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「ちょっと待てよ、今からどこか行くのか? もうこんな時間だぞ?」
手を引いたままドアノブに手を掛けると、少し困惑したように彼は口を開いた。だが、そう言いながらも靴を履こうとしているあたり素直なのか人がいいのか。或いは酔っていて判断力が低下しているだけかもしれない。
まあどれだって構わない。扱いやすいのは同じだ。
「大丈夫ですよ、そんな遠出しようってわけじゃありませんから。というか、そもそも出かけるなんて言い方すらおこがましいほどの距離ですし」
頭に疑問符を浮かべたまま、何とか彼が靴はいたのを確認してドアを開けると、透き通るように冷たい冬の夜風が吹き込んで来る。
「うわ寒っ!」
「私より厚着なんですからぐちぐち言ってないで早く行きますよ」
「いやこの時期はこれくらい着てるのが普通だから。ゆかりさんは逆に薄着過ぎるんだって」
「パーカーは着てるじゃないですか」
「……パーカーしか着てないの言い間違いでは?」
そう言うと彼はまじまじと私の足先からパーカーの下端まで、それから下腹や胸を凝視することなく、顔へと怪訝な視線を向けてくる。
比較的酔わせて理性が緩んだ状態だとは思うのだが……あかりちゃんの良く言っていた真っすぐだという評は間違っていないらしい。世界一かっこいいというのは流石に同意しかねるが。
とはいえ、少しくらいは意識して貰わなければ意味がない。
「ちゃんとパーカーの下にはキャミソールとか着てますから、誤解を招くような言い方はやめてください」
パーカーのジッパーを下ろして首元を露出させる。
「いや、そういうつもりじゃ……というか、寒くないのかそれ」
顔を赤らめて視線を逸らしたから、全く私に対しても無関心と言う訳ではなさそうだ。勿論これで駄目だったら次の手を考えればいいだけなのだが、手間がかかることに変わりはない。
それならさっさと仕事を済ませてしまおう。彼の手を引いてととと、と三、四歩。
「そんなことより――ほら、すぐ近くだったでしょう?」
「いやすぐ近くって、ここゆかりさんの部屋じゃんか」
「そうですよ、ほらほら早く入ってください」
今となっては珍しさすらあるシリンダー鍵をパーカーのポケットから取り出して、ドアを開ける。彼はしばらくの間思わぬ目的地にぽかんと突っ立っていたが、寒風に背中を押され、慌てて部屋へと入ってきた。
「うー寒。ゆかりさんの家もウチも大して変わらないだろ、これなら別に移動しなくても良かったんじゃないか?」
ここまでくれば、後は押し切れるだろう。愚痴づきながら靴を脱ぐ彼を後ろ目に、わざと今の今までぼかしてきた『解決策』を口にする。
「そういう訳にはいきませんよ、だって今から性交渉の練習をするんですから」
「ああ成程、それなら仕方が……」
まだ靴を脱ぎかけだった彼はそれを聞いてしばし固まり、そして少し時間をおいてようやく理解したのか、靴を脱ぎかけの、片足立ちの妙な体勢で固まってしまう。
よく酔ってるのにそんな体勢でじっとしてられるものだと感心すること数秒。ようやく彼は「あー、あーあー。うんうん」と自分を必死に納得させるためだろうか、赤べこみたいに首をぺこぺこ振りながら
「ごめん、何か酔ってるせいか変な風に聞き間違っちゃったみたいでさ、もう一回言ってくれないかな」
「今から性交渉の練習をすると言ったんです」
「…………ぱーどん?」
「あぁもう、じれったいですね」
「うおっ?! ととと……」
このままだと話が進まない。そう判断して、現実を受け入れられず思考停止する彼の手を再びつかんでぐいぐい廊下の奥へ引っ張る。
そしてたたらを踏みながらもなんとか靴を脱ぎ、両手で必死にバランスを取る彼を寝室まで連行し――
「えい」
自分のベッドに向かって突き飛ばす。
「?! ぐえっ」
何とかこけずについてきていた彼もさすがにこれには耐えられなかった。顔面を枕に突っ込み、車に轢かれたカエルみたいな鳴き声を上げる。
勿論手加減はしているが……うん、良し。怪我がないことを確認してから私もベッドに腰を下ろすと、鼻をさすりながら上体を起こした彼が、不満そうに悪態をついてきた。
「痛てて、いきなり何するんだよ……?」
「自業自得です。弟くんがすっとぼけるから、ちょっと強引な感じになったんですよ」
「すっとぼけるからって……いや、そもそもはゆかりさんが変な冗談を言いだしたのが原因だろ」
「冗談じゃありませんよ」
「いやいや何言って――っ!?」
漸く体を起こして隣に座りなおした彼へと覆いかぶさり、今度は仰向けに押し倒す。
そして動けないよう腕も一緒に脚で挟み込み、腹部へと跨ったところで、ようやく彼も私が冗談を言っている訳では無いと気づいたらしい。
「あの、ゆかりさん……ゆかりさん?」
