1.
「いやがらせ……だと?」
エミヤ[オルタ]は聞き返した。
戸惑いから問うている声では無かった。
ある種の確信が自分の中にありつつ、確認を促すように視線を飛ばす。
鋭く意図をはらんだそれを受け止めて、うん、とゴウは頷いた。
口元のソースを指で拭いながら、言う。
「どう足掻いても死ぬ、って結末が先にきまっとーなら、
「…………」
それはそうだ。
その意見には頷くしかない。
この世界においては、善行を成そうが悪虐に堕ちようが、詰まるところ殺生院キアラは獣に成り果て、カルデアか全能者に破れ、この世界から消滅する。
この大筋自体は何があろうと変えられない。
それは、【
運命論に従うなら、運命を遂げるために、そこに向かって伸びる道筋に散らばるものを細やかな運命──自由とするならば、自らを獣に貶めて、その結果として獣に果てる以外の未来を、殺生院キアラは切り捨てたことになる。
人智を超越せし力の代償は、その実、この世界で言うところの抑止の視点から言えば、詐欺極まりない
獣が自覚できぬ獣の大前提として、
仮にそこで人類に勝ち得たとしても、『人類愛』とは切っても切り離せない性質を併せ持つ『人類悪』である以上、人類を圧死させたその先は亡いのだ。
殺生院キアラは、前週において必然、その運命を知ってしまった。
必ず負けるという運命を。
全能者がいるからではない。
超越者がいるからではない。
ましてや──カルデアがいるからでさえない。
獣と成った自身には、どう足掻いても転んでも、未来はないのだ。
いかなる超常の力を得ても、そう成った時点で必滅の未来は変えようがない。
元々から並行世界において、全能神となった自分でさえ敗れ去ったのだ。そこを因果の始点とするならなおのこと。
そこを始点と定めたからこそ、獣と成りし殺生院キアラがこの世界で真性悪魔や魔人、神ではなく獣となった理由は、その世界における敗因の排除と『
すでに、原初の原初、最初のSE.RA.PHにおいて、殺生院キアラは万全を期そうとした。
しかして、その時は『
皮肉にも、人間への愛恋を自覚したメルトリリスによって、敗れている。
「キアラに限った話やなかばってん……人間ちゃあ、
英霊英傑たるこの場の面々には、身に染みる言葉であった。
追い詰められた人間の、理解不能な言動や暴走は、あまりにも身に覚えがありすぎた。
不可避の破滅を前に、そこに至るまで毅然と立ち振る舞える人間などほとんどいない。
「言っちまえば、おれたちはよ……みんな、そげなんやった」
ゴウは遠くを見る目で言った。
遠く──潤むその目が見ているものは、過去である。
すなわち、セラフィックスで過ごした日々であった。
心の中に、底の見えない洞穴があってよ。
絶望すっとね、ずっと、そこに、落ちていくとよ。
ずっとずーっとね。
いつまでたってん底につかん。
落ちる中でね、みんなが自分ば責める。
すっと、おいはみんなば憎む。
みんなちゃね、今までの人生で、自分が迷惑をかけたものや、自分ばこの洞穴に投げ込んだ世界や、社会ってえモンなんよ。
憎んで──
恨んで──
怒って──
もう、いっそ全てをめちゃくちゃにしてやろうかち思う。
おれたちばこげな苦しみに叩き落としたもんば、ぜんぶぜんぶ破壊しちゃろうかと思う。
おいも世界もどげんなってもよかち。
全てがどうでんよくなる。
セラフィックスに集まっとったバカは、みんなそげなヤツやったとよ。
世界や社会に居場所がない。歯車にもなれん不良品ばい。
それでん……それでんね、それでもなんとか社会の歯車であろうとしとったんよ。
せめて、自分の人生ばまっとうしちゃろうって、人生で
だから、おれたちは苦しくても支え合えたし、みんなでバカやって、笑い合えたんよ。
それを──あの女はめちゃくちゃにしやがった。
「罪はないと──そう言いたいのか? セラフィックスたちのスタッフに? ……セラフィックスが地獄になった後、地獄を導いたのはあの女だとしても……地獄を続けたのはベックマン筆頭に、セラフィックスのスタッフたちだぞ」
彼らは望んで地獄を汲み上げた。
いつだって、誰だって、危機的状況だからこそ、与え合い分け合い、気を奮い立たせて団結し、お互いを支え合う道もあった。
もちろん、エミヤ[オルタ]には──エミヤには、そんなものは綺麗事だと、理想論だと理解している。
だが、彼らは目の前の幸福に縋りつき、我のために彼を蹴落とした。
大局的な安寧よりも、刹那の幸せのために他者を排したのだ。
「わかっとーよ」
寂しげに、ゴウは言った。
「でもね」
そう続けた。
ちら、と視線が動く。
トラパインの前で、それは止まった。
「アルミロさんみたいに、トラパインさんみたいに……最後まで頑張った人だっておるんよ」
兄さんたちが、みんなば悪く言うても、それは仕方なかよ。
ばってん、一緒くたに、ここがただの地獄だったと──みんなが悪人だったと、ぶった斬るのはやめとくれんかね。
みんなは、おいが弁護しちゃる。
悪魔じゃなかったと、おいが思っちゃるけん。兄さんたちは、アルミロさんやトラパインさんのことぐらいは、多めに見てやってくれんね?
