殺し飽き、泣き飽きて、枯れてゆくにも飽いた私は、再び彼女の小屋に向かう。そこで、すべてが終わるはずだった。  

※この作品は、「傷跡」(https://syosetu.org/novel/284007/)の続編です。未読の方は、そちらからお読みください。  
※ミッドナイトノベルズにも掲載しています。

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証明


 

  真っ暗な部屋にじっと寝転がっていると、ときおり時間が止まったかのような錯覚に陥る。

 

  屋敷の廊下や扉を通じて、どこからともなく染みこんでくる光の加減を見ていれば、夜が明けて、昼になり、日が沈んだくらいはなんとなくわかった。だけど日が沈んでからの長い長い時間は、私の呼吸と心臓の音以外に、なにも時の進みを証明するものがなくて、そうしてただ闇の中を見つめ続けているうちに、その二つすらも不意に消え去ってしまったように感じることがあり、そのとき私は、もうこのまま世界の何もかもが凍りついて死んでしまえばいいのにと思いながら、ひょっとするとその間だけ寝ているのかもしれなかった。

 

 

  あの夜、私はあらん限りの力で妹紅を犯した。

 

  犯して、殺して、犯して、嬲って、殺して、ときどき罵倒し、犯して、殺して、吐瀉物(としゃぶつ)を浴びせ、少し休んで、殺して、犯して、殺して、殺し続けた。

 

  日が高く昇ったころ、腹が減ったな、などと笑いながらふと思い、気がついたら永遠亭に戻っていて、そこらにあったものを手に触れるまま口に放りこみ、また気がついたときには妹紅を犯しながら殺していた。合間のどこかで、師匠が私の手足や顔に薬を塗ったりしていたような気もするが、それが現実だろうと幻覚だろうと、もうどうでもいいことだと思っていた。

 

  妹紅は、何も抵抗しなかった。ただあの穏やかで空虚で腐った哀しい笑顔を浮かべたまま、黙って私に犯され、汚され、殺され続けた。抵抗どころか、ほとんど何もしようとしなかった。ただ、あの教師がひどく取り乱した声を上げながら駆け寄ってきて、妹紅から私を引き剥がそうとしたときに、放った業火と短い拒絶の言葉だけで、彼女を追い払った程度だった。

 

  そんなことを一体どれだけ続けたのか、はっきりとはわからないけれど、そんなに長い日数ではなかったのは確かだ。たぶん数日で、私はあっさりと耐えられなくなった。狂ってしまったフリをすること、狂ったつもりで妹紅を蹂躙(じゅうりん)することにだ。

 

 

  どれだけ妹紅を犯して殺しても、彼女は私に対して怒りも憎しみも、かすかな嫌悪すらも向けることはなかった。

 

 

  少し考えればわかる、当たり前のことだった。私よりも遥かに濃く、穢れにまみれた時間を生き、どんな人にも妖怪にも不可能な方法で姫と殺しあってきた女は、私ごときが何をしようと、ほんの小さな痛痒(つうよう)も感じるはずはなかったのだ。あいつは永遠で、私は一瞬だった。少なくとも、そんな痛痒をあいつに与えるほどのことをするには、私はあまりに正常すぎた。

 

  それにようやく気づいた私は、ただ泣きながら竹林をさまよって、ふと涙が途切れたときには永遠亭にいた。どこをどう歩いて戻ったのか、今度こそフリではなく本気でわからなかったけれど、これが帰巣本能とかいうやつなのかなと思った。一方でうっすらと、誰かが手を引いてくれていたような気もした。

 

  それから数日を、私は転がったまま泣いて過ごした。それからさらに数日か、数週間か、とにかく今に至るまで、ただ転がったままだった。もっとも、腹が減ったと思ったときには、部屋の外に置いてある食事を食べに這い出し、水を飲み、トイレに行けるくらいには、幸いにして、もしかすると不幸にして、まだまだ私は正常だった。

 

 

  師匠は、最大限に食欲の湧きそうな料理を、黙って作ってくれていた。それを擦り切れかけた頭で理解しながら、師匠が食事を持ってきて、扉越しにそれを伝え、そして去っていくときに、一言お礼を言うことさえも、私はできずにいたけれど。

 

  てゐの姿を見ることはなかった。手下の兎たちも。たぶん私の部屋には近づくなと命じているのだろうと思った。それが、誰の顔も見たくない、誰にも顔を見られたくない今は、ありがたいことだと微かに感謝して、その独りの空間をほんの少しだけ動いては、また寝転がる日々を私は続けた。

 

