海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
「さてと……ヘル?」
ぎくりと肩が跳ねる。
さっきまでの行儀のよさはどこに行ったのか、ロックマンは足を組んで、長椅子のひじ掛けにもたれて頬杖をついている。
「なによ?」
しかめっ面になるのはもはや条件反射だろう。私はドスンと長椅子に腰をおろして、ロックマンを睨み付けながら腕を組み、足も組む。
ロックマンがフッと鼻で笑う。相変わらず癪に障る奴である。
さっさと要件を済ませたいと頬をひきつらせていると、ロックマンが立ち上がって私の方に歩いてきた。脚が長いからあっという間に私の前に着く。
背もたれに大きな手を置き、赤い瞳が私の顔を覗き込む。コイツの行動の意味がわからなくて私は数回目を瞬いた。
ロックマンの影で目の前が暗い。何より、顔が近い。
「僕は君に返事をしたい」
「へ?」
返事? 何の?
「前にセレイナの海で会ったとき、君は僕に言ったでしょ?」
「は?」
「言いたいだけ言って、僕が追いかけても陸に戻れとしか言わなくて。そのまま君は海に帰ってしまった」
ロックマンがいう「返事」とは、私の告白への返事だとわかった。
なじるような言葉を選びながら、ロックマンは決して責めるような口調ではない。低い声がどこか切なげに響くのはなぜなのか。
「べ、べつに、もうどうだっていいじゃない。そんな前のこと」
ロックマンが結婚しているなら、いまさら私の告白にどんな返事をするというんだ。
わざわざこんなところまで私を好きじゃないと言いに来たんだろうか。そこまで私を嫌っているとは思わなかった。
俯いて押し黙っていると、ハァ、と吐息が髪の毛に落ちてきた。
「君は誤解してるみたいだからハッキリ言っておくね。僕は結婚していない。だから奥さんなんていない」
「えっ。……だって、苗字がロックマンじゃなかったわよ」
「大陸には未婚の貴族でも親の爵位名じゃなくて家名を名乗る国の方が多いんだ。僕の場合はアーノルドだね。だから外交官になってからはロックマンとは名乗ってないよ」
「へぇ……」
「まあ、今回はわざとロックマンとは名乗らなかったんだけど」
「え?」
「僕がアルウェス・アーノルドと名乗れば君が何か反応を示して、この島にかかっている魔法に綻びが生じるんじゃないかと思って」
「なっ」
アルウェス・アーノルドと名乗ってるのを聞いて私はロックマンが結婚してるんじゃないかと思った……思ったわよ。確かに思ったけど!
こうも思考を読まれているとさすがに恥ずかしい。頬に熱が集まってくる。
「ちょっと気になっただけよ。知り合いの苗字が変わっていれば誰だって気になるでしょ!」
「うん、気にしてくれて嬉しい」
「はぁ?」
弓なりに細められた目はいつになく柔らかい。けれども、真っ赤な夕陽のような瞳に浮かぶ炎はその
彼から目を離すことができず、私はごくりと息を飲んだ。
「君が好きだよ、ヘル」
体が、震えて。
息が詰まる。呼吸が苦しい。
唇が震えている。歯が上手く嚙み合わない。
動悸がうるさい。こんな近くにいたらロックマンに聞こえてしまう。
胸元をぎゅっと押さえて、もう一方の手で陽射しを避けるように目元を隠した。
「──ヘル?」
ロックマンの手が私に伸ばされる。男らしい、大きな手。
長い指にペンだこがあるのを見つけた。私の指にもペンだこがある。コイツも指にたこができるくらい勉強しているのか──などとどうでもいいことを考えた。
その指が私の髪に触れて。
「うひぁっ!」
咄嗟に手を払いのけてしまった。
「ご、ごめん。ちょっと私、変みたい。何かの病気だと思う」
無性に恥ずかしくて、ドキドキして、バックンバックンと心臓の音がうるさい。
「病気……」
行き場のなくなった手を口元に当てて、プッとロックマンが噴き出した。
……笑ってやがる。自分でも変なことを言っている自覚はあるけれど、コイツに笑われると腹が立つ。片頬がぴくぴくと痙攣するのを抑えられない。
ええ、ええ、星の数ほど女性と浮名を流す恋多き男、アルウェス・ロックマンには私のような恋愛初心者の言うことなんて馬鹿みたいに聞こえるだろう。
「ふん!」と顔を背けると、ロックマンはぷくーと膨れた私の頬を指先でつついてくる。
「やめんかぁい!」
ぶんっ! と手で払ったらその手首をロックマンに掴まれた。
こっちはぷんぷん怒っているのに、ロックマンは笑ってる。やたら楽しそうに笑ってる。なんだコイツ。
「君が病気なら僕も病気だ。君よりずっと重症のね」
「え?」
ロックマンは病気なんだろうか? まさか、だから騎士団を辞めたとか?
