詩ぃちゃんの誕生日はC85頒布の資料集記載の旧設定を採用しています。一部オリ設定注意。※Pixivと同時掲載です。

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鬼赦し編

卒業式が終わり、講堂を兼ねた広い教会堂に残る生徒はほとんどいない。

 

尼僧院じみたこの学園に幽閉された少女たちは、外部進学など選ぶことはできないからだ。卒業式も終業式と大して変わりなく、自然とおざなりになる。

 

普通の中学生なら卒業式とは別れの式典で感慨深いものだが、卒業以降も同じ面子と顔を合わせ続けるというのに、いちいち涙を流したり別れを惜しんで抱き合ったりして時間を過ごすのはありていに言えば狂気の沙汰だろう。

 

その"狂気の沙汰"というヤツが、これから自分の身に降りかかるわけで……。

嘆息しながら見上げると、ステンドグラスが春の優しい光を透かし湛えていた。

 

ステンドグラスのモチーフはイタリアかどっかの聖女ルチーア……だったっけ?

聖書の暗記だの、聖人の教えだの、私はそういうのにまったくキョーミがない。

 

「汝の敵を愛せよ」だとか「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」だとかそういうキレイゴトのお説教には虫唾が走る。敵は殺して排除すれば話が早いし、殴られたら何度でも殴り返してやる。私はそういう女だ。

 

優等生を演じるために話を合わせるくらいには知っているが、シスターが日曜のミサでよくも飽きずに語り続ける「学園の象徴たる聖処女殉教者が云々で慈愛の精神がかんぬん」というお説教にはもう諦観の念すら覚えているありさまだ。

 

確か、無理やり結婚させられそうになって逃げた女の話だったような……。

 

「まるで、今の私みたいですね」

 

いつの間にか肩にくっついていた桜の花びらを払いつつ、ポケットから一通の手紙を取り出す。薄桃色の便箋は淡くベゴニアの花の香りをまとい、内容を読む前から重苦しい一方的な乙女心を感じさせ、私を心の底からうんざりさせる。

 

教室の机の上に聖書を置きっぱなしにしていたのはあらゆる意味で失策だった。まさかこのような恋文を勝手に挟むような輩がいるとは……。

 

『──詩音お姉さまへ……お慕い申し上げております──』

 

という書き出しには、はっきり言っておぞけが立つ。ジンマシンが出そうだ。

 

長々と『お美しい翡翠の彫刻のようなおぐしが』『庭園に咲くどの花よりも麗しいそのお顔が』『優しく凛としたお声が』などと美辞麗句が書き連ねられ……『どうかわたくしをお姉さまのその手で手折って下さいまし』『卒業式の後、教会堂にてお姉さまのお答えを頂きたく存じます』……と締めくくられていた。

 

どれだけ頭が茹だっていればこんな文章が書けるのだろう?この書き手には正気や羞恥心が著しく欠如しているようだ。もしかしなくても馬鹿なんじゃないだろうか?

 

無視するのは簡単だが、私が弛まぬ努力で築き上げてきた理想的なお嬢様、ルチーア然とした清く正しい慈愛溢れる令嬢というイメージは今夜の作戦にも必須のものだ。一応約束は約束なのだ。まだまだこの仮面を投げ捨てるわけにはいかない。

 

それにこの手紙の主に言ってやりたいことも、少なからずあるのだ。

思春期の糞餓鬼の遊びに付き合わせられるこっちの身にもなって欲しい。

 

手折る、というのは見ようによってはいかがわしい隠語のようだが、なんということはない。この学園の高等部には"パルトネル"という連帯責任制度がある。寮で同室の生徒と相互監視を暗に強いるこの腐れカルト施設に相応しいくだらない制度だ。

 

ほとんどの生徒はこのパルトネル制度を耽美でロマンスあふれる特別な結びつきであると読み替え、女同士で愛を囁き合ったりしているらしい……。

 

学園の教員に若い男性がいないからといって、同性で妥協するのは『頭がおかしい』『変態』『恋愛ゴッコ』としか形容しようがない。本当に気持ちが悪い。

 

つまりこれは……私と同室になってイチャつきたい、という申し出なのだ。

 

戦前の少女小説じゃあるまいし、付き合ってられないってーの。

離れたママが恋しいなら腐れシスターの婆あにでも抱き着いてろよ。

 

「し、詩音お姉さまっ!」

 

鈴が鳴るような声に振り向くと、顔を林檎のように真っ赤にした女子生徒が、両手で制服の裾を握り締めて俯きがちに立っていた。

 

かむろとでもいうか、きっちりと切り揃えられた長い黒髪で目元は隠れ、まるで本家の茶の間に飾られた、古くさい日本人形のような出で立ちだ。

 

誰だっけ?クラスメートにこんな子がいたような、いなかったような……。

同室を希望するということは、とりあえず同学年ではあるのだろう。

 

「ごきげんよう、私に何か御用ですか?」

 

にっこりと笑顔を貼り付け、よそゆきの声音で対応する。

 

「お、おお、お答えを……聞かせて頂きたくてっ……」

 

何だか幼稚で陰気で地味な顔立ちだなぁ、と思いつつ、用意していた答えを返す。

 

「あー、私そういうのパスでお願いしますね」

 

「……えっ?」

 

「女の子相手なんてシュミじゃないですしー、恋愛自体よくわかんないんですよね。誰かが好きとか惚れたとかなんだか馬鹿らしくって、あはは」

 

私の答えにじわりと涙を浮かべる相手を、いい気味だと思う。

 

「そもそも、あなたが私の何を知っているって言うんです?手紙にある通り名前はかろうじて知ってるみたいですけど……私、あなたとお話ししたことなんて一度もないと思うんですよ」

 

「……そんなっ、わたくし以前、詩音お姉さまに助けて頂いてっ……!」

 

「あー、全然覚えてませんね……私、あなたの名前も知らないですし。あと、同学年なのにどうしてお姉さまって呼ぶんです?私はあなたの姉じゃありませんよ」

 

「………ぐすっ……ひっく……」

 

「はぁ……泣けば誰かが助けてくれると思ってるんですか?それじゃあ、まるで私が悪いみたいじゃないですか。とにかく、よく知りもしない相手にゴッコ遊びで好きだとか同室になりたいとか普通に失礼でしょ……えーと、名前も知らない誰かさん?」

 

手に持った手紙を相手のポケットに押し込み、踵を返して教会堂の出口へ向かう。

背後でワッと泣き出す声が聞こえたが、今はこんなことに関わっている暇はない。

 

今夜の作戦に、私の人生……これからのすべてがかかっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──夜闇の中、柔らかな芝生の上を息を殺して素早く駆け抜けた。

 

監視カメラの位置はすべて把握している。時間をかけて念入りに確認したこのルートであれば、私の影すらレンズには映らないだろう。

 

走り抜けた先で、学園を囲む欧風の壁のてっぺんの飾りにロープを掛け、難なく乗り越えてロープを回収する。あとはこの暗闇に身を隠して迎えを待つだけだ。

 

ここまで来れば勝ったも同然である。

 

当初の予定から2年遅れでようやく実行に移されたルチーア脱走作戦は、念入りな準備の甲斐もあって簡単に成功した。

 

前回のチャンスは実家からの手紙で妨害されてしまった。

 

古手家の梨花ちゃまとやらが、ルチーア学園に入りたいと言っている、などという本当にどうでもいい内容の手紙が魅音から私宛に送られて来たのだ。学園入学の資料請求のついでに同封されたものらしいけれど……そこまではまあいい。

 

問題は実家からの手紙で里心がつくと危惧した寮母に、部屋の外から鍵を掛けられてしまったことだった。何か月も計画していた脱走作戦がピンポイントで潰され、私はそれからほぼ2年間ものあいだ雌伏の時を余儀なくされたのだ。

 

その後なかなかチャンスはなく……結局三年間丸々懲役だった。

古手の馬鹿で夢見がちな糞餓鬼のせいで散々だった。バカみたいな話だ。

一時はストレスで本当に気が狂うかと思ったことさえある。

 

今回狙ったのは中等部の卒業と高等部への内部進学で、寮を引っ越したり里帰りする関係で、学園の警備計画に穴が生じる瞬間だった。帰郷する生徒が最も多いのもこの春休み初日の深夜である。

 

警備員が減らされ、警備に大きなスキができるのだ。巡回ルートが完全にランダムであることが最大の懸念事項だった。警備の数が減ったおかげで、とある時間帯に完全な空隙が生まれるのである。

 

それに気付いたのは去年の春だった。もっと早く気づいていれば……悔やんでも致し方ない。過去の後悔よりも、今回成功したことを素直に喜ぶべきだろう。

 

塀の向こうのルネサンス風の校舎は、まるでお化け屋敷のように下からぼうっと照らされ、森の中で異様な存在感を放っている。

 

見渡す限りはどこぞの欧州の小奇麗な街角のような一角だが、少し離れれば堆肥と水田の泥の匂い、野焼きの白煙が漂うような日本のド田舎の山奥だ。

 

そんな張りぼてのような石畳の道路を、自動車のヘッドライトが鋭く切り裂いた。

 

手紙に書かれていた通りのナンバーだ。手を振ると、黒塗りの高級車が速度を緩め、私の前で停車した。素早く助手席のドアを開けて滑り込む。

 

「お勤めご苦労様です。詩音さん」

 

「ありがと葛西!ほんと助かったよー!」

 

黒いスーツにサングラスの初老の男は、本当に久々にこんなに可愛い女の子に会ったというのに、苦々しい表情だった。アクセルをぐんと吹かし、一気にルチーアが遠ざかっていく。瀟洒な街角はすぐに途切れ、野暮ったい農道に取って代わった。

 

「詩音さん、本家からお送りした手紙の通り、もう少しお待ち下されば正門からお迎えに上がりましたのに……」

 

「じょーだん!そんなものを素直に信じるほど私ゃ馬鹿じゃないっての!」

 

確かに事前に送られた手紙には、春休み中に退学手続きを行うなどと書かれていたが……あんなの出戻って来られたら困る本家の罠に決まっている。

 

はっ、そんな見え透いた嘘に引っかかるような詩音様じゃない。歩いてでも雛見沢に帰ってやるからね?と脅して、葛西から計画に協力するという言質を引き出してやったのだ。

 

「冗談ではなく、本当のことですよ。皆さん、詩音さんのお帰りを今か今かと首を長くしてお待ちしております」

 

「あー、もう、そういうのいいって……到着まで寝かせてもらいますね」

 

「後ろの席に毛布があります。春とはいえまだ冷えます。使ってやって下さい」

 

リクライニングのレバーを引き、座席を倒す。毛布を乱暴に引っ張り、包まった。

 

……私がいらない子だってことは、身に染みて分かっている。

そんな私の帰りを皆が待っている?悪い冗談にもほどがある。

 

葛西は私を元気づけたくてそう言っているのだろうけど、逆に不愉快だった。

 

ふたりの共有物だった『魅音』があの子だけのものになったあの日から、私はずっと邪魔者、余計物だった。園崎にとって利用価値があるとすれば、もしも魅音が不慮の事故で死んだりしたときのためのスペアってところだろう。

 

ルチーアのようないかれた尼寺に押し込んでしまえば私が諦めるとでも思ったのか。鬼婆も母さんも魅音も……考えが甘過ぎる。

 

園崎の長女に鬼が宿るというのなら。

 

……その鬼は本当は、私に宿っているのだから。

 

次期頭首の座、なんてものに興味はないけれど、血の繋がった家族をここまで差をつけて僻地へ追い遣ってくれたことに恨みがない、といえば嘘になる。

 

私の生きる世界は、あの日から今日に至るまで真っ逆さまにひっくり返ったままだ。

 

お母さんは私が本物の魅音なのだとどれだけ泣き叫んでも聞き入れてくれなかった。

 

鬼婆は私がまるで始めからこの世に存在しないかのように振舞っている。

 

魅音は私に大きな負い目を感じているようだが、本音はわかったものじゃない。

 

あの子は本来、もらったお菓子ひとつ私にお伺いを立てなければ口にできないような小心者だった。

 

あんな境遇でも我が儘ひとつ言ったことはなかった……なのに、背中に鬼を入れるあの儀式の日だけは……絶対に引き下がらず泣いて駄々をこねて、仕方なく私が折れて……あの子が『魅音』を独り占めにしたのだ。

 

もう済んだ話、どうでもいいこと、そう思おうと努力するけれど、結局……忘れることなどできはしない。

 

どうして私が、私だけが。生まれ育った地元から引き離されて……卒業後も実家に戻ることすら許さないなんて、あんまりじゃないか……。

 

普通に生まれて、普通に家族に愛され、普通に恋をして……普通に暮らしたかった。

それだけのことをどうして、私だけが許されないのだろう。ただ悲しかった。

 

そんなことを考えていると、どうしても表情が暗くなってしまう。

 

窓に映っていることに気づき、あわてて毛布を頭まで引っ被った。

自分の境遇を憐れんでへこんでいる姿なんて、葛西にだけは見られたくない。

 

葛西がヒーターのレバーを強に入れたのか、温風が冷えた脚を撫でる。

寝不足の私は、暖かさと心地よい振動でいつの間にか眠りに落ちていった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大きな振動で頭をぐわんぐわんと揺さぶられ、目が覚めた。朝日が差し込む車窓から見える景色は、懐かしい雛見沢の山林の中で……って、ちょっと!

 

「葛西!どこへ向かってるんです!?」

 

「どこって……園崎の本家ですが」

 

「正気!?直接本家に乗り込んだりしたら、本気で殺されちまいますよ!」

 

まさか裏切ったの、葛西!?既に周囲は本家に続く狭隘な山道だ。数分もしないうちに本家に到着してしまう!

 

パニックを起こして逃げ道を探すが、取り得る策が見つからない。飛び降りるか?映画じゃあるまいし、無事で済むとは思えない。

 

「ああ、皆さんお揃いですね」

 

本家の門前には数人の警護の若い衆と、お姉、母さんに……鬼婆までが立ち、こちらを見ていた。何、最初から私の脱走計画は全部本家に筒抜けだったっての?最初っから私を始末するつもりで罠を仕掛けてたってこと?

 

葛西が車を停め、外からドアを開ける。

朝の冷たい外気が私の身体をすぅっと冷やす。

 

「詩音さん、どうぞ」

 

「待って、葛西……私そんなに悪いことした?……地元に帰りたいって……そんなに間違ったこと?それって、殺されなきゃいけないほどのことなの……?」

 

生まれた雛見沢じゃなくてもいい、せめて小学校時代を過ごした興宮で、こっそり暮らせればそれでいい、そんなふうに思っただけなのに……。

 

そんなことを考えるだけでも、私には重い罪だとでもいうのか。

 

「いったい何を仰っておられるのやら……失礼」

 

降車せず座席にしがみついて泣き言をいう私に痺れを切らしたのか、呆れ顔の葛西は包まった毛布ごと私を抱き上げて門へ歩き始めた。

 

「やだぁ!助けて葛西……!死にたくない!ごめんなさいごめんなさい、謝りますから許してください!!ごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい!!」

 

必死に暴れるけど、葛西の逞しい腕は、鉄のようにがっしりと私を抱きとめていて、びくともしない。

 

震えが止まらない。怖くて怖くて心細くてどうしようもなくて、私はちいさな子供のようにわんわんと泣き出した。

 

「やめて!放してよぉ!助けて、おかあさん……おかあさああぁあん!!」

 

「こら葛西、うちの詩音が泣いてるじゃないか。下ろしておやり」

 

「はぁ、疲れが出たのでしょうか?どうも寝ぼけていらっしゃるようで……」

 

泣きじゃくる私を葛西がゆっくりと下ろし地面に立たせた。状況が飲み込めず、毛布を握ったままその場でふらつく私を、お母さんの腕が優しく抱き留めた。

 

「おかえり、詩音。少し見ないうちにずいぶん大きくなったじゃないか」

 

「詩音、お帰り!詩音ってば、帰って早々なーに泣いてんのさ」

 

お姉が呆れ顔で涙に濡れた私の頬を撫で、ぎゅっと抱き着いて来る。

く、苦しい……。姉と母にぎゅうぎゅうに挟まれてあんこが出そう。

 

「ほら!ばっちゃも!恥ずかしがってないでさ!」

 

「なんね魅音、なぁンも言いよらんったらん!しゃあらわんわったく!……よぉう帰ったンのぉ、詩音」

 

……私は、夢でも見ているんだろうか?目を覚ましたら、まだ葛西が運転する車の中で……きっとそうに違いない。あの園崎お魎が、本家の鬼婆が……私の帰りをねぎらっている……?しかも頬を赤らめて……?

 

「長ぁく苦労かけてん、すまんかったンなぁ、詩音やぁ……よーう帰って来たんねぇ……ぐすっ……」

 

混乱きわまる私に、お魎は涙を浮かべて鼻をすすりながら抱き着いて来た。

 

優しい顔に囲まれ、家族に抱き締められながら……ようやく私は歓迎されていることに気づいた。私は雛見沢に……ここに帰ってきてよかったんだ、と分かった。

 

「ふぐっ……うぅっ……ただいま……ただいま、みんな……」

 

 

 

 

 

客間に通され、お姉やお母さんにくっついて甘えながらうとうとしていると、次々に親戚筋やらお父さんの組の人たちが集まり、山ほどの御馳走やお酒が運び込まれ、あっという間に綿流しの夜のような大きな宴会になってしまった。

 

以前は親戚筋も一部を除いてみな私をどこか遠ざけ無視する空気があったが、今日は魅音とほとんど同列に扱われ、主賓として下にも置かない扱いだ。

 

親族会議か何かと重なったのかと思ったが、この集まりは私の卒業祝賀会と、少し早い誕生祝を兼ねた、私のためだけのものらしい……。

 

お寿司にすき焼き、鯛の刺身やら私の好物のクリームコロッケやら大きなケーキやら……親族のおじさんおばさんに次々に勧められ、おなかがぱんぱんになって一歩も動けなくなるまで食べさせられてしまった。

 

雛見沢では、私がいない間に色々なことがあったらしく……。

 

去年の綿流しの祭の席上で……御三家連名でダム戦争から続く祟りの終結やオヤシロ様に因む迷信やしきたりの根絶などが発表されたのだという。

 

これは例の古手家頭首、古手梨花が発起人となったとかで……。

 

オヤシロ様の生まれ変わりであるその立場を生かして、雛見沢への部落差別やダム戦争で形成された、団結して敵と戦う仕組みを丁寧に解きほぐしていったのだという。

 

オヤシロ様は祟ったりなどしない、村人だけでなく、村外の人々とも仲良くしなければオヤシロ様が悲しむのだと。そんな現代に残るオヤシロ様信仰をうまく流用した都合の良い新しい決まりは、権威に弱い雛見沢全体に急速に広まっていった。

 

ルチーアに入りたいなどと、甘やかされて育った夢見がちな馬鹿なお嬢様だろうと思っていたが、なかなかどうして、そういうわけでもなかったらしい。

 

「だからね、詩音……園崎の威信だとか、理不尽なしきたりとか、そういうのはもう全部やめにしようって、ばっちゃや母さんと話し合って決めたんだ。詩音を呼び戻すっていうのもそのひとつ。忌み子だから遠ざけるなんておかしいって、ばっちゃに問い詰めたらね……ほんとは、ばっちゃもそういうの、嫌だったんだってさ……」

 

「そんな、あの血も涙もない園崎お魎が……?嘘でしょう、お姉?」

 

「ほら、ばっちゃの左手を見て……爪が歪んでるでしょ?あれはケジメのあとなんだって、母さんが言ってた。忌み子を殺さなかった代わりに、自分で剥いだんだって」

 

上座に敷かれた布団で身体を起こし、仏頂面で母さんや親族たちと話すお魎の左手の薬指と中指の二枚の爪は、確かにひしゃげているようにみえた。

 

驚いた……この子を生かしたのは鬼婆……いやばっちゃだったの……?

