にっこりと完璧な笑みだった。取りつく島など、入り込む余地など無い、と思い知らせるような。
圧倒されて――押し黙ったまま、しばし考え込み。
ようやく考えが纏まったのは、大きな交差点を二つ程曲がってからだった。
「……分かった、ゆかりさんが完全な自我を持ってないことは理解する」
「ご理解いただけたようで何よりです」
ゆかりさんはずっと浮かべていた完璧なほほ笑みを溶かして、頬を緩ませ――
「その上で、ゆかりさんが心配だ。だから、何か手伝えないか」
「はぁ?」
――顎をかくん、と落とす。
鳩が豆鉄砲を喰らったような、とはまさにこんな表情なのだろう。さっきまでの完璧営業スマイルなど無かったかのように、間抜け極まりない顔だった。
「っ――馬鹿ですか? 馬鹿ですよね!? 馬鹿じゃなかったら何なんですか?!! 本当に大学合格してるんですか? 受験で不正してませんか? 高校卒業資格も偽装してません? もしかして弟くんは脳じゃなくて梯子型神経系が中枢神経なんですか?」
「ひっどい言われ様だな!」
最後とか人間……というか脊椎動物扱いですら無かったぞ。
ゆかりさんはこちらの肩を掴みながらも、台所の黒い悪魔でも見る様な視線を浴びせかけてくる。
「当たり前でしょう!? 何でその流れで手伝うなんて妄言にまで飛躍してるんですか、論理が破綻してませんか? してますよね。私、車降りていいですかね? 馬鹿がうつると困るので」
「いやいや流石にそれは冗談――って本当にシートベルト外そうとするなよ! 別に破綻もしてないし!」
割と本気でシートベルトを外そうとしていたゆかりさんの手を握り止める。
「ゆかりさんが完全な自我を持って無くて、苦痛を感じないのは分かった。けど、だからって心配しなくていいなんて捨て鉢な気持ちでいるなら、誰か見ていた方がいいだろ」
「それは言葉の綾です。私だって苦痛が無いからと言って、壊れたくはありません」
運転席と助手席の間で、大人げなく手を四つに組み合いながら押し合う。
「それにゆかりさんが自分を物だって言うなら、仮とは言え、一応今は俺がゆかりさんのマスターだ。会社から預かっている身として、悪戯に破損させる訳にはいかない」
「なっ――それは、便宜上のもので……」
「便宜上だろうがなんだろうが、サインした契約書にはそうあったよな?」
「それはそうですが……」
まさか自分が一度やった手でやり返されるとは思ってなかったのだろう、ゆかりさんの目が僅かに揺れる。
「でも今日の一件を見るに、全くの無傷って訳にはいかないんだろ? かと言ってゆかりさんに仕事をするなとも言えない。そうなると自分の物が知らないところで壊されないか心配だ。そういう種類の心配だって無くはない」
「っ……」
完全に抵抗を放棄してしまったゆかりさんの手を両手で握り、最後の一押しをかける。
「それにさっき、この子はゆかりさん相手の時より、俺を相手にしている時の方が動きが悪かった」
正直、ゆかりさんが躱していた攻撃を向けられていれば、とっくに自分は肉塊になっていただろう。
にも拘らず俺が生きているのは、野良ボイスロイドが全力を自分に向けられなかったからではないか。
――人間を加害しない、或いは意図的な過誤により人間を危険にさらさない――
それは、アンドロイドが出来るずっと前、ロボットがまだSFの中だけに存在するものだった時から続く、第一規則。だから先ほどの野良ボイスロイドは『人間』を加害するため、『有機複合機械』と認識するようにされていた。
しかしそれは、人工知能の基礎を書き換えるような暴挙だ。完全に上手くいっている訳ではないのだろう。
「だから、いざという時人間である俺が傍にいれば――!」
その瞬間強く手を振り払われた。
「駄目です。これ以上弟くんを危険にさらすような真似は許容できません」
ゆかりさんの部屋で聞いたのと同じ、冷たい声。車内の温度が急激に下がる。
「お気遣いは感謝します。拒絶して尚、ここまで歩み寄ろうとするその姿勢には頭すら下がる思いです」
そう言いながら、見せつけるようにパーカーの裾で手を拭った。
「ですがあなたを、人間を危険に巻き込んでは意味がありませんから、お断りさせていただきます」
声だけでなく、瞳も冷たく細められる。夕日に細く輝く紫の目は、それだけで気の弱い人を殺せそうなほどに鋭い。一度目であったならば、自分だってこれ以上何も言えなかったかもしれない。
