ドラゴンアームズ部隊の兵科【天剣士】は、軽量高機動の騎体で敵陣に突撃、攪乱し敵を引きつけるのが役割だ。
そんな狂気的な役割を満足にこなせる人間は少ないが、【ミューズ】と呼ばれる美しい少女の姿をした人造兵士達であれば……
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サンプル【鋼鉄の猛禽】×サンプル【水晶の子】
愚か者は天剣士になれない。臆病でも蛮勇でもいけない。
彼らの剣は無謀に見えてさにあらず。敵の懐へ、内側へ、死線を飛び越えた先に細い活路を見出し、綱渡りのようなその道をあやまたず渡りきる、大胆にして至極繊細な技だ。瞬発的な計算高さと鋼のような度胸が要求される。それを実現する素質は、無謀な勇気よりむしろ慎重さの方だ。死線を正確に感じ取る敏感さが要る。しかし、死は脚を竦めた瞬間に絡みつく。恐怖を知っていなくてはいけないが、恐怖に囚われてもいけない。鋭敏と鈍感の矛盾を成立させなくてはならない。
至難である。
生物にとって、危険とは防ぐか逃れるかするものであって、敢えて我が身を晒し、鼻先に引きつけて弄ぶものではない。正常な生物の行動でない以上、そこには不自然が生じ、無理が生まれる。本能的な動きでは天剣士の技は使えないのだ。
当然、天剣騎の損耗は激しい。機動力を重視するために装甲が薄い騎体を運用せざるを得ないとか、撹乱役として前衛に立ち敵の火線に身をさらすというばかりでなく、常に狂気的な精神の働きを強いられるために、騎体が無事であろうとも騎士が変調を来してしまう。変調を来した天剣士が生き延びられる望みはなく、幸運にして出撃前に発覚した場合は是非もなく配置を外される。
DAFでは大騎士に対して徹底した健康診断とカウンセリングが実施されているが、天剣士に対するそれは、極度の精神集中により思惟堆積層へ干渉する――つまり心理的負担の大きいはずの――幻操士や魔導士よりも頻度が高い。
多くの場合、天剣騎たる騎士は動体視力と反射神経を、騎体の俊敏さとそれを御す技術を、自分と自機への信頼を拠り所にして恐怖を飼い慣らす。相対するのが漠然とした危険ではなく整然たる現象であることを認識し、自分を反射と理性の権化に作り替えるのだ。機甲騎の支援砲撃が敵を制してくれることも、鎧の厚い襲撃機が捌ききれない火線から庇ってくれることも、結局は後付けに過ぎない。まず自分を信じられないものが、どうして味方を背負って立てるだろう。
無論、そうではない天剣士もいる。特に戦況の逼迫した前線、十分に大騎士を調練することがままならない窮地の兵などは。技量不確かなまま、自分へも騎体へも信の置けないまま死地に放り出された天剣士は恐怖をどう御するか。安易で効果的な回答が薬物だ。天剣士ばかりではない。若く未熟な、しかしもう他に戦う者のない土地で機械の死神に対峙する兵は少なからずそうだ。だが依存や中毒に陥る率は天剣士が群を抜いて高い。いや、数だけで言えば至極少ない。薬物に頼るような戦況に追い込まれた部隊で天剣士が生き延びる可能性は酷く低いからだ。多くは中毒に至る前に命を散らす。結果、乏しい母数を無惨な症例が塗り潰す。
では、人間でなければどうだろう。
ミューズ。A.R.K.産の人工生命体。イーゼルと呼ばれるガラス管の中で父も母もなく生じる美しい少女達。適性は高いとされる。天剣騎に限らず彼女らは騎甲巨兵の扱いに優れている。華奢な見た目を裏切る強靱な体力と鋭敏な感覚、反射神経。人と構造の異なる感覚器は騎体のセンサーと同調することができ、俊敏な機動を可能とする。
何よりも、彼女達の感情は情動に依らない。
彼女達は相応しいときに相応しい感情を自ら引き出すことができる。怒るべき時に怒り、喜ぶべき時に喜ぶ。その判断をする思考の芯はニュートラルで揺るぎない。それを偽物や演技と捉える者もいるが――無意味だ。そもそも、彼女らは人に似て人でないモノなのだから。
こうしたミューズ独自の情操は、騎甲巨兵の騎乗全般において、感情に反応し雷力を上昇させる動力源・エーテルチャンバーを最大効率で運用できることを意味していたが、特に天剣騎の運用においては、恐怖を認識しつつ挙動を鈍らせることがないという点で理想的と言えた。
現にミューズの大騎士は過去、ミューズであるというだけで準天剣士的な兵科とされ、一括りに扱われていた頃があった。現在は個々の能力と当人の希望を鑑みて、個別に兵科を割り振るようにはなっているが、依然として――人間の大騎士には敬遠されがちな――天剣騎を駆るミューズは多い。
先陣を切る一番槍として。
敵の狙いを引きつけ、死の確率を自分に偏らせる盾として。
★
リタ・ブラッドベリ竜士補について。
マール・ボールドウィン竜士補は彼女の騎動を知っている。
彼女の騎体が地を蹴って駆け、或いは中空を翻る様。敵弾と敵刃をいかに引き付けいかに捌くか。
我が身を省みない剣捌きの苛烈さと、薄皮一枚ギリギリの見切りを知っている。
騎体頭部を吹き飛ばされ半ば露出したハーネスから這い出てきた彼女が、顔色一つ変えていなかったのを覚えている。
マールのポジションは中衛だ。前衛の掩護と後衛の壁役を臨機応変にこなす立ち位置であり、小隊の前衛が天剣騎であるために、事実上はその天剣騎――即ちリタ・ブラッドベリ竜士補のパートナーであった。
薄い装甲で敵陣に斬り込む天剣騎はその危なっかしさに加え、騎動が目まぐるしいのでとにかく眼が話せない。後衛に装甲が厚い機甲騎がいることもあって、自然と注意が前に傾いてしまうのだが、ともすれば立ち位置が中途半端になりがちな可変騎体を運用するマールは却ってそのように意識の焦点を絞った方が良いようだった。リタと組むようになってから、マールは眼に見えて演習の成績が安定した。いざ実戦に臨んでみると実戦での戦果も同様だった。リタの動きが演習でも実戦でも変わりないからだ。
彼女には本質的に、恐怖というものがない。
彼女はミューズだからだ。
恐怖がない、というのは語弊があるかも知れない。しかし人間であるマールの感覚ではそう理解するのが手っ取り早いらしい。リタ自身がそう言ったのだ。
「便宜上はその理解で構いません」
「便宜上は?」
「つまりミューズの感情というのは、対人コミュニケーションとエーテルチャンバー励起のためのサブシステムに過ぎないのです。人間の感情を模してはいますが、本質的に別のものです」
マールとしてはかなり勇気が必要だった彼女の精神構造についての質問について、彼女は実にあっさりと、そして流暢に答えてくれた。
「うん、それは論文で読んだ。けど、実際どういう……"感じ"なのか、ピンと来ない」
「前提として、ミューズの培養・育成装置は前水晶文明期遺物の発掘品の再現です。このためまだ判明していないことが多数あります。なのであくまで私の所感になることをご了承ください」
「構わない。僕はミューズ研究がしたいんじゃなく、パートナーのことを理解しておきたいだけだから」
「ありがとうございます。……ミューズの場合、受容した情報刺激に対して先ず判断があり、その後に感情と行動が発生します。人間がこのフローを実施するには訓練が必要です。この訓練というのは軍事訓練という意味ではなく、一般的な発育のことです。つまり出生直後にはできない、という意味においての」
「発育?」
「例えば、言葉が分からなければ言葉に対する感情、賞賛の言葉に対する喜び、罵倒に対する怯えや怒りなどは持ちようがありません」
「ああ……なるほど」
「人間は生理反射的な感情──快、不快、苦痛、安息、不安などを元に、受容した情報刺激への対処を学習していきます。ある程度の判断基準は先天的に備わっていますが、複雑な情報の受容には学習が必要です。そしてこの学習は蓄積され、判断の基準となり、行動の引き金となります。やがて学習した情報を元に高度な判断、未来予測を行うようになり、そして予測した未来に対しても感情を発露するようになっていきます。例えば『二日後に休暇があるのでそれが楽しみで快い』『六十分後に激戦区へ出撃するのが恐ろしくて不快である』というようにです。これらの働きは乳幼児期から発達する上で培った学習結果であり、その個体が発育した環境──風土や社会形態へ適応するための仕組みです」
リタ・ブラッドベリはここで一拍を置いた。マールが情報の消化不良を起こさないよう区切りを設けたのだ。彼女は手元の飲み物をゆっくりと飲んで、マールが目線で続きを促すと再度唇を開く。
「対してミューズは、そうした発育途上での学習や適応というものがそもそも想定されていません。初めから特定の役割を持って出生し、成長も老化も存在しません。イーゼルでの培養時にまず、脳へ人工的な判断基準を組み込むのです。感情はそこから派生する形で発露します」
「──ううん、ごめん、まだよく分からない」
「理解しやすい形で言えば、"普通の脳"の上にもう一つ、"上位の脳"が存在し、脳は上位の脳の命令で動いているようなイメージです。もちろん、この"上位の脳"は比喩に過ぎません。実際にはミューズの思考上における一連のプロセスであり、矛盾なく成立しています」
「……こうやって話している君は、その"上位の脳"? "普通の脳"?──っていうわけではないのか。つまり人間とは根本的に発生が異なり、働きも異なっている、と」
「いいえ。ここまでは敢えて区別しましたが、根本的には人間の脳も同じ挙動です。人間の感情も結局は生物として活動する上で自然発生した上位の脳――雷算機用語で言うところのプログラムだからです。ただ、ミューズの場合は特定用途に特化して人工的に発生しているため、土台部分へ人間よりも複雑なプログラムを仕込んでおけるというだけに過ぎません」
「うーん……まだよく分からない。えっと、今の君の比喩でいうところの"普通の脳"を介在している理由は、対人コミュニケーションと、エーテルチャンバー励起のため──つまり人間と話して、ドラゴンアームズに乗るためにそうしている」
「はい」
「ミューズの感情表現は、泣いたり笑ったりするのは全部演技に過ぎない?」
「いいえ。その時々で相応しいと判断した感情を発露します。私の主観を申し上げれば、それは本物の感情であり、演技や偽りの類いではありません。しかし同時に、人間のような自然な生理反射によるものでもありません。選択的に出力されたものです。また、大脳を経由しない反射運動を自己設定できますので、戦闘騎動時には訓練時などに定着させておいたこの反射運動を使用します。これは条件反射ですので心理状態とは無関係に作動します。この働き自体はやはり人間の脳でも可能なことですが、より簡易に、恣意的に設定できます。乱暴にまとめてしまえば、出生時に設定された目的に対して『便利に、都合良く』できているということです」
「……よし。少し分かってきた……人間の感情は、例えば"怒る"のは攻撃された時だ。つまり自分になんらかの危害が加えられた時に、攻撃して排除するための生理反射だ。"怖い"のもそうだ。攻撃では排除できない、対抗できない脅威から距離を取って身を守るためだ。ミューズの感情の選択は、それよりももっと高度にできている。もう一つの脳と言えるほどに。ブラッドベリが言いたいのはそういうことだよな?」
