日々は忙しなく過ぎていき、夏休みを待たずに出発の日が来る。
その時を直前にして多くの人が見送りに来ていた。
双葉は笑顔でお礼を言い、みんなにまた帰ってくることを伝えて手を振る。
「双葉、いつでも戻ってこいよ。待ってるからな」
自分の力のなさを悔しく思って、迷いを捨てたとは言い切れない状態ではあるものの、決意を改めた一護は快く送り出そうとしている。
声をかけられた双葉は笑顔で頷き、改めて約束をする。
迎えに来たウルキオラの隣に立って準備を整えた。
信用しているかと言えば決してそうは言い切れない。あくまでも双葉の意思を尊重した結果だ。
本人以外は楽観視しておらず、不信感は拭えなかった。
そのせいか、一護は双葉の隣に並ぶウルキオラを睨みつけるような目つきだった。
「双葉を死なせんなよ。何かあったらお前らを許さねぇ」
「ああ。わかっている」
ウルキオラは考えもせずに即答した。
彼を守ると決めたのは誰かに言われたからではない。自らの意思だ。理由は目の前に集まった彼らとは違うだろうが死なせはしないと決めている。
約束をして、準備は整った。
一時の別れになる。双葉は笑顔で手を振った。
一瞬の閃光で視界が真っ白になる。次に目を開いた時、すでにそこは彼が知らない土地で、移動は拍子抜けするほど簡単に終わってしまった。
暗闇に包まれ、空には三日月が浮かぶ真っ白な砂漠。
今まで自分が生きてきた“現世”とは空気が違う。しかし不思議と、初めて訪れるはずのその場所を懐かしいと思う気持ちが胸の奥底から湧き上がる気がする。
話は事前に聞いていたとはいえ、現世とはまるで異なる風景。
空気が冷たく、しんと静まり返っている。生物の気配を感じない静寂に包まれていた。印象としてはさながら死の世界。
「ここが……えっと」
「
「ソウルソサエティっていうのは」
「人間たちが肉体を失って魂魄のみになると辿り着く世界。死神が統括する土地だ」
納得した様子で双葉が頷く。
疑問は解消できたのだろうか。様子を確認したウルキオラが歩き出した。
一歩踏み出すと柔らかい砂に足が埋まりそうになる。苦心しながら双葉は彼を追いかけた。
音がまるで存在しない、静寂ばかりが広がる世界。あまりの静けさに耳が痛くなり、自分が存在するという認知がいくらか狂いそうになる。
あまりにも寂しいその世界に、
「どこへ行くんだ?」
「お前の身を隠せる場所だ。
「え、大丈夫なのか? すぐに見つかっちゃうんじゃ」
「“森”に入る。あそこなら問題ない。バラガンが興味を持たない土地だ」
夜の闇に包まれて、月の光に照らされた白い砂漠を歩き、幻想的な光景を一身に味わう。
そうした異様な状況の中で双葉の心は好奇心を覗かせるとわずかに踊っていて、一方では馴染みがあるかの如く落ち着いてもいる。
森があるのか。広大な砂漠にぽとんと落とされた現状では不思議に思えてならず、それなら早く見てみたいと心配もせずに気にしていた。
ウルキオラは口数が少ない。
対面していて感情がほとんどわからない。しかし彼の気遣いは幾度となく感じている。
双葉はウルキオラを信じようと決めていて、異世界に来た今でも不安は抱いていなかった。
前から聞きたかったことがある。
少し話したことがあるとは言ってもまだまだ相互理解は浅い。
歩きながら双葉はウルキオラの背中へ質問を投げかけた。
「ルザールって、どんな奴?」
自分に関係のある話だと聞かされていた。だがその多くはわからないまま。ただかつての仲間だという関係性を伝えられて、だから助けると、それだけを理由に協力することを約束されていただけである。
大丈夫だと言われても、何もかもわからないまま。
今なら聞いてもいいんじゃないか。そう思って唐突ではあったが質問した。
ウルキオラは軽率な返答を避け、熟考した上で答えようとしていた様子だった。
「光だ」
「……光?」
端的な答えだったが理解は難しく、双葉が聞き返すとウルキオラは淡々と続きを語る。
「闇の中に居た俺を、光の中から手を差し伸べて掬い上げた。どんな奴かと問われると俺にもよくわからない。だが俺にとってルザールは、闇の外へ導いてくれた、光その物に等しい存在だ」
「恩人ってこと?」
「そう言ってもいいのだろう。少なくともお前のことを知った時、それがルザールの理想ならば、そのままそっとしておきたいと思った」
ほお、と間抜けな声が口から洩れて、双葉は感心した様子だった。
「感情、あるんじゃない?」
「……何?」
驚いた様子でウルキオラが歩みを止める。
振り返った彼と目を合わせた双葉は、大したことは言っていないと言いたげな顔で呟いた。
「ルザールと仲良かったんだろ? なんかそれはわかったから」
何気なく言ってみた一言だったが、ウルキオラにとっては大きな衝撃があったらしい。無表情とはいえ驚いているのがわかる。
なぜ驚くのかわからない。双葉は不思議そうに見つめていた。
「……感情とは、なんだ?」
「え? ご、ごめん、そんな難しい質問は俺にもわからない」
「そうか……だが、お前は俺に感情があると思ったんだな」
