当たり前の常識だが、この事を完全に理解している者は少ない。
それは『自分さえ生き残ればいい』というエゴイズム故かもしれない――
フィアの初陣から1週間が過ぎた、ある日の昼間。
「店は開いてるか?」
「……」
俺(と、何故かついて来たノルシェ)は(一応)武装した上で近くのバーに足を伸ばす。
「あぁ、開いてる。カフェとしてはな」
そうだった。ここは昼がカフェ、夜はバーだったな。
「分かってる。アイスコーヒーとピロシキ」
オーダーを投げかけつつカウンター席に着き、隣にノルシェも座る。
「で、ノルシェちゃんは?」
「紅茶」
「ピロシキとアイスコーヒー、紅茶か。了解だ、少し待ってろ」
二人分の注文を聞き、手早く準備を始めるマスター。
対する俺はブックラックから雑誌を抜き取り、目を通す。
当たり障りの無い情報ばかりだが、暇潰しにはなるらしい。
「ほい、アイスコーヒーと紅茶。ピロシキは少し待ってくれ」
気が付けば、頼んでいたドリンクが出されている。
グラス八分目まで注がれた黒褐色のコーヒーを一口含むと、瞬時に苦味が口に広がるが、それが過ぎれば心地良い風味が残る。
「いつ飲んでも美味いな」
「面と向かい合って言うのはお前さん等ぐらいだよ」
軽く微笑みながら言うマスター。
良い人ではあるのだが、この人は元政府軍所属の退役軍人。
当然、身体付きは良く、散髪が面倒だからと永久脱毛したらしいスキンヘッド、般若が仏に見える程の厳つい顔付きと相まって、下手に何かを言いづらいのかもしれない。
「別に怖がる必要は無いだろう」
「お前さんの言う通りだが、人ってのは……どうしても見かけで判断しちまう」
「…………確かにな」
俺にも心当たりがあった。
「…………熱い」
隣で紅茶を飲むノルシェにもあるのかは分からないが。
「さて、辛気臭い話題はここまでにしようか。ピロシキが焼けたぜ」
「一理あるな。……って、随分と量が多いな」
目測だが、3人前はある。
「昼飯時だからな。この時間は大して客も来ねぇし。サービスだ」
「…………美味しい……」
「……おい」
マスターの話を聞かず、ノルシェはピロシキを食らっている。
「美味しいか、ありがたいね。……昔、上官の目を盗んで練習した甲斐があった」
(……除隊の理由はそれじゃないよな?)
軽く呆れながら、俺もピロシキを食らい、コーヒーを飲む。
やっぱり美味い。……なんだかんだ言っても、ここのメニューは好きらしい。
「…………ピロシキ、2人前追加」
「おい…………」
全部食うな。おかわりを要求するな。
「後ろ」
「……そういうことか」
喉まで抗議が出かけるが、後ろを一瞥した事で理由が判明する。
「ここにいたんですか、先輩~」
「ノルマは済んだか?」
「な、なんとか……」
俺の投げ掛けた質問に、フィアは疲れ気味に答えて、ノルシェの隣に座り――
「いらっしゃい」
「ひゃっ!?」
短い悲鳴を上げる。
「すみませんっ!!」
「いや、謝らなくていい。慣れてるから。……それより注文は?」
優しく語りかけるマスター。
「ミルクで……お願い……します」
しかし、返答は怯え気味だった。
「セルゲイさん……」
注文し終えると同時に、怯えた顔をこちらに向けられるが、
「慣れろ」
俺が返せる言葉はそれだけだった。
「慣れろ……って言われても……」
「はい、ミルク。ホットで良かったかな?」
「……ありがとうございます」
……何とか大丈夫そうだな。
安堵し、再び出されたピロシキを食らう。
揚げパイの一種なので、一個でもそれなりにカロリーはある。
二、三個で充分腹に溜まる物だが……
「……」
ノルシェは6個ぐらいは食べている気がする。…………太るぞ?
