二月中とか言っておいて遅くなりまして申し訳ありません。
現実との兼ね合いが上手くいかず、遅れてしまいました……しかもまだ完結できてないという……。
とはいえ、一先ずまとまった分量はあるのでしばらくは毎日更新できるかと思いますので、今後ともよろしくお願いします。
「起きてください、行きますよ」
その翌朝、目覚めると同時に視界へ入ったのは不満そうなゆかりさんの顔だった。
「くぁ……起き抜け早々どこへ行くっていうんだよ。というか眠いんだが、今何時だ……?」
寝転がったまま枕元にあった携帯を手探りで引き寄せて点灯させ、その眩しさに目を細める。お陰で文字がぼやけて、とんでもない時間に一瞬見えてしまった。
「ってマジで五時じゃん!? 早すぎ――もごぁ!」
「しーっ、声が大きいです!」
ひそひそ声のゆかりさんに布団へ押さえつけられる形で口を塞がれる。ここだけ見れば完全に殺人現場だ。
口を塞ぐ手を引っ剥がして抗議しようとして、ゆかりさんのもう片手が右隣を指差しているのに気づく。そっちを横目で見て……ああ、あかりを起こすなって事か、と理解した。そういえば今日はマキさんの所へ行く日だ、確かにもう少しゆっくり眠らせてあげたい。
了解、と目線で合図すると、漸く口が解放された。
「……それで、こんな早朝からなんの用事だよ?」
ひそひそ声で静かに布団から起き上がり、先行するゆかりさんについていく。
「何って、弟くんは昨日働く事に同意したじゃないですか」
「働くっていうか、インターンシップって扱いになるって事だったじゃんか」
「実際の業務と同等の内容になるって注意があったんですから、身分の名前が何だろうが、実体としては働いているのと同様ですよ」
そう言いながら先行する彼女は、玄関のドアノブに手を掛けた。
「え、ちょっと外行くなら着替えたい……寒っ!」
途中で容赦なくドアが開かれると、二月の冷たい風が――それも月明かりしかない暗闇で、更に冷やされた極寒が容赦なく顔に突き刺さる。
「ほら、早く出ないとあかりちゃんのいる和室まで冷えちゃうじゃないですか」
くっ、あかりを引き合いに出すとは卑怯な。
とはいえそう言われて逆らえるわけも無く。部屋を出たところで玄関ドアが閉じられ、ガチャリと暗闇の中に鍵のかけられる音が響いた。
「……って待った。何でゆかりさんうちの鍵持ってる訳?」
「いえ、昨日帰りの車内で疲れて眠っている弟くんのポケットから鍵を拝借しまして、こう――ガムに押し付けて型を取って」
「脱獄囚か! ってか何してくれてんの!? ウチのプライバシーを返して!」
何故か少し得意げに、ジェスチャーでその時の様子を再現するゆかりさんの肩を掴んで揺らす。
どうりで昨日鍵取り出した時べたつくなと思ったよ!?
