※この作品はR-18です。

とある転生覚者の物語~覚者は白竜を継ぐ気がない&戦徒は主を連れ還りたい   作:狗狼

4 / 12
 初めての夜から数日後、兄貴分である〈放蕩覚者〉ファビオの元を訪ねる青年の様子はいつもと違っていた。
 青年の過去やその〈戦徒〉のことを思い返しつつ、なにがあったのかを推し量り、助言を施すファビオだった。


戦徒

「貴方にとって〈戦徒〉とはなんですか?」

 

 随分と思い詰めた顔をして、最近弟分となった〈覚者〉がそう云った。

 右目を覆う程度に伸びたアシンメトリーの銀髪が震えていたのは、しとしとと降りそぼる雨の所為だけではないだろう。

 〈放蕩覚者〉と字名されるファビオは、常日頃から考えている。〈覚者〉あるいは〈戦徒〉としての幸せとは、なんなのかと。

 己の〈戦徒〉であるコーネリアとは身体の関係もあるが、べつだんそれを気にしたことはない。たとえ〈覚者〉だろうが〈戦徒〉だろうが、女として生まれ落ちた以上は女の喜びを知るのは悪いことではないと思っただけだ。

 ただ、周りは〈覚者〉同士や〈覚者〉と〈戦徒〉との関係について、えらく気を遣っているようであるから、コーネリアとのプライベートを公言していない。

 

 〈覚者〉とは──竜に心臓を捧げし不老の者。〈戦徒〉を従え、世界を護る者。しかし〈戦徒〉とは違い、確固たる己の信念を持ちて、竜の代わりに闘う世界の護り手である。

 

 〈覚者〉であるからといって、人として手に入れることの出来る幸せを手放してまで、使命を第一にしなければいけないものなのか。

 ファビオが〈覚者〉の幸せを追求するきっかけとなったのは、己の想いを殺して世界の守護者たらんとする身近な〈覚者〉たちの姿だ。端から見れば互いに好いているのが丸解りであるというのに、使命を第一にしてイリスの想いを退けるレオも、それを受け入れ共に闘うことで自分を納得させようとするイリスも、もっと己のことを考えればいいと思う。

 

 〈戦徒〉とは──異界渡りとも呼ばれる人為らざる者。〈覚者〉に付き従いて、闘う者。自発的な意志や感情は持たず、〈戦徒〉として契約を交わした主に付き従い、献身的に働く忠実なる従者。〈戦徒〉にとって、〈覚者〉のために己の総てを捧げることは至上の歓びであり、それが〈戦徒〉にとっての生きる目的でもあった。

 

 〈戦徒〉は〈覚者〉を盲目的に慕う節がある。感情や自発的な意志がないとは云うが、長い時間を共にした〈戦徒〉はさまざまなことを学習し、〈覚者〉の影響を受けて感情のようなものを見せてくるようになる。

 ファビオは〈戦徒〉としてコーネリアを得てから、人間に近しくなるよう己の持つ総てを叩き込んできた。多少融通は利かず、純真さの残る性格ではあるが、それがコーネリアの個性だ。それでもいまとなってはいちいち指示をしなくとも、コーネリアは大抵のことはひとりでこなせる。最近はファビオが〈新人覚者〉を相手に営むよろず屋の呼び込みも任せられるようになった。初めの頃に比べ、だいぶん人間らしくなってきたと思う。どこに出しても恥ずかしくない自慢の相棒だ。

 それはひとえに三〇〇年に渡る学習の賜物である。

 処がそのコーネリアですら、弟分が喚び出した〈戦徒〉には、まるで敵わない。

 ルキウスと名付けられたその〈戦徒〉は、喚び出されてひと月程度にも拘らず、実に感情豊かに会話をこなす。己の主に対する執着は一般的な〈戦徒〉以上で、自らが仕える〈覚者〉である弟分へ近づく者に対する嫉妬心まで滲ませるのを目にしたことがある。

 ファビオがなにより驚いたのは、ルキウスは〈覚者〉に付き従い自分で物事を判断するだけでなく、自らの生を謳歌しているということだ。この〈戦徒〉を見ていると、自分とコーネリアの生きた三〇〇年はなんだったのかとすら思ってしまうことがある。

 〈覚者〉と〈戦徒〉の幸福というものを追求しているファビオにとって、それほどまでにルキウスは自分の追い求める〈戦徒〉の理想そのものだった。

 

 

 

