海のハーレ~海の国の男装王女は押しかけ補佐官(婿)に溺愛されてます~ 作:露草ツグミ
求婚の返事は保留、補佐官の件は前向きに考えるとヘル──エフィネティアは言ってくれた。
初手でここまで受け入れてくれるとは思ってなかった。これは嬉しい誤算だ。
海の国の公的な窓口である珊瑚島、通称・海のハーレ。その役割や通称名からナナリー・ヘルが一枚噛んでいるのは確実だった。
この島は海と陸の狭間にあり、大陸の人間は使い魔で島に来ることができる。島の外縁部には着地場も整備されている。屋敷に入るまでは精霊の魔法が使えることも確認済みだ。
しかし、海の魔法を解くことと、精霊の魔法が使えるか否かは別問題だ。以前セレイナで彼女が海の国に連れ去られたとき、僕の魔法は何の役にも立たなかった。
僕はセレイナに赴任してからセレイナ城の王宮図書館の一部立ち入りを許してもらい、海の国とその魔法について研究した。
言葉そのものが魔法とされる海の国の魔法を受け入れるのは容易かった。
言葉は魔法である。
それは僕にとって不思議でも何でもない。僕の魔法の原点といってもいい。
海の魔法を破りたいなどと大それたことは言わない。ほんの小さな綻びでいい。海の魔法に綻びを作ることができたら、ヘルに繋がる糸口が見つかるのではないかと思った。
そのために僕は小さな罠を仕掛けた。
海のハーレの責任者は海の国の男性王族と聞いていて、どのような形で彼女が関与してるのか想像を巡らせていたが、まさか彼女本人が男装をして男の振りをしているとは思わなかった。
使節団が通された小広間で、色香にあふれた美しい人魚たちに囲まれた小柄な青年。北方か、あるいは内陸の貴族が着るような服を着て、周囲の人魚たちと違って二本足で歩いている。
姿形は大陸の男性に見えるが、光の加減によって虹色に変化して輝く髪と瞳の色が彼が海の眷属であることを物語っていた。
魔法で髪と瞳の色を変えるくらいなら僕でもできるけれど、光が波に反射するように色合いを変える虹色の瞳にするのはさすがに難しい。
彼の声は低く、言葉はセレイナ訛りが入っていて、視覚、聴覚から入る情報は彼が男であると告げていた。しかし、どうしても拭い去れない違和感を覚える。
初対面のはずなのに酷く懐かしい。彼に会えたことで無上の喜びを感じている自分がいた。
応接室にはゼノンと僕の二人だけで入った。他の騎士たちには何も知らせるつもりはない。彼らにかかった海の魔法が解けてしまったら僕が困る。
僕が仕掛けた小さな罠は彼女の心を揺さぶり、屋敷にかけられた海の魔法に綻びを作ることに成功した。
久しぶりに会った彼女は男の格好をしていたが、彼女はいつもと変わらない。
彼女は彼女だ。
僕は彼女に積年の想いを伝え、求婚した。僕の言葉に呆然とした彼女は、それでも僕の評判を気に病んで、親友の恋を心配していた。
やっと彼女を見つけたのに、ここで逃げられては堪らない。まだ僕を好きでいてくれるのか確かめずにはいられなかった。
僕を好きだと言った彼女は恋を知った女の顔をしていた。そのとき僕の中で何かが弾けた。
理性が振り切れる瞬間は予兆も何もなく。
気が付けば彼女の滑らかな頬をなでて、唇を重ねていた。
抵抗らしき抵抗もせずに彼女は頬を薄紅に染めて。口づけの合間に恥ずかしそうに吐息を零す。
しっとりと濡れた彼女の柔らかな唇は甘美で、いつまでも味わっていたいほどに魅惑的だった。
恋を知った顔で僕に告白するなんて反則だよ、ヘル。
君はいつも無自覚に僕を狂わせる。
*
個人的な話は後にして、まずは仕事を終わらせたいと彼女が言ったので、僕はゼノンの代理としてドーランの持ち込んだ案件について詳しい説明を始める。
半年ほど前からドーランでは今までに見たことがない魔具が噂になっていた。それは闇市で扱われていたそうで、貴族の手に渡ったのか、あるときから消息が途絶えている。
その魔具を使えば過去や未来に干渉できるという。
「過去や未来に干渉する魔法? 初めて聞いたわ」
「僕にも未知の魔法だよ。魔法陣や呪文で行使する魔法ではないと聞いている。特別な魔具を使って時空を超えて、過去や未来に干渉することができるらしい」
「それってかなりまずいんじゃないの?」
「まずいよ。その魔具でどこまで干渉できるのかわからないし。その魔具とシュテーダルの関係もわからないしね」
「それについて何か知っていることはないか、海王様に尋ねればいいのね?」
ドーランでも周辺国と協力して魔具の捜索と調査はしている。しかし、なかなか手がかりが見つからない。
その魔具が非常に古いものだとしたら、大陸に記録がない可能性もある。海の国にその魔具に関してなにがしかの記録が残っていないか、あるいは──何千年も前に海の国に逃れた氷の始祖の記憶をセレスティアル王はご存知かもしれない。
氷の始祖はヘルのお母さんを人魚から人間に変え、いまはヘルの体内に宿っている。このことはドーラン上層部のごく一部の者たちしか知らない。
体内に始祖が宿る状態がどのようなものか全く想像がつかないが、僕の記憶にある限り彼女の意識の表層に始祖が現われたことはない。できればヘルのお母さんと氷の始祖について話をしたいと思っている。
魔具の調査協力の他にドーランと海の国の同盟に関する見直しを僕は任されていた。
