※この作品はR-18です。

お隣りゆかりさんとのセイカツ!!   作:真喜屋五木路

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四、楽しい? 鍋パーティー

 

――うん。この時のことも、ゆかりさんへの苦手指数を上げる要因になっているんじゃないだろうか。

別にゆかりさんの事が嫌いな訳ではない。このやり取りだって、俺とあかりの事を考えてなのだという事も分かるし、感謝しているのも本当だ。

 

ただ、どうにも本心が掴めないというか、どれが彼女の素なのか分からないというか、何処までが冗談でどこまでが本気なのか読みづらいというか……兎に角一言で言ってしまうと、やっぱり苦手と言うほかなかった。

何はともあれ、こうして隣の空き部屋に押しかけてきたゆかりさんは、それ以降、度々家に上がり込むようになった。いや度々というかほぼ毎日。それも、決まって自分がいない時に。

 

試験と勉強の疲れを背負って帰ると、当たり前のようにあかりと一緒にゆかりさんがいて、自分と入れ替わりに帰っていく。あかりから「おにいさんがいない時には大抵来てくれるので、一緒にお話ししてるんです」等と聞いた時には『自分は忙しくてあかりと一緒にいれる時間もろくに取れないのに……』という嫉妬みたいな感情を覚えた程だ。

 

だが冷静になった今考えてみれば、それは平日毎日、しかも日中にあかりと一緒にいたという事だ。どう考えたって働いていては出来ないだろう。そう思って以前聞いてみた時には「今はあなたとあかりちゃんのサポートと、実験の記録が主なお仕事ですから。それにちゃんと回収課としての仕事もしてますので」と流された。

だが、帰り際に少し交わされるあかりとのやり取りを聞くに、どう考えても仕事してるとは思えない。実は密かに社内ニートだったりして、なんて思っているのだが――

 

「……痛っ!」

 

――と、そこまで考えたところで足の小指に痛みが走る。見れば、ゆかりさんの踵が右の足に乗せられていた。

 

「何か今、失礼な事考えてませんでしたか?」

「……いや。別に?」

 

しばらく湿度100%のじとーーっとした目で睨んできたゆかりさんだったが、あかりがオロオロし始めたのに気づいて「ま、いいでしょう」と引き下がる。

 

「それではつみれをさっさと投入して、後は向こうのカセットコンロでやっちゃいませんか? 私も一人で待ってるのは退屈になってきたのでこちらを覗いたわけですし」

 

……ああ、そうだったと、ゆかりさんが今日うちにいる理由を思い出す。あかりの発案で、お隣に越してきた歓迎会兼お世話になったお礼に、鍋パーティーをしようという事になったのだ。

何でもあかりが家に来るまで、メンテナンスや経過観察でAHS社にいた間、ゆかりさんがあかりの事に関して世話を焼いてくれていたらしい。現にあかりはゆかりの事を『ゆかりお姉ちゃん』と呼んでいる程度には懐いている。

……自分の名前は呼んでくれないのに。

嫉妬とギクシャクしている事に対する苛立ち、二つが混じった澱みを飲み込み頷いた。

 

「ま、確かに主賓を放っておくってのもどうかと思うし……もう切ったりするような食材は無いよな、あかり?」

「あ、大丈夫です。後はお肉とつみれを入れるだけですよ」

「オーケー、じゃあ鍋は俺が持っていくから場所代わってくれないか」

 

鍋の前に立っているあかりはそれを聞いて、首を大きく横に振る。良く食べるあかりの事を考えて、家で一番大きな鍋になみなみと具材を入れているから、とても重く持てないと思うのだが……あかりは頑として動く気が無いようだった。

 

「いえ、これくらい大丈夫です。私が運びますから――」

「はいはい、あかりちゃん。折角お兄さんがそう言ってくれてるんですから、先に行きましょう」

「あっ、ちょっと、ゆかりお姉ちゃん――!?」

 

思わぬ方向からの介入だったからか、あかりはゆかりさんに引っ張られるまま和室へ連行されていった。

手伝おうとしてくれるのは嬉しいけど、無理することは無いのにな。その様子を見送ってから、鍋を掴んで二人に続く。

 

――☆☽――

 

ゆかりさんとあかりは炬燵に向かい合わせで座っていて、自分も携帯コンロに鍋を下ろし、空いた角に足を入れる。

 

「あー、炬燵に鍋……冬って感じがするよなぁ」

「そうですね、私も炬燵は使わないですけど、鍋を見て冬を感じるのは分かります」

 

つみれを丸めて入れながらの言葉に応えたのは、あかりでなくゆかりさんだった。

 

