思い返すのは一匹の蝶とその蝶にも似た、恋をしてしまった一人の異性のことであった。
※誤字脱字、乱文あり
※解釈違い、設定違い
※ご都合主義、ご都合展開
※オリキャラあり
※R-18というにはあまりエッチくはないかも…
※かつてあった「東方夜伽話」というサイトにて投稿していた話を少々修正して投稿しております
以上のご注意の上、それらが許せる方はお暇つぶしにでもどうぞ
※
幼い頃の、夢を見た。
それはお父様もお母様も忙しく、私は一人で西行寺家の中庭で遊んでいた時の事だった。雨上がりに香る甘い匂いと、それを飛散させようと降り注ぐ初夏の日差しが眩しかった事がとても懐かしく感じられた。
私はその中庭にて、お気に入りの鞠を蹴って遊んでいた。けれど四半刻もしない内に、一人で遊ぶのに飽きてしまった。自分の遊びに付き合わせようと従者の姿を探したが、彼女たちは全員屋敷の中に引っ込んでおり、中庭には私を除いた他には誰もいなかった。仕方が無く、私は何か面白いものはないかと中庭にあるものを物色した。
左を見ると深緑の葉を青々と茂らせる桜の木に、途中で変な方向へと曲がった松の木があり、右を見ると中央に小さな島とそこに続く赤い欄干の橋が掛かった古池がある。屋敷をぐるりと囲う塀の向こうには澄みきった空が広がり、遠くには入道雲も見えた。
天気の良さも相まって、庭師たちの手によって綺麗に整えられた中庭はそれだけで美しかった。だが、子どもだった私にはそれが分からず、何の面白みも無い庭だと頬を膨らませ一人憤慨した。
そんな時、一匹の蝶が中庭に迷い込んできた。
優しい色をした黄色に、憂いを帯びたような青。そして、それらを包むように綺麗な曲線を描いた漆黒の羽がとても印象的だった。その鮮やかで、且つどこか優しく温かみのある色合いをした蝶を見た私は一目で虜となった。
蝶は、しばらく行く宛も無いかのように宙を舞っていたが、ふいに私の傍まで下りてきた。目先で飛び回る蝶にすっかり心を奪われていた私は、すぐに触れられる距離もあって、捕まえようと手を伸ばした。
しかし、蝶は伸ばした手をひらりと避けて離れていく。そのまま逃げてしまうかと思って、私は思わず嘆息を漏らした。だが、蝶はしばらくするとまた再び私の近くに来て、ひらひらと舞い踊るように飛んだ。
その軌道は捉えどころが無く、傍から見ると不安定な飛び方に見えた。
そして同時に、私を誘っているかのようにも見えた。
※
「……」
寝室で目を覚ました私は、ゆっくりと上半身を起こす。障子が開放され、中庭が見える廊下のほうへと目を向けると、外はまだ暗かった。視線を戻した私はぼんやりと薄暗い部屋の一角を眺めながら、先ほどまで見ていた夢を思い返した。
夢を見る事自体が久しぶりだった。思えばもう、何年、何十年と見ていないような気がする。それだけに、先ほどの夢はとても印象に残った。
良い夢でも、悪い夢でもない。空想や妄想の類でもない。お父様もお母様もご健在で、私自身もまだ生きていたあの幼い頃に過ごした一夏の夢。
私には生前の頃の記憶が無い。だから、夢の中の出来事ではあったが、その幼い頃の思い出が本当に生前の記憶かどうかは分からない。けれど、私自身がその場所にいたかのような錯覚を覚え、今もこうしてあの頃の夢だという事を思い出したのだから、決して記憶違いという事はないだろう。少なくとも、私はそう思いたかった。
しかしながら、一体何故そんな夢を見たのか? 右手を唇へとやり、その姿勢のまま少し前かがみになって、先ほどの夢を見た理由を考えてみる。すると、寝間着として着ていた白い襦袢がはだけしまい、親友である八雲紫と比べても見劣りしない胸が揺れた。
「んっ」
その振動に、私はやや眉根が寄るのを感じた。普段は着物なのであまり気にしていないが、こうして開放されるとやはり重い。亡霊だというのに、胸の重みを感じるというのもいささか不思議な話ではあるけれど、実際にそうなのだから仕方がない。
しかし、同時に答えが見つかったので気にしない事にした。
蝶の夢を見たのはきっと、彼があの日の蝶のようにふらふらとここ白玉楼に来たからだろう。それと似た経験をしている幼き頃の思い出が、今宵の私の夢として現れたのだ。
思えば彼と出会ったあの時も、私は今のように眉根を寄せていたのだろう。
幽霊になった状態で白玉楼入りするのが普通であるのに対し、彼は人の形を保った生霊として現世と冥界の垣根を越えて入ってきたからだ。
幽霊でもなく、亡霊でもない。魂が未だに肉体へと繋がった、所謂幽体離脱の状態で冥界をさ迷い、彼は白玉楼に辿り着いた。その為、中庭に迷い込んだ彼の姿を見て私は訝しげに思ったことを覚えている。例え魂の状態になっているとはいえ、まだ生きている人間が白玉楼に来る事自体が珍しいからだ。
すると、背後を気にしながらも物珍しそうに白玉楼を見つめていた彼が、私の視線に気付いてこちらを見た。そして、まるで自分の好きな玩具を見つけた時の子どものような顔をした後で、思わず見入ってしまうほど優しく微笑んでから頭を下げる。
それが彼との初めての出会いであり、私の恋の始まりでもあった。
「……ふぅ」
大して深く考えた訳ではないのに、答えを得た私は肩を上下させるほど大きなため息をついた。
その原因は分かりきっていた。蝶の夢について考えていたはずだったのに、いつの間にか彼の事について考えていたからだった。
一見何の関連性もないように思えるが、彼と蝶を切り離して考えようとすればするほど、その一人と一匹はどちらも似たような行動を私に見せていたのを思い出してしまう。
まるで目的がないかのようにふらふらとあちこちに飛び、かと思えば不意に私を誘うように近づいてくる。けれど、傍に置こうと手を伸ばしても捕まえられず、また何処かへ飛んでしまう。
「自分勝手と言うべきなのかしら? それとも、自由と言うべき?」
気が付くと、私は無意識の内に右手を虚空へと伸ばしていた。
蝶を捕まえようとした時も、白玉楼を後にしようとする彼を引き止めようとした時も、私はこうして今のように右手を伸ばしていた事を思い出した。そして、あの時と同じように何も掴んでいない手の平を見て自虐的に笑った。
それから、視線を布団の左側へと落とした。一人で寝る為の大きさの布団であるにも関わらず、気がつけば右側に寄って眠る癖がついてしまっている。そして、瞳を閉じればその空いた左側に幸せそうな顔をして眠る彼の顔を想起出来る事にも気付き、私はもう一度笑った。
一体、いつからこんな体たらくになってしまったのだろうか?
