それから数日後。
結局、本当にゆかりさんはこちらの事を多少認めてくれたらしい。
今までは仕事の連絡はゆかりさんだけに入って、そこから間接的に呼ばれて行くという形だったのが、自分にも連絡が自動的に転送されるようになった。
部長からも『頑張ってくれているみたいで嬉しいよ。その調子でよろしく頼む』とのメールが来ていたし、自分の思い込みという訳でもなさそうだ。
尤も――
『下半身への意識が甘いですよ――ッ!』
『ぐっ!?』
『重心が体の外に出てます! ほらっ!』
『ごっ?!』
『絶対に当たる攻撃以外に肩を入れないッ! 取られますよ、こんな風に!』
『ぎッ!?」
『倒れたからといって気を抜かない! 相手は待ってくれません!!』
『がッ……!』
『はい、今日はこれで終わりにしましょう。お疲れさまでした』
『ぐぅ……ぁ、ありがとうございました……』
――翌日から本格的に始まった訓練では容赦なく投げられるし、ダメ出しされるしで、その分ゆかりさんも厳しくもなった感じがするから、単純に喜んでばかりもいられなかった。
一山超えたらもっと高い山が現れたという感じとでもいえばいいのか。この分だといつになれば部長の言う、ゆかりさんと対等になれるのやら。
「はぁ……」
先に続く道の長さと、朝からのハードスケジュールを思い出し、溜息と共に卓袱台へ倒れ込む。
と、すぐに向かい側から嗜めるような声が飛んできた。
「疲れてるのは分かりますけど、その体勢だと逆に疲れが抜けませんよ?」
勿論声の主はゆかりさんである。あかりがこんなご無体な事をいう筈がない。
「……休みぐらい好きに取らせては貰えないんですか」
「何言ってるんですか、弟くんの意見を尊重して『練習』は止めてるでしょう?」
恨みがましく顔を上げて文句を言うも、相変わらずタブレットを手にしたゆかりさんはちらりと不服そうな視線を上げて、にべもなくそう切り捨てた。
「……そっすね」
確かにあの日以来『練習』をしていないのは事実だ。というか、そんな体力の余裕はない。
走り始めた時も無理だと思ったものだが、今度は走るのと違って全身運動だ。足だけでなく全身が悲鳴を上げており、まともに動かせる状況ではなかった。
おかげであかりとする時も、以前やったように入れっぱなしであまり動かずに過ごすというプレイばかりになってしまっている。
幸いあかりはそれでも「おにいさんの体温を感じれてうれしいです」と言ってくれているが、ゆかりさんとの『練習』がそんな生易しいセックスで終わらせて貰えるわけがない。
うっ……想像しただけで更に体が重怠くななった気がする。
平然と朝あれだけ身体を動かして、しかもまた仕事をしているとか、正直ゆかりさんが怖い。
「……というか、仕事以外に本当にやる事無いんだな……何か他にないのかよ?」
疲れている前で働いている様を見せられ、辟易してしまっていた内心をつい口に出してしまう。
ゆかりさんは眉をひそめてこちらをジト目で睨みつけた。
「何ですか弟くんこそ、人の休憩時間に文句をつけて。大体、何かって何ですか。曖昧過ぎです」
「いやそりゃ趣味とか……は特にないんだったっけ……」
「そうですね、特には」
「あー……じゃあほら、興味がある事とか、好きな事とか……」
ゆかりさんはそこでようやくタブレットから視線を上げて、ぐるりと一周黒目を虚空に彷徨わせ。
「……特には無いですね」
…………これが大した趣味もなく社会人になってただ仕事を続けていた人間の末路か。
(やっぱゲームだろうと、趣味とか好きな事って大事なんだな……俺も気を付け――痛っ!?」
「何かいますごく失礼な事考えてませんでした? 考えてましたよね? もう一発デコピンいっておきます?」
「いや、そんなこと考えてませんでしたって! そうじゃなくて……ほら、せめて気になる事とかはないのかなって。趣味とかまではいかなくても、そういうアプローチなら何かいい休日の過ごし方とか思いつくかもってさ。出来る事なら手伝うし」
「……間接的にゆかりさんの過ごし方が悪いと言っているようなものですが、まぁワンパターンなのは確かですからね。そこは甘受しましょう」
