悩んだところで意味はない、それが分かっても終わらない。
心は勝手に、動いていく。
その先に、何があろうとも。
私は他人に気を遣う程賢くないよ、そう言って千夏先輩は笑ってくれた。
居候だからとかそんなんじゃない、ただ好きだからこうしているんだよ、と。
それは俺にとって理想の展開で、有り得ないほどに都合のいい話。
今の関係は本当に現実なのか、もしかしたら夢じゃないのか。そんなことを考えてしまうくらいに、御都合主義的。
だけど、でも。もし夢であるなら、覚めないで欲しい。この心地いい幸せに、ずっと浸っていたい。
ベッドの上で千夏先輩を抱き締めたまま、そう願う。
いやこれは、今思っただけの事じゃない。俺はずっと願い続けている、最初の夜を迎えたあの日から。
不埒な事を考えてはいけない、自制しろ。そんな理性的な考えは、風呂場の折れ戸を開けた途端に消え失せた。
換気扇が回っていても尚残る、知らない気配。うちのではないシャンプーやボディソープの香りに混ざるのは、きっと千夏先輩の――
これが毎日、なのか。二年間、これが続くのか。
いきり立つ下半身を鎮めようとしゃがみこんでも、いっそう興奮が深まるばかり。
ほんの僅か前、千夏先輩はここにいた。勿論裸で、自らを清めていた。その事実だけで、どうにかなりそうだ。
考えてはいけないと思うほど、脳内で鮮やかに描かれていく千夏先輩の裸身。
「うぁ、ぁー……っ」
気が付けば俺は千夏先輩が実家から持ってきたボディソープを一押し手に取り、そしてそのままガチガチに張り詰めた勃起を握り締めていた。
良くない事だと分かって尚、手が止まらない。甘い香りとぬるつく指先に、意に反して千夏先輩のイメージが重ねられていく。
自分でしているんじゃない、千夏先輩がしてくれている。罪深い脳内変換はでも、狂いそうな程気持ちがいい。
立ち込める湯煙の中に、大好きな人の姿を思い浮かべながら無心で扱き続けてそして。
「ち、な……っ、せん……いぃっ」
ビニル床を精液で汚しながら、俺は崩れるようにへたれこんでいた。
あのあと罪悪感にかられたまま長風呂してしまい、危うくのぼせて倒れそうになってしまった。
何をしているんだ一体、落ち着け落ち着け。後は寝るだけの状況なのに、これじゃダメだ。明日も朝練があるんだ、早く寝なければ。
そう思えば思うほど身体中が敏感になり、ますます眠気は遠ざかっていく。もうこのまま眠らない方が良いんじゃないか、授業中にゆっくり寝れば良い。そんなバカを考えてしまう程に思考が鈍り始めた、その時だった。
「――、……」
何かが、聞こえた。それも、壁の向こうから。
そこにいるのはただ一人、千夏先輩だけ。寝言か何かが漏れてきたのかとも思ったけど、どうもおかしい。
くぐもったような、堪えながらも溢れ出たような。言葉より呻きに近い、聞いたことのない音がする。そしてそれは何故か、不思議な艶っぽさを纏っていた。
まるで熱に浮かされたように、フラフラと俺は立ち上がる。音の正体を確かめる為に、足が勝手に隣室へ向かおうとする。
いくら同じ家とは言え、こんな時間に他人の部屋へ行くもんじゃない。そう自分に言い聞かせても、足は止まろうとさえしてくれない。それに従うように身体が動き、音もなく薄く開いたドアの隙間から自分が出ていくのが、まるで他人事のようだ。
足音を殺し、歩くのはほんの数歩。隣室のドアは少しだけ空いていて、暗い廊下に細く細く灯りが漏れ出ていた。
筋肉や骨の動く音さえ消し去るほど慎重に、その隙間を覗き込んでいく。
そこにあったのは、横たわる先輩の姿。頭は向こう側になっていて、見えるのは下半身だけ。それも、――剥き出しの。
影になって細かくは見えないけど、でも。
長く尾を引く短い声、粘液質の水音。ここまで伝わってくる、生臭くも何処か甘い匂い。
先輩が自分を慰めている、という光景。女子もするとは聞いているけど、まさかこんな風に目撃する日が来るとは思わなかった。それもこんなにも、激しく。
息を呑む事さえ躊躇われるような、そんな現実とはおもえない状況に身体が警告を発する。逃げなければ、と。