 そのような〈戦徒〉を持つ弟分だが、〈戦徒〉だけでなく〈覚者〉自身もいろいろな意味で型破りだった。

 まず、その青年は白竜神殿にいきなり姿を表した巷(ちまた)の暗殺者である。青年は恐れ多くもレスタニアの守護神たる白竜の命を狙い失敗する。たったひとりの暗殺者を拘束するために、白竜に何年も付き従った腕利きの〈覚者〉が、複数人駆り出されたほどの腕利きだった。雇い主は不明。そのうえで暗殺者は自害を図る。黒幕は解らないまでも、実行犯が自害したことで驚異は過ぎ去ったと〈覚者〉全員が胸を撫で下ろした。事件は秘密裏に処理され、そこで終わるはずだった。

 しかしその腕が失われることを惜しんだ白竜は、死に瀕した暗殺者から心臓を奪い、己の〈覚者〉の末席へと加えたのだ。

 〈覚者〉になったとはいえ、暗殺者にこの世界の守護者たる志などあろうはずがない。表立っては口にしないものの、新たな〈覚者〉に反発する者は多かった。そしてその〈新人覚者〉は扱いをもて余され、暗部に携わる〈覚者〉としてファビオが面倒を見る羽目になったという訳だ。

「何故、暗殺者などに慈悲を掛けてやるのです。あの男は御身の命を狙った不届き者ではありませんか……」

 ファビオはそうやって白竜に問い糺したことがある。しかし白竜は穏やかに笑むだけだった。

《我は新たな風を呼び込んだにすぎぬ。少々荒れるやも知れぬが、あの者は停滞を吹き飛ばす新たな動きとなろう》

 そうして、ひとりの風変わりな〈覚者〉を生み出したあと、白竜はふたたび眠りに就く。

 処が白竜の目がないのを良いことに、青年は〈覚者〉としてあるまじき待遇を受ける。〈覚者〉でありながら、白竜神殿奥深くに幽閉されたのだ。青年は身ぐるみを剥がれ、下穿き一枚の裸身に近い状態で、鎖に繋がれる。

 取り調べを行ったファビオは、青年の所持品を目にして嘆息する。そこには二〇台半ばの若者が持つには、随分と物騒な品ばかりが詰め込まれていた。愛用している双短剣の刃は闇色に染められ、よく磨き込まれている。一瞥しただけでその武器が大切に扱われていることは解った。しかしそれは人間を殺すための暗殺者の武具だ。所持品の中には毒や薬も含まれており、少しでも取り扱いを違えれば自らが死に至るような品も存在した。青年自身は貧相といえるほどの痩躯だ。力よりも技に長けているのだろう。そうでなければ、こんな細身の青年を捕縛するのに複数の〈覚者〉が必要となる訳がない。

 そしてファビオが線の薄い青年に抱いた印象は、女のいない場所で女の代わりにされてきた男というものだ。正義を掲げて闘うお綺麗な〈覚者〉様には、手懐けられないタイプの人間だろう。未熟な者を監視に付けても、簡単に丸め込まれてしまうに違いない。ファビオはそう判断し、監視役を買ってでた。

 ファビオは〈覚者〉の中でも、表には出せない暗部に携わる人物だ。軽薄で人当たりの良い仮面の裏には、冷酷な顔を持っている。とはいえ、ファビオも第一級の〈覚者〉として前線に立たねばならず、神殿を長く離れることもあった。その場合は、最低限の信頼出来る〈覚者〉に監視を頼んだ。

 そしてファビオは時折青年の様子を窺っては、懐柔の言葉を掛ける。

「なぁお前、白竜様の暗殺に失敗したいまとなっちゃあ、もう元の仕事には戻れんだろう。大人しく従っちゃあどうだい? どうせ〈覚者〉は他の人間と同じようには生きられない。それともここでこのまま何年も縛られたまま過ごす気か? それこそ周りに置いていかれちまうぜ」

 しかしファビオの言葉に靡くことなく、青年は〈覚者〉となってから数十年を拘束されたまま過ごすことになる。

 白竜が力を取り戻すための眠りに就いたとはいえ、仮にも〈覚者〉となった者を簡単に死なせる訳にはいかない。〈覚者〉は不老ではあるが、不死ではない。青年を生かすためにわずかな食事だけは与えられたが、拘束はただの一度も解かれることはなかった。月日がどれだけ流れたのかも解らぬよう、与える食事も、ファビオによる尋問も不定期にした。伸びた髪の長さで刻を測ることも出来ないよう、適度にハサミも入れてやった。