てっきり、お母さんやお父さんが尽力した結果であると思い込んでいた。

 

「私も謝らなきゃ……ごめんね……詩音……ううん、お姉ちゃん。私ね、あの日、お姉ちゃんが羨ましくって……どうしても、我慢ができなくって……」

 

目に涙を浮かべて何かを告白しようとする魅音。でも、私は聞きたくないと思った。あの日、この子が何を知っていて、何を考え、入れ替わったのかはどうでもいいことなのだ。大切な姉に悲しい顔をして欲しくはない、それだけだった。

 

「……言わなくていいよ詩音。大丈夫……あんたをこれっぽっちも恨んでなんかないからさ。あんたと双子で本当によかったって思ってる。それに……園崎家の次期頭首なんてめんどくさい役職、私の柄じゃありませんって!」

 

「ははは、ちがいないや!」

 

「ちょっと!どーいう意味です、お姉!」

 

隣り合った私の肩に、こてんと頭を預ける魅音。

 

「ありがと、詩音……」

 

「もう、お姉ったら……甘ったれなんですから」

 

 

 

 

 

 

──そんなふうに家族と和解した私は、そのまま本家で上げ膳据え膳で何もせず、ぼんやりと穏やかに、ただ幸福に日々を過ごした。

 

日当たりのいい縁側で猫のように日がな一日ひなたぼっこをして寝ていると、魅音や母さんがたまにやってきては私を抱き締めて撫でて、甘やかしてくれる。

 

てっきり高校へ行け、とか、これからどうするんだ、とか色々と説教されるものかと思ったが、そういうことはなかった。

 

ついぞ慣れることのない、聖ルチーアでの生活上のストレスで、私は自身の想像以上にひどく心身ともに疲弊していたようで……すぐに新しく何かをする気も起きなかったので、この扱いは幸いだった。

 

たまに葛西が様子を見に来て、私の自堕落ぶりに肩をすくめてみせたり、義郎叔父さんが自分のお店の新作ケーキを手土産に、聖ルチーア学園の秘密の乙女の園の話を聞きに来たりと、不思議と退屈することはなかった。

 

驚いたのは、お魎が手ずから作ったおはぎを携えて、私のところへやって来たことだった。言葉少なだったが、これまでしきたりを押し付けて私を苦しませたことをひたすらに謝り、おはぎを勧めてきた。

 

以前は伝統や迷信で出来た得体の知れないバケモノのように見えていたけれど、その肩は思っていたよりも小さく……それがすべて誤解であったことを知った。

 

本当はただ……差別との闘争や近年のダム戦争で生まれた、村全体の熱狂に押され、今更園崎家頭首だけではやめることができない、恐ろしいしきたりや祟りに怯え悩んでいただけの、ひとりの小柄な老婆でしかなかったのだ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

とある昼下がり、私は魅音の格好で雛見沢を歩いていた。

雛見沢の町会に出席した帰りである。

 

次期頭首である魅音が急用で町会の集まりに出席できなくなり、急遽私に身代わりを頼んできたのだ。ただ本家で何もせずグータラしているだけの負い目もあり、面倒だが引き受けざるを得なかった。

 

特に重要な話があるわけでもないので、ただ座っていればいいだけだったのだが、眠くなるようなどうでもいい話を真面目に聞いているのはそれだけで疲れるものだ。

 

「はぁ、やっぱ次期頭首って面倒な役職なんですねぇ……」

 

「はぅ~!魅~ぃちゃん見~っけ!何してるのかな?かな?」

 

「きゃあっ!誰です!?」

 

突然誰かに後ろから両肩を掴まれ、驚いて声を上げる。

振り向くと、セーラー服の少女が、突然がばっと抱き着いて来た。

 

「何言ってるの魅ぃちゃん?レナなんだよ?だよ?えへへ、しばらく会わないうちに忘れちゃったの?あーあ、寂しいんだぁ~」

 

「え?あ……えっと……あの……その……」

 

家族以外の誰かに初めて身体に優しく触れられ、密着され、どきどきしてしまう。

 

この子は誰だろう?お姉の友達?と疑問に思う一方、鼻先をくすぐるオレンジ色の髪からたちのぼるせっけんのほのかな香りに安らぎ、ぼーっと惚けてしまった。

 

「くんくん……香水?魅ぃちゃんこんなのつけてたっけ……?」

 

顔を上げた少女は、私の目をじっと見つめてくる。

 

はっとするほどの美形なのに面立ちは柔和で……そのまなざしは優しく、目が離せない。頭は熱にうかされたようにふわふわとして現実感がなくて……私はどうかしてしまったんだろうか?

 

「……魅ぃちゃんじゃ……ない?……あなた、誰?……きゃっ!」

 

気が付くと私は少女を振り払い、全力疾走で園崎本家に向かって駆け出していた。

 

「ねぇ、待ってぇ~!逃げないでほしいかな!かな!」

 

日に焼けたみたいに顔が熱い。心臓が喉から飛び出しそうなくらい暴れまわる。

それが走ったせいなのか、それともあの少女のせいなのか、私にはわからなかった。

 

 

 

 

 

 

本家に戻ると、お姉は縁側でわたしのお菓子を食べながら寝転んでいた。

急用があるっていうから代わってあげたのに……もう、お姉ったら。

 

「お姉、急用とやらはもう終わったんです?ずいぶんお早いことで」

 

「んー?おかえりぃ、詩音。分校の生徒の子に緊急事態だって呼び出されたんだけどね、行ってみればそれがまたどーでもいいことでさぁ。ゲンコツくれてやったよ」

 

「へぇ、それは災難でしたね。……お姉、そういえばその分校にセーラー服の女の子って通ってたりします?オレンジのボブカットに黄色いタイの……」

 

「あぁ、それはレナだね。竜宮レナ。雛見沢の分校で一緒だったんだ」

 

「レナ……さん……」

 

そっか……竜宮レナさん、っていうんだ……。

少々現実離れした容姿に相応しい垢抜けた名前だった。

 

「レナさんって、おいくつなんです?」

 

「中学三年生で……確か誕生日がまだだから……14歳だったかな」

 

「どんな方なんです?」

 

「う~ん……そうだねぇ、すっごく優しい子だよ?お母さんって感じ。とっても面倒見のいい子でさ、おじさん分校ではずっとレナに助けられっぱなしだったなぁ……」

 

「……お姉とレナさんって……その、親しいんですか?」

 

「親しいも何もラブラブだよぉ、おじさんとレナは愛し合ってんだからさ~」

 

「えぇっ!付き合ってるんですかお姉!?」

 

「付き合っ……?冗談だよ、冗談……女同士でそんなこと……って詩音?」

 

自分がとんでもないことを口走ったことに気づいて赤面する。

 

待って、私……お姉に嫉妬してる……?それじゃまるで私がレナさんのこと……!

 

「ちっ、違っ……」

 

「はぁ~ん?ルチーアって全寮制の女子校だもんねぇ~?あたしゃよく知らないけど女の子同士で告白して付き合ったり、イチャイチャチュッチュッチュ~♥ってしたりなんてのも詩音は経験済みってわけだぁ?女同士で……くっくっく!」

 

お姉の嘲笑うような口調に、ずきん、と胸が痛む。

気付けば、自分の頬を涙が濡らしていた。

 

「やめてよ、お姉……ぐすっ……」

 

「ちょっと、泣くことないじゃないのさ……ごめんってば、詩音……」

 

「ばかぁ、魅音、きらい……」

 

「詩音……まさか、本当に……?」

 

こくん、と頷く。

 

「そっか……詩音、本当にレナのこと……ごめんね、詩音……茶化したりなんかして……そっか、そっかぁ……一目惚れって、本当にあるんだね……」

 

魅音は「応援するよ」と言って、そっと私の肩を抱いてくれた。

 

それから魅音は、レナさんのことを色々話してくれた。生まれは雛見沢、小さな頃に茨城へ引っ越し、57年に雛見沢へ戻って来たこと……。

 

可愛いものが大好きで、好みの可愛いものを見ると「かぁいいモード」になって止まらなくなること。料理や家事が得意なこと。意外としっかりしていること。

 

魅音が語る分校での日々は幸せそうで、眩しくて……その場に自分もいられたらよかったのに、と恨めしく思ってしまった。もうそういうのは全部許したはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

縁側で寝転がりながら、レナさんのことばかり考えてしまう。

空想の中でオレンジ色のボブカットが私を誘う猫じゃらしのようにちらつく。

 

どうにかして会えないだろうか、でも、何て言って訪ねればいい?私はもう中学生でもないから分校に通うことはできないし、何の接点もない。お姉に聞けば自宅は分かるだろうけど……いきなり見知らぬ女がチャイムを鳴らしたら不審者だ。

 

そもそも、私はレナさんに認知すらされていないのでは?

 

魅音の格好をして雛見沢をほっつき歩いていたおかしな女、としか思われてないのでは……?ああ、どうして逃げちゃったんだろう……ちゃんと挨拶して身分を明かしていれば……まだ何とでもなっただろうに……。

 

それにしても顔の良い子だった……ルチーアはお嬢様が多い割には微妙な顔の子が多くて……レナさんは久しぶりに見る、正統派の美少女だった。

 

おとぎ話のお姫様のようにふわふわで愛らしいのに、触れれば切れそうな鋭さをも感じる。そんなアンビバレントな感覚を思わせるレナさんの容姿は、どうやら私の「女の好み」とやらに合致していたようで……思い出すたびに胸が苦しくなる。

 

不意に、柔らかな肌とその体温、甘い女の子の香りを思い出して赤面する。お姉は会うたびにレナさんに抱き着かれているんだろうか……羨ましい……ああ、こんなことばっかり考えていて、レナさんに気持ち悪いって思われないだろうか……。

 

『そもそも、あなたが私の何を知っているって言うんです?』

 

ルチーアで自分が放った冷たい言葉を反芻して、どきりとする。

 

そうだ、私はレナさんのことなんて何も知らない。魅音から聞いた話だけで……レナさんがどんな子で、何を考えてるかなんて知りもしない。姉と人違いで抱き締められただけ。そもそもレナさんは私の名前すら知らない。出会ってすらいないのだ。

 

ただ単に人違いをされて抱き着かれただけ。それだけのこと。

 

……私ってば、つまりその、抱き締められただけで恋をするような、安っぽいお人形だったわけだ……?園崎詩音ともあろう者が……!クールになれ、私!

 

ふと客間のテーブルを見ると、乱雑に書類が積み上げられている。

 

4月10日の誕生日を過ぎて私が16歳になると、親戚筋の叔母さま方が入れ替わり立ち代わりやってきて、あっという間に釣書と写真の山が出来上がった。

 

どうして誰も私の今後の去就に言及しないのか、どうして学校へ行けと急かされないのか……その謎の答えがこれだ。親戚筋や分家のどこかに嫁入りすればいい、と誰もが考えていたというだけの話だった。

 

……やっぱウチって時代錯誤だよなー。

 

考えてみれば、因習や祟りが消滅したとはいえ、依然として双子の片割れである忌み子たる私が、園崎本家の跡目争いにおいて重要な価値を持っていることは事実ではあるのだ。

 

私にその気はなくとも、馬鹿な親族が頭首の権力に目が眩んで私を拉致して祭り上げたりしないとは限らない。つまり、私が園崎家から出て、適当な家に嫁入りして他家の者となるのはその問題への最適解なのである。

 

どちらにせよルチーアを卒業したあと同じ展開になることは最初から予想していた。実家に戻ることが許されない、というのはそういうことだ。

 

……これって学校を脱走した私への、聖女ルチーアの呪いか何か?

 

私としては、それなりに顔がよくて優しい男なら誰でもいい(もちろんカネも必須だが)という投げやりな気持ちがなかったわけではない。まったく恋愛には興味がなかったわけだし。

 

寝転がりながら、ぺらぺらと釣書をめくってみる。

 

お堅い眼鏡の七三分けの若い男の写真や、チャラくて遊んでそうなイケメンの写真、びっしりと書き詰められたものすごい学歴やそうそうたる経歴を眺めてみても、何故かレナさんの姿だけが浮かんで離れなくって……。

 

どうしても、お見合いなんてする気にはなれなかった。

 

 

 

 

 

お母さんに「見合い結婚なんて嫌だ」と伝えると、拍子抜けするくらい簡単に認められた。てっきり怒鳴られたり、会うだけは会ってみろと言われるものかと……。

 

これは本格的に私の早合点だったのかもしれない。単に良かれと思って親戚中の世話焼きババアから私に縁談が持ち込まれていただけだったのだ。

 

『あんたはウチの家やら稼業なんか気にせず、やりたいこと好きなことをしな』と言われたので、アルバイトをして一人暮らしをすることにした。とりあえず家を出なければ、お節介ババア軍団の波状攻撃が止むことはないだろうし。

 

じゃあ義郎叔父さんのお店でウェイトレスをしたいと言ったら、あんないかがわしい店で嫁入り前の娘を働かせられるかと怒鳴られた。理不尽だぁ。

 

じゃあどこならいいんです、と丸投げすると、園崎パンというお店を薦められた。名義上お母さんが経営する園崎興業傘下のお店なのだという。

 

可愛いエプロンをつけて袋詰めや会計をしたり、パンやクッキー、サンドイッチを作ったり……パン屋さんの仕事は力仕事もあってそれなりにキツいが、やりがいもあって思ったよりも楽しい仕事だった。

 

良家の子女を理想的な妻として育成し、嫁入り先に出荷することが目的のルチーアでは、当然ではあるが特に家庭科が重視されていた。

 

食品に携わる仕事に流用できる技術はそれなりに多く……まさかあの学校に通っていたことを感謝する日が来るとは思わなかったな……。

 

葛西に案内された上一色のマンションの一室は、何故か1階の角部屋だった……私は眺めのいい8階の真ん中の部屋を指定したはずだったんだけど。

 

理由は分からないけど、葛西はマンションで一人暮らしをしたいという私に妙に批判的で……衣類乾燥機を設置しておいたので、何があってもベランダには絶対に出ないで下さい、と何度も念を押していた。

 

正直、乾燥機は有り難いが……まさかとは思うけど、地階のベランダから落ちて怪我をするとでも思っているのだろうか?

 

他にも私に意中の男がいないかなど、全く的外れなことを気にしているようだった。頼れる男だと思っていたのに……なんだか挙動不審でよくわからない男だ。

 

……雛見沢を離れたことで忘れるのではないかと思っていた「レナさんに会いたい」という気持ちは、期待とは裏腹に……どんどん私の中で膨らんでいった。

 

友達になりたい、なんて軽い感情じゃないことは恋を知らない自分にでも分かる。

やっぱり女同士でこんなことっておかしい。レナさんにだって、迷惑だろう……。

 

幸い私とレナさんは面識もないし、生活圏も被らない。このまま私さえ忘れることができれば、一時の気の迷いだったということで片付けることができるんだ。私は努めてレナさんのことを考えないようにする。

 

アルバイトをして、自分で家事をして、魅音が学校帰りに遊びに来て……その日々は平和で、穏やかで……どこか物憂げで……私の春はそんなふうに過ぎていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

TIPS『古手梨花の手記』

 

 

 

 

えんじ色の革で装丁された頑丈な手帳だ。

ふたつの錠前で厳重に施錠されている…。

 

 

 

 

昭XX3年(一度書かれた日付が塗り潰され、打ち消されている)

 

昭和57年3月7日

 

私はあまり日記は書かないタチだった。結局、無駄になってしまうから。

今回はおそらく無駄になった時はそれでおしまいだから、書くことにする。

 

昭和63年の……あの日。魅音の提案で同窓会を開くことになった。

 

正直、わざわざ日帰りで遠距離を往復するのはあまり気は進まなかったのだけれど、落ち込んでいる沙都子の気分転換にもなると思い、了承することにした。

 

あの学園に入学してからの沙都子は、らしくもなく暗い顔をしていた。勉強がうまくいかず、成績が落ち込んだことで悩んでいたのだろう。

 

私が話しかけても迷惑そうに振り払うばかりで……きっと小学生時代とは違い、いくら100年以上生きていても、世間知らずの少女である私に保護者としてできることはもうないのかもしれない、と思っていた。

 

いや、愚かで意気地なしの卑劣な私が……そう思い込もうとしていただけだ。

 

もう沙都子と私を繋ぐ関係など故郷で数年同居していた昔の友達、程度のものでしかない……踏み込んで本当に拒絶されてしまえば、それで沙都子との関係がすべて消えてしまう。それが怖くて、辛そうな沙都子を放置していただけのこと。

 

同窓会が終わって、みんなでエンジェルモートで打ち上げをすることになった。沙都子は車に乗り込まず、少し雛見沢を見て回りたいと言って残った。もしあそこで止めていれば、あるいは……いや、もしもの話は……もうやめにしなくては。

 

もう、やり直すことなどできないのだから。

 

同窓会のあいだは子供の頃のようにはしゃいでいた沙都子だったけど、私が車に乗り込んで振り返ると、今にも泣き出しそうな、ひどくつらそうな顔をしていた。

 

ダム現場跡に差し掛かったところで胸が張り裂けそうになり、魅音に車を停めるよう叫んだ。走って、走って……辿り着いた分校にはいなかった。

 

北条家にもいなかった。自宅が冬の間に倒壊していたことを伝え忘れていたことを思い出し、向かったが沙都子はどこにもいなかった。

 

祭具殿の戸が開いていることに気づき、踏み込むと……沙都子が……ねばつく沼のような血溜まりの中で……胸を真っ赤に濡らして、力なく倒れていた。

 

……手をかざすと、息をしていなかった。傷を確認するまでもなく血溜まりの量を見れば、沙都子が死んでいることは明らかだった……。

 

触れたその身体はまだ暖かく、すぐに目を覚まして「あら、こんなところで居眠りしてしまいましたわ」と笑いかけてくれるんじゃないかと思うほどで……。

 

現実感のない光景だった。

あまりのショックに血の生臭さも感じられない。

 

……きっとはじめから沙都子は、死ぬつもりで残ったのだ。

 

どうして気づいてあげられなかったんだろう。

いや、気づいていたのに、話し合う勇気がなかっただけ。

 

違う。私は心のどこかでこう考えていたのだ……「ダメだったら、やりなおせばいいや」って……ダメな沙都子なんか捨てて、優秀な沙都子を引き当てるまで死んでやり直せばいいって。どうせ替えの利く駒なんだから。

 

そんな狂った自分の思考に絶望した私は、沙都子が使ったであろう血に濡れた鋭利なナイフを握り締め、何度も何度も何度も何度も何度も自分の喉を突き刺した。

 

ごめんね沙都子、使い捨てにすればいいなんて思っていて。苦しかったよね、辛かったよね。ひとりになんかしないから。私も一緒に死んであげるからね……。

 

そう思って死んだはずなのに、私はまた……繰り返してしまったのだ。

 

目が覚めるとそこは見慣れた天井。倒壊したはずの自宅だった。でも傍には誰もいない。泣き叫びながら外へ出ると、そこに……小学生の沙都子が立っていた。

 

必死にすがりつき、謝罪を繰り返す私を優しく慰めてくれた沙都子。よかった……また会えた。今度こそ絶対に間違わない。沙都子を死なせたりしない。

 

沙都子によれば今は57年の3月であるという。もうこんなに早い段階まで戻ることはできなくなっていたはずなのに。前の世界では眠りにつき姿が見えなくなっても常に感じていた、羽入の気配も感じない。

 

もう私は繰り返さないと、一度きりの生を生きると羽入と約束したはずなのに……。

私は後を追うつもりで死んだ。繰り返す意志はなかった。でも現に繰り返した。

 

姿を現すこともできなくなった羽入が、最後の力を使って私をまた沙都子に出逢わせてくれたのだろうか。そんなムシのいいことを考えてしまう。

 

そもそも……どうして、死の間際の記憶があるのだろう?