「概ねそのとおりです。ただ、一概にミューズの側が高度とは言えません。あくまで特定用途に特化しているだけです。見方を変えればそれはファジーさや適応の余地を欠き、環境の変化に弱いと言えるでしょう。あくまでも生物としての機能ではなく、兵士としての機能です。また、繰り返しになりますが、恣意的に人間を模倣していることは確かです。つまり偽物という意味ではその通りでしょう」
「だから、君はあんな紙一重の騎動で立ち回っていても、僕らと同じ意味では怖くはない──怖いと思うべきだから怖いと感じるけれども、怖いからもっと余裕を持って敵から間合いを取りたい、怖いから自分の役目を味方に代わって欲しい、とかいう戦場の一瞬において非合理的なことは思わない。判断は既にした上で、必要な分だけ"怖い"と感じて、都合良く慎重になれる。体が竦んで却って危険になるほど"怖く"はない──…………っていう解釈で合ってるかな?」
「はい。便宜上は十分かと」
彼女は恐怖を感じない。いや、感じないわけではない。しかし彼女が説明するところによればそれは人間とは違った仕組みによるものであり、思考と行動を司る"本能"には響かない。
リタ・ブラッドベリが比喩に持ち出した"上位の脳"をマールは想像してみた。それはリタ・ブラッドベリの頭の上に浮かんでいて、彼女の体と脳を操り、言葉を紡がせ、必要ならば泣いたり笑ったりさせている。こうして話している彼女は結局のところ、"上位の脳"の操り人形に過ぎない。
まるで自動機械のように。MISTのように。
口に出しては言わなかった。しかし、彼女もそれと察したらしい。
「ですので、ミューズを嫌悪される方もいます」
こともなげに、リタはそう続けた。
「ボールドウィン竜士補。貴方が人間と構造の異なるミューズの心理を嫌悪したとしても、それは自然な反応です。もしそうであれば、遠慮なく仰ってください。私は極力それを踏まえた態度で貴方に接することにします。そして、もしどうしても私と行動することが耐え難いというのであれば、配置転換を具申します。大切なのは、貴方が私と行動を共にする上で支障があるかどうかです――ミューズは人間のために存在するのです。ミューズが原因となって貴方の行動を阻害し、ひいては部隊や貴方の命を危険に晒すことなど、あってはなりませんから」
リタは相変わらず他人事のように淡々としていたが、マールに噛んで含めるような言葉遣いは真摯であったし、子供扱いされているようでもあった。であるものだから、マールも少しばかりムキになった。
マールは少女じみた柔い顔つきをしているが――或いは、だからこそかも知れない――けっこう、頭に血が昇りやすいたちである。「マリィ」だのと女の愛称で呼ばれて喧嘩になるのは日常茶飯事、愛騎に「どっちつかず」「コウモリ」と陰口を叩かれていれば必ず食ってかかるし、ましてやマールが女顔であることを乗騎が可変型であることと引っかけてからかわれた日には、階級が上の相手であっても手を出さずには収まらない。
そのカッとなる悪癖が、今この時、リタに対しても発揮された。
「別に、嫌悪なんてない。君はそういう人だと思えばいいんだろう。なら今まで通りだ。君は涼しい顔して無茶をやらかす前衛で、僕はそのバックアップ。それだけだろ」
「はい」
マールはかなり強い語調でまくしたてたのだが、彼女があまりにも淡々と頷くものだから、余計に腹が立って勢いが乗る。
「ブラッドベリ、僕は君のことを信頼してる。君はどうなんだ。僕は、君が死ねばいいと思ってわざとしくじったり、君からの掩護を嫌がって自分と仲間を危険に晒したりする風に見えるか」
「いいえ。……申し訳ありません、先ほどの提言は貴方の侮辱を意図したものでは――」
「分かってる。そういうことがあるっていうのも、僕と君がそうなったら良くないっていうのも分かる」
「はい。申し訳ありません、不快な思いを――」
「君は、僕に背中を預けてる間、そういう風に思ってたのか。怖いって感じないから、僕が君を背中から撃つかも知れないと考えてても、気にしてなかったっていうだけで」
「そのような意図の内容を発言してはおりません」
ヴァイオレットの瞳が真っ直ぐにマールを見ていた。金属じみた光沢の、長い薄桃色の髪。眉と睫毛も同じ色。人形じみて整った真っ白い顔立ち。明らかに人ではない何か。けれども人のように喋り、人と意志を交わす何か。
「失言は謝罪します。ですが、私は貴方をそのように認識していません」
リタは素直で率直だ。迷ったり、戸惑ったり、そういうことをしない。熟考することはあるけれども、頭の回転が速くて思い切りがいいので精々数秒で結論を出してしまう。
「私も貴方を信頼しています」
簡潔で真っ直ぐだった。ただ事実を述べたという顔だった。マールは頭を冷やして、彼女に反応を返すだけの余裕を取り戻すまでにたっぷり十秒ほども固まっていた。リタは辛抱強く、じっと待っていた。マールの顔を真っ直ぐ見たまま。
マールがやっとのことで頷き、ぼそぼそと謝罪すると、リタは改めて失言と非礼を詫びた。そしていつも通りの涼しい顔でその場を後にした。翌日顔を合わせても何ら変わったところはなく、いつも通りだった。この手の面倒なモヤモヤ――罪悪感と自尊心とその他の情動が絡んだ消化し難い"しこり"は、彼女らには無縁のものなのだ。
ミューズについて。
マール・ボールドウィンはリタ・ブラッドベリ以外にもミューズの知人がいる。苟も竜士である以上、いないままでいる方が難しいだろう。バハムート艦内においては優秀な人材として積極的にミューズを採用している。前線の大騎士ばかりではない。兵站から整備、技術開発に至るまで、彼女らの冷静沈着な知見と記憶力は広く重用されている。特にマールの場合、乗騎がまだまだ開発途上の可変型であるため、整備班のミューズ達には日頃から世話になっている。そしてミューズは皆が皆、リタのような鉄面皮というわけではないことを知っている。彼女達の多くは笑いもするし怒りもする。他愛もない冗談を言い、忙しさに愚痴を零し、戦友の死を悲しむ。むしろリタのような、あからさまに普通の人間と異なる情動を見せるミューズの方こそ少数派であるようだ。そして鉄面皮を持つミューズの多くが大騎士であることにマールは気付いていた。
「戦場で冷静であるように……っていうわけじゃないんだろう。ミューズは行動と感情が別……いや、行動するコンディションに適した感情を引き出せるんだから。っていうことは、感情を見せる相手、つまり人間向けの態度っていうことなんだよな?」
マールは対面のリタに問いかけてみた。艦内都市の繁華街。間仕切りのあるカフェのブース。一応は年頃の男と女であるマールとリタが酒保や食堂辺りで話し込んでいると百発百中要らぬからかいを買うので、マールはいつしかこういう場所にリタを誘うようになった。隣のブースでカップルが甘ったるい言葉を囁き交わしているのが少々落ち着かないけれども、リタが至って平静にしているおかげでマールもあまり気にせずに済んでいる。マールとしてはリタを口説こうとかどうこうしようとかいう気持ちは微塵もない。一重にバディへの理解を深めるため、そして余人に聞くのは憚られる興味関心を満たすためのことだ。ミューズについて踏み込んだ質問をしてもリタは何ら嫌な顔をせず、むしろ協力的に彼女の知る限りを答えてくれる。
「つまり、前線の小隊内で人間関係を平静に保つ……メンバー達の頭に血が上った時に水を差す役目を与えられている、ってとこかな。人間じゃどうやったって浮き足立つ場面で、君らがどっしり構えてたら少しは落ち着くだろうし、常に冷静な意見を期待できる。実際、どんなことにも動じない君を見てると、オタオタしてる自分が馬鹿らしくなって頭が冷えるってことはけっこうあるよ。助かってる」
「ありがとうございます」
リタは非番だというのにDAFの制服をきっちり着込んでいた。彼女が私服でいるところを見たことがない。体の線が浮き出るナイトスーツ姿で、彼女がどれだけ華奢かというくらいは知って(……いやいや。それはどうでもいい)マールは内心で首を打ち振り、雑念を払う。
リタは白い両手の指でココアのカップを包んでおり、計ったように一定の間を置いてカップに唇をつけていた。カップの内側に残った線はきっちり等間隔になっているだろう。今もまた同じようにココアを一定量だけ飲み、そしてテーブルに置く。
「そういう側面があることは否定できないでしょう。部隊における人間関係の緩衝材、客観的な意見の具申はミューズの前線下士官に期待される役割の一つではあります。ただ、私の意見は少し異なります」
「というと?」
「感情表現を抑制した言動を取るよう調整された個体の、本筋となる理由です」
「ブラッドベリが考える理由っていうのは?」
「小隊メンバーが私達を道具として扱うように。人間との区別を明確にし、不必要な感情移入をしないように。必要であれば使い捨てられるように。そういうことではないかと」
「……それじゃあ、何か? 君は僕らに道具扱いされたくて、そんな澄まし顔なのか?」
「ボールドウィン竜士補。どうか落ち着いて」
「落ち着いてる」
と、マールは言い返したが、リタがマールを窘める声は些か早口であり、マールの頭に血が上りかけているのが彼女には明らかなのであろうと思われた。
「あくまでも客観的意見というだけです」
「君の個人意見だと言ったじゃないか」
「私見による客観的分析です」
「なんだよそれ」
「私の制作者はそういう用途でプログラムしたのだろうと、私が考えているということです」
「ふん。それで? 君は道具扱いがいいのか?」
「はい。そうあるべきです。仮に私が戦死したとしても、チームメイトに心理的な負担をかけたくはありません。対MISTにおける消耗備品というのが、ミューズの前線下士官の存在理由ですから」
「君が戦死したら僕は悲しい。それは、迷惑ってことか?」
「──いえ、その……」
ユニットを組んでおよそ一年。こんな戦時下ではかなりの長い付き合いと言っていいが。
マールは初めて、リタが言いよどむところを見た。
「私の損耗を惜しんでくださるということは……嬉しく思います。それに、私にはあなたの自由意志を束縛する権利など、当然あるはずがありません。ただ、私のポジションにおける都合上……」
「…………」
「……いえ。ご不快でしょう。申し訳ありません」
「……いや。分かるよ。僕も同じことを考える。チームメイトを庇って戦死した時に、そいつがピーピー泣いて戦闘放棄するようじゃあ困る。いいから僕の分もしっかり戦えって思う。そういうことだよな」
「はい」
「逆に、ミューズは……君は、チームメイトが戦死した時でも、冷静に行動できる、んだよな」
「はい。適切な行動を取るでしょう。そうできていますから」
「そっか」
「ご不快でしょう」
「いや。心強いと思う。僕がうっかり死んでも、君は顔色一つ変えずにいつもの無茶苦茶騎動をやって、みんなを守ってくれる、ってことだ」
「努力します。……ですが」
「うん」
「チームで戦死する確率が最も高いのは私です。そうあるべきと考えます」
その会話からほんの数日後、リタの心意気は裏切られた。
チームメイトのビアンカ・ベッテンドルフ竜士補が戦死したのだった。
