海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
絶え間なく波の音が聴こえている。
たゆたう水に身を任せ、体がゆらゆらと揺れる。ぴちゃん……ぴちゃん……と水がはねる音が遠くから響く。
「…………ん……」
うっすらと目を開ける。ぼやけた視界が少しずつはっきりしてくる。丸くて高い、半球状の天井が目に入った。
屋根? でも私は背中が水に浸かっている。波に合わせてゆらゆらと動き、ときどき顔に海水がかかる。
私は仰向けに寝そべって海の上に浮かんでいるみたいだ。寝ながらぷかぷか海に浮かぶ技を習得した記憶はないけれど。
ここはどこかの建物の中なのか。半球状の壁の一部がアーチ形にくりぬかれて海と繋がっているから、建物の地下かもしれない。
白くて丸い天井と体の周りの海水をぼんやりと眺める。
「……ヘル!」
……へ?
壁際に作られた足場から一人の男性が水の上を駆けてくる。蜂蜜色の長い金髪に赤い瞳──ロックマンだ。
なぜここにロックマンが?
水の上を駆けるって何? どんな魔法?
「ロックマン?」
上半身を起こそうとして、体の下に網が張ってあることに気が付いた。私は浮いているのではなくて、この網に寝かされていたのだ。
網は大きくて足場の端から端まで張られているみたいだ。ロックマンもその網の上を駆けているのだろう。海水が撥ねてロックマンの服を濡らしている。
「ロックマン……目が覚めたのね」
私が最後にロックマンを見たとき、彼は意識を失って全身を氷で覆われてしまっていた。
ロックマンは虚をつかれたように目を丸くし、すぐにクシャッと笑った。濡れるのも構わずに私の隣に腰をおろす。
「それはこっちの台詞だよ」
そうか、氷が解けて彼が目覚めたときは今度は私が眠っていたのか。お互いに目覚めてから初めて顔を合わせたわけだ。
「ここはどこ?」
「セレイナ城の真下だよ。宮殿の一部だ」
「セレイナの宮殿? なんでロックマンがここに?」
「僕は今、国の仕事でセレイナに滞在している。たまたま沖合いでハウニョクが顔を出したのを見つけて空から追いかけたら、浜で倒れている君を見つけたんだ。セレイナ王の許可を得て君をここに保護させてもらった」
「私、倒れたんだ……」
だんだん記憶がはっきりしてきた。ハウニョクと別れて、砂浜を歩いていたら意識を失ったのだ。腰のポケットの中に手を入れると、つるりと丸い球の感触があった。
「ねえ、今は何の季節? 何か月目? ウォールヘルヌスからどれくらい経った?」
「ウォールヘルヌスが終わってから二ヶ月くらいだよ」
「そんなに?」
私は目を見開いた。私の中ではそんなに時間は経っていない。眠っている間に海の国に運ばれたから正確な日数はわからないが、両親が海の国に来てから約一週間というところだ。たぶん。
「ハウニョクにセレイナまで連れてきてもらったの?」
「そうよ。陸でも活動できるか確かめたくて」
「海の国では起きていられたんだ?」
「かなり前に目は覚めたわ。でも、海の国では大丈夫でも陸ではわからないって言われてて。おじい様が……セレスティアル王が休んでいれば精霊の魔力はちゃんと回復するっておっしゃったから心配はしてないけど」
「まあ、しばらくはこちらには戻らないほうが無難かな」
「何それ?」
首を傾げる私に、ロックマンはドーランのみならず大陸の国々で私がどのように語られているのかを離してくれた。
恐ろしいことに、救国の聖女、世界の危機に遣わされた美しき海の国の王女さまと称えられているそうだ。
ドーランでは私の姿絵が出回り、ウォールヘルヌスで騎士団と戦った映像は連日のように国内で流されているという。
ドーランの魔法学校に通っていたのも、平民に紛れてシュテーダルに対抗する魔法を学ぶためだったとか、実はゼノン王子の婚約者候補だとか、根も葉もない噂がまことしやかに囁かれているらしい。
予想外の状況に頭がくらくらする。私は両手で頭を抱えた。
「ゼノン殿下になんてご迷惑を……」
「殿下は気にしてないから安心していいよ。独身の王族は何かあればすぐ婚約だ何だって噂されるものだからね。マリスやブルネル、フェルティーナたちはちゃんと自分を守る術すべを知ってるし、サタナースだって君が騒がれたくないことは理解している」
「ならいいけど……」
「でも、皆心配している。特にマリスは毎週のように君から音沙汰がないか手紙で訊いてくるよ」
マリス……。ドーランからセレイナまで頻繁に手紙を送るなんて大変だろうに。私を心配してくれている親友たちの姿を思い浮かべて泣きそうになった。
「ゼノン殿下とマリスには今日のことを手紙で伝えてもいいかな? もちろん内密にしてもらうし、国王には殿下から秘密裏に伝えてもらう」
「うん、そうしてもらえると助かる。──ありがとう。ロックマン」
ロックマンは笑みを深めて、手紙を書くくらい大したことではないと言った。
「君のご両親は?」
「元気よ。やっと歓迎の宴とか、長いお話とか終わったから抜け出してきたのよ」
「……わかっていたつもりだけど、こちらとは全然時間の流れが違うんだね」
単純に陸は海の何倍で時間が進む、というものでもないようだ。よくわからない。
「そうね。遊んでるつもりはなかったけど、のんびりしてはいられないってよくわかった。海の国に帰ったら、ドーラン国王から頼まれた仕事を進めるよう伝えておくわ」
「……いつ帰るの?」
「夕陽が沈む前にハウニョクが迎えに来てくれる」
アーチ型の水門からは日が傾きかけているのが見えた。空が茜色に染まるのも時間の問題だろう。
「そろそろ来ると思う」
「…………」
「助けてくれてありがとう。あのまま浜で倒れてたら、ハウニョクも迎えに来れなかったから」
「……次はいつ会える?」
「え?」
次?
