海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
久方ぶりのドーラン料理に心もお腹も満たされた私は午後の仕事をバリバリとこなした。
隣の資料室ではロックマンが王族・貴族宛ての断りの手紙をすべて書き終えて、私が内容を確認して封をした。封蠟をこれほど大量に捺したのは初めてである。
王族へ送る手紙は手続きが面倒なため、明日ロックマンがセレイナで手続きをしてくれることになっている。これまでは月に一度セレイナの外交部に代行してもらっていたけれど、今回は量が多いからロックマンが代行すると申し出てくれた。
認めるのは悔しいけれど、ずっと棚上げしていた問題を二日足らずで片付けてしまうロックマンの手腕は見事というしかない。
外交官をしているだけあって諸国間の煩雑な手続きに慣れているし、ドーラン王の甥であるロックマンは各国の王族についても詳しい。彼が子供の頃から培ってきた王族・貴族間の社交経験は平民育ちの私には決して得られないものだ。
ゼノン王子はこのような事態を想定してロックマンを補佐官に推薦してきたんだろうか?
ロックマンは明日発送する手紙をトランクに仕舞うと、資料室の床に無造作に置いてあった箱を魔法で持ち上げた。右手の人差し指一本で箱を支えているみたいにふわふわと浮かせている。
「この姿絵、全部燃やしていい?」
「え?」
「もう要らないでしょ? 身上書は各国の情報を追加してファイルにまとめておいたよ。僕が書いた手紙の控えと通信の記録も取ってあるから」
「でも、姿絵ってわざわざ絵師に依頼して描いてもらうのよね? 高価なんじゃないの?」
「高価なのは事実だけど、まさか縁談のために送られてきた絵を売るつもり? それとも鑑賞用に取っておくなんて言わないよね?」
「そんなことしないわよ。んん……でも、捨てちゃうのはやっぱり失礼よ」
「芸術的な価値はともかく、もう姿絵は時代遅れだよ。今年に入ってから簡易な念写の魔法が開発されて、あっという間に大陸中に広まってるから」
「そうなの!?」
海の国にいる間に大陸では魔法が進化していた。ぼやぼやしていられない。近いうちにセレイナに行って情報を集めよう。
「姿絵は実物より美化することもできるし、その人の内面も表現できる点が念写より優れていて──」
ロックマンがまだ喋っていたけど私はそれどころではなかった。
彼の言葉は耳を素通りし、頭の中は新しい魔法の話でいっぱいだ。どの魔導関連雑誌を買うか、セレイナ王都のどの本屋に行くか、予算はどれだけ必要か、高速で頭を回転させる。
「ねぇ、開発者の名前わかる? その魔法がどの本に載ってるか知ってる? 念写魔法の簡易化の他にもどんな魔法が開発されてるの?」
胸の前で拳を握って矢継ぎ早に質問を浴びせる。前のめり気味になった私にロックマンは目を丸くして軽く仰け反った。
「……僕が買ってる魔導雑誌のバックナンバーを貸してあげるよ」
「えっ? いや、でも悪いから、自分で探すわ」
「ちなみに、簡易の念写魔法を開発したのは僕だよ」
「んなっ!?」
なんだとぉ!?
驚愕にクワッと目を見開く。
ロックマンはニヤリと笑い、また負けたのかと地団太を踏んで悔しがっている私にぐいぃっと顔を近づけてきた。
「悔しい?」
「悔しいに決まってるでしょ!」
腹立ちまぎれにイィーッと歯をむき出してやった。ロックマンは口元を押さえてプッと吹き出し、「猛獣みたいだよ」と小馬鹿にした目付きで笑う。
「君が海の国でのんびりしていた間にも世界は進んでいる。頑張って追いついてね」
「望むところよ!」
「……で、この絵は燃やすよ?」
「あ、うん」
深く考えずに反射的に返事をした直後、姿絵の入った箱がボゥッ! と激しい炎に包まれた。
宙に浮かぶ丸い防御膜の中で姿絵は瞬く間に灰になる。
唖然とする私の目の前で、ロックマンは指をくるっと回す。防御膜はどんどん縮小していき、開いている窓に向けて彼が指を振ると、手の平に載るほどの小さな防御膜の球がふわふわと窓の外に出て行った。
指パッチンと同時に防御膜が弾け、パラパラと細かな黒い粒子が風に乗って流れて消えた。
「明日は少し遅くなるけど、ちゃんと来るから心配しないで待ってて」
ロックマンの腕が伸びてきて、ぽかんと口を開けたままの私の頬を指の背で撫でる。猫をあやすみたいに撫でられて、こそばゆくて目を細めた。
なんだろう、この甘酸っぱい感覚は。
何と答えればいいのだろう。ロックマンは約束を守るから心配などしていない、と正直に思ったことを言えばいいのか。
頬に触れる大きな手に目をやって、次にその持ち主へ視線を移し、眼鏡の奥の赤い眼差しにぶつかって絡めとられて捕われる。
赤い瞳から目が離せず、下顎が小刻みに動くだけで声が出ない。
「………………待ってる」
からからに渇いた喉から絞り出したのはこんな言葉で。言ってしまってから恥ずかしくなって頬が赤く染まっていく。
ロックマンの目が優しく弧を描いた。口元が綻んで、形のいい唇から甘い笑みが
ドキン、と私の鼓動が大きく鳴った。
*
その夜、私は珊瑚島にある大きなお風呂に浸かって星空を見上げていた。
このお風呂は屋敷の離れの中にある。離れと言っても、浴場と更衣室だけがあるお風呂専用の建物だ。
小ぶりな池と見紛うほどの大きい浴槽の周りには、海岸に遊びに来た人魚が腰かけて休んでいそうな岩がぐるりと取り囲んでいる。
温泉地で見かける露天風呂の風情がある。