  姫は、私が泣きながらここに戻った直後、そしてその後も何度か、私を風呂に入れた。何もしようとしない私を持ち上げ、洗い、湯に浸け、乾かして、洗濯された服を着せた。ときどき、そして何度も、ごめんね、と呟きながら。

  だけど、そうして謝罪の言葉を繰りかえす姫の声は、やっぱりとても辛く悲しい響きに聞こえて、それが余計に私の胸をちくちく刺すと同時に、一方でそんな主人に対しても、どうしても泥のような黒い感情が湧き出してきてしまい、さらにそういう自分への嫌悪感までがのし掛かってくる重さに、やはり耐えられなかった私は、姫の呟きに返事をすることも、その顔を見ようとすることもなく、自分で入るからもういいです、と言って、ただ彼女に洗われるのを避けるためだけに、その言葉どおりにした。それきり、姫とは会っていない。

 

 

  もうすっかりその形に固まってしまったような枕に、頭をはめこんだまま思う。

 

  こんな時間が、いつまで続くのだろう?

 

 

  枯れ果てたと思っても、今も時々にじみ出てくる涙が、完全に枯れ果てて、やがて妹紅についての全てを心から諦めて、そうしてこの負の感情も消え、笑って暮らせるようになる日が、本当にいつか来るのだろうか?

  来るとして、それはいつのことだろうか? 十年後? 百年後? 計算上は存在しても、現実には到達不可能な、極限の彼方だったりはしないだろうか?

 

  もしくは、このまま私の精神がすり減って、遠からず本当の狂気に陥り、そしてそこに何かの安寧があるのかもしれなかった。でも、その時そこにいる誰かは間違いなく私ではなくて、だからそれは私にとっては何の意味もない仮説だった。

 

  失われた涙のぶんだけ乾いて萎縮した脳が、それでも時間の揺らぎの中で時々わずかに回復しても、そこで動き出す思考は毎回こんなゴールのない迷宮をさまようばかりで、結局はまた少しばかりの涙をしぼり出しては、その動きを止めてしまう。そして今夜も、そうやって止まろうとした頭に、師匠の足音が耳から届いて、それでちょっとだけ私はそれを保留した。

 

  食事の乗った盆を部屋の外に置く音がして、それからいつもなら、それを置いたことを告げる声が続くのだけど、今日は別な言葉が扉の向こうから聞こえた。

 

「鈴仙。姫と話して決めたことを、伝えます」

 

  何の感情もこもっていない、事務的な声だった。

 

「私たちは、もうあなたを縛らない。何の命令も要求もしない。あなたは、あなたの自由にしなさい」

 

  淡々と用件だけを告げる師匠の声は、あまりにも静かで冷たく、無機質な、今まで一度も聞いたことがない声色で、つまり、あえてそういう風に喋っている、とても不自然な声だった。

 

「私たちのことなど考えず、ただあなた自身のためだけに、自分の道を決めなさい。あなたの選択、すること全てを、私たちは許し、受け入れます。ただし……」

 

「いえ」

 

  付け足されようとした言葉の先を、どうしてだか普段ならありえない聡さで察した私は、そう言ってそれを遮った。

 

「それは、要りません」

 

 

「そう。ならいいの」

 

  ほんの少しだけ、何かの感情がにじんだ声のあと、足音は静かに去っていった。

 

 

 

 

 

  何の音もしなくなった後も、まだいくらか私の脳は動き続けて、ぼんやりと師匠のことを考えていた。

 

 

  あの人は、こうなることを予見していたのだろうか?

 

  予見した上で、何も言わなかったのだろうか?

 

  たとえ何かを言ったとしても、この結末は変えられないとわかっていたから……?

 

  そう、多分そうなのだろう。師匠に警告されるまでもなく、私自身これが危険な道行きだと、うすうす察していながらも、止めることができなかったのだから────

 

 

 

  それからまたしばらくの間、じっと寝転がっていた私は、やがて廊下に這い出して、冷めかけた食事を必要なだけ食べた。

 

  廊下の奥から誰かが私を見ていたけれど、顔を上げて見返すこともなく、私はまた暗い部屋の布団の上へ戻った。

 

 

 

 

 

  烏帽子を被った白黒が、なにかの魔術書を持って立っていた。その本を私と、隣にいる妹紅に向かって上下左右にぶんぶん振って、ページの隙間から新聞紙を撒き散らしながら、誓いたまえ、信じたまえ、と何度か叫んだあと、こいつは代金だ、と酒瓶を担いで竹馬に乗り、満月に向かって去っていった。