 そうして青年自身にはどれだけの刻が過ぎたのか解らせぬまま、幽閉し続けたのである。その間、青年は幾度か脱獄を試みるが、毎度ファビオが阻止した。

「よう、ボウヤ。そろそろ外の世界を見たいとは思わないか?」

 ようやく青年がなにもかも諦め、ただ生きているだけという状態になった頃、ある日突然ファビオに釈放を告げられる。長い時間拘束されたままで過ごした青年の身体能力は著しく低下しており、牢から引き摺り出されても、自力で歩くことすら叶わなかった。

 青年は〈戦徒〉を従える機会も〈覚者〉の自覚もないまま、その身ひとつで己を知る者のいない世界へと放り出される。〈シーカー〉として身を立てられるようにと双短剣だけは返されたが、それ以外の物騒な品は処分され、わずかな糧食を与えられて神殿から放逐されることになった。

「これだけは保管しておいた」

 そう云ってファビオが青年に手渡したのは、ずっしりと重みのある包みだ。その重さには憶えがある。面食らいながらも包みを開いて確認すれば、中身は愛用の肉斬り包丁だ。性能を重視した無骨な見目の武器だが、青年が生死を共にしてきた相棒だ。それが長い刻を経て手許に戻ってきた。確りと磨かれた刃には橄欖油(かんらんゆ)が擦り込まれており、いつでも使えるように手入れされていたのがひと目見て解る。

 青年は双短剣を包んだ布を大事そうに抱きかかえた。

「戦士にとって武器は命を預ける相棒だからな」

「……これで、俺がお前の命を狙うとは思わないのか?」

「いまのお前が? その形でか?」

「……」

 青年は眉間に皺を刻んで押し黙る。手に馴染んだはずの武器ですら、いまの自分には重い鉄の塊にすぎない。ファビオに云われずとも身に沁みていた。それでも、長年の相棒である武器が自分の手の内にあるというだけで、心強い。

「赤子の手を捻るよりも簡単だな」

 見くびっている訳ではないが、いまの痩せ細った身体に気力だけではどうにもならない。

「身体が元に戻ったら、俺はまた白竜を狙うかも知れないぞ」

「そうなったらそのときに考えるさ」

 青年を五〇年観察してきたファビオは、決してそうはならないだろうと確信していた。

 

 

 

 そして数ヶ月前、行く当てをなくした青年が白竜神殿レーゼへと戻ってきたのだ。

 古い〈覚者〉の中にも、五〇年前の事件と青年の関係を憶えている者はほとんどおらず、すぐに事情を知るファビオが身柄を引き受けることとなった。

「世の中を見て回って、どうだった?」

「……生まれ育った場所が消えていた」

「まあ、五〇年も経てばな……」

「五〇年、だと……?」

「最初に云ったろ。〈覚者〉は他の人間と同じようには生きられない、と」

 確かに牢に繋がれたときに聞いた言葉だ。いくら時間の感覚が解らないようにされていたとはいえ、五〇年も幽閉されていたとは。しかし、嘘ではないだろう。なにせ生まれ育った館どころか、街そのものが消えていたのだ。自分のことを知る人間などもう誰も生きてはいまい。そう思わせるほどの刻が流れているなどとは、夢にも思わないではないか。

「……俺は〈覚者〉になんか、なりたくてなった訳じゃない!」

 青年は行き場のない憤りのあまり声を震わせた。

「そうだな。あのまま解放すれば、お前は〈覚者〉でありながら白竜様の命を狙い続けたことだろう。そもそもお前が白竜様の命を狙ったことが発端だ。その報いを受けたのだと思え。五〇年前にお前がしたことを憶えている〈覚者〉も俺くらいだろう。いまなら新人として歓迎してやる」

「誰がッ!」

 愛用の短剣を抜いた青年がファビオに襲い掛かる。しかし青年はようやく相棒を振り回せるようになったというだけで、その動きには五〇年前の暗殺者としてのキレがない。

 ファビオは上半身をすうっと後ろに倒し、突き出された剣先をするりと避ける。そのまま目の前にある腕を掴むと、身体を捻って青年を床に捩じ伏せた。

 拘束されている間に衰弱した青年の肉体には、以前のような力は戻っていない。しかしその瞳には、白竜暗殺を企てた五〇年前と同じ、強い光が宿っていた。

 とはいえ気力は戻ろうとも実力が伴っていない。組み伏せられた青年の背に突き刺さるのは、軽薄を装いながら三〇〇年を生きる熟達した〈覚者〉の本気の殺意だ。従わねば今度こそ殺す。ファビオは言外にそう云っている。