「まあゆかりさんは人間社会での生活、長いって言ってたしね。鍋は作るのも楽だし、助かるよな」

「いえ、私は自分で作ったりは……。どちらかと言うと飲みに誘われて、って感じですかね。冬だと忘年会とか新年会とか」

 

まさか飲み会にまで出てるのか、思った以上に人間社会に馴染んでいてちょっと驚く。

と、そこでゆかりさんは思い出したように、部屋の端っこに置いてあったビニール袋を引っ張り寄せて、中に手を突っ込んだ。

 

「――と言う訳で、私もただご馳走になるだけだと悪いので、差し入れです! はい、どうぞ!」

「ってコレ酒じゃねーか! 何で酒持ってきてるんだよ」

「いーじゃないですか、皆で食べるご飯にはお酒と相場が決まっているんです。お兄さんも別に飛び級してるって訳じゃないんですから、飲める年齢でしょう? それに、聞いたことがありますよ。大学生と言うものは受験が終わった解放感と、大学生になって大人ぶりたくて、新歓とかいうやつで――」

「あー、あー、聞こえん聞こえん! 分かったから、一番左のビールを!」

「お、なかなかいいチョイスですね。ゆかりさんもそこのやつが一番飲みやすいです」

 

少しばかり痛い過去を突かれて、誤魔化すように並べられた缶の内一本を指さすと、ゆかりさんはニヤっとした笑みを浮かべてそれを手渡してくる。

 

「あかりちゃんにも勿論用意してますよ、はいどーぞ」

「あっ、ありがとうゆかりお姉ちゃん」

「ちょっと待っ――いや、大丈夫か」

 

一瞬あかりにお酒を手渡したのかと思って焦ったが、ちゃんとジュースを渡していると分かってホッと溜息をつく。ふと横を見ると、ゆかりさんが三日月みたいな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 

「……本っ当、『過保護』ですよねー、『お兄さん』ったら」

 

恐らくゆかりさんとしては、いつもの様にあかりとの仲をからかってきただけなのだろう。だけど昨日の事もあってか、思わず向かいに座るあかりの方を見てしまい、目が合ってしまう。

気まずい空気が流れそうになり、慌てて手元の缶を開けると、プシュッという炭酸の音が時を再び動かし始めた。

 

「……うっせ。いいからほら、全員に飲み物回ったんだしさっさと乾杯して食べるぞ。あんまり火を入れすぎると今度は具材が溶ける」

コップに注いだビールを鍋の上に掲げると、すぐに二人もそれに倣い、各々の飲み物がちゃぶ台の上でカロン!と小気味良い音を立ててぶつかった。

 

「「乾杯!」」

 

流石にゆかりさんは飲み会にも出ていると言っていただけあり、こちらの掛け声とぴったり同タイミングでコップをぶつけてくる。

 

「――か、かんぱいっ?」

 

一方あかりとはこういうことをしたことがないせいか、掛け声もちょっとタイミングが遅れてしまう。慌てなくていいと、もう一回三人でタイミングを合わせてやり直してから、ビールに口をつけた。

 

「――っはー、久しぶりに飲んだ気がするな……いや、気がするんじゃなくて実際久しぶりか」

 

四分の一ほどを飲んで一息入れる。そもそも一人だとあんまり飲む気にならない、と言うのもあるが、最近はテストやあかりを巡っての一件だとかで、飲む機会が無かったなと思い出す。

 

「おや、そうでしたか。では気を付けてくださいね? 最近お疲れみたいですし、そう言う時はいつもより早く酔いが回りますから」

 

左隣に座るゆかりさんはそんなことを言いつつ、既に一杯目を空にして缶から次の一杯を注いでいた。

 

「いや、ゆかりさんこそ大丈夫なのかよそんなペースで」

「平気ですよ、自分の限界も加減も分かってますから。んっんっんっ――」

 

そう言いつつ、二杯目もぐいぐい空けていくゆかりさん。一応飲んでるのがやたらアルコール度数が高い奴ではない事だけ確認して、内心溜息をつく。

 

(……まあ、少なくとも本人曰く年上らしいしあんまりうるさく言うのもな)

 

介護するようなことにならなきゃいいけどと思いつつ、つい自分もそのペースにつられて、気づけば一杯目を空けてしまっていた。

 

「……お酒って、そんなに美味しいんですか?」

 

コップが空いているのも気になるからと、二杯目を注ぐだけ注いでおくかと缶を持ったところで。ちゃぶ台の向こうに座るあかりが興味深げにビールの缶を見つめていた。

 

