とある転生覚者の物語~覚者は白竜を継ぐ気がない&戦徒は主を連れ還りたい 作:狗狼
それは、素朴な質問から始まった。
「〈覚者〉サマはどうして右目を隠していなさるンで?」
美丈夫が用意した栄養価の高い朝食の、最後の一口を頬張った青年。卵と乳ときのこと燻製肉の入ったキッシュをよく噛み、確りと味わう。燻製肉は美丈夫お手製のもので、ブナのスモークチップで熱燻された鹿のバラ肉だ。
香ばしい薫香と絶妙な塩気が乳で作ったクリームによく合い、まろやかに味蕾を刺激するキッシュをごくんと
「どうして……って」
「〈覚者〉サマの左目は、新緑のように美しい翠ですが、右目はオレと同じ碧なンですね」
美丈夫が青年の隣に腰を下ろすと、右手で頬杖を突きながら顔を覗き込んできた。青年が歯の浮くような台詞に呆気に取られている間に、すいと左手を伸ばして右頬へと触れる。指先で右目を覆う髪を掻き上げ、その下から現れた青年の碧玉のような右目を穏やかな眼差しで
青年が隠した右目を除けば、この主従は対極ともいえる。
一方は片目が隠れる程度のウルフカットをした癖のない銀の髪に、新緑のような翠の瞳を持つ痩躯の〈覚者〉。
もう一方は緩やかにたなびく豪奢な長い金の髪に、薄氷の張ったような碧の瞳を持つ巨躯の〈戦徒〉。
とはいえ、青年が右目を隠しているのは、美丈夫が青年に仕えるより遥か昔からだ。
美丈夫は知っている──本来の青年の瞳が両方とも翠色であることを。右の瞳は己が染めたものなのだ。青年が美丈夫の眷属となったとき、その証として同じ碧に。しかし目の前の青年はそんなことすら忘れていた。
「お、前……よくもまぁ、面と向かってそんな恥ずかしいセリフを口に出来るな……?」
「オレは事実を述べただけですぜ」
美丈夫はにこにこと微笑みながら顔を寄せ、青年の目尻に口付けを落とす。
「よせっての……」
青年は不意打ちのキスを
「いい加減、慣れてくだせえよ」
呆れたように美丈夫が口にするが、青年にしてみれば決して慣れるようなことではない。美丈夫の問いに答えていないことに気付き、しばし悩んだ様子を見せてからぽつりと答えた。
「左右の瞳の色が違うのを隠したかったから……って、やめないか」
美丈夫は笑いながら口を塞いだ手を取り、指先を甘噛みする。
「それじゃあ〈覚者〉サマは、他人には滅多に見せることのない碧の瞳をオレにくださったンですね?」
青年がこの地へ生まれ落ちるに当たって、美丈夫はなんの手出しもしていない。正確には美丈夫の与り知らぬうちに決められたことであったため、なんの手出しも出来なかったというのが正しい。
故に美丈夫が与えられた
レスタニアに
真に
美丈夫の〈戦徒〉としての器は、本性をそのまま写し取り、無理やりヒトの形に収めたものだった。喩え、青年がこの地に生まれ落ちる前のことを憶えていなくとも、魂は憶えているのだ。自分と由縁ある美丈夫の本性を。
「そう云われると、どう答えれば良いのか解らない。……ただ、心に思い浮かんだ姿が、お前だったんだ」
〈戦徒〉には〈覚者〉の望む通りの容姿が与えられる。裏を返せばそれは〈覚者〉の理想像とも取れた。細身で肉付きの悪い青年の理想とする男性像が、巨躯の美丈夫なのだと云われているようで、青年は答えに詰まった。
青年には男性としての欠陥がある。身の周りでその欠陥について知っているのは、この〈戦徒〉だけだ。そして美丈夫を見るたびに、考えてしまうことがある。
自分は美丈夫のように男性としての魅力にあふれた逞しい肉体を羨み、理想像として顕現させたのだろうか。
