1.
愛していた──恋する様に。
恋していた──愛する様に。
美しい女性だった。
救えと、神に言われたのは。
神の導きと意識の矛先に、彼女が歩いている。
二〇一四年。
おれが生き返ってから、だいぶ時間が経っていた。
おれは、生き返ってからも、セラフィックスで変わらずの生活を続けていた。
ただし、戸籍が違う。
正確には、名前と出身地が違った。
おれは、かつての◼️◼️ではなく、『ゴウ』と呼ばれる様になり、かつての仲間たちは、なんの疑いもなくおれを『ゴウ』だと信じていた。
鏡に映る自分の姿はほとんど変わりない。
手触りも、肉質も変わらない。人間の皮膚と人間の肉だ。
無骨なシルエットは全く一緒だ。
体格、身長、体重。
股の位置まで記憶の通りの姿。
ただ、左眼に、獣の爪痕のような三本傷があった。
左右の瞳の色が違う。
左が翡翠色、右が黒色。
いわゆるオッドアイである。
自分の肉体とは思えない変化に、おれは内心戸惑いつつも、仲間たちとはなるべく◼️◼️の時と変わらぬ態度で接した。
あの、おれを殺した『掃除屋』の男を何度も見かけた。
清掃員にカムフラージュしているそいつは、おれの顔を見てもなにも言わず、気にも止めるそぶりすらなかった。
仕事はそこそこにこなした。
というより、そこそこでこなせてしまっていた。
この身体には、黄泉がえりを成した全能の神が宿っている。
お陰か、体力的な面で大きくパワーアップしていたのだ。
特に、目に見えて違ったのは筋力と耐久。
おれの世界から、おおよそ、『重いもの』がなくなった。
蛇口をひねる際に、加減しなければならなかった。
どんなに太い鉄柱パイプでも、おれは軽々と運べたし、仲間がレンチを使わないと外せない/締めれないようなボルトなんかを、指で簡単に締めたり外したりできた。
作業服を着なければ危険な薬物や熱波にさらされても、おれの身体はなんともなかったのだ。
傷ついても、ものの数分で傷が塞がった。
治るというより、元に戻る感じであった。
相応に、腹は減った。
睡眠も必要だった。
だが、それらは体力の補填というより、精神安定ために必要なもので、神曰く、おれにはもう、生きるだけなら食事も睡眠も必要のない機能になっているらしい。
おれは人間ではなくなっていた。
だが、それがイヤだったわけじゃない。
ただ、寝ても覚めても有り余る人外の力が、使い所すらなく心身の内側でマグマのように滾っているのがわかっていた。
それが、漠然とした不安を日常に侍らせていた。
神から、セラフィックスで起きる『事故』の全容は聞いていた。
聞くに、とてもじゃないが、おれなんかがどうにかできる規模を超えている。
神は、その渦中にある元凶を、おれに救えと命じた。
鬱々とした想いが募っていた。
そんなこと、おれにできるだろうか?
ヒトを救うことを願ったのはおれだ。
最期の最後に他者を想ったのは事実だ。
だが、その時が近づくごとに、恐怖と不安が顔を出す。
おれにとってはまだ、時間というものは前に進むものだから──なんともない顔をしてはいたけど、おれの想いなど知ったことかと一年、二年と時は過ぎた。
そして──二〇一四年。
件の元凶。
殺生院キアラが、セラフィックスに降り立った。
綺麗だった。
おれの、第一印象。
目を奪われた。
彼女は、綺麗だった。
おれは、ゲージュツなんてちっともわからないが、そこに佇むヒトが、人界の限界に挑んだような美の結晶なのはイヤでもわかった。
立ち姿が、歩く姿が輝いている。
星の煌めきのようだ。
長い髪が現実感なくゆらゆらと揺れていた。
綺麗だ。
おれは、回らない頭と回らない口で、懸命にそれを喩える言葉を探した。
だが、礼拝堂の前で立ち止まる彼女の姿。
おれは、見たことがないほど綺麗なヒトとしか形容できなかった。
大きな黒いカバンを手に、礼拝堂をぽかんと見上げる姿が格別に可愛らしい。
こんなヒトが?
