気まずさを押し殺して、彼女の目をじっと見る。
「……ごめん。隠しごとって言うと、俺の方こそあかりに謝らないといけないことがあるんだ」
「えっ……?」
今度はあかりが不安そうに固まる番だった。瞳が不安げに揺れて、そんな姿を見てるだけで申し訳なさが募る。
それに、言ってしまったら今度こそ本当にあかりから嫌われるかもしれない。そんな恐怖がない訳ではない。
けれど散々今まで誤魔化して来たのだ、ケリはつけなくちゃいけないだろう。
「実は……だな、俺もゆかりさんと練習……つまりセックスしてたんだ。本当にごめん!!」
床しか見えないほどに頭を下げたのは、謝罪の気持ちと共に顔を見るのが怖かったというのもあるかもしれない。
一秒、二秒、三秒――ただ張り詰めたような無音だけが部屋に響いて。
「……っ、良かったぁ。突然改まるからもしかして、私のことが嫌いになってしまった、みたいなことを言われるかと思ってました」
「えっ……」
心底安堵したような声。想定外の反応に顔を上げると、あかりがこちらに向かって柔らかな笑みを浮かべていた。
「心配しなくても、そんなことぐらいでおにいさんのことを嫌いになったりなんてしませんよ」
何だそれ、あまりにも男に都合がいい話じゃないか。嫌われなくてよかったという感情と、けれどどこか納得できない思考に頭を掻き混ぜられて何も言えない。
「多分これは、私が元セクサロイド、それも風俗に配属された個体だった影響なのかもしれません。私はおにいさんが私のことを好きでいてくれるなら、おにいさんが他の女の人――ゆかりおねえちゃんはボイスロイドですけど、が好きでも構わないって思ってるんです」
そう言って本心からはにかむあかりの表情は少し人間離れしているように感じられた。
(ああそうか、やっぱりあかりもボイスロイドで、人じゃないんだな)
分かっていた筈のことを、今更ながらに本当の意味で理解出来た気がした。
「それに、何となくそうなんじゃないかなって、ずーっと思ってましたから」
「っ!? ……バレてたのか?」
だとしたら気付いていながらずーっとその事を黙ってて……何だろう、普通に責められるより余程怖い。
「いえ、確信があったわけじゃないんですけど、最初はゆかりおねえちゃんとおにいさんの触り方が似てるなーって」
それは、仕方がないかもしれない。彼女から教わったのだから。
「後は、おねえちゃんがやたらとおにいさんの気持ちよくなるところを知ってたりとか」
……うん?
「ゆかりおねえちゃんが用意してくるディルドのサイズが丁度おにいさんのと同じで、ああ、おにいさんの身体のこと知ってるんだなーって」
「……そ、そうか」
ゆかりさんかよ! バレた原因!!
がくん、と思わず脱力する。
散々人にはバレないように言っておきながらこの有様……いや、詰めが微妙に甘い感じがゆかりさんっぽくすらあるけれど!
「ま、まあ兎も角だ。これ以上ゆかりさんとそういうことはしない。約束する」
「え? さっき言ったように私は気にしないですよ?」
「そうかもしれないけど、そもそも今日みたいな状況になったのはそれが原因だし」
ゆかりさんに押し切られた時もそうだし、今日のこともそうだが、自分の弱さが招いたことだ。
だとすれば、ここできちんとけじめをつけておかねばならないだろう。そう思ったのだが。
逆にあかりは難しい顔でうーん、と唸ると、これまでになく真剣な目でこちらを見据える。
「おにいさんは、ゆかりおねえちゃんのことどう思ってるんですか?」
「どうって……」
質問の意図が分からない。
「だから、ゆかりおねえちゃんの事が好き――ううん、好きってほどじゃなくても、気になっていますか?」
「いやそれは……」
頭の中をいろんな考えが廻る。
自分はゆかりさんのことをどう思っているんだ?
いや、そもそもこれは「はい」と答えていい質問なのか?
いやいや、さっきあかりはゆかりが好きでもいいと言ってたし――
――考えが纏まらないでいると、あかりが続ける。
「おにいさんも聞いていると思いますけど、ゆかりおねえちゃんには会社にいた時からお世話になってるんです」
それは知っている。あかりからもゆかりさんからも聞いたことだ。現にあかりはいまでもゆかりさんの事を慕って、おねえちゃんと呼んでいる訳だし。
「会社にいる間、ゆかりおねえちゃんは寂しくないように色々話しかけてくれたり、外に出れないのを気遣って一緒に過ごしてくれたりしました。けれど、どこかで私との間に一線を引いているところがあったんです。なのに、寂しそうな表情を一瞬だけふと浮かべることもあって」
口にするあかりも寂しそうに腕を掴む。
「私のことは大事にしてるんですけど、一方で自分のことはどうだっていい、付き合う資格なんてないみたいな距離感があったんです」
すきやきパーティーの夜を思い出す。あかりから見てもそうだったということは、あの夜ゆかりさんが露した思いは本心だったということか。
「やっぱりおにいさんも分かってるんですね」
表情で察したのか、あかりの口許に少しだけ嬉し気な色が戻った。
「そんなゆかりおねえちゃんなんですけど、おにいさんと一緒にいる時は心の底から楽しそうにしてるように見えるんです」
「そう……なのか?」
今までのゆかりさんを思い返すと、揶揄われたりしたことの方が多い。……まあそれも、楽しそうにしてると言えばそうなのだろうか?
