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第一話:狂恋歌
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異質な部屋であった。
空気が濃い。
『天体室』と呼ばれるそれは、セラフィックスの地下にあった。
正確には、海中と地上とをつなぐ点──即ち、セラフィックスの全高を考えるならば、ちょうど中央に位置する、空白地帯にである。
四方の壁面が、天井に向かって緩やかな曲線を描く。ドーム状の造りであった。
壁のひとつひとつに、長方形に縦長い、箱のようなものが嵌め込まれている。
『棺』である。
床から天井に至るまで、隙間なく壁を埋め尽くすのは、若い命を吸い尽くし、ただそこに在るだけの、大量の『棺』であった。
膨大な数がある。
ゆうに、三桁は超えるだろうか。
しかも恐ろしいことに、現状、『棺』は満席であった。
部屋のぴったり中央に、巨大な電算機があった。
マザーコンピュータである。
上部に、巨大なデジタルモニターが三枚。
円柱状に建つそれを囲んでいる。
全ての『棺』から伸びる、大小様々なコードが、その巨大な電算機に繋がっていた。
その電算機からは、別途に、地下に回路が伸びている。そこを通るものは、『棺』に収められ、吸い上げられた命であった。
『棺』に入れられた若い命が、概念的に言うならば、情報体──電子体として分解され、自我もあやふやな意識体を地球の深層次元に送り込んでいるのだ。
すなわち、『生贄』である。
セラフィックスが建設されて以降、その本来の目的である『地球との対話』を成すために、捧げられた命であった。
贄となる命は、特に、才気に溢れる者たちが多かった。
若く、荒削りで、未熟。
本来ならば、多彩多芸な未来を教授し、いくつもの輝かしい未来を迎えたであろう者たちである。
その才能、その情報。
未熟であるが故の、無知と純心。
大人としての狡智を得た人間では、語りかけに応じることさえない。
地球が選り好む人間は、総じて花開く前の──蕾の趣である。
地球のワガママを知った魔術学者たちは、軽口を叩き合った。
『
と。
あるいは、
『若い命の未来を
と、笑い飛ばした。
電子化された命は、
もとより、情報電子と化した命に自我などない。
自らを
人の世の倫理からかけ離れた行いであった。
多くの命を対価に行われる科学実験。
材料が命であるのだから、人体実験か。
この部屋で行われているそれは、セラフィックスの事実上の創始者。
時計塔の天文学科の『
マリスビリー・アニムスフィアの謳う目的のためである。
すなわち、人類の『より良き未来』のために、行使されていた。
なんと倒錯していることだろう。
目的のために、手段を選ばない。
しかし、それにしたって限度はある。
人の世の倫理を外れることも多い魔術世界に置いても、未知の未熟は未来であり、宝に他ならない。
家系に繋がれる『魔術刻印』などからもわかるように、魔術師たる彼らこそ、自らの子々孫々に願いを託す重大さを知っているのだ。
魔術師の視点から見ても、マリスビリーの
未来への投資のために、今も未来も使い潰す本末転倒。
しかし、救いがない事実として、マリスビリー自身がその非道の
石油採掘を要とする
魔術師探求を要とする
マリスビリーのセラフィックスに対する意図心情は明白であった。
マリスビリー・アニムスフィアは、たったひとつの馬鹿げた目的のために、多くの見知らぬ人権と尊厳を、それとわかって踏み躙っているのだ。
ましてや、彼の実験が被験者に、単なる死をもたらすなら、まだいくらか人道的でさえあっただろう。
だが、『棺』に入れられた者たちは、電算機に吸い上げられ、集合意識へと総和する都合で量子状態そのものとなるために、自分が死んでいることに──死にゆくことにすら、気づかないのである。
例え、自身の末路を予見し、抵抗したとしても、鎮静剤を打ち込まれて『棺』に納められ、その命は使われていく。