「うん。だって、ルザールのことを話す時、いつもよりちょっと優しい感じがする」
なんとなくだけど、と付け足して、双葉は当然のようにそう言った。
まさかと思うような驚きを伴い、言葉を失ったウルキオラは受け入れられずにいる。
自らは虚無。それが当然。それこそが自分。そう思っていたのに、自身を全否定するかのような言葉をぶつけられて、なぜか悪い気分にはならなかった。
わからない。
考えるのをやめたウルキオラは再び前を向いて歩き出す。
先を急ぐかのような素振りであったが双葉を置き去りにしようとはせずにきちんと待つ。そうした態度を見ていてもやはり感情があるように感じられる。
双葉はウルキオラの背を見て安心を覚えていて、きっと大丈夫だと思い込んでいた。
辿り着いたその森は、大きな闇に包まれている場所だった。
安全だとは言われたが一目見ただけではそうは思えない。暗闇に包まれて、視界は限りなくゼロに近い。自分の体さえ視認できない巨大な絶望。
足を踏み入れる寸前、どうしようもない不安を覚えた。人間の体が拒否しているのか、意外にも驚いていない心境とは裏腹に自分一人では進むことができなかった。
ウルキオラが手を繋いで先導してくれたことでどうにか進めている。
どこへ辿り着くともわからない闇の中、どうやらウルキオラには前が見えているようだった。
視界が変わった。
月明かりが差し込む一角、小さなスペースへ辿り着く。
「ここだ」
木々の間から、まるでスポットライトのように天から光が漏れた、暗闇の中の一角。そこだけ切り取られているかのような歪さを覚える。
雰囲気が変わってようやく安堵した双葉がほっと息を吐いた。
「安全な場所?」
「ああ」
「かつ、俺が住むところなんだ」
「そうだ。現世に倣って家屋を用意した。お前は人間だからな」
ウルキオラは淡々と告げる。
意識的にか無意識か、お前は
特殊な事情で多少なりとも
その中で可能な限り安全に生きられるよう、配慮した場所と家屋がそこだ。
静かに、音もなく、ひたひたと歩いて闇の中から一体の
見覚えのある犬のようなその個体は現世で会っていた。
双葉は笑顔になって迎えて、歩み寄ってくる
「ジャバウォック。……で合ってるよね?」
「ああ。間違いない」
外見は間違いなく覚えている。しかし名前を呼ぶのは初めてだったはずだ。
ジャバウォックと名付けられた
少なくとも現時点で彼らが味方なのはわかる。
ウルキオラとジャバウォック、そして同じく闇の中から出てきたもう一人。
いつの間にか光の中にハリベルが居た。
何も語らず、微動だにせず、じっと双葉を見つめて動かずにいる。
気付くのが遅れた双葉はわずかにたじろぎ、しかし、襲撃のあった夜を思い出した。
「あっ……と」
「心配いらない。味方だ」
ウルキオラの忠告を得て、双葉はジャバウォックと共に光の中へ足を踏み入れた。
家とは言っても見様見真似で作った、四角いだけの白い箱。人間界のそれと比べれば家には見えない代物である。だが彼らが用意してくれた家を悪く思うつもりはない。
家の前に立っていたハリベルの前に立ち、双葉は自身より背の高い彼女を見上げた。
「あの、助けてくれて、ありがとうございました」
「気にするな。私がそうしたかったからそうしただけだ」
双葉は頷き、安堵した様子でにこやかに微笑む。
「あなたも、ルザールの知り合いですか?」
「……ああ」
「それじゃあ、えっと」
「だがお前を助けようと思ったことにルザールは関係ない。あくまでもお前を助けるためだ」
予想外に素っ気ない物言いだった。それでいて双葉に対する親愛のようなものを感じる。
ぽかんとした双葉は、味方という言葉に違和感を覚えた。
「昔の仲間とかじゃ……」
「そうだが、奴は私の忠告を聞かずに勝手にどこかへ行き、勝手に消えた。少なくとも私は、奴が戻ってくればいいだなんて思っていない」
呆気に取られる双葉の頬に、するりとハリベルの手が触れる。
「道野双葉。私はお前をずっと見ていた。ルザールのためではなくお前のために」
触れられるほど近くで見た時、意外にも優しい目をしていることに気付く。淡々とした口調や感情を隠すかのような態度とは裏腹に親しみを覚える。
味方であることは間違いないとそう思えた。
触れた親指で肌を撫でられる。双葉は子猫のように目を細めた。
「私はお前を守る。案ずるな。誰にも手出しさせない」
「あ……どうも」
「お前は死ぬな。生き続けろ」
できるならば現世でと付け加えて、ハリベルがくしゃりと頭を撫でた。
そうした行為の経験はないのか、力加減がわからないようで想像よりずいぶん力が強い。多少の痛みはあったがそれでも彼女なりの親しみを感じて、冷たく見える目にも慈愛が感じられる。
痛いとは言わず、抵抗もせず、双葉はその行為を受け入れた。
なんとなく落ち着く気がするのは襲撃のあった夜を思い出したからではないと思う。
胸の内がなんだか温かく、気分が落ち着く気がする。
ひょっとしたら、などと考えて、双葉はハリベルを見つめながら大きく息を吐き出した。