来た時と同じくらいに慎重に、でもさっきとは身体を逆に少しずつにじらせていく。傍から見たらまるで早戻し動画みたいだろうな、なんて頭の何処かでバカな事を考えつつ。
どうにか部屋へと戻って、それでも物音を立てないようにそっとベッドへと這い上がる。フレームの軋む音さえ立てたくない、立ててはいけない。千夏先輩に、気付かれる。
少し経って壁越しに聞こえた嬌声が止んで漸く、俺は僅かにだけど余裕を取り戻す。どうやら
耳を済ませば漏れてくるのは、健やかな寝息だけ。ああ、寝てくれた。良かった、これでどうにか人心地が着いた。
大の字に横たわってそう思えど、そんなのは形だけ。心はあの衝撃に打ちのめされ、嵐のようだ。
見えたのは一つ、千夏先輩がオナニーしていた姿。あれがそれ以外の何かだとは考えられない、まあ実際に女子がそういう事をするのは見たこと無いから確信は持てないけど。
想像以上に生々しくて、見てはいけないものを見てしまった感がエグい。風呂場で一度出していたからか、興奮よりそっちの方が強いぐらいだ。
でも本当に、何故ここで。今の時間に、していたんだろう。
家では寝る前に毎日欠かさずしていたから今日も習慣で、なのか。それともここで過ごす時間が辛くて、そこから逃れたいからなのか。もし後者だとしたら、絶対に今のままではいけない。千夏先輩に苦しみに耐えながらの生活を強いるわけにはいかない、あの人には幸福でいてほしい。
だけどまさか、本人に聞くわけにはいかないし。俺が見た限りでは、千夏先輩はフワフワとした気楽な風だったんだけどな。
まあ、前者だったら前者だったで俺が大変なんだけど。毎晩続くってことだもんな、持たない持たない。死んでしまう。
寝よう、寝てしまおう。全部夢だった、という事にしてしまおう。
今さら疼き始めた身体を無理矢理布団の中へと沈め、焼き付いて離れないあの光景をどうにか振りきろうと固く目を閉じる。
朝になれば、きっと。きっと……なんだろう。
いや、考えるな。寝ろ寝ろ、休め俺。
結局、俺は一睡も出来ないまま朝を迎えてしまった。そのせいで身体は重く、朝練はどうにかこなしたが眠くて仕方がない。それに千夏先輩とも話せていない、話すったってどうして良いか分からないけど。
いい天気だからと昼飯ついでに屋上へ出てみたものの、燦々と降り注ぐ春の日射しも頭をハッキリとはさせてくれない。むしろ更に眠い。失敗したな、これは。
とは言え今はまだ春休み中、部活も自主トレみたいなもんだ。このあと授業があるわけでなし、一眠りしたって怒られたりはしないだろう。普段から体育館の通路で昼寝したりするし、寝不足のまま練習するよりはマシだろう。
不真面目と言われればそれまでだけど、さ。
考えるべきはそれよりも、千夏先輩とどう向かい合うかだ。
別に悪いことをしているんじゃない、そういう習慣があったって良いだろう。文字通りの生理現象だ、咎める理由なんかあるものか。こっちで耳栓でも買ってくるなりして、聴かないフリをすればいい。それがマナーというもんだろう。
だけど俺は心の何処かで期待してしまっている。そういう欲求をもて余した千夏先輩が、俺を求めてくる事を。
「最っ低だよなー俺……」
自分から告白するとかそういうことが出来ない癖に、
そうだその通りだ、考えないようにしよう。
午後の陽が連れてくる眠気に身を任せ、俺は目を閉じた。
あれから千夏先輩の「日課」が規則正しく続いて、早一週間。それはそれで構わないと思いつつ、階下にバレるんじゃないかとヒヤヒヤしながら過ごしていた。
そんな俺は今、どういうわけか。千夏先輩に、引き倒されている。
いや、いやいや。いやいやいやいや、なんだこれは。一体何がどうなっているのか、それが分からないまま床に転がされている俺。
「蝶野さんが言ってたんだけど、さ。大喜くんは私の事、好き――なんだよね? じゃーぁ、こういう事がしたいんでしょ?」
予想外すぎる、その一言。
横たわった身体が跳ね上がるかと思うほど、一気に血流が加速させられていく。雛のやつが余計なこと言いやがったのか、明日学校であったら口にパン詰め込んでやる。いや、そうじゃない。このままだと俺には、