「…………その分消費する」
思考を見透かしたのか、ぽつりと呟かれる。油断も隙もないな。
「美味しいですね……このパイ」
「《ピロシキ》はパンの一種だ」
「へぇ……ピロシキって言うんですか……」
向こうは向こうで、話が弾んでいるように見える。
フィア……もう慣れてるな……。心配して損したよ。
確認する気は起きず、俺は自分の分を食いきり、
「……今のところ依頼は無いよな?」
「……」
ノルシェに問うと、無言の肯定を返される。
(さて、午後はどうするか……)
午後は完全にフリー。
「御馳走様……お代は幾らですか?」
「代金?そこの“お兄さん”や“お姉さん”が払ってくれるだろ」
それはフィアも同じだ。
あとマスター、確かに払うが……少しはオブラートに包んでくれ。
数分後。
支払いを済ませ、カフェを出る。
「さて、これからどうする?」
「……何でもいい」
「う~ん…………」
俺の質問に、フィアだけが考え込み、暫くして――
「スラムの案内ってお願いできますか?」
と、答える。
「理由は?」
「付近の事がほぼ分からないからです。周辺の地理が分からないなんて、おかしいじゃないですか」
…… 土地勘を養う為か。 一理あるな。
「……成る程。ノルシェ、異存は?」
「無い」
ノルシェの肯定はすんなり降りる。……大丈夫と思うか。
なら、言うべき事はこれぐらいか。
「分かった。武装は用意しておけ」
「……危険なんですね」
「あぁ」
そう言いつつ、レッグホルスターに収まった9㎜自動拳銃『AA AP4』を抜き、動作確認。――問題無し。続けて肩に懸けた『AA KrG35』の動作確認。――――問題無し。
ノルシェの方も確認するが、既に終わっていた。
肝心なフィアはというと、レッグホルスターに収めていたであろう自動拳銃――恐らくは『CA HCB02』――の動作確認中。
数十秒後、フィアの動作確認も終わる。
「……行くぞ」
「……」
「はい!」
点検を終えた俺達は近くにそびえる廃墟と廃材の山に向けて歩き始める。
それらの廃材と廃墟からは当然の如く、あらゆる
価値を失った産業廃棄物が織り成すコンクリートジャングルがスラムの外観だ。
こういった退廃した場所というのは、治安が悪いのは確かであり、このスラムも例外ではない。
現に入口に入ったばかりだというのに――
「おい、兄ちゃん?」
擦り切れたジーパンに泥汚れの目立つシャツを着込んだゴロツキ達にガン付けられる。
見るからに“ならず者”。こんな奴等が俺に声をかける理由は“二つ”ぐらいしかない。
――すなわち“女”か、“金”。
どちらもくれてやるつもりは微塵も無い。
故に俺が言うべき言葉は、これだけだ。
「お前らにやるものは何も無い。立ち去れ」
まぁ、こう言っても相手が激昂するだけなのだが。
「あぁっ!?」
「チョーシ乗ってんじゃねぇぞ、犬の餌になりてぇか?」
「俺達は何も要求してねぇのに、なんだよその態度」
予想通り、俺の言葉でゴロツキ共が怒りを露にする。
「要求は女か金だろう。違うか?」
「違わねぇよ。若ぇ女二人も侍らせやがって。目障りなんだよ。二人共置いてけよ」
コイツらは“女”の方か。
要求を知ったところで、俺の答えは変わらない。
「先程言ったはずだ。お前らにやる物は何も無い」
「うるせぇっ!黙って女を寄越せばいいんだよっ!!」
要求を拒否された事で、自制心が吹き飛んだのだろう、一人のゴロツキが殴りかかってくる。
馬鹿正直な右ストレート。しかも素人丸出しの動作且つ、踏み込みも甘い。
軽くいなし――
「ごふっ!?」
腹部に膝を打ち込むと、一発でダウン。
「がっ!?」
同時に、背後でくぐもった声。ノルシェだな。
「……野郎っ!」
残る数人が一斉に大振りのサバイバルナイフを抜く。
(残りは5人)
それより先に俺は動いている。
手近な奴の胸部に掌底を加えて昏倒させ、取り落としたナイフを拾う。
(……刃毀れが酷い。まともに斬れないか)
そもそも、ゴロツキ共の武器は劣化コピーの輸入品か、産業廃棄物。始めから使い心地に期待などしていない。
だが、背にセレーションはある。ならば充分。
相も変わらず、直線的に突っ込んでくるゴロツキ共が振るうナイフをセレーションで、受け止め、強引にヘシ折ってボディブロー。残り四人。
続く単調な斬撃を受け止めて刀身をヘシ折り、拳、或いは蹴りを叩き込み、一人、二人と残りのゴロツキ共を無力化していく。
が、四人目のナイフをヘシ折ると、限界が来たナイフの刀身が折れる。
(粗悪品にしてはよくやった方か。残りは――――逃げたか)
約200m先に、無様に走り去るゴロツキの姿。
追う必要は無い。どうせ、他のゴロツキの“餌”となるだけだ。
(……しかし、手応えが無いな)