「っ――それはゆかりさん個人の意見だろ! 代理でもマスターとして、やっぱり一人でゆかりさんを危険にさらすわけにはいかない」
「私個人の意見ではありません。これは会社としての決定に基づいたもので――」
その瞬間、別の声が割り込んだ。
「――いや、なかなか面白い意見じゃないかな?」
突き合わせた顔の間。突然に割って入った声は、その下方から聞こえてきた。
男性の、壮年くらいだろうか。年季の入った深みのある響きに反して、少年みたいに弾んだような――人柄の掴みづらい声だ。
「ちょ……ちょっと何言ってるんですか部長!?」
「部長? 部長ってもしかして……」
ゆかりさんが慌てたように声の発生源をパーカーの内ポケットから引っ張り出す。どうやら携帯端末がいつの間にか通話モードになっていたらしい。
「君が、あー……あかり嬢の『おにいさん』だね。初めまして、が電話で失礼。ところで失礼ついでに名前を教えて貰ってもいいかな?」
「あ、はい。俺の――」
「部長は名前知ってるはずでしょう、相変わらず名前覚えないんですから! わざわざ共有フォルダの右上に、社会実験関連のファイルは纏めて置いておいたんですから、名前くらい調べたらすぐ出てきますよ」
「お? おー、ホントだ」
ゆかりさんから話には聞いていたが、恐らく彼がゆかりさん直属の上司であり、あかりを家に置いておくことを認めてくれた人なのだろう。
だから、悪い人じゃない……と思いたいのだが。
「ホントだ……じゃないですよ! やっぱり今すぐにでも戻った方が……」
「そりゃ駄目だ、有休が溜まりすぎてる。散々自分の都合で溜めてきたんだから、自業自得と思ってこれを機にゆっくり消化してくるんだな、くっくっく」
「ぐっ……厳密にはボイスロイドに労働基準法は適応できない筈です。慣例として従ってはいますが、元々私に休みなんて不要です。今からそちらに一度寄ることになるので問題があれば、すぐにでも戻りますからね!」
「いやー問題なんて何もないから大丈夫だとも。ゆかり君の教育がいいお陰かな? 新しく入って来た子も僕より詳しくて助かってるよ」
「駄目じゃないですか! やっぱり今すぐにでも――」
「それに、ゆかり君が休んでくれなきゃ他のボイスロイド達も休暇が取り辛いんだよ。前も言ったが、休むのも仕事の内だ」
「……流石毎年ギリギリまで有休を使いきる部長が言うと説得力が違いますね」
「くっくっく……そうだろう、そうだろう」
からからと笑う『部長』に対して、ゆかりさんは半ば諦めたようにはぁ、と嘆息した。こんな感じのやり取りを何度も繰り返し、その上で諦めが強くにじんだ溜息だった。
会話を数語聞いただけでも既に、この『部長』とやらからが一筋縄ではいかなさそうな人だというのは、ひしひし伝わってくる。
「で、なんの話だったか……あーそうそう……『おにいさん』がゆかり君に同行してくれるって話しだったね」
「いや、間違っては無いんですけど、その呼び方は流石に……」
明らかに年上の男性に『おにいさん』と呼ばれるのは流石にクる物がある。背筋の凍えとか、背後への警戒心とか、そういった方向性のものが。というか本当に名前覚えないタイプの人なんだな、さっき調べてなかったか?
「そりゃそうだ、くはは。……でだ、ゆかり君が現在個人行動になってしまっているのは、僕も少し懸念していてね――さっきの言葉は本気かい?」
それまで軽かった口調が、最後の質問だけ電話越しにも分かるほどに気迫を帯びて、突如別人に代わったのかと思った。危うく噛みそうになりながら背筋を正す。
「は、はいっ」
「では、その理由は? ゆかり君が言う通り、君はただの隣人で、マスターとしても代理に過ぎない。それは事実だろう?」
突然始まった就職面接みたいなやり取りに、思わず両手を膝の上で握りしめ、声を張ってしまう。
「それは先ほど述べましたように――」
「さっき君が列挙したのは、ゆかり君に対して反論するための理屈であって、理由ではない、だろう? そういう物ではなくて……うん、理由と言うより動機と言った方が適切かな。どうして君は態々ゆかり君を助けようと思ったのかい?」
「それは……」
あれ、何でだ?
答えようとして、思わず言葉に詰まる。
正直最初、ゆかりさんの事は良く分からなくて苦手だと思っていたし、今だってやっぱり良く分からない。
あかりと仲良くしてくれているから?
手段を問わないところはあるけれど、色々と手伝ってくれようとしてくれてるから?