というのも、最初は本当に露天風呂だったのだ。
このお風呂は人魚のお兄さんたちが気合を入れて作ってくれたのだが、屋敷の裏庭に立派な露天風呂がどーんとできていたときには本当にびっくりした。
私と父は開いた口が塞がらず、母は苦笑していた。
後から周囲に壁と屋根を建ててもらい、その際に体を洗う場所も作ってほしいと言ったら、巨大貝に大きな海綿を敷いたベッドみたいなものまで設置されていた。人魚は横たわって体を綺麗にするらしい。
人魚と人間の常識は違うのだと痛感した出来事である。
ここまで立派なお風呂になってしまったので私も遊び心が刺激され、天井から空が透けて見えるように魔法をかけた。夜、お風呂に入りながら星が見えたら素敵だと思ったのだ。もちろん外から中は見えない。
お風呂に浸かり、縁の岩に寄りかかって私は溜め息を吐いた。
「どうしよう……」
いつもなら感嘆の声とともに眺める星空も、心を占める問題のせいでぼんやりと目に入ってくるだけである。
補佐官については受け入れてもいいと思っている。
お給料とか、待遇はこれから詰めなければならないけれど、私に不足している部分を補ってもらえるのは正直助かる。
ロックマンがドーランの貴族というのが他の国には波紋を呼ぶかもしれないが、海の姫である母がドーラン国民の父と結婚しているからその縁だと言えば何とかなりそうだ。
血縁や婚姻関係があると面倒な詮索を躱せるのは事実だろう。
…………。
…………婚姻。
…………求婚。
………………求婚される……なんて……突然すぎる。……しかもロックマンに。
私はお湯の中で膝を抱えた。浴槽の底に敷いてある砂を足で踏み踏みする。砂が広がってお湯が濁り、しばらくすると再び沈んでいく。
ロックマンを好きだと自覚したのは目覚めた後で。
いつから好きだったのかなんてわからないけれど、その片鱗はたぶんもっと前からあって。
セレイナの海でロックマンと再会したとき一人で胸に抱えているのは無理だと思って後先考えずに告白してしまった。
好きだと伝えれば一区切りついて気持ちの整理ができると思っていたけれど、実際に顔を合わせてみるとそんなことはなくて。
彼が結婚してるのかと勘違いしたときはとても辛かった。
……ここまでは私の気持ちで、これはいいのだ。
問題はロックマンだ。
ロックマンも私が好きだと言い、いきなり求婚されて、さらに口付けまでしてしまった。
両想いだとわかったらいきなり求婚されるなんて、とにかく展開が早すぎる。
いつまでに返事が欲しいとか、そんなことは言われてないけれど、段階を踏んで欲しいというか、とにかく心が追いついていかない。
初めての恋なのだ。
「うぅ……」
誰かに相談したい。
家族で相談できるとしたら母だけれど、しばらく父と大陸に調査に行ってしまって帰ってこない。
できれば最初は家族ではなくて親友に相談したいな……。
ニケ、ベンジャミン、マリスと親友の顔を頭に思い描く。彼女たちとは長いこと会っていない。
「皆に会いたいなぁ……」
久しぶりに会ったロックマンは、相変わらずの部分も多いけれど、私の知るアイツとは随分態度や雰囲気が違う。
銀縁の眼鏡の奥の眼差しは仄かに熱を孕んで。真摯な赤い瞳で見つめられたかと思えば、涼しげな目が自然と弧を描いて柔和に笑う。
どれもこれも私に向けられたことがない顔で、そんなロックマンを意識してしまう私がいる。
仕事中や食事に夢中になってるときは気にならないけど、ふとした拍子にこう──アイツの表情や仕草に目が奪われて動悸がする。
恋だと自覚するまではこんなことなかった。この感情はとても厄介で、昨日まで白だったものに急に色がついたような、何でもなかったものが突然気になり始めて、そのたびに心臓がバックンバックンと激しく音を立てるのだ。
もう少し心臓に負担がかからないようにできないものだろうか。
「とにかく性急すぎる……」
両想いになった男女は普通どうするのだろう?
ベンジャミンとサタナースはベンジャミンが最初からサタナースを好きで、魔法学校の途中からサタナースもベンジャミンを意識していたけど、ちゃんと恋人になったのは就職してからで……あれ? あの二人っていつ正式に恋人になったんだっけ?
あのベンジャミンだって恋の成就に何年もかかっているのに、なぜよりによって私が、両想いになったら即求婚なんて目に遭っているのだろう。
ロックマンの恋愛事情なんて知らないけれど、同じ火型でもベンジャミンやマリスみたいに一途で激しい恋をしている印象はあまりない。
女性なら誰に対しても丁寧で親切で優しくて、本気で口説いてるのかと勘違いするくらい褒めそやして。その女性たちすべてに恋をしていたというなら、それはまぁ、ものすごい熱量だと思うが。
女性たちにはモテモテでも誰かにのめり込むようなタイプには見えなかったのに。
人知れず激しい恋をしていたのだろうか?
あのロックマンが?
婚姻の自由を得たというし、私には理解できない恋の炎とかそんなものがアイツの中で一気に燃え上がってしまっているのだろうか?
その相手が今は私、というのがいまだに信じられないのだけど。
「どうしようかなぁ……」
私は顔を上げ、夜空を彩る無数の星々の煌めきを見つめた。
ナナリーの心情に寄り添った話も楽しいものですね。
R18作品のくせにRシーンなしで十話まできてしまいました。申し訳ありません…。
中編では終わりそうにないので、もう少しお待ちいただけるとうれしいです。