すっかり目が覚めてしまった私は、布団の中央へと体を移動させた後で再び思考の海へと潜った。しかし、答えは深く考えなくてもすぐに出た。どう考えても彼の存在、彼と出会ってしまった事、彼に恋をしてしまった事がそもそもの原因だと思われた。
終わった恋を引き摺っているつもりはなかったが、心のどこかでは未だに彼を求めているのだ。
「ん……んぁっ!?」
その事に納得して大きく頷くと、それに併せるように胸も大きく揺れてしまい、その先端が襦袢に擦れた。私は思わず艶かしい声を上げてしまった。その声を他の者に聞かれていないかどうか辺りを見渡した後、自分をこんな体にした原因も彼にあると、私は左を向いて睨む。当然、そこには誰もいなかった。
もし彼がいたのならば、体を竦ませてまずは謝ってくるだろう。少し考えれば、原因は自分だけにあるのではないと思うはずなのに。
だがそんな彼だからこそ、この体を自由にさせたという事実に目を向けると、自分の恋心が起こした行動を思い出してしまい、心の内に湧き上がった恨めしさはすぐに雲散霧消した。一緒にいて欲しいと思うあまり同衾に誘うなど、あの頃の私はどうかしていたのだ。
心中には気恥ずかしさだけが残り、私は両手で布団の端を掴み、顔が隠れるように引っ張り被せた。
布団の中で、顔が熱いお茶を淹れた湯飲みの如く熱を帯びていくのを感じつつ、私は独り呟いた。
「やっぱりあの時の蝶のように、貴方を閉じ込めてしまったほうが良かったのかしら?」
それから、頭から離れなくなってしまった彼との出会いを思い出しながらも、私は眠る為に瞳を閉じた。
※
白玉楼中の人となる、という言葉があるように、冥界にある白玉楼は死者の魂を迎え入れる場所になる。そこの主として私、西行寺幽々子と、庭師兼護衛役の魂魄妖夢。そして家事手伝いとしての幽霊が多数住んでいる。
毎日のように下界から幽霊が漂い、冥界へと招かれ白玉楼入りする為、彼らを管理するという仕事の上で退屈する事は何もない。けれど、妖夢や白玉楼を訪れる紫、その式である藍以外の訪問者は大体が幽霊なので、その姿に見飽きているという意味では退屈していた。
その為、興味本位で西行妖を咲かせて、その桜の木の下で眠っている者を復活させようとした事もあった。
無論白玉楼を管理するに当たって、冥界から一歩も出ないように、と地獄から言われている訳でも無いので、ちょっと遊びに行きたい時や月が大きくなり夜を止める事になった異変の時、天人が起こした異変の時などは現世に下りたりもしている。
現世は俗に塗れていると同時に、様々な色と側面を私に見せてくれる。かつて私もその中にいたと思うと、その景色が懐かしく思えついつい長居してしまう。人里の茶屋に居座り続けて団子を食べるのも、往来する人々の姿を見て楽しむ為に一番良い場所だからだ。
何も茶屋の団子が美味しいからという安易な理由で居座っている訳ではない。妖夢はそこのところを勘違いしている。
それでも私が帰るべき場所は冥界の白玉楼である。けれど、様々な者たちと関わった後に戻って、幽霊たちの姿を見るとやはり物足りなく感じてしまう。
時々、亡霊がふらふらと白玉楼入りする事もあった。幽霊とは違い、生前の姿のまま訪れる彼らを見ると、同じ亡霊として嬉しい気持ちになる。だが、亡霊というものは一部の例外を除いて、存在するだけで周囲に悪影響を与えるものがほとんどの為、妖夢や私自ら追い返す事になる。
だからこそ、生霊としてこの白玉楼を訪れた彼を一目見た時、私はその存在を疑うと同時に胸の昂りを微かだが確かに感じていた。
※
「ふふふ。もしまた貴方が来るような事があれば、今度は侵入者と勘違いして斬りかからない様に言い聞かせておくわ。ねぇ、妖夢?」
「あ、あはははは」
自分が置かれた状況と、白玉楼に迷い込んだ際に斬りかかってきたという妖夢に多少の恐怖は見せていたものの、彼は終始穏やかだった。
その事について尋ねてみると、「騒いだところで現状が変わるわけでもない」と中庭の見える縁側に座った彼は、引き攣らせた笑みを見せる妖夢が出したお茶を嬉々として受け取り、盆を挟んで右隣に座った私に言った。
未知に勝る恐怖はないけれど、その未知を知りたいという好奇心もある。その考えが、彼をこの白玉楼まで導いたらしい。そしてその考えの通り、彼は白玉楼のありとあらゆるものに対して興味を示した。
花を咲かせない妖怪桜、西行妖に始まり、半人半霊の妖夢、料理や掃除をする幽霊の事や、亡霊と幽霊の違い。そして、私自身に対しても臆することなく尋ねてきた。
後に彼は平伏して謝る事になるのだが、この時は「もう自分は死んだのだ」と勘違いしていたらしい。だから、普段であれば聞かない、聞けないような事も遠慮せずに聞けたのだと言う。好奇心は猫をも殺す、という言葉を知らないのかしら?
しかし、それを差し引いたとしても、好奇心の塊となっていた彼に私は惹かれていた。
彼の質問や疑問、考え方は、この白玉楼の見方を大きく変えたからだ。当たり前すぎて疑問にすら思わない事も、彼の質問を通すと不思議とその事が疑問へと変わっていった。
もちろん、全ての質問は答える事が出来た。彼も感心するように話を聞いてくれたので、すぐにそれらの疑問はいつも通りの日常へと戻った。けれど、それらに対する興味だけは日常に戻る事はなく残り、私はとても新鮮な気持ちになって自身の住処である白玉楼を見つめなおす事が出来た。
それだけに、話を聞いて、単に頭にぶつかった本が原因で幽体離脱してしまったという結論に至り、自宅に帰ろうとする彼の後ろ姿を見てひどく寂しい気持ちになった。無意識に右手を去っていく彼の背中に伸ばしていたのはその時からだった。
だが同時に、彼に対して自分の心が揺れている事を自覚していた為、心の隅でどこか安堵していたところもあった。
恐らくは、もう会う事もない。仮に彼が死んで白玉楼入りしたとしても、その時は幽霊となっているだろう。特定の形を持たない幽霊が、生前の姿に戻るという事はまずあり得ない。だから、この揺れ動く心は一時的なもので終わる。
そう思っていたからこそ、西行妖を咲かせようと画策している最中に、再び彼と顔を会わせた時には周章狼狽の体を晒してしまった。
※
西行妖を咲かせようとしていた時は、白玉楼へと至る道に結界を張っていた。また、屋敷へと続く階段の途中には妖夢を置いて、それでも入ろうとする侵入者の撃退と春を回収する任とを併せて就かせていた。
そんな万全の体制を敷いた上での計画だったので、飛ぶ事すら出来ない普通の人間である彼が生身の体で白玉楼へと辿り着いた事に私は驚愕した。
けれど、隣にいた紅白の巫女が彼の前に立ち、「春を返してもらうわ」と弾幕を展開したので、私はすぐに己を取り戻し、自身の目的を達成する為にその決闘を受けてたった。
そして、私の敗北によって、春は巫女の手から幻想郷へと戻った。
目的を達成し、早々に立ち去ろうとする巫女を尻目に、彼は疲弊した私のところへとやってきた。倒れていた私を優しく抱き起こし、怪我の心配、妖夢の無事を知らせ、それから計画の邪魔してしまった事を詫びた。
私と戦ったのは紅白の巫女であるのに、彼はまるで自分が主犯であるかのように謝る。その必死な姿が面白おかしく、またその優しさがとても嬉しくて、気がつけば私は笑っていた。そしてそんな私を見て、彼も安堵のため息をついて同じように笑った。
初めて会った時の笑顔を見た時も感じた事だが、彼の笑顔には不思議な魅力があった。
そんな私が恋心を抱いたのに気付いたのは、夢に出てきたあの幼い頃の蝶のように、異変の後しばらくしてから、彼がふらふらと白玉楼を訪ねてきた時だった。
空も飛べず、冥界への入り口もまともに分からなかった彼が、長い階段を上りきってわざわざ白玉楼まで来る理由が分からず、私は尋ねた。すると、彼は息を切らせながら私に会いに来たと言った。そして、白玉楼が、私が好きだとも。
額の汗を拭い、はにかんで笑う彼の姿に胸を締め付けられるような思いと共に、私もまた彼の事が好きだという自覚を持った。
けれど、彼は人間で私は亡霊。生と死という決して交わる事のないその事実が、恋焦がれようとする私の本能を押し留めた。だからこそ、私はあまり興味がないとでも言うような飄々とした態度で「あらそう」と言い返した。
そして、一緒にお茶を飲みながらも、これからも頻繁に訪れるようであれば、白玉楼を任されている者として然るべき対応をさせてもらうという事も遠まわしに伝えた。
その言葉を聞いた彼は、酷く残念そうな顔をした。だが、「頻繁には訪れないようにします」と別れ際に意味深な言葉を残し、その時は大人しく護衛として途中まで同行するように伝えた妖夢と一緒に帰っていった。
※
そしてその後、彼は言葉通り“頻繁”には白玉楼を訪れなかった。