ここに運び込まれた時点で、若く無知無力な彼らには、選択権などないのである。
セラフィックスは、マリスビリー生え抜きの魔術学者たちは、マリスビリー没後も、神をも恐れぬ実験をし続けた。
しかして、魔術学者たちも、これを決して『善いこと』などとは思いもしないであろう。
倫理観に反することは承知である。
罪悪感がないわけではない。
だが、彼らの中では良心の呵責より常に、好奇の念が勝るのである。
魔術に対する渇望。
科学に対する信仰。
より良き未来に対する盲信。
その渦中に、『自分が携わる』という優越。
満たされていた。
狂気である。
それが、決して人の世に相慣れぬ狂気であろうことなど、とっくにわかっている。
しかし、と反論する。
自己肯定のために、過去を引き合いに出す。
その類の狂気がなければ、
人理に刻まれる文明開花の多くは、紙一重の狂気で築かれている。
多くの天才と、偉人と、奇人と、変態の起こす奇蹟の積み重ねが、良くも悪くも、『罪と罰』をも超克し、過去より未来へと積み上げてきたのが人類史である。
自らの行いのおぞましさを十全に理解しつつ、必要とあれば躊躇わない。
そういう異次元の『
とにかく、
熱力学の奇蹟に預かる文明人に、その自覚があるかどうかは別問題ではあるが……。
『天体室』の中に、三人の人影があった。
二人の老いた男女と、若い女。
年老いているふたりは異様に若々しく、覇気がある。
好々爺然とした老人は白髪をきちんと整えて、今風のサングラスをつけている。
老婆の方はツリ目で、おかっぱの形に髪を切り揃え、白髪が見あたらない。
ケバケバしくならない程度の化粧を顔に施し、反して濃い紅色の口紅を、きっちり塗りこなしていた。
逆に、若い、丸メガネの女は見るからに不健康な顔で、身体の肉肉しさに対して目の下の深い隈が目立つ。
電算機の前で、三人はそれをいじくり回し、経過を観察する。
彼らこそ、マリスビリーに選別された魔術学者であり、人類に更なる恩恵をもたらさんと、神に弓引く大馬鹿者たちであった。
今回はダメだった──
次の被検体が必要だ──
もっと頑丈なやつがいい──
いや、今のは惜しかった──
もう少し圧力をかけてみるか──?
何人か、同時にやるのはどうだろうか──?
失われる命を前に、しゃべるのはそんなことばかり。
その口が紡ぐ言葉に、贄とくべられる彼らへの謝辞はない。
しかし、不思議と愛はあった。
摩訶不思議に、彼らは費やされる命に対して、しっかりと愛情を抱いていた。
ひとりひとりを見送ることに、罪悪感はあったのだ。
名前を全て記録している。
破棄してもいい贄のプロフィールを、全て抜かりなく保存していた。
彼らは、自らの行いを外道のそれと知りながらも、それは愛ゆえの行いだと本気で思ってもいた。
しかし、その口から紡がれる言葉は軽やかである。
それはやはり、
矛盾する感情と言動。
ある意味では、最も人間らしいと言える生態であった。
「──!」
その中の、ひとり。
サングラスの老人が、最初にそれに気づいた。おい、と声をかけるより先に、残る二人も『それ』に気づく。
そして、老人は二人の機先を制すように、『それ』に声を投げた。
「おおお、おおおお! やっと、ここを見つけなさったか!」
ヒッヒッヒッと笑った。
『それ』に対する敬意と、嘲笑の響きがあった。
言葉を受け取った『それ』は、
この部屋──セラフィックスの最高機密。
『天体室』のひと角に突然現れたものは、大きな闇のうねりであった。
それが、蠢いている。
心臓が脈動するように、一定のリズムで。
生きているのか──?
老人は凝視する。
闇は、こちらを見ている。
どういう表情かは当然窺えないが、敵意は感じない。
殺意もない。
闇が、みるみる人の形へと収束していく。
それは、黒いモヤを纏った、ヒトガタとなった。
上背が大きい。
身体が大きい。
シルエットの鋭角さからして、男であろうか?
