※この作品はR-18です。

少女の見た夢   作:ロウシ

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第二話:その先に道は亡く

 

0.

 

 

 彼には何もなかった。

 彼には、全てが在ったから。

 

 だから、少女が気になった。

 その少女に心から望まれたならば、その少女は救わねばならぬひとりだと、それだけを思ったのである。

 

 生まれることを、い(・)つ(・)と問うて──それを自我の目覚めと解するならば、彼は生まれながらにして全てを持ち合わせ、その実、生まれてさえいなかった。

 意識が虚空に芽を吹き、虚空を切り拓いて花開くより前に、己の全知全能が、この世にお(・)い(・)て(・)も(・)お(・)か(・)な(・)く(・)と(・)も(・)、常態的かつ普遍的な意味で全知全能である事を知った。

 己とは、つまり──あまねく全てである。

 それは、多層的に存在する宇宙(世界)のおおよそ始まりの前の混沌(夜)であり、同時に、そこから終焉へと向かって堕ち行く破滅的な旅路そのものでもあった。

 集合知であり総和体であることは、始原から終焉までの因果の存在そのものが、しばしば彼の肩に馴れ馴れしく腕を回し、優しい声で友愛を悟りかけることを意味していた。

 日常は、全てが既知であり、宇宙の内外にて起きる事象はその全てが読み慣れた本が如く、もはや観るまでもなく知り、聞くまでもない音楽であり、満腹と味わいつくしてなお体内に流し込まれる美食(グルメ)であった。

 過去と現在と未来という感覚が、彼にはひどく曖昧で、宇宙の膨張と分割による多層化の拡張と推進、過累積からなるこの世──それを形成する時間と空間──とその他多くの次元世界は、自らを形作る細胞のひとつにも満たないシ(・)ミ(・)に過ぎない。

 しかしながら、彼の真の絶望は、自らが生まれながらにして全知全能だったことではなかった。

 彼にとって真の絶望とは、無我に処理される人生そのもので、『そ(・)こ(・)』にいながら『ど(・)こ(・)』でもあるが故に、この身、この心がどこにも向かうことができないという矛盾と、万物が死を迎(・)え(・)た(・)先(・)でさえも、その生死の円環構造ごと自らへ向かって堕ち行く既知の事象であることであり、例えばこの身に未来で『滅び』をもたらすことができたとして、その『滅び』は既に、彼の中では過去の事象でもあり、それが起こることで彼の漠然とした存在は、滅びを糧に、ただだだ世界に在り続けるというジレンマに苦しむ心があったことだ。

 

 善に昇ることも、

 悪へ堕ちることも、

 自らを構成する要素であるが、必須には足りない彼にとっては等しく無意味で等しい意味に落ち着くのである。

 破壊は、即ち自らを創り。

 創造は、即ち自らを造り。

 自らの始原は、今しがた未来にて行われた過去の出来事であり。

 自らの終焉は、遥か遠方の過去にありて、生(・)ま(・)れ(・)果(・)て(・)た(・)この心中深層に、芳醇な未来として備えられていた。

 ならばと、在らん限りの全てを滅ぼさんと腕を薙ぎ、ま(・)ば(・)た(・)き(・)と息吹によって神々と世界と生命、自身の運命をも根絶した先にもたらした『虚無』こそは、自らを形成する根源的物質──混沌(夜)の滲むシミに他ならない事実があった。

 人生──というには、彼はヒトではなさ過ぎるが──を生きるという意識があっても、彼はどこにも生きていなかった。

 誰であっても、誰でもなかった。

 その在り様は、路傍に横たえる、空腹と悪意に蝕まれる稚児の命より儚く。しかし、存在するだけで天蓋の宇宙(ソラ)を飲み込んでは滅ぼし征(ゆ)く破壊者(デストロイア)よりも強靭なのである。

 その両極点が彼であり、また、極点を線で結ぶ過程でそこに含まれるものも含まれぬものも彼で在るが故に、彼は生きるための証明を決して果たせなかった。

 自らの生命の証左として世界が在るのではなく、世界が存在する証左として自らの存在が在り、それは世界の側にとって、理不尽極まる不可逆性で結びついていたからだ。

 世界がいくつ生まれ、滅んでも、自らが滅ぶことはないというのに、自らが生まれ、滅ぶ時、全ての世界は生まれ、終わるのであるのだ。

 誕生の瞬間以外、自らが生きていることを認識もできず、誰でも在るがために誰なのかもわからず、漫然とした自我擬(もど)きが下界の人々による悲憤慷慨(ひふんこうがい)の願いを聞き届け、それを受動的──あるいは反射的に叶え続けることで、自らはそこに在ると辛うじて実感していた。

 右を見ても左を見ても、それは己である。

 他者の憐憫も憤怒も悲哀も、己で在る。

 他者の喜劇も悲劇も、それすら己で在る。

 上下左右、前後表裏に至るまで、異なる意志を持って異なる世界を開拓せし夢を描くものたちも、己にとってはすべからく過ぎ去った過去と、現在と、待ち受ける未来に散開する己の鏡像であった。

 

 彼にとって、己とは、集合無意識に生じたバグであり、その本質は全地全天を包括する暗黒の総和体──即ち無我である。

 しかるに無限の可能性とは、彼にとり、如何にも閉ざされた不変であり、世界の存在と非存在とは己を変えようもない絶望に違いなかった。

 からくも救いがあるとすれば、それは、それでも、彼の超深淵的な存在の規格に見合う神々や超越者が、深宇宙の更に奥、この世でもあの世でもない果てには、複数存在していたことである。

