書き終えましたので、今回は必ず最後まで投稿いたします。
まだ待ってくれている方がおられれば、楽しんでいただければと思います。
また、ご新規さんもおられれば同じく楽しんでいただければな、と。
最後にアンケート機能の確認と投稿時間の目安を知りたいためアンケートがついています。気が向いたら適当に投票してもらえればと思います。
長くなりましたが、それではまたしばらくの間お付き合いいただければ幸いです。
「ふぅ……どうしたんですか弟くん、何だか最近気合の入りようが違いますけど」
それから数日後の早朝。ランニングの折り返し地点である公園まで辿り着き、広場で倒れ込んだ所へ、汗ばんだ額をぬぐいながらゆかりさんが振り向いた。
「ぜっ……はっ……いや、別に……前と変わらん……だろ……はぁっ……」
「……物凄く息が上がってるのは気付かなかったことにしてあげましょう。ですがそれを差し引いても、まさかこの短期間でここまでペースを上げれるなんて」
感心したような呆れたような、何とも言えない表情のゆかりさんから視線を逸らして公園の時計を見ると、走り始めた初日とは分針の位置が明らかに違う。
「……だって、これがゆかりさんと一緒に働く条件……なんだろ……はぁっ……」
「確かにそうは言いましたけど……。それにしてもやっぱり急に頑張ってるような気がするんですが」
「…………。いや……気のせい、だって……」
勿論今言った理由が嘘という訳ではない。彼女の読みどおり、それが全てではないというだけだ。
……なんかちょっとゆかりさんに影響されてるような?
兎も角、あかりワンコに自重を失ってしまった一件で、痛い程自制する能力が足りないことを自覚させられた、というのがもう一つの理由である。
なので少しでも自分を律することが出来るように、ゆかりさんとの朝のランニングも今までなら「もう限界だ」と思っていた所でも歯を食いしばってペースを保ち、自分を極限まで追い込むようにしているのだ。
とはいえ今まではゆかりさんも特に何か言ってこなかったし、どれだけ早くなったかなんて気にしてはいなかった。けれど――
「――はぁっ、どうだ……これなら……一緒に働いてもいいんじゃないか?」
「はぁ、そんな走っただけで倒れてやり切ったかのような顔されても困ります」
限界を超えたせいで分泌されていたアドレナリン任せにそう言ってしまったが、突っ込まれると途端に冷静さが戻ってきた。
同じ距離を同じペースで走ったにも関わらず、ゆかりさんはうっすら汗を浮かべて息も軽く上がっているだけ。まだまだ肩を並べるどころか、どうにか破れかぶれで追いついたという状況だ。
「……まぁ? 確かに、以前と比べれば体力がついた事は認めますけど」
「いや、そんな取ってつけたようにフォローしなくていいって……」
残酷な現実に気づいて、がくりと地面に四肢を投げ出す。
少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべたゆかりさんが手を差し伸べきた。
「取ってつけてはないですよ。一回くらい、無理だって泣きが入ると思ってたんですが……そんなこともなく、ギリギリではありますけど追いつかれちゃいましたしね。ボイスロイド以外では弟くんが初です」
「サンキュ……だって、もし無理とか言ったらその時点で一緒に仕事はさせないって言われると思ってたからな」
「……なーんだ、読まれてましたか」
手を握ってこちらを引っ張り起こしたゆかりさんは「残念残念」とわざとらしくぼやいた。
「ふぅ……でもこれでゆかりさんも認めてくれるんだろ?」
「何言ってるんですか、これは最低限だって言ったはずですよ?」
そういえば初日、思ったより時間がないとか言ってたような……。
「……まさか、こっから追加で何かあるのか」
「追加というより、走るのはウォーミングアップみたいなもので、ここからが本題ですから」
そう言うと、ゆかりさんは握っていた手を離して二、三歩軽やかに飛び退り、両手で拳を作って構えた。
「もう十分分かってるとは思いますけど、野良個体の中には危害を加えてくるのもいます」
「……つまり、そういう場合に備えて戦えるようにって事か?」
「別に戦えとまでは言いませんよ。部長から聞いたかもしれませんが、弟くんに怪我される方が迷惑ですし。けど、怪我しないよう動けるようにはなって貰わないと、安心して一緒には働けませんから」
確かにこれまで数度ゆかりさんの仕事に同行はしたが、一緒に動くというより彼女の後ろをついているといった方が正しい状況だ。
正直足を引っ張ってるだけじゃないかという思いは常にあったし、何よりゆかりさんが本音を言える相手になるには、せめて対等でなければならないだろう。例えそれが部長に半ば嵌められた約束だとしても。
漸く整い始めた息を大きく吸い込んで、ゆかりさんと同じように構えた。
「そういうことなら、やらない訳にはいかないよな」
といっても、実の所武道の経験なんて無いから見よう見まねなのだが。
俺の準備が整ったのを見て、ゆかりさんはニッと笑って身体を揺らす。
おお、何だか格ゲーで見たことがあるそれっぽいステップだ。
「やる気があるのは結構ですが、加減はしますけど手は抜きませんからね? 中途半端な自信だけ付けられると却って迷惑なので――ッ!」
言い終わると同時、陽炎のように揺れていた紫の髪が直線へとブレて突進してくる。
せめて何か始まりの掛け声があると思っていたのもあり、完全に反応が遅れ、気付いた時には既に顔面近くへ右拳が迫っていた。
「ちょッ!?」
勢いに圧倒されながらもなんとか顔を横に倒して躱す――が、安心する間もなく今度は入れ替わりに左手の手刀が横から弧を描いて頸を狙う。
(手は抜かないっていうか、狙う場所が容赦なさ過ぎるだろ!)
