「忘れてもいい、生きていてくれただけで」(ケンシロウ)
「誰を愛そうが、どんなに汚れようがかまわぬ!最後にこのラオウの横におればよい!」(ラオウ)
この二つのセリフの基(もとい)には、同じ考え方があるように思われます。
私に恋愛経験はありませんが、誰かを好きになるというのは、本質的にこういうことなのではないでしょうか。
僕…沢良木一郎には、内海美姫という恋人が居る。
彼女とは大学時代からの付き合いだ。
ゼミが同じで、サークルも同じで、よく話すようになって…そのまま僕たちは結ばれた。
就職先は別々だったけれど、僕たちの交際は続いた。
大学を出て、就職してから一年も経たないうちに、僕たちは一緒に暮らすようになった。
そしてそれから、さらに二年が経った。
二年も経っていた。
僕は美姫と一緒に暮らすようになって二年も経ってから、やっと「次の段階」について考え始めた。
二年間も何をしていたんだと思いながら、僕は美姫に「次の段階」についての話を切り出す機会を伺っていた。
そうして、そのために美姫を見ていると…美姫は思ったよりスマホをよく弄っていたし、結構頻繁に上の空になっていることも多かった。
それは、今まで気が付かなかった美姫の一面だった。
本当に二年間、僕は何をしていたんだろう?
その日、美姫は休みだったけど、僕は仕事だった。
美姫は友達と約束があって、この日は帰りが遅くなると言っていた。
僕が仕事から帰っても、家には戻っていないかもしれないとも言っていた。
家に帰っても、美姫はいないかもしれない。
僕は軽い憂鬱を抱えたまま、その日の仕事に臨んだ。
そしてその日の夕方、終業後…。
僕の頭は、美姫にどうやって「次の段階」の話をしようかということでいっぱいだった。
その所為なのか、僕はいつもと違う道を通って家に向かっていた。
そこはラブホテルが立ち並ぶ通りだった。
考え事をしながら、こんな所を通ってしまうなんて…。
僕の頭は、美姫の肉体のことを思い起こし始めていた。
僕が、つい美姫の肉体のことを想っていると……美姫の姿が、間違えようもない美姫の姿が、僕の視界に入ってきた。
どうして美姫がこんな所に?
美姫は僕に気づいていなかった、そして美姫の隣には……知らない、男が…。
美姫…その男は…一体…。
僕がその場に立ち竦んでいると…美姫は、その男と、ホテルに、入っていった…。
………。
僕は、帰り道にある、それまで一度も入ったことのないバーに入った。
店の人に何を言ったのかは覚えていないけど、僕は強い酒をあおっていた。
お店の人が何か言っていたけど、僕の頭は理解を拒んでいた。
僕の頭は美姫と、美姫と一緒にホテルに入っていったあの男のことでいっぱいだった。
美姫…美姫…美姫…。
何が、何がいけなかったんだろう?
僕に何の罪があったのだろう?
わからない。
この、わからないと言うことが、既に罪だというのだろうか?