「んー……難しいな。美味しいっちゃ美味しいんだけど……多分あかりが期待している美味しさとは違うんじゃないかな」

「そうなんですか……」

 

あかりはそれを聞いて少し寂し気に自分のコップへと口をつける。

もしかして、今のも何かあかりにとっての地雷を踏んでしまったんだろうか? 尽きない不安に駆られて彼女の様子を盗み見ていた次の瞬間、その顔がぼんっ、と赤く染まった。

 

「……あかり?」

「……はにゃ? にゃんですか~、おにーさん?」

 

目尻を蕩けさせたあかりは、へにゃっとした笑みを浮かべて答えてくる。

……おい、まさか。

慌ててあかりが飲んでいたジュースの缶をひったくる様にして近くで見る。

 

「おい! これやっぱり酒じゃねーか!」

 

一見ジュースっぽいパッケージなせいで気づかなかったが、しっかりと端っこにアルコール分がパーセント表記で書かれていた。

幸いにしてそこまで高いアルコール濃度ではないが、目の前のあかりはどう見たって完全に出来上がっている状態で。

 

「大丈夫か、あかり?」

「えへー、だいじょぶですよー」

 

ぽわぽわと答えるあかり。今の所体調が悪い訳では無いようだが……隣にいたゆかりさんに睨むような視線を向ける。

 

「ちょっとゆかりさん、しっかりしてくれよ。というかこれ、あかりは大丈夫なのか? 後々ヤバくなったりしないよな?」

「やー……すいません。私もてっきりジュースだとばっかり思い込んでて。でも、あかりちゃんについては多分大丈夫だと思いますよ」

 

ゆかりさんは少し気まずそうに謝りながらも落ち着いていた。

 

「さっき言ったみたいに若干私達は人間と消化プロセスが違いますし、例え毒物を摂取しても修復不能なダメージを負う事はないですから」

「……本当か? こんな状態なのに?」

 

小さくふらふらと左右に揺れるあかり。なんだか昔流行った、太陽電池で首を振る置物を思い出しそうだ。

 

「確かに私の時よりちょっと過敏な気もしますが……まあ、初めてだとこんなものでしょう。次からは調節機能が学習してここまで急に酔ったようにはならない筈です」

 

ゆかりさんの方がボイスロイドの構造について詳しいのは事実だし、あかりも苦しそうって訳では無いが――釈然としないものを感じつつも、あかりの手からコップを取り上げ、中身を飲み干す。

 

「あー、あかりのがー……」

 

情けなく口惜しそうな声を上げるあかりの抗議を無視して、今度こそちゃんと自分で確認したジュースを注いだ。

 

「あかりはまだ飲める年齢じゃないからこれにしとこう、な?」

「むー……おにいさんとゆかりさんだけ、ずるーい!」

 

あかりは不満を頬に貯め込んでむくれ顔を作るが、かつて失敗した経験がある者として譲る訳にはいかない。お酒への興味を逸らすため、あかりの取り皿へ適当に鍋の具材を入れていく。

 

「それにほら、今日のメインは鍋なんだから、こっちを味わわないと」

 

じーっと自分の皿へ入れられる具材を凝視していたあかりは、取り皿を目の前に置かれるや否や、コップは横に、早速鍋を食べ始めた。

 

「んー、おいしー」

 

よし、何とかなったか。

 

――☽――

 

一先ず解決したと内心ため息をついたその十分後――

あかりは箸を握ったまま、すやすやとちゃぶ台に頬をくっつけ寝てしまっていた。それでも器に入れられた分は綺麗に食べ上げている所は流石と言ったところだが。

 

「……本っ当に大丈夫なんだよな?」

「心配性ですねぇ……こう言っちゃなんですが、一応ボイスロイドに年齢はありますけど、構造上は完成しているのでお酒ぐらい平気ですよ。それにほとんどお兄さんが飲んじゃいましたしね」

 

恐々とあかりの様子を見守る自分とは対照的に、ゆかりさんはのんびりと鍋をつついている。

あまりの暢気さに、あかりと上手く行っていないことも相まって、思わず声が苛立ってしまう。

 

「ちょっと、あまりに適当過ぎないか?」

「適当と言われましても……事実ですし。それとも、貴方の方があかりについて詳しいとでも? 仕様は? メンテナンス推奨期間は? あかりと暮らすうえで必要な事は把握してます?」

「それは――確かにまだそういった細かい事は知らないけど、ゆかりさんよりはあかり自身の事については分かってるつもりだが」

 

苛々としていたし、お酒も入っていたし、感情的になってもいた。

だから思わず正論に対する反発で、売り言葉に買い言葉でそう返してしまって。

 