去年結ばれた同盟の内容は、海と大陸の考え方、常識、社会が大きく違うため極めてざっくりとしたものだった。
文章が平易なのは悪くないが、ドーラン国内では国の文書としては稚拙であるという声が出ている。海の国では通じても、ドーラン、すなわち大陸では公式な文書としては受け入れがたい。陸と海の双方で理解を深める必要が生じた。
海の国では他国と書簡を交換して同盟を結ぶということ自体がこれまでなかったという。
それも無理からぬことだろう。海の国は独自の流儀でコックイル海域の国と個別に交流を持っていただけなのだから。
前回ドーランから使者として海の国に赴いたのはヘル夫妻で、彼らは外交官ではない。彼らに交渉は期待してなかった。
最初の同盟を足掛かりに、今回改めてゼノンと僕が派遣されたのである。
以上を説明すると、彼女は納得したように頷いた。
「私も海のハーレを準備しながら勉強したのよ。海の国と大陸でうまく意思の疎通をできるようにしたいから」
彼女は海の国でも真面目に勉強したらしく、海の国の不文律(大陸のような法律は存在しないという)を詳しく説明してくれた。
僕は大陸の国々の事情を踏まえて内容を具体的に提案し、意見を交わして文言を決めていく。
大陸の言葉で僕が文章を作成し、彼女が海の国の言葉に書き直す。彼女は海の国の言葉も見事につかいこなしている。
ひととおり草稿ができた頃、日はすでに高く上って昼食の休憩となった。
*
「昼ご飯、食べていく?」
「いいの?」
「一人分くらい増えても構わないわよ。あ、でも海の国の料理だからね? アンタの口に合うかは保証できないわ」
「大丈夫だよ。好き嫌いはないから」
「ふぅ~ん。初めて食べるくせに」
「全部食べられるか勝負する?」
「いいわよ。吠え面をかかせてやるから!」
「なにそれ?」
「ふん──ほら、そのゴテゴテした上着はこれに掛けなさいよ」
「ありがとう。気が利くね」
「そんなんじゃないわよ! 食べるのに邪魔だと思っただけよ」
ハンガーを受け取って、上着とマントを脱いで壁際にある服掛けに掛ける。ヘルも上着を脱ぎ、白いシャツにベストとトラウザーズという姿になった。
学生時代の僕のような男物の服を着た彼女は、華奢な体に細い腰が嫌でも目に入る。
男装しているが故に、ささやかな女性らしさが際立って、清らかな雰囲気に一条の色気が滲み出ている。
並んで廊下を歩く彼女の横顔は凛として美しく、窓から差し込む光で不思議に色合いを変える瞳に見入ってしまう。
執務用の部屋がある区画を出て、ヘルは大きな池のある中庭に降りていく。大きな岩が池の周りをぐるりと取り囲んでおり、数人の人魚が腰をおろして休んでいる。
池の畔にはテーブルと椅子が置いてあった。中庭に植えられた木から伸びた葉がテーブルに影を落とし、さんさんと降り注ぐ陽射しの中でもテーブルの周りは涼しかった。
薄い茶色の髪をした人魚が料理を運んでくる。食事は海の国の料理、人魚たちが作っているそうだ。
彩どりが鮮やかで、見た目も非常に変わっている。セレイナで食べたことのある魚料理とも少し違う。中には不気味な色や形をしたものもあるが、ひと口食べてみると見た目と違ってとても美味だった。
僕たちにはフォークやスプーンが出され、料理も食器に盛られているけれども、人魚たちは貝を皿にして手づかみで食べるらしい。料理も手づかみで食べやすい形状になっている。
「これは貝の出汁から作ったスープかな。なかなか美味しいね」
「初めて海の国に行った時はもう絶対に魚は食べられないと思ったものだけど、こうやって出されると結局食べちゃうから不思議よね」
「生きるために食べるのは大事だよ」
母親の祖国とはいえ、慣れない場所で暮らすのは大変だろう。
「ねえ、この島では君をエフィネティアと呼んでもいい?」
「いいけど」
「もちろん他国の使節が来てるときは殿下と呼ぶよ」
「……なんか体がムズムズするけど、仕方ないわね」
「僕が君の部下になったらアルウェスって呼んでほしいな」
「へっ!?」
彼女はハクハクと口を開閉させる。
「ちょっと、やっぱ変よアンタ」
「そんなことないけど?」
大陸の料理が恋しくならないのかと訊いてみたら、朝と夜はなるべく自炊しているという。通いの使用人が最低限いるらしい。
「海の国では宮殿の使用人に全部やってもらってたけど、陸の家の手入れは人魚にはよくわからないのよ。だから私ができるところはやって、手に余る部分は人を雇っているの」
「君は海の国以外には出かけないの?」
「セレイナは近いから時々行くわよ。でもララが暑いのが苦手だからあまり長居はできない」
「それは残念だね。今度ドーランの料理を持ってくるよ。久しぶりに食べたいでしょ?」
「えっ……! ……いや、そんな、悪いし」
「セレイナには僕の屋敷があるから。うちの料理人は兎鳥のから揚げが得意なんだ」
「兎鳥……!」
好物の名を出された彼女は涎を垂らさんばかりにだらしなく頬をゆるめて、大きな瞳をさらに大きく見開いた。期待に目を輝かせてごくりと唾を飲み込んだ。
可愛いね、と口の中で呟いて、僕は頬を綻ばせる。
海の国の料理はご想像にお任せします……スミマセン。
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