あの日以来、ゆかりさんが家に来る機会がぐっと増えた。
思い出してみれば、今まであかりがいない時にゆかりさんといることは多かったが、あかりがいる時にゆかりさんがいる事は少なかった。
勿論仕事の時は「借りますよ」と断ってから呼ばれたり、朝の訓練は相変わらずに続いていたけれど、三人でいるというのは不思議と今まで殆どなかったように思う。せいぜい鍋パーティーの時ぐらいだろうか。
否、考えてみれば不思議も何も、ゆかりさんは俺とあかりが揃った時点で、なんやかんやと理由をつけてすぐに立ち去っていたような気がする。
だが最近では――
「ゆかりお姉ちゃん! 今日はどうかな?」
日課である朝の訓練が終わって、卓袱台を囲んでの朝食中。今日はお休みのあかりが、向かいに座ったゆかりさんの方へと身を乗り出した。
一見曖昧な質問だが、「今日は一緒に過ごせる時間があるかな?」という意味であることは、もう何度も繰り返されて三人の共通理解になっていた。
「あー、今日はですね……」
そしてこれもまたお約束のように、ゆかりさんが困ったように目線をくるりと一回転させ、こちらに答えを求める。
「そうだな、忙しくないなら付き合ってあげて欲しいけど、どうなんだ?」
ゆかりさんはあかりに誘われると、毎回何故か俺に対して確認を取り、そして今みたく申し訳なさそうな笑みを一瞬浮かべるのだった。
「……急ぎの用が入らなければ大丈夫ですよ」
尤も、その笑みは極めて注意を払わなければ分からない程の時間で自然に見える笑みへと変わってしまう。
ゆかりさんに訓練でも『練習』でも扱かれ続け、観察力が鍛えられた今だからこそ分かる程の、僅かな変化だ。
現にあかりに一切気づいたそぶりはない。如何にも緊張したような表情を浮かべつつも、更に体をちゃぶ台の上へと乗り出す。
「それなら! 今日もまたゲームにアドバイス貰えませんか!!」
「勿論、いいですよ」
疑問形だけど断定形なあかりの勢いに、ゆかりさんも思わず素の苦笑を浮かべて頷くと、あかりは満面の笑みで諸手を上げた。
「やったー!」
まるで初めてOKを貰ったかのような反応だが、これがいつもの反応である。
――とまあこんな感じに、あかりに誘われる形でゆかりさんがうちにいることが多くなった。
(……というか、下手したら最近あかりよりゆかりさんがいる事の方が多い気がするんだよなぁ)
何せあかりが休みの時は大抵今みたいにゆかりさんを誘うし、逆にあかりが仕事の時も、いつもではないとはいえ比率で言えばやはりゆかりさんが家にいる方が多いのだ。
それに先ほどまで遠慮がちなやり取りをしていたゆかりさんだって、タブレットと充電器はこちらに置いているし、ご飯は完全に俺かあかり任せだし、すっかりこの部屋に馴染んでしまっている。
睡眠以外は、実質三人で同居状態と言った方がいいかも知れない。
「……ところで、本当に大丈夫なのかよ?」
あかりがご飯をお替りしに台所へ立った隙に、ゆかりさんへ訊ねる。
「何がですか?」
「何がって――いっつも仕事ばっかりだったのに、こんなあかりに付き合って……いや、あかりに付き合ってくれること自体はいいんだけど、仕事に支障をきたさないのか?」
そこまで言って漸くゆかりさんは漸く得心したらしく、「ああ」と短く呟いた。
「問題ありませんよ。前も言いませんでしたっけ、あれは必須というより仕事に関係する個人的な調べものだって。必須のものはちゃんとこなしてますから」
「それならいいんだが……」
迷惑を描けていないと知って安堵すると同時に、必須でない個人的な調べものって何だよと、相変わらずの仕事狂っぷりに背筋が冷える。
(……いや、これでも今はあかりに付き合うことが増えた分、以前よりはマシになってるのか)
それはそれで安心したような怖いような……。
「何ですか、そんなにじろじろ見て」
指摘され、思わず食事の手を止めてしまっていたのに気づいた。
「ああいや、ちょっと考え事をな」
「……碌な考え事じゃ無い気がするんですが?」
「いやいや、それは気にしすぎだって」
やはり鋭い、さり気なく視線を彼女から朝食へと戻したつもりだったのだが。内心冷や汗を浮かべつつ、無罪アピールの為笑みを向ける。
「……ゆかりさん?」
だが、視界に入ったゆかりさんの表情は訝しむようなものではなかった。
いろんな感情が入り乱れた複雑で読み取れない、けれど何処か寂しげな目が、真っすぐこちらを見据えている。
「――っ、お……」
ほんの一瞬見つめ合って、ゆかりさんが口を開きかけようとしたその時だった。
ガラリ――
元気よく開いた襖の方を振り向くと、山盛りのご飯を手にしたあかりが立っていた。
「どうしたんですかおにいさんもお姉ちゃんも? ……もしかして今日の朝ごはん、何か失敗してましたか?」
心配そうに尋ねてくるあかりに、そういえば彼女が台所へ行っている間、一口もご飯に手を付けていなかったことに気付く。
「いやそんな事無いって、ちょっとゆかりさんと話し込んでただけだから。な?」
「ええ、少し仕事のことについて弟くんから質問を貰ってたんです」
「そうそう」
咄嗟に水を向けたにもかかわらず、自然な笑みを浮かべるゆかりさんに合わせて頷くと、「そうだったんですか」とあかりは納得して席に着いた。
……うん、嘘はついていない。仕事が大丈夫か聞いたのは事実だし。いや、というかそもそも隠す様な内容の話なんてしてない筈なのだが。
そう一人で言い訳しつつも、あかりがいる前でゆかりさんが先ほど何を言いかけたのか聞く気にはなれなかった。