ジト目でこちらを睨んでいたゆかりさんだったが、そこで「ふむ……気になる事ですか……」と腕を組んで考え込むと。
「ああ、ありますよ、気になること」
「お、何何?」
「弟くんは休日の日はどうやって過ごしているのかな、って」
「なるほ……ん?」
余計な事を考えていた件から話を逸らそうと、条件反射的に相槌を打ちかけて踏みとどまる。
「いや、何でそうなるんだよ」
「だってあれだけ何か無いのかってて、人の時間の使い方に文句を付けれるんですから、弟くんはさぞかし普段充実した休日を過ごしてるんですよね?」
ニヤニヤとした笑顔浮かべるゆかりさんは、ついにタブレットを横へ置いてこちらへと身を乗り出してくる。
興味半分からかい半分という所だろうか。
「いやいや、俺の事は関係ないだろ……」
「そんなことはないですよ? 御高説を賜る弟くんの過ごし方を参考にすることで、ゆかりさんも充実した休日を過ごせるようになりたいなー、と思うんですよ」
「……嘘だな、ただ単に興味本位なだけだろ」
口の動きから多分そうだろうと予想したのは正解だったらしい。
「あははっ、バレましたか」
あっさりと認めて笑うゆかりさんに、これで追及が止まると安堵と出来たのは束の間だけだった。
「……そうです、ただ単に弟くんの休日の過ごし方に興味があるんです。さっき言ってましたよね? 出来る事なら手伝うって」
「……くっ」
しまった、誤魔化そうと焦ってたとはいえ完全に余計な発言だった。
ゆかりさんは卓袱台から離れると端っこへ移動し、角に畳んだ布団に座ってこちらを楽し気に眺める。
「ほらほら、ゆかりさんはいないものと考えていつも通りの休日を過ごしてみてくださいよ」
「そんなこと言われてもな……」
既にゆかりさんがうちにいる時点でいつも通りじゃないというか……いや、そういえばここの所『練習』が無いからってゆかりさんの部屋に行くんじゃなくて、うちにゆかりさんが来ることの方が多い。
だから一歩……いや五歩くらい譲歩してゆかりさんが部屋にいるのはいいとしよう、だが。
「そんなに見られてて、いつも通りに過ごせるわけ無いだろ」
腰掛けた膝に肘をついていたゆかりさんは、口元を二マつかせたまま首を傾げた。
「えー? ゆかりさんは弟くんを見てるだけで、行動を邪魔するようなことはしてないと思うんですけど。……あ、それとも普段一人だと他の人に見せられないような過ごし方してるんですか?」
「いや、見せられない過ごし方って何だよ」
「そうですね、例えばオナニー三昧とか?」
「ぶほっ!? んな訳ないだろ?!」
「いいんですよ、ゆかりさんは気にしませんから。弟くんがどんなにアブノーマルで変態ちっくなオナニーで、情けない声上げてアヘ顔ダブルピース晒してても」
「勝手に人を変態の頂点みたいな存在にしないでくれる!?」
「勿論あかりちゃんにも言いませんから」
「だからしてないって! ……はぁ」
突然キャッチボールに手榴弾を混入したゆかりさんは、こちらの反応に満足したのかニヤニヤしているが、こっちは今の一連のやりとりで疲れが倍増した気分だ。
これ以上ゆかりさんの相手をして疲れるよりはいいだろうと、ゆかりさんに背を向けてゲームとモニタを起動する。
「あーもう……! 何期待してるのか知らないけど、何も面白い事が無いからって文句言うなよ?」
「ふふっ、そんな文句なんて言いませんよー。ささ、普段通り普段通り」
いや、その笑い方は信用ならないんだが……もういいや。
――――
「何ていうか、無駄が多いですね」
ゆかりさんがそんなことを言い出したのは、ゲームを始めてから一時間位経ってからだった。
プレイしているのはこの間あかりと(プレイしながら)プレイしていた、例の美しい世界を守る為に宇宙人と戦うTPSである。
「……さっき文句なんて言わないって言ってなかったか?」
何ステージかに一回混入している、お約束の鬼畜物量ステージに六回連続でゲームオーバーした所への茶々だったせいで、口調が多少ぶっきらぼうになってしまったが、ゆかりさんは微塵も気にした様子もなく続ける。