おれは、疑念が湧いて仕方なかった。
正直な話、身の内に潜む神の言葉を疑っていた。
こんなヒトが、本当に?
悪魔となるのか?
ここを地獄に変えるのか?
愛欲に溺れ、肉欲の思うままにヒトを破滅させるのか……?
言葉を脳裏に思うと、我ながらに下卑た妄想がよぎる。
あの美しい肢体が、豊満な胸が、引き締まった腰が。
あの瑞々しい唇が、星の散りばんだ眼が、淫虐に沈み、欲望に揉みしだかれ、乱れ狂う様を浮かべてしまった。
顔に、ぼうっと熱が集まった。
下腹部が硬くなる。
尻の肉が前のめりに締まっている。
ストレートに言うなら、殺生院キアラの
顔を張る。
顔を振る。
勃起は治らなかったが、改めて殺生院キアラを見据える。
彼女は、やっぱり綺麗だった。
いや、そうじゃなくて!
……でも、綺麗だ。
とても綺麗なんだ。
くそ! なんでおれは勃起してんだ!?
気づけば、に、とおれは笑っていた。
無意識で。誤魔化しの顔である。
だから最初は苦笑いで、あとは誰に向けるでもない照れ隠しであった。
仕方ない、と心中で神が囁いた。
おれの眼に、ぐ、と何か不思議な熱が注がれた。
そこで、おれはようやく気づく。
殺生院キアラの瞳。
覚悟と決意を岩の様に固めた色に。
全身から炯々と溢れる正義感に。
そして、その圧倒的な光の中に息づく、かすかな影の存在に。
おれの眼と意識を通して、神の眼は、キアラの人生をおれに教えたのだ。
磨き抜かれた宝石として生まれ、ヒトの世に
彼女がここにくるまでに、積み上げてしまった悲しみの一端を。
おれは、もう、勃起していなかった。
おれは、もう。
殺生院キアラという人間が
烏滸がましくも、芽生えた意志は『救いたい』という欲求である。
おれのなかで、神が笑った。
そうこなくては、と。
2.
罪悪感があった。
彼女と触れ合う日々に。
おれは、全てを知っている。
今、こうして目の前で笑っている彼女は、未来や別の世界では、魔性を聳やかして人々を破滅に追いやっている。
それに恍惚し、人々の信仰心を杯に注いで愉悦を飲み干しているのだと。
綺麗だった。
その仕草が、優しかった。
涙が出るほどに善人で。
眼が眩むほどに聡明で。
いい匂いがした。
確かに、キアラは人心を惑わせるに足る魔性を持っている。
こんなに綺麗で優しくて。
こんなに可愛らしいこの子を救いたい、神の気持ちが痛いほどわかる。
おれは、それから三年。
おれは極めて普通に務めたつもりだ。
下手に演技しても、おれの心なんか、キアラのその輝きは貫いてしまう。
彼女の前でウソを突き通せる自身がおれにはなかった。
彼女は企みを暴いてしまう気がしたからだ。
ぎくしゃくしつつも、仲良くなれたと思う。
誰にも向ける愛くるしさを、キアラは勿体ぶらずにおれにも向けてくれた。
おれは、だから、求めてしまった。
『未来』を、求めてしまった。
キアラを救いたい。
いや、救って見せると誓うと、欲というものが身体の深層からぶつぶつと湧き出てきて、おれの心をくすぐった。
全てが終わった後──彼女と共に在れないだろうか?
神は、こたえなかった。
おれは死んだ人間だ。
それが、なんの因果か全能の神に見染められ、生き返ってしまった。
しかも、千人力の怪力とタフさを得て。
睡眠も食事も必要ない超人となって。
なんと元気なゾンビになったことか。
そして、神がおれに期待することは、彼女を救うこと。
何が起こるのか、どうすればいいのかは、神は懇切丁寧に教えてくれた。
彼女と笑って過ごせた三年は、先に待つ地獄に突撃するおれに、神が与えたもうた祝福と言うわけだ。
そして、地獄が起きて。
それを乗り越えた時、おれはこの世にいるんだろうか?
こういうのって、マンガとかアニメで、その辺のモチーフの神話とかだとよくあるやつで。
おれは使命を果たしたら、死ぬもんじゃないのか。
おれが黄泉がえったのは、殺生院キアラを救うため。
だから、それが終わったら、おれはまた死んだことになるんじゃないか?
