何かが起こるというのは、突然の事ではない。何日も何週間も前から周到に準備され、企まれているものなのだ。
思えば冬の風が吹き始めた頃から、それは始まっていたのかもしれない。
運には恵まれていないはずの母さんが当てた旅行のペアチケット、突然敬老会での旅行が決まったじいちゃん。どちらの日程も年末年始挟んでほぼ同じ、一週間近くという作意めいた偶然。俺と言えばバド部恒例のスキー旅行が何故か話自体たち消えて、なんの予定もない冬休みが確定。大人が全員いない年越し、という今までにない展開だ。
極めつけは冬樹さんからの、突然の電話。厳冬のせいで帰国の便が飛ばなくなって帰省が出来なくなった、その間猪股さんに千夏の面倒をお願いしたい。予定通りなら去年と同じく長野で過ごす筈だったがそうもいかなくなり、しかし年末年始の忙しい次期に独りにしておくのも気がかりだ。独り暮らしの大学生相手にこんな心配をするなんて親馬鹿と思うかもしれないが、そちらの家にいてもらった方が私としても気が楽だ、なんて。
「あー……はい、それは構わないんですがお義父さん」
今この家「猪股さん」は俺しかいないけど良いんですか、なんて続けようとした矢先『だからお義父さんって言うな、それはまだ早い』の言葉を残して通話は終了してしまう。
全く、なんて忙しないのか。
――と。
「あぁ大喜くん、お父さん何だって?」
狙い済ましたようにというか明らかに狙ったタイミングでかけられる声。振り返るまでもなく、その主は分かっている。
「謀りましたね、千夏先輩」
そもそも何で今ここにいるのか、だ。同居が終わってもうだいぶ経つし、遊びに来ると聞いた記憶もない。来てくれるのは嬉しいけど、このタイミングだ。なにしろ玄関が開く音がした直後に冬樹さんからの通話が始まった辺り、秒単位で仕込んでるでしょ貴女。
「なんのことかなぁ知らないなぁ。……ちなみに蝶野さんは年明けまで晴人くんとお泊まり旅行、菖蒲ちゃんと花恋は各々の彼氏連れて実家に帰省するんだよ」
ニヘニヘ笑うその顔は、憎らしいほどに可愛い。やはり邪魔が入らないように細工はしてあるという訳だ、どうやったのかは知らないし知りたくもないけどさ。
この人は無理を通して道理を蹴っ飛ばし生きてきた人だ、強引にマイウェイを極めている。
「少なくとも今日から三ヶ日明けるまでは二人きりだよ」
いやまあ、それは光栄なんですけどね。
確かに最近、二人でいる時間が無かったのは事実だ。バドを引退した俺は進路のことで忙しくて、先輩は先輩でバイトに講義に大車輪で駆け回っていた。お互いやるべき事を蔑ろにして遊び呆けられるようなタイプではないと言うか、手抜きすると破綻する不器用な人間。野球で例えると常に全力投球しなければキャッチャーまで届かない欠陥ピッチャー、頑張らないと生きていけないのだから。
漸く身体が空いたこの年末年始、まったりと寄り添って過ごせるならそれは理想的な年越しだろう。
思えば一緒に年を越すのは、これが初めてか。毎年千夏先輩は、両親とお祖父さんの所にいたし。
そして次の年越し時期、千夏先輩は海の向こうだ。夢を追い掛け歩んでいくのを、俺の感情で引き留める訳にはいかない。
一年間、離れて暮らすんだな。一緒に住んだのは二年間、ごく近所にいるとは言え少し寂しかったのがこの一年。今度はもっと離れてしまう、その前に想い出を残したいのは俺も同じだ。
千夏先輩は俺とこうして過ごす為に、尽力してくれた。色々言いたいこともあるけど、それはもう置いておこう。
「はい、じゃ――よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ」
向かい合い改まって声を交わし、俺たちは。数日ぶりのキスをして、抱き締めあう。
今さら大掃除しても汚れるだけだし、お節だのなんだのを作るのも間に合わない。どうせ二人だけの年越しだ、その辺は別に良いだろう。
でも買い置きの食料は乏しいし細々といるものもあるだろうから、買い出しは必要か。
「千夏先輩、俺買い物行ってきますけど何かあります?」
「ん、いや一緒に行こうよ。もう並んで歩いてても問題ないでしょ、カップルだぞ」
そうか、そう言えば。同居している間はそれを隠さないといけないから、登下校の時間までずらしてた。バーベキューした時二人で買い物行ったのだって、夜だから大丈夫だろうという事で漸くだったな。そして先輩が家を出てからは、色々すれ違っててあんまり連れだって出歩く事が出来無かった。