「それは過ごし方自体に文句を言わないと言うことです。それに、文句ではなくてただの指摘ですから」
何だか腑に落ちない気もするが、確かに最後の方は低い体力からくる焦りでお願いローリングを繰り返していた自覚があるし、言い返しづらい。
だが素直に認めてしまうのは悔しいし、何より一介のゲーム好きとして、プレイもせずに隣で見ているだけでそんな事を言われるのは癪だ。
「……じゃあ、そんな風に言うゆかりさんはどうなんだよ」
「え?」
ニヤニヤとしていたゆかりさんの顔がきょとんとしたものに変わったのに、今度はこちらがニヤリと口角を上げた。
「だって人のプレイングに指摘入れるって事は、自分の方が上手くやれると思ってるんだろ? だったらゆかりさんが直接プレイして見せてくれよ」
まんま先ほどゆかりさんにやられたのの意趣返しである。
「そうは言われても、ゲームなんてやったことが無いんですが……」
困ったような表情を浮かべるゆかりさんだが、ゲームをやったことが無いと聞いてはますます引き下がれない。エアプでプレイングにケチをつけるなど、俺は絶対に認めない。
「大丈夫だって、操作方法は教えるから。ゲームなんて気楽に失敗して覚えるものだし。はい、コントローラー」
「そんなこと言って口元がすっごく楽しそうじゃないですか!」
おっといかん。
「……いや? そんなことは無いぞ。ほら、諦めてコントローラー受けとれよ」
両手を振って断ろうとするゆかりさんにコントローラーを押し付け、先ほどまで自分が座っていたモニタの真ん前に座らせ、その後ろに座る。
「ほら、コントローラー構えて」
「そ、そうは言ってもゆかりさん、持ち方からしてそもそも分かんないんですけど」
そう言って彼女は困り顔でこちらを振り向く。どうやら先ほどはモニターの方にばかり注目していて、こちらの手元は見ていなかったらしい。
「いや持ち方って言っても握りやすいように普通に持てばいいだろ」
「普通ってなんですか普通って! ……こうですか?」
おっかなびっくりコントローラーを握るゆかりさんだが……いや、それだと握ってるだけで碌にボタンが押せない。まさか操作以前に詰まるとは、本当にやった事がないのか。
「大体それでいいけど、それじゃあL、R……上のボタンが押せないだろ。ほら、親指をスティックにおいて中指を上のボタンに軽くかけて――いや、それだとボタン押しっぱなしになるから」
とはいえ改めて口だけでコントローラーの持ち方を説明するというのも、子供のころからゲームに親しんできた身としては難しい。
「あー……直接フォーム直すぞ?」
「ちょ、ちょっと弟くん!?」
「ゆかりさん力が入りすぎなんだよ、もっと軽く持っていいというか、軽く持った方がいいんだって」
案の定ガチガチに握りこまれていたゆかりさんの手に手を重ねて、無駄な力を抜かせ、ボタンが反応しない程度に軽く指を乗せさせる。
「お、終わりました……?」
漸くどこかぎこちないもののコントローラーを握らせた所で、視線を手元から顔を上げる。
「あっ……あー、いきなり手触って悪かった」
ゆかりさんの顔がほんのりと赤みを帯びていて、さっきまで自分が手をベタベタ触ってしまっていたのに気付いた。
「そんな、謝られるような事ではないですから……」
「い、いや……こっちもちゃんと了承取ってからやれば良かったし……」
しかも、ゆかりさんの様子も揶揄おうとしてるというより、本当に恥ずかしいというか照れているという感じで、予想外な反応に何だかこっちまで若干気まずくなって視線を逸らしてしまう。
(いや何だよこの空気!? ゆかりさんも今更手が触ったくらい何てことないレベルの接触なんて、散々やってきだただろ?!)
「そ、それで! どうやって操作するんですか?」
「あ、ああ。そうだったな、先ずは――」
危うくよく分からない空気に呑み込まれる寸前で本題を何とか思い出す。ボタンはちゃんと名前がついているから言葉で十分説明できるだろうし、これ以上変な事にはならないだろう。
そう思いながらも、どことなくくすぐったい雰囲気が漂って――いたのは、ものの十分ほどだった。
ちょっと用事が入ってたせいで遅くなりました、申し訳ない