ルキウスは長身で、重量感のある筋肉に覆われ均整の取れた体躯をしている。男性らしいラインを描く太顎に、鼻筋の通った彫りの深い顔立ち、氷碧の瞳に豪奢に煌めく金糸をたなびかせる、どこをとっても遜色のない美丈夫だ。そのくるくるとよく変わる豊かな表情から〈戦徒〉と思われることも少ない。愛嬌があり人当たりも良く、ひとたび街を歩けば、さまざまな人間から声を掛けられる。
「いや別に、〈覚者〉サマを困らせたかったワケじゃありゃあせンのでね。そんな顔しねェでくださいよ」
青年はよほどおかしな表情をしていたのだろう。美丈夫が小さく吹き出し、戸惑いを憶えた青年の頬に唇を落とした。
美丈夫は知っている──青年の持つ本当のコンプレックスを。そして自分が青年の理想像などではないことも。
「ルキウス……」
「ナンですか? 〈覚者〉サマ」
自身が仕組んだことは総て忘却の彼方に追い遣り、このレスタニアでひとりの人間として苦悩しながら生きている青年。その一生涯を〈覚者〉に付き従う〈戦徒〉という特等席で見定めろというのだろう。この世界に降り立ち、美丈夫は青年の用意した余興をそう受け止めた。
以前は死に急ぐような生き方をしていた青年だが、美丈夫という少々規格外な〈戦徒〉の存在により、それもなくなった。そのこと自体は、傍観者を決め込む積もりだった美丈夫には、多少不本意ではある。しかし始まったばかりの余興であるからして、もう少し愉しんでも良いとも思ってもいる。
平穏な人間の一生とは無縁な〈覚者〉という存在。〈覚者〉が不老である以上、その生は唯人のものよりは長いかも知れないし、激しい戦いの末にあっさり死ぬかも知れない。どちらにしてもこの青年がなにかを選んで生きてゆく、あるいは死んでゆく姿を見届けるのが、いまの己の役割である。
元の世界へと連れ還るための最後の手段としては、青年の命を奪い、この世界の人間としての生を終わらせるという方法がある。〈覚者〉は不老であっても、不死ではないのだ。
死に急ぐ者をそのまま死なせて終わらせるのは興醒めだが、退屈な日々が延々と続くのも御免被る。問題は〈戦徒〉という窮屈な器に押し込められた己には、直接手を下せないということだ。
美丈夫がそんな物騒なことを考えているなどとは思いも拠らない青年は、美丈夫の言葉について真面目に悩み、ようやく探し当てた言葉を口にする。
「……お前の瞳の色は好きだ。見ていると、とても安心する」
「そりゃあ、オレが〈覚者〉サマをこの世の誰よりも愛しているからじゃあねェですか?」
真顔で返す美丈夫。偽りなき本心だからこそ、極上の笑みを讃えて目を逸らさずに云える。それを間近で目にした青年は、逃げるようにして顔を背けた。
「だから! なんで、お前は……真顔でそんなことが云えるんだ」
「どうもオレは、普通の〈戦徒〉とは違うようでしてね。〈覚者〉サマはこんなオレは不要だと仰いますかね?」
「要らないなんて! お前がいなければ……! 俺独りに出来ることなど、高が知れている」
自ら顔を背けたばかりだというのに、慌てて振り向く。まるで置き去りにされた子猫のように縋り付いてくる青年。その姿は、前世の青年には見られなかったものであり、いまはとても新鮮に感じる。
にも拘らず、思わずなにも知らない青年に総てを知らしめ、この関係を終わらせたいという衝動にも駆られる。それがどうにもならない己の
「お慕いしておりますよ、〈覚者〉サマ」
口付けようとすれば逃げる。解っているから額を寄せるだけに留めたというのに、反射的に退かれる腰。素早く腕を差し出して抱き寄せ、向かい合わせにして膝上に乗せる。華奢な身体は美丈夫の腕の中にすっぽりと収まり、青年に逃げ場はない。
「……ッ」