でもそれならどうすれば、どうしていれば…。
…答えの出ない問い、答を出しても意味の無い問いが、僕の心に渦を巻いていた…。
僕は強かに酔っていたはずだけど、ふと、意味のわかる言葉が耳に入ってきた。
「マスター、この方のことは私に任せてくれませんか?」
「でも、大和さん…こんなこと、お客様に押しつけるわけには…。」
「お気遣いは無用です。この方の…愚痴?つい聞いてしまいましたが…興味が出てきました。私はあくまでも同席した客として、お酒を楽しみながらお話も楽しむ…それだけのことですよ。」
誰か女の人が、お店の人と話をしていた。
そしてその女の人は、僕に声をかけてきた。
「ずいぶん荒れていますね、何があったんですか?」
声のした方を向くと、そこには大きな女の人が座っていた。
2メートルはあるであろう長身、ポニーテールに纏めた、長い、焦茶色の髪、温かみを帯びた白い肌。
そこに居たのは、艦娘・戦艦大和だった。
「あまり驚いてくれませんね?もう艦娘の大和なんて、珍しくもなんともありませんか?」
「……いえ、僕の知り合いにも、大和が二人居るんです…仕事上の知り合いですけれど。」
「そうだったのですか…それでは、たぶん、ではなく、確実に私は、三人目だから…というわけですね?」
僕には知り合いに、大和が確かに二人居る。
でもこの時僕の隣に居た大和は…大和さんは、その二人の大和とは何か様子が違っていた。
バーに居てお酒も飲んでいたようだったし、酔っていたのだろうか。
「どなたか女の人のお名前を呟かれていたようですが。」
僕は大和さんに強い視線を向けた。
「ああ!失礼しました!ですが、私にも色々事情というものがありましてね?…そういうお話、こういうお話は、どうにも見過ごせないんですよ…。」
大和さんは、そう言いながら僕を見つめた。
僕は…大和さんの瞳に引き込まれた。
一体どうしたんだろう?大和さんの目から視線を外せなかった。
「ずいぶん…強い…お酒を…お召し…なんですね…そういう…ご気分…なんですね………せっかくですから…せっかくですから…そのお気持ちも…ご一緒…しましょう…。」
大和さんの話し方、ゆったりとした話し方、最後まで聞かなければならない話し方。
大和さんの声、静かな、穏やかな、心が安らぐような、声。
「話しましょう…何が……あったのか…。」
…大和さんが…話を…促してきた…。
ああ、話さなくては…この大和さんに…話さなくては…。
「そうですか、二年間一緒に暮らしてきた恋人の…美姫さん、が…他の男の人と、ホテルに…ね。」
「それは確かに、不愉快な…面白くない話ですね。」
!?
…いつの間にか、僕は大和さんに、ホテルの前でのことをすっかり話してしまっていた…ようだ。
なんで僕は、初対面の大和さんにこんな話を…!?
そういえば、僕はこの店で強い酒をあおっていたはずなのだけど…酔いは醒めてしまっていた。
ところで、大和さんはこの時「不愉快で、面白くない話ですね」という言い方をした。
僕は大和さんの、この言い方に違和感を覚えた。
もちろん、僕にとって不愉快で面白くない話、という意味で言ったのだろうけど…。
…同時に何だか、僕の見たことは些細で些末なことだと言われている、ような…。
僕は、大和さんの言い方に戸惑った。
僕が戸惑っていると、大和さんは僕の戸惑いを気にも留めず、僕に問うた。
「それで、一郎さんはどうされるおつもりなんですか?」
「美姫は…僕じゃない男と…。」
「美姫は…もう、僕とは…僕なんかとは…。」
「一郎さんと美姫さんの絆は、もうお終いだ、と?」
…僕は…頷いた。
「そうですか…でも…」
「一郎さん、あなたは美姫さんが他の方とセックスをしたから、美姫さんの愛情があなたからその方に移ったと思っているのですか?」
「そうとしか思えないじゃないですか!」
「…でもお金次第で、恋愛感情とかは抜きでセックスを楽しませてくれる女性は居ますよ。」
「お金次第で、やはり恋愛感情とかは抜きで性的な満足感を提供してくれる男性もいます。」
「彼女らに、彼らに恋愛感情なんて持ったら、却って迷惑ですらあるでしょう。」
「愛はなくても、愛と言うほどの情はなくてもセックスはできますし、楽しめるんです。」
「絆や愛とセックスは、関係はあっても別物なのではないでしょうか?」
大和と言うと、古風な大和撫子であるという印象がある。
