後から続く男女も合わせて、三人はゆかりさんを一目見るなり、囲むように詰め寄った。
「ええ、本当に久しぶり。最近はなかなか会うことがなかったものね。どう、三人とも上手くやってる?」
「はい、先輩のお陰でバッチシやっていけてます!」
「そりゃ言いすぎ。コイツ午前中とんでもないミスをやらかしかけて……」
「そーいう事は言わなくていいの! 結局問題になる前に気付けたんだし!」
「気付いたの、私」
「うっ……ほんっと次から気を付けます……」
こちらには気付いてもいない三人の表情は見えないが、少なくとも前者二名が昂揚しているのは、声の調子で分かった。一番背が低い黒髪ボブの女性も感情があまり声に出ないだけで、少なくともゆかりさんに悪い印象という訳ではなさそうだ。
「ふふっ、それを言う相手は私じゃないでしょう?」
「あっ、そうですね。 ありがとねやーちゃん、今度何かお礼するから!」
「別にいい、大したことじゃない」
「……ヤヨ、お前が気づいてくれたお陰で回避できたんだし、そこは素直に受け取ってもいいと思うぜ。ゆかりさんにも前言われたろ?」
「ん、そうだった……どういたしまして」
「よし! じゃあやーちゃんが今度ミスしたらアタシが挽回するから!」
「いや、それは無理だろ」
「ん、無理は言いすぎ。五年……十年以内なら? もしかしたらひょっとするかも……」
「なんなのさ二人ともー!」
ゆかりさんはそんな三人のわいわいとしたやり取りを、微笑ましげな微笑みを浮かべて見守っている。
『大人っぽい』ではなく、『落ち着いた大人の』女性がそこにいた。
何より先ほどの勝手な想像とはまるで逆、もの凄く慕われているのがよく分かる光景に、思わず自分もきちんとしなければと背筋が伸びてしまう。
(……もしかして、ゆかりさんって会社では凄い人だったりするのか……?)
というかこの三人の反応は、ゆかりさんのプライベート姿を知らないからか、或いは知ってここまで慕われているのか。
「……チーフ、こちらの方は」
そんな事を考え始めたところで、黒髪ボブの女性がこちらへと振り向いているのに気づいた。続くように残る二人も頸でこちらへ振り向く。
「ああ、この方は今私と一緒に行動している方で、少し前に話題になった、社会参加実験の協力者でもある――」
「あ! あなたがあの例の!?」
三人の目が見開かれた。
というか何だ、例のって。社内でどういう扱いされてんだ。
「ど、どうも……」
隠せない好奇心の溢れる六つの瞳に耐えかね軽く会釈をしたところで、わざとらしい咳払いが辺りに響いた。
「はいはい、気になるのは分かりますけど無遠慮に視線を向けない。三人ともそういった事で悩んだ経験があるんですから、同じことをしてはいけませんよ? ごめんなさいね」
こちらに向かって頭を下げるゆかりさんに、三人はハッとしたような表情を浮かべ、すぐ続いて謝ってくる。
「――い、いや、ちょっと驚いただけで別に気にしては無いから!」
助かったけど、そこまでされると逆に気まずいです、ゆかりさん。
――――――――
「ふぅ……大した距離じゃないのに凄く疲れた気がする……」
小さな(と言ってもこのビルの中ではの話であり、多分我が家の和室で二個分の広さはある)会議室に置かれた椅子を引いて、長机に突っ伏す。会社についてから、ようやく一息つけた感じだ。
あの後、しばらくエレベーター前で水飲み鳥みたいにペコペコし合いながら自己紹介をし、三人と別れてエレベーターに乗ったのだが。
「にしても、ゆかりさん凄い人だったんだな……」
エレベーターで乗り合わせた他部署の上司なのだろう、怜悧な目をした壮年の女性からの質問へ素早く簡潔に対応し、その人と入れ替わりに乗って来た若い男性とは気さくな感じで近況を語り、エレベーターを降りてからはいよいよすれ違う人殆どから敬意の混じった挨拶を受け、何よりゆかりさんもその全員の名前だけでなく、何をやっているかまで把握しているようだった。