攻撃の鋭さもさることながら、何より鷹のように引き絞られた目の鋭さが「半端な覚悟だと怪我をするぞ」と警告を発していた。
間一髪、風圧が喉仏を掠るのを感じながらも何とか躱す。
(でもこの速度なら何とか――っ!?)
ついていける。そう次の攻撃に備えようと身構えたところで、ふわりと浮く感覚に襲われた。
遅れて彼女の右掌底がとんっ、と胸の中心へと押しつけられ、その衝撃でくるりと視界が空を向く。
どすんッ!!
「がッ――!!」
何が起こったか分からず、呆けた顔で宙を舞い――碌に受け身も取れず背中から地面に叩きつけられた。
痛みに一瞬瞑った目を開いた時には、鋭い紫眼がこちらの顔へと拳の狙いをつけていて。
「これでおしまいです」
「ッ! ――痛ぁっ!?」
反射的に再び目を瞑ってしまった直後、額にビシッと慣れた痛みが走る。
それがデコピンによるものだと気づいて目を開けると、悪戯っぽい笑みを浮かべた彼女が、とすんとお腹の上に乗ってきた。
「手刀まで警戒できてたのは良かったですけど、大きく躱し過ぎです。だから体勢を崩してちょっと足を引っかけられただけで倒れちゃうんですよ」
冷たい言葉に併せて、ぴしっと再度額を軽く弾かれる。
「ぐっ……だからあんなあっさり突き飛ばされたのか」
「やっぱり気付いてなかったんですか。上半身への攻撃ばっかり警戒してるからですよ?」
「そうは言ってもこの間のゆかりさんのパンチを見て、警戒するなって方が無理だろ」
ゆかりさんの拳が目の前に迫った時に頭を過ったのは、最初に暴走個体と対峙した時のこと。
圧倒的な膂力で鉄塊を振り回すそいつすら吹き飛ばしたあの攻撃である。
「パンチ……ああ、HASCAPの事……って、ゆかりさんの事をなんだと思ってるんですか。あんな威力の物、弟くんに使う訳ないでしょう!」
頬を膨らませたゆかりさんは軽く腰を浮かせると、今度は勢いをつけてどすん! とお腹へ圧し掛かる。
「ぐぇっ!? そ、そうはいってもあんなの見たら警戒したって仕方ないだろ……って何? ハスカップ?」
ハスカップといえば……アレか? 北海道のブルーベリーみたいな。
「高加速衝撃筒装甲貫通システム、High Accelarated Shock-Canister Armor Penetrator、略してHASCAPです」
「は、はぁ……」
「要は腕の内部で小型の質量弾を発射して、その衝撃だけ拳から放つ装置です。重火器の所持が厳しい国内向けの対アンドロイド鎮圧用ですね……そんな警戒しなくても、普段使い用の腕には入ってませんよ」
そう言って手をプラプラと振るゆかりさん。
「だから仕事前に腕変えてたのか。というか、何か合図があってからだと思ってたから虚を突かれたんだよ」
「暴走個体はわざわざ宣言してから攻撃なんて悠長なことはしてくれませんから。それに――」
そこで彼女は一度言葉を区切ると、瞳から色を消して両手をこちらの喉へと伸ばした。細い指が気道と頸動脈に絡みつくような感覚にぞわり、と背筋が震える。走った後の熱はとうに、まだ暗い冬空へと吸い込まれてしまった。
「――もしこれが仕事だったら、死んでたかもしれないんですよ」
「っ、ぁ……」
息が詰まる。
喉を絞められている訳ではなく、ただ指を添わされているだけだ。物理的に苦しくはない。だが、ゆかりさんの感情を消した瞳の奥に、酷く苦し気な澱みが見えた気がした。
これは多分――もう少しでその正体が分かりそうになったちょうどその時、ゆかりさんは手をぱっ、と離していつもの冗談めかした笑みを浮かべた。
「――なんてね。質の悪いブラックジョークという奴です」
「こほッ……でも、このままだと冗談じゃなくなるかもって?」
咳払いをして喉を滑らかにしながら訊くと、ゆかりさんは頷く。
「大分察しが良くなりましたね。そうです、今の所安全な現場が続いていますけどそれは偶々で、廃車置き場の時みたいな状況にいつならないとも限りません。……そしてまた無事に済むとも、ね」
いつもより声が低く聞こえるのは、その言葉に彼女が経験してきた重みがあるからか。
「貴方が何故私の仕事を手伝うなんて言い出したかは分かりませんし、部長から何を言われたのかも知りません。ですが、今のあなたでは力不足です」
はねつけるような言葉に、だが言い返せる余地は少しもなかった。
「……だろうな、さっきのも何で倒れたか言われるまで全然分からなかったし」
むしろ今考えてみれば、最初の二撃は意識を顔へと向ける為にわざと躱させられたような気さえする。だとすればずっとゆかりさんの手の上で踊らされていただけという事だ。
俯きかける自分に対して、ゆかりさんは微笑みを浮かべた。
「そこで素直に認められるのは立派ですし、そもそもこの短期間で私のペースに合わせて走れるようになったのは、本当にすごい事です。ですから、変な意地を張って無理はしないでください……弟くんに、怪我はして欲しくないんです」
不敵なように見せているけれど、何とか繕っているような儚い微笑。胸板に乗せられた手がきゅっ、とジャージを握りしめた事からも、その言葉がただ自分を遠ざけるためではなく、本気で心配してだと分かる。
「……確かに、俺も痛いのは嫌だしな」
「……っ、そうでしょう? なら――」
安堵したような寂しいような表情を浮かべ、口を開きかけるゆかりさんの言葉を手で遮って続ける。
「――だから、ゆかりさんがこうやって鍛えてくれてるんだろ?」