闇は、言った。
「私の存在に、気づいていたか」
少しは驚くものかと思っていたが……と、闇は言った。
人の声のようである。
抑揚がある。つまり、
つまり、思慮がある。
つまり、脳がある。
つまり、知性がある。
だから、会話が通じる。
老人は、ひと言のやり取りで、そこまでを察した。
しみじみと語る闇に対し、老人は変わらず口角を広げて口を開き、歯を見せて、ヒッヒッと笑っていた。
恐れのない声と態度であった。
闇に知性があるのはわかった。
だが、ヒトではないことは明白である。
闇の存在は、カタチに収まり切らずに、部屋の内部に折り重なるように広がっていたのである。
その存在は、神々しさを秘めていた。
その声が綴る言葉は、耳から脳へと通るのではなく、対峙する者の魂を締め上げる圧力がある。
簡潔に言うと、重いのだ。
大気を震わせるものが、音波とそれに含まれる情報ではなく、物理的な質量のようだ。
しかし、この三人は微塵も動じない。
少なくとも、表向きは。
目の前の闇を推しはかる。
そして、到底
それが、そういう声を発する存在であることを、なんとなく理解していたのだった。
いち足すいちが、物理法則の麾下においては宇宙の果てでも二になるように。
証明が、すでに既知である問題に、なぜ学者たるものが心を震わせようか。
だからか、老人はもちろん! と言い張った。
「もちろんもちろん、存じていたとも。その存在はのう。……と、いうより。常日頃からここの計器類と睨めっこしてるワシらには、お主ほどの『異物』に気づくな、という方が無理があるわい」
セラフィックスの下層──あるいは、上層。
ふらふらと、
それを計測する瞬間、あらゆる計器の針が一瞬で振り切れて、そして、何事もなかったかのように、デフォルトに戻る。
測りきれないほどの力の塊なのであった。
その性質は不明。
その特性は不明。
その分類も不明。
五大元素にも、残る二つにも属さない力。
三人の魔術学者は仮定として、それは純然たる『
だが、実物を目の前にして、それも違うのだと理解する。
なぜなら、今この場において、闇に向かって何を打ち出しても、なんの反応も帰ってこないからだ。
全ての反応が吸い込まれている。
力が測れない。
測れないのなら、分類の仕様がない。
それは、例えるならば暗黒の深淵であった。
いや、もっとふさわしいものは、
人は、海や宇宙を見て、それが大きいとはわかる。
それが、海や宇宙であることはわかる。
しかし、それを一望しただけでは、その大きさの詳細を、その深さの果てを知ることはできない。
海が果たしてどんな成分から成り立っているのか。
宇宙が一体どんな物質で構成されているのか。
それがどこまで続いて、どこまで広がっているのか、なんの機械もコンピュータもない状態では、具体的なことは何ひとつわからないだろう。
事実、宇宙空間を形成する『光子を反射しない重力場』のことを、未だ人類は計測できず、宇宙の九十六パーセントを占めるこの不可解な領域を『
目の前の存在は、そういうものだ。
ヒトには推し量れぬもの。
この
ヒトのカタチに圧縮された、力の塊だ。
老人は、これを『ブラックホールの擬人化』と再定義しようか、などと考えている。
しかし、だからか。
セラフィックスを、コンピュータ上で三次元的に探査したならば、そこにぽっかりと『深淵』が存在していることは否応なく
それが何かはわからないが、そこに何かがあるのが、却ってわかってしまうのだ。
三人の天才は、天才故に気づき、そして──黙っていた。
これは、セラフィックスの所長であるヒデヤス・アジマにすら伝えていないことであった。
伝えるべきではないと判断した。
この奇跡を伝えることは、きっと、面白くない。
この三人の科学者たちは、やはり、魔術師の観点からしても、ただものではなかった。
