事務所に遊びに来た帝都新報の記者、朝倉タヱの口から、『日米交渉が難航している』との話を聞くライドウ達。
現首相は日輪の巫女という予言者の託宣を信じており、彼女の言葉次第で開戦の火蓋が切って落とされるかもしれないという重い話に、雪は顔を俯かせる。
※かなりオリジナル色が強い作品です。そういうお話が苦手な方はご注意ください。一応、元ネタを知らなくても読めるように書いたつもりですが、不明な点が御座いましたらお気軽にお尋ね下さいませ(՞ . .՞)✨
──翌日。
「おはようございます、鳴海様。ライドウ様。ゴウトちゃん」
朗らかな声と共に、雪が事務所に入ってきた。
「ああ、おはようございます。雪さん」
鳴海は挨拶を返し、ライドウは会釈。ゴウトは瞬きで返事をした。
「あんなに酔っていらしたのに、もうすっかりお元気そう。二日酔いにとホテルでお味噌汁をいただいてきましたが、余計でしたね」
「え、わざわざ俺のために? いやぁ~、嬉しいですよ! ありがとう」
その言葉どおり嬉しげな笑みを浮かべて鳴海は、味噌汁が入った水筒を受け取った。そしていつもの珈琲の代わりに、雪からの心遣いをいただいていると、帝都新報の記者である、朝倉タヱが顔を覗かせた。
「こんにちは、ライドウくん。ついでに鳴海さんも」
「タヱちゃんさぁ……所長に向かってついではないでしょ、ついではさぁ」
「まぁまぁ。ところでクッキー買って来たから珈琲お願い……って、あら。ごめんなさい。お客さん?」
「いや、こちらは千葉雪さん。今日から手伝ってもらうことになったんだ」
「あら、閑古鳥が鳴いてる事務所だと思っていたけど、人を雇う余裕があったのねぇ」
などとカラカラ笑って冗談を言った後、タヱは雪に自己紹介をした。
「初めまして、雪さん。私は朝倉葵鳥。帝都新報で働いています」
「初めまして。えっと……葵鳥様?」
「ああ、朝倉タヱは本名で、葵鳥は筆名なんです」
「まぁ、そうでしたか。葵鳥様は職業婦人なのね。素晴らしいわ。お会い出来て光栄です」
挨拶と共に右手を差し出され、タヱは笑顔でその手を握り返した。
「ところでタヱちゃん。いつも言ってるけど、うちはカフェーじゃないんだよ?」
「いいじゃない。ここの珈琲美味しいんだもの」
『美味しい』と誉められると満更悪い気もしないのか、鳴海は『仕方ないなぁ』と珈琲を淹れに行った。そうして彼を待つ間、暇を持て余したのかタヱは机の上に置かれた新聞に目を通した。
「このところ、この話題で持ちきりよね。日米交渉。……なんだか世の中がきな臭くなってきたわ」
「あれ、民俗学やオカルト以外にも興味があるの?」
戻ってきた鳴海が意外そうな声をあげると、タヱは『チッチッチッ』と顔の前で指を振った。
「それがね、鳴海さん。実はこの話、日輪の巫女様が関係してるらしいのよ」
民俗学のノンフィクション作家を目指す彼女は、怪奇現象と民俗学の関連について調べており、その流れで鳴海達とは懇意な仲になったのだが、普通の人なら『眉唾物』と一笑に付すような話題でも興味を持ち、突っ込んでいく癖がある。
「日輪の巫女様って?」
「やだ鳴海さん、知らないの? 関東大震災に前首相襲撃事件。満州事変など、様々な予言をした巫女様よ」
「それ全部当てたってこと?」
「そう! それでね、現首相はその方の予言を元に政治を行っているという噂があるのよ」
「いくら何でも、まさかそんな」
「まぁ、あくまで噂ですからね。でも日輪の巫女様の予言は本物よ。だから、その彼女が今戦争を起こせば日本は勝てるともし首相に言えば……」
「例えそうでも、政官財──それと軍とが、そう簡単に一致団結するとは思えないな」
「でも、戦争により大きな利益を得る人がいる。これは事実よ。それに、現首相は現役軍人のまま今の座に就いた人だから、陸軍内の足並みも揃っているわ」
そこまで言われると鳴海も『そうかもしれない』と思い始めるが、暗い話題なせいか、雪が顔を俯かせていたため、『大丈夫ですよ』と笑みを向けた。
「──さて、珈琲が冷めないうちにタヱちゃんが買ってきたクッキーをいただこう!」
不自然なほど明るい声に、タヱは失言であったと反省し、鳴海の声に乗じた。
「色々たくさん入ってるから、皆さんいっぱい食べてね。……さ、雪さんもどうぞ。このジャムのクッキーが特にお勧めよ。ライドウくんは、ナッツが入ったクッキーなんてどう?」
「ありがとうございます。いただきますね」
「いただきます」