ゆかりさんが指摘したように、肌を重ねたせいで情が湧いたから……というのも無くはないのかもしれない。
色々と思い浮かぶのはどれも間違っていないような、けれどそのどれもが、今求められている根本的な理由では無い気もする。
頭を全力で捻っても、時間は容赦なく過ぎ去っていく。しびれを切らしたのか、『部長』の声がスピーカを震わせた。
「――特に無いという事かな?」
「……すいません。色々思いつきはするんですが、これだという特定というか、確信出来るものはすぐに思いつかないです」
「そうか」
ずっと黙って事の成り行きに耳を傾けていたゆかりさんは、『部長』のそっけない返事に安堵の溜息をつく。
いや、ゆかりさんの反応を見ずとも、「不採用」を言外に伝えているのは明らかだ。散々待たせた挙句、聞かれた事に答えられなかったのだから、当然である。けれど――
「――でも! それならせめてゆかりさんに誰かつけてあげてくれませんか。あんなやり取りがあるのに一人というのはやはり危険だと思うんです! ……素人考えになってしまいますが」
「ちょっと、何勝手に言ってるんですか!」
ゆかりさんが声を顰めながら喰って掛かるが、電話の向こうから聞こえてきたのは、さっきより浮足立った楽しそうな声だった。
「うん、うんうん……聞いたかいゆかり君? 素人目にも一人は危険、だそうだよ」
「……先ほど送ったレポートにある様に、鎮圧用右腕ユニットに損傷はありますが、私自身に大きなダメージはありません。素人考えを鵜呑みにする方が危険だと思いますが」
「そうは言っても、そもそも問題が無ければこの電話が通じていることも無いんだがね」
余程指摘されたくない点だったのだろうか、ゆかりさんは心底嫌そうに眉間へと深い皺を寄せた。
「というか、これってゆかりさんがうっかり間違って電話かけたんじゃないんだ」
「何ですか、うっかり間違えてって! ゆかりさんを何だと――」
「ははは、ゆかり君はしっかりしてるけど詰めが甘いのを良く見ているじゃないか。うん、採用!」
「「は?」」
思わずゆかりさんと声が重なる。余程嫌だったのか、彼女は沼で大金を溶かしたみたいに、ぐにゃあ……と顔全体を歪め、それから思い出したように電話を口元まで引き寄せた。
「な、何でですか! おかしいでしょう!?」
「何もおかしくはないよ? ゆかり君は無茶をする嫌いがあるからね、彼ならそこら辺もしっかり見てくれそうじゃないか」
「例えそうだとしても私が危険度の高い回収を引き受けているのは――」
「それは分かっている。分かっているとも。……だが、ここ最近続いている一部の野良化が脅威なのは、我々人間に対してだけではない。ゆかり君のような自我あるボイスロイドに対しても脅威であるという初めてのパターンだ。現行の体制に対するゆかり君の尽力には感謝しているし評価もしている。しかし状況が変化している以上、こちらも流動的に対処しなければならない。
「別に、そういうつもりでは……」
最後の一言に、それまで熱くなっていたゆかりさんは途端にトーンダウンし、言葉を濁した。
「……すまないね。少し意地の悪い言い方をしてしまった。だが先ほど言いかけたように、そもそもこのホットラインが繋がっている原因は、ゆかり君が一定以上の損傷を受けたからだ」
「はい……」
「先のレポートも目を通したが、明らかに相手は技術を上げてきている。万一にでもゆかり君が乗っ取られる事だけは避けたいんだよ、僕はね」
「――会社の損失になりますからね」
「そういう意味ではないんだが……まあ、そこも含めてお願いしようかな? そろそろ電話で話すより、直接会って話した方が早い距離まで来ているようだし」
そう言われたところで、車が丁度目の前の地下駐車場の入り口近くで減速した。
上を見上げれば、立派なガラス張りのビルが空高く聳えている。ボイスロイドがアンドロイドのパイオニア的ブランドなのは知っていたが……ほ、本当に今からこのビルに入るのか? 本当に住所合ってる? 大丈夫?
気圧されて、偶然減速しただけの可能性も考えてはみたが、更に速度を落としたバンは、無情にも自動ゲートが開くと同時に地下駐車場へ続くスロープを下り始めた。
「それじゃあいつもの部屋で待ってるから、回収した子の引き渡しと君自身の修理依頼が終わってから来るように。勿論、彼も連れてね」
電話が切られた後、車内では溜息がシンクロした。
<お知らせ:21/09/29>
私事ですが、現実の方が死ぬほど忙しく、執筆はおろか投稿前の推敲すら厳しくなっている状況です。
一応今回投稿分でストーリー上区切りが(私的に)良く、読んでいただいている方には申し訳ないですが、ちょっと現実のカタをつけて来ます。
その後キリのいいところまでまた纏めて書いて、今度は纏めて推敲してから投稿となるので、少し間が空くことになりそうです。
物語内時節に合わせて22年2月までには、手元に完結品を用意して投稿出来る……といいなぁ。
と言う訳で、追ってくれている方には中途半端な所となってしまい重ね重ね申し訳ありませんが、戻って来るまで少しお待ちください。
―真喜屋五木路
(´・ω・`)マ、ソモソモハナシガナガスギルンダヨオメー。ヨウヤクユカリサンヘンカイシ、ッテトコジャネーカ。