「今日は、いつもと違って会話しようとしないんですね」
翌々日のことだった。隣の助手席に座っていたゆかりさんが不意にそんなことを口にした。
意識を考え事から横に向けると、ゆかりさんは丁度タブレット端末を閉じた所で、パタンという音が車内に響く。
以前は時間があれば――もとい、何もしていない時はタブレット端末を触っていたのだが、最近はこうして会話に興じてくれようとすることもあった。
個人的にはワーカーホリックっぷりが減少して大変いい兆候だとは思うのだが……ただ、今日に限ってはこちらが会話できるような状況ではなかった。
否、今日だけじゃなくて昨日からというのが正しいか。
「……ああ、ちょっと考え事してて」
考えていたのは一昨日の事。
一昨日はあかりがオモチャを買って来たという衝撃や、それも自分で使う為や、最初はおにいさんに使って欲しい、などと言われた興奮に飲まれて考えられなかった。だが、一晩経って冷静になった昨日からずっと、色々なことを考えてしまわずにはいられなかったのだ。
あかりがあんなものを買う程度にはやはり満足させられていなかったのではないかという懸念。
行為中もなんだか激しい行為を望んでいる節があったような気がする点。
それに、本当にあのオモチャたちを買って来たのは一昨日だったのだろうか。
もしそうでなかったら、一昨日はいったい一人でどこに行っていたのか。
否、そもそもこんな疑念を抱くことになっている原因は――
「――とくん? 弟くん?」
ぺしぺしぺしっ、と不意に頬を軽くはたかれた。
「っ……ごめん」
「全く……今日は朝からぼーっとしてることが多いですけど、本当に大丈夫ですか?」
そう言うゆかりさんの表情は怪訝……というより本当に心配そうだった。
「もしかして風邪でもひいたんじゃないですか? 熱とかは――」
「いや、それは大丈夫! 本当に」
と、不意にゆかりさんが覗き込んで来るみたいに手を伸ばして顔を寄せてきて、慌てて距離を離す。
幾分動作が大げさになってしまったのは、先日のキスを思い出してしまい、蟠っている罪悪感が広がりかけたからだ。
気まずさに目を逸らしてしまいながらなんとか応じる。
「本当に熱とかじゃないんだ、ちょっと軽い寝不足なだけで……大丈夫」
昨日は考え込んでしまってあんまり眠れていないし、不調に見えるならそれが原因だろう。
ゆかりさんは躱された手を暫く空中で彷徨わせていたが、やがて無理矢理納得するかのように溜息を吐く。
「はぁ……正直その大丈夫という言葉はあんまり信用ならない気がするんですが。これから仕事なんですし、現場についてもそんな状態だと困りますよ」
言われて、改めてそういえばそうだったと思い出し、同時にそんなことまで意識から抜け落ちていたのかと自嘲する。
「……ごめん、そうだよな。無理言って同行させてもらってるんだし、こんなぼーっとして、怪我なんかする訳にもいかないもんな」
そうだ、この程度の寝不足など大学生として珍しくもない。あかりが来る以前の試験の時もこんな感じだった記憶があるし。
もう大丈夫だと伝えるために、軽く笑みを浮かべて見せる。
「まったく……本当にそうなんですから、気を付けてくださいね?」
まだ少し疑念はありそうな感じながら、ゆかりさんは起こしていた体をシートへ深く沈めなおして――けれど。
「……何か悩んでるなら、後で相談に乗りましょうか?」
以前同じようなことをいった時の、こちらを安心させるような微笑ではなく、心底心配しているといった表情でこちらを窺う。
もし相談できれば、もしそれで楽になれば――一瞬、そんな考えに口が自然と開きかけて。
「…………いや、本当に大丈夫。相談するほどのことではないからさ」
そうだ。そもそも今考えていることは全部ひとり相撲のようなものなのだ。断片的な状況を、自分の罪悪感が悪い方向へ膨らませてしまっているだけだ。
そう自分に言い聞かせ、そしてぴしゃり、と頬を叩いて目をしっかりと覚ます。
「それよりも、確認のためにもう一回これから向かう先について説明してもらっていい?」
「……まったくもう、やっぱりぼーっとして聞いてなかったんでしょう」
「いや本当にそれはごめん。ちょっと寝不足でな」
「じゃあ今度はちゃんと聞いててくださいよ?」
ゆかりさんは多少呆れたようにしながらも最初から説明してくれる。
「今日向かうのは、二か月ほど前から行方不明になった総機械型ボイスロイドの位置情報が昨日見られた場所です。まあ事前状況から自我個体だった訳ではなさそうですし、反応があったのは一人分なのでそんなに気負わず――」
――そう、聞いていてのだが。
「……なあ、反応があったのって一体……だったんだよな?」
「位置情報タグを狙って破壊された場合は、当然反応しない可能性もありますが……それにしても……これは……」