 彼が知る限り、一〇七名の超越者が『我と彼』の境界を保って存在しうることに気づき、その内の四十二名が己の全存在を、完全に滅ぼしうる力を持っていることを知れたことであった。

 

 彼の存在を彼らは認め、やがて、彼はそのうちのひとりから名と肉を授かり常世に降(くだ)り、ヒトの世を見守り、またヒトの世の為に巨神たちと争う、ひと山いくらの全能の神の一柱へと成り下がった。

 

 自らの存在を下界に留めてもなお、彼の心中には日々を未知と信ずる人々への羨望が燻っていた。

 無限不変にして永遠の全知全能者にとって、その姿形を変えようとも、一生を費やしても有限動変に身を置(・)か(・)ね(・)ば(・)な(・)ら(・)な(・)い(・)憐れな非全能者への憧憬は消えきれない。

 彼らを真似て、ヒトに近い愛憎にこそ我が身を預け、傾倒思想によって混沌の全たる自らに指向性を定め、意志を頑固に集める代わりにさらなる全能の弱体化を測る。

 もはや全知はその身を隠し、幾たびの年月が数多の創世と終焉の円(・)環(・)ご(・)と(・)彼に堕ち行き、彼にとっての知古となった時、彼は多世界にヒトとして存在可能なほど脆く儚い肉体となり、僅かばかりの世界に揺らぎを与えることで、世界を改変するのがやっとなほどに弱り果てた。

 その上で、彼はヒトの世から神に転ずる者を見れば、どこにでもいつにでも赴き優しく肩に手を置いて、「やめなさい」と囁いた。

 それでも全能者へ足を踏み入れる誇り高き隠者(ハーミット)を、彼は、やはり、優しく身の内に招き、彼に名と肉を与えた『至高者(いとたかきもの)』の身許へと導いた。

 

 そして、彼が、ある日、ある時、ある世界において行った冒険が、こ(・)の(・)度(・)の重複した特異点(SE.RA.PH)の引き金となった。

 彼のひとりが、彼女に出会ったからだ。

 救済を求める少女であった。

 名を、◾️◾️◾️祈荒(キアラ)と言った。

 自らの輪廻を歪め、それを世界に投影し、寄り集まる運命の協奏にヒビを入れる事でヒトの世を脅かす者たちが蠢く世界における、超越者の少女であった。

 少女はその人生から魔天に焦がれ、ヒトに絶望しつつ、その内面では他者の愛恋のぬくもりを無意識に求めていた。

 しかしながら、その身に宿した魔性はヒトの世には余ったのである。

 キアラの美は魔性に傾き、その魔黒(まぐろ)い輝きは賢者の慧眼を墨打って曇らせ、哲学者から理性を剥ぎ取り、性の開放による歪んだ曼荼羅をこの世に降ろし、それを理解させた時にはヒトを破滅へと溶かし込んでは自己の増長を繰り返し──憐れにも、ようやく、か(・)弱(・)く(・)頼(・)り(・)な(・)い(・)ま(・)ま(・)全能と成った少女である。

 だが、その果ての世界に辿り着き、魔天においては自らを全能へと押し上げた人間(リソース)の存在が忘失する事に、遅れながらに気づき(──これは、人界と魔界を繋げし魔天航路にた(・)む(・)ろ(・)する『神仏の敵対者(サタニスト)』の支配者的存在の彼らにとっては普遍的なことであった。なにせ、彼らは定命の存在と違い、生物的性差異がそもそもなく、必ずしも性の欲求に自らを沈めうるほど感性が豊かではないからだ。自らの眷属化の一環として他者存在を欲求に沈めることを司る彼らにとり、性欲に基づく破滅は自らの力を増長させる一要素でしかなく、キアラの神性の最たる元素は自らが信ずる髑髏本尊を心に置き、その御前で人々と乱交を行う事で曼荼羅への統合を果たす神性さであったが、そもそも『ヒト』が存在し得ないこ(・)こ(・)では、それが全く無意味に等しいのは当然の帰結であった)、日々衰弱する他ない自身の力と存在にたちまち失望し、下天を選択した折に「せめてもの救いを」と彼に『殺生院キアラ』の救いを願った。

 セラフィックスに全能者が降臨した由来は、ここに端を発する。

 

 かつて、どこにも向かうことができなかった彼は、ヒトの世において超越者以外の何者にも成り難い殺生院キアラに同情を覚えたのである。

 一度偏ってしまったが最後、自らが起こしうる奇跡を自ら否定し、拒絶し、全能に至る反作用として自らの才覚を嬉々として貶しめる彼女は、彼にとっては憐れ滑稽で仕方がなかった。

 ヒトの世においては神に、悪魔に、獣に、救世主に成る才能はあれど、ヒ(・)ト(・)の(・)世(・)以(・)外(・)でそ(・)の(・)先(・)に進む才覚がない故に、彼女は全能に至ると同時に未来を失うのだ。

 

 居並ぶ世界に、かくて神は降臨した。

 かつての記憶に従い、死にゆく御霊を黄泉返りさせ、彼に“octi billion(オクティビリオン)“の力を授けて自らは時を待つ。

 

 時を待つ──生(・)ま(・)れ(・)な(・)が(・)ら(・)に人間らしい感覚が構築する時間と無縁な彼にとって、『待つ』という行為は初めて遠足に出かける前日の、幼児の歓笑的純朴さにも似ていた。

 

 眼下で眠る幾白の犠牲を偲びながらも、彼は少年少女の冒険と愛の物語を食い入るように見つめ、胸を躍らせていた。

 

 神の御心を知ってから知らずか、この世界でもムーンセルの思惑を超越してBBを取り込み、全能のリソースを元手に魔神柱を胎内で育て、来たる決戦に周到に備える、獣たるキアラの姿は愛おしくてたまらなかった。

 

 視線があった気がする。

 彼女は微笑を浮かべていた。

 

 彼もまた、笑っていた。

 

 

 

 決着が迫っていた。

 

 

 

1.