それは、イヤだなぁ。
だから、彼女に問いかけた。
手を取って欲しかった。
キアラが手を取ってくれたら、おれはその手を引っ張って、その瞬間にセラフィックスを辞めてやるつもりだった。
事件は、殺生院キアラが二〇一七年にセラフィックスにいるからこそ起きる。
なら、その時その瞬間に、キアラがセラフィックスにいなければいいんじゃないかと思ったんだ。
先生に、どこか安全な場所に隠れてもらって。
そのあと、おれだけセラフィックスに戻って、事件解決の手助けをすれば良いと思った。
カルデアとかいう、なんかすごい連中が来てくれるらしい。
ムーンセ……聖杯ナントカ?
とにかくなんかヤバいことが起きると神は教えてくれた。
その遠因がキアラにあるとも。
なら、キアラがセラフィックスからいなくなれば、事件も起こらないし、キアラは救われるし、一石二鳥じゃないのか?
おれの疑問に、神はこたえた。
それはできない、と。
なんでだよ!?
とおれが聞くと、神は淡々と言った。
『私に願い届けたのは、
『今のキアラは私の存在を認知してすらいない』
『神としての私は、受けた願いを元に、捧げられた供物を秤に掛けて、願いを叶える度合いを定めるのだ』
──なんだよ、それ!?
神なのに、全てを救ったりできないのかよ!?
救える力があるのに、救っちゃダメなのか!?
おれが叫ぶ。
神は、呼気を強めた。
『セラフィックスの事変は、この世界における既定事象なのだよ。世界を紡ぐために、
『私は願いを受け取ったからこそ、それを叶える為に、可能な手段としておまえの身体を借りているにすぎぬ。最初から、私にとって──セラフィックスの全員を救うことは勘定に入っておらぬのよ』
世界が……人助けを許さないっていうのか?
あいつらが、死ぬべき連中だっていうのか。
だったら、なんで殺生院キアラだけは救えるんだ!?
『神の法に則る』
答えになってねえ!!
何度聞いても、神のこたえは変わらなかった。
だから、おれは思い切って、キアラに告白した。
手を、取って欲しかった。
自惚れた心もあったけれど、おれは心の底から手を取って欲しかった。
けれど、
「………………もう!」
と、キアラは何かに憤り、次に喜びと哀しみとを混ぜた、喜怒哀愁の笑みを浮かべて。
おれの手を、取らなかった。
見惚れるほど美しく、寂しい顔だった。
綺麗だった。
本当に、綺麗で。
おれは、胸がぎゅっ、と締め付けられた。
どういう顔を、おれは、その時浮かべていたんだろうか。
どんな顔で、殺生院キアラを見返していたんだろうか。
泣きたかったと思う。
でも、涙は出ていなかったと思う。
海洋油田基地セラフィックス。
二〇一六年、十二月二十九日。
寒い日のことでだった。
肌を刺すような寒天の空の下。
月明かりが、見えなくて。
キアラの顔も見れなくて。
おれの心で、静かに。
何かが崩れる音がした。
3.
二〇一六年、十二月三一日。
一年の終わり。
だというのに、仕事の質量がかわりないセラフィックスは、一年の終わりを祝うそぶりはなかった。
いつもと同じような夜が過ぎていく。
静かな世界で、私の溢れる息は熱かった。
私はベッドの中で、ぶり返し、おさまらぬ興奮に身を焼いていた。
思い出していた。
顔が真っ赤になっている。
ふとんを頭から被って、枕を抱いて、身体を丸めている。
顔の前に細指を絡めて、私はおとといのことを、未だに反芻している。
──どげんや、センセぇ。
──おいと一緒に、世界ば回らんか?