ざりり、と隣でゆかりさんがたじろぐ様に一歩足を引いたのが聞こえた。
到着した廃ビルを上階から順に捜索し、けれどどこにも痕跡はなく、もしかして誤情報だったのだろうかと思い始めた時だった。
一階の端、昇り階段とは離れた場所へ隠すみたいにして設置された黒い鉄扉を発見したのだ。
その周囲だけ妙に風化が進んでおらず、その時点で若干不穏なものは感じていたのだが――けれど、その先の地下空間に広がる光景と比べればそんなもの大したことはなかった。
懐中電灯で部屋の中を照らした瞬間目に入ったのは、幾本もの引き千切られたマネキンのような腕や足の残骸だった。
動揺に揺らがせてしまったライトの光は更に、それらの持ち主である胴体が何体も転がっているのを照らし出す。
けれどそれらがマネキンでないことは、手足や胴体から伸びた幾本もの黒ずんだコード、焼け焦げたプラスチックの悪臭、コンクリートの床に痕を残すオイル……そう言ったものが如実に語っていた。
「……まさか、これ全部ボイスロイド……なのか?」
「いえ、ガードロイドやウチ以外の製品も混ざってますし、全部……ではないでしょう。ただ、一人二人、ということもなさそうですが」
もしこれで人造皮膚までついていたら、連続猟奇殺人現場のようで直視できなかったかもしれない。
と、視界の端で隣のゆかりさんが、手を音が聞こえそうなほど強く握ったのが見えた。
「とにかく、もう少し状況を細かく見ていきましょう」
ゆかりさんのその言葉は、まるでこちらに向けられているというより、自分自身を納得させるためのようで。
(……いや、そう言えば元機械型だって言っていたし、ゆかりさんからしたらそれと変わらないか)
ゆかりさんの見たことないような緊張と嫌悪、そして何とも言えない表情の混じった顔に、思わず自分の表情も引き攣っていくのを感じる。
それくらい凄惨で狂気的な光景だった。
ライトをどの方に彷徨わせても、残骸が見えない場所はない。
どの個体も胴体から腕や足が引きちぎられ、執拗なまで徹底的に動けないよう壊されている。
まるで壊した人間の執念じみたものを感じずにはいられないような――
――否、違う。
第一印象の衝撃が落ち着いて、多少冷静に見れるようになったから、見れるようになってしまったからこそ気付いてしまう。
「ゆかりさん、もしかしてだけど……これってもしかしてお互いに壊し合って、ないか……?」
疑問形になったのは、そうであってほしくないという思いから。
だけど、一見乱雑に散らばっているように見える手には、他の手足を握った状態のものが少なくないことに気付いてしまった。
まるで互いに引き千切ったかのように。
「……もしくは、自分で引き抜いた……?」
「……いえ、多分最初の予想が正しいのだと思います」
転がる腕の一本に近づいて調べていたゆかりさんは、その手を拾い上げ、表情が消えた顔で振り返る。
「自分で、あるいは誰かが破壊したというだけならこんなに同じ個体のパーツが散らばってることはないはずです。けれど、この腕のモデルに互換がある胴体は向こうにあって――」
ゆかりさんがライトで指す先には、叩きつけられたように壁へともたれ掛かる胴体があった。否、白いセラミクスの胴体には蜘蛛の巣のような亀裂が入っていて、実際に叩きつけられたのかもしれないと思わせる。
「――一方で足があるのは向こうに」
ライトが全く別の方へ向けられ、照らされたのは先ほど見つけた手に捕まれた脚だった。
「ただ自己破壊しただけならあの胴体の破損の仕方は変ですし、こんなに態々同一個体のパーツをバラバラに散らす必要はない筈です」
確かにそうだ、ただ壊すだけなら手足を投げ捨てたように分散させる必要はない。こんな、まるで手足を届かない場所へ引き離すみたいに。
「それに……何より、例のパーツが混じってます。それも、かなりの数」
苦々しく吐き捨てたゆかりさんの声で、反射的に握っていた警棒に力が籠った。
この間襲ってきたユカリ型についていた、ボイスロイドの機能を破壊し、そしてロボット工学の原則すら無視して、人間の定義を上書きして攻撃できるようにしたあのパーツ。
人間を襲わせられるレベルでの改変が可能であるなら、同じアンドロイド同士、ボイスロイド同士で破壊し合わせることなど容易だろう。
だとすれば――認識を改めて再度部屋の中を見渡すと、そこにうつるのは猟奇殺人現場ではなく、かつて奴隷同士で殺し合わせたコロシアムのようにも見えた。
否、それすらも生ぬるしく正しくはない。
この壊し合い、殺し合いがまだ見世物として行われていたのであれば、胸糞悪いながらまだ理解の範疇にあったのだろう。
けれどこの地下室に悪趣味な観客席はない。