自分で言った以上、そんな彼を追い返す訳にもいかず、私は決して恋に身を焦がさぬよう一線を引いた態度で接するように心がけた。そして、わざわざ危険を冒してまで私に会いに来てくれる彼の身を案じるという本音を、「貴方には飽きた」という建前で上塗りをし、一人で白玉楼に来ないようにと条件を付けて遠ざけようともした。
しかし、そんな無茶な条件を提示されたのにも関わらず、彼はそれを守り、それ以後決して一人では来なかった。人里へと買出しに出かけた妖夢と一緒に、取材をしに来た烏天狗と一緒に、そして挙句の果てには親友である紫と一緒にスキマを通って、私に会いに来た。用務や烏天狗はともかく、紫に至っては絶対に楽しんでやっていると思う。
けれどもそこまでして会いに来てくれる彼に、ついに私の理性という名の牙城は崩され、心は再び恋という名の炎に包まれてしまった。
もっと彼に会いたい。もっと彼と話をしたい。そう素直に自分の気持ちを認めた私は、それまでの条件を全て白紙に戻した。そして、彼が来る時を、一緒にお茶をする時を待ち望む日々を過ごした。
だがそんな私の想いに反して、彼は私の言葉を気にしてか白玉楼に長居する事は決してなかった。居ても半刻か四半刻。泊まっていくどころか、夕飯ですら丁重に断り去っていく。時にはお茶もせずに立ち話だけで帰る時もあった。
来て欲しい時には来ないくせに、もう忘れようと思う時になって会いに来る。手を伸ばしても捕まらないのに、何度も私の前に現れる。
そんな彼にやきもきし、いっそお茶飲み友達として付き合おうかと考え始めたある日の午後、彼が意を決するような顔をしてやってきた。何事かと思った私は、まずは挨拶代わりの冗談として「告白でもしにきたのかしら?」と小首を傾げて見せた。その言葉を聞いた彼は、私の思った通り酷く狼狽した姿を見せてくれた。
慌てふためくその姿に気を良くした私は、もっと彼をからかおうと口を開いた。しかし、それを遮るように本当の告白をしてきた彼に、私は二の句が継げなかった。
呆然とする私を前に、彼はいつもとは違って顔を真っ赤にしながらも、自身の想いを熱く語った。
初めて出会った時に一目惚れした事。異変を追っていて再び出会えた時の喜び。飽きたと言われた時の悲しみ。それでも私の事が好きで、同行者に無理を頼んでまで会いに来た事。もっと会いたかった事。もっと一緒にいたかった事。けれど私の言葉を気にして、半ば諦めていた事。しかし、やっぱり諦めきれずにこうして想いだけでも聞いて欲しかった事。
その想いの数々に、気付けば私は一筋の涙を流していた。嬉しかった。とても嬉しかった。返事をしなければいけないと思っていても、その溢れる感情によって言葉がうまく出せず、私は嗚咽を漏らす事しかできなかった。
そんな私を、彼はそっと抱きしめてくれた。その優しさに私の涙は滂沱のものとなり、彼の胸に額を当てながら声を出して泣き続けた。
悲しみのあまり声を出して泣いた事はあっても、嬉しさのあまり声を出して泣いた事は生前と亡霊になってからを含めて初めての事だった。
そして、一緒にいたいと思う気持ちから殿方を同衾に誘ったのも、生前と亡霊になってからを含めて初めての経験だった。
※
「……眠れないわ」
眠る為に彼との出会いを順番に思い出していたが、いつの間にかその思い出に浸って眠る事を放棄していた自分に対し、私は皮肉混じりに呟いた。
くだらない事を考えるとすぐに眠くなるとは言うけれど、考えれば考えるほど彼との出会いは決してくだらないものではなかったと思い知らされる。
彼との恋はもう終わったのだ。否、自分が終わらせた。人間と妖怪との恋の成就さえ難しいというのに、人間と亡霊とが付き合うというのは、生と死を混ぜ合わせるに等しい。そして、生と死、どちらが強いかと言われれば、誰もが死と答えるだろう。
生きとし生けるものが辿り着くのは死そのものであり、その理に反する者でなければ、いずれの存在も死には打ち勝てないからだ。彼との恋に浮かれる反面、心の隅でその客観的事実を理解していた私は、このままでは彼の命を縮めてしまうと思い苦悩した。
彼と一緒にいたいと思う気持ちは嘘偽りない、私の本当の気持ち。けれど、その気持ちが彼を殺してしまうのであれば、嘘をついてでも彼を遠ざけねばならなかった。
しかしその結論に至るまで、私と彼は多くの時間を過ごし、多くの思い出を共有してしまった。その為、それを実行に移すには多大な精神力を必要とした。けれど、ここでやらなければ彼は本当に思い出の中の人となってしまうと思い、私は覚悟を決めた。
そして運命のあの日、朝帰りの仕度をする彼に私は断腸の思いで別れを告げた。なるべく重くならないように努めたが、代わりに声が上ずってしまっていた。
唐突な別れの言葉に、彼は愕然としてすぐさまその理由を尋ねてきた。別れを切り出す前は様々な理由を考えていたはずなのに、いざ本人を前にしてみるとその言葉が一切出てこなくなってしまった。
結局、問い詰める彼を強引に追い出すという最悪の形での別れを選ぶ羽目になり、塞ぎこむような顔をしながら彼が去っていった後、私は一人で泣いた。
彼はもう二度とここに来る事も無いし、一緒にお茶をする事もない。妖夢も交えて、夕食や団欒の一時を過ごす事もない。そして、私と同衾する事もなくなった。
そう考えると、今でも胸が締め付けられるような気持ちになる。先ほど呟いたように、一時は虫籠に入れて眺めたあの時の蝶のように、白玉楼に閉じ込める事も考えた。寧ろ夢の中で幼い頃の記憶を思い出した今になって、あの時そうしておけば良かったと後悔さえした。
だが私はそれで良くても、彼はどう思うのだろうか。そう思い返してみると、やはり別れて正解だったと思う。彼は蝶ではない、人間なのだ。
「……虫籠?」
そんな事を考えていると、ふと彼と関連付けていた蝶の事である疑問が浮かび上がった。
私は確かにあの蝶を捕まえ、従者が即席で作ってくれた虫籠に入れた。お父様にもお母様にも、その蝶の入った虫籠を見せては喜んでいたのだからそれは間違いなかった。
けれど、私は近くを飛ぶ蝶に何度も手を伸ばしたが、その度に捕まえ損ねていた。そして遠くに逃げながらも、再び私の前まで飛んでくる蝶に対して頬を膨らませたので、それも間違いなかった。
ならば、どうやって私はあの蝶を捕まえたのだろうか? 従者に手伝わせたのは蝶を入れる虫籠を作ってもらったぐらいで、それまではずっと自分一人だけのはずだった。
「えっと」
彼の事を少しでも忘れられるのであれば、と私は普段であれば気にもしないその事についての記憶を掘り起こした。襦袢が肌蹴て、胸が露わになってしまっていたが、それを直そうともしなかった。
右手で唇を触り、その後で腕を組み、眉を顰める。それでも思い出せなかった私は、体を左右に揺らしてみたり、両手の人差し指でこめかみを押さえてみたりした。
「う~ん」
知る限りのありとあらゆる方法で、私は幼い頃の記憶を呼び起こそうと試した。だが、どうしても蝶を捕まえたところだけが複写漏れの頁ように抜け落ちてしまっており、思い出す事が出来なかった。そもそも元から生前の記憶が無く、夢を見る事で思い出したといっても断片的なものだったので、それも仕方のない事だった。
いっそすっぱりと諦めようとも思ったけれど、そうすると彼の事を思い出してしまいそうで踏ん切りがつかなかった。それに、後少しで思い出せそうな気もしていたので、私は諦めずに視点を変えて考えてみようと布団から出た。布団の中は思っていた以上に熱が篭っており、中庭から吹く夜風が火照った体を冷ましてくれた。
その風を受けて、頭もすっきりとした私はふと思い立った。
「……中庭に出たら、思い出せるかしら」
現世と冥界、過去と現在、西行寺家と白玉楼という違いこそあるものの、あの蝶と出会ったのは中庭だった。視線をそちらに向けると、庭の隅にある灯篭の灯りが幻想的な雰囲気を醸し出していた。もしかしたら、という気持ちもあって、私はその灯りに誘われるように寝間着姿のまま中庭へと出た。
「ふふふ」
灯篭の周りには、その灯りに惹かれた幽霊たちが近づいたり離れたりを飽きずに繰り返していた。それは、まるで私を翻弄したあの時の蝶のようであり、私は遠目からその様子を眺めていた。
その可笑しくもどこか人間臭い彼らの動きに、気付けば私は微笑んでいた。
すると、その幽霊の内の一つが、大きく灯篭から離れたかと思うと、ゆっくりと近づいていき、やがて灯篭に止まるようにくっ付いた。
「っ!? ……ぁ」
それを目の当たりにした瞬間、私は欠けていた幼い頃の記憶を完全に思い出し、笑うのを止めた。同時に思わず声を上げてしまったが、本当にそれが正しい記憶なのかどうかを今一度、冷静になって思い返してみる必要があった。
だが何度思い返してみても、記憶違いには思えなかった。それでも、この思い出は「まさか」としか言いようがなかった。