 

 

 

 銃声が轟く。

 二発、三発と続け様に。

 射出された弾丸は音を裂いて飛ぶ。

 巨躯の男はその斜線上から素早く身を翻し、躱した。

 流れに従い地に這うような姿勢となり、顔を上げる。すると、眼前に次弾が迫っている。

 二発だ。しかし、男は慌てない。

 コンマ数秒ごとに存在感を増す銃弾を、恐れず、眼球のコンマ三センチまで引きつけて、大きく頭を振って躱す。

 連弾となっているために、一発を躱すついでに、それで二発目も避けられる。

 男は身体ごと大きく薙ぎ、全身で跳んだ。

 四つ足で地を掴み、全身のバネを使って躍動するサ(・)マ(・)は獣的──というより、蟲の跳躍に似た動きであった。不規則な運動をワザと起こし、緩急をつけ、ジグザグに地面を駆けては銃撃を躱し、黒衣の男への距離を詰めんと踏み込んでいく。

 黒衣の男は距離を離さんと、銃撃をそのままに後方へ跳びのく。

 互いに視線は外さない。まるで男がどんなに激しく動いても、黒衣の男は巨躯の男の瞳の中心を貫き続ける。

 黒衣の男は見下ろして、巨躯の男は睨め上げていた。

 微かな動きも見逃さないぞと。

 筋骨一本の動きを見て、次の動作を予見する。心の機微を察知し、精神状態を探る。

 と、黒衣の男が銃撃と銃撃に間を作った。

 宙空に、一筋の風が通り抜けるほどの間が開く。刹那の逡巡。もちろん、罠である。

 しかし、巨躯の男は立ち上がり、胸を張り、勇ましくも『そこ』に踏み込んだ。

 迷いがない足取り。

 自尊に満ちた歩みであった。

 白い歯を剥き出して笑っている。

 睨むように細めていた目が、自信と尊厳に彩られ、大きく見開かれている。

 やや前傾、前のめりな姿勢が男の攻め気を現していた。

 攻勢を変えた。

 だが、黒衣の男は慌てない。

 いや、心中にて焦燥のゆらめきはあったかもしれないが、おくびにも出さず銃口を向けるのは変わらない。

 やることは変わらないからだ。

 やれることも。

 絶え間なく撃ち続ける。

 巨躯の男は──避けなかった。

 もう、ガードすらしない。 

 攻撃を受けながら、眼球に受けても目も閉じず、揺らがず。視線も心も身体も真っ直ぐに、確実に、黒衣の男に向かって歩いてくる。

 弾丸が、次第に、男の肉から弾かれていく。弾丸の貫通力が落ちたわけでない。魔力装填に重きを置くとはいえ、銃の利点たる汎用性は変わらないのだ。だから、そのものの威力は変わっていない。

 と、なれば、男の肉が物理的に硬くなっているのだろう。

 チッ、と舌を打つ。

 予想通りではある。しかし、銃弾が肉に弾かれるという非現実的なそれは、いざ眼にするには露悪が溢れるほど馬鹿げた光景であった。

 黒衣の男にとって、巨躯の男が、どのみちこの程度の武装では倒せないことはわかっている。

 

 巨躯の男は、『全能神』──あるいは、『超越者(ビヨンダー)』の御使いである。

 あの神は、黒衣の男を遣わした抑止の視座からすれば、彼らのあらゆる制止と妨害を跳ね除け、この世界に君臨し、ただそ(・)う(・)在(・)る(・)だけで世界を歪める邪神の一翼であった。

 その存在が、ただこの世界に降りてくるのを、抑止力の行使できるあらゆる力は堰き止められなかったのだ。

 だから、今、黒衣の男は守護者としてSE.RA.PHに派遣されていた。

 黒衣の男は、この世界で本来起こるはずだった惨劇を、ことのあらましを、既に知っている。

 異なる時空において、獣と成り果てた殺生院キアラの末路。

 その世界では、己こそが、己の宿業と宿命に向き合い、殺生院を滅する一助を担ったはずなのも承知である。

 更に──そこから派生さ(・)せ(・)ら(・)れ(・)た(・)、さ(・)ら(・)に(・)異なる時空において、獣とも神ともなれなかった殺生院キアラが君臨した『超越者(ビヨンダー)』に嬲り殺しにされ、夢叶わぬまま魔天へと連れ去られた末路を、黒衣の男は知っていた。