「そうですよ! 私と話す時もおにいさんの話題になると凄く生き生きしてて。あんな風にゆかりおねえちゃんも笑えるんだって思ったんですから」
自分の知らない所で自分のことが話題に上がっていたということが、すこしむず痒く感じる。
「因みに、それって一体どんな話を――?」
「ふふ、それは秘密です」
あかりは唇に人差し指を当てて、口角をあげる。それからコホンと咳ばらいを一つ、真面目な表情へと戻した。
「兎に角大事なことは、ゆかりおねえちゃんがおにいさんのことを好きって事です」
「いやいや、いきなり話しが飛んでないか!?」
「飛んでませんよ、さっき言ったじゃないですか。ゆかりおねえちゃんはおにいさんと一緒にいたり、おにいさんのことを話していると楽しそうだって」
「いやでも、それは……例えば仲のいい友人とか、息が合う相手だからとか、そういう可能性だってあるんじゃないか」
「違いますよ、そういうのとは」
きっぱりと断言するあかりの言葉には確信しているからこその説得力があって、思わず黙ってしまう。
「これも元セクサロイドだからですかね、恋愛の機微みたいなのは分かってしまうんです」
「……それが事実だとして、あかりは俺にどうして欲しいんだ?」
一番の疑問はそこであった。
「だからゆかりおねえちゃんのことをどう思ってるか聞いたんですけど……。言ってしまうと、出来ればおにいさんに、おねえちゃんの事を受け入れて欲しいと思ってるんです」
「つまり、ゆかりさんとも付き合って欲しいってことか?」
「そういうことです」
あかりは決して冗談でも、気持ちを確かめるためのカマかけでもない、真っすぐな目でそう頷いた。
「いや、いやいやいや――」
突然の、それも予想外なお願いに思考がぐるぐると空回りし、考えが意識の表面で滑る。
……いったん落ち着こう。
あかりのいう通り、ゆかりさんが時折寂しそうな表情を見せたり、距離を取ろうとするのは事実だ。そして俺に対して好意を抱いているのも確からしい。
「――けどそれなら、ゆかりさんの友人とかでは駄目なのか?」
「それじゃあダメだと思うんです」
あかりは、ふるふると首を横に振る。
「今のゆかりおねえちゃんは、私が――恋人がいるから、おにいさんと親密になりたいのに一歩離れた状態を保とうとしてしまっている状態なんです。自分が邪魔になってはいけないって。例えばこの間お出かけした時も、私が押し切るまで一緒に出かけるのを躊躇してたのに、行ったら凄く楽しそうじゃなかったですか?」
そう言えばそうだった。あかりが席をはずしている間に話した時も、どことなく自分のことが邪魔なのではないかということをしきりに気にしているようなそぶりだった。
というか、あかりはあの時点で既にゆかりさんの気持ちに気付いて、なんとかしようとしていたのか。
ゆかりさんの事を理解していたつもりになっていたが、あかりの方がよっぽど深く理解しているのかもしれない。
「だからゆかりおねえちゃんの遠慮をなくすには、おにいさんに対して私と同じ立場に、恋人にしてしまうしかないと思ったんです」
……理屈は成立している。ゆかりさんを孤独から救ってあげたいというあかりの想いも分かるし、それは俺だって同じだ。けれど、それを受け入れることが難しいのはやはり。
「あかりは、本当にそれでいいのか?」
「はい、むしろそうして欲しいです」
間髪入れずにあかりは首肯する。
「いやでも、そうなったらあかりと二人だけの時間は減ることになるんだぞ?」
「そうかもしれません。けど、それでも私はゆかりおねえちゃんにも幸せであって欲しいんです」
今まで庇護するべき対象だと思っていたあかりが、急に大人びた表情を浮かべたように見えた。
「けど仮に――仮にだけど、それで俺があかりよりゆかりさんの事を好きになってしまったらどうするんだよ」
「それでもいいですよ。だって、そうなっても私のことは好きでいてくれるんですよね?」
「それはまあ、当たり前というか何というか……」
言うまでもない。あかりを嫌いになるなど、いや、好きでなくなることなど生涯あり得ない。
「それなら大丈夫です。だって、ゆかりおねえちゃんがおにいさんのこと好きなのは知ってますけど、おにいさんの事を一番大好きなのは私ですから」
あかりは、にこりと満面の笑みを浮かべた。
絶対の自信。それだけは負けないという、だから大丈夫だという、揺るがない自信。
自分の弱さで板挟みになって、うじうじと一人悩んで、勝手に傷ついて、勘違いで暴走した自分とは違った。
「私は、おにいさんのこともゆかりおねえちゃんのことも大好きです。だから、二人とも幸せであって欲しい、皆で幸せになりたいと思ってるんです。だから、おねえちゃんの気持ちに応えてあげてくれませんか?」
あかりのことが眩しく見える。
そこまで言われては選択肢などなかった。
「……分かった。そうするよ」
満面の笑みであかりは頷いた。
「はい! お願いします! ……あっ、ただ一つだけいいですか?」
「どうした?」
さっきまでの自信に満ちて堂々とした表情から一転、あかりは少し不安げにこちらを見上げる。
「その……ゆかりおねえちゃんって大人っぽくて魅力的ですから……おねえちゃんにだけじゃなくて、偶には私にも甘えてくださいね?」
いや、ゆかりさんが大人っぽいのは表面だけで――いや、ここはそんな野暮なことを言う場面じゃないだろう。
「当り前だろ、だってあかりのこと大好きなんだから」
「えへへ、ありがとうございます」
どちらからともなく手を伸ばし、お互いを抱きしめる。
これから考えなければいけないことは色々とあるだろう。だが今はただ、あかりが自分の隣に居続けてくれるというそれだけで十分だった。