私はあの蝶を捕まえたのではない。蝶のほうから、私に捕まりに来たのだった。
幾度も私の手から逃れ、誘うように、翻弄するように飛び回る蝶に、私は見切りをつけた。これだけやっても捕まえられないのなら、諦めるしかない。そう思って、蝶から視線を屋敷の中へと戻し、額に滲んだ汗を拭いた時だった。
それまで一切捕らえられる事を拒んだ蝶が、あろう事か私の右肩に止まったのだ。驚いた私は鼻先で羽を休める蝶を凝視したが、それでも蝶は逃げようとはしなかった。
まるで、私の右肩が止まり木であるかのように羽を畳み、微動だにしない蝶を、私は傷つけぬよう、そっと両手で捕まえた。あれだけの捕縛劇を繰り広げたにも関わらず、その終わりは拍子抜けするほどあっさりと訪れた。
だが、それでも念願の蝶を捕らえる事が出来た私は、嬉しさのあまりその場で喜びを噛み締めるように足踏みをし、良家の娘としてはあるまじき大声で従者を呼びつけた。
その後、何事かと慌てて駆け寄ってきた従者に、私は有無を言わさずに虫籠を作らせて、そこに捕らえた蝶を入れた。
そして、お父様やお母様に蝶を見せた後、自室に篭ってずっとその蝶を眺め続けた。
「……懐かしいわね」
蝶の美しさ、捕まえた事の喜び、褒めてくれた時のお父様やお母様の笑顔。それらの思い出が、まるで宝石のように輝きながら私の頭の中を駆け巡る。その思い出の中で、印象に残っていた出来事を思い出し、私は小さく呟いた。
あの日以来、すっかり蝶に入れ込んでいた私は、片時も虫籠を手放さなかった。蝶が花の蜜を吸うと分かれば、着物が汚れるのも構わず野山を歩いて様々な種類の草花を集め、虫籠に入れた。その頃の私は、起きた傍らに虫籠があり、その中にあの蝶がいるのを確認してその日の一日が始まるといった、蝶を中心とした生活を送っていた。
あれほど好きだった鞠もやらずに、日がな一日虫籠の中にいる蝶を眺めていた事すらあった。
そして、そんな甘露の味を楽しむように思い出に浸っていた私は、その夏の終わりに起こった出来事も思い出してしまい、顔を伏せた。
「あぁ、そうだわ。……そうだったわ」
それは蝶と初めて出会ったあの時と同じように、雨上がりの晴れの日だった。
いつものように朝起きて、私は枕元に置いてある虫籠を見た。すると、いつもなら元気に飛びまわっているか、羽を休めている蝶が、その日は虫籠の底で固まり動かなくなっていた。
私はそんな蝶を見て、死んでしまったのだという事を幼いながらに理解した。元々死に関わる能力の素質があったのもあり、幼子が勘違いする「今はまだ眠っているだけ」といった事は思わなかった。
けれど、それはあくまでも死生観が幼い頃よりはっきりとしていただけであり、あの蝶が死んでしまったと分かった瞬間、私は歳相応の悲しみを覚え、大声を上げて泣いた。
思えば、悲しみのあまり声を上げて泣いたのはこれが初めてだった。
その後、多くの従者やお母様が慰めてくれる中、私はもう動かなくなってしまった蝶を恭しく両手に乗せ、私たちが出会った中庭の一隅に埋めた。それから、空になった虫籠を哀愁漂う表情で眺める日々が続く事になった。
そして、こんな悲しい気持ちにはなりたくない、もう決して生き物は飼うまいと自分の中で決断し、私は虫籠を自らの手で壊して日常へと戻っていった。
「……ぁ。あぁっ!」
そこまで思い出した私は、今まで考えないようにしてきた彼との別れも同時に思い出してしまった。そして、今の今まで自分自身でも分からなかった、その時の本当の想いにも気付いてしまい、その場で両膝を折った。
私は、彼の事を想って別れたのではない。あの蝶のように、自分が好きになったものが、自分よりも先に死んでしまうのが嫌という、手前勝手な理由で別れたのだ。
「私は、私は……」
そんな事はあるはずがない。そう思って、頭の中で否定しようとする。だがその考えが、お父様の死、その死に順ずるように次々と自尽する者たちの事を思い出す事となってしまった。
多くの者が亡くなる中、一人屋敷に残された私。従者も、お母様も、お父様もいない。皆死んでしまった。私を、私だけを残して。
「……っ!」
それ以上先の事は思い出せなかった。思い出すと、何か私という存在そのものが揺らいでしまうような気もした。けれど、例えその先にあるのが私の望んだ結末だったとしても、思い出したくもなかった。
気がつけば私は立ち上がり、足早に寝室へと戻って、横になって頭から布団を被った。
今まで思い出さなかったし、気にもしなかった生前の記憶。あの蝶の死。そして、自分の勝手な気持ちで別れる事になってしまった彼の事を思い出し、私は声を殺して泣いた。
明けない夜はないと言うが、翌日の朝になるまでの間が、まるで永遠に続くかのようにさえ思われた。それだけ、気持ちの整理をつける事が出来なかった。
※
「……今日は良い天気ね」
その翌日の夕方。普段と変わらない白玉楼の縁側に座り、私は中庭を眺めていた。
もう何度目になるかも分からない言葉を呟きながらも、私はその場所から動く気がしなかった。傍らにはいつもと同じようにお茶とお菓子が用意してあったが、何だか今日は手を付ける気になれなかった。
亡霊となってから、これほどまでに気持ちが落ち込む事はなかった。いつものように妖夢をからかえば、こんな気持ちはすぐにでも晴れるだろう。けれど、そうして自分の気持ちを誤魔化す事を、私はよしとしなかった。その為、あの春雪異変と呼ばれるようになった時と同じように、彼女を白玉楼に続く階段のところまで行かせ、侵入者を追い返す任に無理矢理就かせた。
妖夢には申し訳ない事をしたと思っているが、今日の私は彼女とすら顔を合わせたくない気分だった。
そんな事を感じさせないように、いつもと同じ態度で命令したつもりだった。だが、同じ女性として彼女にも何か思うところがあったのだろう。私の命令に対し、妖夢は何も言わずにその任に就いてくれた。
「自分勝手なのは、私のほうだわ」
そんな彼女の優しさがありがたいと思いつつ、そこに甘えてしまっている自分に私は心底うんざりし、吐き捨てるように言った。
あの時の蝶もただ、飛んでいただけ。彼もただ、私に会いに来ていただけ。そして私は、その一匹を捕まえて閉じ込めて殺し、その時の経験が心的外傷となり、「貴方が好きだ」と言ってくれた彼と無理矢理別れた。
自分という存在が嫌になりそうだった。かつて別の件でそんな事を思ったような気がして、気分は更に落ち込み、底なし沼へと入ってしまったかのように、深みへと沈んでいった。
いっそこのまま沈み続けようかと思った。だが、それでは彼だけでなく、妖夢にも申し訳ない。私は気持ちを切り変えようといつの間にか下げていた頭を起こし、毎日妖夢が手入れをしてくれている中庭を見た。
「……え?」
そんな時、中庭に一匹の蝶が迷い込んだ。
ここは冥界で、人の魂は蝶と言われる事もあって、その姿を模している幽霊もたまに見かける事がある。けれど、その蝶はあの時に見た蝶にそっくりだった。
優しい色をした黄色に、憂いを帯びたような青。そして、それらを包むように綺麗な曲線を描いた漆黒の羽がとても印象的だった、あの蝶に。
そんなはずはない。そう思った私は目を瞑り、深呼吸をした後でそこにいる蝶を今一度見つめた。
思った通り、それはあの時の蝶ではなかった。けれど、その事に安堵する間もなく、私はそこにいた人物に心底驚き、声を上げた。
「あ、貴方は!? ……何故、ここに?」
彼だった。あの時別れたはずの彼が、そこに立っていた。
妖夢はどうしたというのだろうか? 別れた後に、今後彼が白玉楼に来る事があれば追い返すように伝えていたはずだ。まだ半人前とは言え、ただの人間である彼に彼女が遅れを取るなど月が落ちてくるぐらいにあり得ない話だ。
では、彼が妖夢から逃げ切ったのか? そう思って今一度彼を見ると、納得がいく姿をしていた。服はところどころ破れており、ひどくはないものの擦り傷や切り傷も見えた。走ってきた事もあってか、彼の額からは汗が滲み出ており、隠そうとはしていたものの呼吸も乱れていた。
最初は何かの間違いかと思ったが、初めて出会った時も彼は妖夢から逃げ切っている。そう思えば何ら不思議ではなかった。
「……幽々子様」
「……妖夢」
しかし、そう納得しかけたところで、彼の後ろから申し訳なさそうな顔をしながら妖夢が姿を見せた。憐憫の情とも思える妖夢の声を聞いた瞬間、私は彼女が裏切ったのだと悟った。
けれど、妖夢に対して怒りは湧かなかった。寧ろ、裏切ってくれて良かったとさえ思っていた。これは私の問題であるのだから、彼女に後処理をさせようとするのがそもそもの間違いだった。
最初から、私がきちんとけじめをつければよかったのだ。
「そこで止まりなさい」
「幽々子様!」