だって千夏先輩の手は、俺の服にかかっている。もし今俺が考えている事と先輩がしようとしている事が同じであったなら、それは――余りにも危険すぎる。
確かに俺は千夏先輩が好きで、千夏先輩は欲求を持て余している。利害は一致するけど、でも。
「だ……め、です……。こんな事、しちゃ……っ」
幾らバカな俺でも、これが間違っている事くらい分かる。こう言うのは、気持ちが通じあった関係でなければ許されない。下手をしてもしなくても、千夏先輩に消えない傷を刻んでしまう。俺はそうなってはいけない、千夏先輩が好きだからこそ最後の一線を越えてはならない。
だけど、なのに。
拍子抜けするくらいにあっさりと、千夏先輩はこう言った。
「私も大喜くん好きだし、別にいいんじゃないかな。そりゃ私ソロ以外の経験ないから上手くいくかわかんないけど、まあ大喜くんだし大丈夫でしょ」
――なんだそれ、一体何を言うんだこの人は。俺を好き、って。いや、それこそ待ってくれ。実は両想いでした、とか急すぎる。
話すようになってまだ数ヵ月、同居開始から十日も経っていない。それなのにこれって、展開が速すぎないか。
有り得ない事ばかりが起こり、頭が焼けてショートしていく。
フリーズする俺に千夏先輩がのし掛かって来るのが、まるで遠い世界の出来事のよう。
ただただ、流されるままに。俺たちはそのまま、一緒に夜を過ごしてしまった。
あれから何度、堪えきれなくなって千夏先輩を困らせただろう。
千夏先輩は優しいから俺を気遣って、好きな振りをしているんじゃないか。居候としての立ち位置を失わない為に、形だけ俺を愛してくれているんじゃないか。そんな風に邪推して俯く俺に、千夏先輩はいつだって言ってくれる。『私はそんなに器用じゃない』と。
日本に残る理由はバスケだけじゃない、そうも言ってくれた。大喜くんがいるから、離れたくないから栄明に残りたかったと。
はじめのうち俺はやっぱり、それを信じられなかった。そんな都合のいいことが、と何度疑ったか。
そんな俺にちゃんと向き合って、千夏先輩は一つずつゆっくりと言葉を紡いでくれた。
『大喜くんは覚えていないだろうけど、私たちは小さい頃会ってたんだよ』
親同士が仲が良いとは聞いていたし、もしかしたらそんな事もあったかもしれない。
俺は全く覚えていなかったけど、と言うか千夏先輩も長いこと忘れていたらしい。あの日名前を知って漸く、ああそういえば見覚えがあるくらいには思い出したんだとか。そこからあれこれと芋づる式に記憶を遡り、そして最終的に「そういえば好きだった」というところに辿り着いたんだとか。
幾ら何でも乱暴な話だし、信じるにはかなり厳しい。もしかしたら俺に気を遣って、都合のいい話を拵えてくれたのかもしれない。自分の気持ちよりも俺を優先するくらい、この人なら有り得るから。
そこを何度も疑い、空回りし続けた。でもその度に千夏先輩は、優しく笑って俺を抱き締めてくれる。それが心地好くて、いつもなにも言えなくなってしまうんだ。
抱き合ってキスをしている最中でさえこんな事を考えてしまう疑り深い俺が、千夏先輩に愛されていいんだろうか。
何より情けないのは、そんな心持ちなのに身体は敏感に反応してしまうという事。千夏先輩に触れるだけで、触れられるだけで、身体が芯から熱くなって止まらない。ああ、男って単純で嫌だな。
俺がそうなっているなんて気付かないのか、それとも知らないフリをしているのか。千夏先輩の表情から、それは読み取れない。俺の無い頭で考えたって、分かるはずが無いんだけど。
「ん、……んー。今日も
持ち主の気も知らないで猛っている
気まずさを感じて思わず背けた顔はでも、先輩の胸へと軟着陸していた。そっちへ向くのが分かっていたかのように、胸の先は俺の口許へと来てくれている。
蕩けた意識のまま吸い付いて思うのは、ただこの瞬間の快楽だけ。それ以外にはなにも考えられない、考えたくない。
「よしよし、いい子いい子」