 時間の垣根を超越せし抑止の意志は、黒衣の男がこの世界に招聘される過程で、ありえないほど丁寧でしつこく、『超越者(ビヨンダー)』の驚異を訴えていた。 

 当然その経緯は、超越者たる全能神には筒抜けであったのだろう。

 前者二つの歴史とは異なり、この世界において超越者は自らの力を人間に分け与え、尖兵としてSE.RA.PHに遺していた。

 それがこの、巨躯の男である。

 名前は──なんでもいい、覚えていない。

 とにかく、この巨躯の男は、邪神に力を与えられ、本来この次元から葬(・)り(・)去(・)ら(・)ね(・)ば(・)な(・)ら(・)ぬ(・)殺(・)生(・)院(・)キ(・)ア(・)ラ(・)を救わんと、死者の身で在りながら黄泉返りの果てに常世に降り、二本足で立つ『異物』にして『遺物』である。

 

 しかし、と息を吐く。

 細く細く、息を吐き出す代わりに筋肉を引き締め、全身に力を入れる。

 抑止力(アラヤ)もまた、酷なことを言う。

 巨躯の男の内包する力は、黒衣の男が知る限りの、この世のあらゆる規格(スケール)を超えていた。

 目の前にあって、対峙して、だからこそわかる。

 巨躯の男は、黒衣の男からすれば、巨大な恒星のようだった。

 何百光年も先の空域に、自身のエネルギーを届かせる恒星が、その輝きと熱量をそのままに、ヒトの形に押し込められて動いている。手足を動かすだけで、男の肉の裡(うち)に収まりきれない力が溢れ、残滓となって煌めくようだった。

 

 巨躯の男は一貫して、黒衣の男に殺意を向けていない。

 当然だろうと思う。

 巨躯の男と黒衣の男(自分)では、内在するエネルギーの桁が違いすぎる。

 本来、戦いが成立する次元にない。

 恐竜にとって──仮に、恐竜vs黒蟻というマッチングを想定するとして──黒蟻の規格(スケール)における強弱は、恐竜の命を脅かすことはないだろう。

 恐竜にとって、相対する黒蟻が世界最強の黒蟻であるか、世界最弱の黒蟻であるかは些事に違いない。

 それは、この世界において、如何に優れたる人間の魔術師であろうとただひとりのサーヴァントの神秘には到底敵わないことにも似ているかもしれない。

 絶望的な戦力差だ、笑えてくる。

 しかし、かと言って、それが黒衣の男にとり、非日常的かと問われればそうではない。

 守護者として派遣された先、ターゲットとの戦力差が天地を隔てるほどなのは珍しくもなかった。

 ここまで剥離しているケースは稀中の稀ではあるものの、要は力の桁が違うだけで、己のやることもやれることも、何ひとつ変わりはしない。

 ──とうに、この肉も魂も朽ちている。

 全盛を再現するというサーヴァントの霊的状態をもってしても、十全の回復は見込めないほどに朽ち果てた己の今。故に、黒衣の男からは、赤い己のように、格上の相手に応じて臨機応変に戦い方を変える器用さは失われているのだった。

 

 巨躯の男は止まらない。

 銃弾など物ともしない。

 それでいい。

 それがいい。

 あるいは、こちらを抱きしめようとでもいうのか、その太くて分厚い手は、もはや拳の形ですらなかった。

 それでいい。

 存分に油断してくれ。

 黒衣の男は、巨躯の男を更に引き付けた。

 そして、自身に向けてその太い腕が伸ばされてから、二丁の口のひとつを明後日の方に向けた。

 

 巨躯の男は瞬時に悟る。

 黒衣の男の銃口の先には──トラパインがいた。

 巨躯の男が身を翻したのは、黒衣の男が引き金を引いた後だった。

 しかし、巨躯の男の身はどこまでも軽く、そしてしなやかに銃弾の横を通り過ぎて、トラパインの前に立った。

 庇うために広げたその背に、小さな銃弾がつぷりと沈み込む。

 ぴゅ、と、ほんとうに小さな血飛沫が飛んだ。

 トラパインの表情は、黒衣の男からは伺えない。しかし、絶望的な影が落ちていることは手に取るように分かっている。

 それを振り払うためか、巨躯の男が振り返る。鼻息を荒くして、自らの無事息災を強く訴えていた。

 

 が、それは黒衣の男にとり、狙い通りであった。

 

「────無限の剣製(アンリミテッド・ロストワークス)」

 

 呟くように唱えた、宝具の真名。

 途端、巨躯の男は吐血する。

 身を捩って、更に血を吐く。

 肩から、胸から、背から、大小形状様々な『剣』が突き出し、その身を食い破らんと刃を鳴らし始めた。

 巨躯の男がトラパインを突き飛ばすと、情け容赦なく剣劇の丘はそそり立ち、次々と男の身体に自らの存在を突き立てる。 

 鮮血がほとばしり、男が背をのけぞらせて、吐瀉物と血を撒き散らし、天に向かって唸った。

 吐き出されるのは痛みと憤怒。

 実に予想通りである。

 黒衣の男の狙いは、最初から巨躯の男の外面の破壊ではなく、内面からの破壊であった。

 男の肉体は無敵に等しい。

 外部からの攻撃では、この世界に存在する何をもっても崩せまい。

 それこそ、獣たる殺生院キアラであっても、壊すことはおろか傷つけることも叶わず──例えばこの星(地球)の自壊に巻き込まれたとしても、男の肉体は傷ひとつつかないだろう。

 そういう次元の肉体だ。

 まさしく規格(スケール)が違う。

 しかし、自らの固有領域を、相手の体内部で炸裂させるこの宝具ならば話は別だ。

 抑止に聴きし、かの神々の特性とは、『自らの世界』を内部に有することを常とする。そこから無尽蔵の力を引き出すのが『彼(・)ら(・)の(・)世(・)界(・)』の神々の無限力であると。