しかし、だからといってそれが気にならない訳ではない。何か言いにくそうな様子だったし、何か重要な事でもあったのだろうか――そんな喉に引っかかった小骨のような蟠りは、一時間もしないうちにあっさり抜け落ちてしまっていた。
「あーあ、どうしたんですか弟くん。今日は一段と操作にキレが無いですよー?」
「んな事は分かってる!」
くそう、その原因はさっきのゆかりさんのせいなんだが。
朝食後に始めたゲームのプレイングへ後ろから茶々を入れる彼女は、すっかりいつも通りの調子だった。
「あ、あかりちゃん、そこは右に回避!」
「わ! こう!?」
「そうそう、反応はよくなったので、後はちょっとした隙に左上のマップを見れるようになれば完璧ですね」
そしてあかりに対してもいつもの様に丁寧なアドバイスを……。
「……前から思ってたけど、やっぱりあかりに対してと俺に対してで扱いの差がありすぎない!?」
ステージが終わった瞬間、武器と装甲を集めるのも放棄し、後ろへ振り返りざま、ゆかりさんに今まで溜まっていた鬱憤をぶつける。
「えー? ゆかりさんとしては公平に接してるつもりですけど?」
「どこがだよ!」
「だって、あかりちゃんはアドバイスが欲しいって言ったからアドバイスをしていて、弟くんは色々言っても良いって認めてたから、色々言ってるだけです。 ね? それぞれ言われた通りじゃないですか?」
膝に頬杖をついたままゆかりさんは、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。絶対わざとやっている。
「いや、確かに認めたは認めたけど、それは上手くなりたいからであってだな……せめて俺の方にももう少し具体的に言って欲しいんだが」
「でも弟くんだって、今までみたいに弄って……アドバイスでも着実に上手くなってるじゃないですか」
「今聞き間違えようもないくらいはっきり『弄って』って言ったよな!?」
「あははっ、何のことですかねー?」
この様子だと言い間違えすらわざとなのだろう。
確かにゆかりさんのいう通り、動きが甘かった所を指摘されるだけでもありがたいと言えばありがたい。
一人で上達しようとすれば、何処が良くなかったのを自分で当たりをつけて探さなければならない所を、いきなり直せばいい所をピンポイントで指摘してくれるのだ。あとはその点を気をつけたり、タイミングを慣らしていけばいい。
お陰で回避の無敵時間を今まで間違って把握していた事などにも気付けて、確かに上手くはなっている。
が、当然丁寧にアドバイスを貰っているあかりはその何倍ものスピードで上達するわけで、前までこちらがそれとなくサポートしていたひよっこあかり新兵は、いつの間にか頼れる相棒ぐらいの実力に追いつかれてしまっていた。
勿論今やってるのはPVPでなくPVEだからあかりが上手くなる分には構わない……構わないのだけれど、やっぱり一ゲーマーとして、あっさり追いつかれてしまって悔しいという気持ちもある訳で。
「……でも、やっぱせめて、もう少し詳しく言ってくれても良いんじゃないか?」
「それなら最初からアドバイスが欲しいって言えばよかったじゃないですか。つまり弟くんは、ゆかりさんに弄られるのを望んでいたってことじゃないですか?」
「違うわ! 人に変な趣味を押し付けないでくれる?! 丁寧にアドバイスしてくれるならそっちの方がいいに決まってるだろ」
「そうは言われても、もう弟くんに対してはそういう口の気分じゃないので……」
「人の扱いを今晩の夕食みたいなノリで決めるなよ!?」
ゆかりさんとの応酬に段々熱くなりかけている所へ、楽しそうな笑い声が割って入る。
「ふふ、ゆかりお姉ちゃんとおにいさん、仲がいいんですね」
「「そう言う訳じゃ……」」
いやこれはただ単に弄られてるのに対して突っ込み返してるだけだから、と慌てて否定しようとした声が綺麗にゆかりさんと重なった。
「ほら、息もぴったり」
ゆかりさんと仲良くした(ように見えた)せいであかりに妬かれたのかとも思ったのだが、そういう訳では無いらしい。
ただ、ゆかりさんと仲がいいと言われるのはどこか気まずい気分だった。
ますます可笑しいというように笑うあかりの方から視線を戻して顔を見合わせると、ゆかりさんは歯がゆいような釈然としないような表情を浮かべている。
いや、そんな目で見られてもこっちも似たような感じなんだが。
けれど、あかりにこの空気は伝わっていなかったらしい。
「……それなら、お昼からは三人でお出かけしませんか?」
笑いの落ち着いたあかりは、にこにことしたまま突然そんな事を提案してきた。
というか、何が「それなら」何だろうか。前後の関係がよく分からなかったが、あかりに「いいですよね?」と念押しされて、特に用事もないしと反射的に頷いてしまった。
「あの、私は……」
「ゆかりお姉ちゃんも、今日は急ぎの用事が無いって言ってたし、一緒に来てくれますよね?」
「え、ええ……そうでしたね」
珍しく言質を取られ、ゆかりさんも同意せざるを得ないといった感じだ。
尤も、答える口元はぎこちなく、普段から仕事以外で外に出る事すらないゆかりさんとしては、本当は行きたくなかったのかもしれない。
「それじゃあお昼ご飯の用意するので、食べたら早速お出かけしましょう!」
こうしてあかりに引っ張られるようにして、午後は外出することに決まってしまった。
ちなみにこんだけネタにしといてなんですが、作者はネタにしてるゲーム、実況でしか見たことないんですよね……