初めてのこと、わけのわからないことだらけだ。

 

……もし、もしこれが、雛見沢症候群の末期症状による狂気であってもかまわない。夢ならば覚めるな。狂っているというのなら、死ぬまで狂ったままでいたい……。

 

羽入と意思疎通ができず、気配すら感じないということは……次はない、ということだ。おそらくこの世界で死ねば私は本当の意味で死亡し、消滅してしまうだろう。

 

絶対に失敗はできない。私は沙都子を幸せにするためだけに繰り返したのだ。

 

これからも有用な情報や思索をこの手帳へ書き留めておこうと思う。

 

 

 

昭和57年5月21日

 

この世界は以前の世界と同じ道筋を辿っているように見えて、大きく異なっている。

 

魅音にカマをかけたり、園崎本家に遊びに行ったり、エンジェルモートに通ってみたり、実際に園崎不動産所有の上一色のマンションにまで足を延ばしてみたが……この世界の鹿骨市にはどういうわけか、詩音がいないようだ。

 

詩音は、おそらくルチーアからの脱走に失敗したのではないだろうか?

 

こんなこと、100年間一度たりとも起こったことはなかった。ここまで大きな異常があると、不安になる。一応、詩音がいなくても問題ないよう、58年6月の鷹野との戦いでの作戦を考えておく必要があるだろう。

 

しかし、逆に考えれば最大の懸念事項が丸ごと消えたともいえる。詩音は高確率で発症し、沙都子と私を拷問して殺害しようとする。前々回からは『奇跡』の影響で逆に沙都子を可愛がるようになっていたようだが……今回も同じとは限らない。

 

詩音の帰還に関しては、引き続き情報を収集すべきだろう。

 

 

 

昭和57年6月13日

 

ずっと悩んでいたが、ようやく気持ちを固めることができた。

 

悟史の発症を防ぐ。

 

私は沙都子と同居したいがために、悟史の発症を見過ごしていたところがある。正直あのときは救う手立てが分からなかったというのもあるけれど、沙都子と同居できなければ私は100年を待たず狂ってしまっていたからだ。

 

沙都子と共に暮らせないのはつらいけれど、沙都子にとって最も幸せなのは兄である悟史とずっと一緒に暮らすことだろう。私はもう十分沙都子に救われた。

 

今度は私が沙都子を幸せにする番だ。

 

今回、悟史の発症を防ぐことが可能であると判断したのは、詩音が悟史と接触していないということだ。雛見沢症候群は疑心暗鬼によって悪化する。

 

詩音が魅音と入れ替わって悟史と接触することが、分校で沙都子を攻撃することが、悪化の要因のひとつであると私はにらんでいる。

 

また私が積極的に沙都子をフォローしているからだろうか、沙都子と叔母の衝突はかなり控えめに抑えられているようだ。詩音の不在と合わせて、悟史の調子は以前の世界でのそれよりも比較的良いように見える。

 

少なくとも寝不足ではないようだし、やつれた様子もない。

入江に学校の定期健診を利用して検査させたが、発症の兆候はないらしい。

 

あとは当日、魅音やレナを焚きつけて共に北条家へ向かい、綿流しの祭に北条兄妹を無理やりにでも連れ出すよう仕向けるだけだ。

 

これなら悟史が叔母を殺すこともなく、沙都子と一緒に暮らしていけるだろう。

寂しいけれど、私は我慢しなくちゃ。沙都子の幸せが世界で一番大事なんだから。

 

 

 

昭和57年6月22日

 

失敗した。何もかもが、失敗だった。

 

悟史を祭に連れ出したというのに……叔母の殺害は予定通り起こってしまった。もちろん犯人は悟史ではない。犯行時刻には私の目の前にいたのだから。

 

叔母の死を告げられた悟史は驚くほど取り乱した。

まるで叔母が殺される可能性を知っていたかのように……。

 

翌日には「やつ等がやったんだ」「僕も殺される」と呟きながら急速に高レベル症状を引き起こし、何故か沙都子を恐れ遠ざけ、レナや魅音を威嚇し、まるでいつかの東京帰りに発症してしまった圭一のような挙動を示し始めた。

 

緊急マニュアルに基づき入江機関に収容されたが、末期症状を引き起こし……入江が投与したC120は一定の効果を示したものの、やはり凶暴化の後遺症が残った。

 

最善と思われる行動を取ったが、結局は同じ結果に収束してしまったのだ。

 

大石の刑事の勘、入江や詩音、レナの推理は、はじめから間違っていたというの?

 

振り返って考えてみれば……圭一が武器として分校のロッカーから持ち出す悟史のバットにはキズやへこみなどの凶器として使用された痕跡などなかった。人体で最も硬い頭蓋骨を破壊すれば、中空の金属バットが無傷であるはずがないのに。

 

叔母を殺したのが本当にあの薬物常用者であるというなら……詩音の成りすましも関係がなかったというのなら……いったい悟史は、誰を殺そうとしていたの……?

 

悟史が沙都子を祭に行くように魅音に頼み込んで、必ず外出するよう仕向けていたのは悟史……しかも魅音に付き添いを頼んで、念を押して……まさか……そんなまさか……もし、そうなら……そうだとしたら、一体どうして……?

 

詩音は度々魅音に成りすまして悟史に接触していたから……魅音を、というのはまだ理解できる。綿流しの直前に詩音は魅音の姿で、分校で沙都子を痛めつけてもいる。

 

悟史は、沙都子を一番に思っていて……沙都子のために一生懸命で……沙都子のためなら親族だって殺せるほど……そのはずだった……もう、もう何も分からない……。

 

悟史は沙都子のそれまでの振舞いや入江の反応から、自分と沙都子のXXをXXX犯人に気づXていXXかもXXない。なら、悟XXX流しの夜、本当に殺XたかったXは、XXXだっXXXもいXの……!?そXXXXって……じゃあ私XXうXXばXXXXってXXXよ?どうすXXXXXXXせにXXXの?いや、そもXXXXこの世XXXをしXXが、自XXX沙XXX戻XなXXX。私はXXXた。そのXXをXXXXことXXXXうでXやしXX!XXXXXXXXXXXXXX!XXXXXXXXXXX……。XXXXXXXXXXXXなXXXXXXXXXXXXい。

 

(以降、ページ終端まで数行に渡って水滴による滲みにより判読不能)

 

(次のページから数枚、乱雑に破り取られている)

 

 

 

昭和57年6月23日

 

北条家で私を待ち受けるかのように佇んでいた沙都子を抱きしめた。

どうにかしたかったのに、なんにもできなかった、どうにもならなかった。

 

私が世界を繰り返していること、何とかして悟史を救おうとしたことを……私は正直に沙都子に話した。そして何度も何度も謝罪し、許しを請うた。

 

沙都子に私の人生を全部あげるから、二度と離れないから、と。

 

沙都子は私の荒唐無稽な話を一切疑うことなく信じ、すべてを肯定してくれた。

 

悟史を救えなかったことを怒っていないのかと問うと、笑って言った。

 

「いいえ?必要なことでしたから。……それに、こうしてようやくわたくしのところに梨花が来て下さったんですもの……とっても幸せですのよ?冷静に考えれば簡単な問題だったのですわねぇ……わたくし、ついつい忘れていましたの。『トラップは最後の最後でほんのひとつささやかに』でしたわね?わたくしは……やっと正しい答えを見つけ出せましたのよ……」

 

沙都子は立て続けに起こった事件のショックで混乱していたが、思いは伝わった。

 

悟史を諦めて、沙都子はこんな私を……選んでくれたのだ……。

 

私も沙都子と同じく、正しい答えを見つけ出すことができた。

せめて、私のすべてをこの沙都子に捧げよう。そう心に決めた。

 

聖ルチーア学園の資料やパンフレットを燃え盛る焼却炉に放り込んだ。

去年、前例のない巻き戻りにしばらく戸惑っていた私に、魅音がくれたものだった。

 

頼まれていたものだと言っていたので、私の後見人である公由あたりに依頼されたのかもしれない。……公由に夢を伝えたことなんかあったかな。……何十年も昔、もしかしたら「詩音と同じ学校に行きたい」と言ったかもしれない。

 

これはかつて、詩音をルチーアへ送るために用意したものだったのだろうか。

 

……だがもう、私には必要のないものだ。

 

沙都子は悟史との未来という、自分の人生を犠牲にして私と共にあることを選んだ。

だから同じく私も、聖ルチーア学園へ行く夢をきっぱりと諦めることにした。

 

例え入江の助けがなくとも神社の氏子の寄付や賽銭、祈祷料や地代でとりあえず食べていくだけの収入はある。この村で、沙都子と一緒にずっと生きて行く。

 

せめて、今ここにいる沙都子を幸せにする。

 

それだけが……私の本当の夢なのだと気づけたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れさまでした!それじゃ失礼させて頂きますね」

 

「お疲れ、詩音ちゃん!また明日ね」

 

バイトが終わってお店を出ると、空はもう夕暮れ時の茜色に染まっていた。私のバイト先である園崎パンは興宮駅前のお店だ。さびれた田舎の駅前でも、帰宅途中の学生や会社員はそれなりに多い。

 

人の流れに紛れて歩き出す。今日は商店街で買い物でもして帰ろうか。

 

住んでいるマンションは実家の系列が差し押さえた訳あり物件だから家賃や水道光熱費はかからないのだが、それ以外の生活費は自分の収入で賄っている。外食やジャンクフードは思ったよりも高くつくことに気づき、最近は自炊に切り替えたのだ。

 

目下の悩みは冷蔵庫に鎮座するほとんど丸ごと一個残ったキャベツだ。意外とキャベツというのは量があって、女の子の一人暮らしでは到底食べきれない。気づかず買ってしまうと三食キャベツを食べ続ける羽目になる。というか、そうなっている。

 

「はぁ……サラダも野菜炒めも飽きましたし、ベーコンと一緒に煮込みますか」

 

コンソメはあるけどベーコンを買って帰らないと。そういえばマーガリンや卵も切らしていた。ついでに近所のスーパーで買っていこうか?

 

そんな日々の献立のことを考えていると……。

 

「んだてめンなろぉおおぉぉおおッ!!すったるるぁ、おるぁあッッ!!」

 

「すっとろけてンじゃねやぁあぁあッ!!おぁしたるぁぁ?!おああぁああッ?!」

 

何だか理解不能の大声が聞こえたのでそちらを振り向く。駅前の駐輪場、そこにいたのは見るからにガラの悪そうな学ランの三人組。地元の暴走族かなんかだろうか。その足元でバイクが三台将棋倒しになっている。

 

「ごらあッ!!んまってンら、なしツくとぉッッんじゃねえぞおおぉおおぉッ!!」

 

絡まれているのは中高生くらいの女の子。腕を掴まれ、逃げようにも逃げられない状況らしい。なんだかデジャヴだ。2、3回こんな状況に居合わせた気がするなぁ。

 

馬鹿三人組に隠れて姿はよく見えないが、白いワンピースに紫の大きなリボンがあしらわれていて、こんな田舎では目立つ洗練されたあか抜けた装いだった。

 

誤ってバイクを倒してしまったのか、それとも馬鹿が絡んで無理矢理遊びに付き合わせるつもりでいるのか……何にせよ私には関りのないことだ。

 

気の毒ではあるけれど、これだけ人通りがあるならそのうち誰かが警察を呼んで馬鹿三人は補導されてこってり絞られることになるだろう。そう結論づけて歩き出す。

 

「……だから、ごめんなさいって、さっきから言ってるじゃないですか!それに私、バイクなんか倒してません!人違いじゃないですか!」

 

雑踏の中でもぴんと通るその声に、吸い寄せられるように振り向いた。

オレンジの髪、青い瞳、間違いない……レナさんだ。

 

ほとんど無意識的に身体が動いていた。

 

リボンを解き、ポニーテールに結い直し、魅音の表情を作る。

毎週のように魅音の身代わりを頼まれたおかげで、演技もお手の物だ。

 

「うらぁぁ!!うッとんでぁあいじゃねぇどおらああぁぁッ!!」

 

「やかましいよ、クソボケども……あたしの目の黒いうちに失せな!」

 

魅音ならこう言うだろうな、と冷静に言葉を選び怒鳴りつける。

この期に及んでも私はレナさんに詩音として相対する勇気がない。

 

「ああぁッ?!んだとごるぅおおおあああぁッ!!!」

 

「すっだらぁ!シャアっすぞおらあぁッ!!!」

 

うまくこちらに意識を誘導できたらしい。レナさんを掴んでいた手を離し、こちらに向かって馬鹿どもががなり立て始める。何語?どこの原住民だよこいつら。

 

レナさんは心配そうな表情でこちら……といっても私ではなく、魅音を見ている。

こんな顔をさせてしまうなんて、普段の魅音はどれだけ頼りないんだか……。

 

「もう一度だけ言うよ……レナさん置いて、とっとと失せな!」

 

「っこつけんとォ、痛い目見さらっぞおおぉお!!??」

 

はぁ、やっぱりこうなるか。

 

ちらりと倒れたバイクのナンバーを見る。穀倉ナンバー。余所者かぁ……地元民ならこの姿の少女に喧嘩を売ることが、どういう意味を持つか知っているわけで。

 

こんな雑魚ども、殴るまでもない。葛西の車からこっそり拝借したヤバい電圧の改造スタンガンを使えば、何とでもなるだろうけど……。

 

こんな人通りの多い所で凶器を使ってゴチャマンやらかしたら流石に警察沙汰は避けらんないだろうなぁ。逃げきれても、思いっきり顔見られてるし。

 

「はぁ……」

 

「んとか言ってみぃいいぃ!!!しゃあらんすったらんぞおらああぁ!!」

 

魅音の格好をしている以上、園崎案件担当の大石が出しゃばってくるだろう。ダム戦争の頃はダムの現場作業員をボコって警察に捕まるたびに、ねちねちとあの粘っこい口調でいつまでも説教されたものだ。

 

その上、私の身柄を引き取りに来るのはどうせお母さんで……魅音の格好で暴行で補導された、なんて……どれだけ叱られることやら……。

 

「……ちょぉ待てぇ……こいつ、興宮高の園崎ってぇやばい一年じゃあ……」

 

「はぁぁ?あの実家が人食い村の雛見沢の、ゴリゴリのヤクザっつう……?」

 

「間違いねぇだろ、この緑の髪、狂った眼光、マジで腹割かれて殺されっぞ……」

 

おっと、これはお姉に感謝かなぁ……。

今度、学校にお菓子持って行ってあげよっと。

 

「……おらおら、いつまで人に喧嘩吹っ掛けといてぼさーっとしてくれてるわけさ。そっちから来ないんならこっちから行くぞこらあッ!!!」

 

「っちぃ!……ヤベえぞ、逃げろっ……!」

 

「死にたくねぇよぉ……!」

 

馬鹿三人組はお姉と園崎の威光を恐れて脱兎のごとく逃げ去って行った。

 

結構距離のある穀倉でまで、あれほど恐れられているって……お姉はいったい穀倉くんだりまで出て行って何をやらかしたのやら……大体想像はつくけどさ。

 

「やれやれ……レナさん、大丈夫だった?」

 

「うん、ありがと詩ぃちゃん!」

 

「えっ……?」

 

今の私は魅音と見分けがつかないはず。

それに名前、私は言ってないのに……。

 

「あはは、ごめんね勝手にお名前呼んじゃって。魅ぃちゃんが教えてくれたの」

 

「そうじゃなくて……どうして私が魅音じゃないと分かったんです?私たち見分けなんかつかないし、どっちだって同じなんだから、どうでもいいじゃないですか」

 

「えぇ~?すぐわかっちゃうよ?香水とか柔軟剤とかシャンプーの匂いも違うもん」

 

すんすん、と顔を近づけて匂いをかがれて思わず身を引いてしまう。

何なのこの人……もう……!そんなことされたら、恥ずかしいじゃないか。

 

「それに詩ぃちゃんのほうが、とってもとってもかぁいいんだよ?」

 

「かっ、可愛いって……お姉と私は同じ顔でしょうに」

 

「うーうん、言葉にできないけど、絶対違うんだよ?だよ?」

 

そう言ってレナさんは俯く私の顔を覗き込んでくる。……顔が近い!