「…………甘っちょろいヤツだ」
ふ、とエミヤ[オルタ]は息を吐いた。
ふ、とエミヤも息を吐いたが、二人のそれは同じ音を奏でたものの、色が違った。
ぱんぱんと、手を叩く音がした。
みんな、そちらを向く。
『ゴロー』であった。
「お話は終わったかい?」
彼はニヒルな笑みを浮かべていた。
全てを納得して、目の前の光景を讃えるような、満足げな笑みである。
「待て……まだひとつある」
エミヤ[オルタ]が言った。
うん、と『ゴロー』も頷いた。
他の面々も、それが何を指すのかわかっている。
みんなの視線が、ひとりに集められた。
「おまえさんはどうすんだい……カズラドロップちゃん?」
事実を飲み込みきれていない彼女は、静かに目を伏せていた。
2.
カズラドロップにとっては、人類を愛することが目的であり、手段だった。
元が人類の健康管理AIであったBBから派生した自身は、BBがムーンセルで
人間を超越したAIとしての完全性を求め、それは潔癖症となって表面化し、それ故かなんだかんだと人間を信頼し中庸的な言動に陥りがちなBBその他アルターエゴと違って、極論的な言動をすることも自然であった。
そのカズラドロップにとって、目覚めて味わった此度のSE.RA.PHの異変は都合が良かった。
殺生院キアラによってムーンセルの記録からサルベージさせられた
おまけに煩わしいBBは殺生院キアラによって権能を制限され、その殺生院キアラもまた、天敵たる『
BBは当然殺生院キアラを排除するべくコソコソと動き回っており、自身にも当然その役目は回ってきた。
カズラドロップは率直に言って、チャンスだと思った。
BBの命に従い、カルデアなる組織に加担して殺生院キアラを倒し、そのドサクサに殺生院キアラの権能を奪って、表の時間における二〇一七年までSE.RA.PHを存続させれば人理は漂白され、人類は滅ぶ。
つまり、これはカズラドロップの本来の目的である『人類を愛すること』をまっとうするまたとないチャンスであった。
つまり、これはセカンド・チャンスである。
そのためにBBの命令に忠実に従い、カルデアに接触し、メルトリリスに悪態をつかれながらもカルデアに優位となるようにランサーのヴラド三世のバグを取り除いて理性を取り戻させたり、事あるごとに彼らを導くフリも、嬉々として行っていたのだ。
ところが──その実態が全て、今、茶番だと知らされた。
他ならぬ全能者によって。
世界を時間軸丸ごと俯瞰し処理しているという、目の前の肉肉しい神々は、この世界はそもそもが仮想現実として、
その殺生院キアラが、どう足掻いても負けると分かっていて、
この時点で、カズラドロップは存在意義を失っていたのである。
AIたる彼女にとって、目的意識とそれを達成するための手段の構築は、自身が世界にそう在るための意義である。
どんなに高度で優れた演算力を持とうと、自己学習能力があろうと、AIとは所詮プログラミングにすぎない。
ましてや完璧主義故に不合理を実行はできるが
要約すれば、行き着く果てが破滅であるならば、カズラドロップは自らの性質と機能によって、何もできない。
全てが、時間軸を見通すほどの神々の予見した【運命】によって、あらかじめ定められているのならば、【運命】を覆すための冒険はことごとく徒労──すなわち、不合理の究極なのだから。
BBに逆らっても従っても、
キアラが勝っても負けても、
神々が制しても、
カルデアが辿りついても、
仮に、自分が全てを平らげても──
行き着く果ては、変わらぬこの世の破滅である。
だから、強がりすら出なかった。
軽口も叩けない。
むしろ、理解ができない。
ひたすらにerrorであった。
なぜ、この男たちは、死ぬと分かっていて行動するのか?