「それで……なんの御用でしょうか?」
丸メガネの女性が尋ねた。
死んだような声であった。
目の下に大きな隈がある。
身体はグラマラスで見るからに健康そうだが、その顔は、不安と不義と不眠と疲労と、人の身に起こりうる不健康さをまとめて塗り固めたようである。
「ほう……私が『
闇は、少なくとも人間的で常識の範疇の質問を返した。
その声には、やはり敵意はない。
その声には、やはり知性がある。
闇は、三人の魔術学者たちの思惑を知りたがっている口ぶりである。
好奇心や探究心。
極めて人間的な情動を秘めていることがわかる。
三人に向けられる、そういった類の心象が隠しきれていない。
つり目の老女がほっほっと笑った。
「あら、いやだこと。あたしたち、舐められてる?」
一見して、やりとりがつながっていない言葉であった。
だが、闇には行間が読めている。
笑っているのか、闇の揺らぐ感覚が短い。
「いや、流石だと、感心しているところだよ」
むしろ、と闇は続ける。
「そのレベルの知性を期待していた。この施設に集められた頭脳者の中でも、諸君らこそ抜きん出た非凡を誇るであろう? この私が期待をかけたのだから、その程度は推し測ってもらわねば、こちらから接触を図った意図が、無為になると言うもの……」
ひっひっ、とサングラスの老人が手を叩いて笑った。
「おぬし、根源接続者だろう?」
「最も違う位置に在る──が、限りなく近いとも言える」
と闇は言った。
惜しい、とも続けた。
「この世界では、普遍的全能に至る道が、円環構造にありてその外部に
闇は、はっきりと言った。
自身が『全能』であることは、否定しなかった。
そうかそうか、とサングラスの老人は言った。
悔しさのない口調である。
ただ、事実を事実として受け止めていた。
じゃあね、と。
その背後の、つり目の老婆が聞く。
恐れのない声である。
「じゃあ、抑止の守護者……というより、
闇は、かぶりを振った。
「私は、この世界の領分においては、
静かな闇の声に、あらやだ、とつり目の老婆が口を尖らせた。
当てが外れた。
老婆のミスを目にして、ひっひっと、サングラスの老人が笑う。
「どうやら、ここにいる全員。アテが外れておったらしい」
「……私の正体を肴にしたか?」
「その通りよ」
老人は自身の太ももをバシバシと叩く。
肯定の動きであった。
恐れ知らずであった。
「ワシは、おまえさんを『
いずれもこの世界──地球の超常存在のことである。
「おまえさんの正体を予想して賭けとったが……まさかまさかで全員不正解。いやはや恐れ入ったわ。なんと呼べばよいかの?」
「
闇の形がぐらぐらと揺らいでいる。
淡々とした声に反して、喜楽の揺らぎに見える。
面白がっていた。
「大した胆力だ」
闇の声は、惜しみない賞賛をこぼした。
「豪胆無比も、ここまで来れば賛美の対象か。マリスビリーなるものが、わざわざ指名するだけはある、か」
讃歎と唖然の狭間の音質。
闇の情感は、やはりヒトのそれに近い。
三人はほほ、ふふ、と笑った。
闇の感情がここまでヒトに近いのは想定外であったが、これはこれで、面白い。
それで──と闇が言う。
「ここにずらりと並べられた『棺』について問いたい」
「語るに及ぶのかね? それは。お主は根源に在らずとも全能者なのだろう? お主……お望みの通り『
そうでもない、と闇は言った。
老人は、しばし黙り込んだ。
意味を咀嚼しているのであった。
「個人の感想で言うならば、これは悪趣味ではあろう……が、人類の発展と幸福の未来に犠牲はつきもの。神の視座にありても、是非を問うほど傲慢にはなれぬ」
「ほうほう。全知全能の神は、えてして『善ありし神』と多くの書物にはあるが……」
「『善の神』の齎すヒトの世への破綻は、旧約聖書のヨブ記で既に指摘されている。神にとっての善が、必ずしも人にとっての善ではあるまい」