  地面についた竹馬の足の跡から、ぴょんぴょんと小さなてゐがたくさん飛び出してきて、お前は本当にバカだねぇ、結婚は人生の墓場って知ってるかい、などと言い、私を細いワイヤーで縛り上げて棺桶の中に押しこんだ。

  いつのまにか燻製になっていたてゐたちが、何匹も私の口にもぐりこんできた。それをなんとか飲みこんでいるうちに、紅白が私を見下ろしていた。おめでとう、と言ってにっこり笑ったその顔は、紅白ではなく姫様で、彼女が頭上に掲げた両手の上から、月より天より大きな団子が無数に千切れて降ってきて、そこで私は目が覚めた。

 

  部屋のどこかから染みこんでくる、なんだか妙に明るい光で、とっくに夜が明けていることに気づいた私は、珍しく長く寝ていたな、とぼんやり思った。

 

  それから起き上がり、少しの食事を取り、風呂に入り、歯を磨き、着替えて永遠亭を出た。

 

 

 

 

 

 

 

  ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

  小屋の扉を開けたとき、妹紅は正面の薄暗い壁際に座ったまま、あの濁った瞳で私を見て、やぁ、となんでもないような声を上げた。

 

「もう来ないだろうと思ってたんだけどな」

 

  少し首をかしげて浮かべた微笑は、単なる愛想笑いのようで、だけど気のせいか落胆しているみたいにも見えた。

 

「もう来ないよ。これが最後」

 

  小屋に踏みこみ、戸を閉める。そうしてから、こんな時でもついついそれを気にしてしまうものなんだな、と何だかおかしくなって、私はきっちりぴったりと閉じた戸を弾くように手を離してから、ほんのちょっとだけ口角を上げた。

 

「そうか」

 

  中身のない薄笑いを顔に貼りつけたままの妹紅は、私がまた彼女を殺しにきたと思っているようだった。その目の前に歩み寄り、上着を脱ぎ、シャツのボタンを外したところで、ようやく彼女の表情が少し動いた。私はそのまま服を脱ぎ続け、一糸まとわぬ姿になってから、どこか困惑したような彼女の顔にその言葉を投げた。

 

「抱いて」

 

  少しのあいだ私を見上げていた妹紅は、やがて完全な無表情になってゆっくり立ち上がると、無言で床に布団を敷き、そうして私を抱えあげた。

 

 

 

 

 

  小屋の中に響いているのは、私の立てる音だけだった。

 

  身をよじり跳ねる激しい動きで、床板がきしむ音。

  もう抑えることもなく、口からこぼれる熱い鳴き声。

  妹紅の指をくわえこんだ股間から響く、淫猥な水音。

 

  それから、彼女の名を呼ぶ声。

 

「妹紅……」

 

  ひくひく震える私の腰の、中心の突起が激しくこすられる。内側の天井、いちばん感じるところを指先が叩き、胸の先端がつままれ、吸われ、舌先で転がされる。

 

  細く高い声を、途切れ途切れに吐き出して、私は何度目かの絶頂に達した。

 

  それを確かめた妹紅の手が口が、その動きを止める。

 

  だけど。

 

 

「もっと……して……。妹紅……」

 

  いくらか呼吸が落ち着くや否や、またも私はそれを求めた。

 

  ほんの少しの間(ま)を置いて、また妹紅の手が動き出す。

  拡げ、かき混ぜ、引っかいて、後ろの孔にまで指が這う。

  恥じらいもなく足を大きく広げたままの体が、すぐに高みへ運ばれて、声と汁とを撒きちらす。

 

 

「妹紅っ……!」

 

 

  私は、何度もその名を呼んでいた。

  妹紅の指に鳴かされながら、そして絶頂するたびに何度でも、次の愛撫をねだりながら、何度も彼女の名を呼んだ。

 

  妹紅は何度も、何度でも私が求めただけ、私を抱いた。

 

  そして、何度私が彼女の名を呼んでも、私の名を呼んでくれることは、一度もなかった。

 

 

 

 

 

 

 

  小屋の窓から差しこむ光は、ほんのり赤っぽくなっていた。

 

  荒い呼吸を繰り返し、ぐったりと仰向けに横たわる私を、妹紅が静かに見下ろしていた。

 

  もう、その手も唇も、私の体に触れてはいない。

  もう、私がそれを願っていないからだった。

 

  いったい何度、どれほどの大声を小屋の外まで響かせたのか、わかりはしないし、考える意味もないけれど、とにかく喉が嗄(か)れるまで啼きつくして、ようやく私は妹紅を求めるのをやめた。

 