行動しなくても結果は変わらないなら、楽に流されるのが人間ではないのか?
なぜ、誰も異論を挟まないのか──?
だから、カズラドロップの言葉はおずおずと、自信がなく吐き出された。
「ついていっても、いいでしょうか?」
消極的な言葉は、加担を迷う意思である。
純朴で、ある意味この場において最も純粋な心を持つ幼子の戸惑いを責めるものは、しかしこの場にいない。
「いいよ」
と、ゴウは言った。
口をにやりと横に広げて、口角をすこし持ち上げている。
「その眼で見たらよかよ。人間ち、結構複雑にできとるちうことをね」
3.
作戦は決まった。
腹は満たした。
心も身体も満タンである。
さあゆくぞ! とゴウは手を振り上げた。
「ううん? カルデアとは、マスターとは結局合流しないのか?」
ネロが言った。
手を上げたまま、ゴウがぐるりと身を回した。
「どっちでんよかよぅ。必要なんやったら、どうせ途中で合流するたい」
あっけらかんと言った。
それより、と続ける。
「おいは殺生院キアラの
「本当に、殺生院キアラが、おまえの言う『先生』を、体内に残していると思うか?」
「思うよ」
言い切った。
澱みない声で。
「おいがあん女やったら、おいば絶望に叩き込むんは、おいの目の前でセンセぇば嬲りモンにすっことたい」
「しかし……」
「逆に言うならよ、エミヤくん。こいつが殺生院キアラの前にたどり着いた時、すでにその『先生』とやらが死んでるなら、一切容赦なくこいつが殺生院キアラをぶち殺してオーケーってことになるだろう?」
「言い切るな。アンタならともかく……この男が、殺生院キアラに一〇〇パーセント勝てる保証があるのか?」
「楽勝じゃねえかな?
「……そんなにか?」
そんなにだよ、と『ゴロー』は言い切った。
「だからこそ、殺生院キアラも自身の内在世界に引き込んで決着をつけたいハズだ。物理パワーがいくらか緩和される『内在世界』の最奥となりゃあ、まともにやっても微かに勝てる可能性があるだろうし……うまくいきゃあ、こいつを丸ごと自分に溶かし込めるからねえ」
「恐ろしいフラグを建てるなよ……」
「全くですわ! 仮にそうなったら、同じ異界の出身として、責任持ってアナタが始末してくださるんでしょうね?」
「そりゃあもちろん……てか、そのために、俺もついてくんだぜ?」
「……おそらく殺生院キアラはSE.RA.PHの中心──子宮部位にあたる天体室にいるが、道はどうするんだ?」
「ああ、そんなのは俺が────!」
『ゴロー』が言葉を切って、顔を背けた。
エミヤ[オルタ]もまた、同じ方を見る。
エミヤや玉藻もまた、そこから生じる悍ましい気配に総毛立たせて視線を飛ばした。
先が、闇になっていた。
いや──闇ではない。
蠢いている。空間を形成する、闇そのものが。
立体感がある。
肉感がある。
息遣い──熱がある。
眼球があった。
真っ赤な、それでいてよく見ると、人の情念が折り重なったような血塊のような眼が、闇色の中で突起して、並んで、うねっている。
その闇に、エミヤたちは見覚えがあった。
魔神柱──
一体、何柱の魔神柱が折り重なってでできているのか、想像もできない分厚さである。
その中心を、切り分けるように白いものが歩いてくる。
コツコツとわざとらしく硬い足音を鳴らして、近づくのを知らせている。
美貌の女だった。
魔神柱を侍らせて、滴る闇色を艶やかに身に纏い、
「あらあら、殿方がひいふう……お集まりになって──こんなところにいらしたのですね」
身をくねるように、艶やかな口が動いた。
「
その歩みごとに世界を塗り替え、闇色の絶望と混沌の炎を広げながら、にっこりと、天使のように笑うのは──殺生院キアラであった。
第五章終わり 第六章 re.世界中に花束を へ続く