地下では犯罪者の男と女が出会い、男は地上に出て生活しようと考えていた>
地下の二人の存在を知った支配人は。
舞台と原作の怪人の二人がでできます。
クリスティーヌ・ダーエ、コーラスガールだった彼女が自分のレッスンを受けてプリマドンナとなり、大成したことは喜ばしいことだ。
彼女の前に幼なじみが現れ、一時は嫉妬に苛まされ、不安になった。
だが、結局のところ、彼女は自分を選んだ。
貴族の彼と結婚する、そんな未来に不安を抱いたのだろう。
オペラ座には大勢の人間がいて中には貴族の男性の囲われ者、愛人もいたが、皆が幸せに慣れるとは限らない。
最初のうちこそ贅沢な暮らしができ、幸せだと周りに吹聴していた女たちもしばらくすると男の浮気に悩み、その不満を口にする。
結局のところ、愛人の行き着く先、未来など先は見えている、長くはないと愚痴をこぼす。
周りの人間は気の毒にと慰めの言葉をかけるが、その表情と口元はうっすらと笑いを浮かべているのだ、他人の不幸が嬉しくて、楽しいといいたげに、そんな現実を知ると不安が生まれたのだろう。
自分が選んだのは彼なのだと言っても、幼なじみの男はしつこくつきまとってくる、拒絶してもだ。
「クリスティーヌ、君は騙されているんだ」
「騙す、彼はオペラ座の支配人で私はオペラ座のプリマ、ここまでこれたのは彼のお陰なの、だけど、あなたは」
子爵家の次男坊で花束と愛の言葉を囁くだけ、最近はオペラ座への援助もないみたいねと言われて青年は無言になった。
自分の兄が新しい事業に手を出したのは最近のことだ、友人達の誘いもあって兄は乗り気だった、だが、事業がうまくいったのは最初のうちだけだ。
「お兄さんが大変なのに、あなたはカードや賭博場に出入りしているそうじゃない」
「それは少しでも金の工面をしようと思って」
子供の頃から次男坊だからと両親と兄から甘やかされて育ったラウルは世間知らずの坊ちゃんと言われていた。
兄に誘われてオペラ座に初めて出かけたとき、そこで初めて自分は大人として認められたような気持ちになった。
幼なじみの彼女、クリスティーヌと出会って恋に落ちたが、それは最初のうちだけ、甘い恋人期間は長くは続かなかった。
プリマドンナになりたいという彼女はレッスンの厳しさに改めて自分の立場を理解し、現実を知った。
「お金の工面ですって」
視線だけではない、呆れたような声は以前の彼女には見られなかったものだ、クリスティーヌと呼んでもレッスンがあるのと背を向ける。
そんな彼女に貴族の青年は縋るような視線で見送ることしかできないことに苛立ちよりも無力さを感じてしまった。
そのやりとりを離れた場所から見ていた仮面の男は一人、立ち尽くす男の姿を見ながら自分が、あの立場なら耐えられないと思ってしまった。
庇護が必要だった少女は、今や庇護は必要のない、女になったのだと改めて実感した。
変わったと思ってしまう、そして時折、自分は、そんな彼女に対して、なんとも言えない気持ちになるのだ。
その日、男は久しぶりに地下へと降りた。
オペラ座の支配人となってからは忙しい日々が続いて、足を踏み入れる事はなくなっていた。
だが、そのままにしておくのは嫌だと思い、信頼のおける人間に通路に仕掛けた罠の稼働、知らない人間が自分の家に勝手に侵入していないを報告させていた。
しばらく、地下へ降りていなかったので気にはなっていた、ところが、報告したいと男のほうから訪ねてきたのだ。
「旦那様の住居から少し離れたところですか、侵入者が」
伺うような視線で、どうしましょうと聞かれて男は驚いた。
殺さなかったのかと聞くと、わずかに困った表情ですぐに出て行くともうしましたのでと予想外の言葉を口にした。
知り合いなのかと訊ねると、とんでもないと男が首を振った、だが、しばし無言の後、普通じゃありませんと呟くように漏らした。
「もしかして、犯罪者か、殺されかけたのか、おまえ」
返事の代わりに男は静かに目を閉じた後、わずかに首を振った。
「まさか、一人じゃないのか」
返事はすぐにはない、迷っている様子だ。
