「分かったよ、それじゃあ今日は何の練習をするんだ?」
「そうですねぇ……そう言えばおとーとくんも最近は練習なんてなくっても、大分自信がついてきたみたいですし……」
言われて、そういえば最近はゆかりさんと練習していなかったなと思い出す。
最後にしたのは……公園での時だろうか? あれ以降ゆかりさんから練習の事を言われることが無かったし、あかりとも上手くいっているから、意識していなかった。
ゆかりさんもそのせいか、うーんと暫く眠そうな目で考えて――思いついたというように手を打ち鳴らした。
「んー……そうだ。 それじゃあ今日はキスの練習からしましょうか」
「分かっ……は?」
事務的に肯定しようとして、思わず思考が停止する。
今までゆかりさんはキスを意図的に避けていたのではなかったか。
愛撫やセックスは何度もしてきていたが、それでもこれまでキスをしたことは無い。むしろそうしないことで練習を練習たらしめる、一種の線引きにしているんだと思っていた。
はっきりした約束があった訳ではないが、何となくそうであると思っていたし、ゆかりさんもそう思っていると考えていたのに。
困惑して思考が停止していたのは数秒もなかっただろう。だが、その間にゆかりさんの顔が間近へと迫っていた。
「ちょっ、ゆかりさ――「ちゅっ」」
止めようと開いた唇に、柔らかな感触が優しく押し付けられる。
おっかなびっくりと言った感じに、唇同士を押し付けるだけの子供のようなキス。だけど、眼前のゆかりさんは今まで見た事無いくらい顔を赤くして、こちらと視線が合った事に気付くや否や恥ずかしそうに逸らした。
「そ、その……キスって、最初はこれでいいんですよね?」
いつもの自信満々にリードする彼女からは考えられない自信なさげなそぶりに、思わずしどろもどろになって、余計な事を口走ってしまう。
「や、まぁ……間違っては無いけど……なんか、ゆかりさんにしては慣れてないっていうか……」
「……ゆかりさんにしては、ってどーいう事ですか」
「いや、経験豊富な割にキスはなんかぎこちないって言うか……」
赤面から一転、むっと口をへの字に曲げていたゆかりさんは、むむむっ、と更に口をへし曲げた。
「何ですか? もしかしておとーとくんは、今までゆかりさんの事、誰彼構わずセックスするような軽い女だと思ってたんですか?」
「いや! 誰彼構わずとかそんなつもりは無いけど! ……まぁ、練習なんて言ってヤらせてくれるし経験は豊富なんだろうなって……」
眠そうなのにやたら圧のある目力に負けて白状してしまうと、ゆかりさんの頬に堪っていた不満が爆発する。
「そんな訳ないじゃないですか! もう、おとーとくんは失礼過ぎです!!」
「えっ……という事はもしかして、ゆかりさん……俺とが初めてって事……?」
「そうですよ!! おとーとくん以外とこんな恥ずかしいことした事あるわけ無いじゃないですか!」
ゆかりさんは憤慨したように毛布をぺしぺし叩いているが、こちらも不意に明かされた事実にそれどころではない。
(いや、マジか……練習なんて言い出すからてっきり……。というか、練習なんかでゆかりさんの初めてを……)
意識してしまうと途端に気が重くなる。
「もー、そんな深刻な顔しなくても、ゆかりさんは気にしてないですよー」
「いや、そうは言われても……」
「はぁ、やっぱりおとーとくんは気にしちゃいますよねー、だから言わなかったんですけど……って、あれ? これはおとーとくんに言って良かったんだっけ……?」
判断力が鈍っているせいか、裏事情をぶっちゃけてしまうゆかりさん。つまり、こちらの性格まで考慮に入れて色々考えてくれていたという事か。
(確かに、ゆかりさんが初めてだって知ってたら絶対練習なんて受けなかったし……でも、練習のお陰で自信をもってあかりと出来るようになった訳で……)
荒療治だったとはいえ、ウダウダしていたあの時の自分に対して最も効果的な手段だったことは確かだ。それに今更悔いたり申し訳なく思ったところで、起こった事を変えられる訳ではない。ならば、とベッドの上に正座しなおして、ゆかりさんに頭を下げる。
「改めてありがとう、ゆかりさん」
「あはは、そんな畏まらなくていいですよぅ」
酔ったままのゆかりさんは何でもないことのように朗らかに笑った。
「いや、ゆかりさんからしたらそうかもしれないけれど。すっごく助けられたのは事実だし……知らなかったとはいえゆかりさんの初めてを……その……。だから、俺にできる事があれば何でもするから、遠慮なく言って欲しい」
「何でも、ですか……」