「妖夢、貴方もよ」
「くっ!?」
彼が一歩前に出た瞬間。私は蝶に模した弾幕を展開し、牽制するように彼を睨む。それを見た妖夢が、何か言いたそうな顔をして彼の前に立とうとする。しかし、そこには主と従者の関係がある。私は高圧的な言葉を吐き、彼女を無理矢理その場に留まらせた。
妖夢が唇を噛み、やや下を向いて立ち止まったのを見た後で、私は視線を彼へと戻した。
「私は、もう二度と来ないようにと言ったはずよ?」
これ以上進むようであれば殺す、といった態度で、私は淡々と彼に言う。その言葉に、彼は何の反論もせず、ただじっと私を見つめていた。
今でも好きだ。そう言われているような彼の瞳に、私は思わず視線を逸らしそうになった。
とても嬉しかった。ひどい別れ方をしたというのに、それでもまだ私の事を想ってくれる彼の好意が無理矢理消火させた恋心に再び火を灯してくれる。
私は彼の事が好きだ。否、彼を愛している。再び彼と対面して、私ははっきりとそう思った。
だから、だからこそ、ここで彼を追い返さなければならない。
これ以上、自分の都合で彼を振り回す訳にはいかなかった。そして何よりも、彼の事を愛していると分かったからこそ、彼が私置いて死んでしまう事が何よりも耐えられなかった。
ここで振れば、私も彼も深く傷ついてしまうかも知れない。けれど、傷であればいずれ治る。怖いのは、決して治る事のない「死」という名の別れだけであった。
彼が死んで白玉楼に来るならそれでも良いと思った。けれど、そんな保障がどこにあるというのだろうか。極楽に行くかも知れない、地獄に落ちるかも知れない。もしくは輪廻転生の理に従って、来世に進むのかも知れない。
彼と一緒にいたいという理由だけで、そんな不確定要素に身を任せる事など出来なかった。だから今、私はここで、彼に言わなければいけない。
「もう一度言うわ、別れましょう。私は亡霊で、貴方は人間。死と生が一緒になるなんて無理な話なのよ」
あの時言えなかった言葉が言えた。その瞬間、鋭い匕首で心の臓を貫いたかのような痛みを覚えたが、私は今一度自分に先ほどの言葉を言い聞かせた。
私は亡霊。傷つく事はあっても、もう死ぬ事はない。だから、だから大丈夫だ、と。
私の言葉を聞いた彼は、頭を垂れた。落ち込んでいるのか、それとも諦めてくれたのか。顔が見えなかったので表情からは何も読み取れなかったが、私は傷つきながらも安堵していた。
これで、終わった。終わってしまったのだと。
「さぁ、これで貴方の用事は済んだはずよ。早急にここから立ち去りなさい。ここは冥界にある白玉楼。貴方のような生きた人間が来る様な場所ではないわ」
先ほどまでの高圧的な口調を止め、一転して私は諭すような口調で彼に話しかけた。弾幕を戻し、手にした扇を開いて口元を隠す。
そして、精々余裕があるように見せながら、これでいいのだと、自分に言い聞かせるように、私は心の中で呟いた。
一筋の涙が流れたような気もしたが、頬は濡れていなかった。
「幽々子、様」
妖夢が切ない顔で私を見る。彼女にも散々迷惑をかけてしまった。彼が去った後、今日は彼女に優しくしよう。そう思ったところで、彼に動きがあった。
「っ!? 何を、しているのかしら? 貴方が向かう方向はこちらではないはずよ」
彼が顔を上げて、一歩こちらへと足を踏み出したのだ。その顔は決意に満ちており、私はひどく動揺しつつもそれを扇で隠した。そして、更にこちらへと足を踏み出す彼に警告をした。
「それ以上近づいたら、白玉楼入りすると判断し、貴方を殺すわ。その覚悟があるというのなら、後一歩前に出なさい。生まれてきた事を後悔するほど惨い死を貴方に与えてあげるわ」
しかし、彼の動きが止まったのは一瞬だけだった。次に踏み出す一歩は「死」だというのに、彼は傍から見ていても驚くほど迷い無く、その一歩を踏み出した。
「~っ!? 止まりなさい! 本当に、本当に殺すわよ!?」
まさかの行動に、私は声を荒げ、再び弾幕を展開した。これでも止まらぬなら、少し痛い目を見てもらうつもりだった。
すると、その行動が吉と出たのか、彼の足はそこでぴたりと止まった。その顔はとても悲しそうな顔をしており、私は胸を締め付けられるような気持ちになった。けれど、こうしなければ彼は止まらなかっただろう。
私は姿勢を正し、今一度彼に警告をする。
「次に妙な動きをしたら、両手足が吹き飛ぶと思いなさい。貴方が帰るべき方向はあちら、こちらではないわ」
そして、目を瞑り大きく息を吸う彼を見ながら、私は助け舟を求めるように成り行きを見守っていた妖夢に声をかけた。
「妖夢」
「……はい、幽々子様」
「途中まで彼を送りなさ――っ!?」
しかし、その命令を最後まで伝える事は出来なかった。視線を彼から妖夢へと向けた瞬間に、彼が私に向かって走ってきたからだ。
慌てて弾幕を彼に向かって放つ。だが、予想外の動きに私は狙いを絞れず、弾幕は風を裂いて空を切った。その間に、彼は後少しで私に触れられるというところまで来ていた。
私は能力を発動しようとした。ここまで言っても聞かないのなら、本当に殺すしかない。苦しみも、悲しみも、後悔すらさせる暇無く、殺してみせる。
そう思って彼を見据えた時、視界の隅で小さく動くものがあった。
「……ぁ」
それは、一匹の蝶であった。私が心を奪われた、あの時の蝶だった。
「きゃあっ!? ……やぁっ、離しなさい! 離、して!」
先ほどのように、それが幻だと確認する事は出来なかった。その前に、彼が私の元へと辿り着き、抱きしめたからだ。久しぶりに感じた彼の腕に、私は一瞬だけ放心状態になった。だが、すぐに我に返ると彼の腕の中で暴れた。
しかし、彼は私を離さなかった。それどころか、私を逃がさないよう更に抱く力を強める始末だった。
その行動に、能力を使用するのも忘れ、私は混乱した。そして、ただただ逃げようとする私の耳に、彼がそっと囁いてきた。
「っ!? ……ぅ、ぁ、あぁ」
それは永遠を誓う言葉だった。たとえ死が自分と私を引き裂いたとしても、必ず亡霊となって私の元へと戻る。だから自分と一緒にいて欲しい。そんな決意と覚悟のある、男らしい言葉だった。
そして、その言葉を聞いた瞬間、私は抵抗するのを止めた。本当に彼が亡霊になって私の元へと戻るという保障はどこにもない。それなのに、彼の口から聞けたその言葉を聞いた私は、安堵にも似た幸福が心の奥底からじわりと湧き出てくるのを確かに感じた。
体が震えているのを感じながら、私はゆっくりと顔を上げて彼を見た。彼は優しく微笑んでいた。その笑顔は初めて出会った頃のものと全く変わっていなかった。
(きっと、あの蝶のおかげね)
そう思った私は、決心する為の後一押しが欲しくてこう尋ねた。
「本当に、本当にそれでいいの? 私は、貴方を逃がさないわよ? それでも、貴方は私に捕まってくれると言うのかしら?」
その言葉を聞いた彼は何も言わなかった。
「あんっ!? ん、んちゅっ……言葉にしないなんて、ずるい人」
ただ強く、私を抱きしめ唇を奪うだけだった。
けれど、その行動が何よりも嬉しく、私は体を完全に彼へと預けて静かに頬を濡らした。彼の体は温かく、その体温が私の体と心を暖めてくれた。
すると、そんな私たちを傍でずっと見ていた妖夢が、少し遠慮がちに声をかけてきた。
「幽々子様、おめでとうございます」
「妖夢……ありがとう。貴方にも迷惑をかけたわね」
「いえ、そんな事はありませんよ」
「そう。それじゃあ、そんな貴方に甘えて一つお願いがあるの」
「はい。何なりと」
笑顔で私たちを見つめる妖夢に、私は頬を伝う涙を拭い、にっこりと笑ってこう言った。
「今から寝室に行って、布団を敷いてきて頂戴」
「分かりまし……はい?」
「だから、布団を敷いてきて欲しいの。……一枚だけでいいわ」
「えぇええええっ!?」
案の定、目を丸くして驚く彼女に、私は更に言葉を重ねる。
「あ。後、今晩のご飯はいらないわ。私も、彼も」
「……は、はぃい」
「それじゃあ、お願いね」
次の言葉は妖夢だけでなく、彼も驚かせたようだった。心の臓が早鐘を打ち、生唾を飲み込む音も聞いた。もしかすると、及び腰になっているかも知れない。それに、私の事をはしたない軽い女だと思ったのかも知れない。
けれど、これが今の私の気持ちだった。彼の想いが本当ならば、それを全身で感じさせて欲しい。
顔を真っ赤にしながら足早に中庭から屋敷内へと逃げる妖夢を見送った後、私は今一度彼を見つめて微笑んだ。
覚悟は決めた。後はその想いを彼に伝えるだけだった。
「言ったでしょう? 私は貴方を逃がさないって」
その言葉を聞いた彼は、望むところだと言わんばかりに私の唇を奪い、そのまま抱き上げた。そして、妖夢の後を追うように、ゆっくりと屋敷に向かって歩みを進めた。
※
「んむぅ、んちゅっ……ちゅくっ、ちゅっ」
