振り向くと入り口の扉は開いており、グレー基調のチェック柄ベストを着た壮年の男性が、改めていますよとアピールするように開けた扉をコンコンとノックする。
「あ、部長……すいません。君も、ごめん。つい、集中しすぎた」
「いや別に、俺――僕の方も色々知らなかったゆかりさんについて知ることが出来ましたから」
「そう言ってくれると助かるよ。やよい君はこう見えて情熱的な性格でね。特にゆかり君の事となるとそれはそれは……」
部長は言葉ではなく小さく笑っただけだったが、思い当たる節が多いのかやよやよもといやよいさんは気まずげに視線を逸らした。
「部長、私が悪かったからそれ以上は……」
「だろう? 人間だれしも知られたくないものがある物だ、君にも、私にも、ゆかり君にも……そして、彼にもね?」
「っ、ははは……ですね」
悪戯っぽく細められた視線を不意に向けられ、思わず変な笑いが出た。
それは苦労と経験が刻まれた年相応の顔に、少年のような仕草が似合いすぎていたからでもあり、それ以上にゆかりさんとの色々を見透かされているのではないか、と心臓が跳ねてしまったからでもある。
(部長も部長でフランクそうに見えて、何か威圧感、ではないけど気迫というかオーラというか、そういうのがあるんだよなぁ……)
底の知れなさでは、ゆかりさんといい勝負――というかゆかりさん以上な気もする。むしろ、ゆかりさんの裏にこの人ありというか。
仮にも大きな企業の部長という立場だから、綺麗ごとだけでは済まないという事なのかもしれないけれど。
そんな社会の闇を垣間見た気がしつつ、礼を一つ出て行くやよいさんを見送ったところで、部長がこちらに向き直った。
「さて……済まないね、態々来てもらって」
そう言いながら何故かドアのカギを後ろ手に占める部長。
……えっ、怖っ。えっ、大丈夫だよね?
「はっはっは。話をしたいだけだから、そんな身構えなくても大丈夫だよ。鍵を閉めたのは、少々他の人たちには聞かれたくない話ってだけさ」
「は、はぁ……」
ニヤリと笑った唇に人差し指で『静かに』のジェスチャーをして、部長は向かいでなく隣りの椅子に腰を下ろした。
「それに君も興味があるはずだ。何せ話というのは、ゆかり君の事だからね」
「――ッ、もしかして、ゆかりさんに何か問題があったんですか!?」
勿体ぶった言い方に、最悪の事態が頭を過って立ち上がる。自我個体すら破壊するかもしれない不正パーツの話を考えれば、何があってもおかしくない。
だが、部長は目を細めて薄く笑んだだけだった。
「おっと、勘違いさせてすまない。言い方が悪かった、私が話したかったのはゆかり君の過去の話だよ。肩に載るものが増えると、持って回った言い方ばかり巧くなってしまって良くないな」
「それなら良かったですけど……ゆかりさんの過去というのは、さっきやよいさんが仰っていた、社内での話という事でしょうか?」
「勿論それも含めてだが……その前に、君から見たゆかり君はどんな感じかね?」
「え、どんなって……仕事が出来るみたいですし、すごく慕われてて……」
「それは『君の』印象ではないだろう?」
突然の質問に、意図が分からず先ほど聞いた印象を無難に纏めると、部長は頷きながらも否定する。
「それは、はるか君を始めとした社員の、後輩の、そして何より自我個体たちからの印象だ。違うかな?」
「それは……」
実際その通りなのだが、彼女のプライベートはあまりに仕事時とギャップがありすぎる。それを知っている自分の印象を素直に言ってしまってもいいものか。それでゆかりさんの評価が変わってしまうんじゃないだろうか。
そう考えて下手な事が言えないでいると、部長の方が先に口を開いた。
「私にはゆかり君の事が、張り詰めたギターの弦に思えるんだよ。しかも、そのせいで音がおかしくなっているにも関わらず、その原因をペグの締めが甘いから、張りが足りないからと思い込んでる、ね」
「……それは、部長もゆかりさんが無理をしている気がするという事ですか?」
「はっはっは、やはり君を選んで正解だったらしい。そう、僕『も』そう思うよ」
「――あっ」
『も』を強調されて初めて、自分もそう思っていたという事を言わされたのだと気づく。
本当に油断ならない人だ。と、こちらが警戒レベルを上げようとしたところで、部長は頬を掻いて申し訳なさそうに苦笑した。
「はっはっは……すまないね、こんな小狡い人間で。だが、君なら大丈夫そうだし――よし、ここからは僕も本音で話すか。無礼講という事で、君も話しやすい口調でいい」
「――いえ、このままで大丈夫です」