「……結局の処、お前は外に居場所を見付けられなくて、ここに戻ってくるしかなかったんだろう?」

 ファビオの云う通りだ。自分を知る者のいなくなった世界で、青年には新たな生きる目的を見付けることなど出来なかった。

《己で生きる意味を考えよ》

 〈覚者〉となったときに白竜に云い渡された言葉が、澱のように胸に支えている。もはや青年には自害する路も閉ざされていた。

 そうして青年は〈覚者〉となってから五〇年後、いまさらながらに〈新人覚者〉として迎え入れられたのだった。

 

 

 

 そんな経緯を持つ青年が〈覚者〉としての修練を終え〈戦徒〉を喚び出してからひと月と少し、随分と思い詰めた顔でファビオの部屋を訪ねてきたという訳だ。

「とりあえず入れ」

 立ち話で終わるような問いではない。青年もそれが解っているから、素直にドアを潜る。

 青年はファビオの〈戦徒〉コーネリアが、この時間に不在なのを知っていた。彼女はいま新人相手の呼び込みと称して商店区に立っている。

「適当に座れよ」

 教育係を務め、兄貴分ともいえるファビオの部屋は何度か訪れていた。勝手知ったるなんとやらで、窓辺の椅子に腰掛ける青年。それを見てファビオは台所へと向かう。

「コーネリアは、俺が育てた最高にいい女だ」

 誰に聞かれても、そう答えている。どう取られようと構わない。

「ルキウスに抱かれたか」

 ファビオは茶を淹れながら口にした。問い掛けですらない。青年は答えず、俯いたままだ。ただ自分自身を抱く腕にぎゅっと力がこもる。

「あいつがお前に懸想しているのは、誰が見ても解る。お前がそんな態度でいれば、すぐ周りに気取られるぞ」

 軽装を好む青年だが、膚に目立った痕が残っている訳ではない。しかしその立ち居振る舞いから、一線を越えたのだとはすぐに解る。

「俺は〈覚者〉として失格だ……」

 〈覚者〉としての研修を終え、簡単な任務をこなすようにはなったが、青年が他の〈新人覚者〉に比べ、それほど任務に意欲的ではないことをファビオは知っている。

「何故だ?」

 カップにふたり分の茶を注ぐと、ひとつは窓辺に置き、もうひとつを啜りながら尋ね返す。

「従者であるポーンとそういう関係になって……」

 そもそも青年が〈覚者〉となった経緯を思えば、資格のあるなしは関係ない。

「俺はコーネリアと寝てるが、気にしたことはないな」

 青年は云わずともファビオとその〈戦徒〉コーネリアの関係に、気付いていた。故に、答えを求めてここへ来たのだろう。

「お前が拒めば、あいつにはなにも出来なかったはずだ」

 青年は押し黙る。云われずとも解っている。受け入れたのは、青年自身だ。

「〈戦徒〉は〈覚者〉にとって必要不可欠な存在だ。従順な〈戦徒〉を道具として扱う〈覚者〉もいる。俺にとってコーネリアは三〇〇年を連れ添った相棒だが、お前にとっての〈戦徒〉はなんだ、アル?」

「解らない……。なんであいつが俺を慕うのか……」

 ファビオの答えは聞いたが、それですぐに出せる結論でもなかった。

「ポーンってのはそういうもんだ」

「まだひと月だぞ? たったひと月でなにが解るっていうんだ。ましてや、愛してるだなんて……」

「お前は人を愛したことがないのか?」

 青年はファビオの言葉に言葉を詰まらせる。人を愛したことがない訳ではないが、その先は言葉にする必要のないことだ。

「……まあ、そうでもなきゃ暗殺なんてものを生業(なりわい)にはしないか。それにお前、どっちかって云うと死にに来た感じだったしな?」

 それにいつ死んでも構わないと思っていたのも確かだ。まさか白竜が自分の命を拾い上げるなどとは思いも拠らなかった。

「……」

 美丈夫ですら気付いた青年の捨て鉢な生き方に、ファビオが気付かぬ訳がない。

「もうお前の過去を知る人間なんてものは、この世に生きちゃいないんだ。新たにやり直せばいい。俺だって、お前が俺に見せてきた以上のことは知らない。いまなら、誰よりもお前を理解しているのはルキウスなんじゃないか?」