  満足したから、ではない。

  最後まで何一つ、満足できなかったからだ。

 

 

  これで、私と妹紅の関係は終わりだった。

 

  私も、妹紅も、もはや変われないとわかってしまった。

  だから、もう全てが、ここで終わりなのだ。

 

 

 

  私に残されていた道は、三つだった。

 

 

  一つ目は、戻ること。

 

  姫に秘密が知れる前の、あの曖昧で生ぬるい関係に戻り、そのままずっと浸り続けること。

 

  でも、やっぱり無理だった。

  今日このとき、数え切れないほど妹紅に抱かれて、それがわかった。いや、とっくにわかっていたことを、再確認しただけなのだろう。

 

  妹紅は、あの日々のように私を抱いてはくれなかった。

  名前を呼んでくれなかった。それ以外の、私の心を震わす囁きも、唇を重ねてくることもなかった。

  ただ、私が裸になり、それを請うたから、必要なだけの快楽を与えてくれただけだった。

 

  もう、私は妹紅が夢中になれる相手ではなかったのだ。

  私の役目は終わっていた。何の意味もない、どうでもいい存在だったのだ。

 

  そして、そんなふうに私を抱く妹紅を、やっぱり私は許すことができなかった。

  その手に何度も悦びながら、同時に妹紅を憎んでいた。幸福など、一片も感じられなかった。

 

  そんな妹紅を、幻想の過去でごまかしながら求め続けるなんて、私にはできないことだった。

 

 

  二つ目は、忘れること。

 

  泣いて泣いて、泣き果てて、そうして妹紅の全部をあきらめて、忘れて、元の生活に戻ること。

  姫や師匠に、迷惑をかけたことを侘び、二度とこんな愚かな過ちはしないと誓い、従順な一匹の兎として永遠亭で生きていくこと。

 

  もっとも真っ当で、いちばん幸せなはずのその道も、やはり選べないものだということを、いま私は気づいてしまっていた。

 

  もういい、もう十分、などとは欠片も思えなかった。

 

  こんな悲しい交わりでさえ、与えてもらったその感触を、決して失いたくないと思ってしまった。

  与えてもらえなかった声を、どうしても欲しいと思ってしまった。

 

  無理だ。忘れられない。どれだけ泣いても、涙が涸れても、彼女を忘れることはできないと悟った。一生泣き続けるしかない道だと知ってしまった。

 

 

  三つ目は、憎むこと。

 

  この最低な狂人を、憎んで憎んで憎んで憎んで殺して殺して殺し続けること。

  こいつ自身が、そうであるように。憎しみと、それをぶつけることで生まれる熱とで、自分を保ち続けること。

 

  だけど、それもやっぱりできないと、とっくにわかっていた道だった。

 

  どれだけ憎しみを燃やしても、その炎で私自身が焼けていく。

  燃えてしまう。すり切れて、ちぎれて、灰になってしまう。無限ではない私には、その熱量に耐えることができない。

 

  耐える方法は、ひとつだけ。

  でも、それは師匠が許さない。なにより、憎み苦しむためにその道を選ぶなんて、本末転倒。そこを自分で気づける程度には、幸いにして────そう、たぶん幸いにして、まだ私は正常だった。

 

 

  だから。

 

「妹紅」

 

  すべての道を失ってしまった、私には。

 

「私を壊して」

 

  行くことができる場所は、そこしかなかった。

 

 

  涙が止まらない。

 

  薄暗い小屋の中で私を見下ろす、私の言葉を聞いた妹紅が、今どんな顔をしているのかすら、よく見えない。

 

「お願い」

 

  この涙を、心を止めてほしい。

  あなたの手で、不可逆に、永遠に。

 

 

  ほんの少しの沈黙のあと、妹紅は私の首に手をかけた。

 

  最初によぎったのは、ありがとう、という言葉。

  でも、実際に声に出たのは、違う言葉だった。

 

「……許さないから」

 

  ゆっくりと締まっていく喉から、その最後の言葉を搾りだす。

 

  許せない。絶対に許すことはできない。私の心をもてあそび、ボロボロにしたこいつを。

  でも、その憎しみも消える。私と一緒に。

  憎しみ以外のすべて、どうしても自分では消せない、もう一つの想いも共に。

 

「ああ」

 

  妹紅の、どこか掠れた声が、遠くから聞こえる。

 

  世界が消えていく。

 

  私という一瞬は、ここで消える。

  消えることができる。永遠に憎み続けるしかない、こいつと違って。

 

  絞められる首の中で、消えかけた私の振動が激しくなる。

 