彼女はヴァイツグラード出身の騎甲士であり、マールの中ではとかく生真面目で几帳面というイメージがあったヴァイツグラード軍人に対しての認識を改めさせる存在だった。後方から飛んでくるドライザムカラビナーの援護射撃は概ねにおいて心強かったが、ごくまれには冷や汗を掻かされることがあった。ニアミスのたび彼女は「やーゴメンゴメン」ときゃらきゃら笑って、悪いとも思ってない様子で謝ったものだが、毎回毎回ギリギリのところで砲弾はマールやリタの危機を救う結果をもたらし、心臓を凍らされたことはあっても足を引っ張られたことはなかったように思う。それは一重に彼女のセンスと、リタとは別種の度胸の賜であったのだろうか。マールにとっては信用できるのかできないのか、今一つ定めにくく、付き合いづらい相手ではあった。戦闘ユニットとして、という以外でも、マールとリタの関係について根掘り葉掘り聞き出そうとし、謂われのない妄言を吐き、故意にマールを憤慨させて楽しんでいる節があった。正直に言えば、マールにとって苦手な存在であった。
そのビアンカ・ベッテンドルフが死んだ。作戦行動中、密かに後衛を包囲していたトルーパー級にやられた。敵の攻撃が激しくてフォローが遅れ、その間に嬲り殺しにされてしまった。彼女が使っていたザイドリッツは重装甲のタフな騎体であったが、結局、それは彼女の悲鳴を長引かせる役目しか果たさなかった。強引に彼女の救助に向かおうとした襲撃騎が痛手を負い、通信から聞こえてくる絶叫と装甲の切削音によって小隊長を含むメンバーの誰もが浮き足だった。リタ・ブラッドベリを除いて。
「このままでは全滅です。撤退しましょう」
ソルジャー級と切り結びながら彼女が発した提言は、普段と全く変わりがなかった。恐らくはそれで、小隊長がビアンカ・ベッテンドルフを見捨てる踏ん切りをつけた。マールは襲撃騎の撤退支援を命じられ、リタが殿を引き受けた。ビアンカの悲鳴が止んでいた。
小隊長が他のメンバーを引き連れて、各員が訓練通りに撤退のマニューバを開始した。皆は戦場に残してきたビアンカの──遺体の──ことを気にしていたが、騎体を回収する余力はなかった。後になってから思えば、戦死者が一人で済んだだけ"幸運"と言えたかも知れない。全滅してもおかしくはない戦況だった。
ベッテンドルフ竜士補が死んでから知ったことが幾つかある。彼女は客観的にはリタ・ブラッドベリと親しくて、二人でよく出かけたり、リタがろくに使いもしない化粧道具を貸し与えたりしていたらしいこと。ベッテンドルフ竜士補は故郷の家族を亡くしており、ロッカーに祖母の形見の指輪を保管していたこと。葬儀の際には棺桶にそれ入れて欲しいと言い遺していたこと。その遺言をリタに託していたこと。別の小隊の若いエクステリア人、バーソロミュー・クラウス竜士補が彼女に思いを寄せていたこと。
そしてベッテンドルフ"大竜士"の、空の棺にリタが指輪を納めようとした時、その若いエクステリア人が近づいて来て──ちょっとした揉め事が起きた。
それでも葬儀中は全員が大人しくした。
葬儀の後、マールとリタとバーソロミュー・クラウスは宿舎の裏で話をした。
酷い殴り合いになった。
ケンカ、で済むような生やさしいものではなく、殺し合いになりかけていた。武器に手が伸びなかったのは、その前にマールが背後から組み付いてきたリタの手で絞め落とされたからに他ならない。そうでなかったら剣か拳銃か、お互いどちらかを抜いていただろう。
マールは営倉入りの後、バハムートの甲板掃除一週間を申しつけられた。
営倉を出て甲板掃除が明けると、マールとバーソロミュー・クラウスの起こした騒動はそれなりに知れ渡っており、どうしたわけか、マールとリタ・ブラッドベリの交際が既成事実化していた。マールはビアンカ・ベッテンドルフにからかわれていた時はむきになって否定していたが、今は相手をするのがひたすら馬鹿馬鹿しく、強いて否定も肯定もしなかった。補充要員の機甲士は既に配属されており、新しい要員を組み込むための訓練が始まっていた。
リタ・ブラッドベリはいつも通りに……以前と変わらず、マールが営倉入りする騒ぎのことも、ビアンカ・ベッテンドルフのことにも触れることはなく、淡々とマールを迎えた。
と、思っていた。
復帰後最初の非番、リタのほうからカフェに誘われるまでは。
「何故、あんなことをしたのですか」
「あんなことって?」
「クラウス竜士補に暴行を働いたことです」
飲み物が運ばれて来て、ウェイトレスが立ち去るや否やにリタは切り出してきた。
いつも通り、静かで淡々とした声。真っ直ぐこちらを見据えるヴァイオレットの瞳。
ただ、リタの声や表情を観察することにもそろそろ慣れてきたマールが見るに、今日の彼女には彼女らしからぬ……"滞り"のようなものが感じられた。頭脳明晰なミューズが言葉を選別する滑らかさに、ほんの僅か、翳りがあるような。手に馴染んだルーチンワークではなく、一から手順を構築しなければいけない時の手探り感。そんなようなものが。
「チームメイトを侮辱されて怒るのがそんなに不思議なことか?」
「度を超していました」
「あいつが言ったことだって度を超していた。……いや、今になって考えたら、あいつが冷静でいられないのは無理がないことだったろうとは思う。ベッテンドルフ……を助けられなかったことは、僕だって悔しい」
竜士補から大竜士に特進した彼女の階級を呼ぶのが躊躇われて、マールの舌が縺れた。
「……ただ、さ。僕はベッテンドルフのことは嫌いじゃなかったし、同じ隊の戦友ではあった。でも特別に親しいっていうわけじゃなかった。だからあいつがどんな気持ちかなんて想像もつかない。仮に……恋人とか、好きな相手が別の隊にいて……隊の仲間がヘマをして死んだ、なんていう話が聞こえてきたら、それは確かに、色々とぶちまけてやりたくもなるんだろうさ。けどブラッドベリが死なせたなんて言わせない。あの時は、仕方なかった……いいや、仕方はあったかも知れない。営倉でじっとしている間何度も考えた。夢にだって見た。ああすれば、こうすればとも考えた。けどブラッドベリが撤退を進言した時はそういうタイミングはもう過ぎていて、そうなった責任があるとするなら小隊全員だ。そうだろ……」
「はい。その通りです。ですが、それはクラウス竜士補へ傷害を加える理由にはなりません」
「……ああ、そうだよ。君が絞め落としてくれなければ、どうなってたか分からない」
「申し訳御座いませんでした。後遺症などはありませんか」
「平気だよ。それに君の判断は適切だった」
「……」
「──あいつはブラッドベリを人形と呼んだ。ベッテンドルフを見捨てて何も感じないんだろうと言った。それが許せなかった」
「葛藤やストレスが生じるのはやむを得ないことです。私に怒りをぶつけられて済むことであれば、そうするべきです。ミューズはそのための──」
「そんな馬鹿な話があるもんか!」
マールは激昂した。
反省して、抑圧していたふつふつとしたものが腹の底から迸り出て、怜悧なリタの顔へ叩きつけるように叫んだ。
「君だって、本当はベッテンドルフと仲が良かったんだろ」
「交友関係はありました。ですが、ミス・ベッテンドルフを見捨てるよう進言したのは事実です」
「何も感じないわけじゃないんだろ!?」
「申し上げたはずです。私達の感情など兵士としての機能に過ぎないと。相応しい時に相応しい感情が発露するというだけです。それが判断基準に影響を与えたり、ストレスとなることもありません。私達の学習は調整された基準の通りに実行されるだけですから、何かを感じたとしても、それが今後の私のパフォーマンスに影響するということはありません。……ボールドウィン竜士補。私達はするべきことをするだけです。どうかお気遣いなく」
「するべきことをするだけっていうなら……僕だってそうだ」
「であれば」
「………………ああ、分かった。僕の行動は望ましくなかった。二度とああいうことはしない」
「今回に限りません」
「……反省する」
「ご理解いただけて幸いです」
マールは冷めたコーヒーを飲み干し、お替わりを注文する。リタの注文は紅茶。どちらも香料つきの色水で薄めた半分まがい物だが、唇を湿らせ、間を持たせる程度に役には立つ。
「僕は反省し、改める。だから、さっきの話はここまでにしてもいいかな」
「はい。ご理解を頂けたなら私は十分です」
「ありがとう」
すっぱりと話題を打ち切ると、マールは鞄からノートと参考書を取り出し、フォーメーションやお互いの騎体セッティングについて、リタと細々とした意見を交換し始めた。騎体が運用できる装備には限りがあり、ドラゴンアームズとはいえたかだか二騎の騎甲巨兵が前線で必要な全てをこなすことはできない。状況に応じて最適・最小限の行動を取るのが理想であるのは言うまでもないが、神ならぬ人間一人と、人間よりは優秀だが全知全能には及ばないミューズ一人で戦場で起きうる全ての状況を想定できるわけもない。それでも、まずは考えないことには始まらない。可変機の運用実績はまだ少なく、マールの如き下士官でも現場から挙がった意見は貴重であり、今後の戦術に活かされるはずだ。そう信じてマールはリタと議論を重ねてきた。詰めても詰めても果てがない議論だが、形になりそうなアイデアを取りまとめ、次の訓練までに小隊長へ意見書を上げなくてはならない。もう小隊のメンバーから戦死者が出ないように──などというのは理想としてもあまり烏滸がましいと、分かってはいるのだが。
気がつくと飲み物のお替わりがまた冷め切っていて、艦内都市の照明が落ちていた。
今日はここまでにしておこう、とテーブルの上を片付け、ふと顔を上げて、さっきまで一緒のノートを覗き込んでいた色白の細面に目が入った。話している最中は鼻がくっつきそうなほど寄せ合っていても気にならなかったが、我に返ってしまうと、リタ・ブラッドベリの美しい異貌は無視できるものではない。
下らないこととは思いつつ、マールは自分が彼女と交際しているという周囲のゴシップを思い出し、少し落ち着かない気分になった。
「無神経なことを聞いてもいいかな」
「構いません。わだかまりは解消しておくべきかと」
「ありがとう。ベッテンドルフのことなんだけど」
「はい」
「……彼女との関係は、ブラッドベリから見てどうだったんだ?」
「ミス・ベッテンドルフは友人と言ってくださいました」
「ブラッドベリから見て、だ」
「私から見て、ミス・ベッテンドルフは……友人だと認識しています」
「そっか」
「ただ、繰り返しますが、私達ミューズの思考形態は人間のそれとは異なります。貴方と私で完全に認識を共有することはできません。私個人の情操面における知見は参考程度に留めてください」
「分かってる」
「あくまでも、客観的に見て──少なくとも十五日前までは、私とミス・ベッテンドルフは友人と表される関係だったであろうというだけです」
「分かってる」
「ありがとうございます」
「けど……十五日前までは、なんて言うなよ。ベッテンドルフだって、ブラッドベリのことは今でも友人だと言ってくれる……そう思いたい」
「私には判断しかねます。あくまで客観的な想定です」
「こっちだって、客観的な仮定だ」
「見解の相違かと存じます。ですが論じる必要はないかと」
「ああ……同感だ」
論をぶつけ、結論を出す必要がないものはある。各々の胸に抱いていればそれでいい、という類のことが。それをリタの方から言い出したのが、マールには妙に心地良かった。
