「う~~ん」
太陽が燦燦と降り注ぐ。澄み渡った新鮮な風がそよそよと吹き込み、喉を潤す。
「すう、はあ~~~」
大きく息を吸って伸びをする。絶好の外出日和だ。久々に外の空気を吸うことができ、とてもすがすがしい気分になる。
「……ふう」
一息ついた後、耳を澄ませて周りに人の気配がないことを確かめる。それからそろそろと生垣に近づき、じっと目を凝らす。存在がバレると拙いことは分かっているが……とはいえ、外の様子はすごく気になる。何せここに来てから一回も出たことがないのだからな。
生垣を構成する木々は枝葉を伸ばして青々と生い茂っており、遠目から見るとどこにも隙間がないように思える。しかし、こういう植栽には穴があるものなのだ。よく観察すればそれを見つけられるはずである。普通なら。
――だがいくら近づいても、まったく向こう側のようすを伺うことができない。現実は非常である。
「あいたっ!」
いつまでも同じところを見ていても埒が明かないので、どこか葉っぱの密度が低い場所はないかと横に移動していたところ、突然段差に当たって転びそうになる。
「……」
ちら、と足元を見て、それから瞬時に空に視線を向ける。うん、俺は何も見ていない。
ああ、いい天気だなあ~~
「…………うっ」
しばらく緩やかに雲が流れる空を眺めていたが、そろそろ首が痛くなってきた。
いい加減、現実を直視するべき時かもしれない。
――足元には、荒れ放題の花壇が広がっていた。
え? 花壇で合ってるよねこれ? レンガで囲まれたスペースが広がっているので、確かにその筈なのだが……何ということか、雑草しか生えていない。
いや正確に言えば、花は存在している。明らかに植えられたものであろう。しかし、生い茂る草の下に隠れて栄養を吸い取られてしまい、見るからに元気がなさそうだ。
辺りを見渡す。毎朝窓から見ている時にはなんとも思わなかったが、庭というには少し雑然としているような気がする。この裏庭のそこたら中に生えている草花も、決して植えられたものではない。どこからか飛んできた種が勝手に発芽したものだろう。
だが、それはとりあえずいい。気候の問題なのか、背の高い草がボーボーになって前が見えないなんてことはなく、いい感じの野原が生成されているからだ。
何か釈然としないが、わざわざこれに手を加える必要もないだろう。……だが、花壇よ。君は別でないか?
「う~~ん。きれいにした方がいいのかなあ?」
まさか雑草を育てている、なんてことはないだろうが。しかし、勝手に作業するのはよくないだろう。しゃがみ込んで雑草を弄びながら考え込む。
「って、ああっ!」
慌てて立ち上がり、毛先についた土をはたき落とす。そうだよ、この髪がやけに長いことをすっかり忘れてた。
特別な手入れをしなくてもまったく痛まないので、今まであまり気にしていなかったが……。この際だから、バッサリ切ってしまってもいいかもしれない。
そろそろお腹も空いてきたし、昼食ついでにグレースにハサミの場所を聞いてみるか。
気を取り直した俺は立ち上がり、食事の用意をするため建物の中に戻ることにした。
「なあ、グレース」
「何ですか?」
「ハサミが欲しいんだけど」
昼食の片付けを終えて一区切りついたところで、俺は用件を切り出した。
グレースは意表を突かれたのか、不思議そうな表情で目をぱちぱちと瞬かせる。しかしそれも一瞬のことで、すぐに怪しむような表情に変わった。
「何に使うんですか?」
「いやあ、髪を切ろうと思ってさ。やっぱりコレ、長くて邪魔なんだよね」
「はあ……」
「いっそのこと、ここらへんまで切っちゃおうかな、あはは」
手を後ろに回し、耳のあたりの髪を撫でる。すると突然、グレースの纏う空気が一変した。
「――は?」
「あ、え? えっと、あの、えっとぉ……」
グレースがハイライトを失った目で俺を見てくる。あの、怖いんですけど。何か地雷踏んだか、俺!?