「――へぇ、そうですか。分かっているつもり……ね。あんなにぎくしゃくしておいて?」

「――っ!」

 

スッと鋭く細められたゆかりさんの目に射抜かれる。

 

「何ですか、その意外そうな顔は? まさかあれだけ噛み合っていなかったのに、気づかれてないなんて思ってたんですか? ……いえ、どちらかというと改めて指摘されてショックだったといったところでしょうか」

 

まじまじと心の内側を覗くような視線を突きつけたまま、ゆかりさんはゆったりとコップに口をつけた。

それとは対照的に、乾いて声が出ない喉を潤すため、一気にコップへ残っていた酒を煽って視線を逸らした。

 

「……別に大したことじゃない。そんな時だってあるもんだろ」

「まあそうですね。そういう時だってあるものです」

 

ゆかりさんはそこで言葉をいったん切ると、コップを置いてこちらへと向き直った。

 

「ですけど、知っていますか? 昨日、少なくとも貴方が帰って来る前まで、あかりさんはあなたに時間が出来ることをとても楽しみにしていたんですよ? やっとゆっくり一緒に過ごすことが出来ると屈託のない笑顔を浮かべていました。……それなのに、今日の彼女はどうですか」

 

ゆかりさんはあかりの頭をふわりと撫でる。それでも起きないのを確かめると、慣れた手つきで端に畳まれていた布団を敷いて、あかりを寝かせた。

 

「まるで貴方に嫌われていないかと言うようにビクビク様子をうかがって、だけどど不安にさせないようにと必死に笑顔を取り繕って……それでも自分の方があかりの事を分かっているなんて、本気で言えるんですか?」

 

呻く事すら出来なかった。

ただ膝の上で握りしめた拳を見る事しかできなかった。

ゆかりさんは静かな口調で淡々と言った。怒っているわけでも、呆れるわけでもなく、ただ事実を確認するように。だからこそその言葉は容赦なく、鋭利に心へと突き刺さる。

 

耳鳴りがするほどの静寂が部屋の中を支配する。

長い沈黙を破ったのはゆかりさんの溜息だった。

 

「……まあ、その様子を見る限り自覚はあるようですしね。私も少々感情的になりすぎました、すいません」

 

そう言ってゆかりさんが再び座る気配がして、ややもせず飲み物を注がれたコップが差し出された。

 

「それで、こうなった心当たりはあるんですか?」

 

喉がカラカラに乾いてしまっていることに気付いて、一口潤してから話し始める。

 

「まあ、多分これだろうなって事は……」

「随分ぼかした答えですね。あんまりこれだっていう確信がない感じですか」

「いや、確信がないわけじゃないけど……言い辛いというか、プライベートな事と言うか……」

 

多分と言うか、間違いなく昨日の一件が原因だ。それまではいつもの様に話せてたし、あかりも苦しそうな笑顔を浮かべることは無かった。

とはいえそれをストレートに言うのは抵抗感がある。セックスが上手く行かなかったので、なんかぎくしゃくしてますだなんて――

 

「――ああ、セックスが上手く行かなかったんですね」

「……あの、もう少しこう……言い方は無いですか」

「成程、やはりそれで間違いないと」

 

ゆかりさんはこちらの抗議をさらっと無視して、ふむ、と手を顎に真面目な顔で頷く。

 

「とはいえ、もう少し詳しく状況を聞かないと判断に困りますね。それで、一体何をやらかしたんですか?」

「やらかしたって……言わないと駄目なんでしょうか、それは」

 

遠慮なくずかずかと踏み込んでくるゆかりさんに思わず苦言を呈するが、彼女は悪びれもせずに言い放った。

 

「駄目です。貴方が一人で解決できるというならそこまで聞く必要も無いのですけど、どうやらそういう訳でも無いようですから」

「いや、それは……そう、だけど……」

 

確かにそうだ。

朝起きてから何となくあかりとの距離がおかしくなってしまって、何とかしなきゃと思って色々やってはみた。

試験期間中頼りきっていた家事を手伝ってみたり、元気づけようと買い物ついでにあかりが好きそうなおやつを勧めてみたり、昨日の事を思い出させないようベタベタしないように気を付けたり――

 

――けれど、どれも上手く行かないどころか、さっき鍋の用意をしている時なんて朝の時以上に悪くなってしまってすらいて。

そんな一人では解決できないという無力感と、セックスの事を人に話すなんてという常識的な羞恥の板挟みに葛藤していると、ぽん、と優しく肩にぬくもりが触れる。

 

