アラーム音とはどうしてこうも絶妙に不快な響きなのだろうか。
いや、アラームは本来気付かせるのが役目だ。
あまり心地よい音だと意識に止まらないからという理屈は分かる。
だが、理屈で分かったところでやっぱり不快なのは変わらない訳で。
「……はいはい、分かりましたよ。起きます、起きますから……」
私はさっきまで無視し続けていたアラーム音へとうとう白旗を揚げ――けれどただでは屈してやるものかと布団に頭を潜り込ませ、手だけでベッドサイドの携帯端末を操作しようと暫く彷徨わせる。
しかし、ナイトテーブルの天板は見つけたものの携帯端末は一向に見つからない。それどころか布団にもぐった時の方がアラーム音が大きくなっている気すらする。
「……ああ、そうでした」
そこで、漸く昨日あかりちゃんと弟くんの部屋で酔っぱらってしまったのだと思い出す。
案の定携帯端末は、昨日から着っぱなしで、すきやきのおいしそうな香りが僅かに残るパーカーのポケットに入っていた。
前まではアラームなど使わずとも決まった時間に自然と起きれていたから、こういうことが起こるのだろう。
アラーム慣れしていないというかなんというか。
酔っぱらってしまったのなんて、初めて飲んだ時以来だ。
本来生体型とはいえボイスロイドの代謝システム的に許容量以上は飲みたくなくなり、結果酔うことはない……筈なのだが、私の場合機械型から生体型へ移植を行った影響だろうか、どうしてもそのセーブ機能が弱い。
その事は初回で痛いほど分かってしまったので以来控えるように、他人に合わせて飲む時はノンアルコールを中心に飲むようにしてたのだが。
(昨日は、ちょっとどうかしてしまってましたね……)
自分でも何であそこまで飲んでしまったのだろうかと思わずにはいられない。
……強いて言うなら、気持ちが緩んでしまっていたから、だろうか。
考えて、自嘲気味にふっ、と笑う。
(……自我個体らしくない私が、まさかそんな人間らしい理由で?)
頭を振って、馬鹿馬鹿しい考えを追い払う。
画面の眩しさに目を細めながらやっとアラームを止めると、今度は壁紙のデジタル時計がもう少しでトレーニングの時間だとせっついてくる。
「……やらなくてはいけないこと、ですからね」
自分へ言い含めるようにそう呟くと、ベッドから這い出る。
本当に昨日は少しばかり飲み過ぎた。
どことなく体が重いような感じが纏わりついていたが、そう口にすれば反射的に動けることは今までの経験で十分に分かっている。
洗面台へ向かう途中、何度も繰り返してきた記憶が頭を過った。
いつもと少し違いがあるなら、その記憶はいつもより少しばかり生々しいということか。
原因は分かっている。
「久しぶりに夢を見たから、でしょうね……」
それも、ここの所暫く見ていなかったというのに二つも。
一つは何度も繰り返し見たいつもの夢。つまりは、仕事をしている夢だ。
かつて聞かれた時に、このことを同僚に話したところ酷く同情されたが、私にとっての記憶の大部分にして中心は仕事なのだから仕方ない。
AHS社に引き取られる前、自分がまだ自我の無い一個体として働いていた時の記憶。
命令通りに動き、命令がなければ標準待機姿勢で動かず、しかし人間への危害が生じないよう神経を張り詰めていたのが一昨日のことのように思い出され、自然と体に力が入る。
AHS社に引き取られた後も、記憶の中心はやっぱり仕事だった。
自我個体だと今の部長から言われ、人間と同等の労働条件で仕事をするようになったが、変わったことといえばそれくらいだ。
いや、それぐらいという言い方はいささか過少か。待機ではなく、注意力を周囲に展開する必要のない、本当の意味での休息が取れるようになったのは、とてもありがたかった。
……けれど、やっぱり変わったのはそれだけで。
自分より後から見つかった自我個体の子達が、休日に何をしているのかということを話しあっているのを聞いてからは、強くそう思うようになった。
――ああ、自分はきっと自我個体の中でも不完全なんだろう、と。
私は何も感じれなかった。理解できなかった。
楽しいという感想も、美味しいという感動も、美しいという感慨も、苦痛という感覚も。
