『今日からお世話になります!よろしくね、お兄ちゃん!』
僕があの子に出会ったのは、2004年の8月。暑い日だった。
僕は流れる汗を拭いながら、アパートの階段を昇っていた。
もう午後6時だというのに、夏の太陽はまだ容赦なく照りつけていた。
なんか、疲れたな…
それは今日、職場でトラブルがあり、その対応に追われたからだ。
僕は34歳、会社では係長だけど、わずかな役職手当てで責任を負わされて、大していい事なんてない。
今日は早く寝よう…
そう考えながら、部屋のドアを開けた時、声がした。
「お兄ちゃん!」
振り返ると、小さな女の子が走り寄ってきた。
知らない子だ。水玉模様の青いワンピースを着て、ピンクのショルダーバッグを下げていた。
女の子は立ち止まり、元気よく挨拶した。
「こんにちは!山下耕平さんですよね?」
「そうだけど…」
「わたし、大橋桃香です」
そう言うと、ペコリとおじぎした。
やっぱり知らない名前だ。
ただ、大橋という名字は、心当たりある。母方の親戚だ。
桃香ちゃんは、ニコニコして僕を見ていた。
小学生だろうか。可愛らしい子だ。
丸顔で色白、大きな目が印象的だ。
胸まで伸びた黒髪が綺麗だ。
女の子は、キラキラした瞳で、真っ直ぐ僕を見て言った。
「今日からお世話になります!よろしくね、お兄ちゃん!」
えっ!?
「ちょっと待って!それ、どういう…」
「ここ暑いね。中に入っていい?」
そう言うと桃香ちゃんは、返事も聞かずに部屋に入ってしまった。
僕の部屋は1DKだ。
はっきり言って狭い。
しかも物が散乱し、雑然としていた。
「なにこれ?外より暑いよ!すごい散らかってる!」
桃香ちゃんは、あきれたように言った。
留守中、閉めきっていたので、暑いのは当然だ。僕はため息をついて、エアコンのスイッチを入れた。
一体どういう事だ?この子は何者だ?僕は困惑して説明を求めようとした。
「あのね、君…」
「桃香だよ。ももって呼んで」
「えっと…ももちゃんは、なんでここに来たの?」
ももちゃんは座ると、ショルダーバッグから封筒を出して、僕に手渡した。
「お父さんからだよ」
それは僕の従兄弟、大橋亮からの手紙だった。
彼は僕より3歳年上だ。
元々両親と仲が悪く、大学卒業と同時に絶縁宣言をして家を出てしまった。15年前の事だ。
以来誰も亮の行方は知らない。
彼の両親も、今は亡くなっている。
【 耕平君、久しぶりだね。
僕は今、結婚して子供も産まれ、幸せに暮らしている。
実は今度、夫婦で海外旅行に行くことになった。しばらく戻らない。
桃香はまだ12歳だ。ひとりで留守番させるのは不安で、君に世話をお願いしたい。突然こんな事を頼んで申し訳ない。
迷惑とは思うが、他に頼る身内もいない。君にしか頼めないんだ。娘の事、よろしく頼む 】
手書きではない、パソコンで打ったものだ。それは構わないが…ずいぶん不躾で、一方的な手紙だ。
たしかに亮は、昔から自分勝手な性格だったが…
「ねっ、わかったでしょ?そーゆー事だから、よろしく!」
「わからないよ!だいたい亮は…君のお父さんは…僕の今の状況、知らないだろ?僕は独身で、ひとり暮らしだよ?そんな所に女の子ひとりで…なに考えてるんだ?」
「君じゃないよ。わたしは、もも」
「どうでもいいよ。とにかく無理だよ!こんな…一方的に…」
「じゃあ、どうするの?わたしを追い出すの?行くとこないんだよ?」
僕はケータイを取り出した。
「待って!どうするの!?」
慌てるももちゃんを尻目に、僕は実家に電話をかけた。
ももちゃんの事は、あえて話さず、大橋亮から最近連絡があったのか確認した。
僕の母親は知らないと言った。
ももちゃんは、不安げに僕を見ていた。
そんな目で見られても、僕も困るよ。
「やっぱり、ももちゃんのお父さんは、誰にも連絡してないらしい。これから他の親戚に相談してみるよ」
「やだ!わたし、ここがいい!お父さんだって、お兄ちゃんに頼んでるんだよ!」
「それが無理だから困ってるんだよ」
彼女の目から、涙がポロポロこぼれた。
「わかった…わたしがジャマなんだね…」
「そんな事は…」
「いいよ…出ていくから…どこかでテキトーに寝るから…わたしが襲われたりしても…お兄ちゃんのせいじゃないから…気にしないでね…」
僕は、うろたえた。
「ちょっと待ってよ…僕は…」
「バイバイ…」
涙を拭いながら、ももちゃんは立った。
仕方がない。一晩位なら…
「わかったよ…とりあえず今日は、ここに泊まって。その代わり、狭いのは我慢してよ」
「そんなの平気だよ!わたしがお掃除してあげる。しばらくここにいるんだし」
「だから今日だけって…まあいいか…」
これ以上の押し問答は疲れるよ…
でもまあ、そんなに悪くないかな…しばらく泊めてあげても…
とりあえず、期間限定だし。
本人も望んでるし…けっこう可愛いし…
…って、12歳の子供だぞ?僕は、いつからロリコンになった?しっかりしろ!
そんな僕の様子を、ももちゃんは、じっと見ていた。
僕はなんだか見透かされたような気がして、落ち着かない。
「えっと…今からどうしよう…とりあえず夕飯か…」
「お風呂がいいんじゃない?汗ベトベトだよ」
「シャワーでよかったら…ももちゃん、先に…」
「お兄ちゃんが先だよ。ここのご主人様だから」
ご主人様って…メイド喫茶か?まあいいや。