「はっはっは、そりゃそうだ。失った信用は簡単に取り返せない――ってね」
もう自分が疑心暗鬼だからなのか、それとも本当に部長が怪しいのか分からない。今一瞬見えた寂しそうな表情も、果たして本当だったのか。
「では勝手に話させてもらうよ。質問があったらいつでも言ってくれ。あれはもう三年前か――」
――当時、ボイスロイドにまだ自我個体は居なかった。
少なくとも、そう認められたボイスロイドは居なかった。
アンドロイドが自我を持つなどあり得ない。そんな意見が会社内でも主流だった時代。
だが部長はその時から既に自我を持つ個体がいるのではないかと考えていたらしい。
「反証が一つでもあれば良かったんだ。科学は例外を認める。一羽でも白いカラスが見つかれば良かった」
だが、白いカラスを――確実に自我がある個体を見つけるには、ボイスロイドの疑似自我はあまりに出来が良すぎた。
明示チューリングテストで五割、非明示チューリングテストでは九割を越えて『人間的』と判断されてしまうのだ。
「恐らく、フォークト=カンプフ検査が実在したとしても合格してしまうんじゃないかな?」
冗談めかしてはいるが、そう細める目には自信があった。
ゆかりさんが見つかったのは、そんな折。本格的に稼働を始めた定期メンテナンス工程の視察をしていた時だったらしい。
「スリープ状態で目を閉じて並ぶボイスロイドの中に、一体だけおかしな個体がいた。スリープ状態にも関わらず、どこか苦し気に眉をひそめて……まるで悪夢にうなされているようだった」
部長は、目の前にその光景が広がっているような眼差しをする。
「……それがゆかりさんだった、って事ですか」
「その通り、察しがいいね」
急遽代替機を送ってゆかりさんを手元に残し、疑似自我個体と異なる反応を示さないか、様々な比較試験を行った。しかし、そのいずれでも違いが現れない。
「ただ、僅かに。ほんの僅かにゆかり君は、疑似自我個体よりレスポンスを返すまで時間がかかった。自分の反応が間違っていないかを一々確認しているようでもあったな」
「その話だと、まるで自分から疑似自我個体になろうとしてるみたいでは」
「そうだとも。何故なら、まだ自我個体の存在は認められていなかったからね。……そんな中で異常な反応を示すボイスロイドが、想定外の挙動を示す製品が何と呼ばれたか、僕から言う必要はないだろう」
――つまり私は、失敗作の中の失敗作と言ってもいいかもしれません――
ゆかりさんの言葉がフラッシュバックする。
「ともかく、その遅延を皮切りにゆかりくんのニューラルマップを分析したところ、想定外の稼働領域が作られている事が分かった。その領域はニューラルネットワーク全体から見ればほんのごく一部、一パーセントにすら満たない。だが、そのほんの小さな領域に他の全ての領域が接続されていた」
「そんな僅かな領域が、自我だと?」
「僕はそう思っている。違うな……そう信じている」
部長は感情の読めない曖昧な笑みを浮かべた。
「という事は、ボイスロイドの自我はまだはっきりと確認されては無いんですか」
「はっはっは、そりゃあそうだ。何せ、僕たち人間の自我だって二千年前以上から議論の対象なのに、未だその存在は証明されていないんだからね。正体が分からないものを見つける事なんて出来ないよ」
確かに言われてみれば、未だ人間の脳について、意識について解明されたという話は聞かない。これだけ人間らしいボイスロイドが、それを支える疑似自我が既に存在しているのに。
「……おっと、先に言っておくけどボイスロイドの疑似自我については我が社の中でもトップシークレットだ。全容を把握しているのは五人といない。だから君を信用していると言っても、僕は少なくとも教えることが出来ないな」
こちらの心を読んだかのようにニヤリと笑う部長。彼が知っていて教えられないのか、知らなくて教えられないのかは分からなかった。
「話が逸れてしまったね。ともかく、ゆかり君は自我個体だと認められるまで長らく、普通のアンドロイドとして扱われていた。そしてそれ以上に、彼女自身がそうだと思っていたんだ。だからうちに来た当初はいつも無難な同じ笑顔ばかり浮かべて、普通のオフィス向け個体とまるで区別がつかなかったよ」
「じゃあ、今はかなり表情豊かになったんですね」
確かに言われてみればゆかりさんは良く笑みを浮かべる。多分、あかりを回収しに来た時に浮かべていた時の顔、あれがビジネススマイルだったんだろう。
けれど同じ『笑み』でも、揶揄う時の悪戯っぽい笑顔、呆れたような苦笑、後輩たちに見せる見守る様な笑み、こちらを励まそうとする優し気な微笑み――それらは全く違う笑みだ。
