『お兄ちゃん…さよなら…』
「お兄ちゃん…お兄ちゃん…」
ももちゃん?そこにいるの?
僕は目を開けた。
そこには黒い帽子と黒いサングラスの、あの女性がいた。
「やっぱり、あなたの愛は偽りですね」
何だ?何を言ってるんだ?
「あなたが愛したのは、幼い肉体だけ。ただの都合の良い性欲の対象です。それは愛ではありません」
そんなことない!僕は心から、ももちゃんを愛してるんだ!
彼女は帽子とサングラスを外した。
そこに現れたのは、ももちゃんの顔だった。
「お兄ちゃん…さよなら…」
ももちゃん!待ってよ!ももちゃん!
姿が消えていく。
ももちゃん!
僕は飛び起きた。
自分の部屋のベッドの上だった。
今は朝か?
「お兄ちゃん、どうしたの?」
ももちゃんが、キッチンからピョコンと顔を出した。
「え?…いや、ちょっと変な夢見て…」
「大丈夫?」
彼女は髪をツインテールにして、猫の絵が描かれたエプロンを着けていた。可愛い。
「うん、何でもないよ」
いや違う、何だか変だ。
「今ね、朝ごはん作ってるの。ちょっと待ってね」
「うん、ありがとう」
たしか、ももちゃんがラブホテルから出ていって、僕は探しまわって…
それも夢か?
どこからが夢だ?
そもそも、ラブホテルにも温泉旅館にも行ってないのか?
わからない…
時計を見た。朝の6時だ。
ももちゃんが作ったのは、ご飯と味噌汁と焼き鮭。
ご飯はお粥みたいにベチョベチョ。
味噌汁は辛すぎる。
鮭は焼きすぎ。半分焦げている。
相変わらず料理は下手だ。
「おいしい?」
ももちゃんはテーブルで、ほお杖ついてニコニコしていた。
「うん、おいしいよ」
と、僕は嘘をついた。あの時と同じだ。
「よかった。最後にお兄ちゃんにご飯作ってあげられて」
えっ?最後?
「彩ちゃんから聞いたよ。お兄ちゃん、わたしをずっと探してくれたんだよね」
やっぱり、あれは現実か…
「彩ちゃんね、お兄ちゃんに付いていって見てたの。お兄ちゃんすごく必死だったって。わたしのこと本当に愛してるよって言ってた。すごくうれしかったよ」
「そんなの、当たり前だよ」
「わたしね、今日、お兄ちゃんとお別れしないといけないの」
突然だったが、それは当然覚悟しておくべきことだった。
ずっと一緒にいられるとか、結婚するとか、そんなのは僕の一方的な思い込みで、最初からわかっていたことだ。
でも実際その時が来ると、さすがに動揺する。
「お別れって…そんな…」
「わたしもホントはお兄ちゃんといたい。でも、聞いちゃったの。本当のこと。わたしも知らなかったこと」
そして、ももちゃんは話してくれた。
ラブホテルから出た後のことだ。
あの夜。
ラブホテルの部屋を出たももちゃんと黒い女性は、エレベーターに乗った。
ももちゃんは、考えていた。
わたしがホントの事話したから、どこかに連れて行かれちゃうんだ。もうお兄ちゃんには会えない…
また涙が溢れてきた。黒い女性は無言だった。
その時いきなり…
『ももちゃん!なんで彼に話しちゃったの!?』
彩ちゃんの声がした。いつの間にか隣にいた。
ももちゃんは、泣きじゃくりながら言った。
『だって…わたしもう…お兄ちゃんにウソつくの、つらかったの…』
黒い女性はふたりを見ずに話した。
『それは問題ないわ。あの人に話したところで、何も変わらないから。それより、ルール違反をしたのは…』
彩ちゃんの方を向いた。
『あなたよ』
ももちゃんは驚いた。
『彩ちゃん?』
彩ちゃんは唇を噛みしめて、黙りこくった。女性はさらに追い討ちをかけた。
『どうして桃香さんに言わなかったの?もう時間がないのよ』
『いいじゃない!あたしが、ももちゃんにあげたんだから!文句あるの!?』
ももちゃんは混乱した。
『何の話しなの?』
建物の外に出た三人は、停めてあった僕のクルマに乗り込んだ。あの女性は、どんな鍵でも無効にできるらしい。
『彩さん。桃香さんに、あなたから説明しなさい。それが規則だから』
僕は、すっかり冷めてしまった辛い味噌汁を飲んで
「ももちゃんに体をあげる前のことだね。その人と彩ちゃんは、どんな話しをしたの?」
ももちゃんは
「わたし、彩ちゃんのこと、何も知らなかった。話してくれなかったから。だからわたしからも、彩ちゃんのこと全部教えてって、お願いしたの」
斉藤彩ちゃんは、ももちゃんと同じ12歳。北海道で、父親とふたりで暮らしていた。
母親は、彩ちゃんが5歳の時、家を出ていった。父親は言った。『あいつは、お父さんと彩を捨てて、他の男の所に行ったんだ』
父親は、元プロボクサーだった。引退後は、人材派遣に登録して働いていたが、職場で大ケガをして、辞めざるをえなくなった。
それから彼は変わった。
優しく温厚だった父は、荒れてしまい、彩ちゃんに対しても暴言を吐くようになった。
時々、家に恐そうな男が来た。
父はその男と外出しては、多額の現金を持って帰って来た。
子供の彩ちゃんにも、父が何か良からぬ事をしているのがわかった。
悪い噂はすぐに広まる。彩ちゃんの父親は暴力で人を脅して、お金を巻き上げていると。
その真偽は定かでないが、そのために彼女は学校でイジメられるようになった。
仲の良かった友達も離れていった。
誰も助けてくれない。教師でさえも。