「ところでブラッドベリ、その、もう一つだけ質問いいかな」
「もうそろそろ宿舎に戻る時間です。手短に」
「分かってる……前から聞いてみたいと思ってたんだけど、ブラッドベリ」
「はい」
「かなり無神経な質問だと思うし、大抵、女の子に聞いたら怒られるか蔑まれる内容の質問だと思うんだけど」
「構いません」
「確認したいんだけど、ブラッドベリは相応しい時に相応しい気持ちを感じると。ブラッドベリの中の、感情とは別の客観的な部分の判断で」
「そうです」
「気を悪くしないで欲しいんだけど、僕と一緒にいる時、君はいつも静かで、あまり表情が見えないものだから、僕のことをどう感じているのかが分からないんだ」
「申し訳ございません」
「いや、だからどうというわけじゃないんだ。ただ、どう思われているのか、気になっただけで──勿論、君が僕を嫌っていようがなんだろうが、行動に反映させることがないのは分かっているし、そこは信用しているとも。ただ、他愛のない好奇心として──」
「親愛を覚えています」
「──は?」
「親愛を覚えています、ボールドウィン竜士補。僚友として。友人として。貴方は私を気に掛けてくださいますし、貴方の大騎士としての技量、実績は信頼に足るものです。私は貴方へ抱くのにふさわしい気持ちとして、親愛を感じています」
リタ・ブラッドベリが。
微笑んだ。
恐らくそれは、表情が読めないというマールの要望に応じて、彼女なりの改善を試みただけに過ぎなかったのだろうが。
それは、重々分かっているのだが。
マールは──
「…………あ、ありがとう。僕も、うん……君には親愛を感じている」
「ありがとうございます」
彼女の微笑みから目が離せなくなっていた。
★
ミューズに恋をした。
という話はバハムートの中では珍しくもない。彼女達は奇妙な髪色をしているが概して姿形が美しいし、文字通り無私の奉仕で人間に尽くしてくれる。外見年齢は少々幼いものの、彼女達とそう変わらない年齢の大騎士は大勢いるし、なんなら彼女達の年齢でも構わない、と思い詰めてしまう輩もいる。そしていつ命を落とすとも知れない戦場に飛び立ち、いつ尽きるとも知れない機械の軍勢相手に気の遠くなるような戦いを強いられるのだ。そんなストレスと閉鎖環境が色恋に、直裁に言えば性欲に吐け口を求めてしまうのは、実に、実にありふれた話だった。
前線の人員でリタのような鉄面皮に調整されたミューズが多いのは、そういった対象になりにくいように、という風紀上の配慮もあるのだろう。とはいえそんなのは焼け石に水で、火がつくときはつく。そして燃え上がった後にどうなるか──その様態は個人によって様々らしいが、マールが聞きたくもないのにリタとの噂が原因で悪友どもに聞かされた諸々のゴシップによれば、ミューズ達としては相手方の"情熱"が落ち着いたところで適当にフェードアウトするように取り計らうことが多いのだとか。
感情に流されないミューズ達は、士気と風紀を天秤にかけて苦心しているようだ──と、マールはげんなりした気分で彼女達の苦労に思いを致した。当然ながら個体によって方針や巧拙の差異は存在するわけで、目を覆うような愛憎劇に陥ることもあれば、どちらかが戦死するまでの長い付き合いになる例もあるようだ。タチの悪いことには、そういったドタバタが起きている小隊のエーテルチャンバー稼働率は非常に高いものになるケースが多いため、DAF上層部はこうした色恋沙汰に対する綱紀粛正を最小限にしているのではないかという節さえ見受けられた。人間の愛憎劇がドラゴンアームズの火器弾薬と同列に扱われているのは滑稽な話だが、バハムートは空飛ぶ戦場、相手は果てない機械の死神で戦況は一進一退。使える物はなんでも使え、というわけだ。
マールとしては、特にどうこうしようとは思わなかった。
ミューズの実情を知っていたし、うっかり自覚してしまった青臭い気の迷いのせいで大事なパートナーの手を煩わせる(よりにもよって自分が!)のは全く本意ではなかった。そもそも彼女達に恋を囁いたとて、本当の意味で答えてくれるわけではないのだ。恋愛感情の如きは大筋、生物の生殖本能から派生したものであって──色々異論はあるだろうが、少なくともマールが自覚する限り、マールがリタに抱いているのはその種類の感情だ──当然、人間はミューズ達との生殖など不可能であり、マールがリタにそれを求めて、うっかりと良い返事を得られてしまったところで、それはミューズにとっては"お義理"の演技でしかない。マールは良い気分にさせて貰えるかも知れないが、リタ・ブラッドベリが比喩したところの"上位の脳"に余計な負担をかけるだけでしかないだろう。
第一、リタとの恋が、もし仮に成就したとして……同じ小隊のメンバーに特別過ぎる思いを抱えたまま、これまで通りに戦えるだろうか? リタ一人と、他の仲間全員を秤にかけるような瞬間が巡ってきた時、リタを見捨てられるだろうか? リタは命がけで囮役を務める天剣騎だ。必要とあらばマールは相棒を切り捨てなければならないし、そうでない限りにおいて全力で彼女を守らねばならない。その線引きは冷静で合理的な判断に基づいて行われるべきであり、浮ついた気持ちが入る余地などありはしない──そうでなければ冒涜だ。小隊の仲間や戦死者、DAFの皆。バハムートに希望を託す人々。そして何よりマール自身と、マールに背中を預けてくれる彼女への、許しがたい冒涜。
だから左様な低俗な気持ちは抑え込んでおかなければならない。
マールは性欲などよりもっと上位次元の感情としてリタを信頼し、尊敬している。
毛筋ほども揺るぎないリタの傍でいつも通りに機甲巨兵を操っていれば、やかましい胸の高鳴りもそのうち落ち着いていくだろう。
だから、特にどうにかなるはずがない。
マール・ボールドウィン竜士補はそう思っていた。
リタ・ブラッドベリ竜士補の方に影響が生じたのは、予想外だった。
無惨な有様でドッグの片隅に鎮座しているのは細身の天剣騎ファルコII。左腕が跡形もなく、左足も捻れている。マールのゼファーが背負って飛ばなければ帰還できなかっただろう。
毛筋ほどの狂いもなかったリタ・ブラッドベリの騎動が、乱れた。
訓練と実戦で寸分の違いもなく振る舞っていた彼女の天剣騎が、訓練とは違う動きをした。
その挙げ句の被弾と撃墜だ。
「申し訳ございません」
担架で救護室に運び込まれたリタは、幸い大した怪我もなく、小さな破片が数カ所に食い込んではいたものの、簡単な縫合処置だけで済む程度のものだった。
診断と応急処置のため、コックピットから救助されるや否やナイトスーツのプロテクターを外され、インナーを鋏で切り裂かれたために、ベッドで横たわるリタはスーツの左袖部分が取り外されて、白い肩が見えていた。
「申し訳ございません」
付き添う小隊長とマールに謝罪をくり返す彼女は、いつもより悄然としているように感じられた。
小隊長はリタの生還を喜び、まずは体を休めるようにと言う。
それから、とマールを振り向き、「レポートの提出を少し待ってやるから、しばらくブラッドベリ竜士補に付き添っていて構わない」という信じがたいことを言った。
何を馬鹿なと固辞しかけたマールだったが、このアルトクラン人の小隊長が──リタとは別の趣で仏頂面を保ち、いつも眉間に皺を寄せて思案を回転させている魔導士が──信じがたいことを言い出すのには相応の理由があるのではないかと思い至り、「はあ?」という苛立ち声を呑み込んだ。
小隊長のエタン・サミュエルズソーン竜士が俗悪なゴシップを愉しむようにも思えないが、マールとリタの微妙な関係を知らないということもないはずであり、つまりは、マールにリタのケアをしろということなのか、或いは相棒として責任持ってリタの不調をなんとかしろという意味なのか。
もごもごと礼を述べる間に、小隊長は場を辞していた。
左腕を剥き出しにしたリタを前に、なんとなく目のやり場に困る。
そうでなくても耐圧のナイトスーツは騎甲巨兵の操縦を妨げないよう、全身にぴったりと貼り付いていて、体の線を剥き出しにしており、やましいところのない同輩相手であっても異性のナイトスーツ姿と対面しているのは少々気まずい。
まして、今のマールはリタ相手に"やましいところ"が多分にある。
更には、大騎士用の救護室は割合贅沢にスペースが取られ、カーテンが引かれてある程度のプライバシーを保ってはいるものの、男女共用であり、今この時ではざっと十人ほど利用している。いずれもリタと同程度の軽傷者ばかりと見え、割合元気そうで、例えば男女の若造同士の会話に耳をそばだてるくらいの娯楽は求めているようだ。戦闘直後で鋭く冴えているマールの感覚は、周囲の注目を鋭敏に感じ取ってしまっていた。
目を逸らし気味に、ベッド脇の簡素なスツールに腰掛ける。
「申し訳ございません」
そんなマールの態度をどう解釈したのか、リタがまた、謝罪を呟いた。
謝ることはないとか、無事で良かったとか、ミューズはそういう言葉を欲しない。
「ブラッドベリ。休んで、それから解決方法を考えよう」
「はい」
「ブラッドベリが休んでいる間に、僕の方でも考えておく。……今、体力的に無理なく話せる範囲で構わない。今回のブラッドベリの不調について君自身の所見を聞きたい。話せるか? くり返すようだけど、今日は無理なら無理でいい」
「騎動に……独断を挟みました」
「独断?」
「はい」
「どういう独断をしたっていうんだ?」
「損耗はまず第一に私からであるべきだと、そう考えました」
「……ああ、ちょっと待って。考える」
「はい」
たっぷりと二十を数えるまで、マールは押し黙った。
リタは静かにマールを見つめ返していて、マールが次ぎに口を開いても、それは変わらなかった。
「……僕なりの解釈を述べるから、違っていたら言って欲しいんだけど」
「はい」
「君が言ったのは……自分が戦死しやすいように、不必要なくらい危険な動きをしたと、そういう解釈で正しいかな」
「はい」
「主客転倒じゃないか」
マールの口が、酷く平板な声で言い募る。
リタ・ブラッドベリに対して同じ言葉を繰り返す必要はなく、声を荒げる必要もない。
「君が危険なポジションを担当するということは、君の損耗が軽視されるということじゃあない」
「はい」
「何故、そんなことを考えたんだ」
「恐ろしかったのです」
リタの答えを一年前に聞いていたら驚いただろう。
今は、なんだか腑に落ちる。
リタが生まれ出でる時に与えられた恐怖の形はそうなのだと。
「ブラッドベリ以外が戦死するのが、っていうことか?」
「はい」
「ベッテンドルフのことを気にしているのか」
「それもあります」
「も?」
「第一にはあなたを」
「僕を?」
「あなたが戦死する可能性を過大に想定してしまいました」
「だから、ブラッドベリは率先して戦死しようとした?」
「……自殺や戦闘放棄のつもりはありませんでした。ただ、判断力に欠けていました」
「そっか」
「……」
「なあ、ブラッドベリ。いや、リタ。僕から是非、今、言っておきたいことがあるんだけど」
「どうぞ」
「僕は君に恋愛感情を抱いている」
「……」