身体が熱い。
彼の逞しい身体がはっきりと頭に蘇る。
なまりのあるはつらつとした声が、耳の奥に残っている。
哀しみの影を挿す、その表情を覚えている。
いきなりだった。
いきなりすぎた。
差し伸ばされた言葉。
差し伸ばされた手は、無骨で、無遠慮に、私の中に踏み込んできた。
私の中で、喝采が響いていた。
その瞬間、私は過去と未来を見てしまっていた。
思い過ぎた過去。
想い描く未来。
誰かに救って欲しかった過去。
誰かを救うために戦い続ける未来。
私を私たらしめる、呪いと福音の叙事詩。
そこにはわたしひとりだけだった。
いつでも、どこでも。
なぜなら、私をとりまく
私に投げつけられる
セラフィックスにおいても、その本質的な部分は変わらなかった。
やはり、変わらず存在していたからだ。
私は確かにセラフィックスを居心地の良い世界だと思っている。
それは嘘じゃない。
だけど、今までも、そう感じた世界はいくつもあった。
そして──その度に裏切られてきた。
これまで無事だったのは、運が良かったからにすぎない。
助けた男たちがいる。
涙を流して私に感謝を告げ、私がその手を包む。
癒しを与えられたと安心し、戸に鍵を掛けて眠りについたその夜。
複数人の男が鍵を壊して部屋に押し入り、乱暴されかけたことなど、珍しくもなかった。
必死で抵抗する。
下手人のひとりは、私の救った男。
息を荒げて見下ろす。
男は、必ずこう言う。
──先生だって、その気だったんだろ!?
あるいは、
──○○病院の××先生に頼まれたんだよ!! おれは悪くねぇ!!
と。
その時の、私の絶望は果てしない。
底に堕ちて、なお堕ち続ける感覚。
私の生きる世界には、足場はどこにもなく、無限の奈落に向かって落ちるだけなのだと悟った。
セラフィックスでも、まだ、時折舐めつくような下劣な視線はある。
今はセラフィックス内の倫理は秩序に首を垂れて、働いているが、徐々に不均衡に傾いているのは動かし難い事実である。
その中で──彼だけが違った。
その彼が、手を差し伸べてくれた。
その彼が、私の一番欲しい言葉をくれた。
何かが爆発しそうになった。
私の中で、胸が、下腹部が──つまり、私の『女』は、切ないうずきに捩れていた。
だから、手を取れなかったのか。
それとも、彼の中にも、私は私の人間ではなく、肉体を求め貪らんとする、異性の肉欲を感じていたのだろうか?
だが、私には。
勇ましく述べるなら、それは望むところのはずだった。
薄く化粧をした。
身なりに一倍気遣った。
可愛く見られたいと思っていた。
その、逞しい腕の中に包まれることを望んでいたはずなのだ。
なのに、手を取れなかった。
言葉にならなかった。
私自身が、彼との蜜月に身を委ねる瞬間を夢想していたのに。
自らを何度も何度も慰め、何枚も下着をダメにするほど恋焦がれていたというのに。
いざその時がくると、途端に臆病が顔を出したのだ。
言葉にならなかった。
だから、笑って誤魔化した。
だから──彼に哀しい眼をさせてしまった。
彼に謝ろうと思った。
違うと言おうと思った。
明日逢ったら。
明日、また、彼とは普通に逢える。
セラフィックスの日常は世俗の記念日とは隔絶している。
だから、明日、言おうと決めた。
あなたについていきます。
不束者ですが、よろしくお願いします、
──と。
彼は、どんな顔をするだろうか。
私の手を取って、笑ってくれるだろうか?
きっと、笑ってくれる。
泣いてさえくれるかもしれない。
「やだ……」
私は手を、指先を、布越しの秘部に当てる。
湿っていた。
溢れていた。
それは、そのまま私の期待値を示していた。
未来に想いを馳せる。
ただそれだけで溢れる蜜。
幸せの期待値がそのまま搾り出されていた。
「また、溢れてきてる……」
くちゅ、と指を這わせる。
下着と秘部の間の空間が潰れて、糸を引く水音が私の愛欲を増幅させる。
私は、そのまま──声を殺して、自分を慰めた。
胸を揉み、乳房を擦り、秘部に指を沈める。
快楽と蜜を掻き出しては喘ぎ、背筋を走る恍惚の電流に唾液を垂れ流す。
どれだけイっても、イき足りない。
絶頂の果てに、また絶頂している。
快楽に脳が痺れて、それはそのまま愛となり。
脳から溢れて、身体を満たす。
幸福だった。
幸福を想い浮かべていた。
明日──
明日から、私の新しい人生が始まる。
私は期待に胸を弾ませた。
そのまま、眠りについたのだった。
二〇一六年、十二月三十一日。
午後二十三時の五十五分。
私の、人生で最も幸福な五分間は──
静かに、静かに過ぎていった。
4.