「絶っっ対にダメです!」
「いや、待ってくれ。落ち着いて聞いてほしい」
どうしてグレースがこんなに怒っているのか分からないが、何も考えなしにこんなことを言うわけではない。事情を説明すればきっと理解してくれるはずだ。
俺はさっき裏庭で起きた出来事について説明する。ほら、これで納得して……
「じゃあ、髪を結べばいいじゃないですか」
くれなかった。
「いやあ、毎回そうするのは面倒だからさ。だからパーっと切っちゃいたいんだよね」
というか、そもそもなんで俺は今の今までこんな女っぽい髪型で生活していたんだ? いや、別に男が長髪にしてはいけないという決まりはないが……ただやっぱりここまでの長さとなると、女っぽすぎるというか。
………はっ! まさか知らず知らずのうちに精神が汚染されていたのか!? まずいまずい。これは何が何でも断髪しなければ。
「というわけでハサミを……」
「ムリです」
まだ俺が言い終わらないうちに、グレースが拒否の言葉を被せてくる。
「いや、その」
「……そんなに切りたいなら切ってもいいですよ? ただしその場合は、二度とここの敷居を跨がせません」
「――え?」
耳に入ってきた言葉が信じられない。いつもの優しい態度からは考えられないような発言だ。
――そして気づけば俺は、機嫌を伺うように上目遣いでグレースを見つめていた。
「え、えと、ええと」
「…………はあ。少しキツく言い過ぎました。すみません」
「あ、うん……」
俺たちは微動だにせず見つめ合っていたが、先に折れたのはグレースだった。深々と溜息をつく。それとともに場の緊張が少しばかりほぐれ、俺の心も幾分か冷静さを取り戻す。
「そんなにきれいな髪を切っちゃうなんて、どうしてそんなにもったいないことをするんですか? 私はただそれが言いたかっただけで……言い方が良くなかったですね」
うん、いつもの優しいグレースに戻ったような気がする。やっぱりさっきまでのことは、気のせいだったのかもしれない。
「じゃ、じゃあさ」
「はい?」
「グレースの気持ちは嬉しいんだけど、その、不便の方が勝るっていうか。やっぱり切っちゃいたいんだけど、ダメ?」
胸の前で手を組んで首を傾げ、グレースをじっと見つめる。こんなことをするのは癪だが、さっき上目遣いした時の反応を見るに、根比べで押せそうだ。
またしても俺たちは微動だにせず見つめ合い、果たして今回も先に口を開いたのはグレースだった。しかし、残念ながら今回は折れてはくれなかった。
「やっぱりダメです!」
「ええ、そんなあ……」
グレースが慌てたように俺のお願いを拒絶する。とはいえ、表情を見るにその意思は固くはないようだ。
ええい、まだだ! 気合を入れて、目に涙を溜める。
グレースがたじろぐ気配がする。よし、あとちょっと――!
「うっ……そんなことしても無駄です! じゃあ、ここであなたが暮らす上でのルールを追加します! これからは私の許可なく髪を切ってはいけません!」
「う、ううう……」
ダメだった。押せそうな気配はしたんだけどなあ。
ただ、俺はあくまで居候させてもらっている身だ。そう言われたら、もう何もできないじゃないか……。うう、結局このままなのか……
「ああもう、そんな顔しないでください! ずっとそのままとは言ってないでしょう? 私が切ってあげますから!」
「えっ?」
絶望に打ちひしがれていた俺に、一筋の光が差した。
「さすがに耳まで短くはできませんけど……。少しはまとめやすくなるでしょう」
「あ、ありがとう……」
何というか。まあ、当初の予定通りとはいかなかったが、ちょっとでも短くなるなら良しとしよう。この状況下で、やっぱりバッサリ切りたいんですとは言い出せない。
「幸い今日の午後は予定がありません。準備ができたら行くので、それまで部屋で待っていてください」
「……うん」
俺の返答を聞いたグレースは、ひらりと身を翻し、優雅な足取りでキッチンを後にした。
俺は残っていた細々とした作業を終えてから、少し遅れて自室へと向かった。
すいません、かなり間が空いてしまいました……