 ならば、敵対者の内部に己の固有世界(心象領域)を展開し、その世界の均衡にメスを入れて崩そうじゃないか。

 壊すためではなく、己の世界の一部をあえて与えよう。神の完全たる世界にとびきりの異物(ゲテモノ)を差し込つのだ。なれば、それに生ずる内的な不均衡こそ、神の与えし肉体の無敵を打ち破れることは必然であった。

 神の内部から、神の力を構築する世界の均衡を崩す。それをもってしても、本来は無限者たる真の神々には通じないだろうが、この巨躯の男は所詮、力の一端を授けられし有限者でしかない。

 内部の力の均衡を崩せば、あとは制御不可になった自らの力にて自滅するか、そこまでいかなくとも肉体に大ダメージを与えられることは予測できていた。

 ならば、あとはそれを命中させる手段さえあれば良い。

 巨躯の男は巨大な力の塊である。

 しかし、立ち振る舞いを見るに、全能ではない。

 神の、最も純粋たる力を持ってはいるが、神の権能は持っていない。

 こちらの手の内は探られていない。

 そして、戦地を遠ざけんと遠く遠くへ足を踏み込む言動から、自らの引き連れるセラフィックスのスタッフを庇いながら、黒衣の男に対処していることは明白であった。

 そっちを撃てば、庇う。

 黒衣の男は銃口を向けたまま距離を保ち、鉄の視線で、のたうち回る激痛を耐えている男を見下ろしている。

 

 ぐ、と巨躯の男が顔を上げた。

 笑っていた。 

 白い歯を剥き出しにしている。

 血が、もう止まっているのだった。

 上体を起こした。

 大きな身体が持ち上がり、今度は巨躯の男が黒衣の男を見下ろす形になる。

 

「いてぇ」

 

 ぶしつけに、言った。

 口元を指で拭うと、指先にべろりと血の滴が移る。こんな攻略の仕方があったのか……と、手のひらに吐き出した血溜まりを見つめて、男が言った。

 

「うん、やっぱ、世界の守護者ってやつは強かね……うん、うん。降参するばい」

 

 男の肉体は、みるみると治癒されている。

 少なくとも外見の傷はさっぱり消えていた。突き出ていた刀剣もまた、男の世界に取り込まれたか、食われたか、その肉に沈み、溶けるように消えていった。

 

「殊勝な言葉だが、死ぬ気はなさそうに見える」

「そりゃあ、まだ死ねんもん。ちょっとまちいよ兄さん。神さんに聞いたとばってん、おまえさんは、世界の護り手として、こん世界に起(・)き(・)た(・)こ(・)つ(・)ば知っとっちゃろ?」

「…………ああ、知っているとも」

「そげなんやったら、先においじゃのうて、一緒に、その……あの、ばけもんの女ばこらしめてやらんか?」

「オレの仕事じゃないね。第一、ヤツは既(・)に(・)、死んでいるようなものだ」

「……おまさん。あのばけもんにゃ、えらい借りがあるとやなかったとか?」

「……それは、別の世界においてだ」

「前ん時ゃ、それでおまさん、さんざキレ散らかしたち聞いとうとばってん」

「こ(・)の(・)身にとっては、そ(・)の(・)因縁はとうに断ち切られているよ」

「……ほーかいほーかい、泣きそうな顔しながらよう言うたい。しかしね、この世界においてん、ばけもんの方の殺生院キアラが脅威であることには違いなかろうもん?」

「抑止力というのは繊細でヒステリックでね。既に終わった女より、ここにある不確定原理そのものが、気になって仕方ないのさ」

「そげなん言うても……おいはこん世界ば破壊しちゃろうとか、思っとらんぞ」

「さあね。オマエがどう考えていようと、この世界のお(・)偉(・)い(・)方(・)々(・)がオマエを駆除すべきだと判断したのさ。オレはそれに従うだけだよ」

 

 軽快な会話の中に、ほんのわずかな皮肉を交えながら、男たちは心の隙間を覗き合う。

 空気はひりつくようであった。 

 巨躯の男──ゴウは、笑顔の反面、正直参っていた。

 

 黒衣の男──エミヤというらしい──は、『神』曰く、この世界を形作る集合無意識……的なものから派遣された、偉い人の遣いらしい。

 本来は化け物の方の殺生院キアラを退治するために派遣されるのだが、別の時空? の……未来……? において、殺生院キアラが斃されることが確定しているために、時間を超えている(スゴいね)な抑止力とやらは、標的をスイッチして、自分たちを狙うだろうと言っていた。

 

 そんなことをされても、ゴウは困るのである。

 だって、ゴウには最初からそんなことはどうでもいいからだ。

 彼の目的はセラピストであった殺生院キアラを救うことであり、ばけものの方の殺生院キアラには微塵も興味がない。

 そもそもゴウからしたら、ばけものの方はセラピストの同姓同名同体の、他人である。

 それでも獣である殺生院キアラはかなり強いらしいので、後々のことを考えて『神』に授けてもらった力は莫大なものであるのだが、それにしたってキ(・)ツ(・)い(・)誓(・)約(・)に基づいて運用、行使することを決めていた。

 はやい話しが、決め事を破ればゴウは死ぬことになるのである。

 だから、面倒は勘弁だし、そもそもこの力は守護者なるものと戦うための力ではない。

 無論ゴウにはこの世界を破壊する気などない。

 目的はあくまでセラピストを救うこと、助けることだ。

 しかし、存在そのものが不審たる『神』を、この世界のそ(・)う(・)い(・)う(・)連(・)中(・)が排除しにかかる気持ちも、小市民なりに理解はしていた。

 病原菌が体内に入り込めば、免疫は菌を殺すために働くのがスジである。

 だから、そこに文句はつけられない。

 