最初の内はもしかしたら自分と同じような個体もいるかもしれないと、それとなく探りを入れたりもしていたのだけれど、いつのまにかそれも止めてしまった。
幸いだったのは、それらの感覚が理解出来なくても、標準応対プロトコルを応用すれば、理解できているように会話を続けられた事だ。
共感と関心、そこに一つまみの情報収集を混ぜれば、まるで人間のように――いや、自我個体のように振舞える。実際、幸いにも今日まで私が欠陥品だと指摘されたことはない。
……尤も、部長には見破られていたような気がするが。
最初、何かにつけて休日私を色んな事に誘ってくれていた部長だったが、そうするようになってから誘われなくなった気がする。
まあ、ただ単にどこへ連れていっても「すいません、分からなくて」などという愛嬌のない対応をくり返した結果かもしれないが。
一応笑顔は完璧だったはずだけれど、と洗面台にたどりついた私は、鏡の向こうの自分が笑みを浮かべるのを観察する。
「ん?」
いつも通りの笑みを問題なく作れることを確認した所で、違和感を覚えた。
笑顔を作ろうとする度に、頬へ感じる僅かな引きつり。
痛みとまではいかないが、意識に上る程度にはうっとうしい。
とはいえこれが初めてということもなく、最近ではよくあることだ。
弟くんとあかりちゃんと過ごした翌日によく起きるようになった痛みである。
昨日は本当に一日中一緒に居てしまったから、ある意味起きて当然といえば当然だった。
そういう意味では褒められた痛みではない。二人の時間の邪魔をした結果ともいえるのだから。
(弟くんにも気を遣わせてしまったみたいですしね……)
居てもいい、居ないと寂しい、とまで言わせてしまった――気を遣わせてしまったのは反省点だ。
最近は弟くんとプライベートの時間にも一緒にいることが多いせいか、表情を維持し忘れそうになる時があって良くない。
(――まあ、そもそもそう仕向けてしまったのは結果的に私なので自己責任なんですが)
尤も、期待していたのは弟くんが面倒くさがって距離を取ってくれることだったので、完全な自己責任とも言い難い気もするが。
(本当に、弟くんはなんで態々私なんか――おかげで、とんでもない夢も見てしまいましたし)
と、二つ目の夢の方を思い出す。
と言っても、こちらの方の夢は一つ目とは違い、細部はぼんやりと靄がかっている。
そもそも今まで夢など見たところでいつもの一つしか見ないし、何というか酷く例外的な夢だった。
(弟くんから甘やかされて、求められて、あろうことかキスまでして――ああもう! 何であんな夢見たんですか!!」
憤りで、途中から声に出してしまっていて、壁向こうの二人を起こさないよう慌てて口を押える。
けど、そうしてしまいたくなるくらい酷い夢だった。
ぼんやりと覚えている断片を思い出すと、最近筋肉がますますついてきた彼の腕が躰へ回される感覚、そして優し気な目が若干驚いたように開かれ、間近にまで近づいて……なんてそんなシーンがあったような気がする。
やっていい訳がないという意味でも、あり得るはずがないという意味でも本当に酷い夢だ。
そのくせ、体感中枢部からじんわりと緩やかに広がるような、或いは空っぽの肉体に温かなココアを注がれるような感覚は残っていて。
(ああもう! 確かに夢は記憶を整理する役割があるとは聞きますが――だからってあれはないでしょう!!)
と、そこでふと鏡の中の自分と目が合い、そこで自分がとてつもなく緩み切った顔をしているのに気付いた。
流石にこんな顔で外に、彼の前に出て行くわけにもいかない。
意識を眼前へと向け、夢の記憶を洗い流すように冷たい水で顔を洗う。
……そもそもよく考えれば、弟くんとは仕事上の付き合いな訳で、そうなるとあの夢もやっぱり仕事の夢で。
そう、結局は今の仕事が少し例外的なだけだ。
「よし、それじゃあ今日もやりましょうか」
タオルで顔を拭いた顔にいつもの微笑みを浮かべれていることを確認して、私はスポーツウェアへと着替えに部屋へと戻る。
――そう、これは今だけの一時的な仕事なのだと何度も自分に言い聞かせて。