今ならそういう気遣いは不要だ、だって先輩の言う通り、カップルなんだから。人目を憚る事もない、堂々としてても構うまい。
手を繋いで歩きだした道は、雪が舞っているのに何処か暖かい。
「さすがに正月
「ですね、二人ですし」
何気無い会話を交わす瞬間が、やはりいとおしい。こんな日がずっと続いてくれたら、とさえ思う。あの頃は想像も出来なかったな、こんなのは。
千夏先輩が最初に猪股家に来てから、もうじき三年くらい。二年間同じ屋根の下で過ごし、その合間に付き合いだして。春になって卒業した先輩が一人暮らしを始めて、こうして今は一緒にいる。
順風満帆だった、なんてとても言えない。精神的にブン回されてばかりだし、滑った転んだと大騒ぎ。
それでも俺は、――楽しいし幸福だ。千夏先輩にもそう思ってて欲しい、いつか気持ちが離れる日が来たとしてもその時は笑顔でいてほしい。
千夏先輩が一年たって帰ってきたら、もう一度ちゃんとプロポーズするかな。指輪もまた用意しよう、今度はちゃんとしたヤツをバイトして買うんだ。
どんな顔することやら、今から楽しみだ。
そんな風にふわふわとした気持ちで夜を迎え、久しぶりに猪股家で過ごす千夏先輩を見守る微笑ましい時間は過ぎていく。
一昨年の誕生日の時みたく二人きり、なんとなく気まずい沈黙を経てお互いお風呂も浴びて、後は年越しを控えてまったりとした時間が流れていた――筈だったのに。
除夜の鐘は煩悩を祓う為の物なんだけど、まさかそれをBGMにして押し倒されるとは思わなかった。多分鐘の方もビックリだろうな、うん。
「あの……千夏先輩、一応言いますけど正気ですか」
「そんな面倒なもの持ってた覚えないなぁ」
夏の終わり、あの夜見た妖しい笑みがそこにある。いやあの日よりも眼光は鋭くそして――そして噎せ返る程酒臭い。
「千夏先輩、呑んでますね」
「年末なんだよ大喜くん、そりゃ憂さ晴らしに一合や二号呑むでしょう」
なんだろうその理屈は、いやまあそれはそれとして。がっしりと押さえ込まれた身体は全く動かせもしない、どうしよう。
八月の末、千夏先輩の誕生日を迎える夜。確かにそういうことはしたけれど、済ませたけれど。
あれは大変だったなぁ、うん。どうやればいいか二人とも分からないって言うか何処までしていいのか分からないから文字通り手探りで、なんとかかんとか本懐を遂げた時には夜が明けそうになっていたっけ。陸惚れ三年本惚れ三月思い遂げたは三分間、って都々逸もあったな確か。いやまあ本惚れだけで年単位ですけどね俺。
「正直ですね、私は大喜くんとしたいんですよずっと。ただね、スゴい恥ずいのよね。だから勢いつけようとして一杯引っ掛けたら止まんなくなってさぁー」
そうやって分析できる辺りミリほども酔っていない気もするけれど、千夏先輩は酒のせいにして俺へと跨がってくる。この人根がポンコツなんだよなぁ。
――と。俺は重なってくる千夏先輩に、小さな違和感を覚える。あまりにも、動作が急ぎすぎていると。
「あの、まだ何も着けて」
ないです、と言おうとした口はでも先輩の唇に塞がれてしまう。
粘膜をなぶり歯列をなぞる舌の動きに頭が弛緩し、言葉は喉の奥へと引っ込んでいく。それを察したのだろう、千夏先輩は口を離して小さく呟いた。
「構わないでしょ。ずっと一緒にいてくれるんだよ、ね」
ああ、もう。全くこの人は、どうしてこうも。俺が言う前に、全部言ってしまうんだ。
返事を待たないまま、あるいはもう粘膜越しに伝わったのか、千夏先輩は微笑んだまま腰を沈めていく。
ずにゅりと呑み込まれていく俺に伝わる甘い圧迫間、灼熱の体温。不味いと思いながらも、身体はこれを受け入れてしまっている。
そして、とすんと千夏先輩が着地した、次の瞬間。圧倒的な速度で、脊椎を快感が駆け抜けた。
「あ、あー……っ」
口にした呻きは、どっちのものかそれとも両方か。なんにせよ尿道を押し拡げて押し寄せる拍動は、もう止まらない。
何かを考える余裕さえ、奪われていく。
「ふー……う、ぁ。そっか、こんな風なんだねぇ」
脱力する俺にキスしながら、先輩は優しく微笑んで腰を浮かし――
「ぃ……よっと」
再び俺の上へと、落ちてきた。え、あれ。終わるんじゃないのか、これは。
先輩の肢体はロデオのように跳ね、俺は目を白黒させて混乱するばかり。そりゃ連続でする人もいるとは聞くけど、前の時は一回で止めたじゃないですか。