  ふとそこに、妹紅の手の震えも加わっている気がした。

  そうだったらいいな、と思った。

 

  そして、その手で私を消した一瞬の感触が、もしかしたらこいつの中に、永遠の、傷跡として────

 

 

 

「ざっっっけんなボケッ!!!!」

 

 

  心臓が破裂した。

 

  いや、破裂したかと思うようなすさまじい音を立てて、小屋の扉が開いた。

 

「……てゐ……?」

 

  緩んだ手の中で首を回し、頭を倒してそっちを見た弾みで、振り落とされた涙の向こうに、その地兎の姿があった。

 

「黙って聞いてりゃ、くっだらない三文芝居をウダウダと! なぁにが私を壊してだ! 失恋ごときでいちいち死んでたら、閻魔様が過労死しちまうよ!」

 

  目を剥き歯を剥き出して、うえーっとこっちに舌を突き出す。

 

「なっ……!」

 

  なんなのこいつ!?

  いきなり飛びこんできて、好き勝手なことを! 何も知らないくせに!

 

「あっ……あんたに、私の気持ちなんかっ……!」

「わかるかっ! わかりたくもないね! あんたみたいな贅沢者の悩みなんざ!」

 

  妹紅を突き飛ばすようにして起き上がり、叫んだ私の声を、さらに大きな声が吹き飛ばした。

 

「贅沢者!?」

「そうさ! 土の中だろうが、泥の底だろうが、いくらでも転がってる可能性、勝手にぜんぶ切り捨てて、悲劇のヒロイン気取ってんじゃないよ! 甘ったれんな!!」

 

  どんどん、と片足で土間を踏み鳴らす。地震が起きたかのように小屋が揺れた。

 

「姫様との関係!? 自分を見てくれない!? それがどうしたっ!!

 何度でも肩つかんで振り向かせろ! しがみついて絶対離すなっ!!

 あんたの相手は、あんたの手が届く場所にいる! 今そこにっ!!」

 

  言葉を失う私と、その後ろとを、叫びながら交互に指差す。

 

「諦めが早すぎるんだよ! 百年も泣いたような顔しやがって! 思い上がんな! あんたはせいぜい半月ばかり、何もしないでウジウジしてただけだ! このひよっ子が!」

 

  そこまで一気に喋った口が、奇妙に引きつるように歪み、

 

「……たとえ千年万年、想い続けたって……手を触れるどころか、声を聴くことすら叶わない相手だって、いるんだよ……!」

 

  その、搾り出すような声のあとに、彼女は一度だけ腕で顔をぐいとぬぐった。

 

「……バカにダラダラ説教しても、どうせ頭に入らないから、とりあえずあんたへのムカッ腹は、この程度にしといてやるよ。

 だから次は、あんただ妹紅!!」

 

  再び、どんと足が踏み鳴らされる。

 

「あんたたち不死者に、どんな強要も脅迫も通じないのはわかってる。

 それでも、あえて言わせてもらうよ。

 これ以上、鈴仙を泣かすのは、絶対に許さない!!」

 

「てゐ……!?」

 

  思いもしなかった言葉。

  どうしてあなたが、そんな。

 

「あんたら三人の間に何があったのか、細かいことは知らないよ。元を辿れば原因は、あの二人にもあるのかもしれない。でもね!」

 

  一歩踏みこんで上げた腕を勢いよく振り降ろし、妹紅に指を突きつける。

 

「今、鈴仙が泣いているのは! 一から十まであんたのせいなんだよ! わかってんだろっ!!」

 

  その声は、ほとんど絶叫だった。

 

「……ああ、そうだ。すべて私のせいだ」

 

「だったら、責任をとれっ!! そいつを泣かせた責任を!!

 永遠の生に狂ったあんたに、少しでも人の心が残ってるならっ!!」

 

  妹紅を睨みつけて平手で音高く小屋の壁を叩いたあと、少しのあいだ無言のまま肩で息をしていたてゐは、やがてまた口を開いた。

 

「……鈴仙の一生なんて、あんたにとっちゃ一瞬だ。そうだろ? だったら、その一瞬を、そいつのために生きてやったってさ……」

 

  それから強くかぶりを振って、その勢いで踵(きびす)を返し、小屋を飛び出しかけた戸口の下で、もう一度振り向いて妹紅を指さす。

 

「もっかい言うよ! これ以上そいつを泣かすのは、許さないからね!!」

 

  そうしてまたくるりと後ろを向いた背中が、再び小屋が傾きそうな音を立てた扉の向こうに消えて、軽く高く地面を跳ねる音を最後に、何の気配もしなくなった。

 