その逆も然り。
漫然と、
『神を疑うことなかれ』。
そうも続けた。
神を疑うことなかれ。
神を試すことなかれ。
神の聳やかす試練は、ことごとくがおまえたちの愛と信仰をお試しになられているのだ。
実に、都合のいい言葉である。
神にとって。
神の名を借りるものにとって。
神のなすことは、例え悪でも善になりうるのだ。
なぜなら、全能の神はもとより極限の善性そのものである。
思考停止した言葉だが、しかし、この意図が罷り通った時代があるのだ。
神の絶対性が結論として先にあり、理論はそれに、都合よく付随する。
実に馬鹿げているが、神の本質を良く現している。
なるほど、と老人は手を叩く。
言われてみれば、と頷いた。
しかしながら、と。
「我が意味の在りし言葉を綴ろう」
と、闇の姿をした神は言った。
「求められたからであろう?」
しかし、神の言葉に、恐れ多くも老人が口を挟んだ。
ぴたりと、天体室内の空気が静止する。
老婆と、若い女の顔が、さすがに青ざめている。
場を満たす沈黙──しかし、老人の作る笑みだけが動いている。
「神が、常世に君臨する理由など、奇蹟を望まれたから以外にあるまい」
「……その通りだ」
神は、意外にも素直であった。
求められたからだ。
願われたためだ、と続けた。
純粋な願いを受けて、神は君臨した。
「残念ながら、それは『棺』に沈む彼らの声ではないがね」
彼らの求めに応じるのは、また、別の連中だ。
私ではない。
彼らでは、私の存在に声を届ける『力』がない。
心の底からの、最期の言葉とあっても。
彼らの未熟は、神の心を射抜く力を持ちはせぬ。
セラフィックスの建造目的。
マリスビリー・アニムスフィアの目的も手段も、私には興味がない。
如何なる善も、究極の悪も。
私の視座から言えば、みな、星の天幕に身をやつす、命の瞬きに違いはない。
仮に、神への到達手段が外道のそれであろうとも、私の道を遮るには至らないのだ。
人類が、自らの発明で自らを滅ぼすことなど、どこの世界でもありふれている。
自らの過ちの果てに絶滅が待てど、
自らの故意の果てに繁栄があれど、
人種自己保存の法則を破り進化を望むのならば、命の責任は自らが持つのが自然世界の道理であろうて。
「……あら、いやだわ。なんて人間に理解のある神さまなんでしょう。神さまってもっと、なんだかんだで人間には優しいものだと思ってたのに……イメージ崩れるわねぇ」
「世界の有様を強い『人間原理』に偏らせるのは、御用学者の自惚れ以外の何者でもなかろう。今の流行り、神の世界も多様性に傾倒しておるのよ。いまどき、画一的な道徳と正義第一主義の、一神教など廃れ果てるは自然の成り行きに他ならぬ」
「……世知辛いですね、なんか……」
「まぁ、多面的な宗教と科学は、どこを向いても流した血と積んだ
ふ、と神は言った。微笑むような音である。
「諸君らに接触したのは、第一に私の好奇からよ。セラフィックスの
どうにも含みのある言葉であった。
老人が、それを解する中で、たまらず、笑い出した。
手を叩いて、楽しくて楽しくて仕方がないといったふうに笑った。
楽しそうだ、と神は言った。
そりゃそうだ、と老人は言った。
「いやいやいやいや! 缶詰作業が楽しくも飽きていたところで、宇宙のどこか、どこでもいいが──から、極上のお客様がやってくるとは! なんという僥倖よ! 現代社会のつまらなさときたら、宇宙や深海を探れてせいぜい。『事象の地平線』の向こうに至る、『
老いた心身が、まさに若返るようじゃ!
好奇心がむりむりと沸いてでるわい!
大興奮の老人を見て、闇は、
「情熱に身を焼くのは結構なことだが──」
と、
「あんまり期待をされても困る。私の目的は望んだものの願いを叶えること。諸君らの命は
そこだけは、留意してもらいたい。
神は優しく、諭すように、言った。
1.
