海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
「だめだ……書けない」
ひとりでお昼ご飯を食べた後、自室の机に向かって私は唸っていた。
マリスへ手紙を書こうとしているのだが、どう書けばいいかまったくわからない。
「あ~!! もう! 肩凝ったー!!」
私は大きく伸びをして、『マリスへ』としか書かれていない便箋を置いて椅子から立ち上がった。このまま机にかじりついていても文章が思い浮かぶ気がしない。
私の部屋は宿舎の二階にあり、廊下の先に外階段へ通じる扉がある。この外階段を降りるとお風呂のある離れに繋がっているのだが、そちらへは行かず裏庭に下りて気分転換に散歩を始めた。
裏庭は強い日差しが照りつけて非常に暑かった。
セレイナの沖合に浮かぶこの島は、早朝や夜は涼しく過ごしやすいけれど、周囲に日差しを遮るものがないために昼間はとても暑くなる。
人魚たちは暑さを嫌って
島全体を膜で覆って直射日光を遮るようにしたかったが、小さな島でもそれなりの広さがあるため常に維持できるだけの魔力が足りない。そのうちいい方法を見つけたいと思う。
今のところはセレイナの浜でよく見かける葉っぱの大きい木をそこらじゅうに植えて木陰を作って凌いでいる。
幹の上部から何枚も大きな葉っぱが生えている木はセレイナから寄贈されたもので、セレイナ王が特別な魔法をかけてくれたおかげで、珊瑚から成るこの島にも根付くことができている。
木製のサンダルの底から焼けるような熱を感じる。私は速足で木陰に入った。木の根元に座り、額に手をかざして抜けるように青い空を見上げる。
……朝だったらララを召喚して空をひとっ飛びしてくるんだけどな。
海のハーレを開設してから慣れない仕事に追われて精神的にいっぱいいっぱいだった。
時間的にはドーランのハーレにいた頃より余裕がある生活を送っているけれど、私が接する依頼人は一般の国民から王族や貴族に変わり、破魔士に仕事を頼む代わりに私が海の国で調べものをしたり人魚たちに依頼をする。
初めてのことだらけで目まぐるしく日々が過ぎていたとき、ドーランの使節団がやって来た。
ゼノン王子やロックマンと馴れ親しんだやり取りをし、ドーランの料理を食べて、生まれ育った懐かしい故郷を思い出して心が揺れている。
郷愁の念にかられるとはこういうことなのだろう。以前の普通の生活がちょっと恋しい。
新しい魔法も習得したいし、魔術書や小説も読みたい。
ロックマンから贈られたペロペペーネの筆も、夜になって部屋で手に取ってみると自然と手に馴染む素敵な筆に胸がときめいた。この筆が自分の手元にあることがすごく嬉しかった。頑なに受け取るのを拒んだ自分を恥じたほどだ。
マリスに手紙を書こうと思ったのもペロペペーネの筆を使いたかったからかもしれない。
「最初は近況報告……それから……」
私がロックマンを好きになったこと、それはちゃんとマリスに伝えたい。私たちは
でもロックマンに求婚された件は……とても手紙で伝えられそうにない。
ロックマンによると、セレイナに来る前にマリスの気持ちには応えられないと直接話をしたらしい。つまりマリスをハッキリふったってことだろう。それも私を手に入れ……もとい、私に求婚するために。
……求婚の返事は保留中だ。不確定なことは書くべきではない。
抱きかかえた膝に額をのせ、目を瞑って手紙の文面を考える。
しばし黙考し、私は顔を上げた。葉陰が揺れて、海の湿った風が頬を撫でて吹き抜けていく。
太陽が天頂から少し傾き始めている。午後の仕事を始めなければならない。
「……よし」
急いで二階の自室に戻り、私はマリスへ手紙を書いた。
*
『 マリスへ
心配していると思いますが、私は元気なので安心してください。
手紙は海のハーレ宛てに送ってくれれば海の国に届きます。
報告があります。好きな人ができました。
ナナリー・ペルセポネ・ヘル 』
*
その日ロックマンがやってきたのはそろそろ午後のお茶にしようかと思った頃合いだった。
「遅くなってごめんね。手紙は全部出してきたよ」
彼は各国の王族・貴族へ手紙を送った証明書を鞄から取り出す。私はそれを受け取って執務室の本棚のファイルに仕舞った。
「面倒なことを終わらせてくれてありがとう。こっちも、ちょうど海の国から使いが戻って来たところよ」
おじい様の署名が入った書簡と真珠の子どもをロックマンに渡す。彼は書簡を確認し、真珠の子どもが入った小袋と一緒に鞄に仕舞った。
「僕もゼノン殿下とドーランへ戻ることになった。この真珠に王の言葉を吹き込んでもらったらセレイナに帰ってくるよ」
「わかった」
「そんなに長くはかからないから。セレイナに帰ってきたら直ぐにここに来るよ」
「少しゆっくりしてもいいんじゃないの? 家族に会うのも久しぶりなんでしょう?」
「君と会うよりは頻繁に会ってるよ。キースが海を好きだから、家族でよくセレイナに遊びに来てる」
「へぇ。行動的なのね」
セレイナとドーランは距離があるので往復するのも大変だろう。
「父が外交官と同等の許可をもらって最短で来れるようにしたからね、ドーランからセレイナまで片道で一日かからないよ」
