愛する恋する、それはいつも狂気と共に。
人はどこか、壊れていく。
それでも、それでも。
夢の浮き世を、ただ狂えーー
歪な関係の始まりは、突然だった。
千夏先輩との同居が始まって一月近くが過ぎたある日、それは起きてしまったのだ。
俺は千夏先輩が好きで、でも本人にはそんな気はない。俺は単なる同居人、或いは単なる後輩。その筈だった。それがあの夜、崩れ去った。形だけ残して、全てが熔けて消えた。
俺はあの時、千夏先輩に――犯された。
息も出来ないほどの驚きと、全身へと伝わってくる痛み。膝から崩れ落ち金縛りになった俺を見下ろす千夏先輩は、天使のような微笑みを湛えている。
何が起きたのか、全くわからない。風呂から上がって部屋に戻ったら千夏先輩がいて、どうしたんだろうかと声をかけようとした。でも声を発する暇もなく、俺の口は塞がれてしまった。――先輩の、唇に。
キス、した。千夏先輩に、キスされた。そばにいるだけで心臓が沸騰しそうなのに、何百段も段階をすっ飛ばし、恋人同士でしかしちゃいけないことをしている。これは良くないことだ、あってはいけないことだ、その思いが思考を停止させてしまう。それが、更に良くなかった。
身体を僅かに離した先輩の手は、俺の死角。モーションの無い瞬発力だけの拳が、鳩尾へと突き刺さっていた。そのまま俺は立っていられず、今に至っている。
一体何がどうなったのかわからない、思考は何一つ纏まらない。キスされ殴られ、なんだこれ。明らかに異常な事が起きている、千夏先輩が壊れているのか俺が何かやらかしてしまったのか、それさえ分からない。
それでも、それでも。どうにか、しなければ。
「先輩、あの、何……、をっ」
なんとか絞り出した声はでも、相手にさえされない。事も無げに笑った先輩は、しゃがんで俺に視線を合わせてはきれたが、発せられた言葉は俺の期待した事では無かったのだ。
「大喜くんが、悪いんだよ。自分が可愛いって分かってないでしょ?」
意味が分からない、一方的な物言い。俺が悪いから、殴ったのか。可愛いから、キスしたのか。その二つが繋がるわけがない、何一つ分からない。言語明瞭意味不明瞭、というのかこういうの。先輩の笑顔が怖い、まるで宇宙人か何かのようだ。
「大喜くんはね、無防備過ぎるの。こんなに可愛いのに無防備なんて、私どうにかなりそうだったんだよ」
いや実際おかしな事になってますが。更に不味い事に、しゃがんだせいで胸元がチラチラと見えたり見えなかったり。どうすれば良いんだ、俺は。
とりあえず目を背けようとしたその時、今度は頭を捕まれて。再び先輩に、キスされてしまった。
さっきよりも長く、熱く、激しいキス。頭の芯が蕩けるようなその快感に、ほんの僅か意識が緩んでしまう。その隙を、先輩は逃さない。
「ん……、ぁぅっ」
唇を名残惜しげに離した瞬間、胸を思いきり突かれてしまった。そのまま身体が支えを失って、膝を立てた状態で倒れてしまう俺。強かに後頭部を打ち付けてしまうも、意識はそれより先輩へと向いている。今の先輩は、おかしい。何処かが壊れている、そんな感じだ。一刻も早く逃げなければいけない、そう思いながらも身体は言うことを聞いてくれない。と言うか、両足が動かない。先輩の手が膝を捕まえ、ギリギリと音を立てながら押し広げているから。
「せ、先輩、やめ……っ」
不味い、それは不味い。不味すぎる。広げられた足の間が、先輩の前に晒される事になってしまう。さっきのキスの後だから、不味すぎる。敏感に反応して設営されたテントが、先輩の視界に入ってしまうから。
「わ……っ、元気だねぇ……」