途端、考え込むように彼女の声が少し低くなる。
……しまった。これは所謂白紙の手形を切ってしまったのでは? 罪悪感に心をせっつかれるあまり、考えが回っていないかったか。
下げたままの頭の上で、もしかしたらゆかりさんは言質を取ったとばかりにニヤついているかも知れない。
「ま、まぁ俺に出来る範囲で、だけど……」
予防線を張るように繰り返しても、ゆかりさんからの反応はなく。
一体何をさせようとしてくるのだろうかと不安が膨らみ始めた所で、すぅと息を吸い込む音がした。
「……ぃいですか?」
思っていたような揶揄う調子とは程遠い、消え入りそうな……けれど切な響きを孕んだ声。
「……え? ごめん、ちょっと聞き取れなかったからもう一回いいかな」
予想と違う声に困惑しながらも、今度は聞き洩らさないようにと顔を上げて――
「えっと……弟くんに、甘えて……いい、ですか?」
――月明りの中、不安や躊躇を押し殺したように、自信なさげな表情の少女がこちらを見つめていた。
「甘えて、って……」
「や、やっぱり嫌、ですよね……大丈夫です! 言ってみただけですから……」
普段と違う遠慮がちな様子に戸惑っていると、ゆかりさんは誤魔化すように苦笑する。
「ああいや! そうじゃなくてどうすればいいのかなって」
それを聞いても尚、ゆかりさんは暫くの間躊躇していたものの、覚悟を決めたように彷徨わせていた瞳をこちらへ向ける。
「……じゃあまずは、抱きしめて、くれませんか」
思わずそんな事でいいのか? と言ってしましそうになるほどのささやかなお願い。けれどそれだけの事を言うのに、ゆかりさんの唇は微かに震えていた。
まるで拒否されることを恐れるように、縋る様な声で絞り出されたお願いを無下に断るなんて出来る筈がない。
「こう……で、いいのか?」
いつもより小さく見える躰を壊さないよう、優しく背中へと手を回すと、応えるように背中に抱き着かれた。
「はい……でも、もっと強く」
「こんな感じ?」
力加減に気をつけながら、遠慮がちだった手へ力を籠める。小さな柔らかさが、それでも存在を主張するように手腕を優しく受け止める。
「んっ……そう、です。えへへ、おとーとくんは温かいですねぇ」
強く抱きついたことで密着度が上がり、満足そうなゆかりさんの吐息が首裏をくすぐって照れくさい。
「こんな事でよかったのか?」
「いいんです。こうしてると、おとーとくんに居てもいいって言われてるみたいですから」
そう口にしながら、離れたくないというように背中へ回された手へきゅっ、と力が籠められる。
昼はまるで自分を邪魔だと言わせたがっているようですらあったのに、今は親から引き離されるのを怖がる子供みたいだった。
自然と、腕の中の頭へと手が伸びる。
「居てもいいから」
「え?」
髪を撫でながら、言い聞かせるようにゆっくりと口を開く。
「昼も言ったけど、ゆかりさんの事を邪魔だなんて思ったりなんてしないし。ゆかりさんがいなくなったら寂しいってのも本当だからさ」
「っ……」
顔は見えなくとも、彼女の身体が強張ったのが分かった。
「何をゆかりさんが怖がっているのかは分からないけれど、ゆかりさんが居たいっていうなら居ていいから」
「……駄目ですよ、そんな事言っちゃ」
突然今まで抱き着いて距離を縮めようとしていたゆかりさんが、今度は距離を離そうと押し返してくる。
「そんな事言われたら、離れられなくなるじゃないですか」
「いいだろ、それでも。もうゆかりさんの分まで家事こなすのが当たり前みたいなもんだし、このまま隣に居れば――」
「――それが出来ないから駄目なんじゃないですか」
ぐっ、と一際籠められた力に引き離されて表情が見えるようになった彼女の顔は、今にも泣きだしそうだった。
「出来ないって、どういう事だよ」
元々俺とあかりのサポートは一時的な物という話だったから、その期限がもうすぐくるという事なのだろうか。だとしても、あの部長なら話は通じそうだし、相談すれば今までと同じように隣に住むことくらいは出来そうなものだけれど。
一体どういうことかと考えを巡らせているうちに、ゆかりさんは唇を引き結んで抑えていた答えを吐きだした。
「……このままじゃ、隣に居るだけでは満足出来なくなってしまいそうですから」
「それって……」
ゆかりさんは言明せずに俯いてしまう。
まさか、と思わず舌先が滑りそうになるが、沈痛な彼女の雰囲気に何とか言葉を呑み込む。
信じられないが、もし俺が自意識過剰じゃないとすれば。
(ゆかりさんが、俺を好きって事か……?)