 

 

 

 

  しんと静まりかえった小屋の空気と一緒に、私は固まっていた。

 

  いったい何が起きたのか、よくわからなかった。

 

  いや、てゐが小屋に飛びこんできたこと、そして私と妹紅に強烈な説教をかまして去ったこと、そしてその説教の内容も、頭で理解してはいた。いたのだけれど、ただその一連の出来事そのものが、この世界から消えようとしていた自分の上に、本当に降ってきたことだと信じられなくて、なんとなく、白昼夢でも見たのじゃないかという気になっていた。

 

 

  混乱したままぺたりと座っていた私の後ろで、妹紅が動く気配がした。

 

  それをぼんやり感じながら、ふと思う。

  ひょっとしたら、本当は私はもう死んでいて、てゐが飛びこんできてからのことは、三途の河を目指して飛ぶ私の魂が見ている、ただの幻覚なのかもしれない、と。

 

  うん、きっとそうだ。夢だから、こんな都合のいいことだって起きるんだ。

  これはかりそめの、幸せな夢想。いっときの幻でも、地獄に落ちるまでの間、それに身を委ねたっていいじゃない。

 

  ほら、もうそれは、すぐそこに。

  妹紅の体が、腕が、私の背中に、肩に近づいてきて────

 

 

  ややあって、そのまま離れていった。

 

 

 

  おい。

 

  何もしないのかよ。

  抱きしめるところじゃないのかよ、そこは。ふざけんな。

 

  ふざけんな。なんだこいつ。このクソ野郎。ムカつく。ムカついてきたぞ。なんなんだこいつは。自分勝手に好き勝手に人を好き放題しておいて。あいつもだ。さんざん人をペット扱いして、しまいにゃそのペットに嫉妬して軟禁して。って言うか殺すつもりだったよな?あの時。何がお姫様だ、あのワガママ性悪女。師匠はなんて言った? あなたの自由にしなさい? バカにしてんのか。知ってて今まで何も言わなかったくせに。自分の責任になるのが嫌で、見ないふりして放り出しただけだろ! ふざけんな、どいつもこいつもどいつもこいつも! ふざけんな!!

 

  もういい。どうでもいい。なにもかも全部どうでもいい。

  自由にしろ? やってやるとも。もう何がどうなろうと知ったことか。いま私がやりたいことをやってやる!!

 

  私は後ろを振り向き、高々と手を振り上げて、目の前にあるムカつく女の頬を、思いっきり引っぱたいた。

 

  とっっってもいい音がした。

 

 

「……痛い」

 

  ぽかんとした顔が、阿呆みたいなセリフを吐いた。

 

「当たり前だっ!!」

 

  もう一発。今度は反対の頬。

 

「痛い」

「私だって痛いよ!!」

 

  手が痛い。骨やら歯やらに当たって、血がにじんでる。こいつは口を切ろうが舌を噛もうがすぐ治るくせに。本当にムカつく!

 

  もう一発。さらに一発。また一発。

  ぼろぼろ泣きながら、私は妹紅の頬を張り続けた。

 

  十数発だか殴って、手の感覚がなくなって、それから私はこの最低女に抱きついた。

 

「馬鹿っ!!」

 

  心から直接、その言葉を吐き出す。

 

「ふざけんなこの馬鹿っ! 死ねっ! 百回死ねっ!!」

 

  妹紅にしがみつきながら、その背中をガシガシ叩く私の肩を、ようやく馬鹿野郎の腕が抱いた。

 

  そして。

 

 

「……ごめんよ、鈴仙……」

 

 

  嗚咽と共に、震える声が聞こえた。

 

 

「本当にごめん」

 

「遅いよ馬鹿!! 死ね!!」

 

「ごめんなさい」

 

  肩が熱く濡れていた。

 

  妹紅の涙が、私の肩に、首に、背中に流れ落ちていた。

 

 

  ああ、もう、この馬鹿野郎。どうしようもない馬鹿野郎。

 

  本当にバカだ、私。

 

  私はもう、妹紅にとってどうでもいい存在だなんて。

  そんな相手を、抱いてくれるはずがないのに。

  壊してほしいなんて頼みを、聞いてくれるはずがないのに。

 

  でも。

 

「絶対、許さない」

「わかってる」

 

  許さない。一生、許してなんかやらない。

 

「妹紅」

「鈴仙……」

「私と一緒にいて」

「……うん」

 

  そうだ。一生かけて私のワガママを、こいつに聞いてもらうんだから。

 

「憎んでいてもいいから、姫には会わないで」

「うん」

 

