃないですか……。態々冷凍庫から出してレンジに入れてボタン押すとか、それだけで三工程もあるんですよ? それ売ってる会社は虚偽広告で訴えられたりしないんですか」
「いやそれやったら逆にゆかりさんが訴えられるわ! クレームが悪質すぎるだろ!」
あの部屋何も無いと思っていたけど、まさか生活に必要な最低限の物すら無かったとは……。
頭を押さえかけて、これではいけないとフロントガラスに目を向ける。ああ、こうやって運転席に座っても、自動運転任せで前見なくなっていく人間が出来上がるんだなぁ。
――と、危うくゆかりさんの術中に嵌って話題を逸らされるところだった。
「いやもうそれはいいよ、置いとこう。そうじゃなくて、やっぱりゆかりさんには影響が出るって事だろ?」
「ちっ、駄目でしたか……ま、何かしら影響は出るでしょうね。私も胴体部は生体型ですが、腕の接続に使われているのは機械型と同じ接続機構ですから」
そう言って右肩からパーカーをずり降ろすと、左腕で右肩を掴む。
カシュッ――ビールの缶を開けるみたいな小さな空気音と共に、右肩が外れて金属質な銀色が現れた。
パーツ同士をしっかりとはめ込み固定するためだろうか、接合部の金属は何重にも円が重なって複雑な立体迷路を形作っている。人間的な皮膚の質感との対比と、何より自然な表情のすぐ下に位置する為か、よりその機械的な印象が浮き彫りにされているようだった。
「いや、態々見せなくてもいいんだが」
「こうでもしないと、弟くんはいつまでも私を人間扱いしそうですから」
カシュッ――再び同じような音と共に右手を戻すと、ゆかりさんは動くか確かめる様に小指から順番に右手を握りしめた。
「今は人間扱いどうこうは関係ないだろ」
「関係ありますよ、だって弟くんは人間扱いしていない物に対して心配したりはしないでしょう? 例えば物が壊れても、直そうとか、勿体ないとかそういうことは思っても、大丈夫かな、なんて思ったりはしないように」
「それはそうだけど、でもゆかりさんは自我個体だろ? 仮に怪我を壊れてる、と表現したとしてもやっぱり心配すると思うけど」
「それは何故?」
「何故って……そりゃ、怪我すれば痛いだろうし……」
そこまで言った所で彼女が何度も繰り返した言葉を思い出し、言葉に詰まる。
それを見たゆかりさんは薄く微笑んだ。
「その通り、心配というのは苦痛に対する一種の共感です。ですが、私は状態把握のための痛みは分かっても、苦痛と言うものを認識できません。その意味において、私は後ろで横たわっているこのユカリ型と、何ら変わらないんですよ」
少しシートを倒して、彼女は後ろに寝ているボイスロイドの髪を愛おし気に撫でた。
紫の目でもしかしてとは思っていたが、やはり後ろのボイスロイドはユカリ型だったらしい。髪を覆う黒い煤が拭われると、下からくすんだ紫色が僅かに見えた。
「……いえ、証拠が残っていないだけで、この子が自我個体ではなかったとは言い切れませんからね。何ら変わらないという言い方は適切では無いですね」
そう言えば、ゆかりさんは最初からずっと『この子』、とか『その子』とか言っていた気がする。”アレ”とか”ソレ”とか言ってた自分とは対照的に。
「……ごめん」
「何ですか急に?」
「いや、ゆかりさんじゃなくて、その子にさ。散々物みたいに呼んでおいて今更かもしれないけど……」
「……まあ、与えられた情報にどう意味づけするかは各人の自由ですからね」
「それからゆかりさんに対しても、ごめん」
シートを戻していたゆかりさんは首を傾げ、それから手で口元を押さえて笑みを浮かべた。
「何で弟くんが私に謝る必要があるんですか」
「いや、ゆかりさんもユカリ型なんだし、後ろの子は同型で――いや、それは関係ないのかもしれないけど。兎も角、物扱いしてて気分が良くなかったかな……とか?」
「あははっ、謝る理由がふわふわじゃないですか」
心底可笑しそうにゆかりさんは噴き出す。
やっぱり気にしてなかったんだろうかとも思うが、もやもやしたものが晴れないのも事実だ。どこが引っかかっているのだろうか考え込んでいる間に、落ち着いたゆかりさんの方が口を開いた。
「さっきはああ言いましたけど、実際完全自我を持つ個体は比較的早期の発見が可能です。兆候を纏めたチェックリストもメンテナンスマニュアルに記載されてますし、そもそも自我個体自体が発生しないよう、生産プロセスも改良されています。だから、あんまり気に病むことは無いですよ」
そう前を見たまま言う彼女の目は、フロント越しの景色と言うより、どこか遠くを見ているように見える。
「こう言っては何ですが、疑似自我なんて所詮刺激と反応パターンを複雑化、学習可能化しただけと言っても過言ではありません。尤も言うは易しと言うように、それ自体とても凄い事ですし、ボイスロイドをボイスロイド足らしめる基幹技術でもある訳ですが。……と言ってもやはり、疑似自我はデータの集合体に過ぎ無いことに代わりはありません」
そう言うと、ゆかりさんは右手の薬指を左手で握って、ゆっくりと手の甲側に倒し始める。
「ちょっ! 何やって……」
「大丈夫ですよ」
先ほどの荒療治が頭を過り制止しようと伸ばした手は、その一言で止まってしまう。
いつもと変わらない筈の落ち着いて大人びた、けれど優しな声に、全てを拒絶するような響きが混じっている気がした。
その間にも一定の速度で薬指は折り曲げられていき――手の甲に対して垂直になる手前でピタリと止まる。
「これが限界ですね、これ以上は一度でも曲げれば破損します」
表情を変えずに淡々とそう説明して、ゆかりさんは悪戯っぽいいつもの笑みを浮かべた。
「焦らなくても、態々破損させるような勿体ないことはしませんよ」
痛みに指を震わせることも、無理をしているような歪さも無い。
それが逆に不自然極まりなかった。
「どんなに外見が似ていようが、疑似自我しか持たないボイスロイドはモノに過ぎません」
「……でも、ゆかりさんは」
「弟くんが私を苦手としているのは、そういう所じゃないんですか?」
否定しようと絞り出した声を塗りつぶすように、彼女は反語を突きつける。
「そんな気まずそうな顔しなくても平気ですよ、慣れてますから。何を考えているのか分からない、本音が何なのか分からない……それも当然でしょう。無いものを探そうとしたって初めから無いんですから」
そこで漸くゆかりさんは自分の薬指を開放すると、何事も無かったかのように両手を膝上に重ねた。
「さっきも言いましたけど、私は自我個体としての失敗作なんです。ヒトではなくて、モノなんですよ。だから、私への心配は不要ですので」
にっこりと完璧な笑みだった。取りつく島など、入り込む余地など無い、と思い知らせるような。