 こつり。ファビオが音を立ててカップをテーブルに置いた。

 青年は迷っている。一度は美丈夫を受け入れることを納得したものの、独りになれば先の見えない不安に襲われる。

 長い沈黙のあと、先に口を開いたのはファビオだ。

「……正直に云おうか、アル。俺はお前が羨ましい。お前、というよりはお前のポーンが」

「なんて……?」

 俯きがちに思案していた青年は、驚きに目を瞠る。

「ルキウスは俺の理想だよ。あいつは、俺が三〇〇年掛けて育てたコーネリアが掠れるくらい、人間らしい。あんなポーンにお目に掛かったのは初めてだ」

「やっぱり……あいつはおかしいんだな……」

「別に、おかしかないだろう。むしろ優秀だ」

 ファビオの言葉に考え込む青年。

「アル……ルキウスを解雇して、他のポーンと契約するか?」

「……そんなこと、可能なのか?」

 思いも拠らない定案に、目を見張る青年。とはいえその表情に喜ぶ気配はない。

「ああ、〈覚者〉が望めばな。俺はやったことなどないが」

「……そうしたら、あいつはどうなる?」

 青年の声が震えているのを知りながら、ファビオは冷淡に云い放つ。

「本気で契約を破棄したいなら、その後のお前には関係のない話だろう」

 契約の破棄、厭な言葉だ。自身が望んで喚び寄せた〈戦徒〉だというのに、〈覚者〉の勝手な都合で一方的に契約を破棄し、新たな〈戦徒〉と契約することが可能だなどと。

「……」

 このひと月、美丈夫がどれだけ青年の任務達成に貢献してきたのかを振り返る。〈覚者〉として歩き出したばかりで右も左も解らぬ青年を、美丈夫が誠心誠意支えてきたことは紛れもない事実だ。

「お前がどんな選択を下そうと、〈戦徒〉である以上あいつはお前の決定を受け入れるしかない」

 主を失った〈戦徒〉の行き先のひとつは、白竜神殿。白竜神殿で従事する〈戦徒〉は、仕える〈覚者〉を失った者たちだ。神官服に身を包み、白竜の下で新たな主からの喚び出しを待っている。他には〈彷徨(さまよ)える戦徒〉として、世界を流離(さすら)う場合もある。そして最後のひとつは、美丈夫を迎えるために青年も一度だけ訪れたことのある〈異界の狭間〉に送られることだ。

 喩えどうなったとしても、美丈夫といつかどこかで擦れ違う可能性がある。そのときに自分は平静でいられるのだろうか。そして仕える者のいなくなった美丈夫は、いままでのような想いを自分に向けてくることはなくなるのだろうか。その後、美丈夫が新たな主を見出すことになれば、そのときには新たな主に向け愛を囁くのだろうか。

 どれも厭だと思う自分がそこにはいた。

 青年は自分の感情に狼狽する。そこへファビオの言葉が追い討ちを掛ける。

「その後、新しい〈戦徒〉を迎え入れるにしてもよく考えろ、アル」

 美丈夫以外の〈戦徒〉を従える自分。そんなことも考えたくもない。青年は矛盾だらけの自分自身の感情にどう接すれば良いのか解らなかった。

 

 

 

 コンコン。

 そのとき、部屋の扉が叩かれる。

 青年は身を竦ませた。手にしていたカップをそっと窓辺に戻し、椅子から腰を浮かせる。武器を抜くとまではいかないが、戸外にいる相手が誰なのかは予想が付いているようだ。

 ファビオは立ち上がり、窓辺の青年を見ながら戸口へと向かう。

「アル、何故そこまで怯える。お前を迎えに来ただけだろうよ」

「厭だ……。どんな顔をすれば良いのか、解らない……」

 窓から逃げようと身を翻した青年の膝が砕ける。がくんと身体を傾いだ青年の視界が斜めになった。

「……ぇ?!」

 青年はひとりで立っていられず、床にぺたりと頽(くずおれ)れる。腰が抜けたのとは違うが、立ち上がれない。

「ファ、ビオ……な、にを」

「痺れ薬を少し、な。なに、あとに残るようなもんじゃない」

「あ、んたも……」

 次第に動きを鈍らせる舌で言葉を紡ぐ青年の瞳は、ファビオのカップに向けられている。

「もちろん、同じものを飲んださ」

 戸口に立ったファビオが青年を見遣って、やれやれと肩を竦めた。

 以前なら薄めた毒物を摂取することで手に入れた、後天的な薬物耐性があった。過去の青年と同じようにファビオも毒物に身体を慣らしているのだろう。

 しかし五〇年に及ぶ拘束の所為で、青年が身に付けた耐性は薄れてしまっていた。それを加味せず、迂闊にも出されたものを口にしたのは青年自身のミスだ。

「年季が違うのさ、アル」

 ファビオがドアを開け、青年のほうを向く。肩越しにその向こうに立つ美丈夫の姿が目に入る。

(動け……)