しかし、ゆかりさんは動じず落ち着き払った様子でピン、と人差し指を立てた。
「ではその前に聞きますが、この時間に一人で起きられましたか?」
「は? ……いや、まあアラームをセットすれば起きれたと思うけど」
「それだとあかりちゃんも起きちゃうでしょう、道具に頼らず一人でって事ですよ」
「それはちょっと難しいかもしれないけど……」
「でしょう? ゆかりさんはそこまで考えて、あかりちゃんを起こさず弟くんだけを起こすため、仕方なくこうするしかなかったのです」
ゆかりさんは、ふふんと鍵を見せびらかすように摘まみ上げながら、もう片手を腰に胸を張った。
確かに電話で起こそうにも、それだとアラームと変わらない。静かに起こすには直接起こすしか手が無いのは分かる。
――分かるけど。
「それでも人の家の鍵勝手に複製するのはどうなんだよ……」
「私も半分冗談のつもりで鍵を引っ張り出したら、今時ピンシリンダー錠だったのでつい魔が差して……」
つい、で鍵を複製するの止めてくれません? いやまあこのご時世に、古典的なピッキングで開けられそうな鍵使ってるこのアパートにも、問題が無い気もしなくはないけど。
「というか、まさかこんな朝早くから仕事……って事じゃ無いよな?」
「おっと、そうでした。時間も押してますし行きますよ」
「え、マジで? せ、せめて着替えだけでもさせて欲しいんだけど」
頭が回り始めて気付いたが、今現在自分の格好は寝間着代わりの薄めなジャージだけ。長袖長ズボンでこそあるが、外に出てからまだ数分しか経っていないのに、既に内部まで外の凍て刺す空気に浸食されている。
それを聞いたゆかりさんは上から下までこちらの恰好を眺めて、ニコリと微笑んだ。
「駄目です♪」
「鬼畜! 人でなしだよこの人!」
「ふふっ、人じゃなくてボイスロイドなのでセーフです」
そう笑うと、ゆかりさんはくるりと鍵のついたカラビナを回して、そのままパーカーのポケットに入れると、念入りにチャックまで閉めた。
というか、既にパーカー自体がいつもの奴じゃない。ビニール製の風を通さない奴だ。
「自分だけ暖かいやつ着てるのはズルくない?」
「その分私は半ズボンなんですから、プラスマイナスで同じですよ」
なるほど普段からキャミソール&パーカーだけという格好なせいで気付かなかったが、確かに相変わらず脚が大胆に露出しっぱなしだった。もう少し正確に描写するなら、丈がパーカーの裾からちょっと出るくらいしかない、陸上選手が履いてる本格的なショートパンツである。
成程それなら上着がちょっと暖かいやつでも――いや、でも良く考えればゆかりさん普段から脚出してないか?
ちょっと納得しかけて考え直した時には既に、ゆかりさんはアパートの外階段に立って、こちらへ振り返っていた。
「さっ、行きますよ? まあもし目的地に着くまでに鍵を取り返せたら着替えに戻ってもいいですけど」
言い終わると同時にぺろっ、と舌を出したのは一瞬で、すぐ階段を降りるカカカカッという金属音と共に姿を消してしまう。
後から考えれば露骨な挑発だった。
けれど、その時は寝起きで頭も回っていなかったし、いきなり寒い外に引っ張り出されて少し気が立っていたのだろう。
「はっ、すぐ追い付いてやるよ――ッ」
すぐさまその後を追って全力で走り出してしまったのを後悔するまで、そう時間は必要なかった。
――――――――
「ぜっ……はぁっ……し、しぬ……」
あれからどれだけ走ったんだろうか? 階段を登りきったところで地面に倒れ込む。
ズボンが土で汚れるかもなんて心配は今更で、既に寝間着だったジャージは汗でぐっちょり濡れていた。
「はっ、ほっ、と。……もう、走っただけで情けないですね」
呼吸困難寸前レベルに息を乱して座り込んでいる自分に対し、後から軽快な掛け声とともに階段を登って来たゆかりさんは呆れる様な目を向けてくる。
「仕方……はっ、ない、だろ……っ、こんな走ったの、高校、以来……だって……」
癪ではあるが、確かに自分でも体力の衰えを感じるので強くは反論できない。いや、それ以前にもう肺が苦しくて、言葉を出すのもいっぱいいっぱいなのだが。
走り始めてものの十分もしない内に、ゆかりさんを追いかけるという当初の構図は逆転し、後ろから追い立てられるように走らされることとなった。