一体いつからとか、何がきっかけでとか、そんな疑問が次々と浮かんでは更なる疑問に埋もれていく。
どうすればいいのか分からないまま、ただ時間だけが過ぎていく。何かを言おうと口を開きかけた所で、俯いていたゆかりさんがゆっくりと顔を上げた。
「……大丈夫です、分かってますから」
言葉を遮ったのは答えを聞きたくないからだろう。
痛々しい程ボロボロの笑顔を浮かべたゆかりさんは、今手を離したが最後、夜闇に溶けて消えてしまいそうな程に儚げで。
だからこそ、彼女の次のお願いを断ることは出来なかった。
「でも、今だけ……今だけは甘えても、いいんですよね?」
「……ああ」
受け入れても拒絶しても、きっと口の中に広がるこの苦さは消えない。けれど受け入れさえすれば、きっと今だけはゆかりさんが苦しむことはないだろうから。
受け入れられたことに表情を弛緩させたゆかりさんが、吸い込まれるように腕の中へ飛び込んできた。
「おとーとくん、弟くんっ……!」
抑えていたものを爆発させるように、胸板へ頭を擦りつけてしがみつく。
それと共になだらかだが柔らかな肢体が無遠慮に押し付けられて、否応なしに肉の興奮が呼び起された。
勿論密着しているゆかりさんにもそれはすぐに伝わってしまう。
「あ……もうこんなになってる……」
太腿に押し付けられたズボンのテントに気付いた彼女は、膨らみへと手を伸ばして優しく撫で上げた。
「悪い、勝手に反応してしまって。気にしなくていい……って言っても難しいか」
「謝ることは無いですよー? ……こっちの意味でも抱いて欲しいですし」
蕩けた瞳を煽情的に細め、おぼつかない手つきながらズボンをずり下げると、既に臨戦態勢となった逸物がぶるんっ、と飛び出した。
「んっ……久しぶりだけど、相変わらず元気いっぱいですね」
眼前で揺れる肉棒を、暫しゆかりさんはどこか愛し気に見上げていたが、ふと気伏し目がちになって、その根元へ指を絡めた。
「けど、やっぱり痕は残ってますね……ごめんなさい」
彼女の細い指が触れるのは、いつぞやか結ばれた時の痕。もうすっかり薄くなってはいるが、ゆかりさんは様子を確かめるように優しくそこを何度も擦る。
「それはもう気にしなくていいって、問題も起きてないし、痛みも無いからさ」
「それでも、私の中途半端な知識でこうなってしまったのは事実ですから……ぺろっ、ちゅぢゅっ……りゅろっ」
「ちょっ……ゆかりさん……ッ、いきなり……!」
申し訳なさそうに眉根を寄せていたゆかりさんは、突然肉棒へと唇を寄せ、結び痕を舐め上げてきた。
「んぅ、ぺちゅっ……怪我ひたときはこうやって、ちゅぞっ……ぺぢゅっ……舐めりゅのが普通なんれひょう?」
「いや、唾液に殺菌成分がとかは聞くけど……ッ、普通では無いって」
「んー? れも……」
陰茎へと舌を這わせたまま、ゆかりさんはベッドの枕元に置いてあったタブレットへと手を伸ばす。
こんな時に一体何をと思いながら手渡された画面を見ると、そこにはやたらとポップな字体で『雑多な豆知識~彼氏との生活編~』などと銘打たれた電子雑誌が開かれていた。
「……これは?」
「参考資料れふ……んっ」
スクロールしながら飛ばし読みしていくが、男女の諸々について思春期レベルの噂を纏めたような、如何にもゴシップ誌と言った感じの雑誌である。
というか、恐らく中高生とかマセた小学生とか、そのあたりをターゲットにした雑誌では?
ページを捲っていくうちに『我慢の出来ない彼の忍耐力を鍛える方法!』という小見出しと、どこかでやられたような気がする根元を結ぶイラストが目に入った。
「……もしかしてだけど、今までのゆかりさんとの練習って、これが元になってたり……?」
「はい、そうですよー。勿論一人で試せるのは試してからやってたんですけど……流石に生えてないものは試せなかったので……ごめんなさい、れりゅっ」
謝って思い出したのか、再度痕へとゆかりさんは舌を伸ばす。
何というか、今までこうだと思っていたゆかりさん像がガラガラと崩れていく。
セックスでは経験者の余裕たっぷりだと思っていたのに、ただ背伸びをしてただけだなんて……。
鈍感な陰茎の根元をくすぐる、刺激というには物足りない舌の感触に、愛しさと怪しげな興奮とが混じって、ズキズキと腰の奥を疼かせ始めた。
明日は(多分)切りのいいところまで二話投稿になると思いますので、よろしくお願いします。