役者は揃った。
舞台は整った。
歯車の最後のひとかけら。
長短の指針がぴたりと重なり合う。
男──神の眼前に広がるものは、大小様々な噛み合わさった、巨大な時計の心臓のようだった。
これは文字通りの時計であった。
刻むのは時間であり、運命である。
全ての歯車は滞りなく回り続けていく。
歯車を動かすものは、時間という不可逆の力。
規則正しい音を立てて、何ひとつ違うことなく、未来へと動き続けている。
かちりかちりと醸し出される
それを、あるいはヒトは、夢と呼ぶ。
そして、ヒトの世の夢とは、
ヒトを荒野に駆り立てる殺戮の標だ。
そこに向かう道を舗装する、エロチックでバイオレンスな生命讃歌の縮図。
血の流れぬ夢などない。
涙の枯れる夢などない。
例え──聖人君子の語る夢ですら、そうだ。
例え、夢追いヒトがそこにたどり着いたのだとしても。
例えば、それが世界に恒久の安寧をもたらす善に溢るる夢であっても。
そのヒトが振り返るその道は、計り知れぬ
彼女も例外ではなかった。
ヒトのために生きた──それは嘘ではない。
ヒトの善を信じた──それも、嘘ではない。
だが、その結果として、彼女はヒトの世に拒絶された。
彼女の善意はたしかにヒトの世に疎まれるものたちを救っただろう。
彼女の魔性は、確かにヒトの世を蔓延る悪意を剥き出しにしただろう。
ヒトの世の詭弁を、彼女の美と魔は許さなかった。
しかし、その全てを剥ぎ取って──果たして、彼女は何人の善人を、悪人に変えてきたことだろうか?
ヒトの身にありて、『人の世』に寄り添えぬものを、古来からヒトは『怪物』と読んできた。
ヒトにあるまじき力を持つものを、恐れた。
人の世にあってはならない脅威を廃した。
だから、ヒトは歩むに従って、世界に要らぬ『それ』を捨ててきた。
あるいは磔にして
あるいはそれを、力と権威の象徴として飾り、人の世から遠ざけたのだ。
ヒトは、人の世に生まれ出し怪物たちを、ことごとく人の世から捨てた。
秩序と社会のための供物としてきた。
だが、それは『怪物』への慈悲である。
捨てられなければ、殺すしかない。
廃せぬなら、滅する他にはない。
だから、まごうことなき慈悲の心から、ヒトは神の肉を捨て、捧ぐ祈りを偶像に移していく。
それでも馴染ませられぬものたちを、ヒトは、とうとう宇宙に追放した。
すなわちそれは、星々となった神である。
『神は、あの星となって我々を見守ってくださる』
どの神話を覗いても、大抵そのような言葉がある。
星の部分を、海にでも闇にでも、光にでもすげ替えただけの言葉がありふれている。
聞こえのいい言葉にすぎない。
裏を返せば、それは『人の世』の物的領域に神の居場所はないという証左であり、ヒトの世界に神は必要ないという絶縁宣言なのだから。
彼女も例外ではない。
弱者を見捨てえぬ社会とは、秩序に寄り添えぬ。
強弱のバランスが崩れることで、社会にもたらされるのは半永久的な混沌である。
それは人の世に限らない。
野生の世界でさえ、弱きものは捨てられる。
異形のものは捨てられる。
役に立たないからである。
群れを、家族を、危機に陥れるからである。
それが、怖いからである。
むしろ──生死の境界の薄い、野生のシビアさにこそ、人界における差別は蔓延しているのだ。
生きるために。
群れが、生き残るためにである。
だから、捨てなければならない。
野生の世界の生存戦略。
それが許容するミスの数は、人の世に比べてあまりにも少ない。
だから──彼女も例外ではない。
彼女が善意を施した結果、多くが利益を失った。
何人の人間が──
何組の家庭が──
どれほどの社会と組織が崩壊したのだろうか。
果たして、どれだけのヒトの首に縄を括らせ、天に召されるを良しとさせたのか。
本来ならば、罰たる労働と罪たる時間を捧げて、ようやく与えられるはずだった文明人のわずかな報償を、彼女の善意は何度妨げたであろうか?