 どうすっかなァ〜とゴウは頭を捻る。

 

 手札を探る。

 というか、ひとつずつ声に出す。

 エミヤに、わざと、聞こえるように。

 

 セラフィックスが元々怪しい施設であることは、もう知っている。

 それを、(エミヤが)ぶっ壊すことを止める気はない。

 アーノルド・ベックマンは、ばけものの方の殺生院キアラの傀儡と成り果て、決戦の地で剥き出しの欲望に身を浸して、カルデアや自分達を待っているだろう。

 BBは既に殺生院キアラに取り込まれ、半ば強制的にその全能の一助となっている。

 ことここに至ってSE.RA.PHが完全な羽化を果たしていないのは、取り込まれたBBがそれでも抵抗しているからか、はたまた別の理由があるのかは知らない。

 『神』と自分がいながら、カルデアがこの特異点に来ざるを得なかったのは、それがこの特異点の骨子であり、そこは変えられない運命だったからだ。

 

 と──ここまで言って、ちらりとエミヤの顔を見る。

 彼は鉄面皮をそのままに、深層心理から響く動揺を隠さんと動きを止めてしまっていた。

 もう一押しか。

 ゴウは、懸命に頭を捻った。

 捻って、捻って、しどろもどろと言葉を紡いだ。

 言葉が伝わらなくても、せめて、心が伝わるようにと想いを込めて。

 

「そげん、おいば殺したかち言うなら……構わんたい。ばけもんの殺生院キアラばぶちのめした後に、白黒つけようや。けどね、じゃあ、それまでは……一緒に来てくれんがか? 一緒に、あん『ばけもん』ば倒してくれんか?」

「……ひとつ、聞かせてくれ」

「なんをね?」

「オマエはなぜ、セラピストの方の殺生院キアラを救いたいと願う? 『神』が、それを望んでいるからか?」

 

 うんにゃ、と否定した。

 

「好きだからじゃ。センセぇが」

  

 ゴウは、はっきりと力強く、即答した。

 エミヤは、黙っていた。

 引き金に手をかけたまま、しかし、次の言葉を待った。

 

「センセぇだけじゃねえ。おいはね、

セラフィックスのみんなが好きなんよ」

 

 アホばっかりやった。

 スネに傷持っとる、アブナイ奴らばっかりやった。

 でも、気のいい連中やったとよ。

 一緒に汗水流して働いて。

 一緒にメシば食って。

 一緒に賭け事に勤しんで。

 一緒にふざけて──くだらんことばっかやりよった。

 仕事がキツかち愚痴ば垂れて。

 たまにセンセぇんとこでバカ騒ぎして、みんな揃ってぶちのめされて。

 でも、腹ん底から笑っとった。

 センセぇも含めてばい。

 みんなで苦しかったし、みんなで楽しかった。

 おれだけが、生き残っちまった。

 

「おいはね、センセぇだけやなかもん。神さんにね、『みんな』ば救えるち言われたけん、こげなあぶねー力ば貰うて、今、二本脚でここに、おまさんの前に立っとるとたい」

「…………」

「わからんでもいい。バカなこつ言いよるち思ってくれてんよか! ばってん……ばってんね、おいにとっちゃあ、この終わった命であいつらみんな救えるち言うなら、それだけで良かもん。みんな救えるち言うんやったら……おいの、それは、おいの全てを賭けるに値するんよ」

 

 エミヤは、沈黙であった。

 氷の冷たさを保ったまま、眼を、細めていた。

 理解が及ばないものを見る目でもあった。

 何かを考えているような、何かを懐かしんでいるような顔でもあった。

 しかし、それらを混ぜ合わせて、自分に納得のいく落とし所を探しているようにも見えた。

 

 なぜ──この男は泣きそうな顔をしているか。

 なぜ、そんな眼でオレを見ている。

 『全能の神』に絶対の力を与えられ、黄泉返りの奇跡を体現して、やることが他者全てを救うだと?

 怪物と化した殺生院キアラを殺すでも、みなの仇を取るでもなく、全てを救うだと?

 命を賭けるに値するだと?

 なぜ、そうも軽々しく理想を口にする。

 なぜ、理想を軽んじるものが、泣きそうな顔で乞う。

 甘っちょろい。

 ああ、この男はあまりにも青臭すぎる。 

 セラフィックスにおいて、元々この男は、その罪を知ったから殺されたのではないのか?

 望むにせよ望まぬにせよ、知らぬ間に罪の片棒を担がされていて、なぜそこまで澄んだ目をオレに向けられる?

 本気なのか?

 この男、マジなのか?

 

「…………」

 

 銃が下げられた。

 

「──いいだろう」

 

 と、エミヤは静かに言った。

 無感動で、無機的な声であった。

 途端に、ゴウはべたりと地面に尻餅をついた。

 額に汗がどっしりと滲んでいた。

 へへ、と掠れ声の微笑。

 口元が震えている。

 下手をすれば、泣きそうに顔を歪めていて、駆け寄ったトラパインが思わずギョッとするほど不細工な顔であった。

 

 エミヤ自身が、言葉に反し、自分の心に納得を見出せず、眉間に深いシワを寄せている。

 思考すれば思考するだけ、不快感と嫌悪感が──ある種の爽やかさが心に染み付き、広がっていく。

 なぜ、オレは銃を下ろした?