走り去るゴロツキから視線を外し、這いつくばったゴロツキ共を一瞥。
起き上がる気配が無い。もしかすると肋骨や背骨を
「……っう……」
数瞬後、呻き声が上がる。打撲程度で済んでいるらしい。
「……セルゲイ」
「分かってる。……行くぞ、フィア」
俺とノルシェは、踵を返してスラムの奥に向かう。が、フィアは面を食らったらしい。
「えっ?救急車は呼ばな――」
「どうせ来ない。……スラムの住民は
フィアの言葉に被せるように事実を言う。
スラムの人間は死んで当然。あんな黴くせぇ連中にかける金なんざ有りやしない、といったものが都市の――ひいては(一部の)市民の認識。
つまりは、ここの住人は市民権がなく、ゴミと同義。
しかし、多くの人々はそんな事を知らずに生きている。……恐らく、フィアも。
「そんなの……あんまりですよ……」
だからこそ、
そんな人間に、俺が言えたのはこれだけ。
「受け入れろ。……これ
抗えないモノには逆らうな。うまく付き合え。さすれば、自ずと生きやすくなる。
「…………これも、ですか……酷いんですね」
「市民の主観からすればな」
「はぁ……そうですか」
フィアがようやく顔を上げる。
――そして、何処か吹っ切れたように言う。
「スラムの案内、続けてください」
「……あぁ」
コイツなりの覚悟は着けたらしいな。……中途半端だけれども。
――けれども、現実は優しくない。
(……今日もか)
案内を再開して数分。
道端に倒れた少女を見つける。
歳は十歳位だろうか。整った顔立ちに華奢な肢体。身に纏っているのは、擦り切れたシャツだけ。
ホームレスのような出で立ちだが、問題はそこではない。
少女の瞳孔は開かれ、だらしなく開いた口からは真新しい涎が糸を引いている。
――そして何より、白日の元に晒された少女の腰は、大量の白濁液と血に塗れていた。
「セルゲイ……さん……これは……」
「……見ての通りだ。この子は死んでいる」
動揺するフィアに言い、言葉を続けようとするが――
「スラムにおいて、女は性欲の捌け口でしかない。……それは、大人も子供も関係無い」
説明したのは、ノルシェだった。
「酷い……」
「セルゲイも言ったけれど、これがスラムの現実」
「でも……」
フィアが何かを紡ごうとした直後、コンクリートの軋む音が聴こえた。
(……用意して正解か)
俺は肩に懸けていたライフルを構え、セフティを解除。
ノルシェも、腰のホルスターから大口径リボルバー『AA AR7L』を抜き、
俺達は少女の死体から距離を取る。
同時に、人形の物体が落下。死体が潰れ、臓物と血、砂埃が飛び散った。
「今度は何ですかっ!?」
フィアも危険を感じたのか、距離を取って、レッグホルスターに手を添える。
「……構えろ」
呟いた矢先、ソイツは――少女を犯したであろう男は顔を上げ、砂埃が晴れる。
「……せろ…………挿れさせろ……」
全身が醜く歪み、半開きの口から、だらしなく涎が垂らしながら、譫言のように呟き続けている。
(この症状…………《F-S》シリーズの軽度変質者か)
《F-S》シリーズは精力剤タイプの《F》。
肉体変質性こそ弱いが、容易く理性を失わせ、『雌を孕ませる』という生存本能を前面に押し出させる副作用は非常に強い。
ともあれ、俺は目の前の標的にライフルを構え、トリガーを引く。
薬室内で
瞬時に7.62㎜ライフル弾が撃ちだされ――
標的の額に風穴を穿ち、血の花を咲かせた。
「…………終わり、ですか?」
倒れ伏し、微塵も動かない、男だったモノを見たフィアが問う。
「……あぁ」
トリガーから指を離し、銃口を上げてから、答える。
伏兵がいない事を願いたいものだ。
「…………後、どうする?」
続けて、ノルシェがフィアに問いかける。
「…………帰りたいです。…………スラムの事もだいぶ分かりましたし」
問い掛けに答えるフィアの表情には、疲れが見えた。
(……今日はこの辺か)
今までの様子を見る限り、これ以上は無理か。
「……帰るぞ」
そう言い、スラムの出口に向かおうとした直後、誰かの腹が鳴る音が聴こえた。
「あ……」
フィアか。
(……そういえば、コイツはまだ16歳だったな)
まだまだ“燃費”の悪い年頃。……腹の減りが早くて当然。
「……何処か、寄る?」
という、ノルシェの提案にフィアは――
「…………そうですね」
少し暗い声で答えた。
(慣れるまで時間がかかりそうだな……まぁ、気長にやればいいことか……)
そう思いながら、俺達はマスターの店を目指して歩き始めた――――
はい、第二章でした。
今回はちょっとした息抜き――みたいなつもりで始めたのですが、いつの間にやら、暗めに。
暗い話――というか、穢い話も必要な時はありますね。
では、今回もこの辺で。拝読ありがとうございました。