強者と弱者のバランスを見境なく破壊して、いったい何度、文明社会を危機に落としかけたであろうか?
金銭と労働は『
彼女はそれを、罪を贖う行為そのものを、知らずのうちに奪っていたのだ。
ああ、何ということであろうか。
バタフライ・エフェクトまでも勘定に入れるならば。
彼女が善に昇ろうが、悪に堕ちようが、誰かが傷つき血を流す未来は僅差でしかない。
殺生院キアラという人間のもたらす未来は、どちらにせよ混乱しかないのか。
ああ──なんという悲劇だ。
彼女の人生は、悉く茶番なのだ。
それを拒絶しても、茶番。
それを受け入れても、茶番。
決して理想には届き得ぬ。
傾けど傾けど遠ざかる理想は、いかにも盲信の果てにある、
ならばどうすればいい?
彼女を救うためには、どうすればいい。
善であってはならない。
悪であってはならない。
しかし、ヒトの内海に善悪を飼わぬ者はいない。
性善、性悪。
ヒトはどちらも兼ね備えて然るべしなのだ。
善悪理念無きそれがあるとして。
やはりそれは、人の世では廃されし『怪物』なのだから。
全能者は思考する。
神の深慮は答えを求める。
紐解くものは、極めて難解なパズルである。
解法が最初から存在しないのだ。
いかに全能者と言えど、これほど極まった問題に差し当たったのは久しいことであった。
だから、神は『ズル』をした。
迷いなく、躊躇いなく。
そこにある全てを持ってして、なお解けぬ問題というならば。
そこに存在しえぬモノを、用いて解とすればいい。
ルールに則って救えぬならば、ルールを捻じ曲げる。
この神は、それに、蚊を食うほどの禁忌も抱いていなかった。
既に、行ったことがあったからだ。
既に、これは既知であり、既存に他ならない。
神のなすことは悉く『過去』であった。
神にとり、時間とは連続もせず、並び立つこともない。
全ての過去、現在、未来は同時に存在している。
ならば、神の本来は、望む面に飛び移るだけでいい。
しかし、それはこの世の抑止は許さない。
また、彼の神の世界でも違法に違いなかった。
では、何をするべきか。
この世に在らざる解法とは何か?
それこそ、
すなわち──二人目の全能者の降臨であった。
元々からこの舞台で踊るメインキャスト。
愛恋に輝く美しきアルターエゴと、彼女の導き手であるカルデアのマスター。
彼と彼女の彩りを助ける忠節の騎士。
腐り果ててなお、宿命に身を捧げる正義の味方。
真理を知るがゆえに、奔放を愛でる獣。
本来は、この世界は彼らを基盤に歯車を回す。
時間が進むにつれ、真理は口角を釣り上げる。
楽譜に配置された音符たる彼らの足跡は、蕩けるほどに美しい音楽を奏でるからだ。
ならば、それ自体には手を加えぬ。
代わりに、そこに、最上の『お助けキャラ』を配置しよう。
その時は、結果的にはうまくいった。
ならば、そこはそのままで良かろう。
全能者は、たったひとつの意味で、ほぼ全てを現すことができる。
彼のものほどの超越者ならば、論ずるまでもなく理解しよう。
この世界の意味を。
私の望みと、辿る軌跡を。
彼は、あっという間に三騎もの予定外戦力を持ち込んでくれた。
そして、彼らを率いて、導くまでもなく最短で、『真実』への扉を叩く。
やはり、彼の者の麾下にありし全能者。
やはり、彼の者が実力を認めし超越者。
これならば、こちらが下手に手を出さずとも問題ないだろう。
全能を封印してなお、常に
視線を、彼らから外す。
──さて
と、神は歩き出した。
眼下に浮かぶ映像に眼を細める。
幸せそうに眠る殺生院キアラ。
不安と困惑に眉を顰める◼️◼️。
彼らを愛しく想う。
そのぐらいの愛着はあったのだ。
意識を未来へ。
やることをやらねば、と。
神は自らに言い聞かせた。