 反射的にここに止まってはいけないとの思いに取り憑かれ、青年は気力を振り絞る。しかし、薬に侵された身体は思うように動かせない。それでも青年は床を這うようにして、戸口から遠ざかろうとする。

「〈覚者〉サマ……?」

 後ろから掛けられる美丈夫の声音は、青年を心配するものだ。それでも青年は美丈夫から逃げるように床を這いずっていた。

「ファビオの旦那、これは一体どういうコトですかい?」

 美丈夫は青年の傍らへと屈み込み、床に這いつくばる華奢な身体へと触れる。手が触れる瞬間、青年は怯えたように身体を震わせ、微かな声を上げた。

「ぁ……」

「ああ、アルが逃げそうだったんでな。一服盛った」

 にこやかな笑みを浮かべ、平然と云ってのけるファビオ。

「まァ、逃げようとしたってのは解りますがねェ……」

 呆れたような声が上から降ってくる。翳る頭上を見上げるため、青年は重苦しい身体をなんとか反転させる。見上げると美丈夫は眉尻を下げ困ったような曖昧な笑みを浮かべていた。

「〈覚者〉サマ、オレを恐れる必要なンざ、コレっぽっちもねェんですよ……」

 肘を微かに動かして後退(あとじさ)る。美丈夫と距離を取ろうとしても身体は動かず、その太い腕にやすやすと抱え上げられた。

「は……な……っ」

 青年は美丈夫を払い除けようとするが、だらりと垂れ下がった腕は微かに震えるだけで、指先が虚しく空を掻く。もはや言葉を話すのさえ一苦労だ。姫抱きにされ、美丈夫の胸許に顔を埋(うず)めさせられた青年は、毛を逆立てた猫のようにフーッっと唸り声を上げる。

 その様子を見たファビオが呆れたように口にした。

「しっかし、お前はいったい何者だ、ルキウス?」

「ただの〈戦徒〉以外にナンだって云うンでさァ。それより、うちの〈覚者〉サマに色々吹き込まねェでくださいよ、ファビオの旦那。ただでさえ、考え込むと身動き出来なくなっちまう性質(タチ)なンですから」

 美丈夫は大事そうに抱きかかえた青年の髪に鼻先を埋めるようにして口付けを落とす。

「悩める姿がこの世の誰より愛くるしいでしょう、うちの〈覚者〉サマは」

 目線を上げ、ファビオに挑発的な笑みを見せ付ける美丈夫。青年はその腕の中で唸りながら、未だに逃げようと動かぬ身体で捥がく様子を見せる。

「本当はアンタの前で抱いてやろうかとも思ったんですがねェ。どんなに可愛らしく啼くのか見せて差し上げようかと」

「ッ……!」

 美丈夫の言葉にびくっと大きく身を震わせ、青年が目を見開く。さらに嗚咽を押さえ込むようにして息を殺す。その姿を目の当たりにしたファビオは大きく肩を竦めた。

「それは、俺が御免被る……。せっかく不老の〈覚者〉人生を満喫しているというのに、この先一生アルに寝首を狙われ続けるのは勘弁だ」

 この〈戦徒〉はまだ知らぬのだろうが、青年の過去を知っている人間としての正直な感想だ。

「左様ですかい」

「まぁ、見ていて飽きはしないが……ほんっとタチが悪いな、お前って奴は」

 悪びれもせず、くつくつと嗤う美丈夫の姿を見たファビオは深々と溜息を吐く。それから聞き分けのない子供にするように、青年の頭に手を乗せ優しく撫ぜてやる。

「それとアル……ルキウスはお前が喚び出した〈戦徒〉だろう? きちんと向き合え」

 どう扱うか〈覚者〉次第とはいえ〈戦徒〉を従えることは〈覚者〉の責務のひとつなのだ。

 ファビオの言葉に唇を噛み締める青年は、自身が喚び出した〈戦徒〉の腕の中で不承不承ながらも大人しくなった。




 何故、凄腕の暗殺者がLv1の〈新人覚者〉として始まるのかという補足的な話でした。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。