頭を撫でてくれる手の感触は心地好く、その声も脳に染み透っていくのが分かる。
んくんくと乳首を吸っていると、まるで自分が赤ん坊になったみたいだ。それを恥ずかしいとかはもう、思えなくなってきた。ベッドの上ではいつも、こうなってしまう。千夏先輩になら、甘えていいんだ。弱い顔を見せていいんだ。
優しさに甘える罪悪感は、日を追う毎に薄れていく。それが少しだけ怖いけど、でも――。
「たーいきくん、また
甘く優しい毒に絡め取られ、俺はただ熱に浮かされた頭でぼんやりと思うだけ。
千夏先輩が好きだ、と。
「じゃぁ今日は、大喜くんから来てね。……できるかな?」
子供をからかう口調で、千夏先輩は大きく脚を開いた。噎せ返るようなメス臭さを放つ、その中心を指先で割拡げながら。
濡れた肉の裂け目は唇にも似て、早く早くと俺を急かしてくる。普段は千夏先輩が上になるし、こっちから動いて入れるのは初めてかもしれない。いや前にもしたかもしれないけど、もう思い出せない。そのせいもあって上滑りを繰り返し、それでも漸く俺の先端が千夏先輩の入り口を捉えた。
このまま腰を進めていけばいい、それ以外考える必要はないんだ。だって、気持ちいいから。
ぐりゅりと粘膜同士が擦れあい、湿った熱が伝えてくれる。もっと奥へ、もっと深く、そうするのが正しいんだと。
握り締めるより強く挟まれ、でも粘液質の性感がそれを痛みとは違う感覚に変換してくれる。そして、……そして。
「ぁ……っ、ぅぁ……っ」
切な気な吐息が千夏先輩の口から小さく漏れ、俺に教えてくれる。千夏先輩の最奥に、俺が到達した事を。お互いが最も深い場所で繋がった瞬間、長く尾を引く短い喘ぎを漏らす。俺はそれを、知っているから。
僅かに腰を引いて、間髪入れずに再度突き上げるとその声がまた上がる。それが楽しいのか嬉しいのか、俺は何度も繰り返してしまうんだ。ああ、そうだ。俺に跨がった時も、千夏先輩は腰を振り下ろす度にこんな風に喘いでいる。じゃあこれは、間違ってないんだ。俺はちゃんと、出来ているんだ。
そうやって腰を叩き付け、千夏先輩にキスをする。何度も、何度も。
頭の中は白く染まり、全ての感覚が千夏先輩一色になっていった。
靄が掛かった思考はでも、キスの合間にやって来た言葉に吹き飛ばされる。
「良いよ、大喜くん。このまま、――ね?」
その瞬間、身体の奥で稲妻が走った。
輸精管が脈打ち、マグマが溢れるように精液が迸るのが感じられる。その行く先まで、すべてが。千夏先輩の膣内を埋めつくし、子宮の奥まで到達する幻影が目の前に表れた気さえする。
放精の余韻に浸りながら思うのは、ただ千夏先輩の事だけ。この人といられれば、後はどうでもいい。
千夏先輩に愛されたいから、部活を頑張ろう。
千夏先輩に愛されたいから、ちゃんとしよう。
俺のすべては、もうそれでいい。
お休みなさいとキスをして、千夏先輩が自分の部屋へと戻ると、俺は一人天井を仰いだ。
ああ、まただ。また今日も快感に負けてしまった、毎晩こうだ。千夏先輩と愛し合う間、昼間に抱いたはずの葛藤は溶け消えてしまう。何も考えられないまま、ただただ貪り合って時間が過ぎる。考えないといけない事は幾つもあるのに、何も言えない。
千夏先輩の本当の気持ちを知らないまま肌を重ね合って、それで良いのか。こんな事を続けていたら、どうなるか。もしかしたらもう、手遅れかもしれない。幾度となく放った精が、あの人の中で
だけど、……だけど。だけど俺は、何処かで思ってしまう。そうなってほしい、そうなれば――千夏先輩は俺だけを見続けてくれるから。
身勝手で最低すぎる、それでも俺はそんな風に思ってしまうのだ。
「――まあ、……良いか」
今こうして悩もうと、明日の夜になれば無意味になる。千夏先輩の身体に溺れ、何も考えられなくなる。
ひょっとしたら、それこそが千夏先輩の考えなのかもしれない。
何であれどうであれ、時間は巻き戻らない。進んでいくことでしか、道は見出だせない。
何処か捨て鉢な心持ちで俺は、意識を手放した。
夜が明ければ、また新しくアオい日々が始まる。
ちょっと意志が弱い大喜くんでした。