いつの間にか俯いてしまっていた視線を上に向けると、先ほどの厳しい顔から一転して、こちらを気遣うような表情を浮かべたゆかりさんが肩に手を載せていた。

 

「言い辛い事なのは分かります、プライベートな事ですしね。ですけど、このままお兄さんとあかりちゃんが上手くいかないと……あまり言いたくないですけど、今回の社会実験も中止……なんて可能性も無いわけでは無いんです」

「――っ!」

 

最悪の想像が頭を過って、心臓が潰れそうなほど縮み上がった。頭が白くなって、思わず率直な心情が口を衝く。

 

「それは――それは、嫌だ」

「分かってます。私があかりちゃんを回収しようとした時のお兄さんの様子を見てれば、決して一時の気の迷いなどではないって。そして、あかりちゃんがどれだけお兄さんの事を本気で思っているかも」

 

宥めるみたいにゆっくりとした口調に、少しだけ張り詰めていた緊張が緩んだところで、ゆかりさんは優しく笑んだ。

 

「だから、話してくれませんか? どういう状況かにもよりますが、私も出来る限り協力したいんです。それにもともと、二人が上手く行くように手伝うというのが今の私の仕事ですから、困ってるなら遠慮なく頼ってください。カウンセリングだとでも思って」

 

そういえばここに来た初日にそんなことを言っていたな、と思い出す。

確かに一人ではこれ以上上手くいく気がしないし、ゆかりさんはあかりともよく話していた訳だし、相談するには最適な相手だ――そう思って口を開いてはみるものの、やっぱり抵抗が無くなった訳ではなく、声を出すまでには至らない。

 

そんな状況を辛抱強く待ってくれていたゆかりさんだったが、言葉を発せないまま口を閉じてしまった所で、少し困ったように口を開いた。

 

「これでもまだ、話しづらいでしょうか?」

「ごめん、ちょっと。今は頼った方がいい状況なのは分かってるんだけど……」

「そうですか、これでも話しづらいなら……そうですね」

 

ゆかりさんの手が肩から離れて、ぽん、と頭の上に乗せられた。

何をして――そう訊く前に、手が優しく頭を撫で始めた。

 

「私の方が年上なんですから、人生の先輩に頼るつもり――ではちょっと固いですから……。うん、私の事をお姉さんだとでも思って話してみてはくれないでしょうか。弟くん」

 

突然の事に、『弟くん』というのが自分の事を指しているのだと気づくまでに数秒かかり、ついで子ども扱いされているような恥ずかしさが襲ってきた。

 

「いやいや、流石にそれは……」

「お姉さんで不足なら、お母さんでもいいですよ?」

「いやいやいや……っ! 分かった、言うから! せめてお姉さんまでにしといてください……」

 

とっさにお母さんよりはましとそう言ってしまったが、少し考えれば血縁でもないのにお姉さんというのも大概である。

慌てて訂正しようとするも、ゆかりさんは「言うと言ったんだから、先にそっちを言ってからにしてくださいね、弟くん?」と頑として聞いてくれず。

 

結局、昨日あった事を細かく、正直に白状するまで弟くん呼びを続けられてしまった。

 

「……成程、だいたい状況は分かりました」

「分かっていただけたら、そろそろ弟くんという呼び方は……」

「まあまあそれより、先にあかりちゃんとぎくしゃくしてるのを解決する方を優先しましょう」

「何かいい方法があるのか!?」

 

ゆかりさんの言葉が垂らされたクモの糸のように見えて、思わず彼女の肩を掴んでしまう。呼び方なんてもう頭の中からすっぽ抜けていた。

 

「ちょっと、落ち着いてください弟くん。早く何とかしたいという気持ちは分かりますが、焦っちゃ駄目です。大きな声をだしたらあかりちゃんも起きちゃいますよ?」

 

思いのほかゆかりさんは力があるのか、グイっと両肩を逆につかまれ引き剥がされる。

 

「あっ! 悪い……。それで、一体どうすればいいんだ?」

「そこは説明するより実践した方が早いのですが――流石に今ここでっていう訳にはいかないですね」

 

ゆかりさんは、起こしちゃまずいでしょうと言うように、ちらりとあかりへ視線を送る。

 

「とはいえ、やっぱり早い方がいいですよね?」

「そりゃ勿論、出来るなら今すぐにだって」

「ふふっ、弟くんならそう答えてくれると思ってました」

 

ゆかりさんは立ち上がり、あかりにしっかりと布団をかぶせてから、こちらへ振り向き手を差し出した。

 

「それでは弟くん、ついて来てください。ちょっと場所を移しましょう」

 

 




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