歩こうとするものなら、すぐさま後ろから「走ってください」と叱責が飛び、背中を押されて走らされる。しかもそうなると自分で走るより圧倒的に早いペースを強いられるのだ。辛くとも自分自身で走った方が楽と気付いてからは、もうひたすら足を上げることだけを意識して走っていたせいで、ここがどこなのかも分からない。
酸素の足りない頭でしばらくぼんやり周囲を眺めて、アパートのある住宅街の山側、丘の上にある公園だと気付いた。そう言えば、地面もアスファルトじゃなくて土の地面だ。
というかここ、あかりがいなくなった時に探しに来たところじゃないか。あの時は必死だったし自転車に乗ってたから気付かなかったが、こんな遠かったんだな……。
あまりの疲労感に、もういっそ人もいないし寝転がってしまおうか、なんて考えがよぎったのと同時、ゆかりさんがこちらに何かを投げてきた。
慌てて倒しかけた体を片手で支え、空いた手でそれを受け止める。
「汗かいてますし、それ、飲んどいてください」
渡されたのはスポーツドリンクのペットボトル。いままで必死に酸素を求めていた喉が、思い出したように水分も足りていないとキャップを開けさせる。
家を出た時は疎ましかったひんやりと冷たい温度が、今は逆に心地よい。
「はぁっ……ありがと」
「いえ、仕事中の体調管理も仕事の内ですので」
自身のペットボトルから口を離したゆかりさんは、表情を変えずにそう言って――
「――ってそうだよ、仕事って話だったのに何でいきなり走らされてるんだよ!」
さっきは普通に感謝してしまったが、そもそも仕事だと言って朝からたたき起こしたのも、走らせたのもゆかりさんである。酷いマッチポンプに引っかかるところだった。
「だからこれも仕事の内ですよ」
「いや、ただ走るだけなんてこれのどこが仕事だよ……」
「本当は走るだけで終わるつもりは無かったんですけど、弟くんの体力があまりに無かったものですから」
そういいつつゆかりさんは残念なものを見るような目を向けてくる。
「いやいや、これ以上何をさせる気だったんだよ……」
「決まってるでしょう、訓練ですよ。昨日言ったように例え前に出ないとしても、いざという時に動けないのは困るって」
「あー……なるほど」
そこまで言われて漸く納得する。
昨日ゆかりさんの補佐として働く事を部長に押し切られて、それでもとゆかりさんが出した条件がそれだった。
「だから軽く走った後で、もう少し本格的に体を動かしてもらうつもりだったんですけど……」
「いやこれのどこが軽くだよ……ゆかりさんと違ってこっちは生身なんだぞ……」
公園の時計を見ると、既に家を出てから一時間は経っている。逆に久しぶりの持久走でよく一時間も走れたな自分。
なんて自己満足にちょっぴり浸っていると、眉をひそめていたゆかりさんが得心したように頷いた。
「言ってませんでしたっけ? 確かに私も腕は機械型ですけど、それ以外は生体型――身体能力に関しては同じくらいの体格の人間とほとんど変わりませんよ」
「えっ、マジ?」
つまり、体のサイズで言えば自分より一回り小さいくらいの女子に持久力で負けていると……?
「ええ、要は弟くんの体力が絶望的に無いって事ですね」
心を読んだような事を言って、にっこりと満面の笑みを浮かべるゆかりさん。
……そもそもゆかりさんは走る為の服を持っていたし、元から鍛えてたんだろう。片や本格的な運動なんて一年以上振り、勝てなくたって当然である。
「弟くんもしんどそうですし、別に無理はしなくていいんですよ? 部長には私の方から、仕事に同行させるには体力が足りなかった、って口添えしてあげますから」
――だが、そんな露骨に煽られて「はいそうですか」と受け入れられるほど悟っても、人間が出来ている訳でも無い。
「……今日は久しぶりだったから多少は仕方が無いだろ。その内すぐ追い付く」
思わず口を衝いた負け惜しみを聞いたゆかりさんは、わざとらしく驚いたように「おや?」と目を見開き、すぐにその目を細めて口角を上げた。
「ふふっ、少なくとも”やる気だけ”は十分みたいで嬉しいですよ?」
「だけ、は余計だ。本格的に体動かすつもりだったんだろ?」
そう言って震える膝をおして立ち上がった所で、ぎゅっと手を握られる。
「それなら良かったです。……でも、今日はもう時間も無いですし帰りましょうか」
……やばい、すごく嫌な予感がする。
「……もしかして、走って?」
ゆかりさんは答えず、満面の笑顔で手を引くだけだった。
「ちょ、ちょっとやっぱ待って――走るのは、走るのはぁああぁぁぁぁっ!?」