もしかしてどこか行きたい場所があるのだろうか。そう思って昼ご飯を食べながらあかりに訊いてみたものの、どうやらそういうことでもないらしい。
未だにあかりが何を思ってこんなことを言い出したのかは分からなかったが、少なくとも出かけ先はあっさり決まった。
というか、この時期この辺りで、午後から下調べもせずに出かけるような場所と言えば、いつものモール位しかないというだけの話なのだが。
「というか、着いたはいいけれどどうするかな……」
「ええ……真っ先に提案しておいて何も考えてなかったんですか?」
左隣からゆかりさんが胡乱気な目で見上げてくるが、そんな訳で目的地ありきだったのだから仕方がない。
尤もゆかりさんの言う事も一理ある訳で、何かないかと入口のフロア案内を眺めていく。
お世話になっているスーパーに、服屋、雑貨店、ゲーセンは……いや、ゲームじゃなくて出かけようって時にそれは無いな。
と、急に右隣で見ていたあかりがビシッ、と案内地図の一点を指さした。
「ここに行きましょう!」
「何々、ここは……ああ、あかりの箸とか食器とか買ったところか」
「そうですそうです」
「でも、何か足りないものとかあったっけ? 一通り必要なものは買いそろえたと思うんだけど……」
それとも最近料理を頑張っているし、調理器具が欲しいんだろうか。
「いえ、私のものが足りないとかそういう訳ではなくてですね。ゆかりおねえちゃんのお箸とお茶碗を見に行ったらどうかと思ったんです」
「……え、私の?」
まさか自分の方に話が飛ぶとは思っていなかったのか、やや間を空けてゆかりさんは聞き返した。
「はい、だってゆかりおねえちゃんいっつも割り箸と空いてる食器でご飯食べてるじゃないですか」
そういえばそうだ。お茶碗代わりの器も、空いている奴を使うせいでいつも違うし。
ゆかりさんがそもそも自分の食器など持っていないことに加え、我が家にも最低限の食器+αしか無いのでそうするしかないのだが、あかりにはそれが気になっていたらしい。
「私はエネルギーさえ摂取できればそれでもいいんですけど……」
「何言ってるんですか! 自分のお箸と食器は絶ッ対、あった方がいいですって、そっちの方が断然ご飯が美味しくなるんですから!」
「そんなお皿だけで味が変わるとは……」
「ゆかりおねえちゃんは自分のお皿を持ってないから、まだその感動が分かってないだけですって!」
「……そ、そうなんですかね?」
「そうですよ、だっておねえちゃん自分の部屋にもお皿が無いらしいじゃないですか!」
案の定必要ないと主張していたゆかりさんだったが、徐々にあかりの食に関する謎の説得力に若干押され気味となっていた。
(何か、こんな風に困ってるゆかりさんを見るのって新鮮だな)
自分といる時は大抵ゆかりささんが先に揶揄ってきて、こちらが困る側になるからあまり見ない光景だ。……いや、あかりのこれは別に困らせようと思っている訳じゃないだろうけど。
もしかしてあかりといる時は普段からこんな感じなんだろうか。と、そんな事を考えながら遠巻きにニヤニヤ眺めていたのがバレたのだろう。
目が合った瞬間ゆかりさんは調子を取り戻すようにコホン、と一つ咳払いして、案内図の最上階を指さした。
「買い物は行くなら荷物が増えるので最後の方にしましょう。それより、ここ映画館があるみたいですよ? 何か面白そうなのをやってるかもしれません」
「むぅ、自分の食器は大事、なの、に――」
露骨に話を逸らされたあかりは頬を膨らませたが、ゆかりさんの指さした先、案内図の隣に並ぶ映画のランナップを目にした瞬間黙り込んでしまった。
代わりにその目が爛々と輝く。
「お、何かいいのがありましたか?」
話を逸らせたことに安堵したゆかりさんがあかりに呼びかけると、今度はあかりがビシッ! と一本の映画を指さした。
「これ、これ見ましょう!!」
「いいですね、上映時間は……もうすぐ始まる枠がありますから、急いでいきましょうか」
「ホントだ、おにいさんも早く早く!」
あっという間に話を纏めて先行する二人の後を追いながら、あかりが選んだ映画のタイトルを確認する。
(これに対していいですねって……ゆかりさん、あかりの興味を逸らす為に適当言ったんじゃないだろうな? まぁタイトルだけで判断できるわけじゃ……)
『シャークメテオ』
(……いや、どう考えてもB級臭しかしないんだが!)
