しかし、それは突然終わりを告げられた。父親の転勤で、早川家は県外に引っ越すことになったのだ。
桃香ちゃんは12歳になっていた。
僕にとっては、友達の一人がいなくなっただけだった。それなりに寂しかったが、それだけだ。
でも桃香ちゃんにとっては、身を引き裂かれる思いだった。
内気な少女の、誰にも言えない秘めた恋。彼女は、いつか僕と結ばれることを夢見て、それだけが生きる希望になっていた。
それが無惨に絶たれたのだ。
「わたし、耕平お兄ちゃんに会えないなら、もう生きていたくないって思った」
引っ越して間もなく、彼女の病状は急激に悪化した。
「あの時、すごく痛くて苦しくて…わたしずっと、耕平お兄ちゃんに会いたい、会いたいって、そればかり思ってたの 」
その時のももちゃんの苦しみは、僕なんかには想像できない。
「そしたらね、急に痛くなくなって、体がスウッと浮いた感じがして…気がついたら元の町に…耕平お兄ちゃんがいる町に立ってたの」
「それって…」
ももちゃんは、うなずいた。
「わたしにもわかったよ。死んじゃったんだって」
じゃあ、今僕の横にいる少女は…幽霊…ということか?でも彼女の体は、紛れもなく生身の、完全な肉体だ。
「それからのわたしは、どこでも行きたい所に行けたよ。ずっと耕平お兄ちゃんのそばにいられた。でも、ただ見てるだけで何もできないの。誰もわたしに気づいてくれないし」
それはちょうど、ひとりで監禁された部屋の中で、テレビだけを見て過ごしているようなものだろうか。
テレビに映る人物は見える、声も聞こえる。でもその人と会話はできないし、触れることも叶わない。単なる傍観者だ。
そんなふうに、桃香ちゃんは僕を20年間見続けていた。
「お兄ちゃんは、どんどん大人になっていくけど、わたしはずっと12歳のまま」
人は、他人や社会との関わりの中で成長して、大人になっていく。それが許されない桃香ちゃんは、精神面でも子供のままだった。
そんな桃香ちゃんにも、ショッキングな出来事があった。僕に彼女ができた事だ。
「お兄ちゃんが女の人と仲良くしてるの見るのは、イヤだった。でも仕方ないよね。わたし死んでるし」
そして彼女は見た。付き合っている大人の男女が、何をするかを。
「びっくりしたよ。すごく。最初はお兄ちゃんが女の人を、いじめてるのかって思ったよ。でもわかったの、きもちいい事なんだって。わたしにもして欲しい、お兄ちゃんに抱かれたいって思った」
桃香ちゃんの望みは、より具体的になった。それは僕に愛される事、僕とセックスする事。でも彼女には、肝心の肉体がない。
僕が当時の彼女とセックスしているのを見ながら、その姿を自分に置き換えて想像するしかなかった。
そして今から4日前、大きな変化があった。
その日、会社で僕の部下がミスを犯した。それが大きな問題になり、僕は、いつになく強い口調で部下を叱った。
そんな僕の様子に、桃香ちゃんは驚いた。
僕自身、他人に対してそれほど強く当たったのは初めての事だった。
桃香ちゃんは、いつもと違う僕を見ているのが辛くなり、その場を離れた。
彼女は街を移動して、橋の上から下の川を眺めていた。
すると誰かの声がした。
『桃香さん』
振り返るとそこには、全身黒ずくめで黒い帽子、黒いサングラスをかけた女性がいた。
桃香ちゃんは信じられなかった。名前を呼ばれたのは20年ぶりだ。どうして見えるんだろう。
恐る恐る女性に向かって話した。
『あの…わたしが見えるんですか?』
『見えるわよ。私にはね』
『あなたは…誰ですか?』
『誰でもないわ。…そうね、あなたの願いを叶えてあげられる者…といったところね』
『わたしの願い?』
『こっちにいらっしゃい』
ふたりは一瞬で移動した。
そこは工場のような所で、もう使われていない、廃墟のようだった。
中央に置かれた椅子に、少女が座っていた。目を閉じていて、動かない。白い水玉模様の青いワンピースを着ていた。傍らにピンクのショルダーバッグが置かれていた。
その顔を見た桃香ちゃんは…
「ホントにびっくりしたよ。だってその子、わたしだったから」
その少女は生前の桃香ちゃんと瓜二つ…いや、それ以上に全く同じだった。顔だけでなく身長や体つきまで、桃香ちゃんそのものだった。
『この子誰!?なんでわたしにそっくりなの!?』
『あなたの体よ』
『わたしの?…だってわたしの体は…』
もう、なくなっているはずだ。
『その体、欲しくないの?あの人に会いたいんでしょ?』