「だから、だ。僕は君が戦死したら……少なくとも、納得いかない形で……例えば無理矢理僕を庇うとか、今回のように血迷った自殺行為をやらかしたりとか、そんな形で戦死したら、だ。僕は君の後を追って自殺するだろう。ミューズの君には理解しがたいかも知れないが、いいか、恋愛なんていうのは、特に人間の十代男性が抱く恋愛感情なんていうのは、この世で最もロジックとか理性とかいう言葉から外れたシロモノだからな。君がいかに不合理だとか無意味だとか思ったところで、僕はやるぞ。やるといったらやる」
「……」
「だから、だからだ、君は自分が死ぬのは大して怖くないんだろうが、あんまりにも不甲斐ないやり方で死んだ日には、僕が道連れになってやるからな。そこのところを、きちんと君の優秀なおつむの勘定に入れておけよ。いいか。いいな」
「……」
「……おい、何か言ってくれよ。恥ずかしいんだ。これでも」
「驚いて、いました」
斯くして、成り行きと勢いでもって、マールはリタに愛を囁いた。
ことの顛末はあっという間にマールとリタの周囲に広がり、暫く、からかいの種になった。
リタの現場復帰には、ミューズ専門のカウンセリングと投薬治療を要した。
ミューズだってカウンセリングを受けることはあるのだ。
今更のようにマールには腑に落ちていた。
何をおかしいことがあるだろう。
結局のところ、ミューズは人間をモデルに人間が生み出した存在なのだ。神ならぬ人間に完璧なものが生み出せるわけがない。
ミューズは優秀な人材でこそあれ、完全無欠ではないし機械でもない。いや、機械だって何もかも都合良く完璧に動作するわけではない。あの忌々しいMISTどもでさえそうだ。現に人間はまだ滅びていないし、勝利を収める場面すらあるではないか。機械であれば万能であるというのだって人間の幻想に過ぎないのかも知れない。
ミューズが人間よりも優れているように感じ、そして機械のようにも思えるのは、彼女達が特定の目的に特化している分、生物としての存在の根底に、目的に応じた"仕込み"ができるというだけのこと。その仕込みの背景にある"人間の恣意"を、リタは"上位の脳"と表したわけだった。
生物学を紐解くならば、人間が感情と称するもの──生物が備える一定の習性や向性は、生物が生存していくための本能的な戦略であり、リタが言うところの"プログラム"だ。忠節や友愛は群れの連携行動を円滑に行うため、性愛は子孫を残すため、恐怖は防衛行動を引き出し、憎しみや怒りは外敵の排除を促す。幻操や魔導の行使、エーテルチャンバーの活性化などというのは、偶然の副産物に過ぎない。まずは人間という種の生態ありき、だ。
その考えに則れば、マールがリタへ抱く性愛などというのは全く無意味な誤作動と言えた。
子供を産み育てることを前提とするばかりが性愛ではない……という考え方もある。マールも強いてそれを否定はしない。ただ、《人それぞれの愛の形》というものには重要な前提が存在する。
パートナーとの合意が取れていることだ。
マールは勢い任せに心情を暴露したことについて、猛烈な後悔と、清々しい誇らしさとがない交ぜになった、のたうち回って胸を掻きむしりたい複雑な衝動に駆られつつ、その後の日々を過ごした。
「これは男女の交際にあたるのでしょうか」
喫茶店のブース内において、対面のリタに真顔でそう切り出されてしまうと尚更だ。
「従来はそのつもりはなかったんだけど」
リタを直視できず、手元のノートに無意味な模様を書き殴りながら、返事を絞り出す。
「客観的に見ると、だ、ブラッドベリ」
「はい」
「客観的にだぞ」
「客観的に、ですか」
「そうだ。あくまでも客観的な観点として」
「はい」
「恋愛感情を告白した男が相手の女と休日に二人きりで会うというのは、そういう解釈をされても仕方が無い行為ではあると思う」
「では、交際であるということですね」
「早まるな」
あっさりと肯んじようとするリタに対し、マールは掌を向けて制止した。
「はい」
「あくまで客観的な、つまり周りが勝手にどう思うか、っていう話だ。大体、こうやって休日に自主ミーティングをするのは、僕が君に恋愛感情を抱く前から行ってきたことだ。つまり特に以前と何か変わったことをしているわけじゃあない」
「はい。恋愛感情が動機の行動ではないので、交際とは関係ないと」
「そうだ」
「では、私達は交際をしているわけではないと」
「それも結論が早い。ブラッドベリ」
マールは再度、掌を挙げて彼女を制止した。
「はい」
「つまり問題なのは僕達自身の認識がどうかということだ」
「はい。どうなのでしょう、ボールドウィン竜士補」
「君はどう考える。ブラッドベリ」
リタは一瞬、黙考したようだった。
「回答にあたって確認したい事項が」
「ああ、うん、どうぞ」
「ボールドウィン竜士補から先日受けた恋愛感情の告白については、男女交際の申し込みと解釈しても差し支えないのでしょうか」
「ああ、いや……あれはこちらの一方的な心情だし、特段、君に何か要望があって言った話じゃあないし……その……」
「では、そのように解釈してはならないと」
「…………一般的には、交際の申し込みと解釈されるだろう。僕はそれを強いて否定はしない」
「そうですか」
「否定はしないけど、別に僕は君に付き合って欲しいとかそういうわけじゃあなく……これまで通り信頼のおけるユニットとして、だな……だって、君は迷惑だろう。交際しろとか言われても」
「いえ、別に」
「……言い方が悪かったな。僕の方から交際を迫ったら、君はユニットの円滑な機能維持を考慮して、僕の申し出を無碍にはできない。そういう判断をして、それに沿った情動を選択する。ミューズなんだから、そうなんだろう? 一般的に、男としては、だ。そういう、打算……というのも語弊があるけど、恋愛感情以外の理由による交際というのは、なんというか、あまりしっくりこないものなんだよ。僕の方から迫って、実質的に君に不自由を負わせるようなことは絶対にしたくない。だからこないだの件も、僕がのぼせ上がった末に吐き出した寝言と思って欲しいくらいだ」
「ですがボールドウィン竜士補」
「うん」
「実践を伴わない机上論では、物事は円滑に処理できません。特に対人関係では」
「うん?」
「試験的な運用は必要かと考えます」
「……それは、ブラッドベリ」
マールはすっかり冷めた紅茶をがぶりと呑み干し、息を整えた。
「試しに付き合ってみよう、と、そう言っているのか、君は?」
「はい」
「…………」
「いかがですか」
「…………強硬に反対する理由はない」
「分かりました。ではそのように。さしあたっては形式的な部分から実践するのはどうでしょう」
「と、言うと?」
「交際関係にある男女はファーストネームで呼び合うのが一般的だそうです。マール」
「ああうん、そうだな……………………リタ」
そのようにして二人の交際は始まったが、マールにとっては意外なことに、上手くいった。
ジュニアスクールくらいの年代のお付き合いという意味では、実に微笑ましく、健全で、円滑であった。そして実年齢はともかく、二人が私服姿で並んで歩いていると実際そのように見えた。非番の日には手を繋いで出かけ、ぎこちなく歩き、年頃の割には堅い娯楽を楽しんだ。リタ・ブラッドベリが言うには彼女の発生初期に感覚器の調整で音楽レコードが使われたことがあったらしく、ほとんどの娯楽に不案内な彼女もクラシック音楽の知識は深かった。言うなればそれは彼女にとっての子守歌で、公園の片隅で音量を絞った携帯再生機を回す時、リタは本当の人形になったように静かな顔で微睡むのだった。マールも彼女に付き合っているうち、今まで知りもしなかったモザルトとかハンドルとかいう曲目を幾つか覚えた。リタにとって嗜好食品の類はあまりピンと来ないようだったが、茶菓を挟んでの会話を強いて拒むことはなかった。会話の内容は今までの自主ミーティングに加え、お互いに対する個人的な見識・寸評の交換がかなりの時間を占めるようになった。
年相応の生理的欲望については、マールはこれを一切無視し、当然ながらリタの方から何かを要求してくることもなかった。
リタにそこまで付き合わせるのはとても申し訳なく思われたし、またミューズのリタが人間との恋愛──"求愛ごっこ"に付き合ってくれるのは結局のところ"お義理"であると知っていた。お互いを傷つけない範囲での交友ならともかく、肉体的な行為に及んで負担を掛けるのは、いかにマールの肉体が望んでいたところで許しがたいことだった。昼に過ごしたリタとの語らいが楽しければ楽しいほど、夜な夜な、マールは罪深い気分になった。
いっそ去勢してしまおうかと思い詰めたほどだ。
★
「キスくらいさせて貰えば良かったかなあ」
十何秒後かに死が迫った時、マールは思わず素直な心情を零していた。
大破した機体が推力を失って落下していく。マール自身に致命傷はないようだったが、愛機は左半身がごっそりとそぎ取られた無惨な有様で、推力も脱出装置も死んでおり、モニターだけすっかり生きているのは相討ちになったコマンダー級MISTの呪いか何かかと思うほどだった。お陰で復旧しようがない騎体の状態と、重力加速度に従って地上に引き寄せられていく様子がしっかりと見える。現在の高度千メートル。
僚騎は――後衛は十キロメートルほど彼方。パートナーであるリタのファルコIIが、マール騎を受け止めようというのか接近してくる。無茶だ。ファルコIIは軽量級だし、損傷もしている。恐らくはガラクタと化したゼファーを支える出力はなく、またコースを計算したところによるとファルコIIは減速する時間がない。受け止めるというよりは衝突する有様になる――マールはリタの考えがなんとなく読めた。衝突の瞬間、ライトブレイドでゼファーの余分な質量を切断し、上手いことハーネスだけを回収しようというのだろう。リタは彼女自身がどれほど危険でも、勝算がある限りは実行する。パートナーの度胸と技術を信頼しないわけではない。ただ恐らくは上手くいっても不時着するのが関の山、コマンダー級を撃破したとはいえここは敵勢力圏内であり、地上は果てしない樹海だ。ドラゴンアームズでは着陸したところでピックアップも敵包囲からの脱出もままならず、竜翔騎の速度を頼もうにも竜翔騎では着陸できない。試作可変機のゼファーならいけたかも知れないが、今まさに騎士もろとも鉄屑になろうとしているところだ。
(流石に収支が合わない。やめろ。見捨てて撤退しろ)
よっぽどそう言ってやりたかったのだけれど、通信は死んでいた。
仕方がないので、マールはゼファー右手の半壊したガンエッジを自騎に向けて構えた。
要はマールが生きているからリタが無茶をするのであって、マールが死ねば彼女は冷静に行動できるはずだった。
射線上に自騎が存在することを警告する安全装置を素早く切る。高度三百メートル。リタ騎との衝突まで2秒。マールは歯を食いしばり、引き金を引いた。
腹に響く炸裂音が聞こえた。――妙だった。音など聞こえる前にマールは耳も脳も粉微塵になっているはずだ。モニターを確認すると管制系は被弾とガンエッジの喪失を告げていた。被弾した火器は推定、小型目標駆逐用の攻撃型グレネード。爆圧で騎体を揺さぶられ取り落としたということだ。弾道分析――発射元はリタ騎。炸裂のタイミングからしてマールがガンエッジを操作する前に発砲していたことは明らか。
(読まれてた――あの馬鹿――!)