「言った筈だ、生きて、金が欲しかったら、隠し事はするなと」
「わ、わかってます、逆らうなんて、滅相もない」
そして、返事を聞いた男は頷くと、では私の目で確かめよう、直接と返事をすると部屋を出た。
男は罪を犯して逃亡生活を続けていた、罪、それは親殺しだ、最低の両親だった、子供の自分を売ろうとしたのだ。
人間ではない、変わった生き物を見せ物にするサーカスの話を聞いて金欲しさに子供を売ろうと考えたのだろう。
普通の人間では高く売れないからと頭と顔に熱い油と焼けた鉄の棒を押しつけ傷を作り、髪を引き抜いて化け物を作ったのだ。
手足を折って不自由にすればという話を聞いたときは殺されるかもしれないと思った。
だから、その前に二人を手に掛けた、これは自分を守る為の正当な行為だと言い聞かせてだ。
警察に捕まる前に家を出て、そこから放浪は長く続いた。
風の噂でパリの地下だと犯罪者も捕まらずに生活しているという話を聞いたときは半信半疑で覗いてみるくらいの軽い気持ちだった。
今まで散々な目にあってきたのだからと自分に言い聞かせ、セーヌ川の下水道から地下に入った。
誰かとすれ違うと躊躇うことなく殺したのは相手が殺意を向けてきたからだ、殺さなければ自分がやられる、そう思ったからだ。
暗い地下は迷路のように入り組んでいて、ここなら日陰者や犯罪者が住むには、ある意味、安全だと思ってしまった。
「ーナッ、クリスティーナ、起きてるかい」
驚かさないように低い声で洞窟の奥に呼びかけると物音がした、起きているようだ、男はゆっくりと奥へと入ると明かりで女の姿を照らし、ほっとした。
「食事を持ってきたよ」
光の届かない場所だが、ここが世界の全てのような感じがした。
「ムッシュ、手を」
延びてきた手が自分に何かを握らせた、それが硬貨と紙幣だとわかると男は不安になった。
「外国のお金だから価値があるかわからないし、使えなかったらごめんなさいね」
すぐには言葉が出てこなかった。
男は女の手を握ると隣に座った。
「顔を、見せて」
男は自分の顔を覆う白いマスクを外すと女の膝に置いた。
ブラシで髪を梳いて、汗をかいた体を拭いた、この数日、男は甲斐甲斐しく女の身の回りの世話をした。
普通なら自分のような男がそばにいて体に触れたりすれば、抵抗したり恐怖を感じるだろう、だが、女は礼の言葉を口にして素直に去れるがままだ。
もし、自分が手を出し、それ以上のことをしたらどうなるだろう。
受け入れてくれるだろうかと思いながら、夢を見るなと自分に言い聞かせた。
「キス、を」
言われて男は迷った、だが、もう一度、言われてわずかに体を動かして女の正面に無か行うと額に、そっと口づけた。
額といえど男は自分が緊張していることを感じていた。
「もう、一度」
お願いと言われ、今度は頬にキスをした。
「クリス、ティーナ」
本当の名前ではない、昔、偶然立ち寄った街の広場の見せ物、芝居の主人公の名前だ、どんな顔をしていたのか覚えていない、白いドレスを着て、女性もという、そんなおぼろげな記憶しかなかった。
「ムッシュ」
弱々しく延びてきてた腕が自分の肩にかかり、引き寄せられた、唇が触れ、女の方からキスをされた現実に体が震えた男は呆然とした。
一度、二度、体が、息が熱くなり、自分は男なのだという感覚に翻弄されそうになる。
唇を離すと女が苦しげに息を吐く、それだけではない、離れまいとするように力を込めて自分にしがみつき、抱きついてくる。
できるなら、服を脱ぎ、裸になってと思ってしまった。
離れたくない、だが、女の腕をほどき、体を離した、キスだけでは我慢できなくなると思ったのだ。
「外に出て、家に、足の怪我を治して、それで」
先の言葉が続かない、何がしたいのかわかって口に出せない自分にもどかしさを感じながら男はゆっくりと立ち上がった。
自分は今、何を見ている、オペラ座の地下は自分の領域だ、かって、ここは自分にとって家で安息の場所だった。
そこで今、自分の知らない男女がいる、いや、男は。
離れていても、薄暗い明かりの下でも、男の顔の造形はわかった。