頬がかぁっと熱くなる。赤ら顔なんてレナさんに絶対見られたくない……!

 

「はぁ……くだらない冗談ですね。そんなことどーでもいいです。もう御用はないようですし、私はこれで失礼させていただきますね、それではごきげんよう」

 

「はぅー!おこった詩ぃちゃんもかぁいいよぅ!」

 

両手を握りしめてくねくねと体をくねらせるレナさんを無視して歩き出す。

 

「詩ぃちゃん!逃げないで欲しいんだよ!だよ!」

 

レナさんにぎゅーっと抱き着かれて、いい感じに煮えてきた思考回路が一気にショートした。いきなり何なの!?レナさんやわらかい……そうじゃなくって!あぁもう!

 

「やっぱり、詩ぃちゃんはおっぱいとかお尻とか、魅ぃちゃんよりおっきいね!」

 

「私がお姉より太ってるって言いたいんですか!?」

 

「ちがうよ~?詩ぃちゃんはナイスバデーなんだよ?だよ?」

 

さわさわ、もみもみ、とレナさんの小さな手が身体を優しく這い回る。

 

「ちょっと!なでなでしないで!揉まないで!レナさんのスケベ!」

 

「詩ぃちゃんかぁいいよう!このままお持ち帰りしたいよう!はぅはぅ!」

 

まさか、これがお姉の言ってた「かぁいいモード」ってやつ!?

物理法則を無視したすさまじい力でぴったりとくっつかれ、振りほどけない。

 

「ひょっとして、お持ち帰りってジョークじゃなくて本気なんです!?」

 

「ぐふふ、じゅるり……はぅはぅ、ちょ~っとテイクアウトしておうちに持って帰ってラッピングを脱がせて、はみはみって、甘噛みするだけなんだよ?だよ?」

 

口元をいやらしくゆがませ、ぺろぺろと舌なめずりをするレナさん。

よだれがたれちゃってますよ!?レナさんってこんな人だったの!?

 

「いやぁーん!たーべーらーれーるー!」

 

「はぅあぅぁう~~!!し、しししし詩ぃちゃんお~持ちかえ~~りぃ~!!はッうううぅううぅう!!!」

 

そんないかれた叫び声を恥ずかしげもなくあげるレナさん。

どこにそんな力があったのか、軽々と私を抱き上げて全力疾走し始める。

 

「ちょっとレナさぁん!下ろしてくださいよ!どこへ行くつもりですかぁ!」

 

「かぁいいかぁいい詩ぃちゃんは、レナがお持ち帰りぃ~~~☆はぅ~!!」

 

「ダメだこの人、話通じない人だ!ひぃぃぃぃぃ!速い!速すぎますって!」

 

もちろん、本当に自宅へ連れ帰られるということはなく……。

しばらく商店街を走り回って満足したのか、下ろしてくれた。

 

「たのしかったね~、詩ぃちゃん!」

 

「はぁ……あのー、この手はいったい……?」

 

かなり強い握力でがっちりと手を握られている。あぁ……レナさんの手ってあったかくて細くてちっちゃくて……思わず優しく握り返す。なんだか背中に羽が生えたみたいに、ふよふよと気持ちが浮付いてしまう。

 

……じゃなくて!クールになれ園崎詩音!この人こんなに小さくて細い身体なのに、常軌を逸した怪力だし、わざわざ私が助けるまでもなかったんじゃ……?

 

「だって詩ぃちゃん、すぐ逃げちゃうんだもん、ずっとずーっと、会いたかったんだよ?探しても雛見沢のどこにもいないし、居場所を知ってそうな魅ぃちゃんは高校とおうちの仕事で忙しくって、なかなか会えないし~……はぅ~……」

 

「レ、レナさんが……私を探してた?」

 

どうしよう、ものすごくうれしい……。

思わず口元が緩んでしまう。私今、変な顔してないかな……。

 

「うん!かぁいいかぁいい詩ぃちゃんと、お友達になりたいなって!」

 

「お、お友達、ですか……でも、レナさん私のことなんか何も知らないのに、急にお友達になりたいなんて、おかしくないです?いきなり知りもしないのに親しくしたいなんて、そんなの失礼じゃないですか。レナさんは友達なんていっぱいいるでしょうし、わざわざ何の関りのない私なんて……」

 

『そもそも、あなたが私の何を知っているって言うんです?』

 

他人を傷つけた自分の言葉が、また自分を傷つける。そう、レナさんのことなんか何も知らない私が、レナさんを好きだとか、知りたいとか、仲良くしたいなんてムシが良すぎる話……。それに私の好きは、普通の好きとは違うから……。

 

「それは違うよ詩ぃちゃん。まず親しくならなくちゃ、相手のことなんて絶対にわかんないよ。知りたいから、仲良くなるんだよ。だから……ね?詩ぃちゃんのこと……たーくさん教えて欲しいな?」

 

「わ、私なんかがレナさんと仲良くしても、いいんですか……?」

 

「レナは大好きな詩ぃちゃんと仲良くしたいんだよ?だよ?」

 

レナさんの言葉が、私のこんがらがった心を丁寧に解きほぐしていく……。

 

そっか……私、レナさんと仲良くしたいって思っても、いいんだ。

 

「ふ、ふつつかものですが、よろしくお願いいたします……」

 

「あはは、レナのほうこそよろしくね、詩ぃ~ちゃん☆」

 

じわーっと涙が浮かんで、あわてて拭う。あれ、あれ……?拭っても次から次に溢れてきて止まらない……最近おかしいな、こんなに涙もろかったっけ、私……。

 

「あわわわ、わあわあ!詩ぃちゃんどうしたのかな!どうしちゃったのかな!」

 

「私、私……レナさんと、ずっと仲良くしたかったから、うれしくて……」

 

あわててハンカチを取り出して涙を拭いてくれるレナさん。お姉が言ってた通り、本当にお母さんみたいに面倒見がいい人なんだ……すてきな人……。

 

ルチーアの教会堂で手ひどく袖にした、幼げな少女を思い出す。

 

私、思い上がって本当に酷いことしちゃった……。

 

人を好きになるって、こんなに気持ちよくて、つらくて、こわくて、どうしようもないことだったんだ……。

 

私が一番わかってあげなくちゃいけなかったのに、わかってあげられなかった……。

 

「うん、うん……大好きだよ詩ぃちゃん、レナといっぱい仲良ししようね」

 

レナさんはこんな人通りの多い夕方の往来で泣き出すようなめんどくさい女に呆れもせず、泣き止むまでいつまでも背中を優しく撫でてくれた……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから、私たちはまるで昔馴染みの親友のようにすぐに打ち解けた。

 

あの日、電話番号を交換した私たちは、毎晩のように長電話を交わした。日々の生活であった他愛もないこと、テレビ番組のこと、お姉の起こした面白おかしい事件のこと、お互いの趣味嗜好など……飽きもせず何時間でも話した。

 

園崎家の忌み子として過ごした雛見沢や、全方位敵ばかりのルチーアでは、素の自分をさらけ出すことなどお姉以外には到底できることではなく……。

 

演技や建前なしで同世代の女の子とこんな風にくだけた調子で気安く雑談するなど、まったくもってはじめての経験で……私はもう、レナさんに夢中だった。

 

レナさんにどうしても会いたくて会いたくてたまらず、下校時に通学路で偶然を装って待ち伏せたりしても、レナさんは笑顔で迎えてくれた。

 

レナさんには意外な趣味があって、ゴミ捨て場で"かぁいいもの"を探して持ち帰るのが日課なのだとか。粗大ごみの何がかぁいいのか理解しがたいが……。

 

最初はちょっと、いやかなりドン引きだったけど、夕方のダム現場跡地でふたりきりで過ごす時間はかけがえのないもので……何度も何度も付き合っているうちに私もゴミの中から使えそうなものを探すのが面白くなってきてしまっている。

 

……分校のお昼休みに、手作りのお弁当を持って押し掛けたりもした。

 

私は鬼婆に嫌われ、本家や雛見沢から遠ざけられていたから(結局は誤解だったのだが……)ルチーアへ入学するまでは興宮の小学校に通っていた。だから、お姉が人生の半分以上を過ごしたこの分校は……私にとってちょっとした異空間だった。

 

自分でもちょっと行動が重過ぎてストーカーじみていると思ったけれど、レナさんに私の手料理を食べてもらうにはこれしかない。

 

努めて明るく、傍若無人に押し掛けた風を装っていたけれど、内心、迷惑そうな顔をされるのではと、ドキドキだった。

 

そんな心配をよそにレナさんはものすごく喜んで笑顔で迎え入れてくれて……詩ぃちゃんは私の大好きなお友達、誰にもあげないよ、詩ぃちゃんはレナのだからね!と、周囲に恥ずかしい紹介をし始めて、私がトマトのように真っ赤になるほどだった。

 

そんなことをするつもりはなかったのに、衆人環視のもと「あーん」で食べさせ合いっこをさせられた。うれしいけどものすごーく恥ずかしい。

 

ルチーアでの時代錯誤の花嫁修業で料理の腕にはかなり自信があったけど、お弁当から伺えるレナさんの腕前はそれを上回るもので……きっと、ヤクザの家の忌み子の私なんかとは違って、フツーの暖かい家庭で育って、レナさんのような優しくて可愛いお母さんにちいさなころからきっちりと料理を仕込まれたんだろうな……。

 

気になったのは、私を見るなり飛びあがるほど驚き、探るような目つきでこちらを監視していた不気味な少女……古手家現頭首、古手梨花。

 

私がレナさんと仲良くお互いの口に食事を運ぶ姿を、招かれざる客というよりは珍しいもの、有り得ないもの、恐ろしいものを見るような目で見つめていた。

 

古手家頭首として雛見沢の因習の廃止に尽力してくれたことに、感謝はしているが……こうおかしな対応をされては、とても仲良くはできそうもない。

 

まぁ、別に感謝する必要もないのかもしれない。梨花と寄り添う少女を見れば、別に雛見沢や園崎詩音のためを思ってやったことではないことは明白だからだ。

 

古手梨花の傍に侍り、幼さにそぐわないねっとりとした淫猥な手つきでベタベタとその身体に触れている北条沙都子という少女は……輪をかけて不気味だった。ダム反対派だった北条家の娘だ。

 

まったくの初対面のはずなのに、私への話しぶりになんだか奇妙な……まるで親戚か家族か何かのような気安さ……距離の近さ、違和感を感じた。

 

それに私が名乗る前からはっきりと"詩音さん"と呼びかけてきたのも気になる……忌み子である私の存在は、はっきりいって近しい親族を除き、警察ですら掴んでいない園崎家のトップシークレットのはずだ。

 

このふたりの少女は古手神社でふたりきりで暮らしているとレナさんから聞いた。

『古手家はお前を見ているぞ』という警告だろうか?

 

オヤシロ様など実在しないというのは私も同意するところだが、古手家にはそういったものが本当にあるのではないかと思わせる何かが感じられた。

 

今日感じた違和感もまたある種の神秘性というものだろうか。

 

まあ、そんなオカルト話なんかどうでもいい。

 

よしんば本当に祟り神がいたとしても、関わらなければ問題はないだろう。

私も別に本家とは関係ないし、好んで古手家と張り合う理由もないのだから。

 

触らぬ神になんとやら、というやつだ。

 

……それよりも目下最大の問題は、前原圭一という男である。

 

この男、こともあろうに私のレナさんにやたらめったら馴れ馴れしいのだ!

まさか幼馴染か何かかなのかと思ったが、去年引っ越してきたばかりらしい。

 

レナ、レナ、と気安く呼び捨てにしやがって、むさくるしい汚い男の手でべたべたとレナさんの頭を撫でやがる。レナさんもレナさんでそれを拒絶しない。

 

レナさん、こういう図々しい男にはビシッと言ってやらなきゃダメなんです!もう!

 

本当に気に食わない男で、レナさんの弁当どころかわたしがレナさんのために作って来た弁当にまで箸を突っ込んでくる。

 

うまいうまい、ってそんなの当たり前じゃないですか!私がレナさんのために作った料理がまずいわけがないんだから。

 

こいつは少し顔がよくて、大人びていて、優しくて、明るくて、ちょーっとカッコイイからって図に乗っているのだ。まぁ、それは認めてあげますけど?それでもレナさんはあなたのことなんて何とも思ってないでしょうけれどね。

 

というか、レナさんだけならともかく、古手梨花や北条沙都子、それどころか私にまで気があるような素振りを見せやがる。プレイボーイもいい加減にしろってーの。

 

しかもウチのお姉ときたらこいつにぞっこんなのだ。

 

お姉だけじゃない。お母さんも新しい風がどうのこうの、あんたも結婚するならああいう男を選びなだの、お父さんがいるくせに、恋する乙女のように前原圭一のことを語り始める。あろうことか、ばっちゃ……あの園崎お魎までもが年甲斐もなく顔を赤くしてことあるごとに名前を口にするのだ。圭一が、圭一がって。

 

……って何で下の名前で呼んでるんですか!?

うちの家族はもうダメなんじゃないだろうか?

 

レナさんに直接、前原圭一をどう思ってるか聞くと、

「詩ぃちゃん、レナと圭一くんはそんなんじゃないんだよぅ~」

と、口では否定していたけれど……内心はどうだか……!

 

はぁ、私がレナさんと同学年だったら一日中一緒にいられるのにな……。

 

その夜、お姉から電話がかかってきた。

 

「し~お~ん~、手作り弁当持って圭ちゃんと愛のランデブーしたってほんと~?」

 

今にも泣き出しそうな声音で、トーヘンボクなことを口走っている。

あの状況を何をどう解釈すれば、そういう認識になるんだろうか。

 

っていうかお姉、私の話ちゃんと聞いてました……?

 

「もしかして、お姉って……アホなんですか?」

 

「な~ん~で~!あたしの圭ちゃん取らないでぇ~!」

 

「あんなデリカシーのない男、誰が取るってんです!そもそも私、こないだお姉にレナさんが好きだって言いましたよね!?あんな男、頼まれても嫌ですよ!」

 

「そんなことないもん!圭ちゃんはカッコイイんだよぉ~!こないだだってねぇ!」

 

……それから3時間、お姉のノロケ話を聞かされる羽目になった。

 

お姉は前原圭一とのコイバナを語りたかっただけなんじゃなかろーか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はレナさんとふたりで興宮の図書館でお勉強会。

忘れがちだが……レナさんは中学三年生、受験生なのだ。

 

分校では小学生も中学生も一緒くたに一つの教室に放り込まれ、教師ひとりで全員の勉強を教えている。そのせいでレナさんの学習進度はきわめて遅い。

 

もう中三の梅雨どきだというのに、数学が連立方程式で止まっていると聞いて開いた口が塞がらなかった。

 

レナさんはお姉の通う興宮高校に行きたい、という本当にささやかな夢を持っているらしい。そこまで慕われてるなんて、お姉に妬けちゃうなぁ……。

 

いくら低偏差値の地元公立高校とはいえ、ほとんど一年遅れのレベルでは他も推して知るべし、流石にそのままでは合格は難しいと言わざるを得ない。

 

聖ルチーアでは良妻賢母を是とする校風から"良妻"の家庭科を重視しつつ、夫の事業をサポートできるように、との実務的な理由から通常の学習もかなり高いレベルを要求される。

 

それに加えて聖書学習やフランス語を詰め込まれるのだから、ストレスで頭がおかしくなっても不思議はないくらいだ。

 

よって私は、中学三年生の時点で既に高校二年半ばくらいまでの単元を修了していることになる。レナさんの家庭教師にはうってつけの人材といえるだろう。

 

……というのは建前でしかなく。学年も生活圏も違うレナさんとようやく持てた社会的な繋がりだ。レナさんの勉強という名目なら私がレナさんに会いに行くのを正当化できるだろう、というのが本音だった。

 

「……はぅぅ……これ難しいよう、詩ぃちゃぁん……」

 

「この上の式はy=x-4となっていますから、ここに……こう……括弧をつけて、下に代入してみてください。そうすればあとはこれを計算していくだけです」

 

「うん、うん……わかったかも……こうかな」

 

「そうですね、xの値が出れば、あとはまたここに代入すればyの値を求められます」

 

「……やった、解けたよ詩ぃちゃんっ!」

 

「はい、よくできましたレナさん。さすが、呑み込みが早いですね」

 

レナさんはスポンジが水を吸うようにすごい勢いで学習していく。おそらくレナさんは、普段のぽやぽやとした雰囲気に反してもともと頭の回転が速く、冷徹で計算高い頭脳派の素養を持っているのではないだろうか……そんなわけないか。

 

「ねぇねぇ、ご褒美に詩ぃちゃんの頭なでなでしてもいいかな?かな?」

 

「はぁ……別に構いませんけど……ここで、ですか?」

 

私たちがいるのは興宮の図書館。それなりに人目もあるわけで……。

レナさんはそんなことお構いなしに私の頭をなでくりまわしてくる。

 

優しい手で触れられるのは気持ちがよくて……いやいや。

そもそも、どうしてご褒美をあげる側が撫でられているのだろう?

 

レナさんの手はどんどん下がって、しまいには私のお尻を触り始め……。

……もうっ、どこ触ってるんです、この人ってば……!

 

「はぅ~かぁいいよぅ~詩ぃちゃん好き、好き、はううッ!はぅあぅぅ!」

 

「ちょ、ちょっとレナさんっ!図書館でお持ち帰りぃ~☆は駄目ですよ」

 

「……はぅ。わかったよう、我慢するー」

 

流れるようなセクハラから、かぁいいモードに切り替わりかけたレナさんをなだめ、ほっと胸をなでおろした。カウンターから司書の女性がこちらをじっと見ている。

 

少々レナさんを騒がせすぎただろうか……?