「アンタ……病気なの? 治療はしてる? セレイナに居ても大丈夫なの?」
ロックマンが目を丸くしたかと思えば、突然くすくすと笑い始めた。
「君がいればこれは治る──いや、治らないかも」
「は?」
わけがわからない。
私は小首を傾げて、訝しげにロックマンを見上げる。
「君に聞いて欲しいことがある」
ロックマンが両手で私の手をきゅっと握りしめ、放した。白いマントの裾を払い、私の足元に片膝をついて跪く。胸に手を当てて、もう片手の手を腰の後ろに回して頭を垂れる。
部屋の空気が変わった。時間の流れが遅くなったように思えてくる。ロックマンの動作ひとつひとつから目が離せない。
礼を執ったロックマンは
「美しき氷の魔女、ナナリー・ヘル。──もしくは海の国のエフィネティア殿下」
薄く色づいた形のいい唇が開いて私の名前を紡ぎ出す。
掬い上げるように私の手を取って指先に口づける。流れるような仕草は堂に入っていて、伏せた長い睫毛がとても綺麗だと思った。
再び顔を上げた彼の赤い瞳が私を捕える。
「僕はずっと君に恋をしてきた」
頭の中でロックマンの言葉がぐるぐると
言葉の意味はわかっても何を言われたのか理解できない。
「もしも僕の想いが届くなら、僕を君の伴侶にしてくれないだろうか」
空白の時間が流れて。
赤い瞳が何度が瞬きを繰り返す。
は、は、伴侶って……。
これってまさか…………求婚!?
*
「ヘル、しっかりして」
「ハッ!?」
びっくりし過ぎてピシリと固まったまま動かなくなっていたようだ。中腰になったロックマンに肩を叩かれる。
「大丈夫? 息はできる?」
ロックマンの手が伸びてきて頬に添えられる。かあああと頬が赤くなる。
「で、できるわよ」
その手を振り払い、パッと顔を背けて、体ごと横に向ける。手で服の胸元をつかんで深呼吸をした。もう片方の手はロックマンに握られたままだ。
「ア、アンタ、おかしいわよ」
「おかしくないよ」
「おかしいでしょ! いきなり私に……き、き、求婚……してくるなんて」
「おかしくなんてない。君のそばにいるためには確かな繋がりが必要だから」
「確かな繋がり?」
「同じ国に住んでいて、元同級生で、職場もそこそこ交流があって、共通の友人もいて。会おうと思えば会える。……もう僕と君はそんな関係じゃなくなった。君は海の国の王族で、僕はドーランの侯爵に過ぎない」
「……私は海の国の王族になりたかったわけじゃないわ」
「それはわかってる。たとえ君がそう思っていても、僕の手は君に届かない。陸と海は隔絶されている。セレイナに住んでいても海は遠い」
ロックマンの言う通り、セレイナと海の国を往復するのも大変だ。
ハウニョクはおじい様からセレイナ王に贈られた大魚だから、セレイナ王、あるいは海の王の許可がなければハウニョクに海の国まで連れて行ってもらうことはできない。
「でも血縁があれば違う。君が初めてセレイナの海に来たとき、君はすぐに海の国の者に見つけてもらえただろう?」
見つけてくれたというか、いきなり拉致されたんだけど……。
「君がシュテーダルを破壊して、皆の氷を解かして。でも君だけは目覚めなくて。それでも君がドーランに──陸にいるなら、僕は君が目覚めるのをいつまでも待つつもりだった」
私は驚いて目を見張った。
何年も目覚めない可能性もあったのだ。それでも待つつもりだったのだろうか?
「だけど君は海の国に行ってしまった。ドーランでどれだけ足掻いても、僕には手も足も出ない。何もできない自分に腹が立って仕方がなかった。──焦燥と怒りで腹の内はドロドロなのに、取り澄ました顔で何でもないことのように振る舞う自分を嫌悪したよ」
ロックマンが肩頬を釣り上げて自嘲気味に笑った。
……こんな苦い笑顔は初めて見た。
「馬鹿な男だと笑ってくれていい。ここに至って僕はやっと自分の気持ちに素直になったんだ。どうしても君を海から取り返したかった。でも僕にそんな資格はない。前に君が無理やり海の国に連れていかれたときとは状況が違う。マイティア王子は君の叔父で、あのときドーランにいた君の唯一の親族だ。君は昏睡状態で、彼の意見が優先されるのは至極当然だった」
私はこくりと頷いた。叔父様は強引だったかもしれないけれど、間違ったことはしていないのだ。
あの後両親も海の国にやってきて、シュテーダルのこと、これからの世界のこと、私たちの生活のことを一緒に話し合うことができた。
「ウォールヘルヌスの混乱を収めた後、君に近付く方法はないか探したよ。これからの情勢と僕の立場を利用して、方々に手を回して僕がセレイナに滞在できるように整えた。外交官になるのは特に問題はなかった。僕も王族の端くれだからね」
「……騎士団や宮廷魔術師長も辞めたの?」
「騎士団は予備役になっている。宮廷魔術師は顧問の扱いだね。ゼノン殿下はドーランに盾突かない限り好きにしろって言ってくれたよ」
……ゼノン王子、それでいいんですか?
「騎士団の引継ぎをしつつ、ドーランとセレイナを行き来して。セレイナでは時間があれば浜を見て回った。セレイナ城にも海の国から使者が来てないか確かめるために何度も通った。そんなある日、空からハウニョクを見かけて。ハウニョクはすぐ海に潜ってしまったけど、浜で君が倒れているのを見つけた」
ロックマンはずっと握っていた私の手を放すように力を抜くと、くるっと手のひらを返して指と指を絡めてくる。
「やっと君を見つけて。ずっと欲しかった言葉を君はくれたのに、僕は何もできなくて。また君はこの手から零れ落ちてしまった。――もう過ちは繰り返したくない」
絡まる指に力が込もり、握りしめられる。ぴったりと重ねられた掌からじんじんと熱が伝わってくる。