それはつまり、この地下空間はただ誰に見せるでもなく潰し合わせる為だけに存在していて――
――ふと『蟲毒』という言葉が思い浮かんだ。
多数の虫を小さな壺の中に押し込めて、飢えさせ、互いに殺し喰いあわせ、呪いを生み出すという民間伝承。
「……何のために、こんな」
気付けばそう口にしてしまっていた。
思わず口をついた、と言ってもいいかもしれない。独り言みたいな、答えを期待しての言葉ではなかった――のだが。
「戦闘データ取り……ってとこでしょうかね」
ゆかりさんは、さっきとは別個体のパーツを検分しながら無感情にそう言った。
「戦闘データって……だったら何でボイスロイドまで……! それならガードロイドだけで十分……いや、例えそうだとしてもここまでする必要性は……!」
そうだ、ガードロイドの目的はあくまで攻撃からの保護、不審者の拘束だ。抵抗されればその過程で戦闘行動を取る場合もあるが、それはあくまで副次的なものに過ぎない。
こんな惨たらしいまでの破壊をする必要などないのだ。
けれど、ゆかりさんは全く同じ声の調子で続ける。
「そうではありません。今言った戦闘データとは……兵器転用を目的としたものです」
「兵器……けど、それはアンドロイド法が禁止してるじゃないか! なのにどうして――」
「――その法律はあくまで国内法です」
暗い地下室に、無感情では殺しきれなかった感情が、歯を噛みしめる音となって響いた。
「国によっては、戦闘型アンドロイドの開発はグレーゾーンとして許容されていますから。『自律ミサイルや自動輸送車、警戒ドローンは許されるのに、それが二足歩行になったら禁止するのか』なんてお題目で」
「それは……そういう国があるのは分かってる。けれど、そういう所はそもそもアンドロイド技術を重視していないせいで、半自立制御に留まってるから――」
「――だからこそですよ。だからこそ、完全自律型で人間に類似した判断パターンを持つことができるボイスロイドが戦闘兵器として使えるなら――圧倒的な優位を取れる、アンドロイド相手だけでなく生身の兵士相手にも。そういう考え方もできませんか?」
そんな使われ方が、ボイスロイドの未来であっていい訳がない――けれど、ゆかりさんが言うように考える人間がいることを否定することもできなかった。
現に目の前に広がる惨状は、そういう考え方でなければ作り出せない光景でしかなかった。
「……もしかして、例のパーツが人間を攻撃できるようにしようとしてたのも」
「ええ、そう考えた方が一貫性があります。……けれど、技術的難易度で考えれば人間への認知モデルを破壊することの方が……だとすれば、この間のユカリ型はここでの成果……?」
ゆかりさんは手近な残骸の断面を確認したり、そこからデータが取れないか作業をしながら考え込み始める。
とはいえ、この数を一体ずつ、一パーツずつ調べていくのは、いくらなんでも時間がかかりすぎるだろう。
「ゆかりさん、集中してる所悪いけれど、流石にこの数は手に余ると思う。一度部長に事情を伝えた方がいいんじゃないかな」
「……確かに、そうですね。指示段階では居て数体、という想定だったようですし、この状況は想定外です。そうしましょう」
そう言ってインカムの通話ボタンを押したゆかりさんだったが、すぐに顔を顰める。
「そういえばここは地下でしたね……やはり一度上に上がらないと繋がりませんか」
「入り口も鉄扉だったしな。じゃあ一度上に戻って、そこで連絡して応援を――?」
と、入り口の方へ振り返ってライトを向けた時だった。
入ってきた時には先に広がる光景のせいで気付かなかったが、階段口の横にキラリと光を反射する何かがあるのに気付く。
金属というよりは生物的な印象のある光り方。一瞬ネズミか小動物かと思って――けれど、妙に見覚えがあるその白さに気付いた。
気付いてしまった。
「……あかりの毛と、同……じ?」
あかりの事を意識してしまった瞬間。仕事中だからと考えないように心の奥底へ押さえ込んでいた、あかりがどこへ行っているのかという不安が湧き上がり、目の前の異常な光景と結びつき、最悪な想像となって頭の中で生々しい像を描く。
――あかりが巻き込まれたんじゃないだろうか、と。
そう思ってしまった瞬間、けれどそうではないと反射的に否定する自分が叫び、藁を掴むように白い毛束へと足を突き動かされてしまっていた。
それ以外何も目に入っていない状態で。
「――ッ!! 弟くんッ、前ッ!!」
意識を引っ張り戻したのはゆかりさんの引き裂くような声だった。
虚を衝かれた思いで毛束の周囲へと意識を広げ、その先から一体のアンドロイドがこちらに突っ込んで来ているのが見える。
両脚健在、片腕健在、更にその手には鈍く光る金属の光。
(――! しまった、まだ動けるのが……ッ!?)