マールの脳裏に電撃のような怒りと不甲斐なさが走った。同時にリタの駆るファルコIIが光の刃を閃かせ、躍りかかってきた。
そして衝撃。
不時着または墜落した後のリタの動きたるや、電光石火だった。うぞうぞと墜落地点に集まってきたトルーパーをやり過ごすため、ファルコIIを自動モードに設定してオトリに使い、ライトブレイドを振り回して無闇に暴れ回る騎体のハーネスから無傷で飛び降りるとマールをゼファーの残骸から引っ張り出し、抱え上げて走り出した。ミューズは見た目より腕力があるのは知っていたが、それにしても超人的な働きだった。
困ったことには、コマンダー級と相討ちになった時か、墜落時の衝撃か、マールは右足の骨が折れていた。リタはかなり長いこと無理矢理に全力疾走してひとまず近くに敵がいない場所を見繕うと添え木を当てて縛り、モルヒネを打って応急処置をしてくれた。無茶な運動のせいで汗だく、今にも死にそうな呼吸で喘ぎながらも、全く手元が狂わないのは流石だと思った。
が、マールとしては「自分を捨て置いてリタだけで逃げろ」というのが正直なところだった。
なのでリタの呼吸が落ち着くのを待って、きちんとそう告げた。
「何故ですか」
「まず先に言いたい。助けてくれたことに感謝する。それと君の神業的騎動や身のこなし、判断力、体力その他諸々を心の底から賞賛する」
「恐れ入ります」
「その上でだ……勝算が低すぎるだろう。何考えてるんだこの馬鹿。こうなるのは目に見えてただろ。墜落した時にお互い即死しなかっただけ運が良かったけど、ポンコツになった僕一人抱えてどうするっていうんだ。君一人ならなんとか生き延びられるだろうから置いていけ」
「承服しかねます。それに勝算はあります。墜落前に小隊長騎へ合流プランを送信しておきました。ここから南南西へ約三十キロメートルの丘陵地帯まで移動できれば、トゥール方面へ進行中のアルトクラン軍の防空網に差しかかります。竜翔騎でのピックアップが十分可能です」
「あの短時間で素晴らしい準備の良さだとは思うけど、三十キロだって? 今の状態じゃ地の果てみたいな距離に思えるよ。それに小隊長がその案を受け入れてくれるか分からないだろう」
「どのみち敵勢力圏を抜けなければ、携帯通信機では通信妨害で連絡もままなりません。……肩を貸します。移動しましょう。ここからは会話も謹んで、極力手信号を使用しましょう」
「……」
無茶苦茶する癖にどこまでも冷静なリタは有無を言わせないようだった。マールは言われた通りに口を噤み、彼女の細い肩に左腕で寄りかかった。
歩き出して間もなく、マールはおよそ三十キロの道のりが地の果てよりもなお遠いことを思い知った。役立たずの右足を庇う左足の疲弊は激しく、役立たずのマールを支えて歩くリタがいかに秀でた体力を持っているとしても、それとて無尽蔵ではなかった。そして常にトルーパー級の影に怯えなくてはならなかった。ほんの一騎のはぐれアントでさえ、生身で手負いのマール達には逃れようのない死に神となるのだ。木漏れ日が陰るたび、木々の枝葉が揺れるたびに、マールは死を覚悟した。実際に数百メートル先を徘徊するマンティスを発見して身を隠した時は完全に死んだと思った。しかし深く茂った草木はマールらの姿を敵センサーから隠してくれているようだった。同時に足をもつれさせてもくれるのだが。
それでも墜落地点から少しでも距離を取るべく、マールとリタは必死に歩いた。
その日は二キロメートルを歩いたらしい。リタが歩数と歩幅から大まかに計算したところでは、そうだという。
日が沈む前に、サバイバルキットのスコップやナイフ、その他周囲の環境――倒木とか枯れ木の根元とか――を活用して小さな塹壕を掘り、今夜の寝床を確保した。不時着時のサバイバル訓練を役立てることになるとは思わなかった。
火は使えないので、携帯食料を節約して囓り、小川の水を浄水機にかけたものにフレーバーを溶かして飲む。マールは骨折した足の痛みと熱で食欲がないと言って食事を辞退しようとしたが、リタの手で半分無理矢理押し込まれた。排泄はお互いできるだけのプライバシーを尊重して(つまりできるだけ顔を逸らし耳を塞いで)ゴム袋に用を足し、埋めた。
それから各々のツェルトに包まって横になる。
大騎士のナイトスーツは着用したまま十分睡眠が取れるほどしなやかだが、耐圧と被弾時の最小限の防護を兼ねていて、石が転がる地面の上に寝そべっても十分な休息が可能だった。気温は幸い氷点下にはならないようだったが、それでもかなり冷えた。体温を保つため、リタと寄り添った。
見張りを立てるかどうかはちょっと議論になったが、見張りを立てたところでトルーパー級に発見されたら逃げる暇もなく殺されるだけだから、体力回復を優先するべきだという結論になった。
小さな体でマールを支えて歩いてくれていたリタは、やはり消耗していたのか、すぐに寝付いた。――有り難いことに、塹壕のバリケードから細く月の光が差し込んで、闇に慣れた目にリタの顔を見せてくれていた。土埃に塗れてぼさぼさになった薄桃色の髪、泥を塗りたくった白い頬――(やっぱり綺麗だな)と見つめる。小さな肩の力強さと暖かさ、汗の匂い、息使い……足の痛みに耐えながらの地獄の歩みも、リタを間近に感じられることは幸せだった。
(ちょっと変態っぽいな……)
とは思うが、男だし仕方ないだろう、と自分に言い訳する。それに人生最後なのだし許して貰おう、とも。
やはりこの状況で生還は無理だというのがマールの目算で、リタが精一杯助けてくれたのには感謝しているが、死ぬ前にリタと一緒に過ごす時間が持てるくらいの延命にしかならなかったことになる。マールにとってはそれは大いに価値のある時間だったけれども、ミューズの下士官として人間の損耗を防ぐことを最優先とするリタにとっては骨折り損だろう。
そんな気持ちをリタに伝えるかどうか、マールは迷ったが、所詮自己満足にしかならないだろうと考えてやめた。
結果が見えている以上、やることは決まっている。
リタ一人なら生きて帰れる可能性はあるだろう。
マールはちょっとの間、寝床を出ていくかどうか考えたが、MISTに痕跡が見つかる可能性を考慮してやめにした。……人間だったら戦友の脳が焼ける音と匂いで目が覚めたら恐慌を来すかも知れないが、ミューズのリタならその辺、大丈夫だろう。それに、マールの服とか装備を活用してくれるかも知れないし、食糧にも使ってくれるかも知れない。その想像は……普通なら悍ましく感じるべきなのだろうけれど、どうしてかマールには好ましく思えた。倒錯願望ではない、はずだ。ただ彼女が生存するのに役立てるなら嬉しいというだけ。
不思議と愉快な気分で、マールは体を起こし、腰からハンドガンを抜いた。音を立てないようにゆっくりと。そして慎重に這いずって彼女からなるべく離れると、射線に彼女を巻き込まないよう、慎重に自分の頭に銃口を添えた。最後にリタの顔を見ようと視線を向け、
「……」
目の前にリタの紫の瞳があった。
リタが弾丸のように飛び起き、マールの手首を掴んでいた。
マールはびっくりしたが、そうか、墜落時にも似たようなことをしていたからそれは警戒もされているか、と暢気に納得もした。だからマールは穏やかに諭すことができた。
「これがいいと思うんだ、リタ。人員の損耗は最小限であるべきだ」
「マール。やめてください」
「リタ、分かるだろ。君の勇敢な行動には感謝してるけど、やっぱり無理だよ」
「マール」
「手を離して。暴発して君に当たったら大変だ」
「お願いやめて!!!」
リタが、聞いたこともないような叫び声を発した。
虚を突かれる。
そういう意図あってのことだろうけれども、それにしたって、敵に見つかる危険を冒してまで――というのは彼女らしくなかった。
月明かりにぼんやり浮かんで見える彼女の顔は――人形のように青白く、美しく、そして強ばっていた。マールの右手を掴む手が、わなわなと震えていた。恐怖していた。マールが死ぬのを恐れてくれている。自分に迫る危険への恐怖は適切に処理できる彼女は、しかし戦友の損耗を衝動的に恐れる。そう"プログラム"されているから。
「やめて、マール、やめて――嫌――」
「大丈夫だ、リタ。怖いことはない。既に死に体の仲間が死ぬ分には、君は冷静でいられるはずだ。そうだろ」
リタが目を見開く。紫の瞳が濡れている。怯え――いや、後ろめたさだろうか。かつてビアンカ・ベッテンドルフの死が確定した時点で彼女は躊躇なく諦めた。マールは、自分にもそれをして欲しいと思う。そういう意図をリタは分かっているはずだ。なのに、そんな顔をされるとマールの胸に罪悪感めいたものが過ぎる。或いはリタの"上位の脳"はそれを意図して彼女にそんな顔をさせているのかも知れない。――けれど人間だって誰かと対面した時、一つも見せつけがましくない顔ができるだろうか。ただちょっと、ミューズ達の思考は人間のそれより特化していて、合理的なだけで――
「――その、責めてるわけじゃない。皮肉でもない。分かってくれてるだろう」
「分かっています、マール。でも」
「ねえリタ。僕はもうとっくに、撃墜された時に死んでいて、最後に少し君と話す時間を貰ったんだと思えばいい。それなら君も怖くないだろう。賢明で誰よりもよく戦う君は、もう死んだ人間に拘泥して時間を無駄にしたりはしないから。そんな君を誰よりも信頼してたし、愛してた――なんて言われても、君は迷惑だろうけど」
「そんなことない、ないから、マール、銃を捨てて」
「僕が死ねば、その怖さはなくなるよ、リタ。どうか僕の持ち物とか、場合によっては僕の遺体とかを使って君が生きて帰るのに役立てて欲しい。そうするのがいいし、そうするしかない。君なら分かってるだろ」
「分かってるから――嫌なの!」
リタの手の力が緩む。代わりに、彼女が覆い被さってくる――唇に触れる柔らかくて湿った感触。甘い香り。
キス、された。
自分で自分が嫌になるくらい単純に、銃を握る力が緩んだ。リタはその隙を見逃してくれず、銃をもぎ取り、セイフティをかけて手の届かない位置に置いてしまった。マールは「あ」と間の抜けた声を上げ――リタの唇がまた触れる。もう一度。何度も。リタの喘ぐ吐息。カーテンみたいに垂れ下がる彼女の髪。顔に雫が落ちてくる。口移しされる嗚咽。リタが泣いている。
口付けに推されて、マールは押し倒され、組み敷かれる。抗えない。
「分かってる。分かっているんです」
彼女の重みがのしかかってきて、ナイトスーツ越しに細くて柔らかな体の感触が伝わる。その儚げな暖かさと裏腹に、リタの手足はしっかりとマールを抱きしめていて、足の傷が痛まないよう気を遣いつつも油断なく押さえつけていた。もう決して銃に手は届かない。
涙声のリタが、聞いたことのない早口でまくし立てる。
「あなたが死んだ後も、私は適切に行動できるでしょう。あなたの装備品を引き継ぎ、規定通り遺品を確保し、必要と判断すれば遺体を食糧にもするでしょう。埋葬は状況を鑑みて省略し、あなたの遺体を置いて出発するでしょう。この恐怖は、あなたが死んだ途端に消えてなくなって、震えも止まって、涙を流すほどのストレスも感じないでしょう。ドラゴンアームズに搭乗していない今、あなたの死を嘆く激情はエーテルチャンバーの稼働に繋がらない。私は体力を温存するため、無益な激情の発露を避けるでしょう」
リタは一息でそこまで言って、半ば咳き込みながら息を継いだ。
はあ、はあ、と荒い息が顔をくすぐって落ち着かない。
彼女は自分の口を嘗め回し、ごくっ、と唾を飲んで枯れかけた喉を潤して、息を整えて、
「――私は、それがたまらなく嫌なんです、マール」