――――――
それでももしかしたら……そうだ、サメ映画が全てB級な訳じゃない。某有名映画遊園地にもサメをテーマにした乗り物があるじゃないか。
そんな楽観視は、映画が始まるとあっさりと裏切られてしまった。
確かに役者の演技も見れない程じゃないし、CGも恐らく低予算ながら頑張っているのは分かる。だが――
(――サメ映画だからってサメが出すぎなんだよなぁ……)
迫りくるサメ隕石により、世界各地でサメ災害が発生するようになった地球。
この時点で『サメ災害』ってなんだよという感じであるが、サメ地震が起きれば地割れからサメが飛び出し、サメ豪雨が降ればサメが空から降り注ぎ、サメ津波が起きればサメの大群が沖から押し寄せて来る。何につけ災害に過剰ともいえる量のサメが混じっているのだ。
ストーリー自体はうだつの上がらない父親とその家族を中心としたサバイバルパニックもので、まあそれだけ見れば鉄板ではあるのだろう。だが主役たちの演技裏でサメに容赦なく食べられていくモブ達とその叫び声、突如出てくる謎のサメ災害常識(例えばサメ地震が起きたら喰われないように必死でジャンプするものらしく、地震が起きてるのに皆で跳ねまくりながら喋っていた)のせいで感情移入は出来なかった。
(まあ、シュールギャグ映画としてみれば……?)
そろそろ物語も折り返しというあたりで、やっとこの映画の楽しみ方を掴んだ気がする。
しかしあかりは何を思ってこの映画を選んだのか、もし本当に面白そうと思って選んでたなら後悔してるんじゃないだろうか。
もしそうなら途中だけど退出するか、と横を確認して――あかりは映画を見つけた時以上に目を輝かせ、ハラハラした様子で拳を握っていた。
余程楽しんで見ているのか、手に持ったポップコーンは全然減っていない。
(えぇ……)
確かに話の筋としては、丁度主人公がサメ台風から反抗期で疎遠になっていた娘を救う、山場ではあるのだろうけれど。
……いや、もしや俺がおかしいのだろうか。
もしかしたら、好きな作品が酷評されているのを見るのが怖くて、いつの間にか斜めに構えてしか物語を楽しめなくなってしまったのだろうか。
途端に自分の感性が薄汚れたものに見えてくる。
(そうだ、もっと自分から映画にのめり込んで感情移入すれば……ッ!)
と、だらけていた姿勢からきちんと座りなおそうとしたところで、隣に座っていたゆかりさんの足とぶつかってしまう。
「――あ、すまん!」
小声で謝りつつ振り向くと、死んだ魚の目をしたゆかりさんと視線が合った。
途端に冷静さが戻ってくる。
(……いや、そうだよな。こういう反応の方が正常だよな)
上映中だから言葉にはしなかったが、この時だけは間違いなくゆかりさんと意見が一致していた自信がある。
――この映画はクソ映画だと。
――――――
「今日はすいません」
映画を乗り越えフードコートで遅めの昼食をつついている時だった。あかりが注文を取りに席を立った所で、ゆかりさんが突如頭を下げる。
「え? ……突然何だよ」
何か謝られるような事でもあっただろうか。考えてみるものの思いつかずに首を捻っていると、ゆかりさんは困ったように眉を垂らした。
「だって、本当なら今日は二人でお出かけの筈だったんじゃないですか?」
ああ、もしかしてデートの邪魔をしてしまったと思っているんだろうか。
「いや今日は元々そういう予定じゃなかったし、ゆかりさんが気にする事じゃないって」
「ですが……どちらにしろお二人の時間を邪魔してしまった事に変わりはありませんし」
もしかして「お熱い事ですね」的な意味で揶揄われているのだろうか。
「いや、そんな気に病まなくてもいいんだけどな。というか、今日に至ってはゆかりさんが居てくれて良かったかもしれないし」
「それは……どういう?」
「だってさっきの映画、アレをあかりと同じテンションで見るのは無理だって。もしゆかりさんがいなかったら、自分の感性がおかしいのかなって絶対見終わって悩んでたと思うし」
映画を見終わった後、涙ぐんでいるあかりの顔を思い出してしまって苦笑する。良くあの映画にあそこまで感情移入できるものだ。
だが、眉を顰めていたゆかりさんはこちらの様子に一瞬ぽかんと口を開き、それから視線を伏せて絞り出すように声を出した。
「っ――真面目な話をしているんです」
その声音は、普段の余裕を感じさせるゆかりさんと同じものとはとても思えない程弱弱しい。彼女が揶揄う為ではなく、本当に心苦しく思っているのだと遅まきながら理解した。
「……考えてみれば、今日だけではありませんね。ここの所、お二人の部屋にお邪魔してばかりで……本当にすいません」
「いや、元々俺がいない時に来てたみたいだし今更謝る事じゃないだろ」