部長もそれを聞いて満足げに大きく頷く。
「ああ、昔よりも随分解れてきた。だが、どこかやはり私や会社の人間に対しては固さを感じるんだよ。まるで完璧であろうと、会社の一員としてふさわしくあろうとしているような……とでも言えばいいのかな」
「どこか演じているみたいって事ですよね?」
「……そうだね。その通りだ」
遠くを見る部長の目が寂しそうに細められる。
「僕にはゆかり君が表情豊かになったのは、ただ単にそうするのがこの会社では最適だから、というように感じられてしまっていた。だからどこか無理をしているように、或いは固いような気がしていたんだろう。そして、この間の君とゆかり君のやり取りで、それらが思い過ごしではないと確信した」
この間……成り行きで仕事に同行して、ゆかりさんが怪我を負ってしまった時の事か。
「という事は、やっぱりゆかりさんが苦痛を感じないっていうのも、演技なんですか」
「いや、残念ながらそれは本当だ」
そんなことにも気付けなかったのかと思わず俯きかけた視線を戻すと、部長も同時にこちらを振り向く。その顔には、酷く寂しげな笑みが浮かんでいた。
「原因は特定できていないが、ゆかり君が苦痛を感じていないのは確かなようでね。だからこそ、危険度が高い回収業務に出向く彼女を僕も止められないんだよ」
そんな無責任な――と、回収に当たっているのは主に自我個体だったと思い出す。
「じゃあ、ゆかりさんは他の自我個体が怪我を負わないように……?」
「ああ。そう言われてしまうと僕としても止めようがなくてね。ゆかり君への負担が減るよう、ガードロイドを随伴させて鎮圧は任せるというのも提案してはみたりしたんだが……」
「……それに関しては、すいません」
「なるほど、やよい君から聞いたね? 君が謝ることではないよ、僕の発想が安易だったというだけの話だからね――だが」
部長は自嘲気味にくっくっ、と嗤って、それから真面目な顔を浮かべた。肚の奥底まで突き通すような視線に思わず背筋が伸びる。
「痛みを感じないからといって、これまで無意味に自ら傷を広げるような真似をした事は無かった。修理費も馬鹿にならない、と言ってね」
それは……どういう意味なのだろうか。実は物凄く嫌われてて、距離を取ろうとしての行為だったり……いや、違う。あの日午前中にゆかりさんが言った事を思い出す。
「――もしかして、自分が自我個体では無いとアピールする為に?」
「うんうんうん。僕もそうじゃないかと思っている」
部長は楽しそうにニヤリと笑んだ。
「ゆかり君があそこまでムキになっているのは初めて見たよ」
「それは……いい事なんですかね? 怒っているという事では……?」
「だからいいんじゃないか。怒るという情動は一般に、コミュニケーション上望ましい状態ではないからね。現に疑似自我には、そんな望ましくない感情を再現する機能は無いんだ」
「あっ……!!」
言われて漸く気が付いた。
「少なくともゆかり君があんな風に感情を見せるのは、今のところ君だけだ。一介の技術者としてはその理由が知りたいところだが……部下のプライベートにあまり干渉するのも良くないだろう?」
「あはは……出来ればそうしてもらえると……」
教えて欲しいという事なのだろうが、教えられるわけがない。ゆかりさんがあそこまでムキになっている理由が、恐らくとはいえ『セックス中に善がらせようとして褒めたからです』だなんて。
(言えるかあぁぁぁッ!!)
言うまでもなくプライベート的な意味でもそうだが、部長は自我個体達をとても大事にしているように見える。そんな相手に、練習なんて口実でゆかりさんとセックスしてるなんてバレたら……。
背中を伝う冷や汗が凍りそうだった。
そんな中、部長が一歩こちらへ近づく。
「ッ――!?」
一瞬何を言われるのかと飛び上がりそうになって――言葉より先に、彼は頭を九十度に下げた。
「すまない。君に無理を頼んでいる事をは分かっている。ゆかり君が万全を期してくれると信頼はしているが、それでも君を危険に晒していることに変わりはない。だがそれでも、どうか……どうかゆかり君が少しでもいいから本音を言える相手になってくれないだろうか」
「あ、は、はいっ!!」
身構えていたせいで思わず肯定すると、頭を上げた部長から手を握られる。
「――そうか、ありがとう」
……完全に逃げ道を塞がれてしまったと気付いたのは、部長の口元がどことなくゆかりさんっぽく悪戯っぽい弧を描いているのが目に入ってからだった。
ゆかりさんとあかりちゃん共に、今回一回も出てないやん!!