「鳴海さんはえ~っと、余ったのでいいかしら?」
「なんで!? なんかタヱちゃん、俺に酷くない!?」
「やだもう、鳴海さんったら僻んじゃって~」
などとタヱと鳴海はいつものノリ突っ込みで場を賑わせ、重苦しい空気を払拭した。
* * *
「じゃ、珈琲ご馳走様~」
手を振り、タヱが帰った頃にはもう日が傾き始めていた。
「もう夕方かぁ……。タヱちゃん、急に何やら降りてきたとかで、うちで原稿書いていくんだもんなぁ……」
鳴海はライドウと雪の二人にリリーちゃん探しを頼むつもりでいたのだが、取材と称してタヱにあれこれ質問されて答える内、話に集中してしまい、気付けば申ノ刻となっていた。
「雪さん、今日はもう遅いし店仕舞いにしようかと思います。それで、良ければ一緒に夕食でも──」
と食事に誘った鳴海の言葉を、ライドウは『送ります』と遮った。ジャックフロストのことを聞きたかったのだ。
「ラ……ライドウ……?」
「行きましょう」
ライドウは引き攣った笑みを浮かべる鳴海を無視して、雪とゴウトと共に外に出た。
* * *
「まだ明るいし、大丈夫ですのに」
「かもしれませんが──」
言葉の途中で、不意にライドウの腹が『グゥ……』と鳴った。
「あら……」
「…………」
思えば今日は起きてから、クッキーと珈琲しか口にしていない。育ち盛りのライドウが、空腹を覚えるのも当然だろう。
「ライドウ様、何か食べません? わたくし、お腹が空いてしまって……」
単に食事に誘われたなら断ることも出来るが、『お腹が空いた』と言われると拒否しづらく、ライドウは頷きを返した
「……昼食を摂らせなかった鳴海のせいだな」
ゴウトのその言葉に、深く同意するライドウ。ともあれどこか店をと探していると──
「ライドウ様は何がお好きですか?」
雪に好物を聞かれたので『大学芋です』と素直に返す。とは言えレストランやパーラーに大学芋がある訳がないので、世間話の一環として答えたつもりであったのだが、雪は手を打ち、『それにいたしましょう』と甘味屋へと足を向けた。
「待ってください。俺ではなく、あなたの好きなもので」
「わたくしも、食べたくなってしまいました」
またもや断りづらい返しをされて、どうしたものかと考える内に雪は『持ち帰りで』と大学芋を買ってしまった。
「持ち帰り……?」
「ごめんなさい。わたくし、一度でいいから食べ歩きというものをしてみたくって。良ければお付き合いいただけません? ゴウトちゃんにも、メザシを持ってきていますので」
言いながらバッグから包み紙を取り出し、雪はゴウトに微笑み掛けた。
(ああ……ゴウトがいるから外でと気を遣ってくれたのか……)
そのことに気が付いたライドウは、有難く雪の申し出を受けることにして、大学芋の代金を支払った。
「あ、自分のぶんは自分で……」
「いえ、鳴海さんからもらっていますので」
ライドウはそう嘯き、雪と共に歩きながら大学芋を口にした。
「ん~、美味しい……!」
「そんなに?」
「ええ。だって本当に、こういうことは初めてですから」
『初めて』と聞き、意外そうにライドウが目を瞬く。
「わたくし、あまり家から出たことがないもので……。ですから何でも新鮮に映るのです」
そう答える雪はとても嬉しそうで、『何だか少女のようだ』とライドウは思った。
「探偵のお仕事も、とても興味深くて楽しいわ。わたくし、何でもしてみたいの」
言って雪は踊るようにクルリと回った後しゃがみ込み、ゴウトの前で包み紙を開いた。
「ゴウトちゃん、メザシは好きかしら。嫌いでないと良いのだけれど」
動物が好きなのか、目を細めて指の背でゴウトの耳裏を掻く雪。心地よいらしく、ゴウトは『ふむ』と満足げな唸りをあげた。
「好きにさせてやる。だが、気を許したわけではないからな? ちなみに好物は、猫じゃらし……ではなく、鯖の煮込みだ」
すまし顔でメザシを食べる猫。その隣で男女が大学芋を頬張るという奇妙な姿に、ライドウと雪は『くすくす』と笑い合った。
それから駅まで歩き、ライドウは別れ際に雪の頬をジッと見詰めた。
「……傷、結構深いのでは? 本当に申し訳ない……」
「こんなの、何でもありませんよ。では、おやすみなさい、ライドウ様。送って下さってありがとう」
近くで見れば気付くということは、化粧を落とせば白皙の頬に赤い爪痕は、かなり毒々しく目立つだろうと思うのだが、雪は気にした風もなく、笑って改札の向こうへと消えて行った。