美丈夫の太い腕が確りと腰周りを捉えている。無下に振り払う理由は、ない。青年は観念して、美丈夫の太腿へと腰を下ろした。その両腕は強張ったままで、美丈夫の両肩に乗せられる。なにかあれば突き飛ばして逃げるのだと、まるで警戒した猫のように全身の毛を逆立てている。
「逃げねェでくださいよ。オレのコトがお嫌いですか?」
青年の警戒を解こうと屈託のない笑みを浮かべ、真っ直ぐに見上げる美丈夫。青年は困ったような表情で目を合わせた。
「……嫌う理由が、ない」
「そりゃあ良かった」
「……」
自身の〈戦徒〉である美丈夫と身体の関係を持ってしまった。しかも一度や二度では済まない。そのくせ、愛しているのかと訊かれれば、いまだに答えを出せていない。
自身が喚び寄せた〈戦徒〉であるはずなのに、美丈夫の立ち居振る舞いはどこかおかしい。他の〈戦徒〉のように、ただ使命のために付き従い、共に闘うだけの存在であれば、こんなに悩むような事態には陥っていない。
〈覚者〉に対し、愛を囁く〈戦徒〉の話など、いままで耳にしたことがない。何故、自分の〈戦徒〉だけがこうも一般的な〈戦徒〉とは逸脱した個性を持っているのか。その理由が解らない。〈覚者〉である自分が、人間としての欠陥を持っているからだろうか。
「オレはアンタに愛されたいだなんて、大それたこたァ思っちゃいないンですぜ、〈覚者〉サマ。ただ、オレがアンタを愛しているってコトは、知っておいてくだせえ」
美丈夫の言葉は砂糖菓子のように甘い。いま以上に傷付くことを恐れる青年は、頑なに防護壁を張っている。そのはずなのに、美丈夫はなによりも甘い言葉で青年の心を蕩けさせる。
「オレに触れられるのはお嫌ですか、〈覚者〉サマ?」
「嫌じゃ、ない……が」
美丈夫は言質を取って徐々に距離を詰めてくる。詰まった距離の分、不安が膨れ上がってゆくのを感じ、言葉を慎重に選ばざるを得なかった。
「ナンです?」
「俺には、解らない」
「ナニが、です?」
その言葉が
「……愛ってやつが」
「解らンでもイイですよ。嫌じゃねェってンなら、アンタはオレが与えるモノを、ただ受け止めていれば、ソレでイイんでさァ」
男として欠陥を持つこんな自分に対し、懲りずにいつまでも愛を囁き続けるのは、この〈戦徒〉のみだ。いままでに愛を交わしたことのある相手は、青年の欠陥を知り離れていったのだから。
「〈覚者〉が、自分の望む通りの〈戦徒〉を喚び出せるのなら……お前がそうやって俺に愛を囁くのも、俺に触れたいと思うのも、俺がそう望んでるからだとしたら……?」
「クックック……そんなふうに考えていなすったンですか、〈覚者〉サマ」
青年が震える声で告げると、美丈夫は肩を揺らして笑い出した。いままでになく愉しそうに笑う姿に、青年は不思議そうに首を傾ぐ。
「オレがアンタを愛しているのは、そう造られたからじゃあねェですよ。オレは、アンタに喚び出される前から変わっちゃいねェので、〈覚者〉サマが気にするこたァナンもありゃあしません」
「……本当、か?」
青年は美丈夫の存在を確認するかのように、身体の形をなぞってゆく。そのほっそりとした手が、逞しい肩から太い二の腕、二の腕から肩、そして僧帽筋を通り過ぎる。最後には両の掌で美丈夫の両頬を挟み持ち、氷碧の瞳をじっと覗き込む。
「ええ」
「お前の在り方を、俺が歪めてる訳じゃないんだな?」
普段は逃げるばかりの青年が、恐る恐る顔を寄せ、こつりと額を合わせる。
「〈戦徒〉として可能なコトしか出来ねェですから、ゼロたァ云いませンがね。オレはオレであるコトに誇りを持ってますよ。アンタが喚んでくれて良かったと」
もしも青年が、己以外の存在を〈戦徒〉として喚び出したりなぞしていたら、それこそ己はこの世界を滅ぼす災厄と化していたことだろう。過去、偽りを友とし数多の神々を欺いてきた道化は、強烈な嫉妬に駆られてひとつの世界を滅ぼすに至ったのだ。