 

カウンターの後ろにある時計はそろそろ4時を過ぎたころを指している。窓からは橙色の西日が差し込み、ワックスのかかったリノリウムの床に反射して、まるでオレンジのゼリーのような色に染めていた。

 

季節はもう初夏。それなりに日は長くなってきたけれど、まだまだ日没は早い。

 

雛見沢から興宮まで片道一時間かかることを考えると、嫁入り前の、しかもレナさんのようにとんでもなく可愛い女の子を暗い山道に一人で送り出すわけにはいかない。

 

楽しい時間も、このあたりで切り上げなくてはならないだろう。

 

「レナさん、そろそろ……」

 

「あ……うん、そだね……」

 

テキストや筆記用具をカバンにしまい始めるレナさんの横顔は本当に寂しげで……いつも笑顔のレナさんの、見たことのないシリアスで物憂げな表情にどきりとする。

 

レナさんの大人びた一面が強くあらわれていて……鋭く、それでいてタルト生地のように脆く崩れてしまいそうな儚さが私の心をざらりと撫でてひどくざわつかせた。

 

レナさんも、私と離れたくない、帰りたくないって思ってくれてるんだろうか。

 

「あ、レ、レナさん……よろしければ、少しお茶していきませんか?この近くに私とお姉のイチオシのケーキ屋さんがありまして……もちろん私のおごりです」

 

もう少しだけ、レナさんと一緒にいたくて、そう切り出す。

 

「はぅ!ケーキ!どんなのかな!かな!レナはケーキが大好きなんだよ?だよ?」

 

レナさんは先ほどまでの憂い顔が嘘のように明るい笑顔で応えた。

 

「えぇ、店主のおじさんの顔に似合わず、かわいいタルトが名物でして。お姉も私もあそこのチーズケーキが大好きなんですよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 閉店のお知らせ

 

 平素よりシュランクベルタをご利用いただきありがとうございます。

 

 店主療養のため当店は56年10月13日を持ちまして、閉店する運びとなりました。

 

 開店以来のご愛顧、誠にありがとうございました。

 

                              店主

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「え………」

 

閉じられたシャッターに、年月を感じさせる色褪せた張り紙。

私とお姉の思い出のケーキ屋さんは、とっくに閉店していた。

 

「あ、このお店かぁ……そういえば魅ぃちゃんが言ってたよ。ここのおじさんが体壊しちゃって、続けられなくなっちゃったんだって」

 

「そう、ですかぁ。……はぁ……」

 

よくばりモンブランをお腹いっぱい食べる夢は、もう夢のままで終わっちゃったか。

あーあ、残念だなぁ。でもまぁ、しゃーないか。気にしてもしょうがないって。

 

そんなふうに自分を誤魔化そうとしたけれど、無駄だった。

 

息が苦しい。気持ち悪い。吐きそう。

 

自分がいないあいだに何もかもが変わってしまったことには気づいていた。

 

お気に入りのお店もいくつか閉店しているし、新しく開店したお店もある。市販の商品だって、たった数年のあいだにすっかり様変わりしていた。

 

好きだったテレビドラマや漫画雑誌だって全然ついていけない。

 

小学校時代の知人とは連絡を取っていない。中学三年間も離れていたのだ。しかもみんな高校へ進学したり就職している。どうせ連絡して集まっても、話が合うはずもないし、得られるのは疎外感くらいのものだろう。

 

……それは、あまりにもみじめな空想だった。

おとぎ話の浦島太郎じゃあるまいし、バカみたい。

 

望んでそうなったわけじゃない。本当はずっと地元で暮らしたかった。普通にみんなと同じ学校に通って、普通に生きていたかった。

 

どうして私が、私だけが……こんな気持ちにならなくちゃいけないんだろう。

 

それは全部、母親や祖母のせいで……私を陥れたあの子のせい。

義郎おじさんだって俺は詩音ちゃんの味方だとか言って何もしてくれなかった。

お父さんは全部ばっちゃの言いなりで……私のことなんか好きじゃないんだ。

 

親戚の人たちもみんなみんな私なんかあの腐れ尼寺にさっさと行っちゃえばいいって思ってたんだ。私なんかいらないって。どうでもいいって……。

 

でもそうじゃない、帰って来た日に宴会まで開いて歓迎してくれたじゃないか。

ばっちゃもお母さんも魅音もみんな、私のこと大切だって、言ってたじゃないか。

 

本当はみんないい人ばっかりで、いつまでも恨んでるのは私だけで……。

 

そう思うと、腹が立って、悲しくて、心細くて、寂しくて、苛々して……。

 

「どうしたのかな、詩ぃちゃん……?」

 

レナさんが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。

 

「こういうふとした、なんでもないようなときに……家族を許せないな、って思っちゃいます……もうとっくに許したつもりだったのにな」

 

「詩ぃちゃん、おうちの都合で遠くの学校に行かされてたんだっけ……」

 

「えぇ、それで、私のことみんな嫌いだったんだ、生まれて来なければよかったのにってみんなに思われてるって誤解してましたけど……本当はそうじゃなかったんだってこと、最近知らされまして。いやー、なんか謝って抱き着いて来てましたね」

 

「…………」

 

気遣わしげなレナさんの表情にも苛立ってしまう。

 

「あはは、それでもまだ恨んでるなんて……私の心が、狭いんでしょうね……」

 

どうしてこんなにも醜く……汚く、生まれついてしまったんだろう。

本当は、園崎に伝わるという鬼が……私に宿っているからだろうか。

背中に鬼を背負わなかった代わりに、心に鬼がいるとでもいうのか。

 

こんなどうしようもない忌み子の私さえ生まれて来なければ……。

きっと何の問題も起きなかった。何もかもうまく回ったんだろう。

 

「詩ぃちゃん……」

 

私の手を握ろうとするレナさんを振り払う。

 

「触らないでっ!」

 

厳しい声で言ったつもりが、涙声になってしまった。

優しくされるとわけもなく悲しくなって、苦しくなる。

 

「詩ぃちゃんの心はぜんぜん狭くないよ。そう思うのは当たり前だと思う」

 

いつも春の陽気のように穏やかなレナさんが、強く、真剣な声で言った。

 

「でもね、家族がずっと仲良しでいるって……簡単に見えて本当はとってもとっても難しいこと。家族なんて、実体のないごっこ遊びみたいなものなの……ほんの些細なことで……それこそ一瞬ですべてが……台無しになってしまう」

 

ずいぶんと語ってくれるじゃないか……!何も知らないくせに。

 

「だからね、詩ぃちゃんにはお母さんやお祖母ちゃん、魅ぃちゃんとずっとずーっと仲良しで、幸せでいて欲しいなって……レナは思うの」

 

「……レナさんなんかには、わかりませんよ」

 

中途半端に同情されて、説教までされて……どうしても我慢ができなかった。

 

「ただ背中に刺青があるかどうか、それだけで扱いに差をつけられる気持ちがわかる!?自分が自分だってことすら信じてもらえなかった!大人の顔色を窺って、びくびくしながら食事をしたことがありますか!?それでもみじめに笑いながらやり過ごさなければならない気持ちが、あなたなんかにわかるんですかっ!!」

 

自分でも驚くほど、感情的な言葉をレナさんにぶつけてしまう。

レナさんは顔色ひとつ変えず、私の目を見て、私の叫びを冷静に聞いている。

 

「生まれた雛見沢や育った興宮に出入りすることすら禁じられて!追いやられて!自分なんか生まれて来なければよかったと、そう思わせられたことがあなたにあるんですか!レナさんは、ご家族に愛されているから!普通の人だから!家族を憎むってことを知らないからっ!そんなことが言えるんです!」

 

「レナにも、わかるよ……だってレナ、お母さんに捨てられたから」

 

「……えっ」

 

「お母さん、よその男の人と不倫して……子供が出来ちゃったんだ」

 

何でもないことのように、笑いながらレナさんは言った。

 

「弁護士の人が来て、お父さんとはもう会いません、お金をあげるから黙って消えて下さいって。お母さんお父さんのこと、どうでもいいんだってさ。ごちゃごちゃうるさいレナのこともいらなくなったんだろうね。……それっきりだよ。……あれからずっとお父さんはお酒に逃げて……家族はバラバラになっちゃった」

 

「ごめんなさいレナさん……私、知らなくて……」

 

「いいよ。レナも知られたくなくて、隠してたし」

 

レナさんは明るくて優しくて、陽だまりのように穏やかで……。

だからきっと幸せな家庭で大切に育てられたんだろうって勝手に思い込んでいた。

 

「……こっちに引っ越してくる前のレナ、ものすごーく荒れててね、学校中のガラス割って回って、金属バットで友達の男子の頭かち割って大怪我させたりしてたの。お母さんのこと憎んで、恨んで……でもそうして家族を憎めば憎むほど、どんどん自分が嫌いになっちゃって……それで、レナは……」

 

レナさんはそこで言葉を止め、溜息をついた。

寂しそうに笑うレナさんが、どこかへ消えてしまいそうな不安がよぎる。

 

一度は払いのけたレナさんの手を、優しく握った。

 

「詩ぃちゃんもね、きっといつか……家族を憎んで、呪うような自分を許せなくなるから……だからね、今ある幸せを、大事にして欲しいなって、レナは思うんだ」

 

……そっか、私が許せなかったのは家族じゃなくて、家族を恨んでいる自分自身だったんだ……目の前の暗い霧が、さあっと晴れたような感覚がする。

 

そう、本当はお父さん、お母さんやお姉のことが大好き。ばっちゃのことだって、今は小さくて可愛いって思える。……そんな幸せな自分自身の姿が、やっと見えた。

 

「ごめんね、詩ぃちゃん。勝手な事ばっかり言って……」

 

「いいえ、ありがとうレナさん……気持ちがすっきりしました。今なら私……なんだか自分を好きになれそうな気がします」

 

「うん、レナもそんな詩ぃちゃんのことが大好きなんだよ?だよ?」

 

好き、と言われてどぎまぎしてしまう。

そういう好きじゃないってことくらい分かってるってのに。

 

繋いでいた手を、レナさんが恋人繋ぎに組み替える。

 

「れ、レナさん……」

 

レナさんはひどい人だ。

こんなことされたら勘違いしちゃうじゃないか。

 

「ねぇ、詩ぃ~ちゃん!レナに引いちゃったかな?かな?」

 

「引くって、どういうことです……?」

 

はて、今の話に何かそういう要素があっただろうか。

 

「ほらあ、前の学校でレナが男の子をバットでばしーんってしたこととか!」

 

「あっはははは!レナさんってば……おっかしいなぁ……」

 

「むぅぅ!笑いごとじゃないよぉ!レナすっごく気にしてるんだからね!」

 

ぷんぷん!と口で擬音を表現するレナさんは本当に愛らしい。

私、こういうあざといぶりっ子は嫌いなはずなんだけどなぁ。

 

「私もルチーアへ行く前はダム戦争の真っ最中でしたからね。ほとんど毎日お姉のフリして作業機械をぶっ壊したり、作業員に投石して血が出るくらい怪我させたり、もう無茶苦茶でしたよ?留置所常連で刑事さんとは顔見知りですしねー」

 

大石のヤツ、未だに私が魅音だって思い込んでんだろうか。

相当ヤバいことやってたけど、お祭りみたいでやっぱ面白かったなぁ。

 

「へぇぇー、詩ぃちゃんもレナとお揃いなんだねぇ~?」

 

「流石に私も、今は悪いことしちゃったなーって反省はしてますけどね……それにしても、以前レナさんが馬鹿三人組に絡まれてたとき……やっぱり私が助ける必要なかったみたいですね!くっくっくっ!」

 

「あー!詩ぃちゃんってばひどいんだよ!ひどいんだよ!」

 

口を尖らせてだよ!だよ!と一生懸命訴えるレナさんが可愛くて仕方がない。

あぁ、この手を離したくないなぁ……と思い、ぎゅーっと握り直してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャッターの前で長く話し込んでしまい、あたりは相当暗くなっていた。

もうほぼ夜だというのに、自転車で帰ろうとするレナさんを必死で引き止める。

 

レナさんは自分の可愛さを自覚してないんじゃないだろうか。

こんな美人さんが一人でウロウロしていたら悪い狼の格好のエサだ。

 

確か善郎おじさんのおもちゃ屋さんでお姉がバイト中だったはず。

お姉に頼んで本家に車を回してもらえばいいだろう、と結論づける。

 

レナさんはお腹をすかせていたようで、ぐうぐうと腹の虫を鳴かせていた。本人は恥ずかしがっていたけれど、たこ焼きをおごってあげるとぱくぱくとあっという間に平らげてしまった。レナさんのこういう健康的なところが大好きだ。

 

ただ商店街を歩いてお姉のところへ向かうだけのはずが、ついつい寄り道をしてしまう。食器を眺めたり、小物を選んだり、これが可愛い、あれが綺麗だと二人でわいわいと話しながらのウィンドウショッピングは、とっても楽しかった。

 

「あー!見て見て詩ぃちゃん!このカエルさんグッズかぁいいよぉ~!」

 

でっぷり太ってデベソで目が飛び出したカエルの小物を指差し、はぅはぅ言ってるレナさん。何かのマスコットキャラのようだが……正直、微妙……。

 

売れ残って棚の隅でホコリを被っている状況からも、推して知るべしだ。

 

「か、可愛いですかねぇ……ちょっとキモいような……」

 

「そこがいいんだよ?だよ?はぅ~、デベソかぁいいよう!」

 

レナさんのちょっとズレたセンスに苦笑する。

 

美的感覚がおかしいというわけではないのだろうけど、何の役にも立たないような粗大ゴミや何の使い道もないヘンテコな物……誰にも顧みられることのないような物に対して、少し異常とも思えるような執着を見せることがある。

 

「あは。そうですねー、可愛いですねー、うんうん」

 

しょうがないので、ここはレナさんに同意しておこう。

 

「もー、詩ぃちゃん絶対かぁいいって思ってないよ~」

 

ふくれっ面で抗議するレナさんのほうがずっと可愛いって。

 

……なんだかこれって本物のデートみたいだ、と密かに心をおどらせる。

 

ずっとあの狂った尼寺に閉じ込められて「あら、お庭のお花が綺麗ね」「お花を綺麗だと思えるお姉さまの心がお美しいのですわ」とかくだらねーハイソな会話に浸かってたけど、本当はずっとこういうことがしたかったんだよなー。

 

レナさんと一緒なら、さえない興宮の商店街の田舎くさい地味な灯かりでさえ、輝いて見える。目に映るものすべてが万華鏡のように美しくきらめいていた。

 

……あの子も、もしかしたら私とこうしたかったのかな。

本当に悪いことをしたな、と今更ながら思ってしまう……。

 

「わぁぁぁ!このくまさん、すっごくかぁいいんだよぉ!」

 

レナさんはショーウィンドウの中の大きなくまのぬいぐるみに目を奪われている。

 

「ふふ、レナさんって本当に可愛いものがお好きなんですね」

 

「はぅ~!くまさんかぁいいよう!お持ち帰りしたいよう!って、すごい値段だね」

 

かぁいいモードに入りかけたレナさんが我に返る。

どれどれ、と値札を見るとゼロがひとつ、いや……ふたつばかり多い。

文字通り桁が違った。仕立てもいいしアンティークの銘品か何かだろうか?

 

普通の中高生が衝動買いをするにはちょっとばかり、お値段が張り過ぎる。

 

でも、アルバイトをして自活している私には、買えないような額でもない。

私を心配したお父さんから、かなりおかしい額のお小遣いも貰ってるしね。

 

「レナさん、お近づきのしるしに……プレゼント、貰っていただけませんか」

 

「えーっ!いいよいいよ、こんなすっごく高いもの、もらえないよう!」

 

拒絶されたかな、と一瞬思ったけれど、口元がもじもじしていることに気づく。

レナさんは遠慮しているだけで、本当は心の底からこのくまが欲しいのだろう。

 

「レナさん、女の子はこういうとき、気持ちよく貰ってあげるものですよ」

 

「でも、でも~、はぅぅ、はぅっ、はぅぅ~~~!」

 

「すみませ~ん!このぬいぐるみ、ラッピングお願いします~!」

 

真っ赤になって頭から煙を上げ始めたレナさんをよそに、店の中に呼びかける。

 

「はぁい!ちょっと待っててね~……って、詩音?」

 

私のそんな呼びかけに顔を出したのは……園崎魅音、お姉その人だった。

すっかり忘れていた……おもちゃ屋で店番してるお姉に会いに来たんじゃないか。

 

「あ、魅ぃちゃん!詩ぃちゃんがね!くまさん買ってくれるの!」

 

ぎゅっとレナさんが腕に抱き着いて来た。うわぁ、結構胸あるんだ……。

……じゃ、なくって!

 

「あのくまを!?ふぅ~ん、へぇ~、ほぉ~……よかったねぇ、詩音」

 

「何がです、お姉!」

 

「レナと詩音はお似合いだし、やっぱこうなったかぁ~、納得、納得」

 

「ちょっとお姉、何勝手に納得してるんです!私とレナさんはっ」

 

「詩ぃちゃんとレナが、なぁに?」

 

首をかしげるレナさんに、至近距離で見上げられる。

なんなんです、この可愛い生き物は……刺激が強すぎて気が遠くなりそう……。

 

「も、もう!レナさんってば!ほらお姉、さっさとあの大きなくまのぬいぐるみラッピングしてください、とびっきり可愛くおねがいしますね!」

 

「ほいほい、おじさんに任せときなって。大好きになった人への初めてのプレゼントだから、ちゃんとリボン付きで梱包してあげないとねぇ。くっくっく!」

 

「私、魅音きらい~!この前から、もっと嫌いになりました!」

 

「そう?おじさんは詩音のこと昔っから大好きだけどなぁ、可愛いし~」

 

「レナもね、かぁいい詩ぃちゃんのこと大好きなんだよ!だよ!」

 

「だよねー、詩音って可愛いよね?流石レナ、わかってんじゃ~ん」

 

ふざけた軽口を叩きながら、大きなくまのぬいぐるみを器用に包装していくお姉。

レナさんは目を輝かせながら、くまが包装紙にくるまれていく様子を眺めている。

 

「……はぁ。お姉、もう遅いからレナさんを送る車を本家から回してもらってください。自転車と、このおっきなくまも積めるようにワゴンか何かでお願いしますね」

 

「ありがとっ、詩ぃちゃん!だーいすき!」

 

何の恥ずかしげもなく正面から抱き着いてくるレナさん。

この人、自分がとびきり可愛いってこと自覚してないでしょ?

 

「ど、どういたしまして……ちょっとレナさん、抱き着かないで……お姉が見てる」

 

「うんうん、妬けるねぇ、青春だねぇ、いいねぇ~……」

 

さてはこのアホお姉、私が前原圭一のことで散々からかったの根に持ってるな?