駐車場ではまだ疑い半分だったが、間違いない。
確認したいことがあるとかでこの会議室の前で別れた時には、つい自然と彼女に敬語を使っている自分がいた。
その時は周りに人がいなかったせいか、ゆかりさんは一瞬目を丸くし、それからいつもみたいに悪戯っぽく「どうしたんですか急に? 人がいないところでは普段通りでいいんですよ、弟くん」なんてくすくす笑っていたが、無理である。
というか人前で『彼』と勿体付けられたように言われるのもこそばゆかった。いや、人前で流石に『弟くん』と呼びかける訳にはいかないのも分かるけど。
「というか何で全員、社会実験の――って所で『ああ!』ってなるんだよ……」
「……それだけ、関心が高いってことです」
「いや、にしたって――うわぁ!?」
いつの間にか隣に立っていた女性に驚き過ぎて、危うく椅子からひっくり落ちかけた。
「び、びっくりした……! そ、その、ノックとかしていただけると……」
「二回ノックを三回で六回はドア、叩いてる。けど、返事が無かったし、倒れているようにも見えたから」
早鐘を打つ心臓を押さえるこちらには構わず、彼女は紙コップを机の上に置いた。ふわりと漂う珈琲の香りに、少しだけ落ち着きが戻ってくる。
「そ、そうでしたか。すいません、ちょっと疲れてしまっていたみたいで」
「それなら良かった……です。こちらこそ、ごめんなさい……驚かせてしまって。私、気配が無いってよく、チームの二人に……さっき駐車場で一緒だった、二人にも言われるので」
そう言って彼女は長机の反対側へ回る。確かに言う通り、普通に歩いているにも関わらず、気配というか音が無かった。
というか驚き過ぎて認識してなかったが、駐車場と言われた所で漸く、彼女が先ほど会った三人組の一人、背の低い黒髪ボブの人だと気付いた。
いや、正確に言うなら彼女もまた完全自我を持つボイスロイドらしいのだが。
彼女は机の反対側で屈むと、ずいっ、と無表情な顔を近づけてきた。
「それで、よければ聞きたいんだ……すけど。さっき……ほどチーフがおっしゃってた、一緒に行動してるというのは……回収に、という事? でしょうか」
「ああ、はい。……というか、別に無理して丁寧にしゃべろうとしなくても気にしませんよ。俺、じゃなくて僕もインターン扱いって事なので、後輩みたいなものですし」
「……ありがと、助かる。でも、それなら敬語じゃなくていいよ……君も」
表情こそ変わらないが、声音は少し柔らかくなった……気がする。
それにしても、かなり独特な話し方だ。
というか、話すのがあまり上手くないのかもしれない。人間との自然なコミュニケーションによる指示を可能とする――と謳うボイスロイドとしては、珍しいんじゃないだろうか。
「それじゃ、続きを……回収に行くというのは、一緒に行くだけ? ……車両で待機、それとも同行?」
「まあ今日は、一応車から下りて一緒に行動はしたけど……」
彼女が手を突き出して来た。
「握手、して下さい……!」
して下さいと口では言うものの、既に机の上に乗せていたこちらの両手を握りしめていた。
「え、や……ちょっ」
突然の事に思わず手を引くと、彼女はしまったというように慌てて手を離す。
「あ……ごめん、嫌だった?」
「いや……ちょっとびっくりはしたけど」
「じゃあもう一回、いい? 握手して」
「ま、まあ……」
まるでアイドルの握手会みたいに、両手を両手で握って彼女はぶんぶん上下に振る。
気恥ずかしさを誤魔化すために、無表情な分感情がこういう行動に出るタイプなのかもしれないな、などと分析していると、漸く満足したのかほぅ、と溜息をついて手を離した。
「ありがと、興奮した……初めてゆかりさんに同行した人、見たから」
「そ、そうなんだ……」