寝室へと移動すると、そこにはきちんと一枚の布団が敷いてあった。ただ惜しむべきは布団に対して枕が二組ある事だった。だが、妖夢にそこまで求めるのは酷というものだろう。
室内に入ると同時に彼から降りた私は、共に服を脱ぎ捨てながら布団へと移動し、私が襦袢姿で彼が下着だけという状態で抱き合い、彼の手によってそのまま押し倒され口付けを交わした。
「んふっ、んっ、んんっ……ちゅっ、ちゅぶっ」
久しぶりの口付けは、全身が蕩けるほど心地良いものだった。彼の唇が私の唇に吸い付く度に口先が痺れ、頭の中が麻痺した。口付けだけでこの有様になるのであれば、彼の男根を受け止めた時はどうなってしまうのだろうか。
痺れが頭全体に行き渡る前に、そんな警告に近い考えが脳裏に浮かんだ。だが今更止める気はさらさらなく、身を委ねて交わされる彼との口付けに、私は恍惚の表情を浮かべた。
以前は一緒にいる為の行為に過ぎなかったが、互いの想いが重なるとこれほどまでに気持ちの良いものになるとは思いもよらなかった。
「んぢゅっ!? ぢゅっ、ぢゅぷっ……くちゅ、くちゅ」
頬が緩み、全身の力が抜けた時を見計らっていたかのように、彼は舌を私の口内へと入れた。こちらの舌を突き、絡め合わせ、誘うようにこね回す。それだけで、私の脳内から背筋を伝って電流のような快感が走り、私は軽く絶頂を迎えた。
「んっ、んふぅっ! ふっ、ふ~っ……んちゅぶっ、ちゅくっ、ちゅっ」
きつく目を閉じ、全身を硬直させてその快感に耐える。だが彼の口付けは止まらず、両手を重ね、恋人繋ぎをしてもらったのもあって、私の最後の砦といえる理性は脆くも崩れ去った。
お腹の底から快感と幸福が入り混じった、熱くトロトロの液体が垣根を超えて溢れ出し、それに併せるように私の秘所からも愛液が滴り始めた。
「んんっ、ぢゅぷっ、くちゅっ、ちゅっ、ちゅくっ」
口付けをされる度に、まるで堤防が壊れて河川敷に流れ込む濁流の如く、愛液が止め処も無く溢れる。その愛液は秘所を中心に襦袢へと浸透していった。秘所は彼を求めてひくつき、子宮口は切ないぐらいにじんじんと痺れる。しかし、両手は彼の手によって塞がれ、彼自身もまだ私との口付けを楽しみたいようだった。
「んぷっ!? んぅっ! んふっ、んちゅぶっ、ぢゅぷっ」
内股を擦り合わせ、疼く秘所を何とか宥めようとするが、それも彼との口付けを前にしてしまうと足そのものが快感に痺れ、痙攣によってその動きが止まってしまう。
体を重ねてからまだ四半刻も経っていないのに体は既に限界を迎えていた。これ以上口付けを続けられると、切なさで頭がどうにかなりそうだった。
もう、一人で絶頂を迎えるのは嫌だった。
「ちゅぷっ、んんっ……んぷぁっ、はぁ~、はぁ~」
恋人繋ぎを止め、快感に震える両手を彼の肩へと置き、なけなしの力で口付けを中断させる。離れた彼の口先からは唾液の糸が垂れており、それは真っ直ぐと私の唇まで繋がっていた。
呼吸は乱れ、口元は互いの唾液で濡れており、頬は燃えるほど上気していた。亡霊故に常に体温が低い体からは薄っすらと汗が滲み出ており、目元からは彼と再び結ばれた喜びの涙が溢れそうだった。
そんな私の様子を見た彼は、目を細めて笑い、顔を近づけてそっと耳打ちした。
「ぅ、ぁ……うぐっ、ずるぃ、ずるいわ。ぐすっ、今そんなこと、言われたら……」
甘く囁いた後に軽く私の耳たぶを噛んでから、彼は再び向かい合ってはにかんだ笑顔を見せる。その言葉と笑顔を前にした私は、今まで堪えていた涙を抑える事が出来なかった。
それは特別な言葉ではなかった。彼の文字通り命を賭けた先ほどの求婚に比べれば、他愛ない、の一言で終わってしまいそうなそんな言葉。それでも、今の私にとっては十分過ぎる一言だった。
(私も『大好き』って返せないじゃない)
嗚咽を漏らし、ただ涙を流し続ける私を、彼はずっと優しく見守ってくれた。安心させるように左手を私の右手と重ねて恋人繋ぎをし、残る右手で私の頬を優しく撫で、溢れる涙を拭ってくれる。
こんなにも幸せで良いのだろうか? あれほど彼に冷たくした私が幸せになっても良いのだろうか? そう何度も自分に問うても、蕩けきった頭ではその答えを導き出す事は出来なかった。
「う゛ぅぅ……ばかぁ、ばかぁっ。ぐすっ、私だって、わたしだっでぇっ、んぐぅっ」
気がつけばもう、恥も外聞もかなぐり捨てていた。空いた左手で力なく彼の胸板を叩き、涙声で私は彼の告白に応えた。途中で言葉が途切れてしまい、この気持ちがちゃんと伝わったかどうかは分からなかった。
それでも今は、彼の事がただただ、愛おしかった。彼を逃がしたくはなかった。彼と、一緒にいたかった。
「ぐすっ。その、言葉がほんとう……なら」
しかし、覚悟を決めて彼を同衾に誘い、恥も外聞も捨てたはずなのに、それを言おうとするとどうしても言葉が詰まってしまう。顔どころか耳までも熱くなる中で、私は襦袢の紐を解き、生まれたままの姿となった。
お互いに顔も名前も、体でさえ知らぬ仲ではない。それなのに、その行動を見ても尚、彼は意地悪く私の次の言葉を待った。それが私の顔を更に熱くした。
「ぅあ、うぅ……。そ、そのっ、私と……~っ!?」
意を決し、そこまで言いかけたところで、彼と目が合った。それがからかうような目だったらどれほど気が楽だっただろうか。
彼は決して、からかう為に私の言葉を待っていた訳ではなかった。真剣に、私の口から一緒になりたいという言葉を待っていたのだ。
彼の視線からその意図を読み取った私は、もうその続きを言えなかった。ただ顔を俯かせ、恋人繋ぎをしている手を強く握って、蚊の鳴くような声でお願いするしか出来なかった。
「……もぅ、言わなくても、分かって」
そして、私はそのまま彼の言葉を待った。熱を帯びていた頬は、中庭から流れてくる涼しい風を受けても尚熱く、全身は緊張の余り震えていた。
彼は何も言わなかった。ただ俯く私の頬を撫で、その感触に顔を上げた私の唇に自身の唇を重ねた。
「んんっ、ちゅくっ、んっ、ちゅぷっ……ばかぁ」
軽い口付けを終えて、優しく見つめてくる彼を前にして、私はそれしか言えなかった。
けれど、その想いは十分過ぎるぐらいに伝わっていた。
※
「んっ、んんっ……これで、いいかしら?」
互いの想いを確かめるように、もう一度口付けを交わした後、彼は私に足を開くように言った。自らの意志を持って開脚するのはとても恥ずかしかったが、私は彼の指示に従いゆっくりと足を開いた。
彼との同衾は夜しか行なってこなかった。だから、こうして互いの肌の色さえ見える明るい時間帯に秘所を見せているのだと思うと、顔から火が出そうなぐらいに恥ずかしかった。
「んっ、ねぇ、お願い。ふっ、そんなに見ないで。んんぅっ!?」
じっくりと私の秘所を見つめる彼の視線を遮ろうと、私は両手で秘所を隠そうとした。けれど、彼はその両手を掴み、更に秘所へと顔を近づけて感想を述べた。
「ひゃっ!? う、うぅぅっ……いじわる」
開脚によって開かれた秘所は、綺麗な薄桃色をしており、奥から溢れる愛液とその愛液に反射して光り、とても綺麗で美しいと言われた。
自分の恥ずかしいところを褒められても、ただ見せているという恥ずかしさが増すだけだった。それでも、他でもない彼の言葉だと思うと喜んでしまう自分がいる事に、私は口先を尖らせてそっぽを向く事しか出来なかった。
そして、それは体も同じようだった。ただでさえ、彼に見られて子宮口が疼いてしまっていると言うのに、そんな事を言われてしまうと痺れすら覚え、愛液を更に溢れさせると同時に子宮口が秘所に向かって下がっているのが分かった。
「んっ、ねぇ、お願い。私、もう……もぅ」
胸を揉んだり、乳首を舐められたりした訳ではない。ましてや秘所を愛撫してもらった訳でもない。私たちがしたのはただの口付け。それなのに、秘所からはずっと愛液が溢れ続け、陰核もその存在感を示すかのようにほんのりと大きくなっていた。
心だけではなく、体そのものも彼を求めていた。その為、恥ずかしくはあったものの、私は腰を少し浮かして彼におねだりをした。
すると、私の言葉を聞いた彼は、一度だけ目を大きくさせ、その後何かに耐えるように俯いた。そして、徐に下着を脱ぎ、男根を露わにした。
「きゃあっ!? ……それが、殿方自身の?」
今まで私が秘所を見せなかったように、彼もまた今まで男根を見せなかった。だから、彼自身を見るのはこれが初めてだった。
大きく反り返った竿は、脈打つ度に上下に揺れ、その赤く膨らんだ先端からは、まるで愛液のような液体が漏れており、てかてかと光っていた。
少し気持ちが悪い、というのが正直な感想だった。けれど、それも愛しい彼の一部分であると思うと、脈打つその動きは早く私と一つになりたいと文句を垂れているようであり、可愛く思えた。