そこを見詰めながら嬉しそうに目を細める先輩、そして消え去りたいほどの羞恥に襲われる俺。いっそ罵倒されるくらいならまだ良かった。そうするのが当然だろうから。今の先輩は、想像以上におかしくなっている。そして本人は、それが俺のせいだと言っている。手を振り回して抵抗しようにも、この姿勢では上手く力が入らない。
そうこうしている間にも先輩の顔は、足の間へと入り込んで。……俺の唇にしたように、膨らんだ布へとキスをした。
「う、ぁっ」
布越しでも感じる、唇の柔らかさと吐息の熱さ。ゆっくりとなぞるようにはい回る感触は、信じられない程に気持ちいいがすさまじい罪悪感を連れてくる。妄想で思い描くことはあった、でもそんなの実際には有り得ないし有ってはならない。先輩と俺が、そういう関係になるなんて。先輩はそんな人じゃない、穢すなんて許されない、そうでなければ俺たちは同居人でさえいられなくなる。
心では分かってても、身体が勝手に反応していく。血が集中し、股座が屹立していくのが分かる。
「えへへー、大喜くん可愛いねー。良い子良い子ー」
いつのまにか俺の膝から離れていた先輩の手が、下着の中へと入り込み、俺をなで回していく。一番汚い部分を、一番大切な人に弄ばれている。でもそんな背徳感は、快感に押し潰されてしまう。気が付けば下を脱がされ、先輩の目に俺の欲望が晒されてしまっているのに、抵抗さえ出来ない。
でも、それでも。天井を指して聳える俺を跨いで立つ先輩の姿に、息を吹き返した理性が警鐘を鳴らしていく。この先は、ダメだ。許されない、こんな事を受け入れてはいけない。
「先輩、やめ――」
声を発するのと入れ違うように、先輩の身体が大きく沈み。そのまま俺の腰へと、着地した。
みしり、と音を立てたのは床か俺の身体か。どちらでも構わない、どうでも良い。俺の意識は、視線は、ただ一点に向かってしまう。着地した先輩と俺の、接触部へ。いや、それはもう――結合部、だ。
先輩に、喰われた。そうとしか思えなかった。俺自身が視界から消え失せているのは、呑み込まれたからだ。
両手で握りしめるような凄まじい圧力と、灼け落ちそうな熱。セックスという行為を知らない訳じゃない、知識はある。それに俺はずっと先輩が好きで、だから妄想してしまった事もある。将来もしかしたら、と思いもした。
でも、まさか。こんな形でするなんて。こんな、暴力的に奪われるなんて。
「あー……、やっと出来たぁ……。ずーっと、したかったんだよぉ……?」
繋がったままの身体がゆらりと前に倒れ込み、顔と顔が密着しそうになりながら。先輩はそう言って、笑っている。
「大喜くん可愛すぎるからさ、私毎日ムラムラして大変だったんだよ……? 毎晩オナニーしても全然ダメで、おかしくなりそうでさぁ……」
蕩けそうな顔で言うのは、あまりにも顔にそぐわない言葉。先輩が、そんな。まさか、そんな。
動揺する俺を弄ぶように先輩の腰が動き、そしてその内側もゾワゾワと俺を責め立てる。セックスしている、という事実。有り得ない状況が止まらない。
「全部大喜くんが、悪いんだよ。可愛すぎるのに隙だらけでさ、襲ってくれって言ってるようなもんだからね?」
勝手なことを言うもんだとは思うけど、でも聞いている隙がない。
血が出そうなほど拳を握り締め、歯を食いしばって。渦を巻く快感の濁流を、必死で食い止める。このまま射精してしまう訳にはいかない、それだけは堪えなければ。
だが、しかし。その我慢が気に障ったのか、先輩は頬を膨らませて。――俺の首に、手をかけてきた。
息は出来るが首の血管が圧迫され、血流が滞っていく不快感が止まらない。
「大喜くんはね、素直な方が可愛いよ?」
天使のような笑顔が、恐ろしい。このままこの人は、笑顔のまま俺を殺す。そう確信する程に、迷いの無い視線。