その思考もまた、粘膜から筒抜けになっていたようだ。
「私ね、もっともっとしたいんだよ。今まで我慢した分、倒れるくらいまでね」
そうか、そう言えばこの人はいつだって納得いくまで止まらない人だった。いつだって道の無い所を突き進む暴走機関車だ、そういう人だ。
なら、俺のすることは一つ。
何処までも付き合います、俺は貴女が好きだから。
上体をなんとか起こしてキスを交わし、理性のスイッチを力尽くでオフにして。俺も千夏先輩のように、心のままに。
民宿の時とは違って後先考えず、獣のように声を上げて。
ただただ、長い夜は更けていった――。
どれくらいの時間が過ぎたのか、俺たちは疲れはててベッドに横たわっている。全身汗と色んな体液にまみれ、シーツどころかマットレスも不味いかもしれない。それを気にするほどの余裕は、やっぱりないが。
ぼんやりとした視界に時計を捉えた、それはきっと千夏先輩と同時の事。
「いやー……年越したねぇ、いつの間にか」
「とっくに越してますね、て言うか除夜の鐘聞きながら始めましたし」
時刻は既に元日の丑三つ時を越えていて、俺たちはあられもない姿のまま『新年明けまして』『おめでとうございます』と頭を下げあう。なんだろう、これは。
一気に関係が深まったと言うか、取り返しがつかなくなったと言うか。あの時とは状況が違う、遮るものの無いままに。
まあ――良いか。千夏先輩と二人なら、必ず上手くいく。真っ直ぐ前だけ見て進めば、迷子になったって迷った気はしないものだ。
さしあたって考えるべきは、このあとだな。
「初詣、どうします?」
「今ちょっと歩けそうにないかな、外寒いだろうし。まあ一眠りしてから考えようよ、せっかくのお正月だしあくせくしなくても良いじゃない」
コロンとベッドに横たわる千夏先輩、その隣で俺も寝転がる。……疲れた、な。
まだまだ二人だけの時間は続く、先輩の言う通り急ぐことはない。
とりあえずはもう少し、こうしていよう。
……なんて思ったんだけど、な。
早起きの習慣がある俺たちにしても、こうも疲れていては回復が間に合わなかったようだ。再び目を開けた時には既に元旦が終わるどころかもう日は落ちかけ、スマホには新年を祝ってか着信やら何やらの通知が溢れている。
ぬう、どうしよう。そもそも俺が千夏先輩と二人きりなのは誰も知らない訳で、不用意な事を言っては不味いか。
とりあえず型通りの挨拶だけ返してると、ふと気が付いた。千夏先輩、どこ行ったんだろう。隣に脱け殻みたくなった布団があるから、俺が起きる直前まではいたんだろうけど。て言うか猫かあんたは。
コロリと転がりながら、ふと思う。こうして同じベッドで寝たのは、考えてみれば初めてではない。まああの時は千夏先輩、すぐ寝ちゃったけど。心配かけてたな、あの頃の俺。母さんは入院するしバドでも苦戦するしで、磨り減ってばかりだった。
もし千夏先輩がいなかったら、俺はどうなっていただろう。
晴人に負けることを世代交代として受け入れ、遊佐くんと決着を付ける機会もなくラケットを置いていたかもしれない。
考えればゾッとするけど、それはあり得た未来だ。
そうならなくて良かった、心から思う。
安堵したお陰で少し感覚が緩んだか、俺は階下からの足音に気づく。千夏先輩、なにやってんだろうなと思う暇もなく――。
「大喜くん、そろそろ起きて。お風呂入るよー」
……とんでもない台詞が耳に入ってきた。
「いやー朝湯朝酒はお正月くらいしか出来ないよねえ大喜くんや」
酒はもう止めましょうさすがに、あともう朝じゃないですと言いつつも残念ながら先輩を食い止められないまま、現在俺たちは揃ってお風呂タイムだ。既に風呂場はだいぶ酒臭い。皆が帰ってきたときに臭いが残ってると不味いんだけど、ちゃんと消えるかなこれ。
しかしまあ、酒のせいか気分が高揚してるのは確かではある。
それに――それに。その勢いあっての事だろう、お互い煌々と灯りに照らされる下で裸体のままいられるのは。
「ふいー……こういうのも悪くないねぇ」
「ですねぇ」
赤い顔してぱしゃりとお湯を跳ね上げる千夏先輩、それを浴びながらも俺は呑気に応えるばかり。
これもまた、楽しい時間だ。
皆が帰ってくるまでまだまだ間がある、もっともっと楽しもう。
俺たちはきっと、一生こんな風にいられるだろうから。
リハビリちう……