しかし、それにしては大きい。否、大きすぎるような気すらした。
以前私の膣内に入っていたのは、こんなにも大きいものではなかった気がするけれども。
「ええっと、ほ、本当にそれが私の中に? 少し、大きすぎな――きゃあぁっ!?」
私が過去に彼と同衾した際の記憶が正しければ。そして、今目の前にある雄々しい男根が彼の一部分であると言うならば。久しぶりの夜伽であることも鑑みて、少なくとも入れる時は後一回りぐらい小さくして欲しい。そう伝えようとしたのも束の間、彼が私のほうへと抱きつくように倒れこんできた。
顔を近づけ、肌を重ねた状態で、彼の男根が私の秘所に宛がわれるのが分かった。
「んんっ!? や、やぁあっ! 待って、それじゃ、大きすぎ……~っ!? んはぁああぁぁっ!!?」
そんなに大きいのが入る訳がない。そう思って、彼の両肩に手を置いて押し返そうとした瞬間、秘所口から一気に子宮口まで彼の男根が入ってきた。
膣内を掻き分けて、下から突き上げられるその感覚に、私は抵抗する間もなく絶頂を迎えた。
「はう゛っ! ひぁあっ!? う゛ぅ゛ぅっ、っ!? くぅうっ……~っ!?」
私が忘れていても、身体は、膣はそれを覚えているかのように。そして、彼との再会を喜ぶかのように。膣内は彼の男根を歓迎するかのように収縮を繰り返し、その度に快感で足先が攣り、全身が震えた。
彼もその快感に耐えて、腰を動かしていないようだったが、それでも膣内で更に大きくなったかのように感じられる男根が脈打つ度に、私は余韻に浸ることなく、軽い絶頂を迎える。
「ん゛ぁあっ!? んひぅっ!? あ゛っ、あ゛っ、んあ゛あぁぁっ!」
そして、その絶頂による収縮、それと彼の男根を更に奥へと入れようとする膣内の動きによって、彼の先端が子宮口と口付けを交わした。その快感は筆舌尽くしがたいもので、子宮口から膣内全体、そして全身に広がっていき、私は意識を失いかけた。
気持ち良かった。否、今もまだ気持ち良い。全身がまるで性感帯になったかのようなその感覚に、私は身震いした。
人を好きになり、互いにその想いが通じると、これ程までの快感を得られる事に、私はこれ以上にない幸せを感じた。
「んっ、んちゅっ!? んむぅっ……んふっ! んっ、んっ、ん~っ!?」
しかし、その快感に慣れ、ようやく連続した絶頂も終わりを迎えそうになったところで、急に彼が私の唇を奪った。初めから舌同士を絡め合わせるその口付けに、慣れたはずの快感は再び牙を剥き、去ったはずの絶頂の波は大波となって返って来た。
しかも、その口付けに合わせて、彼が腰を動かし始めたので、その快感は更に倍増した。
「んぷぁっ!? んふっ、あふぅっ! あっ、や゛ぁあっ! だめっ、だめぇっ! きもち、よすぎてぇえっ! また、またきちゃ、んあ゛ぁああぁぁっ!?」
蕩けきって最早原型すら分からなくなったと錯覚すら起こしている頭の中は、休む事なく襲ってくる快感と彼の事ではち切れんばかりだった。ただ彼の事が愛おしいと思うだけで、それは快感に変わり、そのまま絶頂へと導く。
意識が飛びそうになるその快感も、彼が膣内を掻き回すように腰を動かす事で生まれる快感に塗りつぶされる。
終わる事のない絶頂。しかし、不思議とそれに恐怖を覚える事はなかった。何故ならば、私の傍には彼がいるのだから。
「ん゛はぁっ!? んひぃっ! ……ねっ、ねぇっ、きもひいいっ? わたひのなか、きもちいいっ!? んふっ!? んぁあ゛あぁぁっ!?」
ふと快感によって焦点が定まらなくなった瞳で彼を見ると、彼もまた快感によって歯を食いしばっていた。それだけで嬉しく、わざわざ尋ねる事もないはずなのに、それでも私は呂律が回らなくなった舌を動かして彼に聞く。
それを聞いた彼は返事をする代わりに頷き、腰を一度引いてから更に強く私の下腹部へと叩きつけるようにぶつける。
「ん゛んっ!? はっ、あ゛あぁ゛~っ゛っ!?」
その抽挿に子宮口から背骨を通って脳へと電流が流れるような快感を覚え、私は腰を浮かしてまた絶頂する。
悦楽によって意識は朦朧としていたこともあり、頭を垂れた彼の表情は分からなかった。けれど私の頬まで飛散した彼の汗が、こちらの疑問に対する答えとして物語っていた。
彼も、限界が近いのだ。はっきりとしない頭の中でそう思い、私も彼がくれる快感に身を委ねた。
その時であった。
「んひぃいっ!? ……あ、やっ、やぁあっ!? そんにゃっ、いまっ、そこっ、いじらりぇたらぁっ!! う゛あ゛ぁああああぁぁっ!?」
今まで私の顔の両側に置いてあった彼の手が、私の胸へと移動してきた。今まで疼いてはいたものの、秘所から来る快感によって薄れていた場所を触れられる事で、私は思わず背中を浮かして再度絶頂した。
その絶頂による膣内の収縮で、一旦彼の動きは止まるものの、落ち着いた頃に腰を動かすと同時に、胸の愛撫も再開させた。
「あ゛っ!? や゛ぁあっ! ほんと、にぃっ! だめぇっ! とぶっ、とんぢゃうからぁあっ!! う゛ぁっ!? ちくび、いじりゅのだめぇえっ! あ゛ああぁぁっ!?」
豊満と呼べる私の胸を下から持ち上げ、横から寄せるように揉み、乳首を掴む。それを腰の動きに併せて行なってくるのだから、私の頭の中はそれらの快感で真っ白になってしまう。恋は求めるものであり、愛は与えるものとはよく言ったもので、彼の愛撫と抽挿は私に絶頂を与えてばかりであった。
最早全身が性感帯になったのではないかと思う程、彼が私に与えてくれる全てが享楽、悦楽、快楽となって襲い掛かる。
もう、何も考えられなかった。
「んあ゛っ!? あっ、あ゛~っ! あ゛~っ!!」
口端から涎を垂らしていることも気にせず、膣内で更に大きく、小刻みに痙攣し始める彼の男根と的確に攻めてくる胸の愛撫を前に、私は屈服した。
目尻から涙が流れるのを感じつつ、足を痙攣させ、快楽から逃げるように背中を浮かす。そして、最早何度になるのかも分からない絶頂の中、子宮口にぴったりと合わせて射精の準備をする男根に背筋が震えた。
「もっ、だめっ! いぐっ! い゛ぐぅううっ!!? っ!? ~っ!!」
そして、彼の腰が震えると同時に、子宮内へと吐き出される精液とそれに乗って運ばれてくる一際大きな快感の波を前に、私は今までの絶頂を遥かに超えるものを感じ、全身を痙攣させた。
「あ゛っ! あ゛~っ! んあ゛ぁ~っ!」
次から次へと流れ込む彼の精液は、一瞬にして子宮を一杯にし、逆流して接合部分から音を出して溢れた。しかし、私は未だに引かない快感の波に溺れており、その事を気にする事も出来なかった。
「んぁ゛っ、んちゅっ、んんっ、んむぅっ……ちゅくっ、ちゅっ」
それから射精が終了し、額に汗を滲ませながら優しく抱きしめ、口付けをしてくれる彼への愛しさと、全身から感じる幸福感で胸が一杯になりながら、私の意識はそこで途切れてしまった。
※
蝶になる、夢を見た。
自分が蝶になった夢を見ているのか、それとも普段の自分は蝶が見ている夢なのか。
生前の頃に、そんな説話を耳にした事があったと思いつつ、私は当ても無く飛び回っていた。
己の姿を見る事は出来なかったが、「自分は蝶になったのだ」という事だけは何故かはっきりとしていた。ただふらふらと宙を舞い、視点は一向に定まらない事ぐらいしか分からなかったが、それでも私は蛾にだけはなっていないという根拠のない自信を持って、飛び回った。
彼らにはなりたくないという思いもあったが、それ以上に今自分の目に塀で囲まれた中庭が映っているのが一番の理由だった。あの時の蝶も、こういう景色を見ていたのだろうかと思うと、今の自分の姿は蝶以外の何ものでもないと断言できた。
蝶の姿を模した弾幕は作れるものの、蝶自身になった事がなかった為、私はその中庭に入ろうとして、しばし自分の背中から生えている羽と格闘した。
今の自分の一部であるはずなのに、私の羽は中々自由には動かす事が出来なかった。だがそれでも、私は悪戦苦闘の末に、その塀を越えて中庭へと入った。
(白玉楼の中庭、ではないみたいだけれど)
その中庭は、とても不思議な感じがした。中庭の向こうにある建物は正しく白玉楼だった。しかし、その中庭は、赤い欄干の橋がかかった古い池、途中で変な方向に曲がった松の木など、西行寺家を思わせるものばかりがあった。だが、そうかと思えば、庭の端のほうにはあの西行妖がちゃんと植えてあったりする。
その不可思議な空間に、私は円を描くように飛びながら考えた。そして、三周目にしてこの空間が何であるのかを理解した。
ここは私の夢の中。最近見た夢の影響もあって、生前と死後の記憶が入り混じった私の場所、今の私を表している空間だった。
その考えが正しければ、あの人がいるはずだ。そう思った私は未だに自分の意思通りに動いてくれない羽を一所懸命に動かし、縁側のほうへと飛んだ。
(……見つけた!)
