と、決意してから一週間。未だ計画を実行に移すどころか、その機会すら訪れていなかった。
あれからゆかりさんの部屋にお邪魔した時は、必ずタブレットへ注意が向いていない隙を窺っているのだが……どうやら彼女、自分の部屋で何をするでもない時はほぼ常にタブレットを携帯しているらしい。そんな状態では手の出しようが無かった。
ただそれは、ゆかりさんがこちらを警戒しているからという訳ではない。
彼女はいつも――流石にあかりが同席している時と、『練習』の時は除くが――画面を真剣な目で凝視しているか、あるいはキーボードを打っているかといった感じで過ごしているのだ。それこそ昼食を食べている時ですら、話しかけなければ画面の方へ視線が吸い寄せられている程に。
おまけに昼飯の感想を聞いても、返ってくるのは「塩分多くないですか?」とか「どこそこの粉末だしをつかってるんですね」等といった反応ばかり、約束したとはいえ作り甲斐がまるでない。
とうとう昨日耐えかねて、何をしているのか半ば検討がつきつつも訊くと、帰ってきた答えは案の定『調べものか報告書』だった。
かつてゆかりさんの事を社畜気質と評したが……そんな生易しいものでは無い。病気だ。本物の仕事中毒者だった。
現に今だって隣の助手席に座ったゆかりさんは、夕日に照らされ目を細めながらもキーボードを叩いていて――
(――って言っても、今は当然か)
運転席に座ってぼんやりと前方を眺めていた視線を、ちらりと後方の荷物室へと向ける。
そこには物言わなくなったボイスロイドが一体、静かに横たわっていた。
彼――もしかしたら彼女かもしれない――は、幸いにしてというべきか自我個体で無いというのが、その場ではっきり確認が取れたらしい。
専門外の自分が見ている分には分からなかったが、張り詰めた面持ちで一通り彼を調べ、そうだと言ったゆかりさんのどこか安堵したような表情から、多分間違いないだろう。
いや、もしかしたらそう見えたのは、何より自分が安堵したからかもしれない。今日回収したボイスロイドは、発見した時点ですでに、ベースとなった個体が分からないほどの酷い状態だったのだから。
昼過ぎに連絡があり、初めて正式な仕事としてゆかりさんと共に向かった場所は、街外れにあるさびれた街区の一角。建設途中で放棄されたらしきビルだった。
車内で待つことになるのかとも思ったが、前回のように例のパーツ絡みだった場合、人間相手でも危害を加えられる可能性が高い。それなら一緒にいてくれた方が守りやすいと、今回は最初から同行する事に決まった。
防音壁が外れた一角から敷地へ入り、教えられたように周囲を警戒しながら、打ちっぱなしのコンクリート階段を上がっていく。一階一階を柱の陰なども含めて慎重に見て回り、本当に居るのかと思い始めた頃だった。
九階に、そのボイスロイドは居た。
……いや、居たというよりも放置されていたと言った方が適切だろうか。だだっ広く広がった灰色の空間の端、四隅を支える太い柱の根元に背中を預けた彼は、最初マネキンかと間違うほどに酷い状態だった。
まず遠目にも目立つのはその白さ。機械型であっても体表は人間らしく見せる為、模造皮膚が覆っているのが普通なのだが、彼はセラミクス製の白い外殻が余さず剥き出しにされていた。
それだけで十分陰惨な光景だったが、更に近づくと、油の切れたモーターが空回りするような音が聞こえてくる。自分を手で制し、先行したゆかりさんの「この子は動けないから近づいても大丈夫ですよ」という言葉が酷く苦々しいのも無理からぬことで、その音は彼の肩と股関節から主に聞こえていた。
関節という関節部が殆ど破壊されていたのだ。
唯一まともに機能するのは航空機におけるブラックボックスの機能を兼ねた、セーフモード用の記録機能付きスピーカーだけ。
傾きかけた陽の中で、背中をもたれかけさせたまま。腕も、脚も、頸も、指先一つすら動かせず。それでも尚流暢に、ゆかりさんの呼びかけに応じる声は、無機質な不気味さというよりも酷く物悲し気な響きに聞こえた。
(……本当に、自我個体じゃなくて良かった)
先ほどまでの事を思い出し、隣のゆかりさんを横目に見る。