それだけの事でここまで……。心なしか目の奥がきらきら煌めいているように見える彼女に圧されながら、内心ゆかりさんが尊敬を通し越して崇拝されているんじゃないかコレ、と怖くなってきた。
だが、彼女ならどうしてゆかりさんが色々な人から一目置かれているのか知っているだろう。
「それにしてもゆかりさん、プライベートでも凄い人だとは思ってたけど、会社でもそうなんだな」
「仕事だけじゃなくて、普段から……!」
無表情な黒い目の奥で尊敬の念がきらきら輝く。
……いや、嘘はついていないよ? どういう意味で凄いか言っていないだけで。
「ちなみに会社でのゆかりさんってどういう感じなんだ? 一緒に仕事す――「教える。知らないなんて……!」」
食い気味に目を見開いてこちらに乗り出してくる黒髪ボブの女性。
いやいや、怖いんですけど!? ゆかりさん会社で何やらかしたの?! 変な宗教とか作ってないよな「ゆかり教」みたいな。
――だが彼女の話を聞いていくうち、そんなゆかりさんへの評価が決して過剰なものではないと分かった。
「え、じゃあ自我個体が減ったのってゆかりさんのお陰ってことか」
「そう。それまでは実際に販売されて、その後、異常やメンテナンスで見つかるのが殆ど。出荷前に見つかる方がレアケースだった」
出荷前に自我個体か否かを判定する検査、その確立に大きく関わっていたらしい。
これにより自我個体は出荷前に殆ど見分けがつくようになり、結果自我個体を発生させる原因の特定にも繋がっているのだとか。
「私も、その検査で助けられた一人。もしかしたら廃棄だったかも……自我個体だって分からなかったら」
「えっ……」
表情を変えないまま彼女は衝撃の事実を口にした。
「私はあまり話すのが上手くない、ボイスロイドなのに。君も、なんとなく察してるだろうけど」
「いや、多少特徴的な話し方だなとは思うけど……ちゃんと伝わってるしいいんじゃない?」
それを聞いた彼女は、嬉しそうに口角を上げる。
「ありがとう……そう言ってくれたの、ゆかりチーフと、部長に続いて、三人目」
口元だけの微笑み、けれどそれが彼女にとっての満面の笑みなのだろうことは何となく分かった。
「けど、一般的にはそういう訳にもいかない。それに、仮に廃棄されてなかったとしても、碌な扱いじゃなかったと思う。出荷されてたら」
「ッ、そうか……」
思い浮かぶのは先ほど回収した白いボイスロイド。
平然とああいう事が出来る人間がいるのは事実で、彼女の言葉を否定することは出来なかった。
「君がそんな表情をする必要はない。それに、私は現にそうなっていないし……ここで働く他の自我個体もそう。だからこそゆかりチーフは命の恩人、みたいなもの」
それは尊敬される訳だ。
「だから行く人行く人全員から話しかけられてたって事か……」
「それはこのフロアだからって事もあるかも。回収課は自我個体比率が、特に高い部署だから」
「あ、そうなんだ」
という事はここですれ違ったあの人達も結構ボイスロイドが混じってたのか。やっぱり全然気づけなかったけど。
「そう。部長の意向もあるけど、ゆかりさんが回収課にいるから、そういう理由で希望する自我個体も多い」
「という事は――えっと、何て呼べばいい?」
「私? 『やよやよ』が愛称、誰も呼んでくれないけど」
それは愛称というのか? というか噛みそう。
「じゃあ、やよやよ……さんも?」
「さんは要らない。それに、私が回収課にいる理由は、違わないけど、少し違う」
やよやよは手にした自身の紙コップに視線を落とすと、少し躊躇いがちに続ける。
「ゆかりチーフが回収課にいるのは、ボイスロイドの立場が悪くならないようにするため。私はそれを手伝いたい。ほんの少しでも」
「立場が悪くって、どういう事?」
「ボイスロイドは本来人に危害を加えられない。けど、回収が必要な野良ボイスロイドには、壊れて無差別に暴れる個体もいる。それで人間が怪我をしたら、ニュースになる」