「私って、魅力ないんでしょうか?」
「なんですって?」
カウンセリングを受けにきたはずの、マーブル・マッキントッシュは困惑した。
診察を受けてすぐに、セラピスト──殺生院キアラの様子が、明らかにおかしかったことに気づいた。
ため息が多い。
どことなく雰囲気が落ち込んでいる。
眉が八の字に垂れ下がって、瞼も伏し目がちであった。
つまるところ、元気がなかった。
しかし、なんていうか、エロかった。
傍目から、キアラの身体が
エロチズム全開である。
頬が紅潮しているが、熱持つ肌はツルツルぴかぴか玉の肌。
赤子の柔らかさと少女の瑞々しさのハイブリッドですかこのヤロー?
毛先の揺らぎひとつとっても、扇情的でエロすぎるぞばかやろー?
呼気の仕草がもう、目に見えて
こんなんたまらん。襲ってくれとでも言ってんのかい!?
どっちなんだァい!?
と、心の中の野獣の咆哮を諌めつつ、冷静に、さりげなく、聞いてみたのだ。
なにかあったんですか? と。
そして、返ってきたのが冒頭のセリフである。
何を言ってんだこの人?
──と、マーブルはまず思った。
まじまじと、改めて、キアラをその上から下まで眺める。
殺生院キアラを、エロさ以外で評価しよう!
まあ、無理ゲーに近い。わかってる……そんなことッ!!
外見──大人びた、落ち着きのある空気の、美人である。
目鼻立ちは均整のとれたすっと高く、しなやかなカタチをしている、美人である。
大きな瞳はキラキラと、宝石を散りばめたように瞬いて、人の目を惹きつける、美人である。
憂いを帯びた表情すら、美しいと目が惹かれる、美人である。
今日に限らず、いつもいつもフェロモンでも出ているのか鼻がむずむずする、美人である。
首から下へ視線を落とす。
実にグラマラスな身体である、えっちだ。
出るところがしっかり出ている、えっちだ。
締まるところがしっかりと締まっている、えっちだ。
それでいて、身長が高いためにデッサンが崩れていると言うことはなく、バランスが良い、えっちだ。
程よく肉のついた足が長い、えっちだ。
東洋人にありがちな胴長短足とは無縁のモデル体型だ、えっちだ。
控えめに言って、シルエットが美しい。
やっぱりエロじゃねーか!!
おいどういうことだ?
魅力しかないぞこの人!?
女としての頂点捕食者がなんかですか!?
と心の中で二度三度と怒鳴り上げつつ、それを表に出さず、眉を顰めて深呼吸をひとつ。
「とりあえず、どういうことなのか、説明していただけませんか?」
「……じ、実はですね」
そうして、先日あったことを、ついつい話してしまっていた。
話を聴きながら、やれやれ、これじゃあどっちがカウンセリングしてんだか……とマーブル女史は思った。
2.
「……と言うことなんです」
なるほど! 惚気か!!
イヤミか貴様ッッ!!
とマーブル女史は怒鳴った。
というか突っ込んだ。
心の中で。
キアラは(また)頬をほんのりと赤めて、頷くように顔を俯かせて、頬に両手指を添えて、視線を泳がせていた。
乙女か!!
と再び突っ込んだ。
いや、まあ、わかりますけどね。
そういうの、嬉しくてしょうがないの、わかりますけどね!?
だって、ゴウさん、私もそこそこ見かけますけど、男らしいですしね。
結構、可愛い顔してますしね!?
