『おかえりなさい』
僕は身じろぎもせず、ひとりベッドに座っていた。
何時間経ったろうか。
昼も夜もない閉ざされた部屋だが、もう真夜中を過ぎているはずだ。
ひとりになると、豪華な部屋が余計に広く感じられる。
防ぎようのない虚脱感が、じわじわと侵食してくる。
ソファーの上に、キレイに畳まれたウェディングドレスが、寂しげに置かれていた。
ももちゃん…結婚式したかったよね…ごめんね…
彼女は生まれて12年間、病気で苦しんで、その後20年間、僕への想いと孤独に苦しんだ。
僕などには想像もつかない、軽々しく同情することすら許されない苦しみだ。
あんな小さな少女が、それに耐えてきたんだ。
それに比べて僕は…
ももちゃんは、ようやく健康な体と、願いが叶う幸せを手に入れた。僕に話さなければ、気付かれる事はなかっただろう。
彩ちゃんは家出少女だった。もし、ももちゃんが警察とかに見つかれば、彩ちゃんの親許に連れて行かれるだろう。
しかし、北海道はあまりにも遠い。このまま発見されない可能性も充分ある。
つまり、あの告白さえしなければ、僕とずっと一緒にいられた。
…『これを聞いたら、わたしの事キライになるから』…
なのに、話すことによって僕の愛が冷めてしまうリスクを犯して、打ち明けた。
それは、ももちゃんの誠意だ。
愛する人に偽ったままでいたくない。どこまでも純真で真っ直ぐで清らかな心を持っているからだ。
なのに僕は…
そんなももちゃんの真心を踏みにじった。全てを知って受け入れる寛容さが、なかった。
いや、そもそも僕の愛が浅かったのだ。
ももちゃんの可愛い顔と体に惹かれて、セックスの快楽に溺れて…それが当たり前のようになって…どれ程幸福なことか、忘れていた。
愛してるとか言いながら、そんなの本当の愛じゃない。
僕は……最低だ……
元々、ももちゃんに愛されるには、相応しくない。その資格もない、下劣な男だ。
このままひとりで、のたれ死んでしまえばいい。醜い心の僕には、それこそがお似合いだ。
でも…
それでも僕は、ももちゃんに会いたい!
会って、心から謝って、もう一度やり直したい。
愛が足りなくてもいい。どうせ肉欲だけだろうと言われても構わない。
やっぱり、ももちゃんに会いたい!会わなければならないんだ!
僕は部屋を飛び出すと、廊下を走った。
一階まで、隅々を探し回った。
クルマに乗り込むと、ももちゃんと行った場所全てを辿っていった。
海水浴場…温泉旅館…
もちろん、ももちゃんはいなかった。
正直、あの女性とどこに行ったのか、皆目見当もつかない。でも、とにかく探そう。
やがて僕の街に戻ってきた。
すっかり夜も明けていた。
ももちゃんの話しに出た廃工場が、どこかにあるはずだ。
しかしそれは、見つけられなかった。
ショッピングモール、ファミレスと探して…
とうとう、憔悴しきった僕は、アパートの駐車場に戻った。
昨夜一睡もしていない体は、ひどい頭痛と倦怠感に襲われていた。
クルマの中で、グッタリしていた。
もう絶望しかなかった。
やっぱり…いなかった…
当然だろう。最低な僕は、ももちゃんに嫌われたんだから。許してもらえるはずもない。甘いんだよ。バカだな。
もう永遠に失われたんだ。いいかげん認めろよ。自業自得だ。
僕はフラフラとクルマを降りて、よろけながら階段を登った。
部屋が何号室だったのか、それさえも忘れそうになっていた。
頭を押さえながら部屋に入った。
「おかえりなさい」
声がした。ももちゃん?
でも誰もいない。幻聴だ。
もう限界だ。寝不足と疲労で、気が遠くなってきた。
僕はその場に倒れ込んだ。