回収された個体は、幸いにも頭脳に当たるニューラルネットワークは生きていて、しかも自我個体でない事も確認できた。にも拘らず、彼女の顔はずっと険しい。その険しさが夕日の眩しさによるもので無いのは、いつもよりキーを叩く音に力が籠っていることからも分かった。
もし彼が自我個体だったら……いや、わざわざ悪い仮定を考える必要は無いだろう。
気を取り直して視線を前方に戻すが、意識はそうもいかない。自動運転へ慣れてきたこともあってか、思考は自然と後で横たわるボイスロイドの方へ向いてしまっていた。
(それにしても、何でボイスロイド一体だけ残ってたんだろうな)
ビルに成れなかった残骸には、敷地を覆う防音壁と、皮を剥かれたボイスロイド以外、何もなかったのだ。
九階以外も確認したが、資材一つ、道具一つ残されてはいなかった。少しでも損失を減らそうと、引き上げれる物は全て引き上げたように感じてしまうほど物が存在していない。建設途中のビルというよりも、空間とコンクリート床のミルフィーユと言った方がいい程の徹底ぶりだった。
それが故に、一体だけ残されたボイスロイドの存在が一際異質に感じられる。確かに生体型より機械型の方が安いとはいえ、ボイスロイドはそもそも高い。アンドロイド自体安くはない上、その中でも有名ブランドなのだからそれも当然だ。だからこそ真っ先に連れて行くべきだと思うのだが。
その時点で既に壊れていたから? いや、仮に破損が酷く修理費用が高づくとしても、アンドロイドには中古市場が存在する。
……あんまり気分のいい話ではないが、ボイスロイドの最大の特徴は人間らしさを謳ったAIだ。これは未だに他のメーカーが成し遂げていない、AHS社の独占技術。
『だからニューラルネットワークが生きてるなら、売ればそこそこいい値にはなってしまうんですよ』そうゆかりさんから聞かされていた。
(って言っても、あんなわざわざ皮剥がして動けないよう関節壊してってまでやるなんて……建設会社は無関係で、後から反アンドロイド派の奴がやったんだろうか? にしては、外殻があまりに綺麗な気もするし……)
とそこまで考えたところで、横からパタン、と音が聞こえる。横へ視線を向ければ、ゆかりさんがタブレットをグローブボックスの中へ放り込んだ音だったらしい。
はぁ、と溜息をつきながらも、未だ剣呑さを帯びた紫の瞳と目が合った。
「……あー、一区切りついたのか? お疲れ様」
「一区切りは……まあ、今ここで出来ることはやりましたか。後は報告待ちですし……んっ、お気遣いありがとうございます」
ゆかりさんは小声で呟いた後で一つ咳払いをして、普段より数段硬い調子で会釈した。
普段見ない外行きの顔に、そして家で見る姿とのギャップに、思わず気持ちが緩む。
「そんなきっちりされると、いつもと違い過ぎて調子が狂いそうだな。いや、今も仕事中って事になるんだろうし仕方ないんだろうけどさ――って痛ぁッ?!」
返事代わりに、割と手加減なしの肘が脇腹に突き刺さった。
「何ですかその言い草は、まるでゆかりさんが普段だらしないみたいな……いえ、まぁ……その、最近家事を弟くんに頼ってるのは認めますけど……」
ゆかりさんは段々声を小さくしながら、所在なさげに合わせた指先をくるくる回す。
一応自覚はあったらしい。というか無いと困る。
昼食を作る様になって分かったのだが、家事に関してゆかりさんはかなり物ぐさだった。
それまで彼女の部屋を訪れるのは夜か薄暗い事が多かったので気付かなかったが、一度も掃除をしてないらしく、引っ越してから一か月少ししか経っていないのに、床の隅には埃が溜まっていた。そもそも、掃除機どころかモップすら無い。
昼食を作るついでに軽く掃除もすることになった。
すると今度は掃除途中で、脱衣所に洗濯物が(しかも全く同じキャミソールとパーカーばかり)溜まっているのに気づいた。曰く、服の替えが無くなるまで溜めてから洗えばいいと。しかも、乾燥機付き洗濯機なのをいいことに、洗濯機をタンス替わりにしていた。
掃除のついでに洗濯もすることになった。
……仕事中毒の代償なのか知らないが、あまりにも生活能力が皆無である。