 自らに尋ねる言葉は、自らの心に答えを返さない。

 自罰的に苛む思考は、ただひたすらにエミヤの精神を深く、底の見えない空洞に向かって落とすようであった。

 しかし、その空洞に落ちる気分が、なんと清々しい爽(・)や(・)か(・)さ(・)を孕んでいるのか。

 それを認めたくない心が、気持ち良さと相まって気持ち悪さにデコレーションされ、視界が軋むようだった。

 オレとしたことが、一体何に関心している?

 全てを救うなどと、如何にも青い言葉だ。

 生前、記憶にはなくとも記録するほどに聞き捨てた言葉だ。

 ただの、言葉。

 そう、ただの言葉に、なぜこうも震えがくるのか──?

 

 今更、この身この心が、見果てぬ神の力を目の当たりにして眩み、甘言に心を寄せるほど日和ってしまったのか。

 

「ホント、素直じゃないわね」

 

 エミヤの──エミヤ[オルタ]の背後から、すうっと天舟(マアンナ)に乗って、イシュタルが顔を出した。

 その表情は、不満の語彙を吐き出しながらも神らしからぬ愛嬌と、自身こそどこか腑に落ちた──とでも言うような、落ち着き払った雰囲気を纏っている。

 神経を逆撫でする表情に違いないと言うのに、今のエミヤ[オルタ]はただ、黙って視線を逸らす他なかった。

 彼女は、エミヤ[オルタ]がこのSE.RA.PHで藤丸立香から離れてからほとんど行動を共にしていた。

 この、冷徹無慈悲を気取った守護者が、な(・)ん(・)と(・)な(・)く(・)、気になったからだ。

 イシュタル自身、それは正真正銘の神霊たる自分を現世に降ろすために、依代のモデルとなった人間の情に絆されたためか、とでも思っているが、実際は二人の関係がより大きな因果に含まれていることは知るよしもない。

 

 彼と彼女は、三人の魔導学者に話を聞き、遭遇した『超越者(ビヨンダー)』に協力を持ちかけられ、しかしエミヤ[オルタ]は了承せず、逃げるようにここにきた。

 彼に導かれたのか、それともエミヤ[オルタ]が本来の使命を思い出したが故かはイシュタルにはわからない。

 

 先の闘いにおいても、イシュタルはなんとなく手を出さなかったのだが、その全てはバッチリと観ていた。

 ゴウの内部に蠢く力も、その力を与えしかの『超越者(ビヨンダー)』の邪悪さをも神眼にて見通しながら、なにか天啓めいた予感に従って、エミヤに語りかけるゴウの言葉を邪魔せず聞いていた。

 その言葉に、心打たれたわけではない。

 青臭い、現実を見ていない人間のそれだった。

 ことここに至って、まだ愛と希望に縋る、いかにも人間らしい身勝手な振る舞いに、はるか紀元に先んじる記憶が想起させられ、懐かしささえ覚えていた。

 だが、その素直さは感心に値するとも思った。

 イシュタルは、少なくとも今(・)の(・)気(・)分(・)的(・)に、こういう身勝手で素直な人間は嫌いではなかった。

 内在する力こそ遥か虚空(ソラ)にも届きうるほど持て余しているが、好嫌(すききらい)を決めるのは性格面の話である。

 ああ、この時代にもこういうバカはいるんだと、ある種の帰郷心を刺激されたのだった。

 そう思うと、何故だが心が軽くなる。

 心が軽く慣れば、自然と、肩やら口やらも軽やかになるものだ。

 

 エミヤ[オルタ]はイシュタルをちら、と一瞥した後、その心を察したのか、黙したままゴウに向かって歩き出した。

 

 もしかして、照れた?

 

 などと心中で発し、頑として振り向かぬ陣を敷いたエミヤ[オルタ]の背中を見て、女神らしからぬ微笑を溢したのだった。

 

「策はあるんだろうな?」

 

 悠々と間合いに踏み入った。

 エミヤ[オルタ]の言葉に、鼻を啜りながら、うん! と嬉しそうに、ゴウは頷いた。

 

「本当は、ここで他の戦力も増強したかったとやけど、兄さんが仲間になってくれたもん。百人力ばい」

「そうじゃない。あの女に対して、具体的な対策はあるかと聞いている」

「それは、もうそろそろ来るんやなかろうか」

「来る?」

「うん。ここ、合流地点なんよ」

 

 ゴウが、エミヤの背後の、イシュタルのさらに背後の空間を正面に見据えている。

 何もない空間を。

 エミヤ[オルタ]も、トラパインも、イシュタルすらも、その視線を追った。

 振り返った。

 

 すると、タイミングでも合わせたのか、ぎ、ぎ、と鈍い音を立てて、空間に、長方形のヒビが入った。

 薄い板に、切れ味の鋭いナイフで丁寧に、かつ直線に切れ込みを入れたようだった。

 ヒビの向こうから、光が漏れている。

 日光ではない、人工の光だ。

 エミヤ[オルタ]が反射的に銃を持ち上げた。

 イシュタルが素早くその隣に着いた。

 長方形に切り取られた空間は、霊子のひとつひとつが瞬く間に組み変わり、目に見えて姿を変え、木製の扉の形となった。

 

 扉だ。

 扉である。

 ならば当然、戸は開く──

 

「む!? なんと!? 黒い方の無銘ではないか!!」

 

 そこから出てきたのは、赤いセイバーと。

 

「ちょっと! どういうことでございますこれ!? あなた、マスターの元に送って下さるという話ではなかったのです!? 神が約束を破るのでは天岩戸も再閉会しますし天は乱れヒトの世に乱が訪れるというもの……!」

 

 狐耳の、というか狐娘のかしましいキャスターと。

 

「──ッ! オマエは……!!」

 

 こちらの姿を見るにあたり、即座に神経をこわばらせた紅いアーチャー。

 

 そして、その後ろから……

 

 

「おおう、タイミングばっちりじゃないの。おまえさんたちが『ゴウ』の鉄砲玉かい」

 

 太い──巨大な男が現れた。

 

 

2.