そんなことは露知らず、青年は眉間に皺を寄せて苦悩の表情を見せる。
「そう、か……。だとしても、愛ってものがなんなのか解らないのに、ただ愛されるだけってのはおかしい、だろ?」
愛とは無償のものであると唱える人間がいる。
かと思えば、捧げた愛と同じだけ愛してほしいと対価を欲しがる者もいる。
ただ受け止めるだけの無償の愛を信じられるほど、青年は
「ソレのナニが悪いっていうンです? オレはアンタをたっぷりと甘やかしたいンでさァ。ソレに、〈覚者〉サマを愛するのは、決して〈戦徒〉としての禁忌じゃあねェってコトですよ」
青年の碧翠をした両の瞳が驚きに見開かれ、美丈夫を凝視する。その真意を見通すように。
美丈夫は知っている──青年のいまの姿こそが、青年にとっての理想像なのだと。
目も良く、視力矯正のための眼鏡を必要としていない。──青年の前世は、眼鏡がなければまともにものを見ることが出来ない。
その肢体は細身ではあるが、野生の獣のようにしなやかな筋肉が付いており、身体能力に長けている。──青年の前世は、痩せぎすで筋肉などというものとは無縁。なにより運動音痴だった。
髪は艶やかで、目の下にはクマもなく、膚艶も良い健康な肉体だ。──青年の前世は、髪はボサボサ。篭りっきりで研究に励み、昼夜関係なしに起きているお陰で、目の下には常にクマ。食事も栄養価のあるものを摂取出来れば味はさほど気にしないといった具合に、自身の健康になど一切気を遣わない状態だった。
半魔であること利用しつつも、あくまで脆弱な人間であることを理解しながら生きていた青年。神や魔を恐れず、興味のあることであればなんにでも首を突っ込んでゆく姿勢が、気に入った。
《ボクはあくまで矮小で脆弱なニンゲンにすぎないので》
そうやって、厭世的に笑う偏屈な青年は、眷族にした処で自らの欲望のままに姿貌を変えることもなかった。あくまで自分らしさを求めた結果、どんな脆弱な肉体であろうとも魂の形に変わりはないというのが、この青年の在り方だった。
この地へ生まれ落ちた青年の姿を目にして、一時のものであるからこそ、あり得ない自分というものを生成したのだと思った美丈夫である。
それでいながら男として不能であるのは、この世界に自身の
しかし美丈夫がいくら云って訊かせた処で、青年はこの先もひとりで延々と思い悩み続けるのだろう。
ならば、そんな悩みなど忘れ去るくらいに、熱く激しく愛してやろう。ひとりの人間として一生を全うすると決め、この世界に生まれ落ちたのは青年自身だ。真の主としては、その生が美しく希望に満ちたものであるよう、尽力してやろうではないか。喩え、青年が自身で仕組んだ
「オレが、全身全霊を賭して、〈覚者〉サマの人生に彩りを添えて差し上げますよ」
青年の肉体と魂の双方に生きる悦びを刻み付けるため、美丈夫は青年の薄い唇へと恭しく口付ける。
「本日のご予定は?」
「神殿からの呼び出しがなければ、なにも……」
「じゃあ、邪魔が入るまではふたりっきりで過ごせるってワケですな、〈覚者〉サマ?」
美丈夫が子供のように嬉しげに笑む。
「まだ、朝飯を食ったばかりなのにか……?」
青年は身を強張らせて呆れたような声で口にするが、逃げようとはしなかった。
これの前にもう一本上げたかったのですが、思いの外長くなってしまい書き上がりませんでした。という訳で先に書き上がっているものを投稿します。来週にはちょい長めのものをアップできると良いのですが。
上記の事情により、こちらの話は後ほど順番が入れ替わる可能性があります。