「何でしょうか」
「何でいきなりこんなこと……って全然動けないしっ」
真顔になって何とか拘束から抜け出そうともがく彼だが、こちらとてただ乗っているわけではない。腕と胴体を捕まえた足先は、背中に入れてしっかりロックしてあるし、腕を曲げての抵抗を阻止するために、肘関節は力の入れやすい太もも下で押さえつけている。この程度の拘束など慣れたものだ。
「何でって、さっき弟くんが言ってたじゃないですか。セックスで失敗して、それからぎくしゃくしちゃったって。それなら、練習して上手になればいい訳です。ね? 順を追えばいきなりじゃないでしょう?」
「いやいやいや、その結論に行くまでに階段どころか数階分吹っ飛んでるわ!」
「何を言ってるんですか、失敗した事は、練習して上手く出来るようにするっていうのが一番の解決策でしょう?」
「いや、そこだけ切り取ってきいたらどうしようもないくらいド正論だけど! 正論をあてはめちゃ駄目な事もあると思う! というか、あかりとぎくしゃくしちゃうのを何とかするのが目的なのであって、手段と目的が逆転してない!? してるよね!!」
より一層暴れる――もとい暴れようとするも動けない彼だが、思ったより論理的に突っ込んで来るあたり、もう少し飲ませても良かったかもしれない。今後の為にも酒に強い事は覚えておこう。
記憶領域にメモしている間にも彼は抵抗しようとする。
「最悪、いや別に最悪でもないけど俺はあかりと一緒に居られれば、別にセックスなんてできなくてもいいんだよ! あかりがそれで苦しむくらいならむしろしたくないし! 多分ゆかりさんも酔ってるんだって! だからこんな馬鹿なことは――」
……やっぱりそうか。あかりから聞いた性格的に、きっとそう考えると思っていた。
それはもしかしたら人間同士なら間違った答えではないのかもしれない。けれど――
まだ私を説得しようとでもしているのか、言葉を探しながらも口を動かし続ける彼に、ぐい、と顔を近付ける。
「そんな事言って、本当にずーーーっと我慢出来るんですか?」
「そりゃ勿論あかりの為なら――」
「言っておきますけど、自慰行為も駄目だとしても?」
流石の彼も、そこでうぐっ、と言葉に詰まる。
「いや、それは……。でもどうしてもって言われたら――因みに、一応聞くけど、練習って何をするつもりなんですかね」
「決まってるでしょう。私と性交渉して貰って、改善点を指摘して――」
「やっぱりかよ! ちくしょう、ちょっと考えたけどもし違うなら、ってちょっと期待したのに?! そんなの、駄目に決まってんだろ!?」
「何が問題でしょうか? 知っているとは思いますが、私はボイスロイドですから「出来ちゃった」なんて事は起こりえませんので、責任的な意味で極めて安全ですよ? 気兼ねなく”ヤ”れる練習相手だと思いますけど」
「いっやいやいやいやいやいやいや、なにそのクズぅい思考?! やれるっていうイントネーションもなんかおかしいし! っていうかそもそもが気にすることろがおかしいからね!?」
彼は漁師の手に抑え込まれた魚のように暴れながら叫ぶ。
「こら。あんまりうるさくすると、隣で寝ているあかりちゃんを起こしちゃいますよ?」
「その原因がなに言ってくれてるんですかねぇェ?!」
ぜーはーぜーはー
そんな音がはっきり聞こえるくらい彼は息を乱し、それでも抵抗が緩みそうにないことをようやく悟ったのか体から力を抜いた。尤も、油断を誘って逃げ出そうとしている可能性もある以上、拘束を緩めたりはしないが。
「全く強情ですね……何が問題なんですか? 」
「いや、その……分かるだろ?」
「……ああ。大丈夫ですよ、この事で弱みを握って何かを強要とかはしたりしませんから」
「いや違ぇよ?! むしろそんな事言われたら逆に怖いわ!」
「では体型の問題でしょうか? 確かに私はあかりちゃんみたいに良いプロポーションとは言えませんから、弟くんが自分より年下だけどおっきい胸の子にしか興奮できないという極めて特殊で変態臭のする性癖なら仕方ないですね……」
「勝手に想像を事実にするのを止めていただけませんかねぇ! ……でも放してくれるならもうそれでいいか――」
「それならこの性的興奮効果があると噂の滋養強壮剤を……」
「いややっぱよくない! ってか何でそんなもんがナチュラルにベッド脇に置いてるんだよ?! っていうかなんかもう既に空いてるし!」
「……ただのジョークにそんな本気にならないでくださいよ、これはただのカフェイン系ドリンク剤です。そんな都合のいいものがある訳ないでしょう?」
「…………はい、そっすね」
少し空気を変える為にからかうような笑みを浮かべると、再び本気で抵抗していた彼は、安心というより疲れの入り混じった表情で倒れ込んだ。
「しかし弟くんも強情ですねぇ……なんでそこまで抵抗するんですか?」