絞り出すような声は、涙声なのに平板で、言葉に感情を乗せないようにしているようだった。騎甲巨兵のシステム音声ガイドのような音の連なりが切々と言葉を紡ぐ。マールは酷く愛おしくなった。その言葉はリタの精一杯の誠意だと思った。
「あなたが死ぬのがこれほど嫌なのに、あなたが死んでしまえばなんとも思わなくなるであろう私の性質が忌まわしいのです。私が今、こうして自分の心情を述べているこの行動も、あなたがご存知の通り、生理反射的な情動ではなく、あなたという人員の損耗を防ぐために選択されたものであるということが、とても、とても、気持ち悪い。そしてこうして嘆いている今の私自身の振るまいが、きっとあなたに見せつけるために選択されたものだと思うと……私のほうこそ頭を撃ち抜いてしまいたくなります。
……そしてあなたが、私のそうした性質を理解して、自分の死を受け入れていることと、私に何も求めないことが、私は……悔しい。悔しいんです。ねえ、マール。私があなたを思う心は、確かにあなたからすれば打算的なのかも知れません。作り物なのかも知れません。生理的欲求に寄らない、繁殖目的でもない、兵士の精神的メンテナンスを目的とした交際は、あなたからすればある意味で不誠実だったのかも知れません。あなたがそれを受け入れてくださって、私達に誠実であろうとしてくれていたことも、理解しているつもりです。けれど、マール」
リタが額を擦り当ててくる。汗染みた髪の香りがどろりと甘い。マールは圧倒されて、何も言えないまま彼女の言葉を待つ。
「けれど、マール。私が私に産まれながら与えられた使命のもとに、あなたを想い、あなたの命を惜しむことは、そんなにも軽んじられるべきことでしょうか。人間が子孫を望んで配偶者を求めるように、社会の居場所を求めて友人や家族を作るように、私はあなたという得がたい戦友に執着して求愛してはいけないのでしょうか。ねえ、マール――お願いだから――私の言葉を聞き入れてください。あなたとは違うものであっても、私の心を受け入れてください」
マールはゆっくりとリタに触れた。彼女を驚かせないように、警戒させないように、マールの両手の位置を示すよう、脇腹から掌を這わすようにして背中に回す。いやらしい気持ちは――存分にあったけれど、何よりもマールの手が銃とかナイフとかの自殺に使えそうなものに伸びていないことを示すためだった。恋人への初めての抱擁は、なんだか銃を抜いた憲兵に命じられてホールドアップするような感じになってしまったのが情けなかった。
それでもリタは安心してくれたようだった。強ばった肩が緩む様子が伝わってくる。ほぅ、と漏れた大きな溜息は、この上まだマールが抗弁するようならなおも説得する言葉をまくしたてるために息を溜めていたのを吐き出したのだろう。
「リタ……死ぬのはやめる。僕が悪かった。ごめん」
マールは降伏宣言をした。ぐす、とリタが鼻を啜る音が返ってくる。
「君の心を……軽んじてたつもりはなかった。でも、都合良く考えてしまってた……」
「――マール。迷惑じゃ、ない。迷惑じゃないです」
「うん?」
「だから、さっきの言葉を、きちんと」
リタは頭が良くて、思考が早くて、記憶力がいい。
マールはリタが何を言いたいのか、察するのに少し時間を要した。
もう自分が死んだものと思い定めていたせいか、照れもなく、スムーズに言葉が出た。
「愛してる。リタ」
「私も愛しています。マール」
今度はマールのほうからキスをした。
暗くて、上手くいかなくて、唇は頬に触れた。
★
キスをもう何度か繰り返した後、リタのほうからそれを提案してきて、
「……いいの? いや、正直、僕はすごく嬉しいけど、あんまり良くないんじゃ……その、状況的に」
「確かに推奨できません。お互い清潔とは言いがたい状態ですし、負傷にも障ります。体力も消耗します。敵に発見される危険も増します」
「うん、だよね」
「ですがそれで生還へのモチベーションを高められるなら必要かと考えます」
「いやあ……どうだろう。却って思い残すことがなくなるんじゃ。一般論として」
「どうあっても生還の可能性は高くない状況ですから、それなら死ぬ前に……という心理くらいは私にもあります」
「……それって、その、リタもやりたいってこと……」
「ミューズの、いえ、私の情動について客観的に言えば、『こうした状況で交際している異性に対して抱くべき衝動』という判断の結果ではあります。マールが以前希望していた、純粋な恋愛感情による求めではないかも知れません。しっくり来ませんか?」
「……いや、嬉しい。その、リタの判断でそう思ってくれてるのが」
「良かった」
ナイトスーツも肌着も全部脱いだリタが微笑む。くらくらする。白い彼女の肌は、細くておぼろげな月明かりの中でも妖精か天使のように輝き、浮かび上がって見えた。マールも苦労してナイトスーツをはだけ、上半身の大部分と、下半身の一部を晒した。
ツェルトを敷いて仰向けになり、リタがもう一枚のツェルトを羽織って、跨がってくる。
「えっと、リタ。僕は初めてで、やり方はよく知らなくて」
「私も未経験です。けれど、どうでもいいです」
リタが覆い被さって、マールに抱きつく。素肌に触れる柔らかな感触。温もり。緊張に縮こまっていた男性器が彼女の太腿かお尻か柔らかい部分に押し潰されて首をもたげ、胸板で潰れる乳房の感触に惑乱される。二人を覆うツェルトの中に彼女の汗と吐息の匂いが生々しく籠もる。
「こうして触れ合ってさえいれば、手順はどうでもいいです。そう思いませんか」
「うん……その通りだ」
おずおずと触れ合う。
暖かい。柔らかい。寒い中で肌を晒していたせいで尚更に温もりが愛しい。
背中に触れると、軽く腰まであるリタの超ロングヘアが指に絡んでさらさらする。引っ張ってしまわないよう注意しながらその感触を愛でた。
薄桃色の髪に鼻を埋めて香りを味わうと、リタが「体臭が気になりますか」と心配そうにしたので「いい匂いだから嗅いでた」と正直に答えた。リタは言葉に詰まって、マールは(引かれたかな)と少し後悔する――そもそも体臭で言うなら自分だって似たようなもので、向こうはどう感じているかというのが頭を過ぎると、「……あなたも良い匂いですよ」とリタが言って、首に口づけて、舌を這わせてきた。思わず変な声が出る。闇の中でリタが囁く。
「私の生命活動があとどのくらい続くのか予測はできませんが、私はあなたと交わす行為のひとつひとつ、あなたの匂いも味も声も感触も、生涯忘れません」
ミューズの脳機能からすれば、それはなんら大げさな表現ではなく事実の羅列だ。
「もっと記憶させてください」
リタが体をくねらせて、彼女の舌が首から――いまだに髭の一本も生えていない――マールの顎まで這い上ってくる。マールは伸ばした舌の"手探り"でそれを捕まえ、リタの舌を吸った。過激めの恋愛小説で読んだキスのやり方。(アルトクラン・キス……だっけ……)舌を絡め合ったまま口付けを求めると、リタも顔を寄せて、首に抱きついてきて、スムーズに繋がった。熱くてぬるぬるして、口付けと言うには無茶苦茶で、けだものになったみたいだった。改めて抱きしめ返すと、滑らかな背中やお尻に手が触れて、夢中で手を這わせて、さっき月灯りに見た白い肌をまさぐった。少し冷たくなってしまっている背中を温めるようにあちこち撫で回すと、くすぐったいのか、繋がった口の中でリタの呼吸が跳ねる。くねくねと揺れる体を擦り合わせるだけで甘ったるい気分で心地良い……リタの腰に押し潰されている性器は、もう爆ぜてしまいそうになっていた。
思わず、お尻をまさぐる手に力が籠もり、指を食い込ませ――
「んゥ……っ!?♡」
熱く濡れた息とともに、口から流れ込んで下腹に響く声。
聞いたことのない響きの音色だった。
確かめるためにもう一度、同じ指使いで力を込めると、「ぁぁぁっ……!♡」口付けが緩んで、リタの艶声がはっきりと響いた。「ぁっ♡ ぁっ♡ マール、待っ……んぅっ!!♡」制止の声も、愛撫を繰り返すと寸詰まるように途切れる。
リタと組むようになってからというもの、いつもナイトスーツに浮かぶラインを盗み見ていた(多分リタにもバレていた)小さくて引き締まったお尻を掌に弄ぶ。柔らかな表層の奥にしなやかで力強い筋肉の熱とうねりがあって、残りの一生ずっと触れていたいくらい心地良い感触……優しく撫でくると「ふぅ♡ ふぅ♡」と穏やかに息を継ぎ、不意打ちでぐりりと指を突き立てるたび、「あっっ!♡」とリタの綺麗な声が上擦って乱れる。彼女がこんな声を出すなんて、夜ごとの妄想の中でも想像しなかった。それに、よっぽどお互い慣れていないと行為で女性を乱れさせるなんて無理だと本で書いていたのに。
「まー、るっ♡ それ、おおきな声、出るから、だめ……っ♡ あぁぁぁぁぁっ♡ だめっていってるのにぃぃぃっ♡」
しかし、死に際の幻影とかでなければ、リタが滑らかな肌にぐっしょりと汗を浮かべて、自分の胸に顔を押しつけ、聞いたことのないような声を上げて喘いでいるのは確かだった。幾らミューズの情動が人工的といっても、とても演技とは思えない過激な反応……人間より神経系を増強されているミューズは、そういう行為に敏感なのかも知れない。
リタが迫り上がるように体をよじって、「ひぅぅっ!♡」と喉を鳴らす。胸板をくすぐる感触。みじろぎした拍子に胸板に乳房の先端が擦れた感じだった。
聞いてみる、ことにする。
「リタ、今の声はどんな?」
「~~~~~っ♡」
「初めてだから、リタを痛くしてないかとか、つまらないんじゃないかとか、演技されてるのかなとか、不安なんだ」
「っ、それは、揶揄ですか、マール……っ」
また、聞いたことのない音色の声。暗くて顔が見えないのが残念でならなかった。
「その、本当に不安で。あと、リタが良くなることだったら同じことしてあげたいし……」
「……臀部を指圧された状態で、乳頭が、あなたの体に擦れてっ……刺激が強くて……」
「気持ち良くなってくれた……んだ?」
「そうです、けれど……強すぎるから、あまり……んぅぅぅぅっ!!♡」
お尻を愛撫しながら、体をくねらせて胸と胸を擦り合わせるようにしてみる……濡れた悲鳴を口付けで啜る。ぐねぐね、うねうねと体の上でリタがのたうち回る感触が心地いい。勃起した性器はリタの足の間にはまり込むみたいになっていて、太腿とか、中心の柔らかい部分に擦れて、ぞくぞくと疼いた。
きっとこれは幾つかある手順の一つだとマールは思った。スイッチを入れるみたいに、リタのお尻をあるやり方で揉み上げてから他のところに触れると、リタはよく反応した。胸を擦り合わせたり、片手でお尻を揉みながらもう片方の手で髪を撫でたり、キスをしたり、首や肩を舐めてみたり……
色々試しているうちにリタの体はどんどんマールの上を這い上がって、リタの胸をマールの顔に押しつけるみたいにしがみついて、浮かせたお尻を上下に揺さぶっているみたいになった。顔に幸せな感触が触れる。リタの制止の声は最早なくて、夢中でお尻をぐにぐに揉みしだきながら乳房の柔肉を啄み、先端の蕾を唇に捉えて、舌の腹でその弾力を確かめ……「はひっ♡ ひっ♡ ひぃぃぃっ♡」怜悧なリタの声は完全に裏返って、掠れて、やがてお尻を大きく突き上げたまま、全身を強ばらせて震えた。「っ♡ っ♡ ~~~っっ♡♡」ぼたぼたぼたっ、と腹の上に熱い液体が滴る。女性器の分泌液なのか失禁なのか、マールには区別がつかない。ただ、あのリタが理性も知性もなく肉体の感覚に翻弄されていることだけはよく分かった。