今までいた社員寮では隣の住人が手伝ってくれていたらしいが……手伝うというより甘やかされていたんじゃないか、それ。
(会社でも一見仕事が出来そうだけど、実は……っていう評価だったりするんじゃないだろうな)
そんな内心がゆかりさんを見る目にも出てしまったのだろう。
彼女は誤魔化すように咳ばらいを数度続けると、些か早口に切り出した。
「そうでした。本来なら回収した個体を引き渡したらすぐ帰れるんですけど、今日は部長の方からお話があるようですから、一緒に来てもらいますね?」
「ふーん……分かった」
「な、何ですかその態度! ゆかりさんだって本気を出せば家事の一つや二つ――」
ならさっさと本気を出して欲しい。
とはいえ、部長から話があるというのは本当らしい。
会社の地下駐車場で先にバンから降りて待っていると、五分ほどして後のスライドドアが開いた。
「すいません、お待たせしました」
降りてきたのは、この間と、そしてあかりを回収に来た時と同じ、スーツ姿のゆかりさんだ。
うん、本当に見た目だけは凄く仕事出来そうなんだけど。
「……何か凄く失礼なこと考えてません?」
「……いいや?」
正面から向けられる疑惑の目を避けるように、エレベーターの方へ二、三歩進んで、ゆかりさんの後ろ髪が長いのに気づく。
そう言えばこの間は緊張してて気付かなかったけど、遅れて会議室に来た時もそうだったような。
「もしかしてボイスロイドって、すぐ髪伸ばせたりするのか?」
横へ並んで歩き始めたゆかりさんから、何言ってんだこいつみたいな視線が突き刺さる。
「はぁ? ……ああ、ってそんな訳無いでしょう、ボイスロイドを何だと思ってるんですか。機械型ならスキンを交換すれば出来なくはないでしょうけど、私は腕以外一応生体型ですし。これはウィッグですよ、ウィッグ」
少し呆れたように、彼女が側頭部へと両手を当てると、地下の薄闇で気付かなかったがそこには細めのカチューシャが乗っていた。上へと外すと、後ろ髪も一緒に持ち上がる。
「ああ、カツラってこと「ウィッグです」……ウィッグなんだ」
ニコォ……ッ、と擬態語の聞こえそうな笑顔の圧に、同じだろと思いつつも慌てて訂正する。
「にしても、もしかして会社だとずっとそれ付けてるのか? だったら髪伸ばした方が手っ取り早くないか?」
「分かってませんね、髪は伸ばすと兎に角洗うのが面倒くさいんですよ。洗うのだけならまだいいですけど、乾かすのにも時間かかります」
「あー……成程」
そうだった。最低限の家事すら面倒くさがるゆかりさんが、髪に手間を掛けるわけがなかった。
「確かに短く保つ為にも散髪はしないといけないですが……伸ばしてても散髪しなくていい訳じゃないですし、それだったらウィッグをメンテナンスする方がまだ手間要らずという訳です」
「いや、もうそこまで言うなら横髪もウィッグにすればいいんじゃ? もしくはいっそショートにするか」
「それがですね、横髪のウィッグは付けるの面倒くさいんですよ。丁寧にやらないとすぐ不自然になりますし……ショートに関しては、かつて男性と間違えられたことがあるので却下です」
ゆかりさんは嫌な記憶を思い出したというように、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
もしかしてそれで胸が小さいことを悩んでいるのだろうか、なんて想像が頭を過るが、絶対に聞けない顔だった。
兎も角。
「成程、それでそんなよく分からない髪型なのか」
「何言ってるんですか、今の話を聞いてたら合理性を極めた完璧な髪型だと分かるでしょう」
いやそこでそんな理解力無いのか? なんて顔されても……。
そんな話をしながら丁度エレベーター前までたどり着いたところで、ポーン、と到着を知らせるベルが鳴る。
開きかけたドアの隙間に人影が見え、立ち位置的にゆかりさんとは左右に分かれて避けた所で、真っ先に下りてきた女性がゆかりさんに気づいた。
「あっ、ゆかり先輩……ってゆかり先輩!?」
「またまた……ってホントだ! お久しぶりです、ゆかりさん」
「ん、久しぶりですチーフ」