最初に見えた光景のせいで、眼前のアンドロイドが悉く破壊されつくしたもののせいで――この部屋に健在な個体がいるという発想すら出てこなかったことに、今更ながら頭が回っていなかったのだと思い知る。
けれど、後悔するには遅すぎた。
金属片のギラリとした輝きが闇を引き裂く直線となってこちらへ突き出されるのが、スローモーションに見える。
胴体狙いか。そう分かってもだが、全くの無防備にふらりと前進していた体勢からでは回避も防御も間に合わない――ッ!?
急に首が締まる感覚。それ共に、横へと体が引っ張られた。
同時、自分とすれ違うようにゆかりさんの細められた紫色の瞳が前へと飛び出す。
(そうか、ゆかりさんがシャツを引っ張って――)
けれど、迫るアンドロイドもそれに気付いたのだろう。スローモーションのような視界の中、金属片の軌道が途中でぐにゃりと歪に歪み、ゆかりさんへと向けられ。
次の瞬間、黒板を削り取ったような鈍く耳障りな金属音が、暗い地下空間全体を震わせた。
「――ッ、ゆかりさんッ!!」
地面に叩きつけられる寸前で何とか反射的に受け身を取り、膝立ちになったところで見えたのはゆかりさんの左肘関節を貫通している金属片だった。
歪な包丁みたいな金属の牙が、機械型腕の関節部を削り削ぎ、爆ぜる橙の火花の向こうで、ゆかりさんの表情が歪む。
軌道の逸れた刃が彼女の頬を舐め、時間が引き延ばされたようにゆっくりと白い肌へ紅い線が描かれた。
――ボイスロイドも、血は赤いのだな――と一瞬場違いな考えが頭を過る。
けれどアンドロイドはそんなことお構いなしに、突っ込んだ勢いをそのまま脚へと乗せて、ゆかりさんの胴体を思い切り蹴りぬいた。
「がッ――はぁっ……!?」
肺から空気を圧し出されたような音と共にゆかりさんの小柄な体躯が吹き飛ばされ、どすッと鈍い音を立てて奥の壁へと叩きつけられる。
彼女の体は反撃するでも構えるでもなく、ただ壁にそってずり落ちるように地面へ倒れて――その後を追うように地面を蹴ったアンドロイドの意図など考えるまでもなかった。
「ゆかりさんッ!!」
手の平で地面を押し出し、足の筋肉全てで地面を蹴り飛ばし、ゆかりさんの元へと駆ける。
アンドロイドも自分も距離としてはゆかりさんまでほぼ同じ、十歩もない程だ。
だがスタートの分相手の方が半歩有利。
(間に――合え――ッ!!)
足元に転がる残骸が間に合わなかった未来を暗示していて、だからこそ一歩を少しでも大きく、疾く――ゆかりさんにこれ以上怪我を負わせてなるものかッ!!)
残り八歩、七、六、五――アンドロイドが腕を、そして鈍く光る金属片を大上段に振りかぶる。
四、三――片腕だけで振りかぶるという無茶な体勢のせいか、僅かに速度が落ちる。
二――金属片が弧を描いて振り下ろされ始める、狙いは頭部。
一――肺の酸素を吐き出し、少しでも軽く、僅かでも速く。
全体重を肩にかけてアンドロイドの横っ面に突撃した。
「こ――のッ――!」
両足が地面から離れた瞬間、肩にセラミクスの固い感触がぶつかり、そしてふわりと宙へ浮く。
真横にゆかりさんの顔が見え、その横で鈍い光が空を切る。
ギィィン――金属がコンクリートを打ち据える衝撃が鼓膜に響くと共に、重力が戻ってきた。
同時に肩が、じんじんとした熱を帯びる。
「っぐ――!!」
けれど、体の下に押し倒したアンドロイドが蠢きかけたのに気付き、歯を食いしばってその肩関節部分――機械式の装甲がない部分へと警棒を突き立て、トリガーを引く。
警棒と肩関節駆動部の間で青白い電撃がスパークし、漸くアンドロイドはその動きを停止した。