「僕はしばらくセレイナにいる。──次はいつ陸に来る?」
「精霊の魔力が回復して……から?」
「魔力が回復したら君はドーランに戻るの?」
「そのつもり……だったけど、さっきの話だとそう簡単にはいかないと思う」
ロックマンの話を聞くまでは、精霊の魔力が回復したらドーランに帰って元の生活に戻るつもりだった。しかし、とんでもない状況になっているようなので、果たして普通の暮らしを続けることができるのか不安になってくる。
「そのことも両親に相談するわ。お母さんも海の国の王女と知られてしまったんだし」
私も両親も陸で大事な仕事がある。普通に仕事をして暮らすのも大変になりそうで、ちょっと憂鬱だ。
ロックマンは押し黙り、何を考えているのかわからない目でじっと私を見ている。怒っているようには見えないけど、ちょっと眉根が寄っているし、口を真一文字に結んでいる。
何か喋ってくれないだろうか。女性的な美しい顔で思い詰めたような表情をされると、何か申し訳ないことをしている気分になる。
沈黙が息苦しくて──胸が痛い。
「……ここはセレイナ城の敷地なのよね? 帰るまえにセレイナ王に謝罪とお礼を言わないと。でもお忙しいだろうし、私が謁見なんてできないだろうし……どうしよう?」
「君が謁見できないなんてことはないと思うけど。王には僕の方から伝えておくよ」
「でも……」
謁見は無理としても、ロックマンに言付けるのではなく、私から侍従を通して謝罪と感謝を伝えなければ失礼にあたると思う。
「王に謁見するなら城の上層に行かなきゃいけない。君はこれ以上海から離れたらまた倒れるでしょ? 僕に任せて欲しい」
「……わかった。今度おじい様を通じてご挨拶に伺うって伝えてほしい」
「うん」
さざなみが打ち寄せて。
海水が跳ねる音が屋根に響く。
ロックマンは静かで、じっと私を見つめている。さっきから変だ。彼も、私も。
見つめられて、胸が詰まる。
心臓が早鐘を打つ。
私が口を開けるとロックマンの眼差しが鋭くなる。視線の圧に何も言えなくなって私は口を閉ざす。
黙ったままのロックマンをただ見つめ返すことしかできない。
……何か、何か言わなきゃ。
「じゃ、じゃあ私は帰るね」
「まだハウニョクは来てないよ」
「大丈夫よ。海の中にいればハウニョクが見つけてくれるから」
「──海の中?」
ロックマンは衝撃を受けたように大きく目を見開いた。
「溺れない?」
「失礼ね。私だって泳ぎは上手くなったのよ」
ロックマンが嫌味っぽい口調に戻って、ムッとしつつも心の片隅で安堵する。
妙な空気を振り払うためにも、コイツをぎゃふんと言わせてやる。
「見てなさいよ!」
私は網の上に立ち上がり、水門から繋がる海に飛び込んだ。水圧が体に押し寄せてくる。
一気に深くまで潜って、水中で一回転すると上昇し、海面に浮上する。水門に向かってするすると泳ぎ、網の端っこまで寄っていたロックマンの近くで立ち泳ぎをする。
「ふふん」
「……君は」
「何よ?」
腕を伸ばし、網に手をかけて体を引き寄せる。肘を網に載せて固定するとロックマンの顔を下から覗き込んだ。
ロックマンの顔が歪む。笑っているけど、どこか痛々しい。
「アンタ、なんか変よ。ロックマン」
「君が……人魚になってしまったかと思った」
なんでそんな顔するの。
私まで苦しくなるじゃない。
濡れた頬にロックマンの手が触れた。あたたかい手だ。この手の下に流れるのは熱い火型の血。
「あの……ロックマン」
「うん」
「あ、あのね、ロックマン」
「うん」
「……好きよ」
時が止まったみたいにロックマンがぴくりとも動かなくなった。瞬きを忘れて、呆けたような顔をしているのに、整った顔は綺麗なままだ。
高い鼻梁に夕陽の影が射す。彼の端正な顔をなぞるように動く影が、時が止まっていないと教えてくれる。
「じゃ、じゃあね」
私は網から手を話して海に飛び込む。少し潜ったところで何かが飛び込んできた気がして、肩越しに振り返るとロックマンが海に潜っていた。やはり彼は泳ぎが上手い。
ハウニョクの口内に入った後ならハウニョクの唾液で海の中でも呼吸ができるようになるけれど、今のロックマンは生身の人間だ。しかももう日が暮れる。
私は膝を抱えるように回転してロックマンに向かって泳ぎ、水中で待っていた彼の服を掴んだ。
「夜の海は危険よ。アンタは戻って」
ロックマンが口を開けると空気が泡となってこぼれ出る。
私たちに大魚が近づいてくる気配がした。ハウニョクだ。私は腰のポケットから光る宝玉を取り出した。ハウニョクは応えるように大きな口を開ける。
「じゃあね」
ロックマンの服から手を離し、私はハウニョクの口の中に飛び込んだ。