いったい何を年寄り面で頷いてるんだろうか。後でシメとこうっと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでね、怒った知恵先生がカレースプーンを圭一くんのお鼻に入れようとして、すごいことになったんだよ~!ほんとは割ったの沙都子ちゃんなのに!」

 

「あははははは!前原さんの鼻の穴に?ひっどいなぁ!」

 

いつものようにレナさんと長電話でガールズトーク。

こっちから掛けているからレナさんに迷惑はかからない。

 

レナさんは分校であったトンデモな事件を夢中で話している。

話題が前原圭一なのは気に食わないけど、レナさんが楽しいと私も楽しい。

 

「カレー皿の破片をよく見てみろ!とか圭一くんが言い出して……」

 

「礼奈ちゃ~~~ん!いつまで電話してるの~~~?」

 

「あっ、は~い!もう終わりまーす!ご、ごめんね詩ぃちゃん、またね」

 

ガチャ、ツー、ツー……

 

「えっ、レナさん?……切れちゃった……」

 

突然電話を切られてしまった。さっき聞こえた女性の声はレナさんのお母さんだろうか?いや、それはおかしい……レナさんのご両親は離婚しているはずだ。

 

再婚したんだろうか?でもそんな話、レナさんはしていなかった。

お母さんがいないから、家事はレナさん一人でやってるって話だったし。

 

どうにも様子がおかしい……。

レナさんにいったい何が起こっているんだろうか。

 

それからというもの、電話を掛けてもレナさんが出てくれないことが多くなった。

 

呼び出し音をずっと聞いていると、私のことが嫌いになったのかな、と不安になる。

 

……そんなある日の夕方、竜宮家の電話口に例の女性が出た。

 

「あぁ~、礼奈ちゃん?帰ってないわよ?どこ行ったのかしらね~?」

 

蓮っ葉で投げやりな調子でそんなことをのたまう。

そもそも、誰なんだよお前は……イラッとしてガチャ切りする。

 

こっちはレナさんの声を1週間は聞いてないんだ。

嫌われていたらと思うと、怖くて会いに行けないじゃないか。

 

レナさんがいるところといえば、ひとつしか心当たりはなかった。

行くしかないだろう。もう勇気が出ないなんて言ってる場合じゃない。

 

 

 

 

 

葛西の車でダム工事現場跡のゴミ捨て場へ出向くと、レナさんを見つけた。

赤い黄昏の逆光の中心で、ただぼんやりと風に吹かれている。

 

ゴミの丘の上に立つ彼女のセーラー服やオレンジの髪が光の中でたなびく。

静かに佇むその姿は幻想的で……このがれきの国を統べる王のようにも見えた。

 

「……はろろー、レナさん……お久しぶりです」

 

「………………」

 

レナさんは私に気づいていないのか、それとも返事をする気力もないのか、私の呼びかけに答えずに、粗大ゴミが乱雑に積み重ねられた小山を見つめている。

 

ラビットアンテナのレトロなテレビ。スプリングの飛び出したソファー。ひしゃげたドラム缶に、顔が砕けて大きな穴があいた薬局のマスコット。ふたの壊れた炊飯器に割れた飲み屋の看板。どれもこれも使い道のないゴミばかりだ。

 

「レナさん……」

 

ゴミの山の上を転びそうになりながらゆっくりと歩き、レナさんの傍に並び立つ。

その横顔はひどく憔悴し、事情が分からないなりに……何かあったのだと悟った。

 

「生んでくれた人に捨てられたモノは、どこへ行けばいいんだろう……」

 

ぽつりと、レナさんが呟いた。

 

「レナなんて生まれて来なければ、お父さんもお母さんも幸せでいられたのかな」

 

「………っ……」

 

やはり、母親とのことで色々とあったのだろうか。それとも電話のあのいけ好かない女のことだろうか。もし、酒浸りだという父親のその愛人が竜宮家に出入りしているとすれば、レナさんは自宅に居場所がないのかもしれない……。

 

「……あぁ、ごめんね詩ぃちゃん、レナぼーっとしちゃって……」

 

「ご迷惑かとも思ったんですが……つい、来ちゃいました」

 

「ううん、迷惑なんかじゃないよ……久しぶり、だね……」

 

いつもの明るさは鳴りをひそめ、どこか疲れたような笑顔を浮かべている。

 

「レナさん、何かあったんです?」

 

「ううん、何でもない……ね、立ち話もなんだし、こっちに来て……」

 

レナさんに先導されてゴミ山を歩くと、スクラップの山の中にワゴン車が埋まっていた。タイヤがひとつもないことを除けば、ガラスも割れていないしそれほど錆びてもおらずきれいなものだ。

 

そのワゴン車の助手席のドアを開けて、レナさんが靴を脱ぎながらもぐり込む。

 

「ほら、詩ぃちゃん……おいで」

 

「あ、はい……」

 

困惑しながら乗り込むと、中はとても片付いており、小さなカプセルホテルみたいな『内装』が施されていた。後部座席はすべて折り畳まれ大きなマットに清潔なシーツが敷かれ、キュートなクッションを枕にベッドのようになっている。

 

「わぁ……これ、レナさんが?」

 

「うん。結構苦労したんだよ?」

 

車内の一角を占める、おおきなくまのぬいぐるみに目が留まる。

私がプレゼントしたものだ。どうしてここに……?

 

「あ、それね、家に置いてたら捨てられちゃうかもだから……」

 

「どういう、ことです……?」

 

レナさんは答えない。

 

代わりにぬいぐるみを抱きしめ、表情を隠すように顔をうずめる。

 

「おうち、帰りたくないなぁ……」

 

そんなレナさんがとても小さく見えて、切なくて、可哀想で。

思わずレナさんの肩を掴む。思っていたよりも華奢で、頼りなくて……。

 

「私、あなたのことが好きです、レナさん」

 

言ってしまった。相手の迷惑も考えず。

きっと困らせてしまうだけなのに、我慢できなかった……。

 

「詩ぃちゃん……」

 

驚いたように目を丸くするレナさん。

 

「ご、ごめんなさい、いきなり……」

 

「どうして詩ぃちゃんと魅ぃちゃんの見分けがつくのかわかったかも」

 

「えっ?」

 

「どうすれば仲良くなれるのか、優しくしてもらえるのかって、必死なあまえんぼのワンちゃんみたいでかぁいいんだねっ♪」

 

そんなに顔に出ていただろうか。あわてて窓ガラスに映る顔を見る。

 

「そうだね、うん……レナも詩ぃちゃんのこと大好きなんだよ?だよ?」

 

両手を猫のように丸めてくいくいと可愛らしく動かすレナさん。

 

私、真剣に告白したのに、茶化されちゃった……はぁ、やっぱり勢いだけで突っ走るとろくなことにならないなぁ……しょんぼり。

 

「うぅ、レナさん、私の好きはそういう好きじゃなくってですね……!」

 

それでも、レナさんには分かって欲しい。私が本気だってこと……。

 

はぁ、と呆れ顔でため息をつくレナさん。

その表情から柔和さが消え、カミソリのように鋭利な印象が浮かび上がる。

 

「わかってるよ、そんなことくらい」

 

レナさんの冷たい青い瞳が、私の目をじっと見据えている。

 

「詩ぃちゃん……ちょっと鈍感が過ぎるんじゃないのかな?……かな」

 

私は、ヘビににらまれたカエルのように身じろぎひとつできない。

黙ったままの私を責めるように、腕を掴まれぐいっと引っ張られる。

 

「私はずっと好きだって言ってるのに、取り合わなかったのはあなたの方でしょ」

 

青白い炎のようなレナさんの視線がちろちろとヘビの舌のように私を炙る。

サマーニットを押し上げる乳房を、白い首筋を、薄くリップを塗った唇を……。

 

この視線を私は知っている。……男性が、情欲を持って私を眺めるときのもの。

 

「あなたの身体に触れたくて……でも気持ち悪いって思われたくないから、冗談めかして触っても嫌がられないライン探ったりして……私、バカみたいじゃない」

 

レナさんの手が無遠慮に私の太ももを撫でる。

その手つきはいやらしくて、ねちっこかった。

 

「不用心過ぎるよね。こんな誰も来ない、誰にも聞こえないところに、ノコノコひとりでやって来て……詩ぃちゃんさ、して欲しくて……誘ってるんでしょ?」

 

まるでレナさんはかみつくように、乱暴に私の唇を奪った。

 

「……んっ、むぅ……ちゅっ……」

 

それから、何度も何度も、浅いキスを繰り返す。

 

まるで別人みたいに凛々しかったレナさんが、急に不安げな目で私を見つめる。

 

「ねぇ、黙ってないで何か言ってよ。私だけ喋り尽くめ?聞いてんの?園崎詩音」

 

レナさんの声はどんどん小さくなり……最後のほうは、ほとんどかすれていた。

 

「……私、ここに来るのがそんな意味だなんて……知らなくって……」

 

「じゃあ、ダメなのかな?……かな」

 

上目遣いで覗き込まれる。ほとんどゼロ距離だ。

胸が痛いくらい、どきどきさせられている。

 

「うぅ……レナさんなら、ダメじゃ、ないですけど……」

 

その瞬間力任せに押し倒され、レナさんの強い力で押さえ込まれる。

内股を這う指が、お姉やお母さんにだって触れられたことのない部分に触れた。

 

「ねぇ、レナもう我慢できないよ……ここまで壊した責任、取ってよ……」

 

そうして……レナさんは乱暴に私を貪り、追い詰めていった……。

 

「れ、レナさっ……やっ、くすぐったいです……まって、いったんやめ……」

 

「詩ぃちゃん、ほんとにレナのひとつ上?大人のお姉さんみたいな身体だね……こどもな私とぜんっぜん違うんだぁ……ふわふわもちもちでエロ過ぎ……」

 

細い指先が、熱くて小さな舌が、私をねちっこく何度も何度もいじめ抜く。

 

「だめです、レナさんだめ……あっ、やぁっ!……ん───ッッ♥」

 

私の身体に夢中なレナさんは、ぼおっと無表情で、少し怖くて……。

 

でも同時に……そんな姿を私にだけ見せて、甘えているのだとも感じた。

 

そうして私を何度か昇りつめさせると、レナさんは下着を脱ぎ、いちばん恥ずかしくて敏感なところを……差し出してくれた。

 

「詩ぃちゃん、レナにも……して欲しいな……」

 

レナさんに迫られ命じられるまま、従順に奉仕した。

 

「詩ぃちゃん、そこ……ほら、もっと強くっ!……そう……はぅぅ……♥」

 

余裕をなくしたレナさんの強い命令口調は少し怖かったけれど、レナさんが示した敏感な部分を、優しく丁寧にこすり、舌で舐め上げる。

 

可愛らしい声をあげて気持ちよさそうに腰をくねらせるレナさんを愛おしいと思う。

 

私がそうすることで、レナさんが少しでもつらいことを忘れられるといいと思った。

 

日が落ち、あたりが真っ暗になっても、ふたりは愛し合い続けた。

 

 

 

 

 

 

……やがて満足したのか、レナさんは私に抱き着いて甘え始めた。

 

「詩ぃちゃんごめんね?乱暴して……痛くなかった……?」

 

「いいえ、そんな……その、き、きもちよかったです……」

 

「よかったぁ……レナ、緊張したよぉ、こんなのはじめてだもん……」

 

は、初めてだったんだ……。そりゃそうか、レナさんだって中学生だもの。

てっきり、あんな感じでぐいぐい来るから、結構遊んでるのかと思っちゃった……。

 

先ほどまでのクールなレナさんとは違い、私に甘えるレナさんはいつものふんわりほわほわの可憐なレナさん。スキンシップが多いのは、家庭の事情もあって……本当は人肌が恋しいだけなのかもしれない。

 

「レナさん、好きです……すき、すき……レナさん大好き……」

 

私よりも小柄な年下の恋人を、むぎゅーっと抱き締める。

寂しがりのレナさんが、私を見失ってしまわないように。

 

「詩ぃちゃん、レナも好きだよ、だぁーいすきなんだよ?だよ?」

 

レナさんは私の胸に顔をうずめながら、同じくらい強い力で抱き返してくれる。

 

彼女はその髪と同じ、オレンジ色の陽だまりの感覚がする。

どこか懐かしいような優しく暖かな色。……レナさんの色。

 

「もし……もし、レナさんが捨てられていたなら……私がお持ち帰りぃ~☆して……一生かけて、ずっとずっと大切にします」

 

レナさんの、私の大好きなレナさんのオレンジ色の髪を優しく撫でる。

 

「だから、だからっ……生まれて来なければよかった、なんて……悲しいこと、もう二度と言わないでください……お願いします……」

 

「うん、うん……わかった、約束するね。詩ぃちゃん……ありがと……」

 

レナさんと私は夜の闇の中で抱き締め合い、お互いのぬくもりを分け合った。

私はきっと、レナさんを守るためなら……なんだってできるだろう。

 

たとえそれが……そう、人殺しでも。

 

 

 

 

 

 

いくら家が近所だからって、夜にレナさんをひとりで帰すわけにはいかない。

ひとりで大丈夫だとかたくなに固辞しようとするレナさんを引き留める。

 

レナさんは私を家に近づけたくないのかもしれない……それもそうだ。

私に幸せなレナさんだけを見て欲しくて、本当は隠していたかったんだと思う。

 

公衆電話で葛西を呼ぼうか、と思って窓の外を見ると、とっくに帰ったはずの葛西の黒塗りの高級車はまだ、ゴミ山のそばの道路に停まっていた。

 

葛西、もしかしてずっと待っててくれたの?助かったけど、なんだか悪いことしちゃったなあ、とばつの悪い思いをする。今度、埋め合わせしてあげようっと。

 

レナさんを自宅へ送り届け、上一色のマンションへと向かう。

 

まだ身体がふわふわしている。多幸感でどうにかなってしまいそうだ。

 

「ねぇ葛西、私が女の子と付き合ってるって言ったらどうします?」

 

舞い上がって変なことを口走ってしまう。

……ちょっと、まずかったかな。

 

「あ、もちろん冗談ですよ、冗談!あはは、やだな~……」

 

「レナさんとのお付き合いのことですか?」

 

「へっ?葛西、何で知ってんです!?」

 

「隠しているようにも、思えませんでしたが……電話一本で飛んで行って、廃車の中でふたりきりで何時間も過ごされて……この車内でも、ああも仲睦まじくされていらっしゃれば、いくら私でもそれくらいのことは……」

 

恥ずかしい……確かに、腕と指を絡ませて、頬を寄せて幸せそうに寄り添っていれば……友人どまりにはとても見えないか……。

 

「そ、そうですか……はぁ、女同士なんて、おかしいですよね……?葛西、お願いですから内緒にしていてくださいね?お母さんやばっちゃが、何て言うか……」

 

それだけが本当に怖い。うちは何てったって時代錯誤なのだ。

こんなことがバレたら最悪、一人暮らしの許可も取り消されるだろう。

 

「いいんじゃあ、ないですかねぇ……」

 

「えっ?」

 

「詩音さんが幸せなら、それでいいんじゃあないですか?私は昔気質の男ですから、若ぇのが惚れた腫れたってのは……よく分かりませんがね」

 

この男の口から出たとも思えない言葉に、目を丸くして葛西の顔を見る。

夜でも外さないブランドもののサングラス越しでは、その表情は伺えない。

 

「誰かを好きでいるってのは、勇気のいることだと思います。……好いたからって、必ずしも報われるとは限らねえ。詩音さんが初めて人を好きになって、それがめでたく報われたというのなら……私はそれでいいと思いますよ」

 

「でも葛西、ばっちゃがそんなこと許してくれるはずが……」

 

「……俺が、この散弾銃の辰が、誰にも、一言だって文句は言わせねぇ……例え相手がお魎さんだろうがな」

 

「葛西……」

 

驚いた。葛西ってこんなに熱い男だったんだ……。

 

「詩音さんは御家のことでずっと苦労なさってきました。それであんなことに……」

 

「あんなこと?」

 

「いえ、なんでもありません。ちょいと夢見が悪かったもので。とにかく詩音さんはもう立派な大人です。恋愛も、結婚も、お好きなようになさればよろしいかと。……それに本家の威信や仕来りがどうこうってのはやめになったんです……なんだかんだ言っても、ケジメが云々って話にはならないでしょうよ」

 

「うん、うん……ありがとう、葛西ぃ……ひっく……ぐす……」

 

そんな言葉が心強くて……涙があふれて来る。最近泣いてばっかりだ。

 

そうだよね、女の子同士で愛し合ったって、とやかく言われる筋合いなんかない。

人を好きになることが、互いを大切に思うことが、悪いことのはずがないんだ。

 

もし叱られたら言い返してやる。私はレナさんを愛している。

例え相手が園崎お魎だって、負けてやるもんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

TIPS『古手梨花の手記Ⅱ』

 

 

 

昭和58年6月24日

 

今日は沙都子の誕生日だった。

 

すき焼き、ハンバーグ、唐揚げなど、沙都子の好物をとにかくたくさん用意して、沙都子の記念すべき……2回目の……12歳の誕生日を祝ってあげた。好きなものがすべて肉料理なのが、沙都子らしいといえば沙都子らしい。

 

「リセットした甲斐もあったというものですわね」などよく分からないことを言っていたが、終始笑顔でずっとご機嫌さんだった。幸せそうな沙都子を見ると私も幸福感でいっぱいになる。

 

結局、私を苦しめ続けた鷹野の陰謀は起きなかった。

 

どういうわけか、鷹野は富竹と雛見沢から逃げ、東京の一派閥によるクーデター事件は始まる前に終わったらしい。鷹野が私の殺害よりも富竹を選んで愛の逃避行に出るなんて、どうしてこんな都合のいいことが起こったのかはわからない。

 

人間不信の誰かさんが、ようやく満足して眠りについたからかもね。

 

陰謀などなく、惨劇も起きず、誰も発症しなかった。

症候群に関しても引き続き入江が残り、私の警備は番犬とやらが引き継ぐそうだ。

 

お魎と公由を説得し、祟りや因習、村八分のすべての終結を祭の席で御三家の連名によって宣言した。一年早いが、沙都子の幸せのためには絶対に必要なことだ。

 

さあ、あとは私が一生をかけて沙都子を幸せにするだけ。

 

この手記ももう、役目を終えたと言っていいだろう。

もう二度と開くことはないかもしれないけれど、記念に保管しておこう。

 

 

 

 

 

昭和59年4月5日

 

緊急事態だ。園崎詩音が雛見沢に帰って来た。

レナに魅音の姿をした魅音ではない人物について尋ねられたのだ。

 

ほぼ間違いない。あの詩音が帰って来たのだ。

どうして、今頃になって……?

