『うん。ずっとずっと、お兄ちゃんと一緒だよ』
木々がざわめいていた。
風が吹いているのだろう。
しかし僕はそれを感じることができない。
暖かいのか寒いのか、それさえもわからない。
家族も友人もいない。
人としての生活は失われた。
眠ることさえない。
肉体はある。生きている。
見た目は普通の人間だ。
もし誰かに包丁で刺されたら、血は流れる。
でも痛みは感じない。死ぬこともない。
いや、死ねないのだ。永遠に。
美しい風景だ。
季節は春か。
新緑に彩られた山。きらめく湖。
あれから何年経ったろうか。
僕はもう、山下耕平ではない。今は名前もない存在だ。
斉藤彩ちゃんは、あのときの記憶を消された。
体も、僕が抱く前の処女の状態に戻された。
今は結婚して、子供もいるらしい。
幸せであればと願う。
古びた木の柵に、たくさんの絵馬が掛かっていた。
風に煽られて、カタカタ音を立てている。
そのひとつを手に取った。
『ふたりの愛が永遠に変わらぬ事を誓います』
と印刷された文字。その後ろに、ほとんど消えかかった署名。
『耕平と桃香』
痕跡も全部消すと言ってたのに、残っているじゃないか。
もしかして僕のためか?いや違うな。ただのミスだろう。
永遠の孤独だと、あの人は言った。
それは違う。
ももちゃんがいる。僕の中に。
僕を真っ直ぐに愛してくれた、一途で清らかな心。
一点の曇りもない、純真で美しい少女。
輝く笑顔。おいしそうに食べて、無邪気に喜び、飛び跳ねる姿。
しなやかで美しい体。
滑らかな白い肌。僕を包んでくれた、湿った温かい柔肉。
僕の腕の中で悦びに震える、あの表情。
あの日々の全てを、鮮明に詳細に覚えている。何一つ、忘れることはない。
だから自分の選択を、後悔していない。
僕が永遠に生きるなら、それは彼女も同じだ。
そうだよね、ももちゃん。
『うん。ずっとずっと、お兄ちゃんと一緒だよ』
「愛してるよ、桃香」
『わたしも。お兄ちゃん、愛してる』
ベンチに座って、ぼんやりと風景を眺めている男がいた。
かすかに、その体が光っている。
あの男か。
僕は近づいて声をかけた。
「松野明宏さんですね」
男は驚いて、僕を見た。
「お、俺が見えるのか!?どうして?俺、死んでるのに…」
僕は黒い帽子を少し持ち上げて、挨拶した。
「初めまして。私は魂を導く者です」
ーー 完 ーー
これで完結ですが、1000文字以上ないと投稿できないので、このあと無意味な記号を入れます。見苦しいですが、了承ください。
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