命の危機が迫ったせいか、身体の疼きが加速していく。生命維持を最優先に、身体が勝手にそう判断してしまう。
「このままエイッてしたら、もう私に逆らわない
死ぬ。殺される。すぐ目の前に、死が迫っている。
末期の本能が、理性の枷を蹴り崩しそして。
「ん、あー……」
射精が、始まった。
どんなに拒もうとしても、一度出始めてしまったものは止まらない。頭の奥では最悪のイメージだけが沸き上がって、心を塗りつぶしていく。先輩の胎内を汚している、取り返しのつかない事をしている。このままもし妊娠でもしたならば、俺も先輩も破滅する。それなのに当の本人は、満足そうに笑っている。
「あー……こんななんだー……。中でドクドクいって、大喜くん可愛いなぁ……」
俺の首から離れた先輩の手は、いとおしげに自分のお腹をなで回している。
射精の脱力感と押し寄せる罪悪感に耐えきれず、俺の意識はブレーカーが落ちたように消えて失せた。
あれから何日かが過ぎても、先輩は相変わらず
とんでもない事を言わないでほしいと思いはしたが、表立って逆らうとどうなるかわかったもんじゃない。千夏先輩は、怖いから。だから素直に、犯されよう。
夜が来る度に俺は怯えてしまう、でも一方で期待する気持ちもある。気持ちいいのは事実だから。逆らって殺されかけるより、黙って先輩に犯される方が俺にとっても良い筈だ。きっと。そんな風に抵抗を止めたのは、きっと良くないことなんだけど。頭の中には澱が詰まって機能不全を起こし、楽な方へと流れていく。
仕方ない、そう思いさえしながら、今日もため息と共に帰宅する俺。
学校での先輩は、いつも通りに凛々しくストイックだ。俺を犯してストレスを発散しているのであれば、もうそれで良いや。お役に立てて光栄だよ、まったく。そんな何処か捨て鉢なまま玄関を開けるけれど、母さんたちの気配はない。
そう言えば朝、何か言ってたな。遅くなるとかそういうのを。父さんもじいちゃんもいないし、暫くは先輩と二人きりか。まったく、ゾッとしないな。少し前の俺なら戸惑うなり喜ぶなりしたんだけど、今はそうもいかない。あの人は、怖いから。
……先輩の靴はあるけど、もう部屋に上がっているんだろうか。このまま下にいたら、また癇癪を起こしかねないな。そう思いつつ階段を登ると、何か違和感を覚えた。先輩の声とは違う、何かが漏れ聞こえてくるのだ。
電話をしている感じじゃないし、他に誰かいるんだろうか。同居バレしないように自分の居住地は秘密にしている筈だから、友達を連れてくるってことも無いだろうに。
「あ、大喜くんお帰りー」
思考が纏まるより先に先輩がドアから顔を出し、こっちこっちと嬉しそうに手招きしてきた。このままなら可愛いし嬉しいんだけど、ちょっと臍を曲げると俺を殺しかけないからな……。とりあえず荷物だけ自分の部屋に放り込んで、急いで隣へ行くと。
そこにはいつもの先輩と、そして。震えながら土下座している、雛がいた。脱いだのか脱がされたのか、恐らく後者だろう、雛のものらしい服はあちこちに散らばっている。身体には目立つような大きい傷こそ無いけれど、その怯え方は恐らく、先輩に手酷くやられたんだ。俺と、同じように。
「蝶野さんってさ、大喜くんが好きなんだってさ」
笑顔を少しだけトーンダウンさせた先輩の言葉は、重く突き刺さる。それは、感じていなかったわけじゃないけれど。でも、気のせいくらいにしか思ってなかった。
「それでねー……、私と張り合おうとしたんだよ。そう来たら、私もちょっぴり本気出さないといけないからさ」
ちょっぴり、この小柄さにも関わらずエースを張ってる規格外の剛力で、ちょっぴり。それは、殺人未遂と言うんじゃないか。
戦慄する俺に、千夏先輩は再び微笑む。
「でね、折角だからさ。大喜くんが私のモノだって、教えてあげようかなって」