 

この世界の詩音は悟史とも沙都子とも面識がないはずなのだ。

沙都子を殺される心配はないと思うが……どうしても不安になる。

 

何度も何度も目の前で沙都子を拷問され殺された記憶は消せるものではない。

あんなことがもう起こらぬよう、最大限に警戒しなければ。

 

 

 

 

 

昭和59年5月3日

 

信じられないようなことが起こった。

 

詩音が弁当を携えて分校を訪問して来たのだ。

沙都子とは面識がないはずなのに。

 

驚く私を怪訝そうに見た詩音は、レナを見つけると頬を赤らめた。

そう、あの詩音が……レナのために手作り弁当を作って来たのだ。

 

頬を赤らめながらレナの口に箸を運ぶ詩音はただただ不気味で……。

こんなことは、私の繰り返した百年には絶対になかった。

 

いったい何があったというのだろう?

 

沙都子はいやに上機嫌で「梨花ぁ、女性同士の愛って美しいと思いませんこと?お似合いですわよね」などとのんきなことを言っていたけれど……。

 

 

 

昭和59年5月27日

 

あれから、詩音とレナは急速に仲を深めているようだ。

 

久しぶりに会った魅音が、笑いながら面白おかしく伝えたところによると……。

 

本来、悟史が購入するはずの例の桁外れに高級なクマのぬいぐるみが何故か魅音の叔父のおもちゃ屋に流れ、それを詩音がレナにプレゼントしたらしい……。

 

単なる友人関係で、あんなに高額な贈り物をするだろうか……?

園崎姉妹の金銭感覚にはわからないところが多い。

 

最近のレナは常に上の空だ。

頬を赤らめたり、溜息をついたり、かと思えば深刻そうな顔をしている。

 

引き続き、調査の必要があるだろう。

 

 

 

 

 

昭和59年6月5日

 

最悪の状況だ。竜宮家にあの希少な深海魚……間宮リナが出入りしている。

生きてようが死んでようが、本当にはた迷惑な女だ……。

 

確認してみたが、既にレナは過去のカケラの記憶を持っている。

リナと鉄平を殺害し、狂気に呑まれ、圭一と戦ったあの世界の記憶を。

 

ならばレナは魅音に相談して自身の中で考えをまとめ、自分自身で父親と対話して解決するはずなのだ。リナが出入りしているということは失敗したということ。

 

おそらく、魅音が卒業し分校にいないことが影響しているのだろう。高校でもゲーム部を設立し、次期頭首の職務と並行して多忙を極めていると聞いたことがある。

 

そして詩音はレナにとって圭一と同じく、自身の苦境を絶対に知られたくない相手としてカウントされてしまっているのかもしれない。

 

このまま手をこまねいていればレナは殺人を犯し……発覚を恐れ疑心暗鬼となり発症するだろう。そしてそのレナと特別な仲であると思しき園崎詩音は、恋愛が絡むと発症しやすい性質を持っている。危険な結びつきだ。

 

ここまで来て、沙都子とふたりそろって黒焦げバラバラなんて間抜けな死にざまを晒すつもりはない。ましてや沙都子への拷問など絶対に許すものか。

 

この世界には羽入の気配もなく、また繰り返すことができる保証はない。

 

営林署のガソリン備蓄を撤去するべきだろう。それとも逆に深夜、無人のうちに分校を爆破しておくべき……?園崎の因習や仕来りが消滅し、悟史との面識すらない詩音の凶行を防ぐ手立ては、今のところまったく思いつかない……。

 

まずは番犬による身辺警護の強化を入江に依頼すべきだろう。

一次的に県外の遠隔地に行方をくらませることも視野に入れるべきだ。

 

思えば100年間、すべての世界で沙都子は死んでいる可能性が高い。住民虐殺からか弱い子供の沙都子が生き残れたとは考えにくい。詩音が発症した世界では必ず拷問され殺害されているはずだ。そして……前回の世界では……。

 

悟史を救おうとしても救えなかったことを思い出す。もし運命が必ず沙都子を苦しめ殺すというのであれば、私は全力でそれに抗ってやる。

 

何があろうと沙都子を守って私の命が尽きるその瞬間まで足掻ききってみせる。

例え誰を、何を犠牲にしてでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほーらぁ、葛西ぃ!さっさと入った入ったぁ!」

 

「お、押さないで下さい、詩音さん……」

 

今日は先日長い時間待たせた埋め合わせに、葛西に付き合うことにした。

 

ここは興宮のとある喫茶店。繁華街に面するせいか客筋が悪く、不良学生やチンピラ、商売女の吹き溜まりになっている。私一人であれば間違いなく入らないお店だ。

 

店内の煙草臭さを除けば、悪い店ではない。それどころかここのスイーツはちょっとしたものだ。私も葛西の付き添いで頻繁にご相伴に預かっている。

 

この男、顔に似合わず大の甘党……しかも、女の子が喜ぶようなファンシーなデザートが好みである。それが本人は恥ずかしいとかで、女へのプレゼントを装ってテイクアウトしたり、ブツの入手には相当苦労しているらしい。

 

確かに、葛西ひとりで赤いチェリーの乗ったクリームたっぷりのプリンアラモードやら、カラースプレーやアラザンで可愛らしくデコレーションされたチョコレートサンデーをつついていれば……恥ずかしいと思うのも無理はないだろう。

 

「……くっ、くくくっ……」

 

「……そんなに、可笑しいですか」

 

「ごめん、ごめんって!ほら、月曜レディースデイで紅茶が割引なんですって!私、紅茶好きなんですねぇ~」

 

ようやく覚悟を決めたのか、葛西が黒いガラス戸を開いた。

 

と……そこにいたのは金髪にアロハシャツのやけにガラの悪い男。葛西に気づくとさっと道を譲る。やっぱ葛西ってこのあたりじゃ恐れられてるんだなぁ……。

 

いやただ単に、見るからに筋者だからだろうか?仕立ての良いブラックスーツにサングラス、金バッジと来れば馬鹿でもどんな相手か判断はつくだろう。

 

「あ……総支配人……?ど、どうもおはようございます」

 

聞き覚えのある声に目を向けると、ホステス風の女がいた。顔に見覚えはないけど……葛西が任されているお店の従業員だろうか?葛西が店外へ向けて顎をしゃくると、チンピラと商売女は小走りで店を出て行った。

 

揉み手をしながら近づくマスターに、葛西が威圧感を増して話しかける。ちょっと葛西、おじさん怖がってるじゃないですか……照れちゃって、もう。

 

「……この、日替わりデザートの……ス、スイ、スイート何とかというのは、今日はやっているのか?」

 

頑張れ葛西!

 

「は?あ……あはははは、いえ、今日は本当はやってないんですが……その、どうしてもと仰るんでしたら、特別にご用意を……」

 

「……無理なら無理と言ってくれればいい。出直す」

 

おっと、もう諦めちゃった。

 

「ほぉら葛西ぃー!特別にご用意って言ってくれてるじゃないですか!ここまで来て帰るなんて私、嫌ですよ~!」

 

さっさと席についてしまえば葛西も諦めるだろう。あくまでも"お嬢様"の私が我が儘を言って付き人を困らせている、という風を装ってあげる。今日は葛西への詫びもかねてのお付き合いですからね~。

 

ふと手前のテーブル席に目をやると、レナさんがいた。こんな場末の店で会うなんて珍しいこともあるものだ。入る店は選ばないと、レナさんったら。

 

「あれ?やっぱりそうだ、はろろーん!レナさんじゃないですか、こんにちはー!」

 

「……え?あ……詩ぃちゃん……?」

 

「こんなとこで会うなんてびっくりです!あれ?お一人?ひょっとして誰かと待ち合わせ?お姉かな?いやいや、ひょっとして前原さんかなぁ~?」

 

って、本当に前原圭一だったらやだなぁ……レナさんはもう私のものなんだから、あんな男……前原圭一なんかとは話もして欲しくない。いや、目も合わせて欲しくないなぁ……なんて考えてしまうのは、ちょっと行き過ぎだろうか……。

 

「あっ、あの……葛西さん!」

 

「はい、なんでしょうレナさん」

 

まさかレナさん、葛西のことが……!?ないないと即否定しようとして……有り得る……と思い直す。レナさんの美的感覚はよくわからないからなぁ……。

 

「えっと……さっきすれ違った人たちは、葛西さんのお知り合いですか?」

 

一応。と葛西は頷く。

 

「誰?私は全然、あんなの見たことないけど?」

 

「……男は北条鉄平。ちょいと礼儀知らずの雀ゴロです」

 

「ああ、あれがそうですか……北条の」

 

ダム戦争でばっちゃに啖呵を切ったという賛成派の北条家の……親戚だろう。

もっとも、もうダム戦争での村八分なんか影も形もないんだけど。

 

「……女の人のほうは……?」

 

「……間宮リナ。源氏名だと思いました。確か律子って名前だったかと。フラワーロードの店のひとつで働いてる水の女です」

 

「葛西さん……リナさんとその北条さんはどういう人たちなんですか?とても仲が良さそうに見えました」

 

「北条は、確かリナのヒモのはずです。性質の悪い連中ですので、係わり合いになられない方がよろしいかと思います」

 

「どう性質が悪いんですか?」

 

「そいつはご勘弁を……女の私生活にゃ触れないのが仁義ってもんです」

 

そのときレナさんの瞳が、青白くきらめいてドキッとした。レナさんは興味本位でこんなことを尋ねているわけではない。あれは、レナさんが本気のときの目だから。

 

「レナさん……いったいどうしたんです?あいつらがどうかしたんですか?」

 

私と目が合って、レナさんはハッとした表情をして、泣きそうな表情をした。

──逃げられる。そう直感した私は腕を掴もうとするが、するっと躱される。

 

ガラス戸を勢いよく跳ね開けて、レナさんは走って出て行ってしまった……。

 

「ちょ、ちょっと!お勘定!」

 

「マスター、私が支払います」

 

そう言って財布を取り出したが、葛西が先に支払いを済ませてしまった。

 

レナさんを追いかけようとも思ったが、あれでレナさんは結構足が速い。私では追いつけないだろうし、鹿骨フラワーロードは結構入り組んでいる。レナさんが本気で私から逃げているのなら、もう見つけることはできないだろう……。

 

黙って席につくと、葛西もそれに倣う。

とりあえず注文を済ませると、私は葛西を問い詰めた。

 

「で、どう性質が悪いんです?」

 

「…………」

 

「葛西、私は本気で訊いているんです」

 

「……あのふたりは、性質の悪いゴロツキです。恐喝と博打で生計を立ててると聞いています。女と美人局もやるって話で」

 

恐喝、博打、美人局……どれもレナさんとは縁遠いように思える。

 

……いや待て、待って……あの間宮リナとかいう女の声、レナさんの家に電話したときに出た……あの正体不明の女と同じ……!

 

「……さんざん貢がせた挙句、根こそぎ巻き上げようっていうクズどもです……最近でかいカモを引っ掛けたらしいと噂になってます」

 

そういうことか……レナさんのお父さんが……だからレナさんは……。

 

レナさんの寂しげな表情や、家に帰りたくないと呟くかすれた声が脳裏に浮かぶ。

あれは……父親を騙そうとしているクソ売女にいじめられているからだったんだ。

 

あの女、許せない……。

 

「何を考えていらっしゃるのかは分かりますが……相手は小物とはいえ、狡猾なゴロツキどもです。くれぐれも軽率な行動は慎んでください、詩音さん」

 

「軽率って何です?好きな女の子を助けたいって思うことが、軽率!?」

 

テーブルに強く手を突くと、がしゃん!とお冷のグラスが跳ねた。

葛西はまったく動じず、ただこちらを見る。サングラスで表情は読めない。

 

「そうは言ってません。行動する前に必ずご相談ください、と言っているんです」

 

「はっ、どうせやめろって説得するだけでしょう?」

 

「……詩音さん、約束してください」

 

常に増してクソ真面目……というか……必死に食い下がる葛西。

その迫力に気圧されて、私は思わず頷いてしまう。

 

「わ、わかったって……何かあったら葛西にちゃんと相談するから……」

 

「くれぐれも、よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レナさんが電話に出ない。昨日は喫茶店のことがあったから……遠慮して連絡をしなかったのだ。やはり心配になって翌日の夕方に電話をしたけれど、応答がない。

 

──何だか嫌な予感がした。

 

葛西に頼んで雛見沢へ向かった。行先はレナさんの秘密の場所……ゴミ山。

他に居場所のないレナさんが身を隠すならそこしかないだろうと思ったのだ。

 

転げるようにして葛西の車から飛び出し、がれきの上を走る。

薄暮の中、ゴミのあいだに隠れるようにうずくまるレナさんがいた。

 

「レナさん!」

 

「詩ぃちゃん……こないでぇ……ひっく……ぐすっ」

 

弱々しい声で私を拒絶するレナさんは、子供のように泣いていた。

お構いなしに抱き起こすと、いやいやと首を振って逃れようとする。

 

その横顔に明らかな殴打の痕を見つけた。

真っ赤に腫れ上がり、唇が切れて血が出ている。

 

「何ですか、これ!誰にやられたんですっ!?」

 

「詩ぃちゃん、レナね、ちゃんと我慢したよ……!」

 

私に抱かれたレナさんは泣きながら必死に訴える。

レナさんの制服は泥だらけだ。あいつらに暴力を振るわれたに違いない。

 

我慢って……なんだそれ。……なんだよそれ。

そんなの、レナさんが我慢する必要なんてどこにもないじゃないか!

 

「レナね、頑張ったんだよ?あんなこともうやっちゃいけな……」

 

「レナさん!あなたが我慢しなきゃいけない理由なんかありません!」

 

レナさんは優しいんだ。本当はレナさんのほうがずっと喧嘩が強いのに。

きっと武器を持たせたら、チンピラが束になってかかっても……殺せやしない。

 

「……詩ぃちゃんにはね、レナの幸せで優しい女の子のところだけ見てて欲しいの……だからレナのことは、放っておいて……大丈夫だから……」

 

「レナさん……でも……!」

 

「ね、詩ぃちゃん……レナおうち帰るから、送って……?」

 

レナさんは意固地で頑固だ。こうなったら話を聞くことはないだろう。

私にかっこ悪いところを見せたくないのは分かるけどさ……。

 

……もっと頼ってくれたっていいじゃないか。

 

「はぁ、わかりました……行きましょう、レナさん」

 

 

 

 

 

 

レナさんの手を取って歩き出す。急用でもあったのか葛西の車はどこにもなかった。

 

歩くうちにやがて泣き止んだレナさんは、つとめて明るく振舞おうとしているようで……それが痛々しくて哀れだった。ふつふつと怒りがぶりかえしてくる。

 

紫と藍色にグラデーションする空は雛見沢を飲み込むように押し包んでいく。

ふたり黙ったまま、レナさんは困ったような作り笑顔を浮かべている。

 

……砂利道をしばらく歩くと、レナさんの自宅に辿り着いた。

 

開けようとした引き戸がガラガラと開き、顔を出したのはあの女、間宮リナだった。

 

「あれー、礼奈ちゃんどしたの?そんなに顔腫らしちゃってーーきゃはは!」

 

レナさんは、顔を伏せて黙ったままだ。

 

「あんたヤスノリさんにごちゃごちゃめんどくさいこと言うんじゃないわよ?あんま舐めてっとまたシメっかんね?わかった?」

 

「わかり……ました……」

 

ふん、と鼻を鳴らして私を怪訝そうに一瞥したリナは歩き去っていった。

趣味の悪い安っぽい香水の嫌な匂いが残り、私を強烈にイラつかせる。

 

「レナさん、何かあったら……すぐにお電話下さいね?」

 

「……うん、わかった」

 

「それではレナさん、私はこれで失礼します」

 

「ばいばい……詩ぃちゃん」

 

レナさんはそう言って、寂しそうに笑いながら私を送り出してくれた。

本当は無理にでも家に上がり込んでレナさんを抱き締めて慰めてあげたい。

 

……はらわたが煮えくり返るような怒りを押し殺し、笑顔でレナさんと別れる。

 

そうすることで……自然と、私は間宮リナを追跡する形になる。

しばらくつかず離れずで後を追うと、リナは公衆電話ボックスに入った。

 

路線バスはとっくに廃線になっている。タクシーでも呼ぶつもりだろうか?