  ごめんなさい、輝夜様。

  でも、私はもう、自分勝手に生きると決めたから。

  たとえ閻魔様に叱られ、いつか地獄に落ちるとしても。

 

「私だけを見て。私が生きてる間だけでいいから」

「わかった」

 

  離さない。誰にも渡さない。

 

  だって、私は、妹紅のことが、本当に────

 

 

「好き」

 

 

  ああ、言えた。

 

  やっと言えた。

  本当に言いたかった、そのことば。

 

「……鈴仙」

 

  妹紅の涙が、ひときわ熱く、腕がひときわ力強く、私を抱いた。

 

「私は、妹紅が好き」

 

  そう、本当に必要だったのは、ただそれだけ。

  この無限の波の上にある、たった一点、私という座標を位置づける、ただ一つの定義。

 

「鈴仙……!!」

「好き」

 

  私の一瞬のすべてをかけても、同じことばを彼女から聞くことはできないかもしれない。それでも。

 

  伝えよう。

  何度でも。何百回、何万回でも、伝え続けよう。

 

「大好き」

 

  これほどまでに無限を愛した、愚かな一点が、ここに確かに存在したという証明を、あなたの心に、永遠に刻みこむために────

 

 

 

 

 

 

 

  ◆ ◆ ◆

 

 

 

 

 

 

 

  さくり、さくりと、雪を踏む音が近づいてくる。

 

  やがて足音は小屋の前で止まり、それからてゐの声が聞こえた。

 

「私だよ。いいかい?」

「うん」

 

  返事をすると、がりがりと固まった雪に引っかかりながら、扉が小さく開く。

 

「邪魔するよ……っと、こりゃお熱いことで」

 

  戸の隙間からぴょんと飛びこむ着膨れた地兎は、私たちの姿を見ると肩をすくめてにやにや笑った。

 

  私たちは一つの毛布にくるまって、くっつきあって座っている。妹紅が後ろ、私が前。要するに、私は後ろから妹紅に抱っこされているのだった。

 

  この小屋はお世辞にも気密の高いつくりとは言えなくて、夏はよくても冬場はとにかく寒かった。薪や炭はあるにはあるけど、潤沢に燃やせるほどの貯蔵じゃない。妖術を使えば妹紅の腹が減る。そういうわけで、特に何かするでもないときは、こうしてくっついて暖をとるのが、私たちの日常になっていた。

 

「熱くない、ちょうどいいよ」

「あはは、言うようになったねぇ。しかし、流石に来年の冬までには、いろいろ手入れしたほうがいいんじゃないかね。そいつはよくても、あんたは風邪をひきかねない」

 

  言って、ぐるりと小屋の壁やら天井やらを見回す。

 

「うーん、リフォームかぁ……河童に頼んでみるのがいいのかな?」

 

  技術は確かだろうけど、高い報酬を要求されそうだ。もっとも、私の能力や知識は彼らの仕事と相性がよく、開発やら実験やら検査やらで、協力を頼まれることがある。色々と仲良くやっていけば、生活も便利になるかもしれない。ちなみに師匠の知識は高度すぎて誰にも理解できないので、河童も頼みに行ったりはしない。

 

  なんてことを考えていたら、てゐが穏やかに口を開いた。

 

「もう、大丈夫そうだね」

「うん」

「今日は、聞きたいことがあって来たんだ」

「え? 何?」

「まあ、聞きたいといっても、私からじゃなくてね」

 

  ひょいと腕を上げて立てた指を傾ける。その方向には永遠亭があるはずだ。

 

「あの二人からの、ちょっとした確認さね。もうあそこには戻らないと決めているのか、そうでないのか」

 

「……それは」

 

  どうしよう、と思った。

 

  永遠亭の助手の席。私の部屋と、そこに残してきたいくらかの私物。それらの処分も、やっぱり考えなければいけないことなのだろう。

  正直、考えないようにしていたそれを、やっぱり今、どちらかに決め、伝えなければ────

 

「決めてないなら、それでいいのさ。いつか戻る気があるのか、まだわからないか、どっちでも」

 

  でも、そんな私の考えを、てゐはあっさり遮った。

 

「戻る可能性があるかぎり、あんたの部屋はそのままにしとく。そう言ってた」

「……そっか」

「もし、残してきたもので欲しいものがあるなら、前と同じに私が取ってくるけど」

「ううん、大丈夫」

 