「で……で、先生は、何が不満なんですか?」
ヒクヒクと頬が攣った。
思わず、呼気が強くなった。
「わ、私はどうやら、彼に女性として見られていないようでして……」
たどたどしく言葉を紡ぐ。
恋に恋する少女そのものである。
その仕草が妙に愛らしい。
やっぱりえっちじゃん。
ギャップ萌えってやつだろうか。
ふーん、めっちゃえっちじゃん。
なんだかちょっと、いじめたくなるぐらい可愛らしい。
えっちマン・ブラザーズバンドじゃん。
……いやいや、私にそんな趣味はないですよと、マーブルは自身に相槌を打つ。
ほんとでござるかぁ〜と囁く自分を心中で蹴り飛ばす。
「その、あの。性的不能とか、そーいうアレでは?」
「そういうのとは、違う気がするんです」
「それは、先生のセラピストとしての勘ですか?」
「……はい。恥ずかしながら……」
うん、難題だ。
正直女性の自分ですら、ちょっとクラッとくるキアラの色気を全く意に解さないのは、もう枯れ果てているかそもそも欲求がないとしか思えないのだが。
自分よりゴウと近くにいる、キアラ自身の勘が、それは違うと言うなら仕方ない本当に仕方がない。
殺生院キアラはセラフィックスに勤めるほどのセラピストなのだから、その手の心理的閉塞による性障害など、たらふく扱った事はあるだろうし。
「あの人の好みとか、聞いたことないんですか?」
「ええ……実は、その……」
キアラはしゅん、としょげた。
彼は、思ったよりも多くを語らない。
特に、自分のことを。
彼の口からキアラへと紡がれるのは、セラフィックスのスタッフが上から下までが、いかにキアラを愛しているのか。
キアラの存在がどれほどの人を助けているのか。
そればかりである。
キアラが好きなものを聞いても『全部』と答える。
趣味を聞いても、『全部』と答える。
笑顔で、子供のように。
より深く問い詰めてみようとしても、全部は全部ばい。
と軽く躱されてしまう。
「ん〜! 怪しいですねぇ。見るからに男性ホルモンの塊みたいなのに、そういうのに興味ないとかナイナイですよ!」
「そう……ですよね。やっぱりそうですよね! 私もそう思います!!」
だが、心のどこかでは、それは仕方ないとも思っていた。
セラフィックスの下層階級、労働階級。
セラフィックスのピラミッドの中でも、最下層に位置する彼らは、スネに傷持ちも珍しくない。
キアラのカウンセリングにかかるスタッフの中にも、かつてやましいことをしていたものは意外と多かったりするし、いわゆる荒くれの中には、人の道に反する行いで生計を立てていたものも多かった。
彼も、あるいはそういう類なのだろう。
左目を縦に横断する、痛々しい三本の爪傷などは、彼のここまでの人生の壮絶さを象徴しているようだった。
「つまり、要するに!」
マーブル女史は、肩をいからせて両拳を握り、自身の胸の前で震わせた。
「先生が、とにかく思い切りアタックしてみればいいんですよ!! たぶん!!」
ふんすふんすと鼻息は荒く。
キアラの顔の正面にその顔を突き出して、言った。
目が輝いていた。無駄にキラキラしている。
他人の恋は蜜の味。
好奇心と、少しばかりの加虐心が浮かんでいる。
「いや、私は、その……は……」
は?
「そういうのは、恥ずかしい……です」
彼を、困らせてしまうかもしれませんし……
かぁーっ!
なんねこのいやしかヒトは!!?
普段はあんなに大人びているのに、愛恋にはヘロヘロですかこんにゃろー!
恋に恋する乙女モード実装済みとかアリですかこのやろー!
可愛いからアリです本当にありがとうございます!! えっちだし。
大事なことなので恋に〜のくだりは二回言いましたよ、ええ!
と、胸中でゴウの方言に染まりつつ、マーブル女史は本日何度目かのツッコミをぶちかました。
「とにかく! 恥ずかしくても聞くんです!! ぶっちゃけ私のこと好き? って!!」
「お、落ち着いてください、マーブルさん!」
女子たちはかしましく。
そして、たくましかった。
3.
心が削られていくようだった。
晴れぬ気持ちが積もり行き、拭いきれぬ不信感だけが日々かさを増すのは、日差しの届かぬ部屋に、ずっとこもっているからだろうか?