「一日!?」
「君が考えているよりドーランは近いんだ。すぐに帰ってくる」
ロックマンは早く帰ってくると強調するが、そこまで急がないでいいと思う。
「──それも手紙?」
封をしたばかりのマリス宛ての手紙をロックマンが目ざとく見つける。
「これは私の……ナナリー・ヘルの私的な手紙よ」
この手紙はセレイナからドーランへ送る予定だ。マリスへは前にも手紙を出したので、セレイナの外交部に頼むつもりでいる。
「あの……ロックマン」
「うん?」
「えーっと、えっとね。あの……ペロペペーネの筆なんだけど……意匠も素敵だったし、すごく書きやすくて…………つまり…………ありがとう」
胸の前で組んだ指が無意識に動いている。うろうろと
仕事に関してならスラスラと感謝の言葉が出てくるが、私的な要件でロックマンと話をすると可愛くない言い方になってしまう。
長いこと喧嘩ばかりしていた間柄だから仕方ないとは思うけれど、感謝の気持ちを伝えるだけでこんなにもじもじしては成人として情けない。
「あんなに要らないって断っておいて、すごく図々しいこと言ってるのはわかってる。ごめんなさい」
私はぺこりと頭を下げた。
「謝らないでよ。君が喜んでくれたなら僕も嬉しい」
ロックマンは喜色も
その笑顔に動悸がして、私は服の胸元を握りしめる。
──ロックマンのこういう顔は見慣れないから心臓に悪いのだ。
高まるばかりの心拍数にてこずっている私に気付いているのかいないのか、ロックマンはくすっと笑って話を変えた。
「新しい魔法が載ってる本を持ってきたよ」
昨日約束したとおり、ロックマンは魔導関連の雑誌を持ってきてくれた。私が海の国に行ってから発行された分を全部だ。見たことのない魔術書も数冊ある。
「……ありがとう。返すのが遅くなってもいい?」
「いつでもいいけど。仕事が忙しいの?」
「海の国に行ってくるわ。過去や未来に干渉できる魔法について調べてくるから」
突然ロックマンが真顔になる。真剣な赤い眼差しが私をじっと見つめている。
「……帰ってくるよね?」
「当たり前でしょう? ここが私の職場なんだから」
「そうだね」
息を吐き出してロックマンが苦笑した。
「ほら、いろいろ考えたり人に相談しなきゃいけないことがあるのよ。アンタを補佐官にするかどうかとか……その…………」
「僕の求婚の話とか?」
「ハッキリ言わないでよ!」
カァァァァッ! と私の顔が一気に赤く染まる。
筋肉質な硬い胸板をポカスカ殴った。可笑しそうに笑いながら「痛い痛い」と言ってるコイツが憎らしい。誰のせいでこんなに悩んでいると思っているのか。
「用事はそれだけじゃないのよ。セレイナにも行っておきたいし」
「セレイナへ? 君がひとりで?」
「マリスに書いた手紙を出したり、買い物もしたいし」
「マリスに手紙? ──って、それ?」
私が頷くと、ロックマンは顎に手を当てて考え込んだ。
「……手紙なら僕がドーランに持って行ってもいいけど」
「え?」
「……いや、こういうことに僕が口を挟まないほうがいいのはわかってるんだけど。セレイナからドーランの貴族に手紙を出すと時間がかかるし」
「そうね」
セレイナの外交部を通じて手紙を送ると早くても一週間、通常十日はかかる。
「ドーランに戻ったらマリスと話をしたいと思っているから」
「マリスに会うの? アンタが?」
「彼女には話をしておいたほうがいいと思う。君がここで仕事をしていることをね。もちろん、内密にしてもらうけど」
「そう、マリスに会うの……」
ロックマンを殴ったときのまま胸元で構えていた拳をだらりと下ろした。
いいなぁ……。
マリス、ニケ、ベンジャミン……。
私もみんなに会いたい……。
「──エフィネティア?」
俯いて、下げた手を握りしめる。
ポタッと床に滴が落ちた。
「……ヘル?」
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなる。
ロックマンの輪郭がぼやけて。視界が透明な膜で覆われる。
ポロポロと大粒の涙が頬を伝って、私はぐしゃっと顔を歪めた。
「みんなに会いたい……」
「ヘル……」
手でぬぐっても涙は一向に止まる気配はなく、さらにボロボロと溢れ出てくる。
ヒック、ヒックとしゃくり上げて泣く私の肩にロックマンの手が触れた。
大きな手から彼の体温が伝わってくる。……温かい。
急に私が泣き出したからロックマンは驚いているだろう。
私だって何故こんなに涙が出るのかわからない。でも次から次へと涙が溢れて止まらないのだ。
「……抱き締めてもいい?」
低い声は少し掠れていて。
泣きながらこくんと頷くと、彼の長い腕が私の背中に回された。
ロックマンからは暖かなお日様の匂いがする。ギラギラと照りつけるセレイナの太陽とは違う、木漏れ日みたいに柔らかくてうとうとと微睡んでしまいそうな匂いだ。
彼の腕に力がこもり、私は厚い胸板に頬を寄せた。私よりもずっと大きな体とそのぬくもりにほっとする。
頬に触れる胸が温かくて、私の目からまた大粒の涙が溢れた。彼の白いシャツが私の涙で濡れていく。
私が泣き止むまで彼は何も言わずに私を抱き締めて、小さな子をあやすように背中を撫でてくれた。