  前、というのは私が永遠亭を出た直後のことだ。流石に飛び出した身一つでここに住み始めるわけにはいかず、といって私が直接取りに戻るのもばつが悪かったので、色々と彼女に頼んで運んでもらったのだ。それらは主に服のたぐいだったけど、妹紅以外にはとても見せられない下着を、頼んでもいないのに目ざとく掘り出して渡してきたときは、本当に恥ずかしくて死ぬかと思った。

 

  でも、そんなちょっとした意地悪なんて、彼女が私にしてくれたことに比べれば、まったく些細なことだった。だから。

 

「てゐ」

「ん?」

「ありがとう、本当に」

 

  素直に、心からの感謝を、私は告げた。

 

「なんだい気色悪い。あーさむさむ、急に冷えこんできちまった」

 

  わざとらしく肩をすくめて震えてみせながら、にやりと笑う。

 

「寒いのはそこの戸あけっぱなしだからでしょ。っていうかこっちも寒いんだけど」

「はぁ、どうせ外気と大して変わらないじゃないか。なに、用は済んだし、もうちょいとばかりさ」

 

  そう言いながら少し後ろに下がって、戸の隙間に背中を合わせるように立つ。いちおう風を防いでくれてるつもりらしい。

 

「輝夜様とお師匠様にも、伝えて。ありがとうって」

「わかった」

 

  そのお願いに、妹紅が口を挟んだ。

 

「それ、私に頼めばよかったんじゃないか?」

「……殺し合いしたあとで、そんなこと言う気なの?」

 

 

  妹紅は、あれからも時々、永遠亭を襲撃している。

 

  会わないで、なんて言ってしまったけれど、妹紅が妹紅であるためには、やっぱりそれは必要なんだと理解しなおし、私は結局それを許した。月に一度まで、一戦やったら戻ってくること、それ以外では絶対会わない。そういう約束で。

 

 

「する前に言うのは?」

「どっちみち変でしょ、それ。っていうか、戦い以外の接触だから、だめ」

「わかった」

 

  そんな会話で一緒に笑う私たちを見て、面倒くさい連中だねぇ、と苦笑するてゐ。それに向かって、また妹紅が口を開く。

 

「にしても、わりと意外だったんだよな」

「何がだい?」

「お前が、そんなに鈴仙のことを気にかけてたのがさ」

 

  その疑問にてゐは、腕を組んで半眼に、おどけた風で笑った。

 

「ふん、少し前から人間の間で流行ってる言葉があるじゃないか。大家といえば親も同然、店子(たなこ)といえば子も同然、ってね」

 

  彼女の言う少し前とは、いったい何十年前のことなのだろう。それはともかく。

 

「大家ぁ?」

 

「そうさ。前に言っただろ? 竹林(ここ)は私の家だって。

 そこに住んでるんだから、私の店子だ。あんたらも、あの二人もね。

 でもって、特にそいつが手のかかる店子だった。それだけさ」

 

  飄々(ひょうひょう)とした調子で言いながら、その声は優しく、暖かい。

 

「そうすると、家賃を払わなきゃならないのかな?」

「そうだねぇ、でもあんた金なんか持ってなさそうだしね。ツケといてやるよ、永遠に」

 

  そう言って背を向けかけた体が、またくるりと向き直る。

 

「ただし、もしまた鈴仙を泣かせたら、払ってもらおうかな。あんたの首で」

 

  にやりと笑った口が、ひどく物騒なことを言った。

 

「首?」

「そうさ、兎はこう見えて凶暴なんだ。出会い頭に首を刎ねることもある。ま、あんたは灰になってもあっさり蘇るけどね」

 

  ひひひ、といつものいたずら兎の顔で笑う。

  私も、妹紅も、一緒に笑った。

 

「じゃ、またね」

「うん」

 

  軽く手を上げて、扉が閉まり、さくさくと雪を踏む音が遠ざかっていった。

 

 

 

  またね、か。

 

  そうか。この竹林は全部、てゐの家。

 

  だから、その中のどこに住んでいようと、彼女にとっての私という存在は、何も変わりはしないのだろう。

 

 

  見方しだいで、その目に見える風景は、ぜんぜん違うものとして写る。

 

  あの、ほんの短い時間、世界のすべてに絶望した気になっていた私が、いま思えば本当にくだらない、馬鹿みたいなバカそのものだったと思えるように。

 

  それがとてもおかしくて、また一人くすくすと笑いながら、私は自分を抱いている妹紅の腕を、ゆっくりと熱く撫でた。

 

「する?」

「うん」

 

  囁きが首への口付けに変わり、返事が歓びの吐息に変わる。

 

 

  外は冬。

 

  でも、私と妹紅の間の空気は、いつだって春だ。

 



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