……この女がここにいることを知る人間が増えるのはちょっと、面倒だな。

 

こちらに背中を向けて電話をかけている薄着のリナ……。

天井の蛍光灯に照らされたその生白い背中を私は舐めるように眺める。

 

ハンドバッグに手を入れ、鞘に納められたコンバットナイフに指を這わせる。

 

あの腐れ外道の背中を切り裂いて両肺を引きずり出してやったら、あのどうしようもない穢れた淫売が、羽の生えた天使みたいになって面白いだろうか。

 

いやいや、園崎の地下には未だにとんでもない道具が山ほど眠ってる。

あれを使ってレナさんを狙ったことを後悔させてやってもかまわない。

 

子供のころ、魅音と一緒に例の引き出しから鍵を盗んでこっそり遊びに入った。四肢の先端からゆっくりと肉をひき潰していくミンチメーカーがお気に入りだったな。

 

あの子は怯えていたけれど、私はあの人間を痛めつけて殺すためだけの道具たちにどこかで惹かれていた。古手の糞餓鬼はああいう道具をもっとたくさん持っているって聞いて、それなりに嫉妬したこともあったっけ。懐かしい。

 

魚屋の店先のような生臭さが乾いたような異様な匂いに興奮を禁じえなかったことを覚えている。実際に使われたことがあるのだと分かるから……。

 

私の背中に鬼はいないけれど、本来鬼を背負うのは私だった。

 

……だから……私の心には、本物の鬼が宿っているに違いない。

 

あんなクズの一匹や二匹殺したって何とも思わない、イカレた女だ。

 

園崎の敵を殺すためだけに作り上げられた、人造の鬼。

思えば皮肉なものだ。ざまあみろ、私は私の愛する人のためだけに鬼を使う。

 

……ここで殺すのは惜しい、それに……もう一匹も誘き出さなきゃね。

私はナイフではなくスタンガンを抜き、電話ボックスに向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

TIPS『妹は姉思い』

 

入江と相談し、事態が収まるまで石川県の和倉温泉に逗留することにした。

番犬一個小隊の警護と医師によるバックアップ体制を整えてくれたそうだ。

 

完璧な作戦。行先を隠して雛見沢から離れれば、わざわざ追いかけてくる可能性は低いはず。ここまでやってダメなら、後は何をしても無駄だとさえ思える。

 

寝る前に旅行の支度を整えていると、沙都子が話しかけてきた。

 

「たまにはいいですわよねぇ……こういうのも……せっかくの終着駅ですもの」

 

沙都子は能天気に状況を楽しんでいるようだ……。

この子にも少しは緊張感を持って欲しいけれど、怯えているよりはマシだろう。

 

「ふたりで旅行なんて初めてで、僕もうれしいのです」

 

「別にそういう意味ではありませんですことよ……でも、そうですわね」

 

「……それにしてもレナと詩ぃがラブラブなんて想像もできなかったのですよ」

 

「一応、レナさんとはきちんとお約束いたしましたから。……レナさんご本人には、聞こえていなかったでしょうけれど」

 

「何の話なのです?」

 

「それに、お世話になった方にはぜったいに幸せになって欲しいんですもの。毎回毎回、あんなことになって……本当にお可哀想でしたわよねぇ。こんなことで償いになるかはわかりませんけれど……これでもわたくし、今回の仕掛けに関しては、それなりに苦労しておりましてよ?」

 

物事にはタイミングが肝要ですの、とウインクする。

 

「またトラップを仕掛けたのですか?危ないのはダメなのですよ、沙都子……」

 

「梨花、何の心配も要りませんわ……この世界では梨花が大切なことを忘れない限り……こわいことはなんにも起こりませんのよ?ご安心くださいまし」

 

「僕もそう思いたいのです……」

 

沙都子の言うとおり何も起きないのが一番だ。

まだ惨劇が起こると決まったわけではないのだから。

 

「まぁ、多少の障害は恋にはつきものですしね……ところで梨花ぁ、バイクってけっこう重いんですのねぇ」

 

「そんなもの落とされたら、僕はペッチャンコなのですよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんダラズがぁッ!!わしの女にアヤ付けよってどういうつもりンね!?」

 

夜、庭に面したリビングの鎧戸を破って、いきなり乱入してきた男が怒鳴った。

やっぱりこうなってしまった……。分かってたはずなのに、何もできなかった。

 

私はここではないどこか別の世界で……この男を殺している。それどころかリナという父の愛人も殺してしまった。それがきっかけとなって私は……。

 

だから殺さなければ何とかなる、一人で大丈夫って、軽く考えて対応を誤ってしまった……。魅ぃちゃんは高校やおうちのことで忙しくてなかなか会えない。圭一くんは頼りにならないし、梨花ちゃん沙都子ちゃんに相談してどうなるものでもない。

 

詩ぃちゃんには絶対に、私のこんなみじめな状況を知られたくなかった。

好きな人の前では、幸せでふわふわで可愛い女の子のままでいたかったから……。

 

「ぅおぉおらあぁッ!!黙っとンたらええと思いよるンがあぁぁッ!!」

 

お父さんは男に怒鳴られるまま、怯えてうなだれてしまっていた。

私がお父さんを守らなきゃ……また、またおうちが壊されちゃう。

 

……物置にある大きな斧や、重く鋭い鉈が、脳裏をよぎる……。

 

「はろろーん!レナさぁん!お元気です~?」

 

破られた鎧戸の間から、詩ぃちゃんがひょっこり顔を出した。

 

「詩ぃちゃんっ!?」

 

最悪。一番見られたくない相手に、こんな辛い場面を見られてしまった。

……いや、そんなことより詩ぃちゃんが危ない!この男に何をされるか……!

 

「なっ、何じゃいな……誰なんね、お前は……?」

 

「ほらほら、こっちですよぉ?」

 

詩ぃちゃんはそう言いながら、男の肩を叩いた。

男がそちらを振り向いた瞬間、反対側から首筋に何か黒い道具を宛がった。

 

ぶぶぶ、と何かが振動するような音と、ぱぱぱ、とはじけるような音が鳴り響き、髪の毛が焦げたような臭いと、青臭いような漂白剤のような匂いが漂う。

 

男はそのまま人形のようにうつ伏せに倒れ、動かなくなった……。

 

「葛西?ゴミ処理、お願いします~♪」

 

「やり過ぎです、詩音さん」

 

「これくらい当然の報いですよ?……私のレナさんに手ェ出しやがってよォ……ハラワタブチまけられなかっただけありがたく思いやがれってんだ!おらぁっ!」

 

いつも優しい詩ぃちゃんの、聞いたこともないようなドスの利いた声。

倒れた男のわき腹に全力の蹴りが突き刺さり、情けないうめき声が上がった。

 

「ほらぁ、生きてますよ?出力下げてありますし、大丈夫、大丈夫☆」

 

「詩音さん、もう少しお淑やかに願います……茜さんにまた叱られますよ」

 

葛西さんがあごをしゃくって示すと、黒服のおじさんたちが次々に現れ、倒れた男を引きずって連れて行ってしまった……。

 

「葛西ー、殺しちゃ駄目ですよ?」

 

「あんな三下、殺す価値もありませんや……せいぜい真面目に働かせてやります」

 

何が起こってるんだろ……だろ……。

突然起こった出来事が上手く理解できず、ぽけーっと惚けてしまう。

 

「あの女は先に、園崎系列の山奥の例の現場に連れて行かせました。使い込んだ額も吐かせましたよ。あれくらいなら、二匹合わせて半年もあれば十分返済できるでしょうよ……これで四方八方丸く収まり、世は事もなしというわけです」

 

「それは重畳、うんうん、やっぱり葛西は頼りになりますね~」

 

葛西さんの言葉で、やっと状況がつかめてきた。

つまり、詩ぃちゃんがあいつらをやっつけて、私を守ってくれたんだ……。

 

「し、詩ぃちゃんっ……!」

 

「あ、れ、レナさんっ……これは違うくて、ですね……その……」

 

あわあわと両手を振って真っ赤に赤面する詩ぃちゃん。

こんなに恥ずかしがり屋さんでかぁいいのに、すっごく格好よくて……。

 

「詩ぃちゃぁん!だいすき!」

 

「わわ、レナさっ……んちゅ……むぐうふ……!」

 

詩ぃちゃんの胸に飛び込み、キスをする。柔らかな唇を強く吸う。離すと、詩ぃちゃんの熱い吐息が鼻に当たって……私は鼻をこすりつけて甘えた声を出す。

 

「詩ぃちゃん、ありがと、だいすき……すき、すきっ……♥」

 

「れ、レナさぁん……こんな所でっ……ちょっ、お父さんが見てますって……」

 

野暮なことを口走るその口を塞いで黙らせる。詩ぃちゃんが観念して私を抱き締めてくれる。大きなお尻を両手で揉みながら、股に膝を割り入れて脚を絡ませる。

 

詩ぃちゃんがレナに幸せをくれた。レナは生まれてきてよかったんだって、レナが生まれてきたのは、詩ぃちゃんに愛されるためなんだって、大事なことをたくさん気づかせてくれた……。私は、詩ぃちゃんが大好き……。

 

レナ、詩ぃちゃんに逢えて本当によかった……。

 

「れ、礼奈……お、女同士で?そっ、そうか、そうだったのか……お父さん、娘のことなのに何も知らなかったよ……お前はいつの間にか大人になっていたんだなぁ礼奈……それに比べて、父さんは恥ずかしいよ……」

 

「あんた、気付けたじゃねぇか……まだ若いんだ、いくらでもやり直せる。まっとうに働いて、娘さんを笑わせてやりな」

 

「あぁ、誰だか知らないがありがとう……そうだね、私も必死に頑張ってみるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……まだ6月なのに、けっこう暑いですね」

 

電飾に飾られた夜の古手神社の境内は、祭りの客でごった返している。

「昭和60年綿流し祭」のポスターが貼られた集会所の壁にもたれかかった。

 

「そうだねぇ、詩ぃちゃん。あ、じゃあかき氷食べよっか!」

 

「あはは、私は遠慮します……早食い競争で食べ過ぎちゃって」

 

お姉によれば七凶爆闘という名の"部活"だそうだが……縁日の屋台フードをとにかく早食いして競争するというわけのわからないバトルを強要されたのだ。掃除機か何かのように何もかも吸い込んでいくレナさんは恐ろしかった……。

 

この上、あの大盛かき氷を食べようなんて……レナさんの胃袋はバケモノか。

 

「詩ぃ~ちゃん!えへへ、詩ぃちゃんの浴衣かぁいいんだよ?だよ~?」

 

急に私の腕に抱き着いて甘え始めるレナさん。全身で楽しそうにはしゃぐレナさんが可愛くて愛しくて……思わず抱き寄せて頬をくっつけてしまう。

 

「ま、まさか梨花ちゃんと沙都子だけじゃなくて、レナまでそうだったなんて……あんな、あんな思わせぶりな……全部天然だったってのかよッ!?」

 

前原圭一がひとりで頭を抱えてとんでもないことを叫び出した。そのただならぬ様子に通行人が振り返る。本当にデリカシーのない男だなぁ……。

 

「残念だったねェ~?圭ちゃん。レナのこと狙ってたもんねぇ~?」

 

「沙都子だって俺んち来てメシ作ってくれたり、赤面したり、絶対俺に気があると思ってたのによ……クソッ!俺の青春はいったい何だったってんだッ……!?」

 

「でもほらぁ、ね?女の子ならこ・こ・に……青春しちゃっていいんだよ~?」

 

おっとぉ、お姉も頑張るなぁ……。

 

「魅音!どうせお前もそうなんだろうがよッッ!俺は絶対に騙されねぇからな!」

 

「け、圭ちゃん!何言ってんのさ!なわけないでしょ!?」

 

「嘘だッッッッッ!!!」

 

「嘘じゃないよぉ~!何でそんな嘘つく必要があんのさ~!」

 

「抜かしやがれ魅音ッッ!見てろ、俺もこの高校生活で!すんごい美人で!乳がでかくて!可愛い彼女を!作ってやるぜえぇえぇぇっ!」

 

「圭ちゃぁあぁぁん!そ、そんなぁ~!」

 

好きな相手が鈍感だと苦労するなぁ。頑張れ、お姉。

 

「あはは、圭一。意地悪はそれくらいにしといてあげなよ」

 

「悟史!俺の心の兄貴ぃ~!お前だけだよ、信じられるのは……!」

 

「ちょっと圭一、急に抱き着かないでよ、暑苦しいって……」

 

「うわぁあん、もう!悟史が圭ちゃん取ったぁ~~~!」

 

あれから、失踪したという北条家の少年がひょっこり帰って来たのだ。

頭を打って記憶喪失とやらでどこかで保護されていたのが見つかったらしい。

 

私と北条悟史は同じように過年度生としてレナさんや前原圭一と一緒に、同じ興宮高校に進学したのだ。レナさんと同級生になれるなんて思ってもみなかったな。

 

……レナさんを助けたあの6月から、一年が経った。

 

あのとき、はじめはあんな奴ら1500秒もあれば殺せると思った。自分の敵なら何人でも殺せる。わたしはそういうことが簡単にできてしまう人間なんだ。

 

スタンガンで動きを止めれば、非力な私でも簡単に殺せる。死体遺棄だって園崎なら絶対に見つからない場所に隠すことだって簡単だ。でもそうはしなかった。

 

もしレナさんが悪いことをしたからといって殺されたりしたら悲しくて死んでしまうだろう。いや、きっと仕返しを考える。……同じ目に遭わせてやると。

 

それは終わることのない憎悪の連鎖だ。

だから私は、鉄平やリナを許そうと思った。

 

スタンガンでリナを仕留めたあと、そのまま電話ボックスから葛西に連絡をした。

これこれこういうことなんだけど、殺さずに終わらせるにはどうすればいいか?

 

あとはすべて、あの葛西が段取りを整えてくれたのだ。

葛西の助けがなければ、私は許すことができなかったかもしれない。

 

まぁ、許すとはいっても、葛西が斡旋した仕事は違法性はないが重労働で辛いものだと聞いている。鉄平はどこか山奥の工事現場で土木作業員、リナはその現場の炊事洗濯などをさせられるそうだ。

 

あいつらが騙し取って使い込んだ金は園崎系列の貸金業者が立て替え、返済が終わるまで半年くらいのあいだは逃げることもできない。それでおしまい。

 

私は、それ以上の復讐を望む気にはなれなかった。

 

それに、私が殺人を犯して隠しおおせても、その後私の精神が耐えられるかは別の問題だ。私が変わってしまえば、一番悲しむのはレナさんなのだから。

 

私の生い立ちは色々と酷かった。納得したつもりでも、祖母にも母親にも姉に対しても消えないわだかまりがあった。私は誰にも愛されない余計者なんだと思っていたくらいだった。それは割り切った今も、やはりどこかでくすぶっている。

 

……だから、私は何のために生まれたのか分からなかった。けれど、私は、レナさんに出会ってはじめて……人を愛する、ということを知ったのだ。

 

おかしな話だが……聖書の中の愛でいえば、私はあの二人を愛したということになるのだろうか。汝の敵を愛せよ、なんて悪い冗談だと思っていたけれど。

 

 

 

 

 

 

 

神社の石段の下の沢のほとりで、文字通り綿を流す。

 

身体を叩いた後、そっと水面に置くと、他の村人が流した綿と一緒に、流水に落ちた花びらのようにくるくると回りながら流れていった。

 

レナさんは目を閉じて、熱心にオヤシロ様に祈りを捧げている。

そんなもの信じちゃいない私と違って、信心深いんだなぁ。

 

「詩ぃちゃん……」

 

「うん?どうされました、レナさん」

 

「レナね、こないだ……お母さんに電話してお話したの」

 

「お母さんに……そうですか」

 

浮気相手と出来婚してレナさんを捨てたとんでもない母親だっけ。まぁあの父親を見れば理由もわかろうというもの……いや、今は知人の立ち上げた会社でバリバリ働いて真面目にお父さんやってるんだっけか。

 

「前に詩ぃちゃんに言ったよね。家族を憎むような自分を憎むようになるって……だからね、レナ、お母さんを許そうと思ったの……」

 

それは……家族を憎いと思う、私を救ってくれた言葉だった。

 

「生んでくれてありがとうって、そう言ったら、お母さん泣いてた……」

 

「そうですか……本当によかったですね、レナさん」

 

「うん。私の妹の名前、菜央ちゃんっていうんだって……まだアキヒトおじさんのことは許せないけど……大きくなったら、いつか妹に会ってみようって思うんだ」

 

「いいと思いますよ、姉妹って……とっても心強いものですから……」

 

「そだね、詩ぃちゃんと魅ぃちゃん見てると、すっごく羨ましいもん」

 

レナさんはお姉と私がじゃれ合うところを思い出すように、くすくすと笑った。

 

「そういえば私も、仲直りした相手がいるんですよ、ルチーアの子です」

 

「ルチーアって、詩ぃちゃんが行ってた遠くの学校の?」

 

「ええ、こっちに帰って来る日に告白されたんですけどね。私、全然恋愛に興味なかったし捻くれてたから、ひどいこと言って泣かしちゃって……あは」

 

今になってみると、本当に悪いことをしたと思う。

断り方なんていくらでもあったはずなのに相手をわざと傷つけた。

 

「面会も電話もアウトな学校なんで、手紙で、ですけど……ひどいこと言ってごめんねって、もう彼女がいるから気持ちには応えられないけど、わたしもこっちで頑張るから、あなたも頑張ってねって、そう送ったんです……」

 

「……どう、だったのかな?」

 

「それがですね、お堅いお嬢様かと思えば、結構面白い子で……ってレナさん?」

 

ふと見ると、ぷくぅーっと頬を膨らませてレナさんが拗ねていた。

 

「詩ぃちゃん、それって浮気なのかな?……かな?」

 

「ちっ、違いますよ!私が好きなのはレナさんだけですっ」

 

「ふふっ、レナもだよ!だよ!」

 

笑ったレナさんに抱き着かれ、からかわれたことに気づく。

もう、レナさんってば……意地悪なんだから。

 

「……レナさん、私を好きになってくれて、ありがとうございます」

 

「うん、レナと詩ぃちゃん、一生ずっと一緒にいようね……♥」

 

「はい……ずぅーっと一緒です……レナさん……♥」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……夢を見た。とてつもなく長い長い夢。

 

それは……私が昭和57年にルチーアを脱走して、雛見沢へ戻った世界のお話。

 

その世界では私はレナさんと逢うことはなく……何故か、あの冴えない少年……北条悟史と出会ってはじめての恋をするのだ。しかもドがつくほどの片想い。

 

何もかもがむちゃくちゃで、荒唐無稽な夢。

 

でも不思議とその夢には妙な現実感や説得力があって……確かにここではないどこかの世界ではあったことなのだ、と理屈を越えて納得させられた。

 

現実世界と夢の世界には……違いがあった。因習が消えていないのだ。

だから帰宅しても歓迎されることなどなく……引き続き、邪魔者として扱われた。

 

失踪した片想いの恋人を、ばっちゃ率いる園崎家に殺されたという意味不明の妄想を思い込んだ私は、祟りの実行部隊だの暗殺集団だの訳の分からないものに怯え、発狂して、公由のおじいちゃんやばっちゃ、お姉を次々に大勢殺して……。

 

レナさんの鋭い推理に追い詰められるシーンなんて、まるで映画みたい。

 

北条悟史だけじゃなくて、前原圭一にも惚れてます~、みたいな感じの私はまるで本来の私とは別人みたいに尻軽な女で、自分自身だと思うと辟易させられる。

 

上一色のマンションから飛び降りて、頭から血を流して、殺した相手の血と自分の血にまみれて血の海でのたうち回る地獄の鬼そのものの私は……。

 

生まれなければ良かった、生まれて来なければこんな思いをしなかった、私が生まれなければ誰も不幸にならなかったんだと……いつかの私のようなことを呟いていて。

 

 

『どうして、生まれてきてしまったんだろう……』

 

 

あんたはみんなに愛されるために、好きな人を愛するために生まれてきたんですよ。

 

信じられないかもしれないけど、どうやらそーいうことらしいです。

 

 

『私は、私は誰にも……愛されなかったから……』

 

 

あは☆ じゃあ……私があんたを愛してあげますよ……変な話ですけど。

 

 

『生まれてきて……ごめんなさい……』

 

 

ねぇ、私は今……みんなに愛されていると知っているから、みんなを愛しているから……自分が何のために生まれてきたのか分かりますよ。

 

だから……ね?……私が、私を、許してあげます。

 

あんたが、私が、生まれてきたのは、愛するため、愛されるため。

 

だからもう、謝らなくていいの。

 

ここにいて、いいんだよ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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