僕には知り合いに大和が二人居るけれど、二人ともこんな…性的な話をするような印象はない。
でも、この大和さんは平然と「愛と言うほどの情はなくてもセックスは楽しめる」と言い放った。
この大和さんは…普通の大和ではないようだった。
戸惑う僕を置いて、大和さんは話を続けた。
「だいたい…」
「セックス一つで途切れてしまう絆って、脆すぎはしませんか?」
「セックス一つで消えてしまう愛って、儚すぎはしませんか?」
「絆や愛が、人間にとって大切なものであるなら、絆も愛も、もっと堅くて確かなものであっても良いんじゃありませんか?」
「男の人っていくつも愛を持っているのね、なんて歌の歌詞もあるそうですが。」
「男性であると女性であるとを問わず、愛や好意なんていくつ持っていても良いんじゃありませんか?」
「仮に美姫さんが、その方のことを好きになったとしても。」
「美姫さんが、その方のこと
「一郎さんのことを忘れずに想い続けてくれるなら、それで良いんじゃありませんか?」
明らかに、二股を掛けることを肯定する考え方だった。
…やはり僕には、この大和は普通じゃないように思えた。
僕は「大和さんは間違っている」と言おうとしたが、大和さんは僕の機先を制するように話を続けた。
「そもそも一郎さんは、どうして美姫さんを切り離そうとするんですか。」
「…ひょっとして一郎さんは、他の男に抱かれた女なんて汚らわしい、と思ってるんですか。」
大和さんの言葉を聞いて、僕の頭に血が上った。
「美姫は汚らわしくなんかありませんっ!美姫は、僕の…僕の…!」
…後が続かない。
でも、美姫が汚らわしいという言葉は、たとえ字面だけであっても僕を激昂させた。
(敵わなくてもいい!)僕は立ち上がり、大和さんに殴りかかろうとした。
大和さんは激昂する僕に…薄らとした微笑みを向けた。
「…それが、一郎さんの本当の気持ち、というわけですね。」
「……あ…。」
僕は一度上げた腰を、また下ろした。
…そうだ…僕はそれでも…。
……でも…。
「…そう、です…それでもやっぱり僕は、美姫のことを…。」
「でも美姫は、今まさに、ホテルであの男と…。」
「僕は…一体どうしたら…。」
「どうしたら、と仰いましたが…一郎さんのお気持ちが定まっているなら、することも定まっているのではありませんか?」
「先ずは美姫さんに、自分が一体誰の恋人であるのか、わからせては如何でしょうか?」
「わからせては…って…。」
大和さんは、こういう時に「わからせ」という言葉を使う意味を、わかっているのだろうか?
「…ああ、あまり品の良い言い方ではありませんでしたね。」
…わかっていたようだ。
「とりあえず…今日のところは、家に帰りましょう。」
「家に帰ったら…難しいかもしれませんが、まず平静を取り戻してください。取り戻せなくても、美姫さんに対しては無理にでも平静を装ってください。」
「そして、お二人のお休みが重なる日を確認してください。」
「次に、美姫さんには、その日は予定を入れないように頼むのです。」
「理由は何でも構いません。何でしたら、嘘でも構いません。」
「それから、その日を待つのです。」
「その日が来たら…朝から始めてください。」
「…始めるって…何を、ですか。」
「もちろん性行為を、です。」
「ですが、挿入と射精は控えてください。」
大和さんが、大和という艦娘が言いそうにない単語を平然と口にしたのを聞いて、僕はまた困惑した。
でも大和さんは、困惑する僕を置き去りにするように話を続けた。
「とにかく消耗を避けて、長い時間をかけて…朝から、最短でも夕方まで、出来れば日付が変わるぐらいまで、美姫さんの肉体を撫で回し、舐め回すんです。」
「そうして美姫さんの感じるところ、弱いところを一つ残らず暴き出してしまうんです。」
「そうして朝から最短で夕方まで、出来れば日付が変わるぐらいまで、何度も何度も至らせるんです。」
「…それこそ、人格が崩壊するんじゃないかってぐらいに、ですね。」
「そうして美姫さんにわからせるんです。」
「美姫さんが、清純な貞女じゃなんかじゃないってことを。」
「美姫さんが、ふしだらな淫婦だということを。」
「そして何よりも」
「美姫さんが、誰の恋人なのかということを、ね。」
撫で回すとか、舐め回すとか、至らせる(イかせる)とか…大和という艦娘が言いそうにない、生々しい言葉が並べ立てられた。
でも、そんな生々しい言葉を口にするこの大和さんの話し方は、どこまでも冷静・冷徹だった。