確かに前回の回収だって、ゆかりさんに助けて貰えていなかったら、自分も結構な怪我を負うことになっていただろう。そうなれば反アンドロイド派なんかは喜んで飛びつきそうだ。ほら見ろ、アンドロイドは危険だ、早々に規制をかけろと。
「だから回収チーム、実際回収に当たるのは自我個体が多い。人間がいるチームもあるけど、ガードロイドがつく、普通は。でも君は違う……だから、君もすごい人」
「いやいや、俺なんか今日だってゆかりさんの後からついていっただけみたいなもんだったし……」
「違う、それは一緒に行動しても問題ないと思われているという事。ゆかりさんは、基本一人の方が動きやすいって。自我個体でも、訓練以外で同行したことがある人は少ない……勿論、私もその一人」
ほんの少し胸を張るやよやよは、表情が変わらないながら誇らしげに見えた。
「そうなのか、初めて家に来たときは黒服の人……じゃなくてガードロイドか、連れてたからそっちの方が普通だと思ってたんだけど」
「その時は実験中だった筈。チーム編成の、自我個体が非自我個体を指揮したら、より効率的じゃないかって。でも、採用はされなかった。君の所のあかりちゃん以外、全て上手くいってたのに」
「あー、それは何というか……すまん」
もしかしてマキさんを巻き込んでしまったのが拙かったのだろうか。あの後あかりの状態について説明を受けた時、ゆかりさんとマキさん、何とも言えない空気が漂ってたし。
「? 君が謝る事じゃない。 どんなことでも想定外は発生する。むしろ、それが実験中に見つかったから、いい事」
「そういうものか?」
「そういうもの」
真っすぐな視線から、多分気を遣ってとかの発言では無い……と思う。望んだ結果を出すことではなく、立てた仮説が正しいかを検証するのが実験だしな。
「それから、聞いていい? もう一つ」
「ああ、俺に答えられることなら」
「じゃあ、ゆかりさんは普段どんなふうに過ごしているのか教えて欲しい。さっき君は、プライベートでもすごいって」
「あー、それは、だな……」
やよやよは目の奥に秘めた煌めきが間近に見えるほどこちらへと身体を乗り出す。今日一の近さに、思わず仰け反らずにはいられなかった。
いかん、ニ十分前の自分をはっ倒したい。
まだゆかりさんがこんな凄い人だとは確信できていなかったから、誤魔化すために言っただけです……とはとても言える雰囲気ではない。
「あーそうだな……朝は毎日同じ時間に起きて、走ってるかな? それから少し身体を動かしたり。俺も最近は一緒に行ってるんだけど」
「休日でも普段と一緒……やっぱり継続が大事……と、他には?」
やよやよはいつの間にか引っ張り出した端末に、今のを打ち込んでいるらしい。というかゆかりさん普段から仕事前に走ってたのか……道理であんなにスタミナがある訳だ。
「……後は、時間があるときはタブレット見てる事が多いかな。何か調べものとか言って」
「ふむふむ……隙間時間も無駄にしない、と」
いえ違います。家事は全部人任せのワーカーホリックなだけです、とはとても言えない。
ゆかりさんの為に、やよやよの中の理想のゆかりさんを守る為に、そしてゆかりさんから自分の身を守る為に。
というかこれ以上聞かれたらどうしよう。正直ゆかりさんがやってる事なんて朝走ってるか、タブレット触ってるか、『練習』してるか……実際に見たことは無いけどあかりと駄弁ってるくらいしか知らない。というか、実際それ以外やってないし。
戦々恐々とやよやよがスマホに打ち込む指先を見守っていると、とうとう指の動きが止まった。彼女の視線がこちらに向く。
「それで、他には?」
「あー…………」
「待て待てやよい、あんまり他人のプライベートに突っ込むものじゃない」
どうしようと手詰まりを覚悟した瞬間、渋い男性の声が割って入った。
本筋に大きく関わりはしませんが、因みにやよい嬢のモデルは、ボイスロイドフリークの方なら予想通りのあの人です。