「違いますよ。今はお二人が揃っているときにお邪魔してしまっていますから」
ああ、やっぱりそうだったんだなと納得する。
気付けなかっただけで、今までずっと気を遣っていたという事なのだろう。
(あかりとも楽しそうに話してるし、少しは気の置けない相手になれたと思ってたけど)
どうすればゆかりさんを納得させられるかと、少し考えてから口を開く。
「……そうだな、確かにあかりと二人だけの時間は最近減ってるかもな」
「っ、そうでしょう?」
僅かに口を真横に引き結んだゆかりさんは、だがすぐ完璧に整えた笑みを浮かべた。
「けど、俺としてはゆかりさんがいてくれる方が賑やかだし、あかりも楽しそうだから、家に来てくれるのは歓迎だし来てほしいけどな」
完璧な笑みが、マヌケに口の開いた呆け顔に変わる。いつもは手玉に取られがちなゆかりさんがこちらの思った通りの反応をしたことに、思わず口角が上がってしまうのを感じた。
「っな――何でそうなるんですか」
「何でも何も、今言った通りだけど? ああ、勿論ゆかりさんが嫌だっていうなら無理にとは言わないけど」
「そういう事では! ……ありませんけど」
危うく大声になりかけたゆかりさんは、慌てて声量を絞りながら続ける。
「……ですがやはり、弟くんからすれば邪魔でしょう?」
「そんな事無いって、ゆかりさんには色々助けてもらってるし、それで邪魔だとか言ったら薄情過ぎるだろ」
「それは仕事だからいいんです。というか、私の仕事はお二人が上手くいくようサポートする事なのに、邪魔してしまっているじゃないですか……」
ああ、成程。
改めて萎れるようにしょげ返るゆかりさんを見て、漸く彼女の言わんとすることが分かった。仕事人間のゆかりさんらしいというか何というか。
「別にゆかりさんがいるから上手く行かないとかそういうことはないし、邪魔になってるとかも無いから」
「ですが、お二人の時間が減っているのは事実ですし……その分エッチの頻度も下がってしまっているのでは?」
「ぶふぉっ!?」
硬い表情のゆかりさんとしては真剣に悩んでいるのだろうが、こちらとしては突然の不意打ちに思わず噴き出してしまう。
「っ、い、いや、まぁそれは否定しないけど……でもそれが全てではないし……! と、兎に角さっきも言ったように、ゆかりさんがいてくれた方があかりも楽しそうだし、全然問題ないって」
「……そう言う弟くんはどうなんですか。今のは弟くんの意見だけど、弟くんの意見が入ってないじゃないですか」
「あー……それもそうだな」
少し考えて、言わんとすることを理解する。俺自身がどう思っているかということか。
あかりが楽しそうでゆかりさんも嫌でないなら、それだけで個人的には十分な理由だと思うのだが……それで納得はしそうにないし。
(とはいえ改めて考えてみてると、ゆかりさんは向こうから押し掛けるような感じで隣に越してきて、色々……うん、色々あってなし崩し的に部屋に来るようになってって感じだからな。だから邪魔な理由も無いけど、いて欲しい積極的な理由も……)
そこでふと、ゆかりさんがいなくなったらという想像が頭を過る。
いつの間にか、あかりがいない時はゆかりさんがいるのが当たり前になっていた。既に昼食はあかりがいなくても二人分作るのが通常になっており、ゆかりさんがいない日にも作ってしまって、夕飯へ皺寄せが来たのは記憶に新しい。
いつの間にか、起されずとも早起きして、玄関前で挨拶するのが日課になっていた。追い立てられるようにして走っていたのが、隣を並んでとまではいかないが、少なくとも認められる程度には動けるようになっていた。
そんなゆかりさんがいなくなってしまったら――
「――寂しい、だろうな」
「え?」
「あ、もしかして口に出てたか」
ゆかりさんの虚を衝かれたような反応に、舌先が滑ったことに気付いて頬が熱くなる。
だが口にしたからこそ、それがゆかりさんに対する正直な思いのように感じられた。
「あー……うん、ゆかりさんがいなくなったらと想像したら、寂しいだろうなって」
気恥ずかしさを誤魔化すようにむず痒い頬を掻きながら言うと、ゆかりさんは考え込むようにゆっくり首を捻る。
「寂しいって……どうしてですか? 弟くんの立場で考えたら、ゆかりさんがいない方が……気楽、ではあると思うんですけど」
「……確かに手間って意味では気楽かもな。でも、それ以上にやっぱり寂しいと思う。もうゆかりさんがいるのが当たり前って感じになってるからさ」
「いるのが、当たり前……」
怪訝そうだったゆかりさんはますます眉を顰めて考え込んでしまい――あかりが帰って来るまでそれ以上何も言う事は無かった。