まるでコンピューター…人工知能が話しているようだった。
ところで、大和さんの言葉の中には、受け入れ難いところがあった。
「今、大和さんは美姫のことをふしだらな淫婦と言いましたよね?」
「でも、僕にとって美姫は、汚らわしい女なんかじゃありません。」
「それを僕に自覚させたのは…自覚させてくれたのは、大和さんじゃありませんか。」
「なのにどうして大和さんは、美姫のことをふしだらな淫婦なんて言うんですか?」
大和さんは…即答した。
僕が、こう尋ねてくるのを待っていたかのように。
「美姫さんは、あなたという恋人がいるのに、他の男性と肉体関係を持ちました。」
「この事実がある以上、美姫さんは
ここで大和さんは、お酒を少し口に含んでから、続けた。
「…営業所…うちの鎮守府にも、武蔵がいるんです。」
「艦娘が男性とも女性とも、艦娘とも子を生すことが出来ることはご存知ですよね?」
「うちの武蔵は…誰とでも寝る
「うちの武蔵は求められれば誰とでも、男の人とも女の人とも、艦娘ともセックスします。」
「うちの武蔵も、ビッチですよね…これについては、私にも擁護のしようがありません。」
「…でもね…。」
大和さんの温かみを帯びた白い肌が、赤みを帯び始めた。
お酒が回ってきた…というわけではないようだ。
「私、そんな武蔵が好きで好きで堪らないんです。」
「ビッチな武蔵が、好きで好きで堪らないんですよ。」
「ビッチな武蔵が、欲しくて欲しくて堪らないんですよ。」
「武蔵が…あの子が誰を好きであろうと、誰とセックスしようと構いません。」
「誰が何と言おうと、武蔵は、あの子は私の『お嫁さん』なんです。」
「…だから…。」
「…あの子が誰かとセックスして
「玄関口で捕まえて、裸に剥いて、そのまま押し倒して、私も裸になって」
「あの子の体中を撫で回して、舐め回して…中に指を挿し込んで、あの子の中を…。」
「…それからあの子の耳元で囁くんです。」
「『あなたは私のお嫁さんなの、あなたは私の子供を産むの』…って、ね。」
「それだけで、あの子ったら私の指を…。」
僕に乙女を押し倒すように奨めていた、コンピューターのような、人工知能のような大和さんはそこには居なかった。
好いた相手とのセックスを貪欲に求める、大和さんという『血肉を備えた生き物』が、そこに居た。
「…あの子を至らせて、あの子の中に精気を放つ度に思うんです。」
「この子は…武蔵は確かにここにいる。」
「そして、こうして私の想いを、欲望を受け止め、受け容れてくれる。」
「この悦び、この幸せに比べたら」
「この子が…武蔵が誰とでも寝るビッチだなんてことは、本当に些末でどうでもいいことなんだ…と、ね。」
…美姫…。
そうだ……誰と寝たって良い、僕の所にいてくれるだけで。
そうだ……誰に惹かれようが、どんなに汚れようが構わない、最後に俺の横に居れば良い。
……俺は…大和さんの言葉を、大和さんの考えを受け容れていた…。
俺は席を立って大和さんに一礼し、しはらいをすませて、店を後にした。
(深酒をしていたように思ったが、請求金額はそれほどでもなかった。)
そういえば、この大和さんはどこの大和だったんだろう?
海上防衛隊や海上保安庁の艦娘じゃなくて、民間の…警備会社か何かの艦娘みたいだったけど…。
そんな余計なことを考えられるぐらいにまでは、俺は冷静さを取り戻していた。
帰宅してあとはベッドに潜り込んで、美姫の帰りを待った。
美姫は、程なくして帰ってきた。
…俺は平静を装うために、そのまま寝たふりをした。
平静ではいられなかった…寝たふりこそしていたが、俺のモノは、これが本当に俺のモノなのかと思うぐらいに熱り立っていた。
…怒張、とは良く言ったものだ。
怒張……怒り…憤り…そして悲しみ…でも、俺の美姫への想いは、それだけじゃない…。
…次に俺と美姫の休みが重なるのは、まだ少し先のことだ。
……何と言って、美姫を家に引き留めようか…一緒に買い物に行こう、とでも言うか……何を買うことにするか…いや、何だって良いか…どうせこの日…本当に買い物に出かけるわけじゃない……二人で家に閉じこもるつもりなんだから…。
美姫を、どれだけ苛烈に、残酷に愛してやろうか…そんな考えを巡らせていると、本当は平静ではないのに、上辺だけは平静を装うことは出来た…。
…先ずは、俺と美姫の休みが重なる日…その日を待つとしよう…。