俺が痛め付けられるくらいならまだ良い、でも雛が同じ思いをするのは嫌だ。だから俺は今日もまた、先輩に犯される。雛の前で、犯される。
「ん、今日も元気だねー。良い子良い子」
接合部を見せ付けるように、俺に跨がって腰を振る先輩。「目を背けたら、抉り取るからね」と爽やかな笑顔で脅された雛は、涙を流しながらも視線をそこから離さない。この人がどれだけ恐ろしいか、思い知らされたんだろう。
俺も雛も、何も言えない。何も出来ない。ただ先輩の艶っぽい嬌声と、粘度の高い水音だけが部屋を充たしていくだけだ。
身体は身体で素直になり、そしてあっけなくその時が来る。
「ー、あっ……出てる出てる……」
射精を受け止める先輩の顔は、狂気を隠しているとは思えないほど美しい。その膣内は優しく俺を包み込み、愛してくれているのに。どうしてこの人は、あんなにも恐ろしいんだろう。
長い射精が終わると先輩は満足そうな顔で立ち上がり、それから。
それから、雛の顔の前で自身を割り拡げる。二人分の体液が雛の顔を汚し、その涙さえ塗り潰していった。
「蝶野さん、美味しい? これが大喜くんと私の味、だよ?」
いつしか雛の啜り泣きは滂沱になり、そこに呻くような声も加わっていく。これは、危険だ。そう本能が警告する。先輩の機嫌を損ねてしまう、直ぐにでも止めさせないと。本気で、――殺されてしまう。掛け値なしに、そう思ってしまった。
でも、千夏先輩は。ニッコリと笑って。
雛の唇にキスしていた。
泣くことさえ忘れて呆然とする雛、同じく動けない俺。
「そんなに泣かないの。ちゃんと蝶野さんにも、させてあげるから」
何もかも、分からない。この人の思考はなに一つ、理解できない。きっと雛もそう思っているだろう。でも千夏先輩が、それを気にかける事なんか無い。この人は何処までも、狂っているんだ。
抵抗する気力も見えない虚ろな瞳のまま、雛の身体が俺の上にゆっくりと動かされる。まるで荷物のように、脇に手をかけて抱えられながら。相変わらず持ち主を無視して猛るもう一人の俺の、真上へと。
揺すりながら照準を合わせられ、そのまま先輩が雛を「はい、行ってらっしゃい」俺目掛けて降り下ろす。
ぐちゅりと音を立てて雛の身体が沈み、一瞬その眉間に切なげな皺が寄って。でも声さえあげることなく、雛は俺に貫かれていた。
雛の中は、先輩よりもどこか柔く弱々しく思える。当たり前か、これは雛の望みじゃない。気持ちを踏みにじっているだけだ。でもそれをやらかしている本人は、雛の腰をつかんで楽しそうに上下させている。人の気持ちなんかどうでもいい、と言わんばかりに。
この人は、恐ろしい。
「んー、大喜くん、このまま出してあげてね。きっと蝶野さん、悦んでくれるからね」
雛の表情に一瞬走った怖じ気、それを俺は見なかった振りをする。千夏先輩には、逆らえない。だから、……申し訳ないけれど。言われたとおりに、するしかない。
「――っ、……!」
膣内を汚されたのを感じたか雛は声にならない叫びを上げ、千夏先輩は嬉しそうな顔で雛のお腹を撫でている。幸せそうに、笑っている。俺たちを虐げて、楽しそうに。
それから。この歪んだ夢のような関係は、終わることなく続いている。相変わらず千夏先輩は狂ったままで、俺も雛も全てを諦めた。この先に何が待ち受けていようと、もうどうにもならないから。起こることを受け入れるしか、無いんだ。
そう覚悟してしまえば、気持ちも少しは楽になるから。機嫌を損ねない限り先輩は優しいし、セックス自体は気持ちが良いから。緩慢に死んでいく心から目を背け、それだけを考えて生きる。それしかないから。
この歪な三角形は、崩れない。誰かが死ぬまで、きっと。ずっと。