不随意な熱い抱擁に包まれて、少し苦しくて、とても心地良い感触を味わい……永遠みたいに長いその時間が終わると、やっと弛緩したリタは汗まみれの体でぐったりと突っ伏した。マールの肩へ細い顎を乗せて、耳に荒い吐息を吹き付けてくる。背中を撫でて宥めると、汗で肌にへばりついたほつれ髪の感触があって、それがくすぐったいのか、リタは「んっ♡」とまた艶声を漏らして震えた。
「はぁっ♡ はぁっ♡ はぁっ♡ まー、るっ♡ しげきっ♡ つよいって♡ 言った♡ のにっ♡」
「えと……ごめん……リタがこんな風になるなんて、あんまり、可愛くて……」
「ばか……っ♡」
「……今のは、気持ちよくなった?」
「はあっ♡ はぁっ♡ ん、くっ♡ ……ふぅっ♡ ふぅ♡……断言、できませんが、ふぅ、はぁ、恐らく、そう……です」
「恐らく……って?」
「性的感覚を、はぁっ、覚えたのがっ、初めて、なので、同定できる、ふっ、過去の、経験が……けほっ」
闇の中で紫の瞳が静かに睨んでいる。そんな気配がする。
辱めるような質問を詫びて頬へ口付けすると、リタも口付けを返してくる。
そして息を整えるのもそこそこに、もぞもぞと体を動かして、お尻を持ち上げた。
立ちっぱなしの雄に、汗ばんだ肌がぬると擦れる。
「マール、男性器を、私の性器に……」
「リタ、ごめん、やりすぎて……きつそうだし、少し休んでから……」
「時間が惜しい、です……」
彼女は大きく広げた足の間に男性器を擦り当ててきて、反射的に腰が跳ねて、粘膜と粘膜が擦れ合う。お互い、声が弾む。
「ぁっ♡ ふぅ♡ きちんと、最後まであなたを感じたいの……っ」
死ぬ前に。
今こうしている次の瞬間にも、人間狩りのトルーパー級によって肉塊にされてもおかしくない状況だということを、リタは一時も忘れてはいなくて、彼女らしからぬ性急さが滲んでいた。
「わかった。しよう。えっと……」
「上に向けて手で支えてみてください。私が、上から……」
闇の中の手探りでそれをするのは難しくて、何度もぬるりと滑ったり、外れたりして、ようやく上手く嵌まり込んだ時にはおかしな達成感があった。
「は、ぁ……♡ マール……熱い、です」
「う、ん……」
「傷に障りますから、マールは動かないで……私が……」
リタの中は熱く濡れていて、狭く、リタが腰を落とす時にちょっと抵抗を感じた。血が出ることもあると聞いていたから、見えない中でどうなっているか心配だったけれども、彼女は「痛みは少しありますが、支障はありません」と言って、ゆっくりと腰を揺らし始めた。ぬるぬるとした未知の刺激。彼女の内臓を押し上げるような感じが先端にかかる。
リタはなりふり構わず被っていたツェルトを押しやって、マールの上で体を起こした。薄明かりが差し、薄赤く上気した彼女の白肌が見える。細い腰を軽く浮かせて、ゆらゆらと前後に揺さぶっている。淡く、微笑んでいる。
(ああ、綺麗だ)
そう思った途端、下腹から一気に迫り上がってくる感触があって、マールは慌てて、
「っ、リタ、待って……」
「射精ですか? マール、どうかいつでも……♡」
「ちょっ、あっ、うあ……っ!」
腰が跳ねる。わけも分からず迎えた精通の時以来の、内臓が引きずり出されるような衝撃を感じて、リタの華奢なお腹に精を吹き出していく。何度も腰をしゃくりあげて、そのたび、リタが中を引き締め、絞るように腰を揺らす。信じられないくらいの快楽と、恍惚。
「うあ、あぁぁ……はぁ……あ……ああ……」
「はぁ、ふぅ……♡」
射精の痙攣が終わると、ツェルトを被り直したリタがしなだれかかってくる。また暗闇。震える吐息で口付けを交わす。
リタは満ち足りた様子ではあったけれども、マールは幾らか情けない気分だった。
「リタ、その、ごめん」
「人間とミューズの行為なので妊娠の心配はありません。衛生的には確かに避妊具の着用が望ましいですが」
「いや、そうじゃなく……終わるの早くて」
「平均的な行為時間は存じ上げませんが、性器への挿入まで刺激を重ねていましたから、特段短いということはないのでは」
「まあ、そうかも……」
「私は、あなたが私の体で性的快感を得ていただいたことが嬉しいです」
「そういう……君を道具扱いするみたいなのはちょっと嫌だ」
「マールだって同じようなことしたのに……待ってって言ったのに、何度も」
「それは……そう、だ。ごめん」
「嬉しかった? でしょう?」
「……僕も素直に言えば、うん、すごく嬉しかった」
「じゃあ、いいじゃない」
悪戯げな囁き。どきりとする。誤魔化すように彼女を抱きしめ直すと、彼女の中に嵌まったままの男性器がぬるりと舐め上げられ、彼女の奥を押し上げる。「んぅっ♡」リタの息が甘く弾む。あれだけ射精したのに、立ったままだ。
「ああ……♡ マール、また、良いですか……?」
「大丈夫?」
「ええ……平気、です……それより、もっと……ください……♡」
蠱惑的な囁きとともに、彼女の体が揺れ始める。さっきよりゆったりとした蠢き。夢見るように蕩けた声がさざめく。
「ああ、リタ、可愛い……君がこんな風になるなんて……」
「あは……♡ なんだか、すごく、思考が楽なんです……今……こうしている間に敵が近付いて、あなたが死んでしまうかもって思うと、怖いのに、怖くない……あなたを守らなければいけないのに、敵地でこんな、不適切な行為をしてしまっている……」
「リタ……」
「覚えていますか、ミューズの、"上位の脳"の例え話」
「うん」
「きっと、私の"上位の脳"は生還の可能性が低いのを分かっていて、最後だから好きにしろって、これまでに繰り返し発露して頭に焼き付いてしまった情動をなぞって脳の処理負荷を減らしたり、好ましい肉体刺激を味わったりして苦痛なく死ぬようにって、そう意図してるんだと思います」
「そんなに頭に焼き付くくらい、僕のこと好きになってくれてたのか、リタ」
「弁解をさせていただければ、稼働二年目からずっとユニットを組んで行動していた上、交際の申し込みまでいただきました」
「改めてありがとう。嬉しい」
「あなたがそう言ってくださるなら、私こそ嬉しいのです。マール。……しかし、これはミューズの兵士としては劣化と言えます。戦場で高負荷な運用をする上での耐久限界かも知れません。私という個体の耐久性が劣っているのかも知れませんが……生還できたらレポートにまとめたいので、手伝ってください」
「それは……君との交際経緯とか全部書かなきゃいけない上に、事例としてファイルされて閲覧されるんだろ? 流石に嫌だなあ……」
肌を絡め合って、体を揺さぶって、粘っこい水音をさせながらの語らいにはそぐわない、おかしな会話だ。
それがいつもの自分達のようで、けれど決定的にどこかが違った。
自然と笑いが漏れる。
そうやってゆるゆると抱き合ううちに、物足りなくなってきて。
……マールは彼女の腰に手を滑らせ、お尻を捕まえた。
「ぁ♡」
リタは下肢を揺らしたまま、ぎゅっとしがみついてくる。
「さっきの、やるから」
「……っ♡ 壊れ、て、しまいます……あたまが……っ♡」
「やめる?」
「いいえ……して、ください……壊して……っ♡」
リタの言うところの"耐久限界に達して劣化した"頭を差し出すように、おでこを擦り付けてきて。
マールがさっきから何度も繰り返して覚えた通り、リタの小さなお尻の、その柔い肉に指を突き立てると、「お゛っ♡」という、想像したこともない濁った声が、彼女の細い喉から絞り出された。ぎゅーっ、と胎内が痙攣して、男性器が絞り上げられる。思わず腰を浮き上がらせると、行き止まりの近くの襞をずるりと擦り上げてしまう。ひっ、と引き攣れたようにリタが息を呑んだ。そして、
「~~~~~~~~~~~っっ!!!♡♡」
甘い絶叫。そのリタの唇をキスで塞ぎ、震える吐息を啜り上げる。
リタの下肢はその間も忠実に揺れ動き、男性器をしゃぶり続けていて、ずりっ、ずりっ、とリタに刺激を与えるらしいところを自ら擦り付けてしまっている。また、下腹に熱い雫が散る。
静謐だった紫色の瞳がどろどろに潤み、濡れて、蕩けている。
リタの目が微笑む。
壊れた彼女は、幸せそうだった。
★
マール・ボールドウィン竜士がたまに思うのは、これが死に際に見る夢なんじゃないかということ。
いつもの喫茶店で、いつものようにリタ・ブラッドベリ竜士と待ち合わせ。
前と違うのは対面ではなく横並びで座るようになったことと、リタが肩を寄せてひっついてくることだった。
「……味方僚騎のKIAが確実と判断すればミューズの兵士は情動を切り替え……僚騎への感情を判断基準から遮断します。そして部隊全体の生存率が高い行動を模索し、また、それに相応しい情動を発露します。私の場合、恐らくその際は周囲に冷静な判断を促すために、機械的な振る舞いを強調した態度となるでしょう。――ですが自身の介入で救出可能と判断すれば、エーテルチャンバー稼働のため、むしろ危機にある僚騎への執着を発露するはずです。ここで考慮するべきはそのミューズ兵士の技量や装備、およびそれらに対する自己認識です。極論としていかなる危機からでも僚騎を救出しうる能力があれば、私は僚騎への感情を遮断する必要はありません。むしろ社会性確保のため、関係の一貫性を維持するために、無闇に情動をスイッチすることは避けるでしょう。……従って私も自身の技量や乗騎の強化を重ね、それを強く認識することで、僚騎への感情の一貫性を保つことができます」
リタの長ったらしい論説は、彼女なりの恋人同士の語らいだ。要は「頑張って強くなり、あなたを守ります。決してあなたを見捨てることはしません」というだだ甘なことを囁いてくれている。
顔も声も平静だけれど、彼女の右手はマールの左手をしっかり掴んで離さない。
なので焼き菓子はマールの手でリタの口に運んでやる必要があった。
嗜好品の類はピンと来ない彼女だが、マールにそうされるのは好きらしい。
短いようで永かった、いまだに何故生還できたのか信じられないサバイバル生活の中、リタの肩を借りて歩きながら活動食を摂る折りにそうやっていたのが、どうしてか気に入ったようだった。
そうしている間はマールは銃を持てないので、安心するのかも知れない。
「うん。僕も、どんな状況でも僚騎を守り抜けるように訓練するよ。新しいゼファーも」
「……。はい」
「特にリタのことは絶対に」
「嬉しいです。ですがまずはマール自身を守ることを優先してください」
「分かってる」
「私より先に死ぬのは駄目です」
「それは……僕だって同じ気持ちだけどな」
「ダメ。先に死ぬのは私」
「分かった。絶対に君より先には死なない」
「うん」
リタは天剣士だ。その役目は小隊で真っ先に危険を引き受けること。
彼女は恐怖を知り、切り離す。だから自分への攻撃はいつも紙一重で身をかわせる。
一番先に死ぬのは自分だと言われることで安心する。
多分、実際にそういう場面になったら自分は約束を破るだろうと思いながら、マールは彼女を慰める。
「それではマール。そろそろ休憩はよろしいでしょう。レポート作成の続きに入りましょう」
「……このレポート、本当に提出するの?」
「私はDAFの兵士であり、機材です。今後のミューズ運用のため、姉妹達のために事例は共有する義務があります。ご心配なく。経緯の細部は私が記憶していますので、マールは所見の記述だけ手伝っていただければ」
「分かった、分かったよ」
右腕をしっかりとマールに絡めたまま、左手で器用に筆を執るリタは……顔には出ていないが楽しそうだったので、マールは止めるのを諦めた。
そして提出先でどうにか差し止める根回しを考えながら、リタがマールとの出会いから関係の推移を詳細に綴っていくのを、横で見守っていた。