あれは生まれつき、まさかと思ってしまう、自分以上の醜さを持つ人間が存在しているという事実にオペラ座の支配人は驚いた。
近くで、はっきりと見たい、確かめたいと思い、気づかれないように隠し通路に身を潜ませた。
自分が、ここに住む前から、そんな場所はいくつかあった。
女は具合が悪いのか、それとも怪我しているのか、座ったままだ。
男に話しかけられると返事はするが、その声は弱々しい。
声の調子、英語で答える、どこか不慣れな感じがする、外国人かもしれないと思った。
自分から腕を伸ばして抱きついた女に情欲を感じたのか、何度もキスを繰り返した男が自分から体を離した時はほっとした。
それ以上の行為をするなら、いや、見せつけられるのは、そんな事を考えながらも目が離せない。
自分の呼吸が苦しく感じてしまうのは気のせいだろうか。
まるで、自分が、あの男の代わりに、そんな錯覚さえ覚えた。
「お願い」
離れようとする男の体に女が両手を伸ばした。
ドアを開ける音、足音に気づいたのか、奥から女が出てきた、夕食はポトフよと言われて男は何とも言えない気持ちになった。
今日も彼女は家で自分を待っていてくれた。
食事を作り待っていてくれる、迎えてくれる声と存在に未だに不安を感じるのは、もしかして自分の知らないうちに黙って出ていくかもしれないという不安があったからだ。
「どう、味は、あなたの口に」
自分が食べる様子を不安そうに見守る女に男は素直に答えた、美味しいと、外国人の彼女が作るのは簡単なもの、煮込みや味付けをして焼いた肉や魚のシンプルなものが多い、だが、下処理など手間をかけているので味はいい。
いや、それ以前に男は他人が自分の為に料理をしてくれるということに驚きだ。
「足の具合は捻挫ですんでよかった」
「あなたのお陰よ、それでね、私、働こうと思うの」
食後のお茶を飲みながらの会話、その言葉に男は驚いた。
必要なもの、食材を買う為の金は渡しているつもりだった、だか、生活は、それだけでは成り立たない。
ずっと一人で気ままに生活していた男にとって分からないことも多々あった。
欲しいものがあったら言って欲しい、その言葉に女は首を振った、自分で働いた金が欲しいのだと。
「全部、あなたが出してくれているでしょう、家に食材、生活の面倒全てを」
女の言葉を遮るように男は首を振った、フランス人はプライドが高い、外国人の女を雇って働かせてくれるような場所はなかなかない。
いや、仮にあったとしてもまとも職場ではないだろう。
外国人相手なら、下手をすれば人身売買、娼館に売られることも珍しくない。
「怪しいところじゃないわ、オペラ座の衣装部屋で掃除や洗濯をする女性を探しているんですって、今日、街を歩いていたら」
女の話を最後まで聞いていた男は頷きながらも不安を隠せなかった。
オペラ座が従業員募集の張り紙、それを見ていたら声をかけられた。
声をかけてきたのはオペラ座で働いている女性らしい、たが、偶然だろうか。
「ジリィ、ご苦労だった」
「あなたの頼みですから、それにしても今回の舞台クリスを外すなんて、どういうつもりだす」
すると、仮面の男はスキャンダルだと一言、呟いた。
「今後、シャニュィ家の援助は期待できないのは明白だ、噂が現実になる前に切り捨てた方がいいだろう」
ジリィは小さく頷いた、最近、いやしばらく前からよくない噂があった、投資の失敗だけならいい。
「阿片だけでも厄介だが、大陸からの薬や商売に手を出すなど身の程知らずだ、実質上の経営者は兄だが、弟に、それを補えるかと聞かれたら、どうする」
「そうですか、ところで彼女を降板させるなら、主役は」
メグだ、娘の名前を呼ばれて驚いた彼女だが、しばしの沈黙の後、満足そうに微笑んだ。
「ところで衣装係の募集ですが、来ると思いますか」
答える代わりに頼みたい事があると言われ、ジリイはやれやれと思いながらも、どうぞ仰ってくださいと頷いた。
オペラ座の原作と舞台の怪人、二人が出てきます。
読み切りなのでさらりと読んでください。