思った通り、彼は縁側にいた。廊下の端に座って両足を投げ出し、何か面白いものでもないかな、とでも言うような、退屈そうな顔をしていた。
その姿を見て、私は現実だけでなく、夢の中でも彼と一緒になれると喜び、蝶の姿であるのも構わず彼の傍まで飛んだ。
(んっ、くぅっ……あぁん、もうっ!)
しかし、そんな時に限って、私の羽は言う事を聞かなくなってしまい、彼の目先をふらふらと飛ぶ事しかできなかった。
それでも、その姿は彼の目に映ったようで、私を見つけた彼は満面の笑みを見せて縁側から跳ね起きた。それから抜き足差し足で私に近づき、そっと両手を開いて伸ばす。どうやら私を捕まえるつもりのようだった。
(立場が逆になってしまったわね)
現実では私が彼を捕まえたという事もあり、そんな彼の姿を見て、私はくすりと笑った。けれど、現実だろうと夢の中であろうと、彼と一緒にいたいという気持ちは変わらない。私は羽ばたくのを止め、広げていた彼の手の中へと身を投じた。
目の前にいた私が、いきなり自分の手の中に入ってきた事に、彼は少し訝しげな顔をして私を見た。しかし、その見た目は蝶そのものである為、彼はすぐに顔を元に戻して微笑んだ。
それから、両手でそっと私を包むと、そのまま中庭から屋敷の中へと入っていった。
※
(夢の中とは言え、まさか私が虫籠の中に入る日が来るなんてね)
私を捕まえた彼が用意したのは、幼い頃に壊したはずのあの虫籠だった。夢の中とは言え、その虫籠がある事と彼がそれを持っている事に驚いた。そして、入れられてみると案外広くて外の様子が分かり易いその籠の中で、私は止まり木で羽を休めながらあの時の蝶の気持ちを、文字通り身をもって理解した。
外を見ると彼が嬉しそうに笑い、じっと私を見つめている。彼に意識してもらっていると思うと、嬉しいような恥ずかしいような気持ちになる。けれど、そんな気持ちも自分の姿が蝶である事を思い出してしまうと、何だか複雑な気分にもなった。
(それにしても、ずっと私を見ていて飽きないのかしら?)
夢の中の時間がどういう流れをしているのかは分からなかった。けれど、体感時間ではあるもののすでに四半刻は経っていた。だが、彼は虫籠の前から一向に離れる気配がなかった。
ずっとにこにこと微笑み、時折思い立ったかのように虫籠を弾く。その度に籠が揺れ、私は反射で飛び回る羽目になった。
そして、揺れが収まったところで私は元の止まり木に戻り、その様子を見た彼は嬉しそうに笑う。
(……幼い頃の私のようね)
まるで子どものような行動や笑みに、私は彼を幼い頃の自分と重ね合わせた。思い返してみれば、あの蝶を捕まえた後の私も、そうやって蝶にちょっかいを出しては笑っていた。
ずっと蝶の入った虫籠の傍にいて、何処に行くにしても離さずに持って行った覚えがある。
(どっちが捕らわれたのか、分からないわね。……ぁ)
そして、何と無しに呟いたその一言で、私は全てを理解した。
私はあの時、蝶を捕らえたと同時に、その蝶にも捕らわれていたのだ。
その事に気付いた私は、虫籠を覗き込んで微笑む彼の姿を見つめ返した。蝶の美しい色合いに見惚れたように、私は彼の屈託のないこの笑顔に惚れたのだ。そして、そんな彼らを自分のものにした、またはしたいと思っていた。だがそんな私自身もまた、無意識のまま彼らに心身を委ねていたのだ。
(ふふ、そうだったのね)
幼い頃から数えるともう何十年、何百年越しになる答えを得たのだろうか。思えば遠くに来たものだと思った。そう思って笑うと、急に彼が遠ざかっていった。
初めは慌てて止まり木から飛び立ったが、もう私の背中には羽がなく、ただ地面に降り立つだけだった。
既に私は蝶ではなく、西行寺幽々子に戻っていたのだ。
見れば私の入っていた虫籠もなくなり、周囲は暗闇に覆われる。次第に意識も遠ざかっていくように思え、私は気付いた。
夢から覚める時間が来た。そう漠然と思った私は、流れに逆らわずゆっくりと目を閉じた。そして、小さな羽音と共に吹いて来る穏やかな風に全身を包まれ、私の意識はそこで途切れた。
※
「んっ、んんぅ……ここ、は? んんぅっ!?」
目を覚ますと、そこはいつもと同じ、私の寝室だった。体を起こすと、生まれたままの姿ゆえにその胸が揺れ、私は嬌声を上げた。そして、以前にもそんな事をしていたような事を思い出し、私は恐る恐る自分の左手側へと視線を落とした。
そこには彼が幸せそうな顔で眠っていた。安心し切っているのか、口を大きく開けて寝息を立てて寝ている無防備な姿は、体が大きな子どもにしか見えなかった。
「もぅ、だらしないわね」
そんな彼の姿にため息をつきつつも、私は顔が綻んでいくのが分かった。傍に脱ぎ捨ててあった襦袢を手に取り、彼の口端から垂れている涎を拭き取る。すると、彼は小さないびきを掻いた後、嬉しそうに顔をにやけさせた。先ほどまで命のやり取りをしていた相手とは思えないほどの体たらくだった。
けれど、それは今の私にも言える事だった。
「子どもの頃に、よく親としたものだけれど」
彼の幸せそうな顔を眺め、私はこの時間がずっと続けばいいと思い、彼の右手の小指の上から自分の左手の小指を絡め合わせた。
それは通常の指きりとは違う、遊郭の女性がするような心中立にも似た半ば一方的な指きり。けれど、その想いが今の私のささやかな願いだった。
決して離れないようにしっかりと絡めた小指同士を軽く振り、私は満足した。
これでもう、お互いに逃げられない。彼の全ては私のもので、私の全ては彼のもの。
そう思ったところで、私は小さな羽音を耳にし、ふとその音が聞こえてくる中庭へと視線を移した。そして、その視線の先にあるものを見て、私は微笑み、再び彼へと視線を戻してこう呟いた。
「……ねぇ、捕らわれたのは本当に貴方? それとも私?」
まだ薄暗い中庭には、灯篭の灯りに誘われるように一匹の蝶が飛んでいた。
終わり
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