 

 

 飯を食っていた。

 さながら、団欒であった。

 SERA.PHのマップ上に設置した長テーブルに、それぞれの派閥で対面二列でずらりと横並び(エミヤ二人は列の背後に立っている)。

 そこに、各々が座って飯を食っていた。

 

「飯にしよう」

 

 言い出したのは『ゴロー』であった。

 四人と五人がお互いの存在を認めたタイミングで、視線を集めるように手を叩いて言った。

 その顔はニヤリと笑っていた。

 得心を現す、深い表情である。

 

 並べられたのはパンと、サンドウィッチと、寿司と、親子丼と、野菜炒めと、ハンバーガーに、オムライスに、ステーキに、スパゲティに、カレーに、鍋に、ピザに……と、

 とにかく腹に入れて損のない、多少の好き嫌いをものともしないラインナップであった。

 飲み物も、果物ジュース各種に、コーヒーと紅茶、麦茶、ペットボトルに入った天然水から揃っており、さながら食べ放題のドリンクバーである。

 全て、造り出したのは『ゴロー』である。

 そして、これらの食事は単なる活力だけでなく、SE.RA.PHで活動するに当たって必要不可欠な魔力を漲らせる効果も付与されていた。

 各々がマイペースに手をつけるなかで、一際黙々と食べているのがトラパイン女史であった。

 その食べっぷりは、大食漢を地で行くゴウが、思わず見惚れるほどであった。

 

「よ、よ〜食べるたい」

「当たり前じゃろがい。おまえさん、彼女を救出したはいいが、ロクに食わせてなかったでしょ? 飯は活力、生きる力よ! 喋るにせよ考えるにせよ、まず食わにゃ始まらん」

「言うてくれりゃあ、なんか探したとばってん……」

「そりゃあ無理だぜ。だって、その子、おまえのこと怖がってたじゃねえか」

 

 オレンジジュースをストローで飲み干して、『ゴロー』が言う。

 トラパインの手が止まる。

 スパゲッティを啜り終えて、ゴウが「んえ?」とすっとぼけた声を出して、彼女を見た。

 ちら、とゴウを見る横目が、気難しそう、気まずそうな色を浮かべている。

 図星なのは明白であった。

 

「う、うむむ……こん身体んなってから、腹ン減らんけぇ気づかんかったばい……すまんのぅトラパインさん。全然考えとらんやった」

「い、いえ……もぐ、すみません、ゴウさん。こちらこそ……た、助けていただいたのに……その、こ、怖がっちゃって……」

「…………」

「まあ、衰弱し切った腹に、いきなり固形物をかっ込める辺り……おまえさんもなかなか肝が据わってやがるがね」

 

 かあ、とトラパインが頬を染めて顔を俯かせた。言われて気づいたのか、確かに普段の倍は量を食べている気がするし、手をつける速度も倍のようだった。

 

「赤いの、ソースとってくれっかい?」

「余か? いいぞ。ありがたく受け取るがいい!」

「エミヤくんカレー小皿に分けてくれる?」

「オレは給仕ではないのだが……」

「あら、思ったより美味しいのだわ。生魚を捌いて直接食べるなんて素っ頓狂な料理だと思ったけど……」

「神様、ワサビ入りますかや?」

「わさ……何かしらないけれど、捧げられたのならしょうがないわね! もらってあげるわよ……ってカラい!!? 鼻がツーンとするなにこれえ! 毒!?」

「そっちのちっこいのは食べんとや?」

「いえ、お構いなく。気分じゃないので」

「食わにゃ大きくならんぞ?」

「余計なお世話ですー!! だいたい私はメルトリリスやヴァイオレットみたいに自分のプロポーションに拘りがあるわけではないですので!」

 

「…………そろそろ突っ込んでいいか?」

 

 声の主に、ほぼ全員が振り返る。

 エミヤ[オルタ]だった。

 彼は、テーブルにも座らず、飯の一切に手をつけず、腕を組んで立っていた。

 

「何をやっている?」

「なにって……メシ食っとっちゃんね。ほれ、兄さんも遠慮せんと、たんと食べぇな!」

「飯を食ってるのは見ればわかる。オレが聞きたいのは……オレたちはまさに、今、これから! あの女に戦争を仕掛けようと決めたのではなかったのか……?」

 

 なぜ、とエミヤ[オルタ]が問いたいことは、今、どうしてこのタイミングで食事会に洒落込んだのか、であった。

 そして、それに誰も──まともなはずの自分すら──ツッコミを入れず、どころか全員が全員着席し、素直に飯を食べまくっていることに、である。

 困惑するエミヤ[オルタ]に、ははぁん、と鼻を鳴らしたのはネロであった。

 

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