海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
ウォールヘルヌスでシュテーダルを破壊した後、昏睡状態に陥ったナナリー・ヘルはマイティア王子ら人魚たちによって海の国へ運ばれた。
ドーラン国王は彼女が目覚めるまで責任をもって王宮で保護すると伝えたが、マイティア王子が譲らなかったため、親族の希望を優先したのである。
火の始祖の墓の発掘調査に行っていたヘル夫妻は急ぎドーランに帰国し、シュゼルク城に招かれてウォールヘルヌスで何が起きたのかすべて知ることとなる。
マイティア王子がナナリーを保護しているという説明を聞いて何ともいえない顔をしていたヘル夫妻だったが、ドーラン国王の使いという名目で海の国へ向かうことを了承する。
ゼノン王子は騎士団を各地に派遣し、ウォールヘルヌスの混乱から国民の平穏を取り戻すべく尽力した。また、海の国と同盟を結び、友好関係を維持するためにセレイナ王国にドーラン大使を常駐させるよう提案し、国王と議会によって承認される。
ヘル夫妻がドーランを発ってから半月後、一頭のマヴロ・リュンクスがセレイナへ向けて王の島を飛び立った。黒い山猫の背に乗るのは一つに結んだ金色の長髪をなびかせるアルウェス・ロックマン。
ドーラン国王夫妻、ゼノン王子、ロックマン公爵夫妻は、黒い影が点となってドーランの空に溶けて消えるまでシュゼルク城の窓から見送っていたという。
*
「ハウニョク、お願いがあるの」
私は大魚のハウニョクを見つけて声をかけた。
「何でしょう? ナナリー様」
「私をセレイナの浜まで連れて行ってくれない?」
「セレイナでございますか? ……マイティア王子が反対されると思いますが」
「わかってるわよ。だからこっそりお願い!」
ハウニョクを拝むように両手を合わせて頭を下げる。他人(魚)に迷惑をかけるのは不本意なのだが、これしか方法が思いつかない。
シュテーダルと戦って魔力を使い果たし、目が覚めたら海の国にいた。
マイティア王子から、無事シュテーダルを破壊して凍った世界はすべて元に戻ったと聞いてほっとしたものの、遠くないうちにマイティア王子の姉、すなわち私の母もやってくるだろうからこの先はずっと海の国で暮らせと言われてしまった。
せっかく世界に平和が戻ったのになぜ海の国で暮らさなければならないのか。ハーレの仕事も色々任されてきたところだというのに!
マイティア王子は悪い人(魚)ではないんだろうけど、人間になった姉への執着が強すぎる。
何も言わずに突然人間の男と駆け落ちしてしまったのはショックだったろうし、同情もしているが、私という姪が見つかって姉(私の母)の所在もはっきりしたのだからもう少し冷静になってほしい。
海の国はそれはそれは広い。
閉じ込められているわけではないので私は毎日海の中を散策している。しかし、広すぎてまだ宮殿から出ることすらできていない。
私は泳ぎが得意ではないし、海の国の魔法も使えない。宮殿の侍女の人魚に泳ぎを教わろうとしたこともあるけれど、そもそも体の構造が違う。彼女たちも人間の私にどう教えたらいいのかわからず困惑してしまい、結局断念した。
仕方がないので人間の知り合いの中で一番泳ぎが上手かった人──アルウェス・ロックマンの動きを思い出しながら日々泳ぎを練習している。
まったく、何が悲しくて海の底に来てまでロックマンの姿を頭の中で反芻しなければならないのか!
「もう陸に上がっても大丈夫なのですか? 海の国に来るまでずっと昏睡状態だったのでしょう?」
「陸と海では時間の流れが違うもの。もう大丈夫よ」
そう、私は精霊の魔力がすっからかんになり、髪も瞳も焦げ茶色に戻って、回復の為にずっと眠り続けていたのだ。
海の国は魔法の理が違うため眠り続けるということはなく、ほどなく目が覚めたのだが、髪と瞳の色は焦げ茶のままである。
精霊の魔力が回復すれば髪の色も戻ると海王様──おじい様がおっしゃっていたが、それがいつになるかはっきりとはわからない。
母は氷の始祖の力で人間となったけれども、その本質は人魚のままらしい。つまり人魚の血は私にも受け継がれており、練習すれば海の魔法も使えるという。しかし、残念ながら今のところ成功していない。
大陸の人間は精霊の魔力を失えば死んでしまう。でも私は生きている。魔力が完全には戻ってなくとも、髪と瞳の色が変わる前、セーメイオンの呪文を唱える前も魔法は使っていたのだから大丈夫だと思う。
「今すぐ陸に戻ろうと考えてるわけじゃないのよ。あっちの様子が気になるし、私の魔力がどれだけ戻ったか確認したいだけよ」
ついでにどのルートを使えば宮殿から出て海の上に行けるのかも調べたい。
「お願いします、ハウニョク」
「そうですね……少しお時間をいただけますか? わたしの一存では決められませんので」
「……叔父様に言うの?」
「いえ、海王様に相談いたします」
「おじい様に?」
「近いうちにネフェルティア様が海の国に里帰りされると海王様から聞いております。わたしがネフェルティア様をセレイナからお連れする役目を拝命しました」
「お母さんとお父さんが!?」
父と母に会えるのはとても嬉しい。
とくに母は考古学の仕事が忙しく、就職してからはあまり会えていなかった。最後に会ったのはウォールヘルヌスの数か月前だ。
「ネフェルティア様ならマイティア王子を説得することもできるでしょう」
「そうだね。お母さんたちが帰ってきてからにする」
両親が海の国に来るときいてすごく気が楽になった。やはり心細かったんだと思う。
せっかくなので海の魔法のひとつでも覚えて驚かせてやろうと思い立ち、ハウニョクと一緒に宮殿の奥へ向かった。
*
海の中をぐんぐんと上昇していたハウニョクが水平に泳ぎ始める。浜に到着する前に、海面へ向けて少し口を開けてもらうと、どっと押し寄せる海水とともに眩しい太陽の日差しが降り注いだ。
水面をあまねく照らす太陽の光に灼かれて咄嗟に目を瞑る。目蓋の裏に感じる光に十分慣れてから恐る恐る目を開けた。ハウニョクの口からひょこっと顔を海上に出す。
「うわー!」
久しぶりに見る空は、なんて明るく輝いているのだろう!