「いや、普通に彼女が――あかりがいるのに、他の女の子と、っていうのは駄目だろ」
彼は、お酒が入っているとは思えないほどしっかりした目でこちらを見据える。
説得が面倒くさいが、後々を考えればこの方が安心か。
アプローチを変える為、浮かべる表情を無害で人懐こそうなものに整えなおす。まるで今まで演技をしていたとでもいうように。
「……成程、それを聞けて安心しました。もしここで弟くんが据え膳と言わんばかり、喜んで私に手を出すような人間だったら、あかりちゃんを引っ張って帰るところでしたよ」
それを聞いた彼は呆れ交じりの溜息を吐く。
「当たり前だろ。……ていうか、そんなに節操なしに見えるか? もしそうならちょっとショックなんだけど」
「そうですね、あかりちゃんを家において一日目で手を出してなければ、もう少しその言葉にも説得力があったのですが」
「うっ……」
彼はギクリ、という音が聞こえそうなほど露骨に固まる。
アルコールによる判断力低下を加味しても、あまり隠し事は得意でないらしい。
「っていうか何でゆかりさんがそんなプライベートを知ってるんだよ?」
「え? 普通にあかりちゃんと話しているうちにそう言う話になっただけですけど? 幸せそうに『凄く優しくしてくれて、初めてだったけどすごく……良かったです』って」
「あかりィ?! お前ェ!!」
彼は裏切ったなと言わんばかりに再びバタバタとひとしきり暴れ……ようとしたものの、やっぱり体が動かずただ息をぜーぜーと切らしただけだった。
弱冠青筋を浮かべながらふてくされている彼に、にこりと笑顔を浮かべる。
「落ち着きましたか?」
「……おかげさまで。というか、試すのが目的だったならもういいだろ? そろそろ腕が痺れてきたし、放してくれると助かるんだけど」
「おっと、それはすいません」
何度も抵抗されるものだからつい力が強くなってしまっていたらしい。
足の力を少しだけ緩めるが――拘束はまだ外すわけにはいかない、用事はこれからなのだから。
足で締め付ける代わりに、彼のお腹に乗っている股の部分に体重をかけ、パーカーのジッパーを完全に下ろして肩から滑り落とす。
「あ、あのー。何でゆかりさんはおもむろに服をお脱ぎになっているんですかね……?」
「? 言ったじゃないですか、今から性交渉の練習をするって」
「?! いや、それはちゃんと俺が断るかどうか確かめるための演技じゃ――」
「私、そんなこと一言でも言いましたっけ?」
疑問符、感嘆符、そして困惑。一秒ごとにころころと変わる彼の表情は不覚にも、少しだけ面白かった。
「だって……だって、さっきゆかりさん言ったろ? 自分に手を出してたらあかりを引っ張って帰るとこだったって」
「ええ、あかりの事を適当に考えてるなら連れ帰るつもりだったというのは否定しません。あなたがあかりちゃんの事を大事に出来ないような人間かどうか確認することも私の仕事でしたので」
これは半分本当で半分嘘だ。初日のやり取りで最低限あかりを預けられるだけの誠実さはあると一応彼の事は評価している。
「だったら何で……」
「お二人が出来るだけ上手くいくようにサポートするのも私に与えられた仕事ですから」
「いや、そこであかり以外とのセックスを勧めるのは逆に妨害してないか……?」
ふぅ、と大きく。だがわざとらしくならない程度に、本気で呆れたようにため息をつく。
「まぁ普通はそうでしょうね。ただ性生活が上手くいってないというだけなら、私もここまで強硬策には出ませんでしたよ、相談程度でとどめてたと思います……ですが、なんですかあのギクシャク具合は」
「うっ……それは……」
思い当たるところしかない彼は言いよどんだ。
傍から見ても上手くいってないことが露骨に分かりすぎるほど分かってしまう……というか見せつけることで遠回しに解決を手伝ってほしい、と二人そろってアピールしてるんじゃなかろうかという具合だったのだから、それも当然か。
「……いや、でもやっぱりだからって、それでゆかりさんと練習ってのはおかしくないか?」
やっぱり拒絶する彼だったが、先程より語調は弱い。もう後ひと押しと言ったところだろうと、敢えて少しだけ拘束を緩める。
「なるほど。それでは弟君も乗り気ではないようですし今夜の事はなかったことにしましょう」
「え? あ、ああ。じゃあそういう事で――」
頑なだったのが一転、自分の意見に理解を示されるという困惑。
ようやく終わった、解放されたという安堵。
それらが思考の空白を生み出す。
「じゃあその後、弟くんはどうするつもりなんですか」
昨日更新を待っている方がいたら申し訳ありませんでした。
体調不良により、投稿前の確認すら出来ない有様だったのです(´・ω・`)
本日分も何か誤字脱字含めおかしな所があれば、ご指摘いただければ幸いです。