人も、陽の光なしでは生きていけないと言うが、彼はそれを、改めて実感していた。
セラフィックスの副所長。
アルミロの顔色は今日も優れない。
最近は肌の艶がすっかりこけ落ちて、髪先がガサついてきている。
原因は、不眠と疲労だけではない。
肉体的な不摂生が理由ではない。
アルミロは、一般公募からその事務能力と人事能力を買われた男だった。
彼は魔術師ではない。
だが、秘匿を良しとする口の堅い性格を買われて副所長にまで任命された彼は、その実、セラフィックスで行われている実験に対して強い嫌悪感を抱いていた。
しかし、それを、その感情を、所長でもあるヒデヤスやマリスビリーたちに吐き出せなかった。
吐き出すことは許されなかった。
命を取られることになるからだ。
あの、掃除屋に。
我々を常に監視する、あの殺し屋に。
だから、みて見ぬふりをしていた。
日々使い潰されては、補填として派遣される実験体を。
みな、子供であった。
前途有望な青少年、少女たち。
それを、使い捨てにする。
セラフィックスの業務は、どこを向いても重労働であった。
事務員から労働員まで、誰ひとりとして楽な思いはしていないだろう。
キツい仕事に反して、給料は安い。
国連の目の届かない海の上。
孤立した世界だからこそ行える法外な措置。
だが、このセラフィックスにおいて、真に過酷な運命を──そうと知らずに──背負っているのは、訳もわからず使い潰される彼らであることは間違いなかった。
死体が増えていく。
それを、始末するための予算がかさんだ。
海の孤島とはいえ人の生活帯である。
誰も知らぬ真空の実験室とはいえ、その秘匿性はセラフィックスの地図を分解して組み立てれば、賢いものならすぐに気づきうるほど脆弱だ。
犠牲になる彼らも、多くはワケ有りの履歴書を持っているが、そうでないものも当然いる。
遺族への言い訳を考えるのがまた、苦しかった。
あげく、あの狂った三人は、死体をそのままコフィンに入れっぱなしにして、すり潰すまで使おうと言い出している。
処理に困らぬよう、一石二鳥だからと、笑っていた。
精神は生きているから、
肉体は死んでいてもまだ使えるから、
ここでただ死なせれば犠牲が無駄になるから……
さまざまな理由をつらつらと語る、その口が愉悦に歪んでいたことは忘れられない。
また、それを。
二つ返事で了承した、ヒデヤスの冷淡さが忘れられなかった。
ひとつ、心安らぐ事情があるとすれば、それはつい先日赴任してきたセラピストの存在であった。
セラフィックスのスタッフのメンタルケアを行う彼女は、美しい心とそれに見合う美貌を持っていた。
柔和で、大人びていて、寛容で。
その声が、その仕草が、スタッフたちの乾き切った心に水を注ぐのだ。
懸命に働き、人当たりがいい。
殺生院キアラ──彼女を嫌うものなど、いようハズもない。
その彼女が、最近ある男に熱を上げていると、噂があった。
アルミロは何をバカなと切って捨てた。
彼女は慈母のごとき優しさと温もりを持っている。
それを、人に分け与える能力がある。
だから、たまたまその現場を見た誰かが、勘違いをしただけだろう。
そう思っていた。
しかし、セラピストの様子見にとキアラに会いに行った彼は、自分の考えが間違っていることに、すぐに気づくのだった。
ちゃんとノックをして訪ねると、部屋の中からドタバタと慌ただしい音がした。
それからひと間、ふた間をあけて、キアラは自室からでて礼拝堂でアルミロと話をする。
キアラの傍から見える部屋。
机の上に、いくつかの雑誌が見えた。
キアラが、その顔に、ほんのうっすらと化粧をしているのがわかった。
それは二〇一五年。
季節感のないセラフィックスでは分からないことであるが。
日本で言う、季節は春の出来事であった。