「ハウニョク、ありがとう」
私がハウニョクの口の中に戻ると、ハウニョクは口を閉じて高速で進んでいく。
あれから数日後、両親は海の国に帰って来た。
二十年ぶりに会った姉に叔父様は号泣し、おじい様もとても嬉しそうに笑っていらした。母と駆け落ちした父は初めて会う舅にガチガチに緊張しており、おじい様に下げた頭をなかなか上げることができなかった。
家族の団欒の後、おじい様と両親だけで話がしたいというので私は席を外したが、叔父様は自分も同席するといってきかず、おじい様に部屋から締め出されていた。叔父様は話が終わるまで部屋の前でずっと待っていたらしい。
私も母や父とたくさん話をした。母と氷の始祖の友情、海の国を出奔してからの陸での生活、私の体内に氷の始祖が宿っていること、シュテーダルのこと、他の始祖の墓の調査からわかったこと、私がシュテーダルを破壊した後のドーランのこと。
人魚時代の母の話もたくさん聞いた。
何日にもわたって歓迎の宴が開かれて、美味しい料理やお酒に舌鼓を打ち、人魚のお姉さんたちの踊りや歌は美しく、それはそれは楽しかった。
そして今日、連日の宴が終わり、おじい様や両親の話もひと段落ついたので、母に叔父様を説得してもらってハウニョクと陸までやって来たのだ。
海面に近いあたりをするするとハウニョクは進み、人気のない岩陰で私を降ろしてくれる。
「日が落ちる前にお迎えに参ります」
「ここで待っていればいいの?」
「こちらをお持ちください」
ハウニョクが一度口を閉じて再びパカッと口を開けた。そこにはつるりと丸くて青い球が鎮座している。
「こちらは王族のみ使用が許された宝玉です。陸の者には見えませんが、ナナリー様が身に着けていらっしゃれば宝玉が光りますので、どこにいても見つけられます」
「へえ~」
宝玉を手に取ってみると、青かった球が明るく輝く始めた。
「私の目にも光は見えるんだ……」
「当然です。あまり海岸から離れてしまうと感知が難しくなりますので、夕暮れまでに浜に戻りください」
「わかった。ありがとう、ハウニョク」
宝玉を下衣のポケットに入れ、海の中へ潜っていくハウニョクを見送る。
浜を歩き始めると髪先から滴がぽたぽたと垂れていく。髪をまとめて手で絞る。セレイナの太陽はギラギラと熱く、濡れた体は布で拭かなくても自然乾燥しそうだ。
まずは新聞でも買って読もうかとお店が並ぶ通りを目指して歩く。セレイナのお金はお母さんが持たせてくれた。
岩陰を抜けて、大きな葉っぱの茂る木がたくさん生えた場所に出る。日陰に入ると涼しい。
前方には白い砂浜が広がり、その先には屋台が並ぶ道路も見えてきた。
葉っぱの影から出て、照りつける太陽の下に素足を踏み出したとき。
くらり。
「……あれ?」
足がふらつく。頭がくらくらする。
砂に膝をつき、手をついて体を支える。
手が震え、腰に力が入らなくなり、私は砂浜に倒れ込んだ。
ふっと視界が暗くなって、いくらもたたないうちに目蓋の上から光を感じる。必死に目を開けようとしたが目蓋が重くてほとんど開かない。目の前がぼやけて白い光しか見えない。
……ハウニョクは見つけてくれるだろうか。
完全に目蓋が落ちた。波の音だけが私の意識を繋いでいる。
……どうやってハウニョクの口の中に入ればいいだろう? いっそ波にさらわれてしまえばハウニョクがみつけてくれるかも。
じりじりと日差しに焼かれながら意識が遠のいていく。
「…………ヘル!」
途切れ途切れの意識の中で、波の音に混じって馴染みのある声が聞こえた気がした。
海の国の魔法は詳しいことがよくわからないので想像で書いてます。
あまり深く突っ込まないでくださると助かります。